笑夫くんはもしかして、「夢中西来意」を問うてるのかな?
>夢中に人あり、西来意を問わんに、作麽生か答えん。
>もし答え得ずんば、仏法霊験なし。
秋月先生の『白隠禅師』にその消息が書いてあったよなw
↓(丸ごとコピペwww)
夢の中で他人に、「達磨大師がインドから中国に伝えた禅の極意は何か」と訊かれて、答えられなかったら、仏法なんて何のあらたかなためしもないではないか、というのである。
これに対して、ある修行者は、師家面前にごろりと横になって、「グウグウ」大いびきをあげて眠るふりをした。
夢の中では自由はきかぬから質問に答えられん、というのでは、全く霊験なしだ。
乃公なら眠るときは徹底眠るのが禅の極意だ、という心であろう。
それに対して、師家は、「おい、おい」と、眠っている者を起こす声を発した。
一つの「拶処」である。
ちょっと突っついてみる。
これで、あたふたするようなら、熟睡していない証拠だ。
なおも、「グウグウ」眠り続ける。
これでこの公案は見事にパスという次第である。
(中略)
しかし、要は、室内でそんなことをしている当人が、「法身」の公案がほんとうに透っていなければ、全くのナンセンスだということである。
法身の則を透った上でなら、これは見事な教育法なのである。
白隠下の室内は、まだ続く。
師家、「では、その境涯を世語で示せ」。
学人、「世の中に寝るより楽はなかりけり如何なる馬鹿が起きて働く」。
師家、「では、そこに著語せよ」。
学人、「睡美不知山雨過、覚来殿閣自生涼」。
「睡り美にして知らず山雨の過ぐるを、覚め来たって殿閣おのずから涼を生ず」と訓する。
熟睡していて山の雨が過ぎたのも知らなかった。
目覚めてみると、殿閣に雨後の涼しさが感じられる。
ああぐっすり寝ていた間に雨が降ったのだなあ、というわけである。こんなふうに漢語の一句を借りて、自己の見地ないし境涯を表現するのである。