【特集】 命綱を付けた隊員が濁流に…13人が命を落とした99年「玄倉川水難事故」 警察・管理事務所・地元消防団はどう動いたのかアーカイブ最終更新 2025/08/18 13:371.朝一から閉店までφ ★???2025年08月13日第1回【放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請】を読む 水の事故の多くが夏に発生していることは言うまでもない。今年も早くから安全の心得などが広く呼びかけられているが、すでに複数の事故が報じられている。 そうしたニュースに必ず存在するのは懸命の救助活動を行った人々だ。1999年8月14日、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉(くろくら)川で18人が濁流に押し流された水難事故。この事故に際し、川と地元の関係者たちはいかに動いたのか。当時の「週刊新潮」は、彼らから見た事故の一部始終を報じていた。(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」1999年9月2日「『危機一髪』の命運 かくて18人は濁流にのみ込まれた」を再編集しました) ***【写真】濁流を相手に挑んだ決死の救出活動 水しぶきが上がる中、仲間の訴えにも「大丈夫だ」と が、彼らは迫りつつある危機に気づいていない。午前5時35分には大雨洪水警報が発令され、その頃から再びドシャ降りになった。それからまもなくして、前夜に避難した一行の仲間が、川を渡ってテントの中を覗いている。「見張り番を立てておくと言っていたのに、その時、全員熟睡していたそうです。それで仲間を起こし、“危ないから引き揚げた方がいい”と言ったのですが、“大丈夫だ”と言われたので引き返したそうなんです」(松田署の関係者) 7時半には、松田署のパトカーが付近を巡回しているが、中州に異常は認められなかった。この時点までに避難していたなら、あるいは全員が助かったであろう。 しかし、事態は予想を超えて急変した。雨量が前日より急激に増えたために、玄倉ダムはさらに大規模な放流を余儀なくされていた。6時13分再び警告のサイレンが鳴り響き、すでに放流が開始されていたのである。 8時前後に一気に水嵩が増し、中州を濁流が取り囲む。「子供たちはテントの中にいたようですが、大人は外に出ていた。その時なら、川を渡ることも可能なように思えたので声をかけてみると“子供がいるので無理はできない”というようなことを言っていました」(1で証言した別グループのAさん) 避難していた一行の仲間が、慌てて119番通報したのが8時30分。足柄消防組合消防本部のレスキュー車が、5人の署員を乗せて現場に到着したのが9時頃だった。https://www.dailyshincho.jp/article/2025/08130551/?all=1レスキュー車到着時の中州はすでに水没2025/08/13 18:17:4041すべて|最新の50件
【日本人を分断せよ】中国の対日プロパガンダ、人民解放軍・政治工作ドクトリンの全貌・・・SNSやメディア、世論を通じて社会の対立をあおり、人々の不信感を増幅させるニュース速報+343398.52026/06/20 05:31:38
2025年08月13日
第1回【放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請】を読む
水の事故の多くが夏に発生していることは言うまでもない。今年も早くから安全の心得などが広く呼びかけられているが、すでに複数の事故が報じられている。
そうしたニュースに必ず存在するのは懸命の救助活動を行った人々だ。1999年8月14日、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉(くろくら)川で18人が濁流に押し流された水難事故。この事故に際し、川と地元の関係者たちはいかに動いたのか。当時の「週刊新潮」は、彼らから見た事故の一部始終を報じていた。
(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」1999年9月2日「『危機一髪』の命運 かくて18人は濁流にのみ込まれた」を再編集しました)
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【写真】濁流を相手に挑んだ決死の救出活動 水しぶきが上がる中、
仲間の訴えにも「大丈夫だ」と
が、彼らは迫りつつある危機に気づいていない。午前5時35分には大雨洪水警報が発令され、その頃から再びドシャ降りになった。それからまもなくして、前夜に避難した一行の仲間が、川を渡ってテントの中を覗いている。
「見張り番を立てておくと言っていたのに、その時、全員熟睡していたそうです。それで仲間を起こし、“危ないから引き揚げた方がいい”と言ったのですが、“大丈夫だ”と言われたので引き返したそうなんです」(松田署の関係者)
7時半には、松田署のパトカーが付近を巡回しているが、中州に異常は認められなかった。この時点までに避難していたなら、あるいは全員が助かったであろう。
しかし、事態は予想を超えて急変した。雨量が前日より急激に増えたために、玄倉ダムはさらに大規模な放流を余儀なくされていた。6時13分再び警告のサイレンが鳴り響き、すでに放流が開始されていたのである。
8時前後に一気に水嵩が増し、中州を濁流が取り囲む。
「子供たちはテントの中にいたようですが、大人は外に出ていた。その時なら、川を渡ることも可能なように思えたので声をかけてみると“子供がいるので無理はできない”というようなことを言っていました」(1で証言した別グループのAさん)
避難していた一行の仲間が、慌てて119番通報したのが8時30分。足柄消防組合消防本部のレスキュー車が、5人の署員を乗せて現場に到着したのが9時頃だった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2025/08130551/?all=1
レスキュー車到着時の中州はすでに水没