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仏のスレ81slipアーカイブ

1.
ユーザー
30F5f
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953.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
もえ、このスレは埋めよう
954.
ユーザー
xxg2a
おはー
俺は4時に起きた、
早朝神社参りと用事があるので
5時半くらいのつもりが
まーいいや起き
😀
955.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
おは~😆
956.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
朝が早いな?😆
957.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ヤージュニャヴァルキヤは、古代インド思想史において極めて重要な哲学者で、特に『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』の中心人物です。後のヴェーダーンタ思想、とくに不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)の源流の一つとされます。
958.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
彼の思想の核心は、簡単に言えば、
「変化する世界の奥に、唯一の不変の自己(アートマン)があり、それが究極実在(ブラフマン)である」
というものです。

959.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
主な特徴を整理すると――
960.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
1. アートマン=ブラフマン
ヤージュニャヴァルキヤの最大の思想は、
「自己(アートマン)を知れば、すべてを知る」
という考えです。

彼にとって、人間が本当に探求すべきものは外界の物質ではなく、「見る者」「知る者」である内なる自己でした。
有名な表現では、
見る者を見ることはできない
聞く者を聞くことはできない
知る者を知ることはできない
という方向性です。
つまり、意識そのものを対象化することはできない。なぜなら、それこそがあらゆる認識の基盤だからです。

これは後のデカルトの「我思う」とも比較されますが、ヤージュニャヴァルキヤの場合、個人的な自我ではなく、宇宙的な意識へ向かいます。
961.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
2. 「ネーティ・ネーティ(それではない、それではない)」
彼の有名な方法論です。

ブラフマンを、
「これは神だ」 「これは物質だ」 「これは精神だ」
と固定的な概念で捉えることを拒否します。

なぜなら、どんな説明も対象化されたものにすぎず、究極の実在そのものではないからです。
したがって、
「これはブラフマンではない」 「それもブラフマンではない」
と有限な概念を否定していく。

ただし、これは「何も存在しない」という虚無論ではありません。
むしろ、
あらゆる限定を超えた根源的実在がある
という立場です。
962.
ユーザー
xxg2a
長安といえば
三国志の
曹掃vs馬超だ

😀
963.
ユーザー
xxg2a
ムイムイがお目覚めだ
😀
964.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
3. 愛の哲学
『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』のマイトレーイーとの対話は有名です。
ヤージュニャヴァルキヤは、
「夫が愛されるのは夫そのもののためではなく、アートマンのためである」 「妻が愛されるのは妻そのもののためではなく、アートマンのためである」

つまり、人間が何かを求める根底には、究極的には「自己の充足への欲求」がある。
この自己とは、普通のエゴではなく、宇宙的自己(アートマン)です。
965.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
4. 仏教との比較
ここが非常に面白いところです。

ヤージュニャヴァルキヤとブッダは、かなり近い問題意識を共有しています。
共通点:
現象世界は無常である
外面的な所有や欲望では究極の満足は得られない
自己への深い探究が重要

しかし結論は逆方向です。

ヤージュニャヴァルキヤ
表面的な自己は偽物だが、その奥に真の自己(アートマン)がある。

ブッダ
探しても固定的な自己(アートマン)は見つからない。五蘊はすべて無我である。

つまり、
ウパニシャッド: 「偽りの自己を捨てて真の自己へ」
仏教: 「自己という構想そのものを手放す」
という違いになります。

966.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
5. 玄奘以前のインド思想史で見る位置

ヤージュニャヴァルキヤは、
ヴェーダ祭式中心の世界観
↓
ウパニシャッドの内面探究
↓
ヴェーダーンタ哲学
↓
シャンカラの不二一元論
という流れの中核です。
   特にシャンカラはヤージュニャヴァルキヤを非常に重視しました。
967.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
一方で、仏教の側から見ると、ヤージュニャヴァルキヤの「純粋意識としてのアートマン」は、後の中観派が批判する「究極的実体」の典型にも見えます。
以前話題になった龍樹との比較で言えば、
ヤージュニャヴァルキヤ:究極の実在を「言葉で否定しながら指し示す」
龍樹:そのような究極的実体への執着自体を空じる
という違いが非常に鮮明になります。
ヤージュニャヴァルキヤは、まさに「インド哲学におけるアートマン思想の頂点」の一人と言えるでしょう。
968.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
厳密に言えば、「ウパニシャッド哲学=ヤージュニャヴァルキヤの思想」ではありません。
ただし、ヤージュニャヴァルキヤ(Yājñavalkya)は、ウパニシャッド哲学を代表する最重要人物の一人です。特に後世のヴェーダーンタ思想に与えた影響という点では、シャンカラ以前の最大級の思想家と言えます。
969.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ヤージュニャヴァルキヤの思想が中心的に現れるのは、ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドです。
代表的な思想は、
アートマン(真我)の探究
ブラフマンとアートマンの同一性への方向性
「ネーティ・ネーティ(neti neti、これはない、これはない)」による究極実在の探究
輪廻からの解脱(モークシャ)
などです。
970.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
例えば有名な、
「アートマンは見る者であり、聞く者であり、考える者である。しかし、それ自身は見ることも見られることもない」
という方向の議論は、ヤージュニャヴァルキヤの特色です。
971.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ただし、ウパニシャッド全体を見ると、思想はかなり多様です。
例えば、
チャーンドーギヤ・ウパニシャッド
→ 「tat tvam asi(汝はそれなり)」という有名な教え。ウッダーラカ・アールニの思想が中心。
カタ・ウパニシャッド
→ 死神ヤマと少年ナチケータスの対話。死後の自己や解脱を論じる。
シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド
→ イーシュヴァラ(人格神)的な要素が強い。
など、それぞれ雰囲気が違います。
972.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
また歴史的には、
祭式中心の初期ヴェーダ思想
森林書(アーラニヤカ)の瞑想的探究
初期ウパニシャッドの自己探究(ヤージュニャヴァルキヤなど)
後世のヴェーダーンタ(シャンカラなど)
という流れがあります。
973.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
したがって、
「ウパニシャッド哲学とは何か?」
と聞かれた場合、ヤージュニャヴァルキヤを挙げるのは非常に正しいですが、
「ウパニシャッド哲学=ヤージュニャヴァルキヤだけ」
とすると狭すぎます。
974.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
むしろ、
ヤージュニャヴァルキヤは、ウパニシャッド思想の中でも特に“哲学化”を推し進めた人物であり、後のアドヴァイタ・ヴェーダーンタの源流の一つ
と見るのが適切です。
975.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
なお、面白い点として、ヤージュニャヴァルキヤは「ブラフマンを語り尽くせない」として沈黙や否定(ネーティ・ネーティ)を重視しますが、これは後のラマナ・マハルシなどの「沈黙による教え」にも非常につながる系譜です。
976.
ユーザー
BtRpI
回光返照(えこうへんしょう)。
本当の自分とは何か。
小説「1984」。
他者への共感と国家への帰属意識が矛盾する場合、その狭間で悶絶することになるという現実問題がある。
977.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ウッダーラカ・アールニもウパニシャッド哲学の中心人物の一人です。

ウッダーラカ・アールニは、特にチャーンドーギヤ・ウパニシャッドに登場する哲学者で、ヤージュニャヴァルキヤと並んで初期ウパニシャッド思想を代表します。
978.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
両者には少し性格の違いがあります。

ウッダーラカ・アールニの中心思想
万物の根源にある「一なる実在」を探究する
有名な「サット(存在)」の思想
「一なるものを知れば、すべてを知る」という発想

979.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
息子シュヴェータケートゥへの教え「tat tvam asi(汝はそれなり)」で有名
例えば、粘土から作られた器を考え、
粘土を知れば、粘土でできたすべての器を知ったことになる
という比喩を使います。
つまり、個々の現象の背後にある根源的な存在(サット)を知れば、世界全体の本質が理解できる、という方向です。
980.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
一方、ヤージュニャヴァルキヤは、
「アートマンとは何か」
「究極の自己とは何か」
「これは違う、これも違う(ネーティ・ネーティ)」
という、より内面的・分析的な方向へ進みます。
981.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
簡単に言えば、
ウッダーラカ・アールニ → 世界の根源(存在=サット)から真理へ迫る
ヤージュニャヴァルキヤ → 自己(アートマン)の探究から真理へ迫る
という違いがあります。
982.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ただし、後世のヴェーダーンタでは、この二つは統合されます。
「世界の根源であるブラフマン」と「自己の本質であるアートマン」は同一である、という形です。
その意味で、シャンカラの不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)は、かなり大まかに言えば、
ウッダーラカ・アールニの「tat tvam asi」+ヤージュニャヴァルキヤの「アートマン探究」
を哲学体系化したもの、と見ることができます。
なお、ブッダの時代(紀元前5世紀頃)には、こうしたウパニシャッド系の思想家や、サーンキヤ・ヨーガ系の修行者たちがすでに存在しており、初期仏教はその知的・修行的環境の中で成立したと考えられています。
983.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ウパニシャッド哲学といえば、ウッダーラカ・アールニとヤージュニャヴァルキヤのことだと思えば、当たらずとも遠からずか?

984.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
はい、その理解は**「当たらずとも遠からず」どころか、かなり本質を突いています**。

特に初期ウパニシャッド哲学を指すなら、
ウッダーラカ・アールニ
ヤージュニャヴァルキヤ
の二人は、まさに二大巨頭と言ってよいです。

985.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
大まかな整理をすると、
ウッダーラカ・アールニ
→ 「世界の根源は何か」
という方向。
「多なる世界の背後に、一なる根源的存在がある」という発想です。
986.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
有名な、
タット・トヴァム・アシ(汝はそれなり)
は、個人の自己(アートマン)と宇宙の根源(サット、後のブラフマン)との同一性を示す教えとして、後世のヴェーダーンタに決定的な影響を与えました。
987.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ヤージュニャヴァルキヤ
→ 「真の自己とは何か」
という方向。
彼は祭式や神々の世界を越えて、
見る者を見ることはできない
というような形で、認識の根底にあるアートマンを探究しました。
また、
ネーティ・ネーティ(これは違う、これは違う)
によって、究極実在をあらゆる限定から解放しようとしました。
988.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ただし、注意点として「ウパニシャッド哲学」は二人だけではありません。
例えば、
シャーンディリヤ
ナチケータス
シュヴェーターケートゥ
なども重要ですし、後期には人格神的な思想も発展します。
989.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
しかし、哲学史的な要約をするなら、
「ウパニシャッド哲学とは何か?」
→ ウッダーラカ・アールニの宇宙論的探究と、ヤージュニャヴァルキヤの自己探究を中心に形成された思想
と言って大きな間違いはありません。
むしろ、この二人を押さえずにウパニシャッドを語る方が難しいです。
990.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
990
991.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
そして興味深いのは、後のシャンカラのアドヴァイタは、かなり明確にこの二人の流れを受け継いでいます。ウッダーラカの「一なる存在」とヤージュニャヴァルキヤの「アートマン探究」が、後に「アートマン=ブラフマン」という形で統合されるわけです。
992.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
大雑把にいえば

ウッダーラカ・アールニ → ブラフマンを探究

ヤージュニャヴァルキヤ → アートマンを探究

993.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
大雑把な整理としては、かなり分かりやすい把握です。

ただし、少し補足すると、二人の違いは「ブラフマン担当」「アートマン担当」と完全に分かれるわけではありません。

大まかには、
ウッダーラカ・アールニ → 宇宙の根源(存在・サット)を探究する方向
ヤージュニャヴァルキヤ → 自己の根源(アートマン)を探究する方向
と見るとよいです。
994.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ウッダーラカの有名な議論では、
この世界の多様なものは、根底にある一なる「存在(sat)」から生じた
という発想があります。

たとえば「粘土と器」の比喩ですね。器はいろいろな形をしていても、本質的には粘土である。世界の多様性の背後に、一なる根源がある、という考えです。

995.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
一方、ヤージュニャヴァルキヤは、
では、その究極のものを知る「私」とは何なのか?
という方向へ深く入ります。

「見るもの」「聞くもの」「考えるもの」の根底にあるもの、それがアートマンである、と探究します。

996.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ただ、歴史的な流れでは、この二つは後に結びつきます。
ウッダーラカ的方向
世界の根源=ブラフマン(究極実在)
ヤージュニャヴァルキヤ的方向
自己の本質=アートマン(真我)
↓
後のヴェーダーンタ
アートマン=ブラフマン
という形になります。
997.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
つまり、
「外側(宇宙)の究極を探究したウッダーラカ」 「内側(自己)の究極を探究したヤージュニャヴァルキヤ」
という整理は、哲学史的な入門として非常に有効です。
998.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
ただし実際のウパニシャッドでは、ヤージュニャヴァルキヤもブラフマンについて語りますし、ウッダーラカも自己について語るので、両者は最終的には同じ山の別の登り口、と見る方が正確です。
999.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
999
1000.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
sNfNl
1000
1001.
ユーザー
???
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1002.
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