「風船おじさん」事件から33年 “太平洋横断”めざして空へ…行方不明になった50代男性「無謀な夢」の結末アーカイブ最終更新 2025/11/27 06:521.朝一から閉店までφ ★???ミゾロギ ダイスケ2025年11月23日 10:17平成初期の日本で「風船おじさん」と呼ばれた50代の男性がいた。通称を鈴木嘉和(よしかず)といったこの人物は、1992年11月23日、滋賀県・琵琶湖の湖畔から、ヘリウムガスを満たした多数の風船に吊られた小さなゴンドラで離陸し、北米を目指して太平洋横断に挑んだ。だが、その挑戦計画はあまりに杜撰(ずさん)であり、生還の可能性は著しく低かったと言わざるを得ないものだった。(本文:ミゾロギ・ダイスケ)横浜博の会場騒動で新聞沙汰に太平洋横断挑戦に取り組む前、鈴木氏は1992年4月、東京都府中市の多摩川河川敷から椅子にヘリウム風船4個を取り付けた装置によるテスト飛行を実行した。当初は数百m程度の上昇を想定していたが、砂袋2つを落下させた結果、高度は想定を大きく上回る5000m超に達したとされる。降下時にはライターの炎でロープを焼き切って風船を切断するという、極めて危険な手段を用いた。機体は最終的に東京都大田区の民家屋根に不時着し、鈴木氏は運よく軽傷で済む。この一件はメディアで大々的に報じられた。鈴木氏はもともとピアノ調律師だったが、1984年に44歳で音楽教材販売会社を設立。音楽会も主催するようになり、フィナーレでは風船を飛ばす演出を恒例としていた。その後、複数の飲食店などを経営するが、いずれも軌道に乗らず、多額の借金を抱えた。窮地を脱するために大きな勝負をかけたのが、1989年3月に開幕した国際博覧会「横浜博覧会」への出店だった。当時はバブル景気の最中で、銀行融資も比較的容易に受けられた時期である。鈴木氏は横浜博の会場に飲食店や土産物店など複数のテナントを出店したが、会場内の立地が悪く、経営は深刻な状態に陥った。同年7月30日、鈴木氏は突飛な行動に出た。約30mの鉄塔によじ登り、博覧会のマスコット「ブルアちゃん」の着ぐるみを着て7時間あまりにわたり籠城。博覧会協会に、会場内の動線改善を訴えようとしたのだ。この出来事は新聞でも大きく取り上げられた。今日であれば、こうした行為をすれば即時に出店不可となるのではないだろうか。しかし、当時のコンプライアンス意識ではそうならなかった。厳重注意処分のみで営業継続が認められ、むしろ協会側が鈴木氏の提案した集客策を一部採用するほどだった。それが、ヘリウム風船でゴンドラを係留し、来場者を十数mの高さに浮かせるというアトラクションだった。https://www.ben54.jp/news/2910「環境保全」を大義名分に計画を進める2025/11/24 06:14:4532すべて|最新の50件
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ミゾロギ ダイスケ
2025年11月23日 10:17
平成初期の日本で「風船おじさん」と呼ばれた50代の男性がいた。通称を鈴木嘉和(よしかず)といったこの人物は、1992年11月23日、滋賀県・琵琶湖の湖畔から、ヘリウムガスを満たした多数の風船に吊られた小さなゴンドラで離陸し、北米を目指して太平洋横断に挑んだ。
だが、その挑戦計画はあまりに杜撰(ずさん)であり、生還の可能性は著しく低かったと言わざるを得ないものだった。(本文:ミゾロギ・ダイスケ)
横浜博の会場騒動で新聞沙汰に
太平洋横断挑戦に取り組む前、鈴木氏は1992年4月、東京都府中市の多摩川河川敷から椅子にヘリウム風船4個を取り付けた装置によるテスト飛行を実行した。当初は数百m程度の上昇を想定していたが、砂袋2つを落下させた結果、高度は想定を大きく上回る5000m超に達したとされる。
降下時にはライターの炎でロープを焼き切って風船を切断するという、極めて危険な手段を用いた。機体は最終的に東京都大田区の民家屋根に不時着し、鈴木氏は運よく軽傷で済む。この一件はメディアで大々的に報じられた。
鈴木氏はもともとピアノ調律師だったが、1984年に44歳で音楽教材販売会社を設立。音楽会も主催するようになり、フィナーレでは風船を飛ばす演出を恒例としていた。その後、複数の飲食店などを経営するが、いずれも軌道に乗らず、多額の借金を抱えた。
窮地を脱するために大きな勝負をかけたのが、1989年3月に開幕した国際博覧会「横浜博覧会」への出店だった。当時はバブル景気の最中で、銀行融資も比較的容易に受けられた時期である。鈴木氏は横浜博の会場に飲食店や土産物店など複数のテナントを出店したが、会場内の立地が悪く、経営は深刻な状態に陥った。
同年7月30日、鈴木氏は突飛な行動に出た。約30mの鉄塔によじ登り、博覧会のマスコット「ブルアちゃん」の着ぐるみを着て7時間あまりにわたり籠城。博覧会協会に、会場内の動線改善を訴えようとしたのだ。
この出来事は新聞でも大きく取り上げられた。今日であれば、こうした行為をすれば即時に出店不可となるのではないだろうか。しかし、当時のコンプライアンス意識ではそうならなかった。厳重注意処分のみで営業継続が認められ、むしろ協会側が鈴木氏の提案した集客策を一部採用するほどだった。
それが、ヘリウム風船でゴンドラを係留し、来場者を十数mの高さに浮かせるというアトラクションだった。
https://www.ben54.jp/news/2910
「環境保全」を大義名分に計画を進める