【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾漆最終更新 2023/09/02 10:401.日本@名無史さん九州に決まっとろうが?福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せないかん!九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を何らかの根拠を以って推測する議論等々も大歓迎!ただし異説を唱えたい人は必ず根拠を明示すること。根拠がなければただの妄想やけんね。議論百出は大いに歓迎。レッテル貼りで議論から逃げ出すごたる奴は九州男児じゃなかばい!前スレ【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾陸 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1667725762/過去スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。同じ轍を踏まないためにも、このスレでは罵倒のみの駄レスを禁じます。それは声闘という朝鮮人の文化です。反論は論理的に、それが出来ないのはただの負け犬です。出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/16856469122023/06/02 04:15:123コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.日本@名無史さんyGxU6>>777末盧國は伊都の北西500里。伊都は、考古学成果から、博多西麓で早良周辺を想定すべきなので、糸島北岸。伊都の一大卒は皆 臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 なのでなんで、500里も歩かされたかが謎。途中に帳政が見た、卑弥呼の墓が有ったか乗って来た、遣倭 載斯烏越の船の母港だったか? と思う。2023/07/10 18:01:173.日本@名無史さんTyWn7文献的にも九州は違う魏志倭人伝の9割の部分は書かれていることをそのまま信用してはいけない邪馬台国は沖縄台湾にあることになっていて現代人はこれがおかしいとわかるただ唯一信用していい部分があるそれが皇帝の言葉>今、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、倩絳五十匹、紺青五十匹を以って、>汝が献じた貢ぎの見返りとして与える。すでにこのころには朝貢の返礼品は2~3倍返しはなく定型化している品を常備しているので突然の訪問にも対応できる>また、特に、汝に紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八両、>五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜ひ、>みな装ほひ封じて難升米、牛利に付す。>帰り着いたなら記録して受け取り、これらの総てを汝の国中の人に示し、>我が国魏が汝倭国をいとおしんでいることを周知すればよろしい。>そのために鄭重に汝の好む物を賜うのである。ただ卑弥呼の朝貢は特別扱いされてさらに好物を追加でもらう新皇帝が8歳に代わり最初の朝貢だったからだとしても豪華すぎる倭の使者の難升米、牛利らが卑弥呼の意を汲んで欲しいものを魏に伝えたんだろうなんと魏はそれらを用意して魏の使者の梯儁がわざわざ伊都国に来て一大率に渡す>銅鏡百枚3世紀中ごろ以降に畿内ほど銅鏡がでてこない畿内以外の地域は文献的にも弱い2023/09/02 10:40:24
【渡辺真衣被告】「何度、農薬やロープを持ち出したことか…」『頂き女子りりちゃん』に3800万円を騙し取られた50代男性「月給20万円」「自宅はゴミ屋敷」の困窮生活ニュース速報+1451736.12024/12/25 16:11:23
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せないかん!
九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を何らかの根拠を以って推測する議論等々も大歓迎!
ただし異説を唱えたい人は必ず根拠を明示すること。
根拠がなければただの妄想やけんね。
議論百出は大いに歓迎。
レッテル貼りで議論から逃げ出すごたる奴は九州男児じゃなかばい!
前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾陸
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1667725762/
過去スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
同じ轍を踏まないためにも、このスレでは罵倒のみの駄レスを禁じます。
それは声闘という朝鮮人の文化です。
反論は論理的に、それが出来ないのはただの負け犬です。
末盧國は伊都の北西500里。
伊都は、考古学成果から、博多西麓で
早良周辺を想定すべきなので、糸島北岸。
伊都の一大卒は
皆 臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 なので
なんで、500里も歩かされたかが謎。
途中に帳政が見た、卑弥呼の墓が有ったか
乗って来た、遣倭 載斯烏越の船の母港だったか? と思う。
魏志倭人伝の9割の部分は書かれていることをそのまま信用してはいけない
邪馬台国は沖縄台湾にあることになっていて現代人はこれがおかしいとわかる
ただ唯一信用していい部分がある
それが皇帝の言葉
>今、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、倩絳五十匹、紺青五十匹を以って、
>汝が献じた貢ぎの見返りとして与える。
すでにこのころには朝貢の返礼品は2~3倍返しはなく定型化している
品を常備しているので突然の訪問にも対応できる
>また、特に、汝に紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八両、
>五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜ひ、
>みな装ほひ封じて難升米、牛利に付す。
>帰り着いたなら記録して受け取り、これらの総てを汝の国中の人に示し、
>我が国魏が汝倭国をいとおしんでいることを周知すればよろしい。
>そのために鄭重に汝の好む物を賜うのである。
ただ卑弥呼の朝貢は特別扱いされてさらに好物を追加でもらう
新皇帝が8歳に代わり最初の朝貢だったからだとしても豪華すぎる
倭の使者の難升米、牛利らが卑弥呼の意を汲んで欲しいものを魏に伝えたんだろう
なんと魏はそれらを用意して魏の使者の梯儁がわざわざ伊都国に来て一大率に渡す
>銅鏡百枚
3世紀中ごろ以降に畿内ほど銅鏡がでてこない畿内以外の地域は
文献的にも弱い