島田紳助 総合スレッド最終更新 2024/12/24 12:171.名無しさんmk5kZ島田 紳助(しまだ しんすけ、1956年〈昭和31年〉3月24日 - )は、日本の元お笑いタレント、漫才師、司会者、歌手、俳優、作詞家、プロデューサー。本名は長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。京都府京都市南区出身。2024/06/23 08:09:2053コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無しさんmk5kZ1977年に漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」を結成。1985年の解散後は芸能界を引退する2011年まで数多くの番組で総合司会、プロデューサーとして活躍した。2011年8月23日に暴力団関係者との交際の発覚を理由に芸能界を引退した。1974年から2011年の芸能界引退時まで吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属した。2024/06/23 08:17:553.名無しさんmk5kZ父親が国鉄職員(南満州鉄道の職員歴もある)の家庭に生まれ育つ。自らの著書『いつも心に紳助を』では、「鳩のように真面目で温厚な性格で、同じ時間に出社して、同じ時間に帰ってきて、同じ時間に寝る毎日だった。また自分が警察に補導されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」と振り返っている。小学3年生の時から家庭教師が雇われるなど、勉学に勤しむ家庭環境だったが、大谷高校時代は全く学校に馴染めずに中学・高校は不良として過ごしていた。その後京都学園大学経済学部に進学したが、入学試験が面接だけであり、ここに4年間通っても得るものは少ないと考え、親が入学金を支払った直後に漫才師を目指す事になり芸能界に身を置くために中退した。2024/06/23 08:19:104.名無しさんmk5kZ高校時代にテレビでB&B(当時は島田洋七と上方よしおのコンビ)の漫才を見て衝撃を受け、漫才師になる事を志し、1974年に洋七と同門になるため島田洋之介・今喜多代に弟子入りし内弟子となる。その後しばらくは洋七の付き人になる一方で、同期の明石家さんまと営業活動を行なったり、しばらく相方を変えながら漫才活動を行うがどれも上手くいかず、さんまから紹介された劇場進行係のスタッフ・松本竜介と1977年に「紳助・竜介」を結成。紳助は徹底的に過去の漫才を研究し、若い世代にターゲットを絞った「ツッパリ漫才」を考案。以降、1980年からの漫才ブームの到来により一気に全国ネットのスターダムにのし上がった。1980年に結婚。2024/06/23 08:20:545.名無しさんmk5kZ1980年代後半も吉本興業の東京の本格的進出の足掛かりとして明石家さんまと共にピンでのタレント活動で多忙を極めるが、吉本の東京支社長であった木村政雄のアイデアで、さんまとの差別化を図る目的で、1989年4月に放送を開始した政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)の総合司会に抜擢。自分のジャンル外として、当初は固辞していたが、その後2004年まで15年間にわたって総合司会を続けた。特に当時、同番組に出演することが多かった自民党内でも異端的な政治家であった小泉純一郎については自らのコラムでたびたび好意的に言及したり、自らのトーク番組にゲストで招いたりしていた。そのため小泉が自民党の総裁選に出馬した際や自らの公約である郵政民営化については期待を込めていずれも支持した。2024/06/23 08:22:466.名無しさんmk5kZ2001年に吉本から「既存のあらゆる漫才の賞を凌駕する新しい漫才コンテストを吉本で作りたいので知恵を貸して欲しい」と頼まれ、漫才コンテスト『M-1グランプリ』を事実上のプロデューサーとして企画やスポンサー集めから携わり、大会委員長として審査員も務めた(同プロジェクトをM-1と名付けたのも紳助)。同番組では数多くのスターを輩出したが、紳助は「惜しまれて終わるのが一番良い」と述べ、2010年で一旦終了させた(その後、紳助引退後の2015年から同番組は復活)。2004年10月から後述の傷害事件により一時的に芸能活動を自粛。年明けの2005年1月に復帰。この頃から、タレント業以外に実業家としても活動し、2005年には石垣島にて喫茶店「TOMURU(トムル)」を開店した。同年、雑誌取材が縁で知り合った男性と共同出資で寿司はせ川をオープンし、以降も東京・大阪を中心に多くの飲食店を展開した。2024/06/23 08:24:157.名無しさんmk5kZ2007年からは、総合司会を務めるフジテレビ『クイズ!ヘキサゴンII』で、Paboや羞恥心といったユニットをプロデュースし、いわゆる「おバカブーム」を作り出し、2009年と2010年には同番組をベースとしたフジテレビ『FNSの日』26時間テレビの総合司会を2年連続で務めた。その中で、FNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。その一方でバラエティ番組だけではなく2007年の参議院選挙、2009年の衆議院選挙、2010年の参議院選挙の三度にわたって、日本テレビ選挙特別番組『ZERO×選挙』で村尾信尚と共にメインキャスターを務めた。2024/06/23 08:25:068.名無しさんmk5kZ2011年8月23日、司会を務める『開運!なんでも鑑定団』放送終了直後の22時より吉本興業本社にて記者会見を開き、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に芸能界引退を表明した。警察は深い交際があったのではないかと捜査を進めていると報道された。週刊現代による暴力団交際報道の記事について、発行元の講談社を名誉棄損で民事裁判による訴えを起こしたが、東京地裁は、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、紳助側の主張を退けた。2024/06/23 08:26:149.名無しさんmk5kZ引退後は完全に芸能界から退いている。ただし、芸能マスコミのインタビューに応じることはあり、その度に明確に復帰を否定している。また、東野幸治や宮迫博之などの行列ファミリーやmisonoを始めとするヘキサゴンファミリーなど親しい芸能人とはゴルフや食事などで交流を続けており(後述)、明石家さんまや松本人志らも紳助とメールのやり取りをするなどしているという。2021年時点で最後の公式なマスメディア出演は、2012年1月に本人役として引退前に声のみの出演をした映画『犬の首輪とコロッケと』である。2024/06/23 08:27:5310.名無しさんmk5kZ引退後も定期的に紳助の芸能界復帰の噂が流れ、実際に吉本興業も明石家さんまに相談して本人の意思があればカムバックを準備していたが、結局紳助本人に復帰意思はなかったという。紳助自身も後年応じたインタビューにおいて「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定している。一方で「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた番組スタッフらに償いをしたいという気持ちがあるとし、レギュラー番組などの完全な復帰は否定しつつも、(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている2024/06/23 08:29:4511.名無しさんmk5kZ高校時代に経験しているためボクシングに造詣が深く、他のスポーツに比べてマイナーなイメージがある事を遺憾に思っている。亀田一家のパフォーマンスや辰吉丈一郎が対戦相手を挑発する行為は、マイナーなボクシングを世間にアピールするための言動であると評している。渡辺二郎と交友歴が長かったが、これがのちに芸能界引退の契機となった。2024/06/23 08:31:4212.名無しさんTK7E2復帰しないんか😃2024/06/24 05:32:1313.名無しさんbsJO2話術の天才ではあるが・・・2024/06/24 18:41:3614.名無しさんanrUa復帰してもいいお2024/06/25 13:00:2515.名無しさんVOCW4コンプライアンス厳しい状況ではねえ2024/06/26 14:20:3216.名無しさんwBw8p悠々自適生活でいいんじゃないの😃2024/06/27 05:30:3317.名無しさんUpYw9まあそうだよね2024/06/27 16:09:1018.名無しさんq5lhDもうのんびり生活でええやん2024/06/28 11:20:1119.名無しさんJb5fU島田紳助さんて現役の時でも別にTV出なくても事業で数億の収入があるから楽やで俺こんだけ事業で儲けてるのよってボソッとゴチに出た時にナイナイに言ってナイナイがその金額にビビったってラジオで言ってた色々言われてるけどありえんくらい勝ち組でしょ2024/06/29 09:34:4720.名無しさんJekhP紳助さんももう70弱かそりゃ年取るわ2024/07/01 07:21:3021.名無しさんOWxaWこの人結構大物じゃなかったっけ2024/07/02 10:00:5922.名無しさんSHOJcすげーかねもってそう2024/07/19 17:34:2923.名無しさんyj5v3稼いだろうね2024/07/26 20:36:2724.名無しさんxnHWJ島田紳助の長寿番組が・・・↓芸能界引退時2011年の担当番組「行列のできる法律相談所」 ← 放送開始22年「開運!なんでも鑑定団」 ← MC今田耕司で放送中「オールスター感謝祭」 ← MC今田耕司&有吉弘行で放送中「M-1グランプリ」 ← 審査委員長&実行委員長は空席扱いで毎年放送中「ZERO×選挙」 ← MC有働由美子で選挙時放送中「人生が変わる1分間の深イイ話」 ← 2022年3月終了「クイズ!ヘキサゴンII」 ← 2011年9月終了「クイズ!紳助くん」 ← 2011年9月終了「紳助社長のプロデュース大作戦」 ← 2011年8月終了2024/08/27 11:36:4525.名無しさんbHft5クイズ!紳助くん 見てたなあ2024/08/29 10:25:1926.名無しさんfBnza紳助はもう復帰してくれよまたあの話術聞きたい人いっぱいいるだろ2024/09/27 06:24:3827.名無しさんPeMky紳助そんな好きじゃないけど自由に生きてそうなのは羨ましいわ2024/09/28 13:36:1028.名無しさんkpfjn紳助からソフトヤンキーのヒロミに交代させられた感じよな2024/09/30 10:34:2129.名無しさんxfCFT東京03は助かったよなあのまま紳助が居たら終わってたし2024/10/01 11:17:0730.名無しさん7fJBS素敵やん現役中はバラエティー番組のMCで軽快なトークと突っ込みで笑わせてもらったわ上岡龍太郎とのダブルMCのEXテレビは神番組2024/10/02 09:26:1031.名無しさん3q0pi13年間も貯えだけで暮らせるなんてどんだけ稼いでいたんだ( ゚д゚)ポカーン2024/10/03 07:35:1932.名無しさんl3aVj紳助兄さんは不動産知識すごいらしかったからそれ披露する番組したらよかった2024/10/04 12:35:3333.名無しさんvpR2d紳助がいなくなった辺りからつまらん芸無し人が蔓延るようになった気がする2024/10/08 12:28:4334.名無しさんPT9IO若けえな毎日釣りして暮らしてるらしいな2024/10/09 10:25:5535.名無しさん4VpEK紳助の話術と頭の回転は天下一品だったな2024/10/10 07:34:0436.名無しさんYvBDZ紳助仮に復帰したとしても今の世の中じゃコンプラ的に使えないだろうな2024/10/11 10:12:0037.名無しさんVcSTQ好き嫌いだけで言ったら嫌いな部類なんだけど正直引退させられるほどの事でもないと思う2024/10/13 08:37:0038.名無しさんOb3l1紳助は嫌いじゃないけど上岡龍太郎みたいに口が悪いのが災い2024/10/16 09:58:1139.名無しさんhEMKz紳助若いなさんまと同級2024/10/28 08:37:1940.名無しさん4H4V1悠々自適だな2024/10/29 11:27:0741.名無しさんHgk7Zもう悠々自適だなこりゃ復帰する気なんてないだろう2024/10/30 08:35:4642.名無しさん4cxnJ紳助、金に困ってないなじゃなければYou Tubeしてるだろうし2024/10/31 09:54:1743.名無しさんXNhQq今振り替えるとヘキサゴンファミリーの音楽ってよく売れたよな2024/11/01 10:25:5244.名無しさんXNhQqなやかんやでヘキサゴン好きだった2024/11/01 10:27:0845.名無しさんljVdF意外にも若返っててワロスw2024/11/03 11:21:0346.名無しさんC6KZT島田紳助変わらんな2024/11/04 10:57:3247.名無しさんryb3Y66歳にしては若いな体も鍛えてムキムキボディーらしいねDT松本がテレビで言ってた2024/11/05 11:18:5948.名無しさんcorEG紳助本当変わらないなよっぽどのびのび過ごせてるんだな2024/11/06 09:56:0049.名無しさん7gYWyクイズしんすけくん2024/11/07 10:42:4650.名無しさんyUsBm平成初期のバラエティーを盛り上げてくれてたのは間違いない2024/11/09 11:34:3651.名無しさんmuQn5島田紳助がよく言ってたのは歳取れば取るほど笑いより知識が求められていく50過ぎのおっさんお笑いコンビMCは通用しないだったな2024/11/26 12:14:2152.名無しさんjimhNクラブ紳助という番組でゲストの清水健太郎と流れでケンカの話になった時に二人の意見が一致したのが「鶴瓶は強い」2024/12/15 13:05:4853.名無しさんNvX0r松本紳助復活してくれ2024/12/24 12:17:50
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本名は長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。
京都府京都市南区出身。
1985年の解散後は芸能界を引退する2011年まで数多くの番組で総合司会、プロデューサーとして活躍した。
2011年8月23日に暴力団関係者との交際の発覚を理由に芸能界を引退した。
1974年から2011年の芸能界引退時まで吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属した。
自らの著書『いつも心に紳助を』では、「鳩のように真面目で温厚な性格で、同じ時間に出社して、同じ時間に帰ってきて、同じ時間に寝る毎日だった。
また自分が警察に補導されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」と振り返っている。
小学3年生の時から家庭教師が雇われるなど、勉学に勤しむ家庭環境だったが、大谷高校時代は全く学校に馴染めずに中学・高校は不良として過ごしていた。
その後京都学園大学経済学部に進学したが、入学試験が面接だけであり、ここに4年間通っても得るものは少ないと考え、
親が入学金を支払った直後に漫才師を目指す事になり芸能界に身を置くために中退した。
1974年に洋七と同門になるため島田洋之介・今喜多代に弟子入りし内弟子となる。
その後しばらくは洋七の付き人になる一方で、同期の明石家さんまと営業活動を行なったり、しばらく相方を変えながら漫才活動を行うがどれも上手くいかず、
さんまから紹介された劇場進行係のスタッフ・松本竜介と1977年に「紳助・竜介」を結成。
紳助は徹底的に過去の漫才を研究し、若い世代にターゲットを絞った「ツッパリ漫才」を考案。
以降、1980年からの漫才ブームの到来により一気に全国ネットのスターダムにのし上がった。
1980年に結婚。
吉本の東京支社長であった木村政雄のアイデアで、さんまとの差別化を図る目的で、
1989年4月に放送を開始した政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)の総合司会に抜擢。
自分のジャンル外として、当初は固辞していたが、その後2004年まで15年間にわたって総合司会を続けた。
特に当時、同番組に出演することが多かった自民党内でも異端的な政治家であった小泉純一郎については自らのコラムでたびたび好意的に言及したり、
自らのトーク番組にゲストで招いたりしていた。
そのため小泉が自民党の総裁選に出馬した際や自らの公約である郵政民営化については期待を込めていずれも支持した。
漫才コンテスト『M-1グランプリ』を事実上のプロデューサーとして企画やスポンサー集めから携わり、
大会委員長として審査員も務めた(同プロジェクトをM-1と名付けたのも紳助)。
同番組では数多くのスターを輩出したが、紳助は「惜しまれて終わるのが一番良い」と述べ、
2010年で一旦終了させた(その後、紳助引退後の2015年から同番組は復活)。
2004年10月から後述の傷害事件により一時的に芸能活動を自粛。年明けの2005年1月に復帰。
この頃から、タレント業以外に実業家としても活動し、2005年には石垣島にて喫茶店「TOMURU(トムル)」を開店した。
同年、雑誌取材が縁で知り合った男性と共同出資で寿司はせ川をオープンし、以降も東京・大阪を中心に多くの飲食店を展開した。
2009年と2010年には同番組をベースとしたフジテレビ『FNSの日』26時間テレビの総合司会を2年連続で務めた。
その中で、FNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。
その一方でバラエティ番組だけではなく2007年の参議院選挙、2009年の衆議院選挙、2010年の参議院選挙の三度にわたって、
日本テレビ選挙特別番組『ZERO×選挙』で村尾信尚と共にメインキャスターを務めた。
暴力団関係者との「黒い交際」を理由に芸能界引退を表明した。
警察は深い交際があったのではないかと捜査を進めていると報道された。
週刊現代による暴力団交際報道の記事について、発行元の講談社を名誉棄損で民事裁判による訴えを起こしたが、
東京地裁は、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、
「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、紳助側の主張を退けた。
ただし、芸能マスコミのインタビューに応じることはあり、その度に明確に復帰を否定している。
また、東野幸治や宮迫博之などの行列ファミリーやmisonoを始めとするヘキサゴンファミリーなど親しい芸能人とはゴルフや食事などで交流を続けており(後述)、
明石家さんまや松本人志らも紳助とメールのやり取りをするなどしているという。
2021年時点で最後の公式なマスメディア出演は、2012年1月に本人役として引退前に声のみの出演をした映画『犬の首輪とコロッケと』である。
結局紳助本人に復帰意思はなかったという。
紳助自身も後年応じたインタビューにおいて「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、
最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定している。
一方で「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた番組スタッフらに償いをしたいという気持ちがあるとし、
レギュラー番組などの完全な復帰は否定しつつも、
(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている
亀田一家のパフォーマンスや辰吉丈一郎が対戦相手を挑発する行為は、マイナーなボクシングを世間にアピールするための言動であると評している。
渡辺二郎と交友歴が長かったが、これがのちに芸能界引退の契機となった。
俺こんだけ事業で儲けてるのよってボソッとゴチに出た時にナイナイに言ってナイナイがその金額にビビったってラジオで言ってた
色々言われてるけどありえんくらい勝ち組でしょ
そりゃ年取るわ
↓芸能界引退時2011年の担当番組
「行列のできる法律相談所」 ← 放送開始22年
「開運!なんでも鑑定団」 ← MC今田耕司で放送中
「オールスター感謝祭」 ← MC今田耕司&有吉弘行で放送中
「M-1グランプリ」 ← 審査委員長&実行委員長は空席扱いで毎年放送中
「ZERO×選挙」 ← MC有働由美子で選挙時放送中
「人生が変わる1分間の深イイ話」 ← 2022年3月終了
「クイズ!ヘキサゴンII」 ← 2011年9月終了
「クイズ!紳助くん」 ← 2011年9月終了
「紳助社長のプロデュース大作戦」 ← 2011年8月終了
またあの話術聞きたい人いっぱいいるだろ
は助かったよな
あのまま紳助が居たら終わってたし
現役中はバラエティー番組のMCで軽快なトークと突っ込みで笑わせてもらったわ
上岡龍太郎とのダブルMCのEXテレビは神番組
どんだけ稼いでいたんだ( ゚д゚)ポカーン
毎日釣りして暮らしてるらしいな
事でもないと思う
上岡龍太郎みたいに口が悪いのが災い
こりゃ復帰する気なんてないだろう
じゃなければYou Tubeしてるだろうし
体も鍛えてムキムキボディーらしいね
DT松本がテレビで言ってた
よっぽどのびのび過ごせてるんだな
歳取れば取るほど笑いより知識が求められていく
50過ぎのおっさんお笑いコンビMCは通用しない
だったな