【島根県】高さ2m超のガンジー胸像は「友好の証し」、湖畔の公園にお目見え…インド政府からの贈り物最終更新 2026/06/03 12:471.北あかり ★???高さ2m超のガンジー胸像は「友好の証し」、湖畔の公園にお目見え…インド政府からの贈り物(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュースnews.yahoo.co.jpインド建国の父として敬愛されるマハトマ・ガンジーの胸像が、松江市役所近くの末次公園に設置され、2日に除幕式があった。同様の胸像が設置されるのは広島、長崎両市と東京・江戸川区に次いで国内4例目という2026/06/03 10:51:1920コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無しさんHcxUO🕌👳🐘🇮🇳🥻🧕🏽2026/06/03 10:52:373.名無しさんg0FAU邪魔2026/06/03 10:56:294.名無しさんAJjLOhttps://youtu.be/X8_GMEjOAjg?si=A9mmbrK2Ob58NPpw2026/06/03 10:58:125.名無しさんX8tNy思ってたのとちがう2026/06/03 10:58:196.名無しさんdImka銅製ならグエンの餌食になる2026/06/03 10:58:327.名無しさんAJjLO1912年 (大正元年) 11月28日、島根県松江市殿町にて生まれる[2][3]。元年生まれだったことから、元と名付けられた[3]。1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後[3]、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く[3]。1936年 (昭和11年)、東京帝国大学文学部印度哲学梵文(ぼんぶん)学科を卒業[2]。1941年 (昭和16年) 、同大学大学院博士課程を修了。宇井伯壽に文献学としての仏教学を学ぶほか、倫理学の和辻哲郎の知遇も得る。1942年、博士論文「初期ヴエーダーンタ哲学史」を提出[4]。1943年 (昭和18年) 東京帝国大学助教授に就任[3][4]。同年5月6日、東京帝国大学から文学博士の学位を授与される[4]。博士論文の題は「初期ヴエーダーンタ哲学史」[5]。1954年 (昭和29年)、東京大学(1947年 (昭和22年) に東京帝国大学から改称)教授に就任(~1973年)[2][4]。1957年 (昭和32年)『初期ヴェーダーンタ哲学史』(岩波書店)で、日本学士院恩賜賞を受賞[4]。1964年 (昭和39年) 東京大学文学部長に就任(~1966年)[4]。この時期に春秋社で最初の『中村元選集』が刊行開始。1970年 (昭和45年) 財団法人東方研究会(没後に中村元東方研究所へ改称)を設立、初代理事長に就任[4]。1973年 (昭和48年)東京大学を定年退官、同大学名誉教授[4]。最終講義『インド思想文化への視角』と『インド思想と仏教 中村元博士還暦記念論集』(春秋社)が刊行される。定年後は、東方研究会の活動の一環として東方学院を開設し、学院長に就任した(1999年の没時まで)[4]。同年、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士[4]。1974年 (昭和49年) 比較思想学の先駆者として比較思想学会も創設し、初代会長に就任(~1983年)[4][6]。同年、紫綬褒章受章[4]。1975年 (昭和50年)『佛教語大辞典』が刊行(東京書籍 全3巻、1981年に縮刷版全1巻)され[3]、毎日出版文化賞特別賞と仏教伝道文化賞を受賞[4]。1977年(昭和52年) 文化勲章受章[4]。文化功労者。1984年 (昭和59年)勲一等瑞宝章受章、日本学士院会員になる[4]。1988年 (昭和63年)12月、『決定版 中村元選集』(春秋社)が刊行開始。1989年 (昭和64年) 1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、有識者委員の一人として「元号に関する懇談会」に出席し、新元号となる「平成」の選定に関わる[7][8]。同年(平成元年)、松江市より名誉市民の称号と市民章が贈られる[3]。2026/06/03 10:59:508.名無しさん4C1uj喧嘩と核すぐ売ってる人だっけか2026/06/03 11:00:109.sageCM1DZ無抵抗ジャパン2026/06/03 11:04:3510.名無しさんaUcmd別府駅前のガイジジイの銅像を足元から折って撤去しろそこに新キャラ「ベップクン」の銅像置いていいよ2026/06/03 11:06:3311.名無しさんy5ZpUガンジーって偉人扱いされてるけど実は碌でもない人物だったらしいね日本だと札に使われた渋沢や野口英世とかも知れば知るほどクソみたいなことやってるし偉人と言われる人物って古今東西どれも作られた偽ストーリーだらけだし信じなくなったわ2026/06/03 11:09:0512.名無しさんbWggX実在人物の銅像って気持ち悪いだけなんだがー2026/06/03 11:15:5913.名無しさんd9wlf銅像って他国から贈られるもん?その土地に貢献した人を自治体が自発的に建立するんじゃなくて?2026/06/03 11:23:4514.名無しさんjpgcX将来的にインド人移民受け入れの象徴になるわけか2026/06/03 11:26:3915.名無しさんRbCstママ友2026/06/03 11:26:4416.名無しさんftdMc経済交流覚書て聞いたことないわそんなもんでガンジー像作るんかならインドには宍道湖七珍なんかの銅像でも置くんだよな2026/06/03 11:49:4117.名無しさんTIfQx俺の知ってるガンジーは核ガンジーだな2026/06/03 12:00:0318.名無しさんRbCst和上像ではなく?2026/06/03 12:02:5119.名無しさんPP00Lいらねえw2026/06/03 12:10:5020.名無しさんL1J96インド自治区誕生2026/06/03 12:47:26
【日本は戦争国家へと進んでいる】北朝鮮が批判 「軍事大国化の野望を実現しようとする戦争商人としての本性をあらわにした危険千万な振る舞いだ」ニュース速報+90612.42026/06/03 13:21:59
1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後[3]、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く[3]。1936年 (昭和11年)、東京帝国大学文学部印度哲学梵文(ぼんぶん)学科を卒業[2]。1941年 (昭和16年) 、同大学大学院博士課程を修了。宇井伯壽に文献学としての仏教学を学ぶほか、倫理学の和辻哲郎の知遇も得る。
1942年、博士論文「初期ヴエーダーンタ哲学史」を提出[4]。1943年 (昭和18年) 東京帝国大学助教授に就任[3][4]。同年5月6日、東京帝国大学から文学博士の学位を授与される[4]。博士論文の題は「初期ヴエーダーンタ哲学史」[5]。1954年 (昭和29年)、東京大学(1947年 (昭和22年) に東京帝国大学から改称)教授に就任(~1973年)[2][4]。1957年 (昭和32年)『初期ヴェーダーンタ哲学史』(岩波書店)で、日本学士院恩賜賞を受賞[4]。1964年 (昭和39年) 東京大学文学部長に就任(~1966年)[4]。この時期に春秋社で最初の『中村元選集』が刊行開始。
1970年 (昭和45年) 財団法人東方研究会(没後に中村元東方研究所へ改称)を設立、初代理事長に就任[4]。
1973年 (昭和48年)東京大学を定年退官、同大学名誉教授[4]。最終講義『インド思想文化への視角』と『インド思想と仏教 中村元博士還暦記念論集』(春秋社)が刊行される。定年後は、東方研究会の活動の一環として東方学院を開設し、学院長に就任した(1999年の没時まで)[4]。同年、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士[4]。
1974年 (昭和49年) 比較思想学の先駆者として比較思想学会も創設し、初代会長に就任(~1983年)[4][6]。同年、紫綬褒章受章[4]。1975年 (昭和50年)『佛教語大辞典』が刊行(東京書籍 全3巻、1981年に縮刷版全1巻)され[3]、毎日出版文化賞特別賞と仏教伝道文化賞を受賞[4]。1977年(昭和52年) 文化勲章受章[4]。文化功労者。1984年 (昭和59年)勲一等瑞宝章受章、日本学士院会員になる[4]。
1988年 (昭和63年)12月、『決定版 中村元選集』(春秋社)が刊行開始。1989年 (昭和64年) 1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、有識者委員の一人として「元号に関する懇談会」に出席し、新元号となる「平成」の選定に関わる[7][8]。同年(平成元年)、松江市より名誉市民の称号と市民章が贈られる[3]。
ジャパン
そこに新キャラ「ベップクン」の銅像置いていいよ
実は碌でもない人物だったらしいね
日本だと札に使われた渋沢や野口英世とかも知れば知るほどクソみたいなことやってるし
偉人と言われる人物って古今東西どれも作られた偽ストーリーだらけだし信じなくなったわ
ー
その土地に貢献した人を自治体が自発的に建立するんじゃなくて?
そんなもんでガンジー像作るんか
ならインドには宍道湖七珍なんかの銅像でも置くんだよな