神道★3最終更新 2025/01/28 05:151.神も仏も名無しさん6T7g7正しい教え前スレ神道https://talk.jp/boards/psy/1699915851神道★2https://talk.jp/boards/psy/17154649182025/01/27 21:09:0618コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさん0oHMh日本神話に出てくるスサノオが討伐したという八岐大蛇や、あるいは土蜘蛛(つちぐも)、熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのですしかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです2025/01/28 04:59:383.神も仏も名無しさん0oHMh狩猟採取時代は、平等に分配されていた原始共産社会で、神もなければ、戦争もありませんでした次いで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります負ければ、奴隷階級という被支配層となり、支配層と被支配層の階層社会が形成されます支配者は、支配者たる理由が必要になりますそこで、神が作り上げられたのですつまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です2025/01/28 04:59:564.神も仏も名無しさん0oHMh古事記、日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇です天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物天智天皇の弟というのも嘘と思われる天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握ったそういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです2025/01/28 05:00:115.神も仏も名無しさん0oHMhその編纂のときに、日本の建国の時をどうやら釈迦や孔子の時代よりさかのぼらせて権威付けるために、崇神天皇の360年ごろに変って、紀元前660年の神武天皇の東征というものを設定して、二王朝の並立をないことにしたようですそのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです2025/01/28 05:00:266.神も仏も名無しさん0oHMh日本神話の天地開闢が中国の古典神話を模倣しているのは有名な事実です日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です2025/01/28 05:00:467.神も仏も名無しさん0oHMh『日本書紀』の日付の捏造の証明儀鳳暦、元嘉暦という中国の暦があるこれによると、一年に一歳年を取るのではなく、一年で何歳も年を取る暦のやり方がある古事記や日本書紀はこの中国の暦のやり方を真似たと考えられている現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい小川清彦 (天文学者)帝大主席は『日本書紀』の暦法を西暦450年頃を境に以前を儀鳳暦(麟徳暦)、以後を元嘉暦と考えれば日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた2025/01/28 05:01:158.神も仏も名無しさん0oHMh日本に超古代王朝が存在し、神武天皇以前の時代にも天皇が実在していたと主張しているホツマツタヱ(秀真伝)50年前に国内で発見された、古事記や日本書紀の原書だと主張されているホツマツタヱ(秀真伝)現存する写本の中で一番古いものは江戸時代後期に作られたとされていてそれより古い時代に存在していた証拠はないホツマツタヱには古代の大阪平野に存在しないはずの大和川が出てきたり他にもホツマツタヱが成立したとされる紀元2世紀初頭には存在しない湖も出てくるので偽書が確定しているまた文章も歌舞伎の台詞に影響を受けた形跡がありホツマツタヱに出てくるウラミ・ネタム・ナヤミという言葉は日本の近世語であり、古代にはない「こうした近松文学的な発想と表現は、江戸時代に入ってからのものであり、上代文学の中に見出せるものではない」と論じられています2025/01/28 05:04:039.神も仏も名無しさん0oHMh神道五部書(しんとうごうぶしょ)とは、伊勢神道(度会神道)の根本経典で、以下の5つの経典の総称『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)『倭姫命世記』いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に伊勢神宮の度会行忠ら外宮祀官が執筆したものと判明している2025/01/28 05:04:3610.神も仏も名無しさん0oHMh歴史学の研究では、伊勢神宮の外宮の神職であった度会氏が、外宮を内宮(祭神・天照大神)と同等以上の存在として格上げすることを目的に、外宮の祭神である豊受大神を、天之御中主神および国之常立神と同一神とすることで、天照大神をしのぐ普遍的神格であることを主張するために執筆されたと推定されている神道五部書は、江戸時代に、尾張の東照宮神官である吉見幸和により、偽書であるとして激しく批判された専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたるようです2025/01/28 05:04:4911.神も仏も名無しさん0oHMh日本の統治者の称号が大王(おおきみ)から天皇になったのは誰からですか?回答壬申の乱に勝利した天武天皇が、初めて、これまでの「大王」(おおきみ)に代わって「天皇」という称号を用いたとする歴史学説が有力です「天皇」の表記については、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来する説が知られていますまた、唐の高宗が674年に「皇帝」を「天皇」と改称したのにならい、天武天皇も天皇表記を採用したのではないかと推測されています2025/01/28 05:06:1712.神も仏も名無しさん0oHMh竹内文書天津教の竹内巨麿によって、代々伝わってきたとものとして昭和10年に公開された文書群モーセの十戒は実は天皇が、来日したモーセに授けたものであり釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっているス神、7次元神界、五色人などの概念、用語の元ネタでもある竹内文書が創り上げたオカルト的な天皇崇拝の奇説は、その後、さまざまな神道系の宗教で利用されるようになるしかしこの文書は書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している現代で使われている概念や単語の五割ほどが、幕末から明治にかけて、西洋の思想や文物等を和訳するために、当時、新しく作られた和製単語であり対応する単語もなく、概念自体が無いものがほとんどで、哲学、民族、国民、宇宙などの簡単な単語すら幕末から明治にかけての発明品古代から伝わってきたはずの竹内文書には、幕末から明治以降に発明された和製単語や近現代西洋由来の概念単語が多数含まれてるので、偽書が確定している2025/01/28 05:06:5313.神も仏も名無しさん0oHMh竹内文書(たけうちもんじょ)は、古事記、日本書紀よりもずっと以前に書かれた歴史書と称する文書昭和の初めに、天津教という宗教団体の教主である竹内巨麿が公表内容は、「神武天皇の前に、26朝1168代の神が天皇として世界に君臨した」とか、「2000億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先となった」など、荒唐無稽のものでした。しかし、日本人の優等性を強調したい軍関係者を中心に支持を集めましたまた、日本人はユダヤ人の子孫だと主張する酒井勝軍(かつとき)という人物が天津教を訪れ、モーゼの十戒石の捜索を依頼します。まもなく十戒石が竹内家の宝物から発見されます。その後も、日本のピラミッドの記録や、キリストが日本に来た記録など、酒井が求めるものが次々に発見されます。もちろん、酒井の話に合わせて製作したものと思われます。そして、ついに竹内巨麿は青森県でキリストの墓を発見します。戦後も、キリストの墓やピラミッドの話は度々取り上げられ、現在も観光スポットとして健在です2025/01/28 05:07:4314.神も仏も名無しさん0oHMh1867年10月、岩倉具視は、「王政復古議」に「皇家は連綿として万世一系礼楽征伐朝廷より出で候」と指摘した。これが「万世一系」の語の初出ですつまり、明治時代できた言葉であり、それまでの、天皇家のことが当てはまるわけではありません継体天皇の時に、天皇家は断絶して、新たな血筋になってます2025/01/28 05:08:4515.神も仏も名無しさん0oHMh「福井近江の豪族」であった継体天皇60歳の時に生まれたとされるのが欽明天皇ですそして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返すして皇室・皇族一族ができてくるこの近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係です後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」となります2025/01/28 05:08:5916.神も仏も名無しさん0oHMh伊勢神宮世界では珍しい女神でありながら太陽神というというアマテラスオオミカミを祭神とする神社です。つまり天皇家の神社です。ということは、皆んな大好き神社の中では一番格式が高いわけだそんなお伊勢さんですが、不思議なことに天皇が参拝していなかったことが判っている。天皇で初めて参拝されたのが女性天皇 第41代持統天皇(在位690~697年)です。 それまでの天皇が参拝されなかった理由は何だと言われているのでしょうか? 理由を教えてください回答伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもありますそれらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます伊勢の伊勢神宮が天皇家の神社とか、いちばん格式が高いという設定が公式になったのは、ある程度の時代を経てからのことですですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう架空の女神の太陽神を「日本の皇祖神」と言う設定にして、多くの人々が信じ始めてから、その後、参拝をするという習慣、儀式が出来てきたわけです2025/01/28 05:12:3917.神も仏も名無しさん0oHMh女神でありながら太陽神というという存在は珍しくないようです上古の中国神話「羲和(ぎわ)」 太陽神であり女神アマテラスの元となったと言われています羲和を参考にしてアマテラスが作られましたメソポタミア「シャマシュ」 太陽神であり女神シュメール文化のウトゥが取り込まれていく信仰過程で、性別が反転し男神に変化していきましたそのほかの太陽神であり女神アイルランド「アイネ」アイルランド「エーディン」エトルリア「アルビナ」ヒッタイト「アリンナ」ポリネシア「アタヌア」ポリネシア「アタラパ」エジプト「バステト」サーミ人「バイウェ」バスク「エキ」ギリシア「エレクトリイオネ」ギリシア「エーオース」北欧「ソール」日本「稚日女尊」など…ほかにもたくさんいます2025/01/28 05:13:3918.神も仏も名無しさん0oHMh天照を女神ということにしたのが女帝である持統天皇の時代のようです現在の地に鎮座する伊勢神宮の創建も持統女帝の時代、と言われています持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのようです女帝となった持統天皇が自身の権力基盤を確立する為にそれまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です実際に、この持統天皇の時代に伊勢神宮の禰宜=神官の変更があり20年ごとの式年遷宮もこの頃からという話ですですので持統天皇よりも前の代の天皇が参拝していたのは別の地だったようです2025/01/28 05:15:21
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前スレ
神道
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神道★2
https://talk.jp/boards/psy/1715464918
あるいは土蜘蛛(つちぐも)、熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です
土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です
地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのです
しかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです
今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています
奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです
次いで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、
他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります
負ければ、奴隷階級という被支配層となり、支配層と被支配層の階層社会が形成されます
支配者は、支配者たる理由が必要になります
そこで、神が作り上げられたのです
つまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です
天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱
天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物
天智天皇の弟というのも嘘と思われる
天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握った
そういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること
自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい
古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです
崇神天皇の360年ごろに変って、紀元前660年の神武天皇の東征というものを設定して、二王朝の並立をないことにしたようです
そのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです
日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます
中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です
儀鳳暦、元嘉暦という中国の暦がある
これによると、一年に一歳年を取るのではなく、一年で何歳も年を取る暦のやり方がある
古事記や日本書紀はこの中国の暦のやり方を真似たと考えられている
現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい
小川清彦 (天文学者)帝大主席は『日本書紀』の暦法を西暦450年頃を境に以前を儀鳳暦(麟徳暦)、以後を元嘉暦と考えれば
日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、
1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた
50年前に国内で発見された、古事記や日本書紀の原書だと主張されているホツマツタヱ(秀真伝)
現存する写本の中で一番古いものは江戸時代後期に作られたとされていて
それより古い時代に存在していた証拠はない
ホツマツタヱには古代の大阪平野に存在しないはずの大和川が出てきたり
他にもホツマツタヱが成立したとされる紀元2世紀初頭には存在しない湖も出てくるので偽書が確定している
また文章も歌舞伎の台詞に影響を受けた形跡があり
ホツマツタヱに出てくるウラミ・ネタム・ナヤミという言葉は日本の近世語であり、古代にはない
「こうした近松文学的な発想と表現は、江戸時代に入ってからのものであり、上代文学の中に見出せるものではない」と論じられています
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に伊勢神宮の度会行忠ら外宮祀官が執筆したものと判明している
神道五部書は、江戸時代に、尾張の東照宮神官である吉見幸和により、偽書であるとして激しく批判された
専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたるようです
回答
壬申の乱に勝利した天武天皇が、初めて、これまでの「大王」(おおきみ)に代わって「天皇」という称号を用いたとする歴史学説が有力です
「天皇」の表記については、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来する説が知られています
また、唐の高宗が674年に「皇帝」を「天皇」と改称したのにならい、天武天皇も天皇表記を採用したのではないかと推測されています
天津教の竹内巨麿によって、代々伝わってきたとものとして昭和10年に公開された文書群
モーセの十戒は実は天皇が、来日したモーセに授けたものであり
釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている
ス神、7次元神界、五色人などの概念、用語の元ネタでもある
竹内文書が創り上げたオカルト的な天皇崇拝の奇説は、その後、さまざまな神道系の宗教で利用されるようになる
しかしこの文書は
書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している
現代で使われている概念や単語の五割ほどが、幕末から明治にかけて、西洋の思想や文物等を和訳するために、当時、新しく作られた和製単語であり
対応する単語もなく、概念自体が無いものがほとんどで、哲学、民族、国民、宇宙などの簡単な単語すら幕末から明治にかけての発明品
古代から伝わってきたはずの竹内文書には、幕末から明治以降に発明された和製単語や近現代西洋由来の概念単語が多数含まれてるので、偽書が確定している
昭和の初めに、天津教という宗教団体の教主である竹内巨麿が公表
内容は、「神武天皇の前に、26朝1168代の神が天皇として世界に君臨した」とか、「2000億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先となった」など、荒唐無稽のものでした。しかし、日本人の優等性を強調したい軍関係者を中心に支持を集めました
また、日本人はユダヤ人の子孫だと主張する酒井勝軍(かつとき)という人物が天津教を訪れ、モーゼの十戒石の捜索を依頼します。まもなく十戒石が竹内家の宝物から発見されます。
その後も、日本のピラミッドの記録や、キリストが日本に来た記録など、酒井が求めるものが次々に発見されます。
もちろん、酒井の話に合わせて製作したものと思われます。
そして、ついに竹内巨麿は青森県でキリストの墓を発見します。戦後も、キリストの墓やピラミッドの話は度々取り上げられ、現在も観光スポットとして健在です
つまり、明治時代できた言葉であり、それまでの、天皇家のことが当てはまるわけではありません
継体天皇の時に、天皇家は断絶して、新たな血筋になってます
そして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返すして皇室・皇族一族ができてくる
この近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係です
後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」となります
世界では珍しい女神でありながら太陽神というというアマテラスオオミカミを祭神とする神社です。つまり天皇家の神社です。ということは、皆んな大好き神社の中では一番格式が高いわけだ
そんなお伊勢さんですが、不思議なことに天皇が参拝していなかったことが判っている。天皇で初めて参拝されたのが女性天皇 第41代持統天皇(在位690~697年)です。 それまでの天皇が参拝されなかった理由は何だと言われているのでしょうか? 理由を教えてください
回答
伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもあります
それらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます
伊勢の伊勢神宮が天皇家の神社とか、いちばん格式が高いという設定が公式になったのは、ある程度の時代を経てからのことです
ですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう
架空の女神の太陽神を「日本の皇祖神」と言う設定にして、多くの人々が信じ始めてから、その後、参拝をするという習慣、儀式が出来てきたわけです
上古の中国神話
「羲和(ぎわ)」 太陽神であり女神
アマテラスの元となったと言われています
羲和を参考にしてアマテラスが作られました
メソポタミア
「シャマシュ」 太陽神であり女神
シュメール文化のウトゥが取り込まれていく信仰過程で、性別が反転し男神に変化していきました
そのほかの太陽神であり女神
アイルランド「アイネ」
アイルランド「エーディン」
エトルリア「アルビナ」
ヒッタイト「アリンナ」
ポリネシア「アタヌア」
ポリネシア「アタラパ」
エジプト「バステト」
サーミ人「バイウェ」
バスク「エキ」
ギリシア「エレクトリイオネ」
ギリシア「エーオース」
北欧「ソール」
日本「稚日女尊」
など…
ほかにもたくさんいます
現在の地に鎮座する伊勢神宮の創建も持統女帝の時代、と言われています
持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのようです
女帝となった持統天皇が自身の権力基盤を確立する為に
それまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です
実際に、この持統天皇の時代に伊勢神宮の禰宜=神官の変更があり
20年ごとの式年遷宮もこの頃からという話です
ですので
持統天皇よりも前の代の天皇が参拝していたのは別の地だったようです