昔のポルトガルって凄過ぎだろ…アーカイブ最終更新 2024/09/19 10:421.番組の途中ですが転載は禁止ですXJV6iポルトガルが小国でありながら隆盛を極めた背景には、いくつかの重要な要因が絡み合っています。特に、航海技術の発展、地理的な特性、外交戦略、そして植民地経営と貿易の成功が挙げられます。### 1. **航海技術の進歩**ポルトガルは15世紀に他国に先駆けて航海技術を発展させました。エンリケ航海王子(Infante Dom Henrique)が航海学校を設立し、船舶設計や航海術の研究を奨励したことが、未知の海域への進出を可能にしました。この時期、ポルトガルはキャラベル船という軽くて操縦しやすい船を開発し、遠洋航海に適した設計で、大西洋やアフリカ沿岸の探検を大きく進展させました。また、航海士や地図製作者が高度な天文学の知識を駆使して正確な海図を作成し、新しい航路を開拓することができました。### 2. **地理的な利点**ポルトガルはヨーロッパの西端に位置しており、大西洋と接していたため、海洋探検において有利な立場にありました。地中海沿岸国のように他国の影響を受けにくく、独自の探検を進めることができたのです。また、スペインと国境を接していたものの、ポルトガルは独立した外交政策を展開でき、他国と競合しつつも自国の利益を追求することができました。### 3. **外交と戦略的同盟**ポルトガルは、小国ながらも巧妙な外交戦略を取っていました。特に、イベリア半島内外の競合国との同盟関係を柔軟に築き、他国と衝突を避けながら自国の影響力を広げました。また、教皇から「トルデシリャス条約」を認めさせることで、新大陸における領土の分割をスペインと協定し、ポルトガルはブラジルなどの植民地を手に入れることができました。これにより、植民地経営や貿易活動を安定的に進めるための国際的な支持を得ることに成功しました。### 4. **海外探検と植民地経営**15世紀後半からポルトガルはアフリカ沿岸、インド、東南アジア、そして南米に至るまで広範な地域を探検し、植民地を築きました。ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にインド航路を発見し、インド洋を支配することで、アジアとヨーロッパを結ぶ香辛料貿易を独占。ポルトガルの商人たちは香辛料、絹、宝石などを大量に輸入し、ヨーロッパ全土に供給することで莫大な富を得ました。また、ブラジルでは砂糖プランテーションが成功を収め、ポルトガルの財政をさらに支えました。奴隷貿易においてもポルトガルは主要な役割を果たし、西アフリカからの奴隷供給を独占的に管理することで大きな利益を上げました。### 5. **商業と貿易の発展**ポルトガルは、香辛料貿易や奴隷貿易、そして金や銀などの貴金属の取引を通じて莫大な富を蓄積しました。リスボンは一時的にヨーロッパ最大の貿易拠点となり、ポルトガルは他国に対して経済的な優位性を持つことができました。貿易ネットワークは世界中に広がり、インド洋や南米、大西洋を通じての交易路が確立され、ポルトガルの経済的基盤を支えました。### 結論ポルトガルが小国でありながら隆盛を極めることができたのは、航海技術の進歩と地理的特性を活かした探検、そして植民地経営による貿易の成功が主な要因です。外交的な柔軟さと戦略的な貿易支配により、ポルトガルは一時的に世界的な影響力を持つことができたのです。2024/09/18 21:34:0117すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですO78NFローマ帝国やモンゴルもななんであんなに落ちぶれたのか2024/09/18 21:38:083.番組の途中ですが転載は禁止ですDDKlS地形によるって事じゃね?ポルトガルは海へしか出られる場所ないし必然モンゴルはウクライナ辺りまでの草原地帯+付近のオアシス国家に幅利かせたのが真実だろうしローマは地中海制覇で荒稼ぎしたが領土拡げすぎて中間層没落後に異国の宗教が下層から広がって暗黒時代へ2024/09/18 22:04:334.番組の途中ですが転載は禁止です28Uo7モンゴルは騎馬民族だから陸の時代から海の時代へ変わったのが大きい2024/09/18 22:10:505.番組の途中ですが転載は禁止ですNMLTP>>1> ポルトガルは15世紀に他国に先駆けて航海技術を発展させました。ここでいう「他国」は、イベリア半島以東の西欧各国のことだろうポルトガル・スペインはイスラム国家の時期が長かったから、レコンキスタ以降も他の西欧諸国に対して、経済的・文化的優位にあった。「航海技術」もイスラムや中国の技術を導入する機会に恵まれてた2024/09/18 22:59:156.番組の途中ですが転載は禁止ですM692z先行者利益2024/09/18 23:07:167.番組の途中ですが転載は禁止ですKVAQD>>4「陸の時代」というが、遊牧民のモンゴル人のようにあれだけの広域を帝国として成立させたのは空前絶後で、彼ら以外に発想もしえなかったことだ。いわば「陸」を海を「航海」するように広大な地域を往来し、他民族と接触し、異なる文明圏のあいだで取引することで、他民族が持ちえないような情報・知識を蓄積させ、それがあの汎ユーラシア的な大帝国の統治を可能にするシステムのアイデアとなったスペインポルトガルが「海」に出たのは、たんに東方の「陸」は文明圏が独占しており、未開拓の地を探すには西方の「海」しかなかったからだ。それはイベリア半島の二国が、イスラム・中国文明圏に対し、後進地域だからそう選択せざるを得なかったからである2024/09/19 00:06:138.番組の途中ですが転載は禁止ですKVAQDスペインポルトガルに関しては「先行者利益」はすぐさま吐き出した帝国主義の時代にはすでにワインを輸出する農業国になっており、比較優位でずっとポルトワインの国を強いられるようになる2024/09/19 00:11:039.番組の途中ですが転載は禁止ですKVAQD>>1> また、航海士や地図製作者が高度な天文学の知識を駆使して正確な海図を作成しこれらもイスラム世界や中国からの輸入欧州はそういう地域だったのである。欧州が、近世にはいるまで世界史に名前が出てこないのはそういうこと古代ローマ帝国を「ヨーロッパ」文明とするのは間違いだし、古代ギリシャならいっそうそうである。この二つの文明は、地中海の交易を通じて形成された文明であるなお、「ヨーロッパ」となる基盤をつくったのは古代ローマで、北方の未開の地へ進出し支配下におさめ、帝国の版図(領土)としたことが、「ヨーロッパ」の起源である。国教としたキリスト教がこの地に唯一のアイデンティティを与えることとなる2024/09/19 00:23:0710.番組の途中ですが転載は禁止です8y9Y2賢儲メンきてんね2024/09/19 00:25:3311.番組の途中ですが転載は禁止ですKvVAX鎖国してたわーくにw2024/09/19 00:33:1812.番組の途中ですが転載は禁止ですeu5Ve当時の海図は西欧と南北アメリカの距離感がグチャグチャで正確とは程遠い角距離しかまともに測れないからあんなヘンテコな地図になる2024/09/19 00:35:1613.番組の途中ですが転載は禁止です7VYNh>>2ポルトガルもスペインもオスマントルコもみんなユダヤに弱体化されたんか?ユダヤなんて関係なく国は衰退するのか日本もやな2024/09/19 00:42:0914.番組の途中ですが転載は禁止ですC16wB隆盛を極めた国って旅してると現代でもその名残を感じるもんだがポルトガルではなぜかあんまその感じしないんだよね2024/09/19 00:58:1315.番組の途中ですが転載は禁止です2qQtiリスボン地震で終わった2024/09/19 01:31:0616.ケモクラシーsRSFo本国が世界最強に強かったわけではないんだよな点のような海外港を占有してて若干の金を得て植民者を出しただけ2024/09/19 10:37:3517.ケモクラシーsRSFo>>14オランダもかな海洋国家はその元植民に繁栄の影が落ちるからねマカオとかジャカルタで体感できるよ2024/09/19 10:42:45
【日本滅亡速報👺】農水省さん「2030年に農業経営は半減するで、耕作農地は3割減…するで🙄」うっかり本当の事を日本国民にお知らせしてしまうwww😭ニュー速(嫌儲)55200.92024/11/15 22:52:19
### 1. **航海技術の進歩**
ポルトガルは15世紀に他国に先駆けて航海技術を発展させました。エンリケ航海王子(Infante Dom Henrique)が航海学校を設立し、船舶設計や航海術の研究を奨励したことが、未知の海域への進出を可能にしました。この時期、ポルトガルはキャラベル船という軽くて操縦しやすい船を開発し、遠洋航海に適した設計で、大西洋やアフリカ沿岸の探検を大きく進展させました。また、航海士や地図製作者が高度な天文学の知識を駆使して正確な海図を作成し、新しい航路を開拓することができました。
### 2. **地理的な利点**
ポルトガルはヨーロッパの西端に位置しており、大西洋と接していたため、海洋探検において有利な立場にありました。地中海沿岸国のように他国の影響を受けにくく、独自の探検を進めることができたのです。また、スペインと国境を接していたものの、ポルトガルは独立した外交政策を展開でき、他国と競合しつつも自国の利益を追求することができました。
### 3. **外交と戦略的同盟**
ポルトガルは、小国ながらも巧妙な外交戦略を取っていました。特に、イベリア半島内外の競合国との同盟関係を柔軟に築き、他国と衝突を避けながら自国の影響力を広げました。また、教皇から「トルデシリャス条約」を認めさせることで、新大陸における領土の分割をスペインと協定し、ポルトガルはブラジルなどの植民地を手に入れることができました。これにより、植民地経営や貿易活動を安定的に進めるための国際的な支持を得ることに成功しました。
### 4. **海外探検と植民地経営**
15世紀後半からポルトガルはアフリカ沿岸、インド、東南アジア、そして南米に至るまで広範な地域を探検し、植民地を築きました。ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にインド航路を発見し、インド洋を支配することで、アジアとヨーロッパを結ぶ香辛料貿易を独占。ポルトガルの商人たちは香辛料、絹、宝石などを大量に輸入し、ヨーロッパ全土に供給することで莫大な富を得ました。
また、ブラジルでは砂糖プランテーションが成功を収め、ポルトガルの財政をさらに支えました。奴隷貿易においてもポルトガルは主要な役割を果たし、西アフリカからの奴隷供給を独占的に管理することで大きな利益を上げました。
### 5. **商業と貿易の発展**
ポルトガルは、香辛料貿易や奴隷貿易、そして金や銀などの貴金属の取引を通じて莫大な富を蓄積しました。リスボンは一時的にヨーロッパ最大の貿易拠点となり、ポルトガルは他国に対して経済的な優位性を持つことができました。貿易ネットワークは世界中に広がり、インド洋や南米、大西洋を通じての交易路が確立され、ポルトガルの経済的基盤を支えました。
### 結論
ポルトガルが小国でありながら隆盛を極めることができたのは、航海技術の進歩と地理的特性を活かした探検、そして植民地経営による貿易の成功が主な要因です。外交的な柔軟さと戦略的な貿易支配により、ポルトガルは一時的に世界的な影響力を持つことができたのです。
なんであんなに落ちぶれたのか
ポルトガルは海へしか出られる場所ないし
必然
モンゴルはウクライナ辺りまでの草原地帯+付近のオアシス国家に幅利かせたのが真実だろうし
ローマは地中海制覇で荒稼ぎしたが領土拡げすぎて
中間層没落後に異国の宗教が下層から広がって暗黒時代へ
> ポルトガルは15世紀に他国に先駆けて航海技術を発展させました。
ここでいう「他国」は、イベリア半島以東の西欧各国のことだろう
ポルトガル・スペインはイスラム国家の時期が長かったから、レコンキスタ以降も他の西欧諸国に対して、経済的・文化的優位にあった。「航海技術」もイスラムや中国の技術を導入する機会に恵まれてた
「陸の時代」というが、遊牧民のモンゴル人のようにあれだけの広域を帝国として成立させたのは空前絶後で、彼ら以外に発想もしえなかったことだ。いわば「陸」を海を「航海」するように広大な地域を往来し、他民族と接触し、異なる文明圏のあいだで取引することで、他民族が持ちえないような情報・知識を蓄積させ、それがあの汎ユーラシア的な大帝国の統治を可能にするシステムのアイデアとなった
スペインポルトガルが「海」に出たのは、たんに東方の「陸」は文明圏が独占しており、未開拓の地を探すには西方の「海」しかなかったからだ。それはイベリア半島の二国が、イスラム・中国文明圏に対し、後進地域だからそう選択せざるを得なかったからである
帝国主義の時代にはすでにワインを輸出する農業国になっており、比較優位でずっとポルトワインの国を強いられるようになる
> また、航海士や地図製作者が高度な天文学の知識を駆使して正確な海図を作成し
これらもイスラム世界や中国からの輸入
欧州はそういう地域だったのである。欧州が、近世にはいるまで世界史に名前が出てこないのはそういうこと
古代ローマ帝国を「ヨーロッパ」文明とするのは間違いだし、古代ギリシャならいっそうそうである。この二つの文明は、地中海の交易を通じて形成された文明である
なお、「ヨーロッパ」となる基盤をつくったのは古代ローマで、北方の未開の地へ進出し支配下におさめ、帝国の版図(領土)としたことが、「ヨーロッパ」の起源である。国教としたキリスト教がこの地に唯一のアイデンティティを与えることとなる
角距離しかまともに測れないからあんなヘンテコな地図になる
ポルトガルもスペインもオスマントルコもみんなユダヤに弱体化されたんか?
ユダヤなんて関係なく国は衰退するのか
日本もやな
点のような海外港を占有してて若干の金を得て植民者を出しただけ
オランダもかな
海洋国家はその元植民に繁栄の影が落ちるからね
マカオとかジャカルタで体感できるよ