日本は戦争に敗れた 戦犯は誰?最終更新 2026/05/29 08:411.BANKSYXogl7誰や2026/04/27 01:25:42180コメント欄へ移動すべて|最新の50件131.名無しさん@涙目です。uabwY出て行け2026/05/16 13:44:40132.名無しさん@涙目です。ZUAzdhttps://i.imgur.com/WPojvFl.png敗戦国の末路w2026/05/16 14:50:04133.名無しさん@涙目です。dUw9V出て行け2026/05/16 14:58:13134.名無しさん@涙目です。ZUAzd日本人として情けない2026/05/16 14:58:40135.名無しさん@涙目です。pIXYr出て行け2026/05/16 15:38:37136.名無しさん@涙目です。ZUAzd>>26ヘタレで草2026/05/16 16:00:33137.名無しさん@涙目です。pIXYr出て行け2026/05/16 16:24:40138.名無しさん@涙目です。ZUAzdこわれてて草2026/05/16 20:16:28139.名無しさん@涙目です。XgQRS出て行け2026/05/16 20:39:24140.名無しさん@涙目です。ZUAzd韓国に抜かれて早6年…日本の賃金34カ国中25位の衝撃 先進国で「一人負け」の実態とは日本の給料は30年以上、ほとんど上がっていない。日本で暮らしていると実感がないかもしれないが、世界的にみるとその停滞ぶりは「異常」だ。経済協力開発機構(OECD)によると、2023年の日本の平均賃金は加盟34カ国中25位。33年前と比べると、アメリカが2万6339ドル(1ドル=145円で382万円)増えたのに対し、日本は98ドル(1万4千円)しか増えなかった。https://dot.asahi.com/articles/-/257251?page=12026/05/16 22:53:59141.名無しさん@涙目です。2xqdX出て行け2026/05/17 07:36:25142.名無しさん@涙目です。4cAVD↑在日コリアン2026/05/17 08:48:56143.名無しさん@涙目です。35Fll誰が悪いとも言えないのでは?でも歴史を根掘り葉掘り探っていくと、天皇には当時ほぼ権力なんてなかったこともわかりますし、官邸の重要ポストは軍部の人間が握っており、他の大臣らにも憲兵の監視があったなんて事も。だから一概に誰のせい、何人が悪いなんて言えないと思うんです。当時の日本は太平洋の国や朝鮮を侵攻して現地の方々に深い傷を与えてしまったから。勿論日本にも同じ方がたくさんいらっしゃいます。私の曽祖母からもよく戦争の話を聞かされておりました。だから、戦争の記憶を受け継ぐ事ができる最後の世代である私達は、これからも責任持って悲惨な戦争の記憶を繋がなければいけないと思います。中学生の私でも語り部活動はできます。小学生で活動されている方もいます。都合が悪いからと言って過去の記憶を消去せず、繋いでいくことってすごく大事なんだと思います。長文失礼しました。歴ヲタなのに上手く喋ることができず申し訳ないです。2026/05/17 10:07:33144.名無しさん@涙目です。tLkgF>>142出て行け2026/05/17 13:08:34145.名無しさん@涙目です。4cAVD↑在日コリアン2026/05/17 15:00:21146.名無しさん@涙目です。4cAVD中国「TikTok」 韓国「LINE」 日本「ぐぬぬ・・・」2026/05/17 15:08:39147.名無しさん@涙目です。9CJdM出て行け2026/05/17 15:50:15148.名無しさん@涙目です。35Fll>>146各国に良いものはたくさんありますしね、お互い様ってことなんだと思います!2026/05/17 17:20:54149.名無しさん@涙目です。4cAVD日本のIT雑魚2026/05/17 17:44:06150.名無しさん@涙目です。QrJfo出て行け2026/05/17 18:12:44151.名無しさん@涙目です。4cAVD↑人生ハードモードの孤独死確定オジサン2026/05/17 19:34:57152.名無しさん@涙目です。o7GKN出て行け2026/05/17 20:19:51153.名無しさん@涙目です。4cAVD↑人生ハードモードの孤独死確定オジサン2026/05/17 20:31:52154.名無しさん@涙目です。o7GKN出て行け2026/05/17 20:34:18156.名無しさん@涙目です。xcZPE出て行け2026/05/18 09:09:27157.名無しさん@涙目です。OE25t>>155が見えないらしい2026/05/18 09:20:50158.名無しさん@涙目です。xcZPE出て行け2026/05/18 09:21:43159.名無しさん@涙目です。WuFN4てけ2026/05/18 18:45:19160.名無しさん@涙目です。9wyz3↑人生ハードモードの孤独死確定オジサン2026/05/19 10:52:35161.名無しさん@涙目です。oWyOl出て行け2026/05/19 11:35:54162.名無しさん@涙目です。a7cQUてけてけおじさん2026/05/19 18:26:28163.名無しさん@涙目です。OTxV4>>1「戦犯」の定義を示せ。それ次第で顔ぶれが変わる。2026/05/21 02:06:42164.名無しさん@涙目です。V8YgB敗戦国の末路円安 物価高2026/05/21 08:30:23165.名無しさん@涙目です。clrp4出て行け2026/05/21 08:42:08166.名無しさん@涙目です。rhFZoペリー2026/05/21 09:42:01167.名無しさん@涙目です。c8ez3>>1お前の爺さん2026/05/21 13:26:58168.名無しさん@涙目です。DspWZパヨはA級戦犯がどんな戦犯か知らんのよ聞いてみわけわからんこと言い出すから2026/05/21 14:55:44169.名無しさん@涙目です。DspWZ>>165てけ2026/05/21 14:56:13170.名無しさん@涙目です。UeVldてけ爺さん 精神病w2026/05/23 08:18:26171.名無しさん@涙目です。0ulwA出て行け2026/05/23 08:46:10172.名無しさん@涙目です。8SnnZそりゃ一番偉い人が悪いに決まってるやんけwww2026/05/23 09:16:25173.名無しさん@涙目です。eXTtG天皇に責任あるよ 太平洋戦争突入は天皇の皇道派鎮圧が厳しすぎたのが原因2026/05/25 09:00:13174.名無しさん@涙目です。LtIcm>>95天皇は処罰されてないだろw2026/05/26 10:40:50175.名無しさん@涙目です。vmGrI日本国民にも責任が無いとは言えないんじゃね2026/05/26 11:04:16176.名無しさん@涙目です。0a18p日本陸軍には統制派と皇道派という二つの派閥があった。皇道派というと、2.26事件を起こした青年将校たちを思い浮かべる人が多いだろうが、あのグループは、皇道派の中の過激派とでもいうべき存在だった。皇道派にも、荒木貞夫や真崎甚三郎ら将官クラスのメンバーがいた。荒木貞夫が軍を「皇軍」と呼ぶことを始め、理論的支柱となっていた。将官以外にも、佐官級の支持者は多かった。数の上において、皇道派は決して統制派に負けていなかった。ところが二月二十六日、麻布や赤坂、駒沢の連隊の若手将校らが1500名ほどの兵士を率い、天皇の側近や大臣を次々と殺害し、首相官邸や警視庁などを占拠した。この事件(2.26事件)において、陸軍の対応は実に緩慢であった。当初、陸軍は青年将校らの行動を反乱とせず、事件後も青年将校らとその率いる部隊が、陸軍の正式な指揮命令下にあることを確認したりしていた。陸軍の中に、この事件に乗じて軍を中心とした政権の樹立を考える軍人たちが相当数いたのである。しかし、遅々として進まない討伐に天皇は怒った。青年将校たちに同情的な侍従武官長に対し、天皇はこのように言った。「朕が股肱の老臣を殺戮す、このごとき凶暴の将校等、その精神においても何のゆるすべきものありや」「朕みずから近衛師団を率い、これが鎮定に当らん」天皇のこの発言によって風向きは一気に変わった。青年将校たちは、川島義之陸軍大臣をはじめとする陸軍首脳を通じ、昭和天皇に対して「昭和維新」の実現を訴えていた。しかし天皇は上記のように自分が鎮圧の先頭に立つとまで言って断固としてこれを拒否した。その上で、決起部隊の鎮圧を陸海軍に命じた。反乱三日後の二月二九日午前八時三〇分、ついに決起部隊に対する攻撃命令が下された。しかし、このときに同時に、「兵に告ぐ」と題したラジオ放送や「下士官兵ニ告グ」の伝単(でんたん)(ビラ)が撒かれた。こうした投降の呼びかけが功を奏し、午後二時頃までには下士官・兵のほとんどは投降して原隊に戻り、武力鎮圧に移ることなく事件は終息した。2026/05/26 17:43:57177.名無しさん@涙目です。0a18p天皇の怒りは当然であった。政治にかかわらず、国防・軍事にのみ専念すべき軍人が、国軍を勝手に動かして国政の重鎮たちを殺戮するとは何事であるか。天皇が、朕みずから近衛兵を率いて討伐すると宣言したのも、あの時点では不自然ではない。しかし、天皇は陸軍が派閥で二つに割れていたことなど知らない。こういう場合、派閥の一方を潰せば、もう一方の派閥の天下になり、一切の批判も反対も起こらず、やりたい放題になりかねない。そうなるとブレーキが効かず、国政上重大な案件であっても、容易に実行されてしまうことがある。天皇が、こうした派閥力学を知るはずはなかった。天皇の怒りと断固たる処罰意思を背景に、陸軍首脳部の統制派による皇道派への弾圧が行われた。主な皇道派将官たちの末路は以下の通りである。真崎 甚三郎(陸軍大将)皇道派の重鎮。1935年、統制派が主導した林銑十郎陸相により教育総監を更迭され軍事参議官に事実上左遷された。その後、二・二六事件後に予備役編入、逮捕されて軍法会議にかけられた(のち無罪)。荒木 貞夫(陸軍大将)皇道派の精神的支柱。陸相時代は皇道派を重用したが、1936年の二・二六事件の責任を問われる形で現役を退き、予備役に編入された。小畑 敏四郎(陸軍中将)皇道派の理論的支柱。永田鉄山 らと対立し、参謀本部から陸軍大学校幹部へと事実上の左遷を受けた。二・二六事件後は予備役に編入された。山下 奉文(陸軍中将)太平洋戦争で「マレーの虎」としてシンガポールを攻略したが、東條英機ら統制派に疎まれて満州の防衛軍司令官へ左遷された。のちに戦局悪化でフィリピン防衛の第14方面軍司令官として復帰している。上記の将官級の左遷人事のみならず、陸軍の佐官や尉官クラスにも粛軍の影響は及んだ。全体的には、統制派は、二・二六事件の鎮圧後、約3,000名に及ぶ空前の大人事異動を断行した。2026/05/26 18:33:52178.名無しさん@涙目です。rtSZW陸軍の人事ピラミッドの何処にも、皇道派の軍人はいなくなってしまった。予備役に編入された軍人以外は、まだ現役軍人であるが、人事異動で閑所に飛ばされ、いっさいの発言権を奪われた。陸軍は、統制派が全面的に支配するところとなったのである。繰り返しになるが、こうした事態になったのは、天皇が決起部隊の将校らに激怒し、これを反乱軍と位置づけ、討伐を命じたことによる。天皇の怒りと命令がなければ、(決起部隊の将校たちは死刑を免れなかったろうが)大人事異動のようなことが行われて、皇道派の軍人がいっさいの地位と発言権を奪われるなどという事態は生じなかったはずである。2026/05/27 02:11:34179.名無しさん@涙目です。rtSZW皇道派の理念とは何なのか。山川出版社・日本史小辞典の解説が分かりやすい。「昭和前期の陸軍の派閥の一つ。荒木貞夫・真崎甚三郎・柳川平助・小畑敏四郎らの将官と国家改造を希求する尉官級の隊付将校で形成。陸軍を慣例的に国軍とよんでいたのを荒木が皇軍とよんだことに由来する。1931年(昭和6)12月に荒木が陸相に就任し,翌32年1月真崎が参謀次長になると最盛期となり,次官・軍務局長・人事局長と陸軍省の枢要ポストを占めた。皇道中心の精神主義者や農本主義的思想の将校が多かったため,近代的国家総力戦の理解に乏しく,国家改造運動は尉官級の将校のクーデタによる天皇親政の政治実現を目ざした。対ソ主敵論を主張。35年に相沢事件,36年に2・26事件を決行し敗れた。」。上に書かれた「対ソ主戦論を主張」との一文が肝である。日本陸軍は伝統的に、ソ連(ロシア)を仮想敵国としていた。地政学的にそうならざるを得ない部分があり、さらにロシア革命 により成立したソビエト連邦 は、世界各地で革命を扇動した。これは日本の国体(天皇制)を脅かすものであり、日本とはイデオロギー的に相容れざる最大の敵と見なされていた。2026/05/27 02:35:30180.名無しさん@涙目です。1VkMC日本陸軍には、もともと北進論と南進論の対立があった。北進論とは、仮想敵国をソ連一国とし、日本の国防の要地としては、朝鮮と満州、内蒙古、樺太、歯舞群島、千島列島などに限定する考え方である。これに対して南進論とは、北方の守りを軽視するわけではないが、南方(中国や東南アジア)も重視しようという立場である。南進論の根拠は、中国や東南アジアが西欧列強の植民地になっている事実である。シンガポールなどの要地が列強の支配に服していることは日本にとって脅威であるし、将来の日本の発展を阻害する要因となりうる。また中国には租借という形で列強が食い込んでいる。日本は、第一次大戦で連合国に与し、山東半島の青島を占領できたが、できればもっと大陸の権益を取得し、日本の国力を大きくしなければならない。南進論の根拠には、日本も西欧諸国なみに豊かにならねばならないという理念があった。ある程度豊かにならなければ軍事力も増強できず、西欧に伍していくことは難しいという判断があったのである。南進論の考え方を進めると、日本は中国や東南アジアから西欧の勢力を追い払い、日本がアジアの盟主となって全アジアの発展共栄を目指すという理想につながっていく。後の大東亜共栄圏の発想は、すでに南進論の中に芽生えていたのである。2026/05/29 08:41:43
敗戦国の末路w
ヘタレで草
日本の給料は30年以上、ほとんど上がっていない。日本で暮らしていると実感がないかもしれないが、世界的にみるとその停滞ぶりは「異常」だ。経済協力開発機構(OECD)によると、2023年の日本の平均賃金は加盟34カ国中25位。33年前と比べると、アメリカが2万6339ドル(1ドル=145円で382万円)増えたのに対し、日本は98ドル(1万4千円)しか増えなかった。
https://dot.asahi.com/articles/-/257251?page=1
だから一概に誰のせい、何人が悪いなんて言えないと思うんです。当時の日本は太平洋の国や朝鮮を侵攻して現地の方々に深い傷を与えてしまったから。勿論日本にも同じ方がたくさんいらっしゃいます。私の曽祖母からもよく戦争の話を聞かされておりました。だから、戦争の記憶を受け継ぐ事ができる最後の世代である私達は、これからも責任持って悲惨な戦争の記憶を繋がなければいけないと思います。中学生の私でも語り部活動はできます。小学生で活動されている方もいます。都合が悪いからと言って過去の記憶を消去せず、繋いでいくことってすごく大事なんだと思います。
長文失礼しました。歴ヲタなのに上手く喋ることができず申し訳ないです。
出て行け
各国に良いものはたくさんありますしね、お互い様ってことなんだと思います!
「戦犯」の定義を示せ。それ次第で顔ぶれが変わる。
円安 物価高
お前の爺さん
聞いてみ
わけわからんこと言い出すから
てけ
天皇は処罰されてないだろw
皇道派というと、2.26事件を起こした青年将校たちを思い浮かべる人が多いだろうが、
あのグループは、皇道派の中の過激派とでもいうべき存在だった。
皇道派にも、荒木貞夫や真崎甚三郎ら将官クラスのメンバーがいた。
荒木貞夫が軍を「皇軍」と呼ぶことを始め、理論的支柱となっていた。
将官以外にも、佐官級の支持者は多かった。
数の上において、皇道派は決して統制派に負けていなかった。
ところが二月二十六日、麻布や赤坂、駒沢の連隊の若手将校らが1500名ほどの兵士を率い、
天皇の側近や大臣を次々と殺害し、首相官邸や警視庁などを占拠した。
この事件(2.26事件)において、陸軍の対応は実に緩慢であった。
当初、陸軍は青年将校らの行動を反乱とせず、事件後も青年将校らとその率いる部隊が、
陸軍の正式な指揮命令下にあることを確認したりしていた。
陸軍の中に、この事件に乗じて軍を中心とした政権の樹立を考える軍人たちが相当数いた
のである。
しかし、遅々として進まない討伐に天皇は怒った。
青年将校たちに同情的な侍従武官長に対し、天皇はこのように言った。
「朕が股肱の老臣を殺戮す、このごとき凶暴の将校等、その精神においても何のゆるすべきものありや」
「朕みずから近衛師団を率い、これが鎮定に当らん」
天皇のこの発言によって風向きは一気に変わった。
青年将校たちは、川島義之陸軍大臣をはじめとする陸軍首脳を通じ、昭和天皇に対して「昭和維新」の実現を
訴えていた。しかし天皇は上記のように自分が鎮圧の先頭に立つとまで言って断固としてこれを拒否した。
その上で、決起部隊の鎮圧を陸海軍に命じた。
反乱三日後の二月二九日午前八時三〇分、ついに決起部隊に対する攻撃命令が下された。
しかし、このときに同時に、「兵に告ぐ」と題したラジオ放送や「下士官兵ニ告グ」の伝単(でんたん)(ビラ)が撒かれた。
こうした投降の呼びかけが功を奏し、午後二時頃までには下士官・兵のほとんどは投降して原隊に戻り、
武力鎮圧に移ることなく事件は終息した。
政治にかかわらず、国防・軍事にのみ専念すべき軍人が、国軍を勝手に動かして国政の重鎮たちを
殺戮するとは何事であるか。
天皇が、朕みずから近衛兵を率いて討伐すると宣言したのも、あの時点では不自然ではない。
しかし、天皇は陸軍が派閥で二つに割れていたことなど知らない。
こういう場合、派閥の一方を潰せば、もう一方の派閥の天下になり、一切の批判も反対も起こらず、
やりたい放題になりかねない。そうなるとブレーキが効かず、国政上重大な案件であっても、容易に
実行されてしまうことがある。
天皇が、こうした派閥力学を知るはずはなかった。
天皇の怒りと断固たる処罰意思を背景に、陸軍首脳部の統制派による皇道派への弾圧が行われた。
主な皇道派将官たちの末路は以下の通りである。
真崎 甚三郎(陸軍大将)
皇道派の重鎮。
1935年、統制派が主導した林銑十郎陸相により教育総監を更迭され軍事参議官に事実上左遷された。
その後、二・二六事件後に予備役編入、逮捕されて軍法会議にかけられた(のち無罪)。
荒木 貞夫(陸軍大将)皇道派の精神的支柱。陸相時代は皇道派を重用したが、1936年の二・二六事件の
責任を問われる形で現役を退き、予備役に編入された。
小畑 敏四郎(陸軍中将)皇道派の理論的支柱。永田鉄山 らと対立し、参謀本部から陸軍大学校幹部へと
事実上の左遷を受けた。二・二六事件後は予備役に編入された。
山下 奉文(陸軍中将)太平洋戦争で「マレーの虎」としてシンガポールを攻略したが、東條英機ら統制派に
疎まれて満州の防衛軍司令官へ左遷された。
のちに戦局悪化でフィリピン防衛の第14方面軍司令官として復帰している。
上記の将官級の左遷人事のみならず、陸軍の佐官や尉官クラスにも粛軍の影響は及んだ。
全体的には、統制派は、二・二六事件の鎮圧後、約3,000名に及ぶ空前の大人事異動を断行した。
予備役に編入された軍人以外は、まだ現役軍人であるが、人事異動で閑所に
飛ばされ、いっさいの発言権を奪われた。
陸軍は、統制派が全面的に支配するところとなったのである。
繰り返しになるが、こうした事態になったのは、天皇が決起部隊の将校らに激怒し、
これを反乱軍と位置づけ、討伐を命じたことによる。
天皇の怒りと命令がなければ、(決起部隊の将校たちは死刑を免れなかったろうが)
大人事異動のようなことが行われて、皇道派の軍人がいっさいの地位と発言権を
奪われるなどという事態は生じなかったはずである。
「昭和前期の陸軍の派閥の一つ。荒木貞夫・真崎甚三郎・柳川平助・小畑敏四郎らの将官と国家改造を希求する尉官級の
隊付将校で形成。陸軍を慣例的に国軍とよんでいたのを荒木が皇軍とよんだことに由来する。
1931年(昭和6)12月に荒木が陸相に就任し,翌32年1月真崎が参謀次長になると最盛期となり,次官・軍務局長・人事局長と
陸軍省の枢要ポストを占めた。
皇道中心の精神主義者や農本主義的思想の将校が多かったため,近代的国家総力戦の理解に乏しく,国家改造運動は
尉官級の将校のクーデタによる天皇親政の政治実現を目ざした。
対ソ主敵論を主張。
35年に相沢事件,36年に2・26事件を決行し敗れた。」。
上に書かれた「対ソ主戦論を主張」との一文が肝である。
日本陸軍は伝統的に、ソ連(ロシア)を仮想敵国としていた。
地政学的にそうならざるを得ない部分があり、さらにロシア革命 により成立したソビエト連邦 は、世界各地で革命を扇動した。
これは日本の国体(天皇制)を脅かすものであり、日本とはイデオロギー的に相容れざる最大の敵と見なされていた。
北進論とは、仮想敵国をソ連一国とし、日本の国防の要地としては、朝鮮と満州、
内蒙古、樺太、歯舞群島、千島列島などに限定する考え方である。
これに対して南進論とは、北方の守りを軽視するわけではないが、南方(中国や
東南アジア)も重視しようという立場である。
南進論の根拠は、中国や東南アジアが西欧列強の植民地になっている事実である。
シンガポールなどの要地が列強の支配に服していることは日本にとって脅威であるし、
将来の日本の発展を阻害する要因となりうる。
また中国には租借という形で列強が食い込んでいる。
日本は、第一次大戦で連合国に与し、山東半島の青島を占領できたが、できればもっと
大陸の権益を取得し、日本の国力を大きくしなければならない。
南進論の根拠には、日本も西欧諸国なみに豊かにならねばならないという理念があった。
ある程度豊かにならなければ軍事力も増強できず、西欧に伍していくことは難しいという
判断があったのである。
南進論の考え方を進めると、日本は中国や東南アジアから西欧の勢力を追い払い、
日本がアジアの盟主となって全アジアの発展共栄を目指すという理想につながっていく。
後の大東亜共栄圏の発想は、すでに南進論の中に芽生えていたのである。