江戸時代の数学侍「円周率は三.一四なのじゃ!!!!!」庶民「何いってだww教科書に三.一六って書いてあるべさwwブシィーーーーーーーップwww」アーカイブ最終更新 2025/04/25 02:421.番組の途中ですが転載は禁止ですVjemB(1/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼和算家が計算した3.14江戸初期、1600年代前半頃から、円を対象とした和算的研究である「円理」が始まる。その最初のテーマの一つが円周率を数学的に計算する努力であり[16]、1663年に日本で初めて村松茂清が『算爼(さんそ)』において「円の内接多角形の周の長さを計算する方法」で3.14…という値を算出した[16]。『算爼』では円に内接する正8角形から角数を順次2倍していき、内接215 = 32768角形の周の長さで、3.1415 9264 8777 6988 6924 8と小数点以下21桁まで算出している。これは実際の値と小数第7位まで一致している[16]。その後1680年代に入ると、円周率の値を3.16とする数学書はなくなり、3.14に統一された[16]。1681年頃には関孝和が内接217角形(13万1072角形)の計算を工夫し、小数第16位まで現代の値と同じ数値を算出した。この計算値は関の死後1712年に刊行された『括要算法』に記されている[16]。日本の和算家に特徴的なのは、1663年に3.14が初めて導き出されても、その後1673年までの10年間に円周率の値を3.14とした算数書のいずれもが、先行者の円周率をそのまま引き継ぐことをせず、それぞれ独自の値を提出していたことである[17]。この背景には当時の遺題継承[注 4]運動に「他人の算法をうけつぐ」と共に「自己の算法を誇る」という性格があったためだという[17]。そのため古い3.16の値が疑われてから、遺題継承の際に必ずといってよいほど円周率の値が変えられている[17]。しかしながら江戸時代の3大和算書『塵劫記』『改算記』『算法闕疑抄』の増補改訂版では1680年代には3.14に統一された[19]。3.14から3.16への逆行しかし、遺題継承運動は1641年に始まって1699年頃には終わってしまい[20]、いったん3.14に統一された円周率の値は江戸時代後半になると揺らぎ始め、古い3.16に逆行するという現象が生じた[21]。文政年間(1818~30年)に出版された算数書とソロバン書を悉皆調査した結果では、円周率の値を3.14とするものと、3.16とするものの2系統があることが明らかにされた[22]。いくらか専門的な数学書では3.14とされているのに、大衆向けの小冊子の中では3.16の方が普通に用いられていた[23]。当時の識者である橘南谿(1754-1806年)は「いまに至り3.16あるいは3.14色々に論ずれども、なおきわめがたきところあり」と述べ、3.14はまだ確定していないとしている[24]。儒学者の荻生徂徠も和算家の算出した3.14の根拠に納得しなかった[25]。当時の和算家のほとんどは、円に内接する多角形の周を計算することで円周率を計算した。内接多角形の角数を増やすほど求まる円周率の桁は増えていくので、素人目にはその値が増大する一方に見える。「それがいくら増えても3.1416を超えない」ということを和算家たちはついに納得させることができなかったのである[25]。そのような和算家以外の素人たちを納得させるには、どうしても万人に納得させる「理」に基づいて計算してみせる他はない[25]。それを行うには西洋で行われたように、「円を内接多角形と外接多角形ではさんで、円周率の上限と下限を示すこと」が必要であったが、(次の鎌田による成果を例外として)和算家はついにその方法を取ることがなかった[25]。宅間流和算の円周率日本で唯一「円周を内接・外接多角形で挟み込んで円周率の上限と下限を示す」ことに成功したのは鎌田俊清(1678-1747年)が享保七年(1722年)に著した『宅間流[注 5]円理』である。その値は以下の通りである[27]。内周:3.1415 9265 3589 7932 3846 2643 3665 8外周:3.1415 9265 3589 7932 3846 2643 4166 7鎌田は円周率の小数点以下24桁まで正しいと確信しうる円周率の値を算出することに成功していた[28]。しかし、鎌田の方法は後継者を持たず、当時の識者に知られることがなかった[28]。2025/04/24 14:42:49126すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですVjemB(2/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼和算の限界日本の和算の弱点は単に理論面の弱さにとどまらず、万人が納得できる正しい円周率の教育・啓蒙への関心も失ったことであった[31]。そのため和算家たちがいくら円周率は3.14…と書いたところで、『塵劫記』の古い円周率3.16の値がそのまま残存する結果となった[28]。『塵劫記』の重版(1694年)などは古い円周率3.16のまま出版され続け、18世紀に大衆的な通俗算数書が大量に出版される際に、必ずというほど3.16という値を引き継ぐようになってしまった[32]。18世紀半ば以降の和算は数学的証明の概念の追求は無視され、せっかく宅間流の鎌田俊清がその独創的方法で正しい円周率を算出しても、全く継承されなかった[31]。江戸時代後半の和算家は家元制度的な秘密主義と保守主義と、権威主義が在野の独創性を無視し、結果として学問の進歩を妨げることとなった[31]。2025/04/24 14:47:313.番組の途中ですが転載は禁止ですVjemB(3/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼江戸時代の初期の和算家の3.16江戸時代初期の数学書である毛利重能の『割算書』では円周率を3.16としている。その弟子の吉田光由の『塵劫記』でも3.16となっている[14]。しかし、当時の先進国中国の文献にはこの3.16という数値は見られず、中国の文献の数値を引き写したとは考えにくいという[14]。そのため、なぜ初期の和算家が円周率を3.16としたかの理由はよく分かっていない[14]。おそらく、毛利重能とその弟子の吉田光由などの先駆者らは、円周率を実際に測定して3.14ないし3.16ほどの値を得たが、最後の桁の数字に確信が持てなかったため、「円のような美しい形を求める数値は、もっと美しい数値になっていいはずだ」と考え、「美しい理論」を求めた。その結果 √10 = 3.16 が美しい数値として採用されたと推測されている[15]。その考えは日本で2番目に3.14の値を計算で求めた野沢定長の『算九回』(延宝五年:1677年)の中にも見られ、その著書の中で「忽然として円算の妙を悟った」として「円周率の値は形=経験によって求めれば3.14であるが、理=思弁によって求めれば3.16である」として「両方とも捨てるべきでない」とした[15]。2025/04/24 14:48:314.番組の途中ですが転載は禁止ですVjemB(4/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%872025/04/24 14:48:465.番組の途中ですが転載は禁止です8zM44(1/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼直径数メートルの円を書いてその円周を測ればどっちがより正しいかはっきりするだろ直径5メートルなら10センチの差が出る2025/04/24 15:09:5916.番組の途中ですが転載は禁止ですex7DOコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼当時は遊歴算家という各地を旅する数学教師がいたらしいな2025/04/24 15:11:457.番組の途中ですが転載は禁止ですfcL7JコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼ヨーロッパでも実測では3.16として扱った時期があったな3.16とすると計算しやすくて収まりがよかったらしいそこまで正確にする必要もなかったしな2025/04/24 15:13:198.番組の途中ですが転載は禁止です8zM44(2/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼そんな適当で時計とかの歯車つくれるのか?2025/04/24 15:43:5919.壺の妖精しんだもん!dongurikfC4TコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>8時間は専門職の武士が3人くらいで蝋燭で計って鐘をつく歯車は職人が木製の歯車が水分をすって膨らむことを計算(なんとなく)でつくるそういう世界2025/04/24 15:50:2010.番組の途中ですが転載は禁止ですFE1OLコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼枡の統一もロクに出来ませんでしたし2025/04/24 15:59:4311.番組の途中ですが転載は禁止ですwNIWgコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>5どうやって地面に書いた円を正確に測るの?円が正確に直径5mで真円であることは証明できるの?400年前の技術と道具で?2025/04/24 16:03:33112.番組の途中ですが転載は禁止です8zM44(3/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>113.16と3.14のどっちが「より」正しいかさえ分かればいいだけだから厳密な絶対的計測ができなくても同条件で何回か繰り返せば分かるはず2025/04/24 16:27:1413.番組の途中ですが転載は禁止ですqcpZHコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼ジャップが「和算スゴイ→俺スゴイ」とか勘違いするといけないので↓https://www.ndl.go.jp/math/s1/c1.html古代日本では数字の表記、大きな数字の呼び方や暦の体系も中国から伝わったものを使いましたので、日本の数学は中国の数学の移植から始まったといえるでしょう。書物として残る中国の古い数学書として知られるのは『周髀算経』と『九章算術』の二書ですが、いずれも著者名も成立年も不明です。名前の知られる最初の有名な中国の数学者は魏の劉徽で、『九章算術』への注釈で円周率を3.14 とするなど、大きな進展がありました。それは日本では邪馬台国の頃です。唐の時代に、これらの本は他の数学書と合わせて「算経十書」と呼ばれる官僚養成の教科書となりました。これらは当時、日本にも官僚制度としてもたらされたことが、平安時代に作成された『日本国見在書目録』に載っていることからもわかります。しかし、日本で数学研究が発達することはありませんでした。2025/04/24 16:28:0914.番組の途中ですが転載は禁止ですhIDVW(1/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼一部でオイラーを上回った関孝和の話をしてるスレで「しかし、日本で数学研究が発達することはありませんでした。」と結論付けられるのは勇気なのか、アホなのか・・・2025/04/24 16:35:2815.番組の途中ですが転載は禁止ですMDNBmコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼算術まで謎に一子相伝したがるわーくにと共有と検証のサイクル回すヨーロッパでは差は開いていく一方だからないい時期に開国したわ2025/04/24 16:48:0016.番組の途中ですが転載は禁止ですhIDVW(2/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼西欧の方が数学から逃げてた時期が長かったけどな2025/04/24 16:56:30117.ケモクラシーQyXi9(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>1>いくらか専門的な数学書では3.14とされているのに、大衆向けの小冊子の中では3.16の方が普通に用いられていた[23]。いくらか専門的なもんは経済とか国会、大衆向けには大谷とか吉村こういうの昔っからなんやな2025/04/24 16:57:2818.ケモクラシーQyXi9(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>16デカルトからが早かったね近代国家が生まれて能力主義になると世襲や縁故でポジションを決めていた他の世界を武力でも知力でも征服したナポレオンも砲術の弾道計算を利用して天下を取った数学が好きでフーリエを登用したりとかこれが熱伝導とか考古学の発展にまで繋がったw封建制では適材適所ができないから安倍が総理になったりする、絶対に勝てないw2025/04/24 17:04:0619.番組の途中ですが転載は禁止ですArs51コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼個人の天才擦ってわーくにしゅごい!しててもじゃあその天才の業績を社会はどう受容したのか?て話絵馬で遊んでる間に西欧は世界支配したわけでアカデミズムというシステムに到達したヨーロッパの凄み前には和算云々はまるで本質的じゃないんよな2025/04/24 17:41:2220.番組の途中ですが転載は禁止ですhIDVW(3/3)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼世界支配?脳みそ筋肉かな2025/04/24 17:51:0921.番組の途中ですが転載は禁止ですnPeLdコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼江戸時代ですら3.14なのに・・・どぉして2025/04/24 18:08:3622.番組の途中ですが転載は禁止ですimhTWコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼πでええやろ小学生からπで計算させとけ大人になってから電卓に3.14と打ち込んで計算したらええねん2025/04/24 22:17:3323.番組の途中ですが転載は禁止ですlNafJコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼文系の学問ならあるあるのイメージだけど数学でも権威主義によって大発見が埋もれてたってのは哀しいわね2025/04/24 23:46:2224.番組の途中ですが転載は禁止ですEBtXWコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼こいつらもかわいそうだよな日本に生まれてしまったばっかりにこんな風に終わってしまって文明国に生まれていたらどれだけの業績が残せたことか2025/04/25 00:37:47125.番組の途中ですが転載は禁止ですtyqHMコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>24アーベル「せやな」2025/04/25 01:32:3326.番組の途中ですが転載は禁止ですWFlL3コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼円周率=バナナ2025/04/25 02:42:31
江戸初期、1600年代前半頃から、円を対象とした和算的研究である「円理」が始まる。その最初のテーマの一つが円周率を数学的に計算する努力であり[16]、
1663年に日本で初めて村松茂清が『算爼(さんそ)』において「円の内接多角形の周の長さを計算する方法」で3.14…という値を算出した[16]。『算爼』では円に内接する正8角形から角数を順次2倍していき、内接215 = 32768角形の周の長さで、
3.1415 9264 8777 6988 6924 8
と小数点以下21桁まで算出している。これは実際の値と小数第7位まで一致している[16]。その後1680年代に入ると、円周率の値を3.16とする数学書はなくなり、3.14に統一された[16]。
1681年頃には関孝和が内接217角形(13万1072角形)の計算を工夫し、小数第16位まで現代の値と同じ数値を算出した。この計算値は関の死後1712年に刊行された『括要算法』に記されている[16]。
日本の和算家に特徴的なのは、1663年に3.14が初めて導き出されても、その後1673年までの10年間に円周率の値を3.14とした算数書のいずれもが、先行者の円周率をそのまま引き継ぐことをせず、それぞれ独自の値を提出していたことである[17]。
この背景には当時の遺題継承[注 4]運動に「他人の算法をうけつぐ」と共に「自己の算法を誇る」という性格があったためだという[17]。そのため古い3.16の値が疑われてから、遺題継承の際に必ずといってよいほど円周率の値が変えられている[17]。
しかしながら江戸時代の3大和算書『塵劫記』『改算記』『算法闕疑抄』の増補改訂版では1680年代には3.14に統一された[19]。
3.14から3.16への逆行
しかし、遺題継承運動は1641年に始まって1699年頃には終わってしまい[20]、いったん3.14に統一された円周率の値は江戸時代後半になると揺らぎ始め、
古い3.16に逆行するという現象が生じた[21]。文政年間(1818~30年)に出版された算数書とソロバン書を悉皆調査した結果では、円周率の値を3.14とするものと、3.16とするものの2系統があることが明らかにされた[22]。
いくらか専門的な数学書では3.14とされているのに、大衆向けの小冊子の中では3.16の方が普通に用いられていた[23]。
当時の識者である橘南谿(1754-1806年)は「いまに至り3.16あるいは3.14色々に論ずれども、なおきわめがたきところあり」と述べ、3.14はまだ確定していないとしている[24]。儒学者の荻生徂徠も和算家の算出した3.14の根拠に納得しなかった[25]。
当時の和算家のほとんどは、円に内接する多角形の周を計算することで円周率を計算した。内接多角形の角数を増やすほど求まる円周率の桁は増えていくので、素人目にはその値が増大する一方に見える。
「それがいくら増えても3.1416を超えない」ということを和算家たちはついに納得させることができなかったのである[25]。
そのような和算家以外の素人たちを納得させるには、どうしても万人に納得させる「理」に基づいて計算してみせる他はない[25]。
それを行うには西洋で行われたように、「円を内接多角形と外接多角形ではさんで、円周率の上限と下限を示すこと」が必要であったが、(次の鎌田による成果を例外として)和算家はついにその方法を取ることがなかった[25]。
宅間流和算の円周率
日本で唯一「円周を内接・外接多角形で挟み込んで円周率の上限と下限を示す」ことに成功したのは鎌田俊清(1678-1747年)が享保七年(1722年)に著した『宅間流[注 5]円理』である。その値は以下の通りである[27]。
内周:3.1415 9265 3589 7932 3846 2643 3665 8
外周:3.1415 9265 3589 7932 3846 2643 4166 7
鎌田は円周率の小数点以下24桁まで正しいと確信しうる円周率の値を算出することに成功していた[28]。しかし、鎌田の方法は後継者を持たず、当時の識者に知られることがなかった[28]。
日本の和算の弱点は単に理論面の弱さにとどまらず、万人が納得できる正しい円周率の教育・啓蒙への関心も失ったことであった[31]。
そのため和算家たちがいくら円周率は3.14…と書いたところで、『塵劫記』の古い円周率3.16の値がそのまま残存する結果となった[28]。
『塵劫記』の重版(1694年)などは古い円周率3.16のまま出版され続け、18世紀に大衆的な通俗算数書が大量に出版される際に、必ずというほど3.16という値を引き継ぐようになってしまった[32]。
18世紀半ば以降の和算は数学的証明の概念の追求は無視され、せっかく宅間流の鎌田俊清がその独創的方法で正しい円周率を算出しても、全く継承されなかった[31]。
江戸時代後半の和算家は家元制度的な秘密主義と保守主義と、権威主義が在野の独創性を無視し、結果として学問の進歩を妨げることとなった[31]。
江戸時代初期の数学書である毛利重能の『割算書』では円周率を3.16としている。その弟子の吉田光由の『塵劫記』でも3.16となっている[14]。
しかし、当時の先進国中国の文献にはこの3.16という数値は見られず、中国の文献の数値を引き写したとは考えにくいという[14]。
そのため、なぜ初期の和算家が円周率を3.16としたかの理由はよく分かっていない[14]。おそらく、毛利重能とその弟子の吉田光由などの先駆者らは、円周率を実際に測定して3.14ないし3.16ほどの値を得たが、
最後の桁の数字に確信が持てなかったため、「円のような美しい形を求める数値は、もっと美しい数値になっていいはずだ」と考え、「美しい理論」を求めた。
その結果 √10 = 3.16 が美しい数値として採用されたと推測されている[15]。
その考えは日本で2番目に3.14の値を計算で求めた野沢定長の『算九回』(延宝五年:1677年)の中にも見られ、
その著書の中で「忽然として円算の妙を悟った」として「円周率の値は形=経験によって求めれば3.14であるが、理=思弁によって求めれば3.16である」として「両方とも捨てるべきでない」とした[15]。
その円周を測ればどっちがより正しいかはっきりするだろ
直径5メートルなら10センチの差が出る
3.16とすると計算しやすくて収まりがよかったらしい
そこまで正確にする必要もなかったしな
時間は専門職の武士が3人くらいで
蝋燭で計って鐘をつく
歯車は職人が木製の歯車が水分をすって膨らむことを計算(なんとなく)で
つくる
そういう世界
どうやって地面に書いた円を正確に測るの?
円が正確に直径5mで真円であることは証明できるの?
400年前の技術と道具で?
3.16と3.14のどっちが
「より」正しいかさえ分かればいいだけだから
厳密な絶対的計測ができなくても
同条件で何回か繰り返せば分かるはず
↓
https://www.ndl.go.jp/math/s1/c1.html
古代日本では数字の表記、大きな数字の呼び方や暦の体系も中国から伝わったものを使いましたので、日本の数学は中国の数学の移植から始まったといえるでしょう。
書物として残る中国の古い数学書として知られるのは『周髀算経』と『九章算術』の二書ですが、いずれも著者名も成立年も不明です。
名前の知られる最初の有名な中国の数学者は魏の劉徽で、『九章算術』への注釈で円周率を3.14 とするなど、大きな進展がありました。
それは日本では邪馬台国の頃です。
唐の時代に、これらの本は他の数学書と合わせて「算経十書」と呼ばれる官僚養成の教科書となりました。
これらは当時、日本にも官僚制度としてもたらされたことが、平安時代に作成された『日本国見在書目録』に載っていることからもわかります。
しかし、日本で数学研究が発達することはありませんでした。
いい時期に開国したわ
>いくらか専門的な数学書では3.14とされているのに、大衆向けの小冊子の中では3.16の方が普通に用いられていた[23]。
いくらか専門的なもんは経済とか国会、大衆向けには大谷とか吉村
こういうの昔っからなんやな
デカルトからが早かったね
近代国家が生まれて能力主義になると
世襲や縁故でポジションを決めていた他の世界を武力でも知力でも征服した
ナポレオンも砲術の弾道計算を利用して天下を取った
数学が好きでフーリエを登用したりとか
これが熱伝導とか考古学の発展にまで繋がったw
封建制では適材適所ができないから安倍が総理になったりする、絶対に勝てないw
絵馬で遊んでる間に西欧は世界支配したわけで
アカデミズムというシステムに到達したヨーロッパの凄み前には和算云々はまるで本質的じゃないんよな
小学生からπで計算させとけ
大人になってから電卓に3.14と打ち込んで計算したらええねん
数学でも権威主義によって大発見が埋もれてたってのは哀しいわね
日本に生まれてしまったばっかりにこんな風に終わってしまって
文明国に生まれていたらどれだけの業績が残せたことか
アーベル「せやな」