輪廻転生についての小考察slip

1.
ユーザー
fT36V
某掲示板に以下の疑問を投じてみた。
ここではその問題を含め、輪廻転生の問題について呟かせて貰います。


 ↓

現在タイやスリランカ等に伝わる南伝仏教では、輪廻転生からの解脱を説きます。 しかしこれを、バラモン教的な教理と同一視されてる方が散見されますが、南伝仏教は北伝同様無我論であり、その輪廻転生説は業論で、バラモン教のそれとは別次元なのですが。 なぜこの様な勘違いが起こるのでしょうか?
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2.
ユーザー
fT36V
輪廻転生の原点は、常・一・主・宰なる真我の輪廻転生でしょうが、仏教では無我論なので、掛かる意味での輪廻転生は当然に否定されます。

しかし、初期仏典を見る限り、お釈迦さまが輪廻転生を説かれていた事は否定し難い事実であり、この矛盾をどう解くかについていろいろと意見が交わされて来ました。
3.
ユーザー
wXdIZ
そこでよく使われるのがいわゆる「無我輪廻説」であり、説明に用いられるのが業感縁起や阿頼耶識縁起です。

まぁ、ザックリ云うと阿頼耶識縁起はその輪廻転生説と相性が一番良いかも。
4.
ユーザー
GFyhe
"Bho Nāgasena, na ca saṅkamati paṭisandhati cā" ti.
"Āma, mahārāja, na ca saṅkamati paṭisandhati cā" ti.
"Kathaṃ, bho Nāgasena, na ca saṅkamati paṭisandhati ca? Upamaṃ karohī" ti.
"Yathā, mahārāja, koci puriso padīpā padīpaṃ padīpeyya, kiṃ nu kho so, mahārāja, padīpo padīpamhā saṅkanto" ti.
"No hi, bhante" ti.
"Evam eva kho, mahārāja, na ca saṅkamati paṭisandhati cā" ti.
(PTS版(Milindapañha, p. 71, lines 16–24))
5.
ユーザー
GFyhe
(Geminiによる翻訳)
「敬愛するナーガセーナよ、[何ものも]移り行くことなく、しかも再生するのでしょうか?」
「その通りです、大王よ。[何ものも]移り行くことなく、しかも再生するのです。」
「敬愛するナーガセーナよ、どのようにして移り行くことなく再生するのでしょうか。比喩をつくってください。」
「大王よ、例えばある人が、一つの灯火から[別の]灯火に火を点けたとします。大王よ、その灯火は[前の]灯火から移り行ったのでしょうか?」
「いいえ、尊者よ。」
「大王よ、まさにそのように、[何ものも]移り行くことなく、しかも再生するのです。」


6.
ユーザー
iiAOO
これが基本的に南伝仏教に引き継がれてるそれでしょう。
7.
ユーザー
42Reo
ここでは再生はPaṭisandhiとあり、Saṃsāraとはないな。
8.
ユーザー
Nr6Vn
載せとくか。

Rokuyaonさん
質問者2026/9/30 14:55
ありがとうございます。 仰る通りで、ブラフマニズムでは、例えば Vāsāṁsi jīrṇāni yathā vihāya navāni gṛhṇāti naro 'parāṇi | tathā śarīrāṇi vihāya jīrṇāny ānyāni saṁyāti navāni dehī 「人が古くなった衣服を脱ぎ捨てて、新しい別の衣服を着るように、身に宿る者(アートマン/魂)は、古くなった身体を脱ぎ捨てて、新しい別の身体へと入っていく。 (『バガヴァッド・ギータ』(Bhagavad Gītā )2:22) とあり、「身に宿る者(Ātman)」とありますが、仏教は無我論(anātman)なのに、一体南伝仏教の何処がブラフマニズムなのか理解に苦しんでおります。
9.
ユーザー
Nr6Vn
"Tathāhaṃ bhagavatā dhammaṃ desitaṃ ājānāmi yathā tayevidaṃ viññāṇaṃ sandhāvati saṃsarati, anaññan"ti, "Yvāyaṃ, āvuso, vado vedeyyo tatra tatra kalyāṇapāpakānaṃ kammānaṃ vipākaṃ paṭisaṃvedetī"ti, "Kassa nu kho nāma tvaṃ, moghapurisa, mayā evaṃ dhammaṃ desitaṃ ājānāsi? Nanu mayā, moghapurisa, anekapariyāyena paṭiccasamuppannaṃ viññāṇaṃ vuttaṃ: ‘aññatra paccayā natthi viññāṇassa sambhavo’ti?"
10.
ユーザー
Nr6Vn
(Geminiに和訳)
> 「私が世尊(ブッダ)の説かれた教えを理解している限りでは、まさにこの同じ識(意識)が走り回り、生まれ変わり(輪廻)を行っているのであり、他のものではない。」
> 「[友よ、その識とは]話す者であり、経験する者であり、あちこちで善悪の行為(業)の果報を経験する者のことです。」
> 「愚か者よ、お前は一体誰に向かって、私がそのように教えを説いたのを聞いたというのか? 愚か者よ、私は多様な方法で『識は縁(条件)によって生じるもの』であり、『条件なしには識の発生はない』と説いてきたではないか。」
11.
ユーザー
Nr6Vn
経典名: 『マッジマ・ニカーヤ(Majjhima Nikāya)』第38経『マハー・タンハーサンカヤ・スッタ(Mahātaṇhāsaṅkhaya Sutta)』
12.
ユーザー
Nr6Vn
阿頼耶識縁起は輪廻転生説と親和性があるけど、阿頼耶識が輪廻転生の主体ではない。

そもそもお釈迦さまは識が輪廻転生の主体って言ったサーティ比丘に激おこだったしw
13.
ユーザー
Nr6Vn
ある意味その者の人生の集大成とも云える結生の識が受精卵をその対象とする訳です。
それが瑜伽行唯識学派でいうその者の人生の始まり、
14.
ユーザー
Nr6Vn
つまり、何かしらの根本識体というのがあって、それが衣を着替える様に輪廻転生するのではない。
15.
ユーザー
Nr6Vn
まぁ、こんな事云っても、今もお釈迦さまの昔も、理解出来たのはほんの一握りだろうけど。
16.
ユーザー
Nr6Vn
ワロタwww

さん
2026/9/30 22:33
あなたは自分が言っていることの意味を本当にわかっているのだろうか? テーラワーダ仏教の教義である輪廻転生が本当にあり、輪廻転生から解脱することが仏教の目的だと言うことは臨済宗の見性成仏は嘘だと言っているのですよ。


Rokuyaonさん
質問者2026/9/30 22:38
輪廻転生からの解脱と見性成仏は矛盾しませんけど、大丈夫ですか?


さん
2026/9/30 23:03
坐禅和讃に「衆生本来仏なり」とあるように、私達は本来的に輪廻転生するような性質のものではない仏である。 だから臨済宗の教義と輪廻転生は両立しません。


Rokuyaonさん
質問者2026/9/30 23:10
本来仏でも実際に迷うから輪廻するんでしょw

Rokuyaonさん
質問者2026/9/30 23:12
六趣輪廻の因縁は、 己が愚痴の闇路なり。 ってねw
17.
ユーザー
Nr6Vn
この人、z◯nって名乗ってた人でしょw

🐙かなんかの絡みでahoo掲示板かなんかから来た何人かのうちの一人。

すぐに壊しちまった玩具だったけど、もう少し遊べば良かったかな。
18.
ユーザー
Nr6Vn
あとs◯mとかって玩具も居たよな。
あれもすぐぶっ壊しちまったけどw
19.
ユーザー
i4DYf
なんか最新の仏教界では輪廻転生を否定してるとか言ってるけど、それはブラフマニズムの否定であって、業論は否定してないんだけどな。

20.
ユーザー
i4DYf
それでも「命が流れる」「意識が続く」「エネルギーが保存される」と言うなら、「流れる」「続く」「保存される」と言えばよいだけの話で、わざわざ「輪廻」などと言い出す必要は毛頭ない。
「無我輪廻説」などはほとんど詐称で、「無我持続説」が言い方として真っ当である。
もっと言えば、仏教における輪廻説は、言葉の使い方を間違っているに過ぎない。
(『仏教入門』南直哉より)
21.
ユーザー
i4DYf
掛かる意味に於いての輪廻転生の否定であって、業論まで否定するものではない。
22.
ユーザー
i4DYf
まぁ、終極的には業論も言語による仮設という事にはなるのだけど、そうした理法は否定するのもではない。
23.
ユーザー
s6kdq
先ず、ブラフマニズムでは、例えば Vāsāṁsi jīrṇāni yathā vihāya navāni gṛhṇāti naro 'parāṇi | tathā śarīrāṇi vihāya jīrṇāny ānyāni saṁyāti navāni dehī 「人が古くなった衣服を脱ぎ捨てて、新しい別の衣服を着るように、身に宿る者(アートマン/魂)は、古くなった身体を脱ぎ捨てて、新しい別の身体へと入っていく。 (『バガヴァッド・ギータ』(Bhagavad Gītā )2:22) とある様に、輪廻転生の主体を「身に宿る者(Ātman)」と説きますが、南伝仏教は無我論(anātman)です。 一体それの何処がブラフマニズムなのか理解に苦しみますね。
24.
ユーザー
s6kdq
また、白隠さんが輪廻転生を認めていた事は先に引用した『白隠禅師坐禅和讃』や『白隠禅師年譜』から明らかですが? 更に >業には人間を輪廻転生させる力なんかありません。 との事ですが、その根拠は? ちなみに業の形成力(サットヴァ・カルマン、sattva-karman)は宇宙を生成する程ですよ? ちなみに業が有情を輪廻転生させることについては『大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經(SAT.T0945_.19.0143b14〜)』や『正法眼蔵(三時業)』等他にも多くにあります(假令經百劫所作業不亡因縁會遇時果報還自受汝)。 即今当処という信仰の立場からなされる輪廻転生の否定宣言を準拠に、前述の様な学術的成果を無視されるのは、まさしく人間禅さんの宣言されてる「神秘を語らず迷信を説かず」と矛盾してますね?
25.
ユーザー
pg8Il
(秋月)
しかし、仏教は違う。
釈尊も確かにヒンドゥ思想伝来の輪廻説から出発した。
ただし釈尊の問題は、そうした輪廻転生の生死──「生」と「死」でなく、一息に「生死」──の苦からの解脱にあった。
釈尊は菩提(悟り・覚)によって仏陀(悟った人・覚者)となって、生死を解脱した。
だから、悟ったのちの釈尊が、輪廻説などに立ったわけはない。
「後有を受けず」と宣言したゆえんである。
だから、「輪廻」の説は、あくまで仏教の前提としてのヒンドゥ教説であって、厳密な意味では仏教説ではない。

(秋月)
仏教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。
それは事実である。
だからといって、輪廻説は仏教説であるとはいえない。
輪廻を信じない私のような仏教徒もいる。
26.
ユーザー
pg8Il
(秋月)

ただし──すでに述べたように、覚者(仏陀)と成った釈尊は「私はもう再生しない」(「後有次生の存在を受けず」)と宣言された。
悟って輪廻の生死を解脱したのだから、もはや六道のどこにも再生しない、というのである。
そうした釈尊の仏法には、本来「あの世」などあるはずがない。
こうした釈尊の「覚」の立場から頽落したときにだけ、「あの世」が(次生が、後世が、そして前世が、すなわち三世が)問題になってくるのである。
だから、禅者としての私は、「即今・此処・自己」しか問題にしない。
「即今・此処・自己」という、実存の「絶対現在」(永遠の今)に立つ禅者にとって、「あの世」は問題にならない。
したがって、「前世も後世も」問題にならない。
「生死」は、ただ「刹那の生死」だけですんで、「一期の生死」を考える必要はない。
27.
ユーザー
pg8Il
(Geminiによる総括)

提示されたテキストから読み取れる秋月氏の「輪廻転生観」は、「輪廻説は仏教固有の教えではなく、悟り(解脱)によって超克・否定されるべき前提に過ぎない」という立場です。
具体的には、以下の3つのポイントに要約できます。
* 輪廻説はヒンドゥー教の前提であり、本来の仏教説ではない
釈尊(ブッダ)は古代インドのヒンドゥー教的な輪廻説を出発点としたものの、悟りを開くことで生死の苦から解脱しました。「後有を受けず(二度と迷いの世界に生まれ変わらない)」と宣言した以上、悟った後の釈尊や本来の仏教において、輪廻や「あの世」は肯定されるものではないとしています。
* 輪廻や「あの世」が問題になるのは悟りから退落した状態
前世・後世・あの世といった「三世」の存在を意識したり問題にしたりするのは、釈尊の悟り(覚者)の立場から離れてしまっている(頽落している)からに過ぎないと考えています。そのため、秋月氏自身も「輪廻を信じない仏教徒」であると明言しています。
* 禅者として「絶対現在(即今・此処・自己)」を生きる
一 lifetime(一期)を通じた生まれ変わりを考える必要はなく、解脱の立場に立つ禅者としては「即今(たった今)・此処(この場所)・自己(自分自身)」という実存の「絶対現在(永遠の今)」だけを問題とします。生死とは一瞬一瞬(刹那)の生と死だけで完結しているという視点です。
まとめ
秋月氏の輪廻転生観は、「輪廻やあの世は悟りによって超え去られるべき旧来の観念であり、真の仏教(禅)の本質は、過去や未来(前世・後世)に囚われず『今・ここ・自分』という瞬間に徹して生きることにある」という徹底した絶対現在の立場です。
28.
ユーザー
pg8Il
単なる輪廻転生の否定とは文脈が違うって事だな。
29.
ユーザー
giaNp
禅宗は即今当処の自己を問題にする限りに於いて前後裁断するから、こうした考えは、釈迦仏教の原風景であろう「一切の見解の棄捨」に通じるものはある事はあるな。

つまり、二見(常見・断見)を離れてるという事だな、
30.
ユーザー
eML7K
どの掲示板にもこうした知障くんが居座るんだよなあ。

 ↓

ken********さん
2026/9/30 13:59
バラモン教も業論による輪廻を説いているからです。

なるほど
0

そうだね
0

ありがとう
0

ken********さん
2026/10/1 6:56
戯論寂滅が悟りです。 ブロックするのは、戯論を言わせないための仏心です。

ken********さん
2026/10/1 15:22
「初期仏教で輪廻転生が説示されていたのは紛れもなく事実」 これが、現代仏教学で槍玉に上がっているのです。 現実を直視しなければいけません。
31.
ユーザー
eML7K
誰からも相手にされないで無視されてるしw
32.
ユーザー
eML7K
まぁどの世界にもでおーやJBLの様に馬鹿を晒して、お笑いネタの材料になるパーは居る訳だな。
33.
ユーザー
50LQn
お笑いネタは世の中を明るくする為にも必要だ😙
34.
ユーザー
CfTdE
Rokuyaonさん
2026/10/7 8:56
当時、アートマン (Ātman)という主体の連続体を前提としたブラフマニズムの輪廻論は、分かり易いし圧倒的な支持があったかと思います。 また、その頃形成された業論と併せて、無我(anātman)説を取るお釈迦さまも無理にそれを否定されず、その整合性(輪廻、業、無我)ついて苦慮され工夫され、輪廻を前提にした説示はされていたかと思います。 やがてそれは無我輪廻説へと展開したのでしょう。 しかし、そもそも輪廻というのはアートマン (Ātman)という真我の連続体を前提としたブラフマニズムの術語です。 なので仏教でその輪廻という語組み込んで使用するのはどうかなぁと思いますし、無我論(刹那生滅する五蘊という仮設の相続体)で事足りる事ですから、掛かる意味に於いて輪廻(真我の連続体)の語が否定される事は仏教徒として当然だと思います。 ……でもまぁ、一般の方にその説明をしてもなかなか理解される事でもないでしょうし、余りにも輪廻という言葉が世間に流布して定着していますからねぇ。 無我による仮設相続と業論だけで説明は完結しているのだから、輪廻という言葉自体が不要であるとはなかなか定着し難いと思うのです。
35.
ユーザー
CfTdE
Rokuyaonさん
2026/10/7 9:15
なかには「いやいや、輪廻とは刹那生滅する五蘊という仮設我の相続を言うんだよ」と仰る方もいるかもしれませんが、そもそも輪廻とは五火二道やアートマン ・ブラフマンを前提としたブラフマニズムを源泉とする思想ですから、この考えは後付けで受け入れられません。
36.
ユーザー
KDan6
仏教も六派哲学も業論を用いてるのに変わりはない。
ただその違いは基体説の連続体か非基体説の相続体かだな。

連続も相続も業論が基礎にある。
37.
ユーザー
KDan6
我というのは、仏教では、刹那生滅する五蘊の仮和合による相続体って説明される。
まぁ、倶舎論ベースの説明だし、さらに展開された説明もあるけど。
38.
ユーザー
KDan6
輪廻というのがアートマン論を前提に構築されたものであるのなら、当然にアナートマン論である仏教では否定される。

ただし、業論までは否定されない。

39.
ユーザー
KDan6
六派哲学では輪廻転生の基体はアートマンと捉える。
しかし仏教は基体説を否定する。

だから、無我なのに何が輪廻転生するの?となる。

しかし、一方で無我だからこそ輪廻転生するという無我輪廻説があるけど、これは

南 いや、だったらやはり輪廻と言う必要ないですよね。業論でおさまる。
望月 そういうような説明自体に、ちょっと無理がありますよね。諸存在が同一実体として連続することを排除するために、刹那減により常住性を排除しているのだけれど、無常性を論証するために設定された論理にしか思えないのです。輪廻を論証するためにそれをわざわざ説明する必要があるものだろうか、と。
南 そう思うんですよ。いらないでしょう?
望月 いらないと思いますね。
南 私もね、無我輪廻説というのは、なぜそれを「輪廻」と言わなきゃいけないのか、全然わからないんですよ。無我説と言っときゃいいだけのことで、そのあとに、なぜ輪廻なんて付けなきゃいけないのか。
望月 そうですね。無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、無我と輪廻の整合性が前提になっているわけです。輪廻を無我で論証しようとしているだけであって、トポスとしての輪廻の存在を受け入れてからの論証となっているわけです。輪廻が説かれているからどうしても説明しなくちゃいけなくなるわけですよね。
南 そうなんですよ。あるから、仏教の側から正当化しなきゃいけないという思い込みがあるんじゃないかと思うんですね。捨てればいいのに。
(『別冊サンガジャパン4 死と輪廻』)

とある通り。
40.
ユーザー
KDan6
まぁ、輪廻の問題は段階的な知識の集積無しに理解不可能だから、一般人にそれは無理。
本当に知りたい人に対して時間を掛けて説明する他ない。

宗教板でそれをしようとしてもケラどもが邪魔するし、理解出来る者も居ないし、ここで一人でまとめる他にない。
誰か他所でロムってる人でも居て一助になれば良い。
41.
ユーザー
KDan6
輪廻からの解脱とは、輪廻という思いからの解脱だからなぁ。
42.
ユーザー
KDan6
道徳的要請と業論のマッチングを死後から来世まで想定してるって事でもあるな。
43.
ユーザー
eVCOw
業論は六派哲学も仏教もジャイナ教等も取るからなぁ。
やっぱり無我論で事足りる、というか、事足りる説明をしなきゃならないんだろうけど。

でもさぁ、魂なんてものは仏教じゃ認めてない、無我論だ、刹那生滅する五蘊の仮和合の相続だ、そして更にそれも空性の元に戯論として寂滅するなんて、ここの馬鹿どもにさえ分からないのに、そこらのおじちゃんおばちゃんになんか尚更無理だわ😗。
44.
ユーザー
eVCOw
識ではない、心相続だぁなんて説明しても頓珍漢だろうなぁ。
45.
ユーザー
eVCOw
仏教の云う輪廻は別の意味だ、生と死を分けない相続だ。
……なんだかこれもなぁw
46.
ユーザー
VnbVg
そんな事よりスリップを使った名推理()はどうした?

他スレで千枚通しがどうのと自殺教唆コメントしていた奴が講釈垂れても説得力ゼロやわ〜
47.
ユーザー
8seJ8
死後の世界を否定する事は生の世界を否定する事になる。
禅宗では生と死とに分けない。
一息に生死(しょうじ)という。

生・死という差別(分段生死)が生死という平等となり、それさえも解消・張説される。
教学でいうところの「不思議変易生死」だな。

48.
ユーザー
8seJ8
訂正

張説→超越
49.
ユーザー
8seJ8
死後の世界は無いとはそういう事なんだけどな。
まぁ、馬鹿やビギナー、トーシローに知れる世界では無い。
50.
ユーザー
iXjO3
仏教に於いては輪廻転生も仏道成就の為の方便に組み込まれてるって事だろうな。

そんな事の有る無しなんて問題ではない、もっと大事か事があるだろ!って。
51.
ユーザー
hvT5K
輪廻転生があるのかどうか
正直、わたしには、分からないw
52.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
<セ・CSファーストステージ:巨人1-4DeNA>◇第2戦◇11日◇東京ドーム

DeNAに敗れた巨人ナインに、まさかのブーイングが起こった。

試合終了後、26年シーズンの全試合を終えた巨人の選手、スタッフらが右翼席の前に整列し、あいさつへ向かった。巨人ファンの前で頭を下げると、スタンドからはまさかのブーイングが起こった。その後、「大きな拍手をお送り下さい」とアナウンスが入ると、ブーイングはやみ、東京ドーム内に拍手が響き渡った。
53.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
レギュラーシーズンからDeNAを相手に7連敗、CSでは3年連続同じ相手に敗退し、巨人の26年シーズンが終戦。リーグ優勝した24年はCSファイナルでDeNAを相手に敗退。昨年もCSファーストで2連敗して敗退。16年ファーストとあわせて4シリーズいずれも敗退と、DeNA相手の短期決戦での弱さが際立った。12年以来14年ぶりの日本一はまたしても達成ならず。レギュラーシーズンは2位、CSファーストステージでの敗退で巨人の今シーズンが幕を閉じた。
54.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
DeNAが快勝 プロ野球CS・巨人1―4DeNA

10/11(日) 17:16配信

 DeNAが快勝。

 一回に度会の2試合連続のソロと佐野の右前打で2点先取。七回に戸柱の左前打、八回に牧の2戦連発となるソロで加点した。石田裕が5回1失点で、その後は継投でしのいだ。巨人の得点はダルベックのソロのみだった。
55.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
巨人は、3年連続で、DeNAにCS敗退か
56.
ユーザー
sLu0j
カミュは此の世の不条理から逃れるために神様を信じることも人生を諦めることもしません。
意味のない世界を誤魔化さず直視続けることこそが人間の尊厳なのです。
著作シューポスの神話では山頂に運んでもすぐに転がり落ちる巨大な石を永遠に押し上げ続けるシューポスのように結末人生に意味は無くてもその無意味な人生に反抗して今この瞬間を情熱的に生き抜いていくことで不条理に勝利をします。

57.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
悪因縁としか言いようがない
58.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
>>56

まさに、その通り
59.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
正確に言えば、「シーシュポス」だけどな
60.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
でも、思想内容としては、その通り
61.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
DeNAの選手なんて、ぜんぜん知らんなあ
62.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
牧秀悟しか知らない
63.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-N3U-XU-95Q
RmfpJ
阪神には勝てないだろう
64.
ユーザー
XOodl
>>56
Wikipediaからだけどシモーヌヴェイユの神についてのものにこういうのがあるがなかなか納得させられるな

「世界が善だから愛するというのではなく、悪をみつめ、悪を憎悪しつつも善と悪を造った神と、神が創ったこの世界を愛することを説く。ヴェイユは偽りの慰めを退け、想像上の神を信じる者より神を否定する者の方が神に近いという。全く神が欠けているということでこの世界は神そのもの」
65.
ユーザー
XOodl
自分の救いのために、世間でこの世でつくられ語られてる神などにむやみによらない

この世の、神の不在としか思えないような理不尽や悪意の蔓延の世界をむやみに憎んだり拒絶し逃避せずにそのまま受け取りそこで苦しみや悩みにとどまる
説かれた神に頼らない、そのありようこそが
ホントに神そのものとしてのありようにかなうという考え方
66.
ユーザー
iQBsZ
勝手に清水先生の話を望月南氏の両談に合成し鼎談にした。


清水 そのような無常なる自己が、因果の連鎖によって、延々と個体存在を再生産し続けていくことが輪廻である。したがって、輪廻説と無我説は調和しており、そこに矛盾はない。

望月 そういうような説明自体に、ちょっと無理がありますよね。諸存在が同一実体として連続することを排除するために、刹那減により常住性を排除しているのだけれど、無常性を論証するために設定された論理にしか思えないのです。輪廻を論証するためにそれをわざわざ説明する必要があるものだろうか、と。

南 そう思うんですよ。いらないでしょう?

望月 いらないと思いますね。

南 私もね、無我輪廻説というのは、なぜそれを「輪廻」と言わなきゃいけないのか、全然わからないんですよ。無我説と言っときゃいいだけのことで、そのあとに、なぜ輪廻なんて付けなきゃいけないのか。

望月 そうですね。無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、無我と輪廻の整合性が前提になっているわけです。輪廻を無我で論証しようとしているだけであって、トポスとしての輪廻の存在を受け入れてからの論証となっているわけです。輪廻が説かれているからどうしても説明しなくちゃいけなくなるわけですよね。

南 そうなんですよ。あるから、仏教の側から正当化しなきゃいけないという思い込みがあるんじゃないかと思うんですね。捨てればいいのに。

67.
ユーザー
9AfPB
六派哲学の輪廻論
不変の絶対的一者(Brahman)が名称と形態に自己分節したもの(Atman)の連続現象。

仏教の無我論(析空観的だけど)
刹那生滅する五蘊という構成要素(dharma)の仮和合体の相続現象。

無我輪廻論
……折衷論としては無理がある。

???
清水 そのような無常なる自己が、因果の連鎖によって、延々と個体存在を再生産し続けていくことが輪廻である。したがって、輪廻説と無我説は調和しており、そこに矛盾はない。
68.
ユーザー
9AfPB
「無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、」
69.
ユーザー
okPI8
世間一般の輪廻感は、

「人が古くなった衣服を脱ぎ捨てて、新しい別の衣服を着るように、身に宿る者(アートマン/魂)は、古くなった身体を脱ぎ捨てて、新しい別の身体へと入っていく。
(『バガヴァッド・ギータ』)

な訳です。

無我論は衣服は範疇に出来ても「身に宿る者」とは相容れないのです。
70.
ユーザー
okPI8
この考えはまさに正鵠を得てるな。


望月 そうですね。無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、無我と輪廻の整合性が前提になっているわけです。
輪廻を無我で論証しようとしているだけであって、トポスとしての輪廻の存在を受け入れてからの論証となっているわけです。
輪廻が説かれているからどうしても説明しなくちゃいけなくなるわけですよね。
71.
ユーザー
6nrvk
継起か。
72.
ユーザー
KRIwc
世の中わからんことだらけだw
73.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
もう、輪廻転生に関して屁理屈をこねるのはヤメようぜ
74.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
シンプルな理解でいいんだよ😂
75.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
禅宗の連中は

「輪廻転生は認めない。だが、因果の理法は否定しない」

なんて、奇妙な設定をするから

思想的なアクロバット曲芸をやる羽目になる😂
76.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
かといって、唯識論の輪廻転生システムも

お世辞にも分かりやすいとは言えないが😅
77.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
こういうところから入ってみてはどうか?

↓

生まれ変わりの実例(前世記憶の事例)は、精神科医や研究者によって世界中で調査・記録されています。代表的な実例や共通する特徴は以下の通りです。
78.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
代表的な実例

小谷田勝五郎(こやた かつごろう)の事例

19世紀の日本(江戸時代)の事例で、松平冠山や小泉八雲の記録に残る有名な話です。幼少期に「前の世では、藤蔵という名前で、こういう家族だった」と具体的に語り、実際にその人物や場所が存在したことが確認されました。
79.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
アカネちゃんの事例

インド人女性の額にある「ビンディ」にそっくりな母斑(あざ)を持って生まれた日本の少女です。3歳の頃にお風呂上がりに頭にタオルを巻いてヒンディー語を話したり、「インドで英語を話し、リシケシュに住んでいた」といった具体的な記憶を語りました。
80.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
イアン・スティーヴンソン博士やジム・タッカー博士による調査例

米国ヴァージニア大学などの研究グループは、世界中で2,600件以上の前世を記憶する子供の事例を調査しています。エジンバラの料理人や戦艦大和の乗員など、前世の人物が特定されたケースが多数報告されています。

81.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-626-XU-95Q
KIrBo
前世記憶を持つ子供に見られる共通の特徴

発症の年齢

生後24~60カ月(2歳~5歳頃)に話すことが多く、一般的に6歳前後から記憶が薄れて消えていく傾向があります。

身体的な特徴(母斑や先天異常)

前世の人物が負った傷や死亡時のケガと一致する位置に、アザや身体の欠損を持って生まれてくるケースが指摘されています。

非自然死・トラウマの記憶

事故や暴力など、不慮の死を遂げた記憶を持つ割合が高く、それが現世での恐怖症や嗜好につながっている場合があるとされています。

もし特定の地域の事例や、研究者(イアン・スティーヴンソンや大門正幸教授など)のさらに詳しい調査内容について知りたい場合はお知らせください。
82.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
rXnLt
小谷田勝五郎か

程久保小僧だな
83.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
rXnLt
84.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
rXnLt
中部大学教授の大門正幸氏らの研究や著書『生まれ変わりを科学する』で紹介されている「アカネちゃん」は、日本で生まれ変わり(前世記憶)を語ったとされる事例の一つです。

アカネちゃんの主なエピソード

生年・時期: 2005年頃生まれ。

前世の記憶: 3歳頃から、前世はインド人の「ラディ」という5人きょうだいの末っ子の女の子で、家族とともに火事で亡くなったと話し始めました。

身体的特徴・行動:

額にインド人女性がつける「ビンディ」に似た母斑(あざ)を持って生まれた。

3歳の頃にお風呂上がり頭にタオルをターバンのように巻いたり、ヒンディー語を話したり、英語を使っていたことや「リスクライ(リシケシュ)」という場所に住んでいたと具体的な記憶を語った。

生まれ変わりの動機: 前世の経験から「次の人生では、女の子が大切にされる日本に生まれたいと思った」という趣旨の発言をしており、自らの意志で日本へ生まれ変わることを選んだと語られている。
85.
ユーザー
xRDFt
?
また番号が飛んでるな。
どうせケラの妄想だろ。
86.
ユーザー
xRDFt
で、以降は瑜伽行唯識学派の視座から輪廻転生を考察してみよう。
87.
ユーザー
xRDFt
で、横山先生の著作から幾つかメモろうw
88.
ユーザー
xRDFt
さて、或る生存状態(趣gati)から、次の生存状態に生まれかわることを「結生相続」という。
前述した『解深密経』の文には、阿頼耶識の結生相続への関与は、明確には説かれていない。
しかし、或る趣において身体を受けたとき、最初に形成され、次いで成長発達してゆくものが一切種子心であると説かれていることからみて、一切種子心が輪廻の主体であり、結生時において新たな生存状態を形成する質料因であると考えられていることがわかる。
89.
ユーザー
xRDFt
彼の中有に住する者が、同類の有情たちを見て、(彼らとともに)遊びたいと欲し、(彼らのいる)生処に行きたいという欲望を起こす。
その時、母と父とが交会して出す精血(精子と卵子)に対して彼に間違った見解(顚倒見)が生じる。
すなわち、この時、この顚倒者は母と父とが相互に邪行(交会)を行っているのを見るが、しかし、母と父とが邪行を行っているとは見なく、彼は間違った考えを起こし、それを自分が行っていると見る。
そしてその邪行を見おわって彼に貪愛が生じる。
すなわち、もし女になろうと欲せば父に交会しようとする貪愛が生じ、もし男になろうと欲せば母と交会しようとする貪愛が生じる。
(中略)  この時、恍惚となった母と父とは貪愛が激しい状態に達して精液を出す。
その最後に各々、一滴の精血を出す。
するとこの二滴の精血は母胎において結合し、あたかも熟した牛乳が凝結するように凝結して一つの固まりとなって存在する。
そこに一切種子であり、異熟所摂であり、所依を執受する阿頼耶識が結合凝結する(和合依託sammūrcchati)。
この濃厚な精血の固まりが生じ、同時に、かの間違った見解をもつが故に中有が滅する。
そしてその中有が滅すると同時に、かの一切種子(識)の功能によって他の微細な根と大種とが結合して生じ、および精血が固まって余の有根の彼同分が生じる。
この状態に識が住したことを結生相続(pratisandhi)といい、また羯羅藍の位という。」
90.
ユーザー
xRDFt
それまでは、母胎中に入り、最初に形成される識(結生識pratisandhi-vijñāna)を、たとえば説一切有部は五蘊であると考えたのに対し、瑜伽行派はそれを阿頼耶識に求めたという点である。
すなわち、前述したように父母の精血(śukra-赤白とも訳される)の固まりと阿頼耶識とが結合凝結するという。
結合凝結の原語はsammūrcchati, sammūrchitaであり、玄奘は「和合依託」「和合」「依託」と訳す。
安慧の『中辺分別論釈疏』にも vijñānasammūrcchanātと説かれ、sammūrcchanaの語が認められる。
ところでこれらの語の意味はなにか。
語根に「凝結して増大する」という意味があることから、「和合依託」とは、たんに機械的ないし無機的に結合することではなく、いわば生理的・有機的に結びついて成長発達してゆく過程を意味するといえよう。
阿頼耶識はまず父母の精血と結合し、そこに生命活動が開始され、羯羅藍(kalala)といわれる最初の生命体が形成される。
ついで、胎内の五位といわれる五段階をへて、しだいに完全な身体をそなえた胎児へと生長発達してゆく。
ところでこのような識と精血あるいは羯羅藍との生理的・有機的結合関係を表わすために、やはり前述した「安危同一」という概念が導入されている。
たとえば『摂大乗論』の「母胎中に於て識と羯羅藍とが和合する」にみられる「和合」(brgyal)を、世親は「和合とは意識と赤白とが相互に安危同一となる」と釈す。
無性も同様に注釈している。
以上考察してきた受胎の説明には、ほとんど種子が関与していない。
後に業種子と名言種子とが区別され、未来世における自己のあり方を決定するのが業種子、現在世の諸現象を形成するのが名言種子であると考えられるようになった。
91.
ユーザー
xRDFt
輪廻の語が適切かどうかはさておき、阿頼耶識縁起はその説明に相性が良いんだよなw
92.
ユーザー
xRDFt
分かりやすくて良いよな、横山先生の本は。
93.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
rXnLt
まあ、そうムキになるな😅
94.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
rXnLt
頑張るのは結構なことだが😅
95.
ユーザー
KRIwc
色んことがゆわれてるけどオレ自身はなんもわからんw
96.
ユーザー
pYfig
それにしても馬鹿も大概にしてもらいたいものだな。

仏教では「自分」などという実体はない。
無(非)我論だからな。

勿論それは刹那生滅する五蘊の相続体として認識される経験体まで否定するものではないけど。
97.
ユーザー
pYfig

> 輪廻転生する「自分」を、阿頼耶識がずっと支えている
> この自分が死んでも、阿頼耶識が過去のデータを元に、次の自分をただちに自動生成する
> 阿頼耶識には、影のようにくっついて続いている「末那識」ってものがあって、これが「俺は、俺だ」という自分感覚を演出する
> なので結局、「次の自分」も、やっぱり自分


まぁ、個人の勝手な想像であり、伝統的な仏教の説示とは全く異なるもの。

こういうのとはつくづく関わらない様にしたい。

98.
ユーザー
pYfig
10点満点2点だという評価が出た。
99.
ユーザー
pYfig
> 輪廻転生する「自分」を、

輪廻転生する自分というのは仏教では否定される。


> この自分が死んでも、阿頼耶識が過去のデータを元に、次の自分をただちに自動生成する

阿頼耶識は単純な捨受のみで意思的な生成作用はしない。


> 阿頼耶識には、影のようにくっついて続いている「末那識」ってものがあって、

末那識は阿頼耶識の様な一類相続体ではない。


> なので結局、「次の自分」も、やっぱり自分

仏教は五蘊無我。
何処に以前の自分が再生されるのであろうか。
100.
ユーザー
pYfig
阿頼耶識縁起ではないな。
ブラフマニズムだな、それは。
101.
ユーザー
pYfig
間違いは指摘するけど、馬鹿の相手はしたくない、関わりたくない。
102.
ユーザー
pYfig
輪廻という言葉の適切性は置いといて、業論なんだよな。
基体を設定しない業論。
そしてその形成力。
103.
ユーザー
Lh7O3
業報輪廻因果応報
104.
ユーザー
by9Gv
テスト
105.
ユーザー
WKpsu
努力が無駄になることはない
106.
ユーザー
98UyA
メモ

無我の立場における輪廻という不可解の解釈」
107.
ユーザー
WKpsu
生きてる時も無我のはずなのにw
108.
ユーザー
8VJ5A
仏教の基本的視座は、"迷える者には輪廻があり、迷いを離れた者には輪廻はない"ですからね。
それはつまり、無我の立場においては輪廻はなく、無我の真理が体現されれば輪廻は消失するって事に他ならないって思うんです。
云い換えると、勝義の無我と世俗の輪廻とが共存するというのは、無我輪廻というのは自語相違だって思うんです。
109.
ユーザー
Uglwh
例えば、ある領域にはリンゴが存在し、別の領域には存在しないとする。
このとき「リンゴは存在するのかしないのか」と一概に問うことは、条件(前提)によって結論が異なる以上、総じて論じること自体が不可能なはず。

輪廻の有無も同様に、「有る」とする世界観(世俗諦)と「無し」とする世界観(勝義諦)の双方が前提として並立している以上、「輪廻は有るか無しか」という単一の解を求める議論そのものが成り立たない。
すなわち、これこそがまさに「無記」ということなのではなかろうか?
110.
ユーザー
Uglwh
ひいては「無我輪廻」などというのは、「なくてある」という矛盾に他ならないって事になるなw
111.
ユーザー
d0CJh
仏教は単なる気休め
112.
ユーザー
19Uue
ある
ない
あってない
あるもないもない
113.
ユーザー
d0CJh
仏教は単なる言葉遊び。現代人はみんな、知っている
114.
ユーザー
nUyiH
ここが「馬鹿乃園=栖雲居士」の逃亡先か?
115.
ユーザー
h8l6S
そうです
116.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-pmi-XU-95Q
LJ8sN
その通り
117.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
イスラム教では、輪廻転生を否定している
118.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
「輪廻転生は誤り」と、コーランに明記されている
119.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
仏教は、輪廻転生を否定していない
120.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
どちらが正しいかは

死ねば分かることだ(笑)
121.
ユーザー
19Uue
何にもなかったら、わからんぞw
122.
ユーザー
h8l6S
あなたの知らない死後の世界。
123.
ユーザー
ZDSJi
>>117
ユダヤ教やキリスト教では?
124.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>123

ユダヤ教は、輪廻転生や死後世界にほとんど関心がない

珍しい宗教
125.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
キリスト教は、聖書にこそ書かれてないが

公式見解として否定されている

聖書は、輪廻転生を否定するしないというより、そこに関心がない
126.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
ただし、キリスト教やイスラム教は、死後世界を認めている

とくに、イスラム教は強く推す

「よいな。天国と地獄はある。死後の審判は必ず下る。これを疑ってはならない」という調子で、コーランでも積極的に説かれている
127.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
ユダヤ教には、それがない

西洋で「死後世界はない」という思想を弘めたのは、ユダヤ人
128.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
・・・というのが、長年の持論なんだけど
129.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
ちと、AIの意見も聞いてみるか
130.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
プロンプト:

輪廻転生についての小考察
https://talk.jp/boards/psy/1790741856

このスレを見て、124以降の当方のコメントを論評してもらいたい

131.
ユーザー
ZDSJi
>>127
なんちゃって?

https://europa-japan.com/category7/category663/entry3861.html
メシアと復活
ユダヤ教では、未来にメシアが現れ、死者が復活するという信仰があります。
メシアは、ユダヤ人にとっての救世主とされ、その来臨によって、
死者は肉体と魂が再び結びつき、生き返るとされています。
132.
ユーザー
ZDSJi
JBL氏に近い説

https://note.com/yokofree/n/n5b87044e2128
死後の世界についての立場
ユダヤ教には「魂の不滅」や「来世」についての考え方があるが、
キリスト教やイスラム教のように明確に体系化されてはいない。
タルムードやミドラーシュなどの文献には、「死後、魂は神のもとに戻る」
「メシアの到来とともに死者が復活する」といった言及があるが、
それらは信仰の中心ではない。
むしろ「いま、目の前の人生をどう生きるか」が最も大切にされている。
133.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
チャットGPT:

スレを確認した。

今回の124以降は、仏教の輪廻転生論から、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の死後観へと話題が移っているね。

まず、今回のコメント群を論評するうえで重要なのは、
「輪廻転生を認めるか」と「死後の世界を認めるか」
は別の問題だという点だと思う。

この区別を軸に、124~127の発言を個別に検討してみよう。
134.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
1. 124「ユダヤ教は、輪廻転生や死後世界にほとんど関心がない」

この発言は、ユダヤ教の歴史的特徴を捉えている。
ただし、「死後世界にほとんど関心がない」は、やや言い過ぎだね。

ユダヤ教では、聖書の初期の部分に死後の世界についての明確な体系が少ない一方、後代になると、死者の復活、来世、魂の不死などが重要な論点になっていく。

例えば、ユダヤ教には次のような観念がある。

シェオル:旧約聖書に登場する死者の世界。
オーラーム・ハバー:来るべき世界、来世。
死者の復活:終末に死者が復活するという信仰。
輪廻転生:後代のユダヤ神秘主義、特にカバラなどに見られる観念。

したがって、より正確には、
「ユダヤ教は、仏教やインド諸宗教に比べると、輪廻転生を中心教義として発展させてこなかった。また、聖書の初期の部分では死後の世界についての関心や記述が比較的薄い」
という表現になるだろう。

ここで大事なのは、輪廻転生を重視しないことと、死後の世界を認めないことは違うという点だ。
135.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
2. 125「キリスト教は、聖書にこそ書かれてないが、公式見解として否定されている」

これは、結論と根拠を分けて考える必要がある。

キリスト教の主流派が輪廻転生を教義として認めていない、という結論はおおむね正しい。

ただし、「聖書にこそ書かれてない」という説明は少し不正確だ。

新約聖書には、輪廻転生をそのまま体系的に説く教えはない。しかし、死者の復活や最後の審判については明確に語られている。
つまり、キリスト教は死後について無関心なのではなく、輪廻転生ではなく、復活と終末的な審判を中心に死後の問題を理解してきたわけだ。
また、「公式見解」といっても、キリスト教にはカトリック、正教会、プロテスタント諸派などがあるので、どの教派の教義を指すのかを明示したほうが厳密になる。

あなたの発言は、結論そのものよりも、聖書の記述と後代の教義形成との関係をもう少し整理すると、説得力が増すと思う。
136.
ユーザー
ZDSJi
まとめると

https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison

宗教学では、死後の世界観は大きく「他界派(別の世界へ移行)」と
「転生派(再生・輪廻)」に分かれます。

前者は死後に魂や人格が現世とは異なる領域へ移る発想で、
後者は生と死の循環の中で別の生を受ける発想です。

違いは単なる表現の差ではなく、救済を「到達」と見るか、
「循環からの離脱」と見るかという世界理解そのものに直結します。
137.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
3. 126「キリスト教やイスラム教は、死後世界を認めている。

とくに、イスラム教は強く推す」
これは、今回のコメントの中でも重要な指摘だと思う。

イスラム教では、死者の復活、最後の審判、天国と地獄が信仰の重要な構成要素になっている。死後の世界は、単なる付随的な話題ではない。
キリスト教も同様に、死後の復活や最後の審判を重視する。
138.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
この点から見ると、三つの宗教の違いは、次のように整理できる。

宗教 死後についての基本的な枠組み

ユダヤ教 来世・死者の復活など。歴史的に多様で、聖書の初期には記述が比較的少ない

キリスト教 死者の復活、最後の審判、永遠の生命

イスラム教 死者の復活、最後の審判、天国と地獄

もちろん、これは各宗教内部の多様性を省略した概略だ。

ただし、あなたの発言にある「イスラム教は強く推す」という言い方は、掲示板の雑談としては分かりやすいけれど、学術的な説明なら「死後の審判と来世の報いを、信仰の中心的な教義として強調する」と表現するほうが正確だろう。
139.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
4. 127「西洋で『死後世界はない』という思想を弘めたのは、ユダヤ人」

ここは、今回のコメント群の中で最も修正が必要な部分だと思う。

というのも、ユダヤ教の歴史と、西洋における死後世界否定論の歴史とが、少し混線しているからだ。
ユダヤ教の聖書には、死後の状態について明確な体系が少ない時期があった。
だが、そこから「ユダヤ人が西洋に死後世界否定論を広めた」と結論することはできない。

実際、後代のユダヤ教では、死者の復活や来世が重要な教義として発展した。

また、西洋の死後世界否定論や唯物論の歴史には、古代ギリシャの哲学、近世以降の科学・哲学、啓蒙思想など、さまざまな流れがある。
したがって、「ユダヤ人が広めた」と一般化するには、具体的な思想家、著作、伝播経路などの歴史的な根拠が必要だ。

ここは、例えば次のように言い換えると、あなたの問題意識を保ちながら、歴史的にも堅実な主張になる。
ユダヤ教の聖書は、後代のキリスト教やイスラム教に比べると、死後の世界についての記述が限定的だった。そのため、死後世界をめぐる西洋の思想史を考える際には、ユダヤ教における死後観の歴史的変遷も検討する必要がある。

この程度なら、無理な因果関係を持ち込まずに済む。
140.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
総評――今回のコメント群の評価

今回の発言は、宗教比較の大枠としてはよく整理されている。

とりわけ、輪廻転生と死後世界を区別し、
仏教・キリスト教・イスラム教の死後観を比較しようとしている点はよい。

ただし、124~126と127では、論証の強さに差がある。

124:大筋では妥当。ただし、ユダヤ教の後代の来世観を考慮する必要がある。
125:結論はおおむね正しいが、聖書の記述と教派の公式教義を区別したい。
126:概略として妥当。イスラム教の死後の審判と来世の報いへの強調を捉えている。
127:歴史的な因果関係の裏付けが不足しており、最も修正が必要。
141.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>136

なるほど
142.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
輪廻転生は、インド人の専売特許ではない

古代ギリシャのピタゴラスなんかが重要だ
143.
ユーザー
ZDSJi
キリスト教の特徴は、「二段階裁き」の構造

https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison

死後直後には魂のみが天国か地獄に入り、世界終末に肉体が復活して最後の審判を受ける、
という「二段階裁き」の構造も重要です。

第一段階では個々の魂の帰属が決まり、第二段階で身体を伴う完全な審判が行われるため、
死んだ直後の状態と最終的な完成形が分かれます。

『キリスト教』では人間が霊魂だけの存在ではなく、身体の復活を含めて救済されると考えるため、
この二重構造が生まれました。

短く言えば、死は終点ではなく、最終判断への入口です。
144.
ユーザー
Le514
>>140
チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。
145.
ユーザー
19Uue
黄泉比良坂
146.
ユーザー
ZDSJi
キリスト教の救済システムは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で
確立されたモノであり、ワシにとっては難解である。

https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
この枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で
輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。

キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、
死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。

だからこそ、オリゲネスの霊魂先在説のような発想は警戒され、
死後は「別の生へ移る」のではなく「裁きの秩序に入る」と整理されます。

東方正教会を含めて見ると、ここには『転生』ではなく
『復活』を中核に据えるキリスト教の自己理解がよく表れています。
147.
ユーザー
ZDSJi
>>120
どちらが正しいかは

死ねば分かることだ(笑)
148.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>144

> チャッピーに尋ねる辺り、よほど己の宗教的信念に自信が無かった様だな。


ていうか

今みたいなAIなんか、想像もできなかった頃から

ずっと唱えてる持論なので

この際、いっぺん論評してもらおうかと
149.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>146

誰にとっても難解だ

これというのも、聖書にハッキリ書かれてないのが原因
150.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
このため、イスラム教では

この欠点を修正した

天国と地獄、死後の審判を積極的に認めることにより

論争が起きるのを未然に防いだ
151.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
三位一体とか、最後の審判と復活とか

意味不明だったキリスト教の教義が、スッキリとまとまった😄
152.
ユーザー
19Uue
なんにもなかったらわからんやんw
153.
ユーザー
ZDSJi
>>150
>>論争が起きるのを未然に防いだ

キリスト教とイスラム教は、

論争よりも戦争で

争うことを選んだ
154.
ユーザー
ZDSJi
>>149
強いて言えば、
キリスト教も「アートマンを否定した」のかな?

終末には、宇宙が潰れて「真空状態」になり
皆、救われる(エロ和尚狂)

https://religionatlas.com/basics/afterlife-comparison
この枠組みは、553年の『第五コンスタンティノープル公会議』で
輪廻転生的思想が異端として否定された歴史ともつながります。

キリスト教は、同じ人格が生死をくり返す循環よりも、
死後に一度裁かれ、終末に完成へ向かう直線的な救済史を選びました。
155.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>154

いや、キリスト教は「霊魂」を明確に認める宗教

その点では、仏教はもちろん、ヒンドゥー教よりもハッキリしている
156.
ユーザー
ZDSJi
>>155
そうじゃな。

死んでから終末までが

べらぼうに長い待ち時間がある。

オナニーに専念して、時間つぶしするのかな?
157.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-XU-95Q
XBX7C
>>156

無理だ

墓のなかで眠っている
158.
ユーザー
h8l6S
キリスト教の霊魂は一般的なフワフワ浮いてる霊魂とは同じではなく
霊魂があるというより復活と永遠の命に重きを置いてます
159.
ユーザー
IYD9p
某Yahoo知恵袋wでは、輪廻の有無を巡って侃侃諤諤なんだけどな。

輪廻はあるのかないのかについて、ナイアルアルナイヒョンゲー!してるw

でも、この頃少しは方向性が見えてきたのかもしれない。
160.
ユーザー
IYD9p
輪廻からの解脱とは、輪廻という無明からの解脱であり、無明とは智慧の欠如だから、掛かる意味於いて輪廻には実体はないと思うけどな。

あるとは云わないし、ないとも云わない。
迷える者にはあるし、悟れる者にはない。

禅宗は即今当所の自己を問題にするから、掛かる意味に於いて、輪廻を問題としないとも云えるだろうな。
161.
ユーザー
IYD9p
まぁ、禅者が輪廻はないという時、それは相対二元の有無の無ではないって事になるんだけど、こういうのは一般の人には、その主旨は到底理解出来るものではないな。

「秋月や南は、輪廻なんて無いって言ってるんだじょー!」とか噴飯なんだけど、理解出来ない奴には勝手に云わせておけってなるのもこれまた禅者の「来る者は拒まず、去る者は追わず」なスタイルだし、大応国師みたいに「聞いてこない者には説示しない」だからなあw

俺は語り過ぎるwww
162.
ユーザー
IYD9p
大応国師というと「幽転」の話が喧しけど、此処ではよしておこう。
163.
ユーザー
K8uNY
春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しがりけりー
164.
ユーザー
pyTGL
キリスト教における輪廻転生思想
-実存論的神学の立場から
林 昌子
人体科学
2019年 28 巻 1 号 22-30
発行日: 2019/07/15
公開日: 2019/12/25
DOI
https://doi.org/10.20788/jmbs.28.1_22
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165.
ユーザー
pyTGL
イスラームと輪廻転生観
タナースフ及びタカンムスに見られる輪廻転生
宇野 昌樹
オリエント
1995年 38 巻 2 号 88-102
発行日: 1995年
公開日: 2010/03/12
DOI
https://doi.org/10.5356/jorient.38.2_88
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166.
ユーザー
GCpCC
魂が輪廻するでスッキリハッキリw
167.
ユーザー
qAHXL
メモ

長文になりますが失礼いたします。

輪廻の有無について、非常に熱い議論が交わされていますね。

管見ですが、例えば「ある領域にはリンゴが存在し、別の領域には存在しない」とします。
このとき「リンゴは存在するのかしないのか」と一概に問うことは、条件(前提)によって結論が異なる以上、全体を一括して論じること自体が不可能だと思います。

輪廻の有無も同様で、「迷える者には輪廻があり、迷いを離れた者には輪廻はない」のであり、前提条件によって結論が異なります。
つまり、「有る」とする世界観(世俗諦)と「無し」とする世界観(勝義諦)の双方が前提として並立している以上、「輪廻は有るか無しか」という単一の解を求める議論そのものが成り立たないのではないでしょうか。
これこそが、まさに十無記で示された「無記」の意図するところではないかと思います。

私は、輪廻からの解脱とは「輪廻という無明からの解脱」であり、無明とは「智慧の欠如」であるため、そのような意味において輪廻に固定的な実体はないと考えます。
それゆえに、
 あるとは言わないし、ないとも言わない。
 迷える者にはあるし、悟れる者にはない」
としか表現しようがありません。

いずれにせよ人は、現前に展開する現象に対して疑義が生じた時、それに対して納得のゆく説明(分かりたいという欲求)を求めます。

仏教の「二諦論」における世俗諦とは、まさにその「納得のゆく説明」であり、勝義諦とは言語によって分節されない「分からない(言葉を超えた)」ものでしょう。
「分かる」とは「分ける(言語による分節)」ことであり、現象を言葉で説明することであって、現象そのものではありません。
現象そのものは分けられていない以上、本来は言葉で割り切れないもの(離言真如)なのだと思います。

ましてや、現前に直接展開しているわけではない「輪廻」という概念について、人々の仏道成就に資する「方便」という範囲を超えて、その有無を実体化して論じること自体に疑問を覚える次第です。

不束ながら、現在の不毛な二項対立に陥っている輪廻の議論に対して、一段高い視座(メタ視点)を提供する機会になればとレスをさせていただきます。

長文のご拝読ありがとうございました。
168.
ユーザー
qAHXL
> 魂が輪廻するでスッキリハッキリw

まあ、分かり易いですよね。
169.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
LJXjx
こんな、ややこしい屁理屈をこねるのは

禅宗だけの傾向😅

他の宗派はこうではない
170.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-4O-95Q
LJXjx
これは、禅宗という宗派内部の論争

仏教界全般の問題ではない
171.
ユーザー
i3wL3
仏教は哲学
172.
ユーザー
u76yK
輪廻とは「生と死の繰り返し」をいうというのが一般的だけど、禅宗では「生死(しょうじ)」という。
分けない、「と」が入らない。

龍樹は輪廻と菩提は同じと説示した。
まぁ、空性においてその本質は変わらないという事なのだろう、。
173.
ユーザー
K8uNY
生と死でなく生死ひとつの蒼空深きこと