日立の「白物家電」売却報道で危ぶまれる“日の丸家電”の存続、なぜ日本メーカーは急速に力を失ったのかアーカイブ最終更新 2025/08/26 13:431.番組の途中ですが転載は禁止です8ZJal 日立製作所が白物家電事業の売却を考えていると、8月5日付の日本経済新聞が報じている。記事によれば韓国のサムスン電子などが関心を持っており、売却金額は1000億円~数千億円規模になるという。 日立の白物家電事業の売上高は3673億円(前3月期)、調整後EBITDA(税引き前利益に減価償却費などを加えた利益指標)は392億円と売上比は10%を超えているのだから、決して不振事業ではない。それでも事業売却の検討は、業界内では「ある意味、必然」と受け止められている。 日立の過去20年は事業変革の歴史だった。きっかけは2009年3月期に計上した7873億円の最終赤字だ。 当時の製造業としては過去最大の赤字だった。前年のリーマンショックの影響が大きかったが、それ以上に日立が長年抱えていた構造的な問題が顕在化した結果であった。かつて「総合電機メーカー」として広範な事業領域を誇っていた日立は、その多角化戦略が裏目に出て、収益力を欠いた複数の事業が経営の足かせとなっていた。 そこで選択したのが「本業回帰」と「子会社売却」の徹底だった。日立はかつて日本一の子会社を持っており、上場子会社だけでも22社あった。しかしその後、周辺事業の子会社を中心にどんどん切り離していく。さらには上場企業も売却するか本体に取り込んだ結果、今では上場子会社はゼロとなった。 その代わり、発電を含む社会インフラにITを組み込んだ事業にすべてを集中させていく。その集大成とも言えるのが、「Lumada(ルマーダ)」と呼ばれるデジタルソリューション・プラットフォームで、さまざまな産業分野の顧客が抱える課題を、IoT、AIなどのデジタル技術を活用して解決する。今では日立の売り上げの3割はルマーダで占められる。 こうした日立の事業変革の流れを考えれば、白物家電の売却検討はむしろ当然ともいえる。 日立にとって、モーター事業は創業以来の中核事業だ。性能にも定評があり、そのためモーターを使う家電である冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどは、日本国内ではいずれもトップ3もしくはそれに近いシェアを誇っているが、本業である社会インフラとの親和性は低い。 しかも国内では高いシェアを保っていても、世界シェアにおける存在感はない。そうであるならば、売却という判断に傾くのも無理はない。 だが、仮に日立が白物家電事業を売却するとしたら、日本企業の家電部門がまた一つなくなることになる。 日本企業による家電製造は、自動車と並んで日本の高度成長を支えてきた。特に1970年代後半から90年頃にかけては、技術力でも価格でも世界を席巻した。 一番わかりやすいのはテレビだろう。言うまでもなく、テレビ市場が最初に花開いたのは米国だった。家にはRCAやGEなどの米国メーカー製のテレビが鎮座していた。ところが80年代までに米国メーカーは「絶滅」する。代わりに米国市場を制したのが、ソニー、パナソニック、日立、東芝、シャープなどの“日の丸テレビ”だった。 技術的にも、ソニーは世界初の完全平面ブラウン管テレビをつくり、シャープはいち早く液晶テレビへとかじを切り、今では韓国勢の独壇場となっている有機ELテレビも、最初に市販したのはソニーだった。 結果、世界中の家電販売店のテレビ売り場を、日本製テレビが独占した。 録画機も同様だ。世界初の家庭用VTRを発売したのはソニーであり、その後ソニーが開発したベータ方式と、日本ビクター(現JVCケンウッド)の開発したVHSが世界を舞台に覇を競った挙げ句、凱歌はVHSに上がった。その反省もあって後継のDVDでは、ソニー、パナソニック、日立、パイオニアの4社が連合軍を結成し、世界標準規格をつくりあげた。 オーディオ機器についても、上記大手メーカーだけでなく、トリオ(JVCケンウッドの前身)、ナカミチなど専業メーカーの製品が世界中のオーディオファンから支持された。 一方、白物家電は地域によって使われ方や好まれる性能が大きく違うため、日本メーカーはその特性に合わせた製品を、消費地に近いところで生産することで市場を開拓していった。 技術的にも優れていた。インバーターエアコンは、従来より消費電力を大幅に削減することに成功するが、世界で初めて発売したのは東芝だった(業務用が1980年、家庭用が81年)。さらに日本製白物家電は耐久性にも優れていたことで、メイド・イン・ジャパンの信頼を勝ち取っていった。 ところが、2000年代に入ると、日本の家電メーカーは急速に力を失っていく。
日立の白物家電事業の売上高は3673億円(前3月期)、調整後EBITDA(税引き前利益に減価償却費などを加えた利益指標)は392億円と売上比は10%を超えているのだから、決して不振事業ではない。それでも事業売却の検討は、業界内では「ある意味、必然」と受け止められている。
日立の過去20年は事業変革の歴史だった。きっかけは2009年3月期に計上した7873億円の最終赤字だ。
当時の製造業としては過去最大の赤字だった。前年のリーマンショックの影響が大きかったが、それ以上に日立が長年抱えていた構造的な問題が顕在化した結果であった。かつて「総合電機メーカー」として広範な事業領域を誇っていた日立は、その多角化戦略が裏目に出て、収益力を欠いた複数の事業が経営の足かせとなっていた。
そこで選択したのが「本業回帰」と「子会社売却」の徹底だった。日立はかつて日本一の子会社を持っており、上場子会社だけでも22社あった。しかしその後、周辺事業の子会社を中心にどんどん切り離していく。さらには上場企業も売却するか本体に取り込んだ結果、今では上場子会社はゼロとなった。
その代わり、発電を含む社会インフラにITを組み込んだ事業にすべてを集中させていく。その集大成とも言えるのが、「Lumada(ルマーダ)」と呼ばれるデジタルソリューション・プラットフォームで、さまざまな産業分野の顧客が抱える課題を、IoT、AIなどのデジタル技術を活用して解決する。今では日立の売り上げの3割はルマーダで占められる。
こうした日立の事業変革の流れを考えれば、白物家電の売却検討はむしろ当然ともいえる。
日立にとって、モーター事業は創業以来の中核事業だ。性能にも定評があり、そのためモーターを使う家電である冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどは、日本国内ではいずれもトップ3もしくはそれに近いシェアを誇っているが、本業である社会インフラとの親和性は低い。
しかも国内では高いシェアを保っていても、世界シェアにおける存在感はない。そうであるならば、売却という判断に傾くのも無理はない。
だが、仮に日立が白物家電事業を売却するとしたら、日本企業の家電部門がまた一つなくなることになる。
日本企業による家電製造は、自動車と並んで日本の高度成長を支えてきた。特に1970年代後半から90年頃にかけては、技術力でも価格でも世界を席巻した。
一番わかりやすいのはテレビだろう。言うまでもなく、テレビ市場が最初に花開いたのは米国だった。家にはRCAやGEなどの米国メーカー製のテレビが鎮座していた。ところが80年代までに米国メーカーは「絶滅」する。代わりに米国市場を制したのが、ソニー、パナソニック、日立、東芝、シャープなどの“日の丸テレビ”だった。
技術的にも、ソニーは世界初の完全平面ブラウン管テレビをつくり、シャープはいち早く液晶テレビへとかじを切り、今では韓国勢の独壇場となっている有機ELテレビも、最初に市販したのはソニーだった。
結果、世界中の家電販売店のテレビ売り場を、日本製テレビが独占した。
録画機も同様だ。世界初の家庭用VTRを発売したのはソニーであり、その後ソニーが開発したベータ方式と、日本ビクター(現JVCケンウッド)の開発したVHSが世界を舞台に覇を競った挙げ句、凱歌はVHSに上がった。その反省もあって後継のDVDでは、ソニー、パナソニック、日立、パイオニアの4社が連合軍を結成し、世界標準規格をつくりあげた。
オーディオ機器についても、上記大手メーカーだけでなく、トリオ(JVCケンウッドの前身)、ナカミチなど専業メーカーの製品が世界中のオーディオファンから支持された。
一方、白物家電は地域によって使われ方や好まれる性能が大きく違うため、日本メーカーはその特性に合わせた製品を、消費地に近いところで生産することで市場を開拓していった。
技術的にも優れていた。インバーターエアコンは、従来より消費電力を大幅に削減することに成功するが、世界で初めて発売したのは東芝だった(業務用が1980年、家庭用が81年)。さらに日本製白物家電は耐久性にも優れていたことで、メイド・イン・ジャパンの信頼を勝ち取っていった。
ところが、2000年代に入ると、日本の家電メーカーは急速に力を失っていく。