【歴史】約160cmを越える大太刀を振るい、織田信長・徳川家康軍の追撃を防ぎ続けた…“猛将”を討ち取ったのは一体誰なのかアーカイブ最終更新 2023/08/12 14:551.玲 ★???https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/6606aa7ad2cb41dc83233df75dd5d071f515cf23&preview=auto2023/08/11 10:52:1547すべて|最新の50件2.名無しさん74DHyお前ら佐々木小次郎しらんやろ2023/08/11 10:56:263.名無しさんwS5O4真柄直隆は身長7尺(210cm)の大男で、朝倉家中でも武勇に優れ黒鹿毛の馬に跨り、大太刀を振り回して戦ったことで有名である。2023/08/11 10:59:524.名無しさんZLX0iそれ 味方も斬ってませんか?2023/08/11 11:01:455.名無しさん2BqPa熱田神宮でこの太刀を見ましたでかすぎ2023/08/11 11:04:096.名無しさんaUu2q馬鹿にするなよ😡戦国大戦で学んだわ😡2023/08/11 11:06:007.名無しさんHyNzL俺2023/08/11 11:08:438.名無しさんHyNzL張飛2023/08/11 11:11:139.名無しさんYkNU3長いから3行でお願い2023/08/11 11:20:1310.名無しさんmbHCkお前ら李舜臣しらんやろ2023/08/11 11:24:3811.名無しさんm22Ww鬼武蔵とか?2023/08/11 11:25:1812.名無しさん6aqc2これ隣の佐藤さんだわ2023/08/11 11:28:0313.名無しさんZ9Apg>>3盛りすぎだよな実際は「身長148cmで木の棒振り回して走り回ってた」これが真実なんだぜ2023/08/11 11:38:5514.名無しさんm22WwBMの副社長もこの時代だったら巨人の部類か2023/08/11 11:56:2515.名無しさんBmaPIこういう話ってのはほとんど作り話なんだよ2023/08/11 12:17:3816.名無しさん9DZPB450年前のリアル「四天や鬼人といえど、これには勝るまい」2023/08/11 12:30:0117.名無しさんBsfDc慶次かよ2023/08/11 12:30:0418.名無しさんXvMiQ>>2蔵之介なら知ってる2023/08/11 12:36:4019.名無しさんm41Xv当時の日本人が7尺もある訳が無い加藤清正も6尺もないと思う兜が長いのは目立ちたいからだ2023/08/11 12:45:4320.名無しさんm41Xv木曽馬に乗るんだから150cm程度草が1mも生えてどうやったら騎馬戦になるのか2023/08/11 12:49:5921.名無しさんm41Xvだから田畑を刈って戦をしていた2023/08/11 12:55:2522.名無しさんbuI7X>>12なんかツボったw2023/08/11 12:57:3223.名無しさんC43Uq>>13センスないからやめた方がいい2023/08/11 12:57:3524.名無しさん6FKhMビッグモーターの逃げ出したチビ助より大きい刀か、すげぇな2023/08/11 13:00:2825.名無しさんm41Xv徳川将軍でさえ140cm台がいたからな平均150~155だな2023/08/11 13:00:5326.名無しさんEDPHR真っ先に逃げてるだけで草2023/08/11 13:01:0527.名無しさん6BLO4>>23チビを馬鹿にするなんて最低だよね2023/08/11 13:48:0628.名無しさんcLAua国宝級出土 蛇行剣は長さ237センチ2023/08/11 13:51:3229.名無しさんzSy1Dどうせ実物は140cmのチビだろ。まぁ当時はそれが普通だ2023/08/11 13:53:5030.名無しさんyOfSt>>20いや彼だけは馬を背負って戦陣を駆け回ったので周囲が怯んだ2023/08/11 14:05:2431.名無しさんR64PG韓国には160cmの刀もそれを軽々と振り回す勇士もいません他意はない2023/08/11 14:55:3832.名無しさん3Dlbd姉川合戦は有名な割に同時代の良質な史料に乏しく、戦闘経過は判然としない合戦後も浅井朝倉が南近江で盛んに活動している事実からも、後世軍記物が語るほどの激戦ではなく、双方共損害は軽微だったとする説もある2023/08/11 14:55:5133.名無しさんIVUMTもうしょうがないね2023/08/11 16:47:0834.名無しさんCW4Rk徳川が劣勢の織田助けて勝ち戦に導いたっていういかにも作りっぽい話あるけどやっぱり作りか?司馬の国盗り物語も姉川の描写はこれだった2023/08/11 20:09:5035.名無しさんyOfStあの時代のことはわからん大河『秀吉』では渡哲也・織田信長が姉川の戦いの後浅井朝倉の頭蓋骨を杯にして酒を飲み干すという有名なエピソードの場面があるが文献では「髑髏を飾って酒宴をしたが、そこまではやってない」というしそもそもあの作品以外でも信長が「透明な日本酒を飲み干す」というのはおかしいし2023/08/11 20:45:3136.名無しさんXypHs太郎太刀とかいう奴か2023/08/11 21:25:5937.名無しさんrLspsガンダムに例えるとどのモビルスーツなの?2023/08/11 21:32:1638.名無しさんNpEho>>347段構えの5段目まで抜かれて6段目の家康が支えたって話な。2023/08/11 21:56:2539.名無しさんs5QsP中世って今では大巨人のネーデルランドだって平均すれば160cm代でしょ2m10cmとかもうオアシスのサンドジャイアントとかの領域だよでも飛び道具の標的になるだろう2023/08/11 22:02:4040.名無しさんklK8K和風ベルセルク きたあああああああああああwww2023/08/11 22:05:5841.名無しさんcSWsK信長は下戸で大の甘党だったと書いてあったよな2023/08/11 22:11:5042.名無しさん58cLD戦国時代は動物性たんぱく質をとっていたので、江戸中期以降より身長は低くない江戸中期以降の身長の低さは動物性たんぱく質不足のため、島津藩士の侍とかは普通に肉食ってたので身長は高めだったとか2023/08/11 22:15:1243.名無しさんP7uyB関羽だろ2023/08/12 10:12:1844.名無しさんGghgq>>38いや、大軍の朝倉軍相手に戦っていながら、小勢の浅井軍に崩されかかってる織田軍助けるために寡兵からさらに兵割いて大軍朝倉の横腹に突っ込ませて崩したとかいう、浅井も朝倉も俺が倒したんだと言ってるいかにも嘘っぽいやつ司馬はあれを史実と思って書いたのか物語的に面白いから嘘を承知で書いたのかどっちなんだろ2023/08/12 12:04:3545.名無しさんGghgq間違えた、浅井軍に突っ込ませたっていう話だった2023/08/12 12:06:2446.名無しさんi6dGW川中島や姉川から関ヶ原に至るまで、戦国合戦は具体的な状況は驚くほど明らかになっていない後世に話を盛ってどちらかを顕彰した軍記物は沢山作られたけどね手取川合戦に至っては、謙信の有名な書状以外には同時代史料がなく、果たして「合戦」があったかどうかさえ分からないw2023/08/12 14:48:5447.名無しさんi6dGW>>35菩提山、天野酒といった僧坊酒では、室町中期既に「澄み酒」、即ち現代清酒に通じる製法が確立していたから、透明な日本酒を飲むこと自体はおかしくないただし信長自身は完全な下戸だったと考えられているから、結局あのシーンはおかしいことになるw2023/08/12 14:55:52
【立憲】ネットあ然「キレてる」「制止聞かない」 岡田克也氏「NHK日曜討論」高市発言を強烈批判 キャスター3回制止も論争やめず「間違ってるんですよ!」ニュース速報+429538.82025/12/25 02:42:32
大太刀を振り回して戦ったことで有名である。
でかすぎ
盛りすぎだよな
実際は
「身長148cmで木の棒振り回して走り回ってた」
これが真実なんだぜ
「四天や鬼人といえど、これには勝るまい」
蔵之介なら知ってる
加藤清正も6尺もないと思う
兜が長いのは目立ちたいからだ
草が1mも生えてどうやったら騎馬戦になるのか
なんかツボったw
センスないからやめた方がいい
平均150~155だな
チビを馬鹿にするなんて最低だよね
いや
彼だけは馬を背負って戦陣を駆け回ったので周囲が怯んだ
他意はない
合戦後も浅井朝倉が南近江で盛んに活動している事実からも、後世軍記物が語るほどの激戦ではなく、双方共損害は軽微だったとする説もある
司馬の国盗り物語も姉川の描写はこれだった
大河『秀吉』では渡哲也・織田信長が姉川の戦いの後浅井朝倉の頭蓋骨を杯にして酒を飲み干す
という有名なエピソードの場面があるが文献では「髑髏を飾って酒宴をしたが、そこまではやってない」というし
そもそもあの作品以外でも信長が「透明な日本酒を飲み干す」というのはおかしいし
7段構えの5段目まで抜かれて6段目の家康が支えたって話な。
2m10cmとかもうオアシスのサンドジャイアントとかの領域だよ
でも飛び道具の標的になるだろう
江戸中期以降の身長の低さは動物性たんぱく質不足のため、島津藩士の侍とかは普通に肉食ってたので身長は高めだったとか
いや、大軍の朝倉軍相手に戦っていながら、小勢の浅井軍に崩されかかってる織田軍助けるために寡兵からさらに兵割いて大軍朝倉の横腹に突っ込ませて崩したとかいう、浅井も朝倉も俺が倒したんだと言ってるいかにも嘘っぽいやつ
司馬はあれを史実と思って書いたのか物語的に面白いから嘘を承知で書いたのかどっちなんだろ
後世に話を盛ってどちらかを顕彰した軍記物は沢山作られたけどね
手取川合戦に至っては、謙信の有名な書状以外には同時代史料がなく、果たして「合戦」があったかどうかさえ分からないw
菩提山、天野酒といった僧坊酒では、室町中期既に「澄み酒」、即ち現代清酒に通じる製法が確立していたから、透明な日本酒を飲むこと自体はおかしくない
ただし信長自身は完全な下戸だったと考えられているから、結局あのシーンはおかしいことになるw