ボブシェキ中尾眞一ウザいIDなし最終更新 2026/09/12 15:361.夢見る名無しさんしね陰キャラニート2026/03/03 08:53:56183コメント欄へ移動すべて|最新の50件134.夢見る名無しさんヨハンナ (乱暴に)レーニなら、私が引き受けるわ。射たせなければならないとしたら、私が真っ先に射つわ。フランツ レーニの話は別にしよう。僕たちは、今、二人きりで顔をつき合わせている。何が起こるだろう?ヨハンナ (同じ熱心さで)何も起こらない、何も変わらないわ。私たちは……フランツ 君が僕を破壊することになるだろうよ。ヨハンナ (調子を変えず)そんなこと決してないわ。フランツ 君は、ゆっくり、確実に、僕を破壊していくのだ。君がいるというただそれだけのことで。既に僕の狂気がいためられている。ヨハンナ、狂気は僕の隠れ家だったが、明るみに出た僕の狂気はどうなるのだろうか?ヨハンナ (同じ調子で)あなたは癒えるわよ。フランツ (短い叫び)へえ。(間。冷たい笑い)僕は垂れ流しの老いぼれになるのさ。ヨハンナ 私は決してあなたに酷いことなんかしないわ。あなたを癒そうとも思わないわ。あなたの狂気。それは私の檻なの。その中を私はぐるぐる回っているんだわ。フランツ (苦く寂しい愛情を込めて)可愛いリス。君はぐるぐる回っているんだね? リスは素晴らしい歯の持ち主だ。君は格子をかじるだろう。ヨハンナ それは嘘。私は格子をかじりたいとさえ思わないわ。あなたの、ありったけの気まぐれに従っているのよ。フランツ それはそうさ。だが、あまり見え透いているよ。君の嘘はとりもなおさず告白だ。ヨハンナ (引きつって)あなたには決して嘘を吐かないわ。フランツ 君は、それ一本槍だ。寛大に、忠実に。まるで真面目な兵卒みたいだね。ただ、君は嘘がまずすぎるよ。巧く嘘を吐くには、自分が嘘でなければならない。僕の場合がそれさ。 君という女は真実なのだ。君を見ると、真実は存在しているが、僕の側にはないことを認識するね。(笑う)僕ならば、もしデュッセルドルフに孤児がいるとすれば、孤児たちはうずらみたいに丸々太っていると断言するね。ヨハンナ (機械的で依怙地な声で)あの子たちは死んだわ。ドイツは死んだのよ。2026/09/08 19:05:02135.夢見る名無しさんフランツ (乱暴に)黙りなさい。(間)ねえ、君は今でも最悪の道を知っているね? 君は僕の目を閉じようと夢中になって、かえって、僕の目を開けさせるのだ。 しかし、毎度君の裏をかく僕は、君の共犯者をつとめている。というのは……というのは、僕が君に惹かれているからさ。ヨハンナ (幾分我に返って)それでは、お互いに、自分が望むのと反対のことをしているというわけね?フランツ 全く、その通りだよ。ヨハンナ (横柄なごつごつした口調で)それで? 出口は一体どうなの?フランツ お互いにやるべきことを望むということさ。ヨハンナ 私は、あなたを破壊することを望まなければならないの?フランツ 僕たちはお互いに、相手が真実を望むように助け合わなければならないのだ。ヨハンナ (調子を崩さずに)あなたは決して真実を望みはしないわ。骨まで誤魔化されているのよ。フランツ (素っ気無く冷ややかに)ねえ、君、僕はどうしても自分の身を守らなければならなかったのだ。(間、いっそう熱を帯びて)僕は即座に世迷言を捨てるだろう……ただし……ただし……(躊躇する)ヨハンナ ただし?フランツ 僕が自分の嘘以上に君を愛し、僕の真実に懲りずに君が僕を愛するとすればだよ。ヨハンナ (皮肉に)あなたに真実があるの? どんな真実? あなたが蟹たちに話すあれなの?2026/09/08 19:07:22136.夢見る名無しさんフランツ (ヨハンナの方に飛び掛って)どの蟹だ? 君は気でも狂ったのかい? どんな蟹だ? (間。くるりと向きを変える)あ、そう、そうだとも……(一気に、突然)蟹は人間だ。 (間)何? (腰を下ろす)蟹を探して、どこへ行ったかって? (間)昔は……知っていたのだが……そう、そう、そうだ。しかし、僕には気がかりになることが山ほどある。 (間。きっぱりした口調で)本当の、善良で立派な人間は、積み重なった世紀のあらゆるバルコニーにいるのだ。 法廷を這いずり回っていた僕には、彼らの声が聞こえるような気がした。「兄弟よ、あれは何だ?」あれというのは、僕のことだった…… (立ち上がる。軍隊式敬礼。不動の姿勢、強い声で)僕は蟹だ。(ヨハンナの方を振り向き、親しげに話しかける)ところで、僕は、否、と言った。 人間は、僕の時代を裁きはしないだろう。彼らは、結局、どうなるのだろうか? 僕らの子供のそのまた子供たちは? 祖父さんを断罪することが、子供たちに許されるんだろうか? 僕は状況を逆転した。僕は叫んだ。「ここにいるのは人間だ。俺がなくなった後は大洪水で、その大洪水の後には、蟹が、君たちが残るのだ」と。 全員が覆面をとった。バルコニーには節足動物がうようよしていた。(厳粛に)君は人間が悪足類に属することを知らないわけではない。 僕は、人類の死骸を甲殻類の法廷に引き渡して、とことんまで推し進めた。(間。彼はゆっくり横に歩く)よし。だが甲殻類というのは人間らしい。 (取り乱した様子で静かに笑う。ヒトラーの肖像の方に後ずさりする)ほら、やはり人間なんだよ。 (急にかっとなって)ヨハンナ、僕は彼らの裁判権を忌避して、この訴訟を彼らの手から取り上げ、君に任せる。僕を裁いてくれたまえ。ヨハンナ (驚きよりは諦めの方が強く)あなたを裁くの?2026/09/08 19:09:49137.夢見る名無しさんフランツ (怒鳴って)きみはつんぼかい? (荒々しさが不安な驚きに変わる)何だって? (我に返る。素っ気無く、むしろきざだが不吉な笑い)僕を裁くのだ。間違いなく裁くのだ。ヨハンナ 昨日はまだ、あなたは証人だった。人間の証人だったわ。フランツ 昨日は昨日だ。(額に手をやる)人間の証人……(笑って)それは誰だと思うかね? ねえ、奥さん、それは人間でございますよ。そんなことは子供にだって察しがつく。 被告が自分のために証言するのだ。僕は悪循環が存在するのを認める。(暗い傲慢さで)ヨハンナ、僕は人間だ、全人類だ、人間の全てだ。 (唐突な滑稽な卑屈さ)誰彼と同じようにこの世紀なのだ。ヨハンナ それならば、私は誰か他の人の裁判をやるわ。フランツ 誰の?ヨハンナ 誰でもいいのよ。フランツ 被告は模範的な態度をとるという約束をしている。僕は被告に有利な証言をするべきだったが、お望みなら、自分を告発してもいいのだ。 (間)もちろん、君は自由だ。しかし、僕を理解しないで、知ることを恐がって、僕を捨てるならば、よかれ悪かれ判決を下したことになるのだ。決心しなさい。 (課。彼は天井を指す)僕は頭の中をかすめることなどを彼らに話しているけれど、全然反応がないのだ。 冗談や笑い話もしてやっているが、それについては、果たして彼らが早飲み込みをしているのか、 それとも僕に敵意をもって意見発表を差し控えているのか、もっと考えなくてはならない。 僕の罪の上には沈黙のピラミッドが、口を閉ざしている千年の時間がある。こいつは全くやりきれない。 ひょっとして、彼らは僕を知らないのだろうか? 僕を忘れていたら? 裁判所がなかったら、この僕はどうなるだろう? 何という侮辱だ。 「お前はしたいことをするがいい。世間はそんなことに構っていられない」なんて。 それでは? 僕が勘定にも入らないっていうのか? 罰されない生命は、大地に飲み込まれるのだ?2026/09/08 19:13:02138.夢見る名無しさん それは、旧約聖書だった。今度は新約だ。君は未来と現在になる。世界と僕自身とになるのだ。君の他には何もない。君が、数々の世紀を忘れさせてくれて、僕は生きるだろう。 君は僕の話に耳を傾け、僕が不意に君の目を見て、君が答えてくれるのを聞くだろう。いつか、おそらくは何年かの後、君は僕の無罪を認め、僕は君の判決を知るだろう。 こんなにめでたい話があるだろうか? 君は僕の全てになり、全てが僕の無罪を宣告してくれるのだ。(間)ヨハンナ! そんなことがあるだろうか?(間)ヨハンナ あるわ。フランツ 僕は、まだ愛されるだろうか?ヨハンナ (寂しいけれども深い誠実味のこもった微笑)残念ながら。(フランツ、立ち上がる。彼は開放されたような、ほとんど幸福な様子。ヨハンナの方に進み、彼女を腕に抱える)フランツ もう決して一人にはならないぞ……(ヨハンナに接吻しようとしてから、急に彼女を押しやり、偏執的で冷酷な態度に変える。 ヨハンナは彼を見つめ、相手が本来の孤独に舞い戻ったことを汲み取って、固くなる。陰険だが、それも自分だけを目当てにした皮肉を込めて) ヨハンナ、許してくれ、僕が自分で選んだ審判者を堕落させるには、ちょっと早すぎる。ヨハンナ 私はあなたの審判者じゃないわ。愛する人を裁くなんて、できないことよ?フランツ だが、僕を愛さなくなったら? いよいよ判決ということではないだろうか? 最後の審判ではないだろうか?ヨハンナ どうして私にそんなことが出来るの?フランツ 僕の正体を知ったからね。ヨハンナ もう知っているわ。2026/09/08 19:15:24139.夢見る名無しさんフランツ (楽しそうに、手をすり合わせて)いや、全然、知らないよ。(間。すっかり狂ったように見える)やがて、いつか、毎日と変わらない日がやって来る。 僕は自分のことを話し、君がそれを聞き、突然愛が崩れ落ちる。君は僕に恐怖の眼差しを向け、僕は感じるのだ。自分が、またもとの…… (四足になって横に這う)……蟹になることを。ヨハンナ (フランツに恐怖の眼差しを向けて)やめて。フランツ (四つん這いのまま)君はそういう目つきをするのだ。まさにその目つきだ。(ぱっと立ち上がる)どうだね、僕は有罪だろう。救いのない罪人なんだ。 (儀式ばってはいるが楽天的な声に変わる)もちろん、同じように、無罪放免の対象になる可能性もあるがね。ヨハンナ (蔑むような緊張した態度)無罪を願っているのかどうか、はっきりしないわ。フランツ もう審判は切り上げたいのだ。どっちに転ぶにしても。(間)ヨハンナ ブラヴォー。あなたは勝ったわ。私が行ってしまえば、あなたを断罪することになるし、このまま残れば、私たちの二人の間に、あなたが不信を育てることになるのよ。 その不信は、もうあなたの目の中に光っているわ。さあ、予定通りに運びましょう。二人で、一緒に堕落するために、夜を明かしましょう。手抜かりがないように、お互いを堕落させましょう。 私たちの愛を責め道具にしましょうよ。ね、飲みましょう。あなたはまだシャンパーニュを飲むのよ。私はウィスキーだったわ。 持って来るわね。めいめい自分の瓶を持って、相手の前で、しかも一人で飲むのよ。(暗い微笑)私たちが何になるかご存じ、人間の証人さん。ありきたりの男女よ。 (彼女は自分のグラスにシャンパーニュを注いで、グラスを上げる)二人のために! (一気に飲み干して、グラスをヒトラーの肖像に投げつける。グラスは肖像に当たって砕ける。ヨハンナは壊れた家具の山から肘掛け椅子をとって来て、その椅子を起こして座る)さあ、どうなさるの?2026/09/08 19:18:13140.夢見る名無しさんフランツ (唖然として)ヨハンナ……あの……ヨハンナ 私が聞いているんだわ。どうするの? 言いたいことって、何なの?フランツ 君には、僕が言うことが分からなかったのだ。もし、僕たち二人だけだったら、誓ってもいいが……ヨハンナ 他に何があるの?フランツ (苦しそうに)妹のレーニがいるのだ。僕が喋る決心をするのは、二人があの女から逃れるためなのだ。僕は、言うべきことを……言うだろう。逃げずにね。だが、僕なりに、じわりじわりと話すのさ。 それには、何ヶ月も何年もかかるのだ。そんなことはどうでもいいさ。僕は、君の信頼しか求めないし、もう僕しか信じないと約束してくれたら、君は僕の信頼を得ることができるのだ。ヨハンナ (長々と彼を見つめる。前よりも優しくなって)いいわ、私はあなたしか信じなくてよ。フランツ (少々もったいぶっているが、真面目に)君がこの約束を守る限り、レーニは僕たちに何もできないのだ。(椅子に座る)僕は恐かった。君が僕の腕の中にいた。僕は君がほしかった。僕は、その時、まさに生きようとしていた…… だが、急に、妹の姿が頭に浮かんで、彼女が二人の仲をぶち壊すだろう、と思った。(ポケットから一枚のハンカチーフを取り出して、額の汗を拭き取る)やれやれ。 (優しい声で)今は夏だね。暑いに違いない。(間、空を見つめて)あの人が僕を素敵な機械にしてしまったことを知っているかい?ヨハンナ お父様が?フランツ (同じ調子で)うん。ブレーキなんだ。(くすくす笑い。間)また夏が来た。だが、機械はまだ回転している。相変わらず空転しているのさ。 (立ち上がる)僕の過去を話してあげよう。だが、とんでもない悪辣な行為を予想してはいけないよ。いや、そんなものはありさえしないのだ。僕が自分に責めているのは何か知っているかい? 何もしなかったことさ。(ゆっくり照明が弱まる)何も、何も、決してしなかったのだ。2026/09/08 19:20:25141.夢見る名無しさん第三景 フランツ、ヨハンナ、女女の声 (優しく)兵隊さん。ヨハンナ (女の声を聞かずに)戦争に行ったのね?フランツ 当たり前さ。(舞台が暗くなり始める)女の声 (一段と強く)兵隊さん。フランツ (舞台の前面に立つ彼だけが見える。椅子に座っているヨハンナは闇に包まれている)人間が戦争を作るのではない。戦争が人間を作るのだ。戦闘を交えている間僕は適当にふざけていた、 僕は軍服を着た一般市民だったのだ。ある晩、僕は永遠に軍人になった。(後ろのテーブルの上から将校用の帽子をとって、いきなりかぶる)僕は、乞食同様の敗残者、無力な人間だった。 ロシアから帰る途中だったが、身分を隠してドイツを横切るうちに、廃墟になったある村に入った。女 (依然として姿は見えない、さらに強い声で)兵隊さん。フランツ 何だ? (急に後ろを向く。左手に懐中電灯を握り、右手でケースからピストルを抜き取り、引き金に指をかける。懐中電灯はつけていない)誰だ、俺を呼んでいるのは?女 よく探してごらん。フランツ お前たちは何人だ?女 お前さんが立っている所には、もう一人もいない。地べたには私がいるのさ。 (フランツは不意に懐中電灯で、地面を照らす。一人の黒衣の女が床板の上に半ば横たわり、壁にもたれている)目がくらむじゃないか。それを消しとくれ。 (フランツ、電灯を消す。二人を包み、客席から二人を見えるようにしているぼーっとした光だけが残る) あっはっは。射ちな、さあ、射ちなよ、ドイツ女を一人殺して、それでお前の戦争は終わりにするんだ。(フランツは、その気もないのに銃口を女に向けていたことに気付く。愕然としてピストルをポケットにおさめる)フランツ そこで何をしているのだ?女 ごらんの通り、壁の根元にいるのさ。(昂然と)これは私の壁だ。村中で一番頑丈な壁だ。たった一つ残った壁だよ。フランツ 一緒に来い。2026/09/08 21:49:19142.夢見る名無しさん女 灯火をつけな。(フランツ、懐中電灯をつける。光束が地面を照らす。光は闇の中から、頭の先から足の先まですっぽりと女を包んでいる毛布を照らし出す)ごらんよ。 (毛布を少し持ち上げる。フランツは女が見せようとするものに光を当てるが、それが何かは客席からは見えない。彼はついで呻き声を上げ、急に電灯を消す)そうだ、これも昔は私の脚だったのさ。フランツ 何かお前にしてやれることがあるだろうか?女 ちょっとお座りよ。(フランツは彼女のそばに腰を下ろす)私は、この壁の根元に、一人のドイツ兵を座らせてやった。(間)とりたてて、どうしろとも言わずにね。(間)その兵隊が弟ならばいいと思ったが、弟は戦死したんだよ。 ノルマンディーでね。仕方がないさ。お前で間に合うよ。弟の奴に言ってやりたかったな。「見ろ! (村の廃墟を指して)これはお前の仕業だぞ」とね。フランツ お前の弟の仕業だって?女 (じかにフランツに向かって)それからお前の仕業だ。フランツ なぜだ。女 (分かりきっていると言わんばかりに)お前はただ負かされるままになっていた。フランツ 馬鹿なことを言うな。(不意に立ち上がって女と向き合う。それまで見えなかった貼り紙に、彼の視線がぶつかる。 貼り紙は投光器で照らされている。貼り紙は女の右側、地上百七十五センチメートルの高さの壁に貼ってある。「罪人はお前たちだ!」) まだあるんだな。してみりうと、奴らはところかまわずに貼りめぐらしているのだ。(ビラを剥がしに行く)女 (顔をのけぞらせて、フランツを見つめながら)よしなよ。ほっときなというのに。これは私たちの壁だよ。 (フランツ離れる)罪人はお前たちさ。(ポスターの文字を読み、フランツを指して)お前、弟、お前たちみんなだ。フランツ お前、奴らと同意見なんだな?2026/09/08 21:51:34143.夢見る名無しさん女 夜と昼のようにさ。奴らは、私たちは食人種だなんて神様に告げ口する。そうすると神様は奴らのいうことを聞くわけだ。 だって、奴らは勝ったからさ。それでも、あたしはね、本当の食人種は勝った奴だという考えを捨てないよ。 兵隊さん、正直に言いな。お前は人間を食おうとは思わなかった、とな。フランツ (うるさそうに)俺たちは破壊した。破壊したのだ。町も、村も、数々の首都も。女 奴らが、お前たちを負かしたとすれば、お前たち以上にぶち壊したからさ。(フランツは肩をすくめる)お前は人間を食ったかい?フランツ で、そっちの弟は? 弟は人間を食ったのか?女 滅相もない。弟はきちんと礼儀を守っていたよ。お前さんのように。フランツ (沈黙の後)お前は収容所の話を聞いたことがあるか?女 どの収容所だね?フランツ 知っているくせに。皆殺しの収容所さ。女 その話なら聞いたさ。フランツ もし、お前の弟が死ぬ時に、そういう収容所の番兵だったと聞かされたら、お前は鼻が高いだろうか?女 (残酷に)そうともさ。よく聞きな。弟が何千という死人に良心を咎めていれば、その中に、あたしたちのような女や、この石ころの山の下で腐っていく子供たちと同じような子供がいれば、 あたしは弟を自慢するだろうよ。弟が天国にいること、弟には「おれは出来るだけのことをやったのだ」と言う権利があることが、わかっただろう。 だがね、あたしは、弟がどんな人間か、よく知っている。弟は自分の名誉や立派さほどに、あたしたちが好きじゃなかった。そこで、この始末だ。 (腕を振り回す。乱暴に)テロが必要だった。お前たちが、残らずぶち壊さなければならなかったのさ。フランツ それなら俺たちはやったよ。2026/09/08 21:53:50144.夢見る名無しさん女 あれっぱかりで足りるものか。収容所も足りなかった。死刑執行人も足りなかった。お前たちは、自分のものでもないものを他人にくれて、私たちを裏切ったのだ。 それがまだ赤ん坊だったといっても、一人の敵の生命を助けるたびに、お前は味方を殺したのだ。お前は相手を憎まずに戦争をしようとしたけれど、この心を虫食う憎しみをあたしに植え付けた。 お前の立派さはどこに行ったのだ? ろくでなしの兵隊め。負けて逃げ出す兵隊め、お前の名誉はどこに行った? 罪人はお前だ。神様はお前がやったことを裁くんじゃない。 お前にやりとおせなかったこと、犯さなければならないのに犯さなかった罪のことで、お前を裁くのだ。 (だんだん暗くなる。ただ貼り紙だけが見える。遠ざかりながら、女の声が繰り返す) 罪人はお前だ、お前だ、お前だよ。2026/09/08 21:55:05145.夢見る名無しさん第四景 フランツ、ヨハンナフランツの声 (闇の中で)ヨハンナ!(明かりがつく、フランツは帽子をかぶらず、テーブルの脇に立っている。ヨハンナは、肘掛け椅子に腰掛け、女の姿は消えている)ヨハンナ (飛び上がって)なあに?(フランツが彼女の方に行く。彼は長々とヨハンナを見つめる)フランツ ヨハンナ!(回想を追い払おうとしながら、ヨハンナを見る)ヨハンナ (幾分素っ気無く、後ろに飛び退って)その人はどうなったかしら?フランツ あの女かい? 次第によるね。ヨハンナ (驚いて)何の?フランツ 僕の夢さ。ヨハンナ あれは思い出ではなかったの?フランツ 夢でもあるのさ。時によって、あの女を連れて歩いたり、また捨てたりするのだ。そして…… ひょっとするとあいつは死んだ。あれは悪夢だよ。(視線を動かさず、自分に向かって)あの女を殺しはしなかったかな?ヨハンナ (驚きもせず、恐怖と嫌悪を交え)まあ!(フランツ、笑い出す)2026/09/08 21:57:12146.夢見る名無しさんフランツ (架空の引き金に指をかける仕草)こうやってね。(軽蔑の微笑)君なら、あの女の苦しみをほったらかしておいただろう。 あらゆる道路上に犯罪が転がっている。下手人を待つばかりになっている予謀犯罪がある。本物の兵隊が通りかかって、その犯行を引き受ける。 (不意に)この話はお気に召さないかね? 僕は、君の目が嫌だ。ああ、君の気のすむように、あの女を始末してやってくれ。 (大またに、彼女から離れる。テーブルのそばで振り向く)「罪人はお前だよ」君はどう考える? あの女は正しかったのだ。ヨハンナ (肩をすくめて)気違いだったのよ。フランツ うん、それが何の証拠になるのだ?ヨハンナ (強く、はっきり)兵隊と飛行機の数が足りなかったから、ドイツは負けたのよ。フランツ (ヨハンナをさえぎって)分かった。分かったよ。(間)それはヒトラーにかかわりのあることさ。 (間)僕は、君に自分の話をしているところなのだ。戦争は僕の巡り合わせだった。どこまで戦争を愛するべきだったろうか? (ヨハンナが口を開こうとする)考えてくれ。よく考えてくれ。君の返事は決定的だ。ヨハンナ (ばつが悪そうに、苛立って固くなり)よく考えたわ。フランツ (間)もし、ニュールンベルクで裁かれたあらゆる大罪を、実際に僕が犯したとしたら……ヨハンナ どんな罪なの?フランツ 知るものか。集団虐殺と大量の婦女暴行さ。ヨハンナ (肩をすくめて)どうして、あなたがそんな恐ろしい罪を犯したの?フランツ 戦争は僕の巡り合わせだったからだ。僕たちの父親が母親を孕ませた時、彼らは母親の腹に兵隊を作ったのさ。僕には、なぜか分からない?ヨハンナ 兵隊は男よ。フランツ 男よりも兵隊の方が先なのだ。ところで? 君はまだ僕を愛するだろうか? (ヨハンナが口を開こうとする)しかし、お願いだ。ゆっくり考えてくれ。 (ヨハンナ、黙ってフランツを見る)さあ、どうだ?ヨハンナ 駄目だわ。フランツ もう愛してはくれないのかい? (ヨハンナ、頷く)君には、僕が恐いのか?ヨハンナ ええ。2026/09/08 21:59:54147.夢見る名無しさんフランツ (吹き出して)よし、よし、よし。安心したまえ、ヨハンナ。君が相手にしているのは無垢の少年さ。無罪は保証つきだ。 (彼女は疑い深く厳しい態度を捨てない)僕に気を許しても大丈夫だよ。僕はセンチメンタルになってドイツを殺してしまったのさ。(浴室のドアが開き、クラーゲス登場。ゆっくりした足取りで、フランツの椅子に座りに来る。フランツもヨハンナもクラーゲスには目もくれない)2026/09/08 22:01:08148.夢見る名無しさん第五景 フランツ、ヨハンナ、クラーゲスフランツ スモレンスク付近の我が軍は五百名だった。ある村を固守していた。 隊長は戦死、大尉たちも戦死で、結局僕たち二人、つまり二人の中尉と、それに一人の曹長がいた。 奇妙な三頭政治だった。クラーゲス中尉は牧師の息子で、理想主義者で、雲の上の住人だった! 曹長のハインリッヒは、地に足のついた男だったが、百パーセントのナチだった。 僕たちと後衛との間を、パルチザンが遮断していた。彼らは火網で街道を制圧していたのだ。 食料は三日分しかない。二人のロシア人農夫が発見されて、こちらは彼らを納屋に放り込んで捕虜ということにした。クラーゲス (困惑して)なんて酷いことを。フランツ (振り向かずに)えっ?クラーゲス ハインリッヒ。何と酷いことをするのだ。フランツ (振り向かずに、ぼんやりと)ああ……クラーゲス (情けなさそうな暗い顔で)フランツ、僕は肥溜めに落ちたも同然だ。 (フランツが急にクラーゲスの方を向く)曹長は二人の農夫に口を割らせようと、もくろんでいるのだ。フランツ やれやれ。(間)で、君は、ハインリッヒが農民たちを小突き回すのが嫌なのか?クラーゲス 僕は間違っているだろうか?フランツ 問題はその点ではない。クラーゲス それでは何だ?フランツ 君は、ハインリッヒに、納屋への出入りを禁止したのだな? (クラーゲス頷く)そうすると、彼は入ってはならないわけだ。クラーゲス 君も承知しているように、あの男は僕の言うことは聞くまい。フランツ (怒りをまじえた驚きを装って)何だって?クラーゲス 僕には言葉が見つからないのだ。フランツ 何?クラーゲス あの男を説得する言葉がさ。フランツ (呆れて)しかも、君は曹長を説得しようというんだからね。(乱暴に)畜生みたいに扱ってやるんだ。這わせてやるのさ。2026/09/08 22:04:01149.夢見る名無しさんクラーゲス 僕にはできない。たった一人でも、たとえ相手が首斬り人であっても、もし僕が人間を軽蔑したら、もう誰も尊敬できなくなるんだ。フランツ 部下が、一人でも、君に服従することを拒んだら、君はもう誰にも服従されなくなる。 人間の尊敬なんてちゃんちゃらおかしいよ。しかも、君が規律をほったらかすなら、敗北か殺戮だ、それとも両方一緒だ。クラーゲス (立ち上がって、ドアの方に行き、外部をちらっと見る)あいつは納屋の前にいる。椅子をうかがっているのだ。(ドアを閉め、フランツの方を見る)彼らを助けてやろう。フランツ 君が自分の権威を救いさえすれば、あの二人を救えるよ。クラーゲス 僕は考えたんだが……フランツ 何を……クラーゲス ハインリッヒは君のいうことなら、神の言葉みたいに、よくきくのだ。フランツ こっちが糞の塊り同様に扱ってやるからさ。当然のことだ。クラーゲス (困惑して)君に命令を出してもらえたら……(懇願するように)フランツ。フランツ 駄目だ。捕虜は君の担当だ。僕がかわりに命令したら、僕は君を無視することになる。君の面目をつぶしてから一時間後に、僕が戦死したら、ハインリッヒが一人で指揮をとるだろう。 そうなれば破滅だよ。僕の部下たちにしてみれば、あいつはまるで獣だし、君の捕虜たちには、意地悪そのものだからな。(部屋を横切ってヨハンナに近付く)そして、何よりもクラーゲスの破滅だ。 たとえ相手が中尉でも、ハインリッヒは彼を倒してしまっただろう。ヨハンナ どうして?フランツ クラーゲスはドイツが負けることを願っていたからだ。クラーゲス 僕はドイツの敗北を願いはしない。望んでいるのだ。フランツ 君にそんな権利はないよ。クラーゲス 敗北すれば、ヒトラーが崩壊するのだ。フランツ そしてドイツがね。(笑いながら)降参だ! 降参だ! (ヨハンナの所に戻って)彼は心の中で留保するのが得意だった。 肉体でナチに奉仕していることを隠すために、心でナチの連中を罰していたんだよ。ヨハンナ その人はナチに奉仕なんかしなかったわ。2026/09/08 22:07:02150.夢見る名無しさんフランツ (ヨハンナに)よかろう。君たちは同じ穴のむじなだ。彼の声は、手は、ナチに奉仕していたのだ。 彼はいつも紙に向かって言ったものだ。「私は私がやることを望んでおりません」とね。 それなのに、それをやっていたのだ。(クラーゲスの所に戻って)戦争は君に滲みとおっている。 戦争を拒んだら、君は自分を永遠に無力なものにしてしまうのだ。モラリストの君は、魂をただで売り飛ばしたのさ。 僕の魂は、無料で渡したりするものか。(間)まず勝つことだ。ヒトラーに構うのはそれからだ。クラーゲス それでは間に合うまい。フランツ やってみるさ。(ヨハンナの方に戻り、脅かすように)僕は騙されたことがあるから、もうそれ以上騙されまいと決心したのだ。ヨハンナ あなたを騙したのは誰なの?フランツ それが知りたいのかい? ルターだよ。(笑って)え、分かったろう。僕はルターを悪魔にまかせ、戦争に出て行った。 戦争は僕の宿命だった、だから僕は心から戦争を望んだね。とうとう僕が行動したのだ。僕は秩序を組み立てなおして、本来の僕と一致した。ヨハンナ 行動するって、殺すことね?フランツ (ヨハンナに)行動は行動さ。自分の名前を書き誌すことだ。クラーゲス 何に書くのだ?フランツ (クラーゲスに)そこにあるものにさ。僕はあの平原に僕の名前を書き込む。 まるでたった一人でやったように、僕は戦争の責任を負う。そして、勝利をおさめた暁にはやり直すのだ。ヨハンナ (非常に素っ気無く)で、フランツ、捕虜は?フランツ (彼女の方を振り向いて)何だって?ヨハンナ 全てに責任を負うあなたは、その捕虜たちに対しても責任を負ったの?フランツ (間)僕は彼らを救ってやったよ。 (クラーゲスに)君の権威を傷つけずに、どうしてハインリッヒにこの命令をくだしたものだろう? ちょっと待ちたまえ。 (考え込む)よし(戸口に行ってドアを開く。呼ぶ)ハインリッヒ!(テーブルの方に戻る。ハインリッヒが駆け込んでくる)2026/09/08 22:09:00151.夢見る名無しさん第六景 フランツ、ヨハンナ、クラーゲス、ハインリッヒハインリッヒ (挙手の礼、不動の姿勢)中尉殿、何でありますか?(幸福な、優しいくらいのほのかな信頼の微笑が、フランツに話しかける彼の顔色を輝かせる)フランツ (急がず曹長の方に進み、頭のてっぺんから足の先まで点検する)曹長、身だしなみが悪いぞ。 (ボタン穴にぶら下がっているボタンを指して)それは一体何だ?ハインリッヒ これは……その……ボタンであります、中尉殿。フランツ (親切に)なくすところだったぞ。(さっとボタンをもぎ取り、左手に握る)付け直しておけ。ハインリッヒ (恐縮して)中尉殿、糸を持っている者は、もう一人もおりません。フランツ 文句を言うか、くそったれめ! (素早く右手で平手打ちを二度食らわせる)拾え! (ボタンを落とす。曹長は屈み込んでボタンを拾う)気を付け! (ボタンを拾った曹長は、不動の姿勢をとる)今日から、クラーゲス中尉と俺とは、毎週勤務交替をすることに決めた。君はただちに注意を前哨に案内しろ。 (ハインリッヒは挙手の敬礼)待て。(クラーゲスに)捕虜がいると思うか?クラーゲス 二人いる。フランツ 結構、俺がその二人の面倒をみる。ハインリッヒ (目を輝かせる、フランツが彼の申し出を承認すると思っている)中尉殿!フランツ (驚いた様子で、乱暴に)何だ?ハインリッヒ 奴らはパルチザンであります。フランツ なるほどな。それで?ハインリッヒ もしお許しくださるならば……クラーゲス 曹長には前もって捕虜にかまうことを禁じてある。フランツ 分かったな、ハインリッヒ? これで話はついた。行け!クラーゲス 待て。こいつが何と聞いたか知っているか?ハインリッヒ (フランツに)中尉殿、じ、自分は冗談を言ったのであります。フランツ (眉を寄せて)上官に対して? (クラーゲスに)何と聞いたのだ?クラーゲス 「自分が中尉殿の命令に服従しなければ、どうなさいますか?」とね。2026/09/08 22:11:56152.夢見る名無しさんフランツ (味気ない声で)ふん。(ハインリッヒの方を向く)曹長、今日は、返事を聞かせるのは俺の役目だ。もし服従しなければ…… (ピストルのケースを叩きながら)……射殺する。(間)クラーゲス (ハインリッヒに)前哨に案内したまえ。(フランツの目くばせしてハインリッヒの後から外に出る)2026/09/08 22:12:55153.夢見る名無しさん第七景 フランツ、ヨハンナフランツ 部下の兵隊を殺すのはいいことだろうか?ヨハンナ あなたは兵隊を殺さなかったわ。フランツ 彼らを死なせないために、やるべきことを全部やりはしなかったのだ。ヨハンナ 捕虜は喋らなかったでしょう。フランツ 君に何が分かる?ヨハンナ お百姓のこと? あの人たちには、何も喋ることなんか、なかったわ。フランツ 彼らがパルチザンではないと、誰が証明してくれるのだ?ヨハンナ 一般に、パルチザンは喋らないものよ。フランツ そうだ。一般にはね。(夢中になって言い張る)ドイツは犯罪に相応しいって? (俗っぽく、ほとんど滑稽なほど、取り止めのない気安さで)僕の言うことが分かってもらえるかどうか分からない。君は、既に世代の違う人間だ。 (間。荒っぽく、固くなって、冷たく、真剣に、彼女には目もくれず、瞳を凝らして、ほとんど不動の姿勢で) 短い人生、そして最高の死! 進め! 進め! 恐怖の果てまで行って、地獄を乗り越えるのだ。 火薬庫があれば闇の中でそれを爆発させて、ドイツ以外の全てを吹き飛ばしていただろう。 一瞬、僕は忘れることの出来ない花火の、くるめく最後の一発になり、やがて何もなくなる。 ただ夜と青銅に刻まれた僕の名前だけが残っただろう。(間)正直なところ、僕は二の足を踏んだ。ねえ、君、原理は常に原理だ。 僕はその二人の身元不明の捕虜よりも、部下の兵隊の方が可愛かった。 それなのに、否と言わなければならなかったのだ。そして僕は食人種になっただろうか? いや、せいぜい菜食人種さ。 (間、大げさに、立法官よろしく)全てをつくさない人間は、無為の人間だ。つまり、僕は、何もしなかったのさ。何もしなかった人間は誰でもない。 誰かいないか? (答えるように、名乗り出て)おります。(間、ヨハンナに)これが第一の訴因だよ。ヨハンナ 私は無罪を宣告するわ。フランツ この訴因について、審理しなければならない。2026/09/08 22:15:36154.夢見る名無しさんヨハンナ 私はあなたが好きなのよ。フランツ ヨハンナ! (五つ、四つ、三つずつ二回ドアをノックする音。二人は互いに顔を見合わせる)少し遅かったな。ヨハンナ フランツ……フランツ 僕を無罪にするには少々遅い。(間)親父が喋ったのだ。(間)ヨハンナ、君は死刑執行を見るだろうよ。ヨハンナ (彼を見て)あなたの? (再びノックし始める音)で、黙って殺されるの? (間)それでは、あなたは私を愛していないのね?フランツ (音もなく笑って)僕たちの愛情のことは今話すよ……(ドアを指して)……あれの目の前でね。見られた図じゃあるまいな。 しかし、これは覚えておいてほしい。僕は君に助けを求めるけれど、君は助けてはくれないだろう。(間)また、幸運があるとすれば……あそこに入るんだ。(彼はヨハンナを浴室に連れて行く。ヨハンナ、中に入る。フランツはドアを閉めて、レーニに入り口を開けてやりに行く)2026/09/08 22:17:10155.夢見る名無しさん第八景 フランツ、レーニフランツ (素早く腕時計のベルトをはずして、ポケットに入れる。レーニは、白い砂糖に包まれた小さなサヴォワ風の菓子を盆にのせて入って来る。 菓子には四本の蝋燭が立ててある。左の小脇に新聞を一部はさんでいる)こんな時間に、何だって邪魔しに来たのだ?レーニ 時間を知っているのね?フランツ お前が出て行って、まだ間もないことだけは知っているよ。レーニ 時間が短く感じられたのだわ。フランツ 運。(菓子を指して)何だい?レーニ 可愛いお菓子よ。明日、食後に上げようと思ったの。フランツ へえ、それで?レーニ それを、この通り、今晩持ってきたわ。蝋燭をつけてね。フランツ 蝋燭を? なぜだ?レーニ 数えてごらんなさい。フランツ 一、二、三、四。はて?レーニ 兄さんは三十四になったのよ。フランツ うん。二月二十五日からな。レーニ 二月十五日はお誕生日だったわ。フランツ それで、今日は?レーニ 大事な日よ。フランツ よし。(盆を受け取り、テーブルに運ぶ)「フランツ」僕の名前を書いたのはお前か?2026/09/11 12:08:27156.夢見る名無しさんレーニ 誰に書いてもらいたかったの?フランツ 名声の女神だ。(自分の名をしげしげと見る)薔薇色の砂糖文字のフランツ。精銅版よりも美しいが、それほど気を引かないな。 (蝋燭に火をつける)静かに燃えろ。お前たちの消耗は、僕の消耗だ。(投げやりに)親父に会ったな。レーニ 向こうから会いに来たのよ。フランツ お前の部屋にかい?レーニ ええ、そうよ。フランツ 長いこといたかい?レーニ 相当ね。フランツ お前の部屋とは、格別のごひいきだな。レーニ その代償を払うのは私よ。フランツ 僕もだ。レーニ 兄さんもね。フランツ (菓子を二つ切り取る)これは僕の身体だ。(二つのグラスにシャンパーニュを注ぐ)これは僕の血だ。 (菓子をレーニに差し出す)お上がり。(レーニは笑って首を振る)毒が入っているかな?レーニ そんなことをして何になるの?フランツ お前の言う通りだ。なぜだろう。(グラスを一つ差し出す)健康のために乾杯してくれるね?(レーニはグラスを受け取り訝しそうに眺める)蟹?レーニ 口紅よ。(フランツはグラスを奪い取り、テーブルに叩きつけて割る)フランツ お前の口紅だ。お前は食器も洗えないのだな。(別のグラスを満たして差し出す。彼女はそれを受け取る。三つ目のグラスにシャンパーニュを注ぎ、それをとっておく)僕のために飲んでくれ。レーニ 兄さんのために。(グラスを上げる)フランツ 僕のために。(自分のグラスをレーニのグラスと合わせる)僕のために何を祈ってくれるね?レーニ 何もないように。フランツ 何もなしか? ああ、それから? 素晴らしい思いつきだ。(グラスを上げて)無のために飲もう。 (グラスを空にしてテーブルに置く。レーニがよろめき、フランツが腕に抱きとめ、肘掛け椅子に連れて行く)お座りよ。2026/09/11 12:10:16157.夢見る名無しさんレーニ (腰を下ろしながら)ご免なさい。疲れているのよ。(間)それにまた、これから一番辛い仕事が残っているわ。フランツ その通りだ。(顔を拭く)レーニ (独白のように)酷く寒いわ。また天候異変の夏ね。フランツ (呆れて)暑苦しいよ。レーニ (愛想良く)え? おそらくね。(フランツを見つめる)フランツ 僕を見ているね?レーニ ええ。(間)兄さんはもう別人だわ。そう見えるはずなのに。フランツ そう見えないかい?レーニ ええ、あたしに見えるのは兄さんよ。(間)誰のせいでもないのよ。 ねえ、あなたは私を愛さなければいけなかったのよ。でも、あなたには、それができなかったと思うわ。フランツ お前をとても愛していたよ。レーニ (乱暴な怒りの叫び)黙ってよ! (彼女は自分を制しているが、その声はどこまでも非常な残酷さを失わない)お父さんは、あなたがヨハンナを知っていると言ったわ。フランツ あの人は、時々会いに来る。本当に真面目な女の子だ。僕はウェルナーのために嬉しいね。 お前は僕に何と言ったっけな? 彼女は全然せむしではないよ。レーニ せむしですとも。フランツ 違うったら。(手を垂直に動かす)あの人は……レーニ そうよ。あの人の背筋は真っ直ぐだわ。だからといってせむしじゃないってわけじゃないわ。(間)綺麗だと思う?フランツ で、お前は?レーニ 死神みたいな美人ね。フランツ 今お前が言ったことはなかなか痛烈だ。僕自身も、あの人について、そう考えたことがある。レーニ あの人のために飲むわ。(グラスを空にして投げる)2026/09/11 12:11:51158.夢見る名無しさんフランツ (客観的な調子で)お前は妬いているね?レーニ 私、何も感じなくてよ。フランツ うん、あまり早すぎるのもな。レーニ 全く早すぎるわ。(間。フランツは菓子を一切れつまみあげて食べる)フランツ (菓子を指しながら笑って)こんなものでたぶらかす気だな。 (左手に菓子を持っている。右手で引き出しを開け、ピストルを取り出し、菓子をかじりながら、レーニに差し出す)ほら。レーニ これでどうしろというの?フランツ (立ちはだかって)射て。そしてあの人は、そっとしておいておやり。レーニ (笑って)引き出しにしまいなさい。私には、ピストルの使い方さえ分からないわ。フランツ (腕を伸ばしたまま。掌にピストルが乗っている)あの人に怪我をさせないな?レーニ 私が、十三年もあの人の世話をしたかしら? あの人の愛撫をねだったかしら? あの人の唾を飲み込んだかしら? 食べさせたり、身体を洗ってやったり、着物を着せたり、みんなから守ってやったりしたかしら? あの人は、私に全然借りがないのよ。だから、あの人には指一本触らないわ。あなたを愛すればこそ、あの人が少し苦しめばいいと思うだけ。フランツ (むしろ肯定的に)僕はすっかりお前の世話になったな?レーニ (猛然と)何もかもだわ。フランツ (ピストルを渡して)さあ、それを握れ。レーニ あの人がほしくてたまらないのね。あなたは、あの人にどんな思い出を残すかしら? それに、あの人には、寡婦暮らしがどんなに似合うことでしょう。あの人は未亡人向きに出来ているのよ。 (間)ねえ、私はあなたを殺そうとは思わないわ。世の中にあなたが死ぬほど恐ろしいことはないのよ。 ただ、私は、どうしても、あなたをうんと苦しめなければならない。私が考えているのは、ヨハンナにすっかり話してしまうことよ。フランツ すっかり?2026/09/11 12:13:38159.夢見る名無しさんレーニ すっかりね。あの人の胸の中にあるあなたを、粉々にしてやるわ。 (ピストルの上にのせたフランツの手が引きつる)さあ、哀れな妹を射ちなさいな。あたしは手紙を書いたわ。 まずくすると、ヨハンナは、今夜それを受け取るはずよ。(間)私が仕返しをしていると思って?フランツ 仕返しをしているのではないのか?レーニ 正しいことをやっているのよ。死んでいようが生きていようが、あなたは、当然私のものよ。 だって、私は、ありのままのあなたを愛する、たった一人の女だもの。フランツ たった一人だって? (間)昨日だったら、僕は人殺しをやってしまっただろう。 今日は、幸運が、ちらほら見えている。あの人が僕を受け入れてくれる百分の一の幸運が。 (ピストルを引き出しにしまって)まだお前に生命があるとすれば、レーニ、僕がこの幸運をとことんまでためす決心をしたからだ。レーニ 大変結構ね。私が知っているということを、あの人が知って、いい方が勝てばいいわ。(椅子から立ち上がり、浴室の方に行く。彼の後ろを通り抜ける時に、新聞をテーブルに投げ出す。フランツが飛び上がる)フランツ 何だ?レーニ フランクフルター・ツァイトゥングよ。私たちの話が出ているわ。フランツ 僕とお前の?レーニ 一家のよ。「ドイツを再建した巨頭たち」という続きものをやっているの。誰にも正当な名誉をと言うわけで、まずゲルラッハ一門を皮切りにね。フランツ (新聞を取り上げる決心がつかない)親父は巨頭かね?レーニ 世間がそう言っているのよ。読めば分かるわ。お父さんは、巨頭中の巨頭ですってさ。(フランツは一種のしゃがれた呻き声を出して、新聞をつかみ、ページを開く。観客に向かい、浴室に背を向け、広げた新聞で顔を隠して座る。レーニは浴室のドアを叩く) 開けなさいな。そこにいることは知っていてよ。2026/09/11 12:15:24160.夢見る名無しさん第九景 フランツ、レーニ、ヨハンナヨハンナ (ドアを開けて)それはよかったわ。私は、隠れるのは好きじゃないの。(愛想良く)こんにちは。レーニ (愛想良く)こんにちは。(不安げなヨハンナは、レーニから離れて、まっすぐフランツの所へ行き、彼が新聞を読むのを眺める)ヨハンナ 新聞? (フランツは振り向きさえしない。レーニの方を向いて)あなた、随分早手回しね。レーニ 私は忙しいのよ。ヨハンナ この人を殺すのを急いでいるのね?レーニ (肩をすくめて)とんでもないわ。ヨハンナ 走ったらいいわ。私たちは先を越しているんだから。今日からは、この人はきっと真実に耐えられると思うわ。レーニ 不思議なことがあればあるものね。お父さんも、あなたが真実に耐えると信じているのよ。ヨハンナ (微笑を浮かべて)私は何にでも耐えるわ。(間)お父様はあなたに喋ったのね?レーニ ええ。ヨハンナ お父様はね、このことで私を脅迫したのよ。ここに入る方法を教えてくださったのはお父様なの。レーニ えっ?ヨハンナ それを仰らなかった?レーニ 言わなかったわ。ヨハンナ お父様は私たちを操っているのね。レーニ そんなこと、分かりきっているわ。ヨハンナ あなた、それでいいの?レーニ ええ。ヨハンナ 私にはどうしろっていうの?レーニ (フランツを指して)あなたが、兄の生活の外に出て行くことよ。ヨハンナ もう出て行かないわ。レーニ 私が出してみせるわ。ヨハンナ やってごらんなさい。(間)2026/09/11 12:17:22161.夢見る名無しさんフランツ (新聞を置いて立ち上がり、ヨハンナの所へ行く。すぐそばで)ヨハンナ、君は僕しか信じないって約束したね。 今こそ、その約束を思い出すべきだ。今日、僕たちの愛情は、ただそれにかかっている。ヨハンナ あなたしか信じないわ。(顔を見合わせる。彼女は優しい信頼を込めて微笑みかけるが、フランツの顔は蒼ざめ、痙攣のためにくしゃくしゃ。 ヨハンナに笑顔を見せようと努力するが、顔を背け手元の位置に戻り、再び新聞を取り上げる)どう、レーニ?レーニ 私たちは二人。一人余計ね。余計な方は名乗り出なければならないわ。ヨハンナ どうやりましょうか?レーニ 真剣に勝負するのよ。もし、あなたが勝ったら、私と交替なさいな。ヨハンナ あなたは誤魔化すわ。レーニ そんな必要はないわ。ヨハンナ なぜなの?レーニ あなたが負けるに違いないんですもの。ヨハンナ さあ、勝負しましょう。レーニ いいわ。(間)フランツはハインリッヒ曹長とロシア人捕虜の話をしたの? 二人のパルチザンを救ったために、戦友たちを死に追いやったといって、自分を責めたのね?ヨハンナ ええ。レーニ そして、あなたは、彼が正しかったと言ったのね?ヨハンナ (皮肉に)何でもご存知じゃない。レーニ 驚くことはないわ。フランツは私にそう言ったのよ。ヨハンナ それで? あなたはフランツが嘘を吐いていると言い張るの?レーニ 彼があなたに言ったことは、間違いは全然ないわ。ヨハンナ でも……レーニ でも、話はまだ終わっていないわ、ヨハンナ、これからが勝負よ。フランツ 素敵だ。(新聞を投げ出して立ち上がる。狂った目つきで、顔面は蒼白) 百二十の造船台。うちで作った船の、一年間の航程は、地球から月まで届くだろう。ドイツは立ち上がった。ドイツ万歳。 (大またの機械的な足取りで、レーニの方に行く)ありがとう、レーニ。さあ、僕たち二人だけにしてくれ。レーニ 嫌よ。フランツ (居丈高に、怒鳴る)二人だけにしろというんだ。(レーニを引っ張ろうとする)ヨハンナ フランツ!フランツ 何だい?ヨハンナ 私はあの話の結末を知りたいわ。2026/09/11 12:20:46162.夢見る名無しさんフランツ あの話に結末はない。僕を除けば、みんな死んでしまったのだ。レーニ この人の目をごらんなさい。一九四九年のある日、私に全部白状しちゃったのよ。ヨハンナ 白状したんですって? 何を?フランツ 馬鹿馬鹿しい話さ。レーニに真面目な話ができるかい。僕は冗談を言ったのさ。(間)ヨハンナ、君は僕しか信じないと言ったね?ヨハンナ ええ。フランツ 僕を信じるのだ。いいか、信じるのだ。ヨハンナ 私……あなたはこの人の前だと、もう別人だわ。(レーニ、笑う)あなたを信じたいという気にならせてちょうだいな。 この人は嘘を吐いていると言って。話してよ。あなたは何もしなかったわね?ヨハンナ ええ。フランツ (呻き声に近く)何も。ヨハンナ (荒々しく)でも、はっきり、そう仰いよ。この耳で、あなたの声を聞かなくては。仰いな。僕は何もしなかった、と。フランツ (上ずった声で)僕は何もしなかったよ。ヨハンナ (一種の恐怖の色をあらわして彼を見つめ、叫び始める)あっ! (叫び声を抑える)もう、あなたの見分けがつかなくなったわ。フランツ (執拗に)僕は何もしなかったのだ。レーニ 兄さんは、止めなかったのよ。ヨハンナ 誰を?レーニ ハインリッヒを。ヨハンナ 二人の捕虜は?レーニ あの二人を手始めにね。ヨハンナ 他にも何かあったの?レーニ 踏み切ったが最後よ。フランツ 僕が説明するよ。君たち二人を見ていると、頭が混乱してしまうんだ。 ヨハンナ、僕らだけになったら……君たちは僕を死ぬ目にあわせるよ……めまぐるしいったら、ありゃしない…… しかし、ヨハンナ、頭を冷やして、真実をすっかり話すよ。僕は生命よりも、君を愛しているのだ。ヨハンナ 離してよ。(彼女はレーニの脇に並ぶ。フランツは彼女と向き合って呆然としている)レーニ (ヨハンナに)下手に手を出したわね。ヨハンナ 負けたわ。彼はあなたのものよ。フランツ (戸惑って)二人とも、聞いてくれ……ヨハンナ (一種の憎悪を込めて)拷問したのね? あなたったら!2026/09/11 12:23:39163.夢見る名無しさんフランツ ヨハンナ! (彼女はフランツを見つめる)そんな目をしてくれるな。いけないよ、そんな目をしては。 (間)僕には、こうなることが分かっていた。(笑い出して四つん這いになる)後退だ、後退だ。 (レーニが悲鳴をあげる。彼は起き上がる)蟹の格好をするのを、見たことはないのかい? (間)二人とも出て行ってくれ! (レーニはテーブルの方に行き、引き出しを開けようとする)五時十分だな。親父に、六時に会議室で会うと言ってくれ。出て行け。 (長い沈黙。照明が弱まる。まず、ヨハンナが後を見ずに外に出る。 レーニは少しためらってから、ヨハンナの後を追う。フランツは腰を下ろし、新聞をまた取り上げる) 百二十の造船台、まるで一つの帝国のようなものだ。---幕---2026/09/11 12:25:21164.夢見る名無しさん第五幕(第一幕と同じ装置。午後六時。陽が沈もうとしている。窓の鎧戸が閉ざされ、部屋は薄明かりに浸っているので、最初、日没の時刻であることが分からない。時計が六つ時を打つ。三つ目を打った時、左の窓の鎧戸が外側から開き、光が差し込む。父親が窓を押す。父親登場。同時に二階のフランツの部屋のドアが開き、フランツが躍り場に現れる。一瞬、二人が顔を見合わせる。フランツは小さくて黒くて四角いケースを手に持っている。彼の録音機だ)第一景 父親、フランツフランツ (動かずに)お父さん、こんにちは。父親 (自然な親しみのある声で)こんにちは。(よろめいて、椅子の背につかまる)お待ち。明るくしてやろう。(別の窓を開け、鎧戸を押す。第一幕の終わり頃の緑がかった光が部屋に入って来る)フランツ (一段くだって)話を聞きましょう。父親 別に話はない。フランツ 何ですって? うるさがられるほどレーニに頼んでおいて……父親 お前が呼んだから、わしはこの建物まで来たのだ。フランツ (唖然として父親を見つめてから、吹き出して)いや、全くその通りです。 (また一段おりて止まる)見事な勝負だ。レーニを向こうに回してヨハンナを操り、 ヨハンナを向こうに回せば、レーニを動かしている。三手でチェックメイトですよ。父親 詰まったのは誰だ?フランツ 黒の王、僕です。勝つことには飽き飽きしていませんか?父親 勝つことを別にすれば、全てのことにうんざりしている。決して勝てはしないのだ。わしは、局面を打開しようとしているのさ。フランツ (肩をすくめて)お父さんは、いつだって、最後には望みどおりのことをやるんですよ。父親 それが一番確実な負け方だ。フランツ (厳しく)それはそうだ。(急に)実際、どうしようというのです?2026/09/12 14:42:17165.夢見る名無しさん父親 今かね? お前に会うことだよ。フランツ 僕はここに来ています。まだできる範囲で、僕との会見に堪能なさい。 お父さんだけに話せる、特別の話があるのですよ。(父親、咳をする)咳をこらえなさいよ。父親 (一種の卑屈さをあらわして)やってみるよ。(まだ咳が続く)どうもあまり具合がよくない……(咳を抑えて)さあ、これでよし。フランツ (父親を見つめながら、ゆっくりと)情けないな! (間)さあ、笑ってくださいよ。 今日はお祭です。父親と息子の再会で、大盤振る舞いですよ。(出し抜けに)僕の裁判官にならないでくださいね。父親 誰がそんなことを言った?フランツ あなたの目ですよ。(間)二人の犯罪者、お互いが、自分では踏みつけにした信条に従って、相手を断罪する。この茶番劇を何と名付けますか?父親 (平然と)正義。(短い沈黙)お前は犯罪者か?フランツ ええ。あなたもね。(間)僕はあなたの裁判を忌避します。父親 それではなぜわしに会いに来たいと言ったのだ?フランツ あなたにお知らせするために。僕は全てを失いました。あなたも全てを失うでしょう。 (間)聖書にかけて、僕を裁かないとお誓いなさい。さもないと、すぐにも部屋に帰りますよ。父親 (聖書の所まで行き、ページを開いてその上に手を広げる)誓うよ。フランツ ありがとう。(階段を降り、テーブルの所まで行って、その上に録音機を置き、振り返る。父子は一つ床の上で向き合う) 年月のあとはどこにあるのでしょう? お父さんは変わりませんね。父親 いや、変わったよ。フランツ (見込まれたように近寄る。明らかな、しかも防御的な横柄さで)会ってみても、別に何の感動もありませんね。 (間。手を上げ、ほとんど無意志的な身振りで、その手を父親の腕に置く)老ヒンデンブルク。何だって? (後方に飛び退りする。素っ気無く不快に)僕は拷問をやったのだ。(沈黙。乱暴に)聞いたんですか?父親 (顔色を変えずに)うん、聞いたよ。先を続けなさい。2026/09/12 14:44:13166.夢見る名無しさんフランツ それだけです。パルチザンが我が軍を脅かしていました。 彼らは村全体をぐるにしようとしていたのです。僕は、村民に口を割らせようとしてみました。 (沈黙、ぶっきらぼうに、苛々して)だが、例によって例のごとくなっただけです。父親 (重々しく、ゆっくり、しかも無表情で)いつも、そんなものさ。(間。フランツは傲然と彼を見る)フランツ 僕を裁くんですね?父親 いや。フランツ 結構です。ねえ、お父さん、もう一度言っておきますが、あなたが密告者だったからこそ、僕は拷問の下手人になったのですよ。父親 わしは誰も密告しなかったぞ。フランツ で、例のポーランドのユダヤ人は?父親 あの男のことだって密告しはしなかった。わしは、何度となく……面白くもない責任を背負い込んだのだ。フランツ それは同じことです。(彼は過去を回想する)面白くもない責任か? 僕もそいつを背負い込みました。 (笑って)ああ、不愉快きわまる責任だ。(笑う。父親はその隙を見て咳をする)どうしたんです?父親 お前と一緒に笑ったのさ。フランツ 咳をしていますね。止めてください。お願いです。胸が掻き毟られるようだ。父親 すまない。フランツ もうじき死ぬんですか?父親 承知だろう。フランツ (父親に近寄る。急に後退)これで厄介払いだ! (手が震える)こいつは、さんざんてこずるな。父親 何が?フランツ そのがんがんなる咳がですよ。父親 (苛々して)馬鹿な。(また咳の発作が起こり、次いでおさまる)2026/09/12 14:54:49167.夢見る名無しさんフランツ あなたの苦しみ、それが僕の身にこたえる。(目を据えて)僕には想像力が足りなかった。父親 いつのことだ?フランツ 戦地にいた時。(長い沈黙。父親から目を背け、奥のドアの方を見る。喋る時には、直接父親に話しかける場合を除いて、現在の中で過去を生きている) 上官たちは四分五裂。手の内には曹長とクラーゲス、足元には兵隊たち。唯一の命令は、頑張れ、だ。 俺は頑張った。俺は死者と生者とをより分ける。お前は死にに行け! お前はここに残れ! (間。舞台の前縁で、高貴にまた陰惨に)俺は最高権力を握っているのだ。(間)何だと? (目に見えない対話者に耳を傾ける様子。やがて父親の方に向き直って)僕はよく聞かれたものですよ。「権力をどうするのだ?」とね。父親 誰から?フランツ それは夜の空中でしたよ。毎晩のように。(見えない対話者のささやきを真似て)権力をどうしようというのだ。権力をどうしようというのだ。 (叫ぶ)馬鹿野郎め! 俺はとことんまでやるんだ。力の限りやるんだ。(突然、父親に)なぜか知っていますか?父親 ああ。フランツ (少し慌てて)え?父親 生まれて始めて、お前も無力を思い知ったのだ。フランツ (大声で笑いながら)老ヒンデンブルクは頭がしっかりしているぞ、万歳だ。そう。僕は無力を知りましたよ。 (笑い止めて)ここで、あなたのおかげでね。あなたは奴らにユダヤ人を引き渡した。 彼らは四人がかりで僕を押さえつけ、他の奴らが、そのユダヤ人を絞め殺したのです。僕に何ができたでしょうか? (左手の小指を立てて、それを見つめながら)小指の一本を動かせなかった。 (間)奇妙な体験だった。だが、未来の指導者たちにはこんなことをすすめませんね。誰だってこいつから立ち直ることはできないのです。 お父さん、あなたは僕を王子様に仕立ててくれました。しかし、誰が僕を王にしたか知っていますか?父親 ヒトラーだ。フランツ そうです。恥辱を通じてね。あの……出来事の後で、権力は僕の天命になりました。僕が彼を礼賛していたことも知っていますか?父親 ヒトラーをか?2026/09/12 14:57:31168.夢見る名無しさんフランツ 知らなかったのですか? ああ、僕は彼を憎んだ。前と後で。しかし、あの日は、彼が僕を虜にしてしまいました。 二人の指導者は、殺しあうか、さもなければ、一人がもう一方の女房にならなければなりません。僕はヒトラーの女房になりました。ユダヤ人は血を流していました。 そして、僕は、自分の無力の中心に、何と言っていいか、ある種の同意を発見したのです。(過去に戻る)あれには最高の権力がある。ヒトラーは、俺を不倶戴天で神聖な他者に、彼自身にしたのだ。 俺はヒトラーだ。だから、自分を乗り越えていくだろう。(間、父親に)もう食料はありません。部下たちは、納屋のまわりをうろついていました。(過去に戻って)四人の堂々たるドイツ人が、俺を地べたに叩きつけて、打ち砕くだろう。 そして、部下たちは、血の気がなくなるほど、捕虜を痛めつけるだろう。いや、俺は断じて汚らわしい無力には陥るまい。俺は誓うぞ。暗くなった。 恐怖はまだ鎖につながれている……大急ぎで彼らを押さえるのだ。もし、誰かが恐怖を解き放つとすれば、それは俺だ。俺は悪を要求する。人間を生きながら虫けらに変えるという、不滅な行為の独特な力で、俺の権力を示してやろう。 俺は、一人で捕虜を引き受け、彼らを汚辱の中に投げ込んでやろう。彼らは口を割るぞ。権力は深い淵だ、俺にはその底が見える。未来の死者だけを選んだのでは、まだすまない。 一本のナイフと一個のライターで、俺は人間の支配を決定するのだ。(うわずって)目がくらみそうだ。主権者たちは地獄に行く。それは彼らの名誉だ。俺は行くぞ。(彼は、舞台の前縁で、そのまま幻覚にとらわれている)父親 捕虜は口を割ったのか?フランツ (追想から引き離されて)え、何ですって? (間)いや。(間)その前に死にましたよ。父親 負けるが勝ちさ。フランツ いや、すっかり分かりましたよ。僕には腕がなかったのです。まだなかったのです。父親 (寂しい微笑)それは関係がない。人間の支配を決定するのは彼らなのだ。フランツ 僕は彼らのようにすればよかったんだ。一言も言わずに、鞭に打たれて死ぬんだった。 (平静になる)それに、そんなことは真っ平です。僕は自分の権威を保った。2026/09/12 15:01:00169.夢見る名無しさん父親 長い間か?フランツ 十日間です。その十日が過ぎた時、敵の戦車が攻撃して来て、我が軍は全員戦士---捕虜たちまで。 (笑って)いや、僕は別ですよ。僕は死ななかった。全然死ななかったのです。(間)僕が拷問をやったということ以外に、僕の話は何一つ確実ではない。父親 それから? (フランツ肩をすくめる)お前は街道を歩いた。身分を隠したのだな? そして、わしらの所に返ってきたのだな?フランツ そうですよ。(間)廃墟が僕を正当化してくれました。破壊された家が、手足をなくした子供たちが僕は好きだった。 僕はドイツの苦悶を目の当たりにしないために、閉じこもったのだと主張してきた。それは嘘だ。 僕はドイツの死を願い、ドイツ復活の証人にならないために閉じこもったのです。(間)僕を裁いてください。父親 お前は聖書にかけてわしに誓わせたが……フランツ 考えが変わったのです。その結末をつけましょう。父親 駄目だ。フランツ あなたを誓いから開放してあげると言っているのですよ。父親 拷問の下手人が密告者の宣告を受けるのかね?フランツ 神はいないというのですか?父親 神はいないのではないかと思うな。神がいないので、時には困ることもあるのだ。フランツ それじゃ、密告者であろうとなかろうと、あなたは僕の自然の審判者ですよ。 (間。父親は首を横に振って否定する)僕を裁かないのですか? 全然? するとあなたは別のことを考えているんですね。こいつはまずいぞ。(急に)待っているんですね。何を?父親 何も待ってはいないよ。お前がここにいるから。フランツ あなたは待っているんだ。僕は知っていますよ。あなたが長い長い間待っていたことを。僕は、あなたが冷酷な人間や悪人どもと対決しているのを見たことがありますよ。 奴らがあなたを中傷しても、あなたは何も言わず、待っていました。最後には、お人好しのほうがへこたれてしまったのです。 (間)喋りなさい。何でもいいから。これでは我慢ができない。(間)2026/09/12 15:03:49170.夢見る名無しさん父親 どうしようというのだ?フランツ また二階に戻ります。父親 今度はいつおりてくる?フランツ もう二度と降りてきません。父親 誰にも会わないのか?フランツ レーニには会います。身の回りの用を足すために。父親 で、ヨハンナは?フランツ (ぶっきらぼうに)おしまいです。(間)あの女には勇気が欠けて……父親 お前はあの女が好きだったのだな?フランツ 孤独が僕に覆いかぶさってきたのです。(間)もし、ありのままの僕をヨハンナが受け入れたら……父親 自分を受け入れるのか、お前は?フランツ そして、あなたは、僕を受け入れてくれますか?父親 駄目だね。フランツ (深く傷つけられて)父親までもが?父親 そうだ。フランツ (声を変えて)それでは、僕たちは一緒に、一体何をやるんです? (父親、答えず、深刻な苦悶の色を見せて)ああ、あなたに会うのではなかった。こんなことだと思っていた。思っていたんだ。父親 何を?フランツ 僕に何が起こるかを。父親 お前には何も起こりはしない。フランツ 今はまだです。でも、夢で見たように、あなたがそこにいて、僕がここにいる。しかも、夢とそっくりで、あなたは待っている。 (間)結構。僕だって待つことができます。(自室のドアを指して)あなたと僕の間に、あのドアを置きましょう。六ヶ月の辛抱だ。 (一本の指で父親の頭を指して)六ヶ月たったら、その骨の中身は空っぽになり、その目はもう見えず、蛆虫がその唇をむさぼり、ついでにその唇を膨らませている軽蔑まで食いつぶすさ。父親 わしはお前を軽蔑しておらん。フランツ (皮肉に)全く、その通りだ。僕が今のような話をしてしまった後ではね?父親 お前はわしに何も話しておらんぞ。フランツ 何ですって?父親 お前のスモレンスクの話なら、三年前から知っている。フランツ そんなことがあるものか。彼らは死んだ。証人は一人もいない。死んで埋められたんだ。一人残らず。父親 ロシア軍が解放した二人は別としてな。彼らはわしに会いに来たよ。五十六年の三月のことだ。フェリストとシャイデマン、彼らを覚えているかな?2026/09/12 15:06:12171.夢見る名無しさんフランツ (うろたえて)いいえ。(間)二人は何を要求しました?父親 口止め料だ。フランツ それで?父親 わしは四の五の言うわけにはいかない。フランツ 奴らは……父親 黙っているよ。お前はあの二人を恐れていたのだな。先を続けなさい。フランツ (空を見つめて)三年か?父親 三年だ。わしは、ほとんどその直後に、お前の死亡申告をした。そして、あくる年にウェルナーを呼び戻した。その方が慎重だったからだ。フランツ (父親の声を聞かずに)三年間。俺は蟹に演説をぶってきた。彼らに嘘を吐いていたのだ。(不意に)その時から、僕に会おうとしていたのですね?父親 そうだ。フランツ なぜ?父親 (肩をすくめて)まあね……フランツ 奴らはお父さんの事務室に座っていた。奴らが僕を知っていたので、お父さんは奴らの話を聞いてやった。 そのうち一人が言いました。「フランツ・フォン・ゲルラッハは、死刑執行人だ」と。何という芝居だ。 (冗談を言おうとして)あなたはさぞかしたまげたでしょう、ね?父親 いや、それほどでもない。フランツ (叫ぶ)あなたと別れた時には、僕は純白だった。純粋だった。あのポーランド人を救おうとしたりして……驚きませんでしたか? (間)何を考えたのです? あなたはまだ何も知らなかった、それなのに、突然知ったのですから。(いっそう声を張り上げて)一体、何を考えたんです?父親 (深く暗い愛情を見せて)可哀想な奴だ。フランツ え?父親 わしが何を考えたか聞くなんて! 言ってやろう。 (間。フランツは身体を起こし、すすり泣きながら父親の肩に頭をのせて悶える)可哀想に! (不器用に頸筋を撫でてやる)可哀想にな。(間)2026/09/12 15:08:31172.夢見る名無しさんフランツ (いきなり身体を起こして)やめてください。(間)こいつは驚いた。 十六年前から泣いたことなんかなかったのに、十六年後に泣き始めるとは。僕を憐れまないでください。 そんなことをされると、噛み付きたくなるから。(間)僕は自分をそれほど好きじゃありません。父親 なぜ自分を愛したりするのだ?フランツ なるほど。父親 それはわしがすることだ。フランツ あなたは、僕を愛するのですか? スモレンスクの屠殺者を?父親 スモレンスクの屠殺者とはお前だぞ。フランツ 構いませんよ。どうぞご遠慮なく。(わざと卑しい笑い)人間にはいろいろな好みがありますからね。 (急に)あなたは、僕を操っているんだ。感情を表にあらわすのは、それがあなたの目論見に役立つからだ。 全く、あなたは、僕を操っているんだ。剣突を食わせておいてからほろりとしたりして。 あなたがちゃんと僕を裁いてくれれば……この事件をよく考える時間は、有り余るほどあったんだし、 人間が傲慢すぎるから、あなた流に決着をつけたいという気持ちを、あなたは抑え切れませんよ。父親 (陰気な皮肉)傲慢だと? そんなものは、とうの昔のことさ。(間。明るいけれども、陰険な一人笑い。フランツの方を振り向いて、恐ろしく優しく、また執念深く) だが、この事件は、如何にもわしが始末しよう。フランツ (飛び退って)そんなことはさせませんよ。この事件はあなたに関係があるのですか?父親 これ以上お前に苦しんでもらいたくないのだ。フランツ (まるで別の人間を非難するかのように冷たく、乱暴に)僕は苦しんでなんかいません。苦しませたのです。多分、この言葉のあやは分かってもらえるでしょうね?父親 分かるさ。フランツ 僕はすっかり忘れた。あいつらの悲鳴までも。僕はがらんどうです。父親 そんなことだろうと思うよ。そいつは、ますます酷いな?フランツ どうしてそんな?父親 十四年間、お前は、自分でこしらえておきながら、当人のお前が身にしみてもいない苦しみに取りつかれているのだ。2026/09/12 15:11:20173.夢見る名無しさんフランツ だが、誰が僕のことを話してくれと言いました? そうです。これはますます酷い。 僕は馬の役目をおおせつかって、苦しみがこの僕に跨っているのです。この騎手にはならないように願いますね。 (急に)ところで、どんな解決法があるのです? (父を見つめ、目を輝かせて)くたばってしまうがいい。(父親に背を向け、苦しそうに階段を上る)父親 (フランツを引き止めるような身振りは全然しない。だが、彼が二階の踊り場に達した時、力の入った声で)ドイツはお前の部屋の中にあるんだぞ。 (フランツはゆっくりと振り向く)フランツ、ドイツは生きている。お前は、もうそれを忘れることは出来ないのだ。フランツ 知っていますよ。戦争に負けたのに、ドイツが何とかやっていることは。こいつは僕が処理しますよ。父親 敗戦がもとで、ドイツはヨーロッパの最強国になっているのだ。お前がそいつを処理するって? (間)ドイツはいさかいの種で、賭け金だ。我々は甘やかされている。あらゆる市場が我々に向かって開放され、機械は回転している。 まるで鍛冶屋のような騒ぎだ。フランツ、天の助けによる敗戦だ。ドイツには、バターもあれば大砲もある。 いいか、兵隊もいるのだぞ。近い将来には爆弾もできる。そうなれば、ドイツがたてがみを振る。 後見人どもが蚤のように跳ね飛ばされるざまが見られるわけだ。フランツ (最後の弁護)ヨーロッパを支配していながら、我々は敗北者なのだ。我々は一体何を戦勝国に仕立てたのだろう?父親 我々は勝てなかったのだ。フランツ それでは、この戦争には負けるべきだったのですか?父親 戦争は、負けるが勝ちでやらなければならなかったのだよ。フランツ お父さんがやったのはそれですね?父親 そうだ。戦争の初めからだ。フランツ で、勝利のためには、軍人としての名誉まであえて犠牲にするほど、国を愛していた連中は……父親 殺し合いを引き伸ばし、再建を邪魔するようなことになりかねなかった。(間)実を言えば、彼らは個人的な殺人以外には、何もしなかったのだ。フランツ それはよく考えていい問題だ。こいつは、あの部屋で考えてみよう。2026/09/12 15:14:27174.夢見る名無しさん父親 あの部屋には、もう一刻もいてはならない。フランツ そういう考えが、あなたを誤らせているのです。僕は、僕を否認するこの国を否定しますよ。父親 十三年間かかって、お前はその否定を試みたが、あまりうまくいかなかった。今では、お前は何もかも知っている。どうして、またあの芝居が続けられるだろうか?フランツ しかし、どうすればあの芝居から抜けられるでしょうか? ドイツが潰れるか、さもなければ、僕が一般法の罪人にならなければならない。父親 その通りだ。フランツ それでどうだというんです? (父親を見つめる。急に)僕は死にたくないんですよ。父親 (落ち着いて)なぜ死にたくないのだ?フランツ こちらから聞きたいところですよ。お父さんは名前を残しました。父親 そんなことは取るに足らんよ、そいつが分かってもらえればな。フランツ 嘘をおっしゃい。あなたは船を作りたいと思って、それを実行したのですよ。父親 船を作ったのは、お前のためさ。フランツ へえ、僕はまた、船のために、僕という人間を作ったのかと思っていましたよ。どちらにしても船は存在している。死んだとしても、あなたは一つの船団だ。だが、僕は? 僕は何を残すだろう?父親 何もないな。フランツ (逆上して)だから僕は百年生きるのだ。僕には、僕の命しかない。(凄みを加えて)命しかないのだ。僕の命を取られてなるものか。 考えてもごらんなさい。僕は人生を憎むけれど、それでも無よりはましなんですよ。父親 お前の生命、お前の死は、とにかく無だ。お前は何でもない。何もしないし、何もしなかった。お前は何もできないのだ。 (長い間。父親はゆっくり階段に近寄る。フランツの真下の電灯のところに立って、顔を上げてフランツに話しかける)すまないな。フランツ (恐怖で固くなり)僕に、あなたが? こいつは策略だ。(父親は待つ。いきなり)何がすまないのです?父親 お前だ。(間。微笑を浮かべて)親なんて馬鹿なものだ。彼らは太陽を停止させるのだ。わしは、世界はもう変わるまいと思っていたが、変わってしまった。わしがお前に与えたあの未来を思い出すかね?フランツ ええ。2026/09/12 15:16:57175.夢見る名無しさん父親 わしは、しょっちゅう未来の話をしていたので、お前は未来を頭に描いていたわけだ。 (フランツ、頷く)ところが、それは、わしの過去にすぎなかったのだよ。フランツ そうですよ。父親 知っていたのか?フランツ ずっと前から知っていました。最初は僕もそれでいい気になっていたけれど。父親 可哀想な奴だ。お前がわしの後を継いで、会社をリードしていくことをわしは望んでいた。しかし、リードするのは会社なのだ。会社が人員を選ぶのだ。このわしは、会社にはじき出された。 わしは所有主だが、もう指揮はしていない。そして、王子であるお前は、最初から断られた。会社には、王子など何の必要があろう? 会社は自分の手で経営主を養成し、募るのだ。 (父親が語る前に、フランツはゆっくり階段を降りる)お前にはあらゆる才能と、権力に対するわしの厳しい好みを授けたが、それは役に立たなかった。 何ということだろう。行動するために、お前は一番大きな危険を冒したが、会社はお前のあらゆる行動を手足の動きに変えた。お前の苦悩は、遂にお前を犯罪に追い込んだ。 しかし会社は犯罪行為の中でも、お前を消してしまうのだ。会社は、お前の敗北のおかげで太っていくのだ。フランツ、わしは過ぎたことを悔やみたくはないよ。 他の場所で、他の形なら、お前も有能だと考えられれば……だが、わしはお前を専制君主に仕立てた。今では、それは、何の用もなさないということを意味している。フランツ (微笑を見せて)僕は運命付けられていたのですね?父親 そうだ。フランツ 無力に対して。父親 うん。フランツ 犯罪に対して。父親 うん。フランツ あなたの手でね?父親 わしがお前に吹き込んだ情熱によってな。お前の蟹の裁判所に申告するがいい、わしだけが有罪だ、しかも全てについて有罪だ、とな。フランツ (同じ笑顔で)それをあなたの口から聞きたいと思っていたんですよ。(彼は最後の何段かをおり、父親と同じ床の上に立つ)それでは承知しますよ。父親 何を?2026/09/12 15:19:49176.夢見る名無しさんフランツ あなたが僕に期待していることを。(間)ただ一つ条件がありますが、それは、二人一緒に、今すぐにということです。父親 (急に狼狽して)今すぐにか?フランツ ええ。父親 (嗄れ声で)今日中にだな?フランツ 今すぐです。(沈黙)望んでいたところでしょう?父親 (咳をする)こんなに……早くではない。フランツ 早くて、なぜいけないのです?父親 お前に会ったばかりだからさ。フランツ あなたは誰にも会いませんでした。あなた自身にさえも。(彼は今やっと落ち着き、率直になったが、全く絶望的である) 僕は、あなたのイメージの一つにすぎなかったんだ。別のイメージは、あなたの頭の中に残っていました。 運悪く、僕のイメージだけが、人間の形を取ったのだ。ある晩、そのイメージは、スモレンスクで獲得した…… 何を? 一瞬の独立です。というわけで、その瞬間を除けば、あなたは全てのことについて有罪です。 (間)引き出しの中に、弾丸の入っているピストルをおいて、僕は十三年間暮らしてきました。 なぜ、自殺しなかったのか知っていますか? 僕は考えたのです。やったことは取り返しがつかない、と。 (間。非常に誠実に)死んだところで、何も片付きません。僕のきまりはつかない。あなたは笑うでしょうが…… 僕は……生まれなければよかったと思いましたよ。僕は、二階で嘘ばかり吐いていたのではない。 夜は、部屋を横切って歩きながら、よくあなたのことを考えたものだ。2026/09/12 15:21:48177.夢見る名無しさん父親 わしは、ここで、椅子に掛けていた。お前は歩いていた、わしはその足音を聞いていたのだ。フランツ (素知らぬ顔で無表情に)ああ。(感情を抑えて)僕は考えた。 もし、この始末におえないイメージをとらえて、僕の内側に取り込み、 僕の中に溶け込ませる手段があるとすれば、もう父しかいないのだ、と。父親 フランツ、わしだけしかいなかったのだよ。フランツ あっさり言いましたね。それを証明してください。(間)生きている限り、僕たちは二人です。(間)メルセデスには六人用の座席があったけれど、あなたは僕しか連れて行かなかった。よく言いましたね。 「フランツ、慣れなくてはいけないよ。スピードを出すからね」と。僕は八つだった。僕たちはエルベ河沿いのあの街道を走りましたね……トイフェルス橋は今でもありますか?父親 昔のままだ。フランツ あそこは危険な場所で、年々死人が出ていました。父親 死人は毎年増える一方だ。フランツ あなたはアクセルを踏みながら、「ほら、来たぞ」と言いました。僕は、恐さと嬉しさでもう夢中だった。父親 (かすかに顔をほころばせて)一度は、もう少しで、前のめりに転覆するところだった。フランツ 二度ですよ。近頃の車はもっと出るんでしょう。父親 お前の妹のポルシェは、百八十キロ出るよ。フランツ それに乗りましょう。父親 そうすぐには……フランツ 何を望んでいるのです?父親 猶予だ。フランツ それはありますよ。(間)そう長くはありませんがね。(間)僕は、あなたを憎まずに、一時間と過ごしたことはありません。父親 今は?フランツ 今は違います。(間)あなたのイメージは、頭にこびりついて離れない他のイメージと一緒に、 粉微塵になるでしょう。あなたは、最後まで、僕の大義名分だったし、宿命だったんだ。(間)2026/09/12 15:24:16178.夢見る名無しさん父親 よし。(間)わしはお前を作った。だからお前を解体するのだ。わしの死は、お前の死を包むだろう。だから、結局死ぬのはわし一人さ。 (間)待て。わしにとっても、万事がこう早く行こうとは思っていなかったのだ。 (微笑を浮かべるが、それは、彼らの苦悩を隠しおおせない)がらんどうの空の下に砕け散る生命か、おかしなものだ。こ、これには、何の意味もない。 (間)わしを審判する奴はいないだろう。(間)なあ、わしも自分が好きではなかったのだ。フランツ (父親の腕に手を置いて)それは僕の言うことですよ。父親 (同じ仕草で)やっとこうなったな。わしは雲の影だ。大雨が降り、やがて太陽は、わしが生きた場所を照らすことだろう。 そんなことはどうでもいいさ。勝つ者は負ける。わしとお前を押し潰す会社を作ったのはわしなのだ。何も惜しむことはない。 (間)フランツ、少しばかり飛ばそうかね? お前も慣れるよ。フランツ ポルシェに乗るんでしょう?父親 もちろんだ。車をガレージから出してくる。フランツ 合図をしてくれますね?父親 ヘッドライトでな? よし。(間)レーニとヨハンナがテラスにいる。あの娘たちに別れの挨拶をしなさい。フランツ 僕は……やりましょう……呼んでください。父親 それでは、じきにな。(退場)2026/09/12 15:25:55179.夢見る名無しさん第二景 フランツ一人、続いてレーニとヨハンナ(父親が大声で怒鳴るのが聞える)父親 (大声で)ヨハンナ! レーニ!(フランツは暖炉に近付き、自分の写真を眺める。いきなり黒リボンをはがして床に投げる)レーニ (その直前に現れて)何をしてるの?フランツ (笑って)僕は生きているだろう、え?(今度はヨハンナが入って来る。彼は舞台の前面に戻る)レーニ 中尉殿、私服を着ているのね?フランツ 親父がハンブルクまで連れて行ってくれるんだ。明日、船に乗るよ。もう君たちには会えないだろう。 ヨハンナ、君の勝ちだ、ウェルナーは自由だよ。空気のように自由だ。幸せに暮らしなさい。 (彼はテーブルの縁の所にいる。人差し指で録音機に触れて)この録音機を君にあげよう。 五三年十二月十七日の、僕の一番よくできた録音と一緒にね。僕は霊感を受けていたのだ。 後で聞きなさい。いつか、弁論の要旨を知りたいとか、そうでなくても、ただ僕の声を思い出したいという時に。受け取ってくれるね?ヨハンナ いただくわ。フランツ さよなら。ヨハンナ さよなら。フランツ さよなら、レーニ。(父親のように、髪を撫でてやる)お前の髪は柔らかいな。2026/09/12 15:29:31180.夢見る名無しさんレーニ どの車を使うの?フランツ お前のだ。レーニ で、どこを通って行くの?フランツ エルベ街道だ。(屋外で、自動車の二つのヘッドライトがつく。その光が窓越しに部屋を照らす)レーニ 分かったわ。お父さんが合図しているわよ。さよなら。(フランツが外に出る。エンジンの音。その音が膨れ上がって、また小さくなる。光芒が別の窓をさっと掃いて消える。車は出発した)2026/09/12 15:30:08181.夢見る名無しさん第三景 ヨハンナ、レーニレーニ 今何時?ヨハンナ (時計に近寄って)六時三十二分。レーニ 六時三十九分には、私のポルシェは水に落ちているわ。おさらばよ。ヨハンナ (驚いて)どうしてなの?レーニ トイフェルス橋は、ここから七分よ。ヨハンナ あの二人は行くのね……レーニ ええ。ヨハンナ (こわばって引きつり)あなたがあの人を殺したのよ。レーニ (同じようにこわばって)で、あなたは? (間)どうすることが出来るっていうの? あの人は生きたいと思っていなかったのよ。ヨハンナ (ずっとこらえている彼女は、今にも歯をカチカチ鳴らしそうになって)七分。レーニ (時計に近付いて)もう六分よ。いいえ、五分三十秒だわ。ヨハンナ 駄目かしら……レーニ あの二人をつかまえること? やってみなさいな。(沈黙)で、あなたはどうするの?ヨハンナ (きつくなろうとして)ウェルナーが決めてくれるわ。で、あなたは?レーニ (フランツの部屋を指して)あそこには、誰か閉じこもる人間が必要なのよ。その人間は、私よ。 ヨハンナ、もうあなたにはお目にかかれないわ。明日の朝、あのドアをノックするように、 ヒルダに言ってちょうだい。あの娘に言いつけることがあるから。 (間)あと二分。(間)私、あなたを憎んではいなかったわ。(録音機に近付く)弁論の要旨よ。(録音機の蓋を取る)ヨハンナ 私は嫌よ……レーニ 七分! さあ、お放しなさい。あの人たちは死んだわ。(最後の言葉を言い終えると、すぐに録音機のボタンを押す。ほとんど同時にフランツの声が響く。フランツが語る間、レーニが部屋を横切る。彼女は階段を上がり、部屋に入る)2026/09/12 15:33:29182.夢見る名無しさんフランツの声 (録音機から)来るべき世紀よ。ここにいるのは被告、孤独で異形な私の世紀だ。 私が引き受けた被告は、我と我が手で腹に穴を開けた。諸君がリンパ液だと思っているものは、血液なのだ。 赤血球が全然なく、被告は飢えて死ぬのだ。しかし、私は、この複雑な穿孔の秘密を話そう。 もしも残忍な太古以来の敵、被告の滅亡を誓った肉食類、毛のない魔性の野獣、すなわち人間に狙われなかったならば、現世紀は幸せだっただろう。 一プラス一イコール一、これが二十世紀の神秘だ。野獣は身を潜めていた。 同類の馴れ馴れしい獣の中に、我々は突如として野獣の目をとらえた。そこで、我々は殴ってやった。 それは、予防のための正当防衛だった。私は不意に野獣を襲って殴りかかった。一人の人間が倒れた。 依然として生きている野獣を、私を。一プラス一イコール一である。何という酷い誤解だろう。 私の咽喉につかえる、このすえたようなむかつく味は、誰の、何の味だろう? 人間の味か? 野獣の味か、私自身の味か? これは二十世紀のあの味なのだ。幸福な来たるべき世紀よ。諸君は、我々の憎しみを知らない。 我々の生命を賭けた愛の、凄まじい力を、どうして諸君は理解するだろう。愛、憎しみ、一プラス一イコール…… 我々を無罪にしてほしい。被告は、まずはじめに恥辱を知ったのだ。彼は、自分が一糸もまとっていないことを知っている。 美しい子供たちよ。君たちは、我々から生まれたのだ。我々の苦しみが、君たちを作ったのだ。2026/09/12 15:35:24183.夢見る名無しさん 二十世紀は女で、子を産んだのだ。諸君は、自分の母親を断罪するのか? さあ、答えたまえ。 (間)三十世紀は、もう答えはしない。我々の世紀の後には、おそらく世紀などはもうないだろう。 おそらく一発の爆弾が、光を吹き消してしまっているだろう。夜よ、おお、かつてあり、未来にもあり、現に今もある夜の法廷よ。 私は生きた。生きたのだ。この私、フランツ・フォン・ゲルラッハは、ここで、この部屋で、二十世紀を双肩に担った。 私は言った。「この責任を担う」と。今日、そしてまた永遠に。え、何っ?(レーニはフランツの部屋に入ってしまっている。ウェルナーが建物の入り口に現れる。ヨハンナは彼を認めてそちらへ行く。無表情な二人。彼らは言葉を交わさずに退場。「さあ、答えたまえ」からあと、舞台は空っぽ)---幕---2026/09/12 15:36:47
【緊急速報】日向坂エース、ここまで脱ぐWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW乃木坂4630974.42026/09/22 18:34:54
陰キャラニート
フランツ レーニの話は別にしよう。僕たちは、今、二人きりで顔をつき合わせている。何が起こるだろう?
ヨハンナ (同じ熱心さで)何も起こらない、何も変わらないわ。私たちは……
フランツ 君が僕を破壊することになるだろうよ。
ヨハンナ (調子を変えず)そんなこと決してないわ。
フランツ 君は、ゆっくり、確実に、僕を破壊していくのだ。君がいるというただそれだけのことで。既に僕の狂気がいためられている。ヨハンナ、狂気は僕の隠れ家だったが、明るみに出た僕の狂気はどうなるのだろうか?
ヨハンナ (同じ調子で)あなたは癒えるわよ。
フランツ (短い叫び)へえ。(間。冷たい笑い)僕は垂れ流しの老いぼれになるのさ。
ヨハンナ 私は決してあなたに酷いことなんかしないわ。あなたを癒そうとも思わないわ。あなたの狂気。それは私の檻なの。その中を私はぐるぐる回っているんだわ。
フランツ (苦く寂しい愛情を込めて)可愛いリス。君はぐるぐる回っているんだね? リスは素晴らしい歯の持ち主だ。君は格子をかじるだろう。
ヨハンナ それは嘘。私は格子をかじりたいとさえ思わないわ。あなたの、ありったけの気まぐれに従っているのよ。
フランツ それはそうさ。だが、あまり見え透いているよ。君の嘘はとりもなおさず告白だ。
ヨハンナ (引きつって)あなたには決して嘘を吐かないわ。
フランツ 君は、それ一本槍だ。寛大に、忠実に。まるで真面目な兵卒みたいだね。ただ、君は嘘がまずすぎるよ。巧く嘘を吐くには、自分が嘘でなければならない。僕の場合がそれさ。
君という女は真実なのだ。君を見ると、真実は存在しているが、僕の側にはないことを認識するね。(笑う)僕ならば、もしデュッセルドルフに孤児がいるとすれば、孤児たちはうずらみたいに丸々太っていると断言するね。
ヨハンナ (機械的で依怙地な声で)あの子たちは死んだわ。ドイツは死んだのよ。
しかし、毎度君の裏をかく僕は、君の共犯者をつとめている。というのは……というのは、僕が君に惹かれているからさ。
ヨハンナ (幾分我に返って)それでは、お互いに、自分が望むのと反対のことをしているというわけね?
フランツ 全く、その通りだよ。
ヨハンナ (横柄なごつごつした口調で)それで? 出口は一体どうなの?
フランツ お互いにやるべきことを望むということさ。
ヨハンナ 私は、あなたを破壊することを望まなければならないの?
フランツ 僕たちはお互いに、相手が真実を望むように助け合わなければならないのだ。
ヨハンナ (調子を崩さずに)あなたは決して真実を望みはしないわ。骨まで誤魔化されているのよ。
フランツ (素っ気無く冷ややかに)ねえ、君、僕はどうしても自分の身を守らなければならなかったのだ。(間、いっそう熱を帯びて)僕は即座に世迷言を捨てるだろう……ただし……ただし……
(躊躇する)
ヨハンナ ただし?
フランツ 僕が自分の嘘以上に君を愛し、僕の真実に懲りずに君が僕を愛するとすればだよ。
ヨハンナ (皮肉に)あなたに真実があるの? どんな真実? あなたが蟹たちに話すあれなの?
(間)何? (腰を下ろす)蟹を探して、どこへ行ったかって? (間)昔は……知っていたのだが……そう、そう、そうだ。しかし、僕には気がかりになることが山ほどある。
(間。きっぱりした口調で)本当の、善良で立派な人間は、積み重なった世紀のあらゆるバルコニーにいるのだ。
法廷を這いずり回っていた僕には、彼らの声が聞こえるような気がした。「兄弟よ、あれは何だ?」あれというのは、僕のことだった……
(立ち上がる。軍隊式敬礼。不動の姿勢、強い声で)僕は蟹だ。(ヨハンナの方を振り向き、親しげに話しかける)ところで、僕は、否、と言った。
人間は、僕の時代を裁きはしないだろう。彼らは、結局、どうなるのだろうか? 僕らの子供のそのまた子供たちは? 祖父さんを断罪することが、子供たちに許されるんだろうか?
僕は状況を逆転した。僕は叫んだ。「ここにいるのは人間だ。俺がなくなった後は大洪水で、その大洪水の後には、蟹が、君たちが残るのだ」と。
全員が覆面をとった。バルコニーには節足動物がうようよしていた。(厳粛に)君は人間が悪足類に属することを知らないわけではない。
僕は、人類の死骸を甲殻類の法廷に引き渡して、とことんまで推し進めた。(間。彼はゆっくり横に歩く)よし。だが甲殻類というのは人間らしい。
(取り乱した様子で静かに笑う。ヒトラーの肖像の方に後ずさりする)ほら、やはり人間なんだよ。
(急にかっとなって)ヨハンナ、僕は彼らの裁判権を忌避して、この訴訟を彼らの手から取り上げ、君に任せる。僕を裁いてくれたまえ。
ヨハンナ (驚きよりは諦めの方が強く)あなたを裁くの?
ヨハンナ 昨日はまだ、あなたは証人だった。人間の証人だったわ。
フランツ 昨日は昨日だ。(額に手をやる)人間の証人……(笑って)それは誰だと思うかね? ねえ、奥さん、それは人間でございますよ。そんなことは子供にだって察しがつく。
被告が自分のために証言するのだ。僕は悪循環が存在するのを認める。(暗い傲慢さで)ヨハンナ、僕は人間だ、全人類だ、人間の全てだ。
(唐突な滑稽な卑屈さ)誰彼と同じようにこの世紀なのだ。
ヨハンナ それならば、私は誰か他の人の裁判をやるわ。
フランツ 誰の?
ヨハンナ 誰でもいいのよ。
フランツ 被告は模範的な態度をとるという約束をしている。僕は被告に有利な証言をするべきだったが、お望みなら、自分を告発してもいいのだ。
(間)もちろん、君は自由だ。しかし、僕を理解しないで、知ることを恐がって、僕を捨てるならば、よかれ悪かれ判決を下したことになるのだ。決心しなさい。
(課。彼は天井を指す)僕は頭の中をかすめることなどを彼らに話しているけれど、全然反応がないのだ。
冗談や笑い話もしてやっているが、それについては、果たして彼らが早飲み込みをしているのか、
それとも僕に敵意をもって意見発表を差し控えているのか、もっと考えなくてはならない。
僕の罪の上には沈黙のピラミッドが、口を閉ざしている千年の時間がある。こいつは全くやりきれない。
ひょっとして、彼らは僕を知らないのだろうか? 僕を忘れていたら? 裁判所がなかったら、この僕はどうなるだろう? 何という侮辱だ。
「お前はしたいことをするがいい。世間はそんなことに構っていられない」なんて。
それでは? 僕が勘定にも入らないっていうのか? 罰されない生命は、大地に飲み込まれるのだ?
君は僕の話に耳を傾け、僕が不意に君の目を見て、君が答えてくれるのを聞くだろう。いつか、おそらくは何年かの後、君は僕の無罪を認め、僕は君の判決を知るだろう。
こんなにめでたい話があるだろうか? 君は僕の全てになり、全てが僕の無罪を宣告してくれるのだ。(間)ヨハンナ! そんなことがあるだろうか?
(間)
ヨハンナ あるわ。
フランツ 僕は、まだ愛されるだろうか?
ヨハンナ (寂しいけれども深い誠実味のこもった微笑)残念ながら。
(フランツ、立ち上がる。彼は開放されたような、ほとんど幸福な様子。ヨハンナの方に進み、彼女を腕に抱える)
フランツ もう決して一人にはならないぞ……(ヨハンナに接吻しようとしてから、急に彼女を押しやり、偏執的で冷酷な態度に変える。
ヨハンナは彼を見つめ、相手が本来の孤独に舞い戻ったことを汲み取って、固くなる。陰険だが、それも自分だけを目当てにした皮肉を込めて)
ヨハンナ、許してくれ、僕が自分で選んだ審判者を堕落させるには、ちょっと早すぎる。
ヨハンナ 私はあなたの審判者じゃないわ。愛する人を裁くなんて、できないことよ?
フランツ だが、僕を愛さなくなったら? いよいよ判決ということではないだろうか? 最後の審判ではないだろうか?
ヨハンナ どうして私にそんなことが出来るの?
フランツ 僕の正体を知ったからね。
ヨハンナ もう知っているわ。
僕は自分のことを話し、君がそれを聞き、突然愛が崩れ落ちる。君は僕に恐怖の眼差しを向け、僕は感じるのだ。自分が、またもとの……
(四足になって横に這う)……蟹になることを。
ヨハンナ (フランツに恐怖の眼差しを向けて)やめて。
フランツ (四つん這いのまま)君はそういう目つきをするのだ。まさにその目つきだ。(ぱっと立ち上がる)どうだね、僕は有罪だろう。救いのない罪人なんだ。
(儀式ばってはいるが楽天的な声に変わる)もちろん、同じように、無罪放免の対象になる可能性もあるがね。
ヨハンナ (蔑むような緊張した態度)無罪を願っているのかどうか、はっきりしないわ。
フランツ もう審判は切り上げたいのだ。どっちに転ぶにしても。
(間)
ヨハンナ ブラヴォー。あなたは勝ったわ。私が行ってしまえば、あなたを断罪することになるし、このまま残れば、私たちの二人の間に、あなたが不信を育てることになるのよ。
その不信は、もうあなたの目の中に光っているわ。さあ、予定通りに運びましょう。二人で、一緒に堕落するために、夜を明かしましょう。手抜かりがないように、お互いを堕落させましょう。
私たちの愛を責め道具にしましょうよ。ね、飲みましょう。あなたはまだシャンパーニュを飲むのよ。私はウィスキーだったわ。
持って来るわね。めいめい自分の瓶を持って、相手の前で、しかも一人で飲むのよ。(暗い微笑)私たちが何になるかご存じ、人間の証人さん。ありきたりの男女よ。
(彼女は自分のグラスにシャンパーニュを注いで、グラスを上げる)二人のために!
(一気に飲み干して、グラスをヒトラーの肖像に投げつける。グラスは肖像に当たって砕ける。ヨハンナは壊れた家具の山から肘掛け椅子をとって来て、その椅子を起こして座る)さあ、どうなさるの?
ヨハンナ 私が聞いているんだわ。どうするの? 言いたいことって、何なの?
フランツ 君には、僕が言うことが分からなかったのだ。もし、僕たち二人だけだったら、誓ってもいいが……
ヨハンナ 他に何があるの?
フランツ (苦しそうに)妹のレーニがいるのだ。僕が喋る決心をするのは、二人があの女から逃れるためなのだ。僕は、言うべきことを……言うだろう。逃げずにね。だが、僕なりに、じわりじわりと話すのさ。
それには、何ヶ月も何年もかかるのだ。そんなことはどうでもいいさ。僕は、君の信頼しか求めないし、もう僕しか信じないと約束してくれたら、君は僕の信頼を得ることができるのだ。
ヨハンナ (長々と彼を見つめる。前よりも優しくなって)いいわ、私はあなたしか信じなくてよ。
フランツ (少々もったいぶっているが、真面目に)君がこの約束を守る限り、レーニは僕たちに何もできないのだ。(椅子に座る)僕は恐かった。君が僕の腕の中にいた。僕は君がほしかった。僕は、その時、まさに生きようとしていた……
だが、急に、妹の姿が頭に浮かんで、彼女が二人の仲をぶち壊すだろう、と思った。(ポケットから一枚のハンカチーフを取り出して、額の汗を拭き取る)やれやれ。
(優しい声で)今は夏だね。暑いに違いない。(間、空を見つめて)あの人が僕を素敵な機械にしてしまったことを知っているかい?
ヨハンナ お父様が?
フランツ (同じ調子で)うん。ブレーキなんだ。(くすくす笑い。間)また夏が来た。だが、機械はまだ回転している。相変わらず空転しているのさ。
(立ち上がる)僕の過去を話してあげよう。だが、とんでもない悪辣な行為を予想してはいけないよ。いや、そんなものはありさえしないのだ。僕が自分に責めているのは何か知っているかい?
何もしなかったことさ。(ゆっくり照明が弱まる)何も、何も、決してしなかったのだ。
女の声 (優しく)兵隊さん。
ヨハンナ (女の声を聞かずに)戦争に行ったのね?
フランツ 当たり前さ。
(舞台が暗くなり始める)
女の声 (一段と強く)兵隊さん。
フランツ (舞台の前面に立つ彼だけが見える。椅子に座っているヨハンナは闇に包まれている)人間が戦争を作るのではない。戦争が人間を作るのだ。戦闘を交えている間僕は適当にふざけていた、
僕は軍服を着た一般市民だったのだ。ある晩、僕は永遠に軍人になった。(後ろのテーブルの上から将校用の帽子をとって、いきなりかぶる)僕は、乞食同様の敗残者、無力な人間だった。
ロシアから帰る途中だったが、身分を隠してドイツを横切るうちに、廃墟になったある村に入った。
女 (依然として姿は見えない、さらに強い声で)兵隊さん。
フランツ 何だ? (急に後ろを向く。左手に懐中電灯を握り、右手でケースからピストルを抜き取り、引き金に指をかける。懐中電灯はつけていない)誰だ、俺を呼んでいるのは?
女 よく探してごらん。
フランツ お前たちは何人だ?
女 お前さんが立っている所には、もう一人もいない。地べたには私がいるのさ。
(フランツは不意に懐中電灯で、地面を照らす。一人の黒衣の女が床板の上に半ば横たわり、壁にもたれている)目がくらむじゃないか。それを消しとくれ。
(フランツ、電灯を消す。二人を包み、客席から二人を見えるようにしているぼーっとした光だけが残る)
あっはっは。射ちな、さあ、射ちなよ、ドイツ女を一人殺して、それでお前の戦争は終わりにするんだ。
(フランツは、その気もないのに銃口を女に向けていたことに気付く。愕然としてピストルをポケットにおさめる)
フランツ そこで何をしているのだ?
女 ごらんの通り、壁の根元にいるのさ。(昂然と)これは私の壁だ。村中で一番頑丈な壁だ。たった一つ残った壁だよ。
フランツ 一緒に来い。
(毛布を少し持ち上げる。フランツは女が見せようとするものに光を当てるが、それが何かは客席からは見えない。彼はついで呻き声を上げ、急に電灯を消す)そうだ、これも昔は私の脚だったのさ。
フランツ 何かお前にしてやれることがあるだろうか?
女 ちょっとお座りよ。(フランツは彼女のそばに腰を下ろす)私は、この壁の根元に、一人のドイツ兵を座らせてやった。(間)とりたてて、どうしろとも言わずにね。(間)その兵隊が弟ならばいいと思ったが、弟は戦死したんだよ。
ノルマンディーでね。仕方がないさ。お前で間に合うよ。弟の奴に言ってやりたかったな。「見ろ! (村の廃墟を指して)これはお前の仕業だぞ」とね。
フランツ お前の弟の仕業だって?
女 (じかにフランツに向かって)それからお前の仕業だ。
フランツ なぜだ。
女 (分かりきっていると言わんばかりに)お前はただ負かされるままになっていた。
フランツ 馬鹿なことを言うな。(不意に立ち上がって女と向き合う。それまで見えなかった貼り紙に、彼の視線がぶつかる。
貼り紙は投光器で照らされている。貼り紙は女の右側、地上百七十五センチメートルの高さの壁に貼ってある。「罪人はお前たちだ!」)
まだあるんだな。してみりうと、奴らはところかまわずに貼りめぐらしているのだ。
(ビラを剥がしに行く)
女 (顔をのけぞらせて、フランツを見つめながら)よしなよ。ほっときなというのに。これは私たちの壁だよ。
(フランツ離れる)罪人はお前たちさ。(ポスターの文字を読み、フランツを指して)お前、弟、お前たちみんなだ。
フランツ お前、奴らと同意見なんだな?
だって、奴らは勝ったからさ。それでも、あたしはね、本当の食人種は勝った奴だという考えを捨てないよ。
兵隊さん、正直に言いな。お前は人間を食おうとは思わなかった、とな。
フランツ (うるさそうに)俺たちは破壊した。破壊したのだ。町も、村も、数々の首都も。
女 奴らが、お前たちを負かしたとすれば、お前たち以上にぶち壊したからさ。(フランツは肩をすくめる)お前は人間を食ったかい?
フランツ で、そっちの弟は? 弟は人間を食ったのか?
女 滅相もない。弟はきちんと礼儀を守っていたよ。お前さんのように。
フランツ (沈黙の後)お前は収容所の話を聞いたことがあるか?
女 どの収容所だね?
フランツ 知っているくせに。皆殺しの収容所さ。
女 その話なら聞いたさ。
フランツ もし、お前の弟が死ぬ時に、そういう収容所の番兵だったと聞かされたら、お前は鼻が高いだろうか?
女 (残酷に)そうともさ。よく聞きな。弟が何千という死人に良心を咎めていれば、その中に、あたしたちのような女や、この石ころの山の下で腐っていく子供たちと同じような子供がいれば、
あたしは弟を自慢するだろうよ。弟が天国にいること、弟には「おれは出来るだけのことをやったのだ」と言う権利があることが、わかっただろう。
だがね、あたしは、弟がどんな人間か、よく知っている。弟は自分の名誉や立派さほどに、あたしたちが好きじゃなかった。そこで、この始末だ。
(腕を振り回す。乱暴に)テロが必要だった。お前たちが、残らずぶち壊さなければならなかったのさ。
フランツ それなら俺たちはやったよ。
それがまだ赤ん坊だったといっても、一人の敵の生命を助けるたびに、お前は味方を殺したのだ。お前は相手を憎まずに戦争をしようとしたけれど、この心を虫食う憎しみをあたしに植え付けた。
お前の立派さはどこに行ったのだ? ろくでなしの兵隊め。負けて逃げ出す兵隊め、お前の名誉はどこに行った? 罪人はお前だ。神様はお前がやったことを裁くんじゃない。
お前にやりとおせなかったこと、犯さなければならないのに犯さなかった罪のことで、お前を裁くのだ。
(だんだん暗くなる。ただ貼り紙だけが見える。遠ざかりながら、女の声が繰り返す)
罪人はお前だ、お前だ、お前だよ。
フランツの声 (闇の中で)ヨハンナ!
(明かりがつく、フランツは帽子をかぶらず、テーブルの脇に立っている。ヨハンナは、肘掛け椅子に腰掛け、女の姿は消えている)
ヨハンナ (飛び上がって)なあに?
(フランツが彼女の方に行く。彼は長々とヨハンナを見つめる)
フランツ ヨハンナ!
(回想を追い払おうとしながら、ヨハンナを見る)
ヨハンナ (幾分素っ気無く、後ろに飛び退って)その人はどうなったかしら?
フランツ あの女かい? 次第によるね。
ヨハンナ (驚いて)何の?
フランツ 僕の夢さ。
ヨハンナ あれは思い出ではなかったの?
フランツ 夢でもあるのさ。時によって、あの女を連れて歩いたり、また捨てたりするのだ。そして……
ひょっとするとあいつは死んだ。あれは悪夢だよ。(視線を動かさず、自分に向かって)あの女を殺しはしなかったかな?
ヨハンナ (驚きもせず、恐怖と嫌悪を交え)まあ!
(フランツ、笑い出す)
あらゆる道路上に犯罪が転がっている。下手人を待つばかりになっている予謀犯罪がある。本物の兵隊が通りかかって、その犯行を引き受ける。
(不意に)この話はお気に召さないかね? 僕は、君の目が嫌だ。ああ、君の気のすむように、あの女を始末してやってくれ。
(大またに、彼女から離れる。テーブルのそばで振り向く)「罪人はお前だよ」君はどう考える? あの女は正しかったのだ。
ヨハンナ (肩をすくめて)気違いだったのよ。
フランツ うん、それが何の証拠になるのだ?
ヨハンナ (強く、はっきり)兵隊と飛行機の数が足りなかったから、ドイツは負けたのよ。
フランツ (ヨハンナをさえぎって)分かった。分かったよ。(間)それはヒトラーにかかわりのあることさ。
(間)僕は、君に自分の話をしているところなのだ。戦争は僕の巡り合わせだった。どこまで戦争を愛するべきだったろうか?
(ヨハンナが口を開こうとする)考えてくれ。よく考えてくれ。君の返事は決定的だ。
ヨハンナ (ばつが悪そうに、苛立って固くなり)よく考えたわ。
フランツ (間)もし、ニュールンベルクで裁かれたあらゆる大罪を、実際に僕が犯したとしたら……
ヨハンナ どんな罪なの?
フランツ 知るものか。集団虐殺と大量の婦女暴行さ。
ヨハンナ (肩をすくめて)どうして、あなたがそんな恐ろしい罪を犯したの?
フランツ 戦争は僕の巡り合わせだったからだ。僕たちの父親が母親を孕ませた時、彼らは母親の腹に兵隊を作ったのさ。僕には、なぜか分からない?
ヨハンナ 兵隊は男よ。
フランツ 男よりも兵隊の方が先なのだ。ところで? 君はまだ僕を愛するだろうか?
(ヨハンナが口を開こうとする)しかし、お願いだ。ゆっくり考えてくれ。
(ヨハンナ、黙ってフランツを見る)さあ、どうだ?
ヨハンナ 駄目だわ。
フランツ もう愛してはくれないのかい? (ヨハンナ、頷く)君には、僕が恐いのか?
ヨハンナ ええ。
(彼女は疑い深く厳しい態度を捨てない)僕に気を許しても大丈夫だよ。僕はセンチメンタルになってドイツを殺してしまったのさ。
(浴室のドアが開き、クラーゲス登場。ゆっくりした足取りで、フランツの椅子に座りに来る。フランツもヨハンナもクラーゲスには目もくれない)
フランツ スモレンスク付近の我が軍は五百名だった。ある村を固守していた。
隊長は戦死、大尉たちも戦死で、結局僕たち二人、つまり二人の中尉と、それに一人の曹長がいた。
奇妙な三頭政治だった。クラーゲス中尉は牧師の息子で、理想主義者で、雲の上の住人だった!
曹長のハインリッヒは、地に足のついた男だったが、百パーセントのナチだった。
僕たちと後衛との間を、パルチザンが遮断していた。彼らは火網で街道を制圧していたのだ。
食料は三日分しかない。二人のロシア人農夫が発見されて、こちらは彼らを納屋に放り込んで捕虜ということにした。
クラーゲス (困惑して)なんて酷いことを。
フランツ (振り向かずに)えっ?
クラーゲス ハインリッヒ。何と酷いことをするのだ。
フランツ (振り向かずに、ぼんやりと)ああ……
クラーゲス (情けなさそうな暗い顔で)フランツ、僕は肥溜めに落ちたも同然だ。
(フランツが急にクラーゲスの方を向く)曹長は二人の農夫に口を割らせようと、もくろんでいるのだ。
フランツ やれやれ。(間)で、君は、ハインリッヒが農民たちを小突き回すのが嫌なのか?
クラーゲス 僕は間違っているだろうか?
フランツ 問題はその点ではない。
クラーゲス それでは何だ?
フランツ 君は、ハインリッヒに、納屋への出入りを禁止したのだな? (クラーゲス頷く)そうすると、彼は入ってはならないわけだ。
クラーゲス 君も承知しているように、あの男は僕の言うことは聞くまい。
フランツ (怒りをまじえた驚きを装って)何だって?
クラーゲス 僕には言葉が見つからないのだ。
フランツ 何?
クラーゲス あの男を説得する言葉がさ。
フランツ (呆れて)しかも、君は曹長を説得しようというんだからね。(乱暴に)畜生みたいに扱ってやるんだ。這わせてやるのさ。
フランツ 部下が、一人でも、君に服従することを拒んだら、君はもう誰にも服従されなくなる。
人間の尊敬なんてちゃんちゃらおかしいよ。しかも、君が規律をほったらかすなら、敗北か殺戮だ、それとも両方一緒だ。
クラーゲス (立ち上がって、ドアの方に行き、外部をちらっと見る)あいつは納屋の前にいる。椅子をうかがっているのだ。(ドアを閉め、フランツの方を見る)彼らを助けてやろう。
フランツ 君が自分の権威を救いさえすれば、あの二人を救えるよ。
クラーゲス 僕は考えたんだが……
フランツ 何を……
クラーゲス ハインリッヒは君のいうことなら、神の言葉みたいに、よくきくのだ。
フランツ こっちが糞の塊り同様に扱ってやるからさ。当然のことだ。
クラーゲス (困惑して)君に命令を出してもらえたら……(懇願するように)フランツ。
フランツ 駄目だ。捕虜は君の担当だ。僕がかわりに命令したら、僕は君を無視することになる。君の面目をつぶしてから一時間後に、僕が戦死したら、ハインリッヒが一人で指揮をとるだろう。
そうなれば破滅だよ。僕の部下たちにしてみれば、あいつはまるで獣だし、君の捕虜たちには、意地悪そのものだからな。(部屋を横切ってヨハンナに近付く)そして、何よりもクラーゲスの破滅だ。
たとえ相手が中尉でも、ハインリッヒは彼を倒してしまっただろう。
ヨハンナ どうして?
フランツ クラーゲスはドイツが負けることを願っていたからだ。
クラーゲス 僕はドイツの敗北を願いはしない。望んでいるのだ。
フランツ 君にそんな権利はないよ。
クラーゲス 敗北すれば、ヒトラーが崩壊するのだ。
フランツ そしてドイツがね。(笑いながら)降参だ! 降参だ! (ヨハンナの所に戻って)彼は心の中で留保するのが得意だった。
肉体でナチに奉仕していることを隠すために、心でナチの連中を罰していたんだよ。
ヨハンナ その人はナチに奉仕なんかしなかったわ。
彼はいつも紙に向かって言ったものだ。「私は私がやることを望んでおりません」とね。
それなのに、それをやっていたのだ。(クラーゲスの所に戻って)戦争は君に滲みとおっている。
戦争を拒んだら、君は自分を永遠に無力なものにしてしまうのだ。モラリストの君は、魂をただで売り飛ばしたのさ。
僕の魂は、無料で渡したりするものか。(間)まず勝つことだ。ヒトラーに構うのはそれからだ。
クラーゲス それでは間に合うまい。
フランツ やってみるさ。(ヨハンナの方に戻り、脅かすように)僕は騙されたことがあるから、もうそれ以上騙されまいと決心したのだ。
ヨハンナ あなたを騙したのは誰なの?
フランツ それが知りたいのかい? ルターだよ。(笑って)え、分かったろう。僕はルターを悪魔にまかせ、戦争に出て行った。
戦争は僕の宿命だった、だから僕は心から戦争を望んだね。とうとう僕が行動したのだ。僕は秩序を組み立てなおして、本来の僕と一致した。
ヨハンナ 行動するって、殺すことね?
フランツ (ヨハンナに)行動は行動さ。自分の名前を書き誌すことだ。
クラーゲス 何に書くのだ?
フランツ (クラーゲスに)そこにあるものにさ。僕はあの平原に僕の名前を書き込む。
まるでたった一人でやったように、僕は戦争の責任を負う。そして、勝利をおさめた暁にはやり直すのだ。
ヨハンナ (非常に素っ気無く)で、フランツ、捕虜は?
フランツ (彼女の方を振り向いて)何だって?
ヨハンナ 全てに責任を負うあなたは、その捕虜たちに対しても責任を負ったの?
フランツ (間)僕は彼らを救ってやったよ。
(クラーゲスに)君の権威を傷つけずに、どうしてハインリッヒにこの命令をくだしたものだろう? ちょっと待ちたまえ。
(考え込む)よし(戸口に行ってドアを開く。呼ぶ)ハインリッヒ!
(テーブルの方に戻る。ハインリッヒが駆け込んでくる)
ハインリッヒ (挙手の礼、不動の姿勢)中尉殿、何でありますか?
(幸福な、優しいくらいのほのかな信頼の微笑が、フランツに話しかける彼の顔色を輝かせる)
フランツ (急がず曹長の方に進み、頭のてっぺんから足の先まで点検する)曹長、身だしなみが悪いぞ。
(ボタン穴にぶら下がっているボタンを指して)それは一体何だ?
ハインリッヒ これは……その……ボタンであります、中尉殿。
フランツ (親切に)なくすところだったぞ。(さっとボタンをもぎ取り、左手に握る)付け直しておけ。
ハインリッヒ (恐縮して)中尉殿、糸を持っている者は、もう一人もおりません。
フランツ 文句を言うか、くそったれめ! (素早く右手で平手打ちを二度食らわせる)拾え!
(ボタンを落とす。曹長は屈み込んでボタンを拾う)気を付け!
(ボタンを拾った曹長は、不動の姿勢をとる)今日から、クラーゲス中尉と俺とは、毎週勤務交替をすることに決めた。君はただちに注意を前哨に案内しろ。
(ハインリッヒは挙手の敬礼)待て。(クラーゲスに)捕虜がいると思うか?
クラーゲス 二人いる。
フランツ 結構、俺がその二人の面倒をみる。
ハインリッヒ (目を輝かせる、フランツが彼の申し出を承認すると思っている)中尉殿!
フランツ (驚いた様子で、乱暴に)何だ?
ハインリッヒ 奴らはパルチザンであります。
フランツ なるほどな。それで?
ハインリッヒ もしお許しくださるならば……
クラーゲス 曹長には前もって捕虜にかまうことを禁じてある。
フランツ 分かったな、ハインリッヒ? これで話はついた。行け!
クラーゲス 待て。こいつが何と聞いたか知っているか?
ハインリッヒ (フランツに)中尉殿、じ、自分は冗談を言ったのであります。
フランツ (眉を寄せて)上官に対して? (クラーゲスに)何と聞いたのだ?
クラーゲス 「自分が中尉殿の命令に服従しなければ、どうなさいますか?」とね。
(ピストルのケースを叩きながら)……射殺する。
(間)
クラーゲス (ハインリッヒに)前哨に案内したまえ。
(フランツの目くばせしてハインリッヒの後から外に出る)
フランツ 部下の兵隊を殺すのはいいことだろうか?
ヨハンナ あなたは兵隊を殺さなかったわ。
フランツ 彼らを死なせないために、やるべきことを全部やりはしなかったのだ。
ヨハンナ 捕虜は喋らなかったでしょう。
フランツ 君に何が分かる?
ヨハンナ お百姓のこと? あの人たちには、何も喋ることなんか、なかったわ。
フランツ 彼らがパルチザンではないと、誰が証明してくれるのだ?
ヨハンナ 一般に、パルチザンは喋らないものよ。
フランツ そうだ。一般にはね。(夢中になって言い張る)ドイツは犯罪に相応しいって?
(俗っぽく、ほとんど滑稽なほど、取り止めのない気安さで)僕の言うことが分かってもらえるかどうか分からない。君は、既に世代の違う人間だ。
(間。荒っぽく、固くなって、冷たく、真剣に、彼女には目もくれず、瞳を凝らして、ほとんど不動の姿勢で)
短い人生、そして最高の死! 進め! 進め! 恐怖の果てまで行って、地獄を乗り越えるのだ。
火薬庫があれば闇の中でそれを爆発させて、ドイツ以外の全てを吹き飛ばしていただろう。
一瞬、僕は忘れることの出来ない花火の、くるめく最後の一発になり、やがて何もなくなる。
ただ夜と青銅に刻まれた僕の名前だけが残っただろう。(間)正直なところ、僕は二の足を踏んだ。ねえ、君、原理は常に原理だ。
僕はその二人の身元不明の捕虜よりも、部下の兵隊の方が可愛かった。
それなのに、否と言わなければならなかったのだ。そして僕は食人種になっただろうか? いや、せいぜい菜食人種さ。
(間、大げさに、立法官よろしく)全てをつくさない人間は、無為の人間だ。つまり、僕は、何もしなかったのさ。何もしなかった人間は誰でもない。
誰かいないか? (答えるように、名乗り出て)おります。(間、ヨハンナに)これが第一の訴因だよ。
ヨハンナ 私は無罪を宣告するわ。
フランツ この訴因について、審理しなければならない。
フランツ ヨハンナ! (五つ、四つ、三つずつ二回ドアをノックする音。二人は互いに顔を見合わせる)少し遅かったな。
ヨハンナ フランツ……
フランツ 僕を無罪にするには少々遅い。(間)親父が喋ったのだ。(間)ヨハンナ、君は死刑執行を見るだろうよ。
ヨハンナ (彼を見て)あなたの? (再びノックし始める音)で、黙って殺されるの? (間)それでは、あなたは私を愛していないのね?
フランツ (音もなく笑って)僕たちの愛情のことは今話すよ……(ドアを指して)……あれの目の前でね。見られた図じゃあるまいな。
しかし、これは覚えておいてほしい。僕は君に助けを求めるけれど、君は助けてはくれないだろう。(間)また、幸運があるとすれば……あそこに入るんだ。
(彼はヨハンナを浴室に連れて行く。ヨハンナ、中に入る。フランツはドアを閉めて、レーニに入り口を開けてやりに行く)
フランツ (素早く腕時計のベルトをはずして、ポケットに入れる。レーニは、白い砂糖に包まれた小さなサヴォワ風の菓子を盆にのせて入って来る。
菓子には四本の蝋燭が立ててある。左の小脇に新聞を一部はさんでいる)こんな時間に、何だって邪魔しに来たのだ?
レーニ 時間を知っているのね?
フランツ お前が出て行って、まだ間もないことだけは知っているよ。
レーニ 時間が短く感じられたのだわ。
フランツ 運。(菓子を指して)何だい?
レーニ 可愛いお菓子よ。明日、食後に上げようと思ったの。
フランツ へえ、それで?
レーニ それを、この通り、今晩持ってきたわ。蝋燭をつけてね。
フランツ 蝋燭を? なぜだ?
レーニ 数えてごらんなさい。
フランツ 一、二、三、四。はて?
レーニ 兄さんは三十四になったのよ。
フランツ うん。二月二十五日からな。
レーニ 二月十五日はお誕生日だったわ。
フランツ それで、今日は?
レーニ 大事な日よ。
フランツ よし。(盆を受け取り、テーブルに運ぶ)「フランツ」僕の名前を書いたのはお前か?
フランツ 名声の女神だ。(自分の名をしげしげと見る)薔薇色の砂糖文字のフランツ。精銅版よりも美しいが、それほど気を引かないな。
(蝋燭に火をつける)静かに燃えろ。お前たちの消耗は、僕の消耗だ。(投げやりに)親父に会ったな。
レーニ 向こうから会いに来たのよ。
フランツ お前の部屋にかい?
レーニ ええ、そうよ。
フランツ 長いこといたかい?
レーニ 相当ね。
フランツ お前の部屋とは、格別のごひいきだな。
レーニ その代償を払うのは私よ。
フランツ 僕もだ。
レーニ 兄さんもね。
フランツ (菓子を二つ切り取る)これは僕の身体だ。(二つのグラスにシャンパーニュを注ぐ)これは僕の血だ。
(菓子をレーニに差し出す)お上がり。(レーニは笑って首を振る)毒が入っているかな?
レーニ そんなことをして何になるの?
フランツ お前の言う通りだ。なぜだろう。(グラスを一つ差し出す)健康のために乾杯してくれるね?
(レーニはグラスを受け取り訝しそうに眺める)蟹?
レーニ 口紅よ。
(フランツはグラスを奪い取り、テーブルに叩きつけて割る)
フランツ お前の口紅だ。お前は食器も洗えないのだな。(別のグラスを満たして差し出す。彼女はそれを受け取る。三つ目のグラスにシャンパーニュを注ぎ、それをとっておく)僕のために飲んでくれ。
レーニ 兄さんのために。
(グラスを上げる)
フランツ 僕のために。(自分のグラスをレーニのグラスと合わせる)僕のために何を祈ってくれるね?
レーニ 何もないように。
フランツ 何もなしか? ああ、それから? 素晴らしい思いつきだ。(グラスを上げて)無のために飲もう。
(グラスを空にしてテーブルに置く。レーニがよろめき、フランツが腕に抱きとめ、肘掛け椅子に連れて行く)お座りよ。
フランツ その通りだ。
(顔を拭く)
レーニ (独白のように)酷く寒いわ。また天候異変の夏ね。
フランツ (呆れて)暑苦しいよ。
レーニ (愛想良く)え? おそらくね。
(フランツを見つめる)
フランツ 僕を見ているね?
レーニ ええ。(間)兄さんはもう別人だわ。そう見えるはずなのに。
フランツ そう見えないかい?
レーニ ええ、あたしに見えるのは兄さんよ。(間)誰のせいでもないのよ。
ねえ、あなたは私を愛さなければいけなかったのよ。でも、あなたには、それができなかったと思うわ。
フランツ お前をとても愛していたよ。
レーニ (乱暴な怒りの叫び)黙ってよ!
(彼女は自分を制しているが、その声はどこまでも非常な残酷さを失わない)お父さんは、あなたがヨハンナを知っていると言ったわ。
フランツ あの人は、時々会いに来る。本当に真面目な女の子だ。僕はウェルナーのために嬉しいね。
お前は僕に何と言ったっけな? 彼女は全然せむしではないよ。
レーニ せむしですとも。
フランツ 違うったら。(手を垂直に動かす)あの人は……
レーニ そうよ。あの人の背筋は真っ直ぐだわ。だからといってせむしじゃないってわけじゃないわ。(間)綺麗だと思う?
フランツ で、お前は?
レーニ 死神みたいな美人ね。
フランツ 今お前が言ったことはなかなか痛烈だ。僕自身も、あの人について、そう考えたことがある。
レーニ あの人のために飲むわ。
(グラスを空にして投げる)
レーニ 私、何も感じなくてよ。
フランツ うん、あまり早すぎるのもな。
レーニ 全く早すぎるわ。
(間。フランツは菓子を一切れつまみあげて食べる)
フランツ (菓子を指しながら笑って)こんなものでたぶらかす気だな。
(左手に菓子を持っている。右手で引き出しを開け、ピストルを取り出し、菓子をかじりながら、レーニに差し出す)ほら。
レーニ これでどうしろというの?
フランツ (立ちはだかって)射て。そしてあの人は、そっとしておいておやり。
レーニ (笑って)引き出しにしまいなさい。私には、ピストルの使い方さえ分からないわ。
フランツ (腕を伸ばしたまま。掌にピストルが乗っている)あの人に怪我をさせないな?
レーニ 私が、十三年もあの人の世話をしたかしら? あの人の愛撫をねだったかしら? あの人の唾を飲み込んだかしら?
食べさせたり、身体を洗ってやったり、着物を着せたり、みんなから守ってやったりしたかしら?
あの人は、私に全然借りがないのよ。だから、あの人には指一本触らないわ。あなたを愛すればこそ、あの人が少し苦しめばいいと思うだけ。
フランツ (むしろ肯定的に)僕はすっかりお前の世話になったな?
レーニ (猛然と)何もかもだわ。
フランツ (ピストルを渡して)さあ、それを握れ。
レーニ あの人がほしくてたまらないのね。あなたは、あの人にどんな思い出を残すかしら?
それに、あの人には、寡婦暮らしがどんなに似合うことでしょう。あの人は未亡人向きに出来ているのよ。
(間)ねえ、私はあなたを殺そうとは思わないわ。世の中にあなたが死ぬほど恐ろしいことはないのよ。
ただ、私は、どうしても、あなたをうんと苦しめなければならない。私が考えているのは、ヨハンナにすっかり話してしまうことよ。
フランツ すっかり?
(ピストルの上にのせたフランツの手が引きつる)さあ、哀れな妹を射ちなさいな。あたしは手紙を書いたわ。
まずくすると、ヨハンナは、今夜それを受け取るはずよ。(間)私が仕返しをしていると思って?
フランツ 仕返しをしているのではないのか?
レーニ 正しいことをやっているのよ。死んでいようが生きていようが、あなたは、当然私のものよ。
だって、私は、ありのままのあなたを愛する、たった一人の女だもの。
フランツ たった一人だって? (間)昨日だったら、僕は人殺しをやってしまっただろう。
今日は、幸運が、ちらほら見えている。あの人が僕を受け入れてくれる百分の一の幸運が。
(ピストルを引き出しにしまって)まだお前に生命があるとすれば、レーニ、僕がこの幸運をとことんまでためす決心をしたからだ。
レーニ 大変結構ね。私が知っているということを、あの人が知って、いい方が勝てばいいわ。
(椅子から立ち上がり、浴室の方に行く。彼の後ろを通り抜ける時に、新聞をテーブルに投げ出す。フランツが飛び上がる)
フランツ 何だ?
レーニ フランクフルター・ツァイトゥングよ。私たちの話が出ているわ。
フランツ 僕とお前の?
レーニ 一家のよ。「ドイツを再建した巨頭たち」という続きものをやっているの。誰にも正当な名誉をと言うわけで、まずゲルラッハ一門を皮切りにね。
フランツ (新聞を取り上げる決心がつかない)親父は巨頭かね?
レーニ 世間がそう言っているのよ。読めば分かるわ。お父さんは、巨頭中の巨頭ですってさ。
(フランツは一種のしゃがれた呻き声を出して、新聞をつかみ、ページを開く。
観客に向かい、浴室に背を向け、広げた新聞で顔を隠して座る。レーニは浴室のドアを叩く)
開けなさいな。そこにいることは知っていてよ。
ヨハンナ (ドアを開けて)それはよかったわ。私は、隠れるのは好きじゃないの。(愛想良く)こんにちは。
レーニ (愛想良く)こんにちは。
(不安げなヨハンナは、レーニから離れて、まっすぐフランツの所へ行き、彼が新聞を読むのを眺める)
ヨハンナ 新聞? (フランツは振り向きさえしない。レーニの方を向いて)あなた、随分早手回しね。
レーニ 私は忙しいのよ。
ヨハンナ この人を殺すのを急いでいるのね?
レーニ (肩をすくめて)とんでもないわ。
ヨハンナ 走ったらいいわ。私たちは先を越しているんだから。今日からは、この人はきっと真実に耐えられると思うわ。
レーニ 不思議なことがあればあるものね。お父さんも、あなたが真実に耐えると信じているのよ。
ヨハンナ (微笑を浮かべて)私は何にでも耐えるわ。(間)お父様はあなたに喋ったのね?
レーニ ええ。
ヨハンナ お父様はね、このことで私を脅迫したのよ。ここに入る方法を教えてくださったのはお父様なの。
レーニ えっ?
ヨハンナ それを仰らなかった?
レーニ 言わなかったわ。
ヨハンナ お父様は私たちを操っているのね。
レーニ そんなこと、分かりきっているわ。
ヨハンナ あなた、それでいいの?
レーニ ええ。
ヨハンナ 私にはどうしろっていうの?
レーニ (フランツを指して)あなたが、兄の生活の外に出て行くことよ。
ヨハンナ もう出て行かないわ。
レーニ 私が出してみせるわ。
ヨハンナ やってごらんなさい。
(間)
今こそ、その約束を思い出すべきだ。今日、僕たちの愛情は、ただそれにかかっている。
ヨハンナ あなたしか信じないわ。(顔を見合わせる。彼女は優しい信頼を込めて微笑みかけるが、フランツの顔は蒼ざめ、痙攣のためにくしゃくしゃ。
ヨハンナに笑顔を見せようと努力するが、顔を背け手元の位置に戻り、再び新聞を取り上げる)どう、レーニ?
レーニ 私たちは二人。一人余計ね。余計な方は名乗り出なければならないわ。
ヨハンナ どうやりましょうか?
レーニ 真剣に勝負するのよ。もし、あなたが勝ったら、私と交替なさいな。
ヨハンナ あなたは誤魔化すわ。
レーニ そんな必要はないわ。
ヨハンナ なぜなの?
レーニ あなたが負けるに違いないんですもの。
ヨハンナ さあ、勝負しましょう。
レーニ いいわ。(間)フランツはハインリッヒ曹長とロシア人捕虜の話をしたの? 二人のパルチザンを救ったために、戦友たちを死に追いやったといって、自分を責めたのね?
ヨハンナ ええ。
レーニ そして、あなたは、彼が正しかったと言ったのね?
ヨハンナ (皮肉に)何でもご存知じゃない。
レーニ 驚くことはないわ。フランツは私にそう言ったのよ。
ヨハンナ それで? あなたはフランツが嘘を吐いていると言い張るの?
レーニ 彼があなたに言ったことは、間違いは全然ないわ。
ヨハンナ でも……
レーニ でも、話はまだ終わっていないわ、ヨハンナ、これからが勝負よ。
フランツ 素敵だ。(新聞を投げ出して立ち上がる。狂った目つきで、顔面は蒼白)
百二十の造船台。うちで作った船の、一年間の航程は、地球から月まで届くだろう。ドイツは立ち上がった。ドイツ万歳。
(大またの機械的な足取りで、レーニの方に行く)ありがとう、レーニ。さあ、僕たち二人だけにしてくれ。
レーニ 嫌よ。
フランツ (居丈高に、怒鳴る)二人だけにしろというんだ。(レーニを引っ張ろうとする)
ヨハンナ フランツ!
フランツ 何だい?
ヨハンナ 私はあの話の結末を知りたいわ。
レーニ この人の目をごらんなさい。一九四九年のある日、私に全部白状しちゃったのよ。
ヨハンナ 白状したんですって? 何を?
フランツ 馬鹿馬鹿しい話さ。レーニに真面目な話ができるかい。僕は冗談を言ったのさ。(間)ヨハンナ、君は僕しか信じないと言ったね?
ヨハンナ ええ。
フランツ 僕を信じるのだ。いいか、信じるのだ。
ヨハンナ 私……あなたはこの人の前だと、もう別人だわ。(レーニ、笑う)あなたを信じたいという気にならせてちょうだいな。
この人は嘘を吐いていると言って。話してよ。あなたは何もしなかったわね?
ヨハンナ ええ。
フランツ (呻き声に近く)何も。
ヨハンナ (荒々しく)でも、はっきり、そう仰いよ。この耳で、あなたの声を聞かなくては。仰いな。僕は何もしなかった、と。
フランツ (上ずった声で)僕は何もしなかったよ。
ヨハンナ (一種の恐怖の色をあらわして彼を見つめ、叫び始める)あっ! (叫び声を抑える)もう、あなたの見分けがつかなくなったわ。
フランツ (執拗に)僕は何もしなかったのだ。
レーニ 兄さんは、止めなかったのよ。
ヨハンナ 誰を?
レーニ ハインリッヒを。
ヨハンナ 二人の捕虜は?
レーニ あの二人を手始めにね。
ヨハンナ 他にも何かあったの?
レーニ 踏み切ったが最後よ。
フランツ 僕が説明するよ。君たち二人を見ていると、頭が混乱してしまうんだ。
ヨハンナ、僕らだけになったら……君たちは僕を死ぬ目にあわせるよ……めまぐるしいったら、ありゃしない……
しかし、ヨハンナ、頭を冷やして、真実をすっかり話すよ。僕は生命よりも、君を愛しているのだ。
ヨハンナ 離してよ。
(彼女はレーニの脇に並ぶ。フランツは彼女と向き合って呆然としている)
レーニ (ヨハンナに)下手に手を出したわね。
ヨハンナ 負けたわ。彼はあなたのものよ。
フランツ (戸惑って)二人とも、聞いてくれ……
ヨハンナ (一種の憎悪を込めて)拷問したのね? あなたったら!
(間)僕には、こうなることが分かっていた。(笑い出して四つん這いになる)後退だ、後退だ。
(レーニが悲鳴をあげる。彼は起き上がる)蟹の格好をするのを、見たことはないのかい? (間)二人とも出て行ってくれ!
(レーニはテーブルの方に行き、引き出しを開けようとする)五時十分だな。親父に、六時に会議室で会うと言ってくれ。出て行け。
(長い沈黙。照明が弱まる。まず、ヨハンナが後を見ずに外に出る。
レーニは少しためらってから、ヨハンナの後を追う。フランツは腰を下ろし、新聞をまた取り上げる)
百二十の造船台、まるで一つの帝国のようなものだ。
---幕---
(第一幕と同じ装置。午後六時。陽が沈もうとしている。窓の鎧戸が閉ざされ、部屋は薄明かりに浸っているので、
最初、日没の時刻であることが分からない。時計が六つ時を打つ。三つ目を打った時、左の窓の鎧戸が外側から開き、光が差し込む。
父親が窓を押す。父親登場。同時に二階のフランツの部屋のドアが開き、フランツが躍り場に現れる。
一瞬、二人が顔を見合わせる。フランツは小さくて黒くて四角いケースを手に持っている。彼の録音機だ)
第一景 父親、フランツ
フランツ (動かずに)お父さん、こんにちは。
父親 (自然な親しみのある声で)こんにちは。(よろめいて、椅子の背につかまる)お待ち。明るくしてやろう。
(別の窓を開け、鎧戸を押す。第一幕の終わり頃の緑がかった光が部屋に入って来る)
フランツ (一段くだって)話を聞きましょう。
父親 別に話はない。
フランツ 何ですって? うるさがられるほどレーニに頼んでおいて……
父親 お前が呼んだから、わしはこの建物まで来たのだ。
フランツ (唖然として父親を見つめてから、吹き出して)いや、全くその通りです。
(また一段おりて止まる)見事な勝負だ。レーニを向こうに回してヨハンナを操り、
ヨハンナを向こうに回せば、レーニを動かしている。三手でチェックメイトですよ。
父親 詰まったのは誰だ?
フランツ 黒の王、僕です。勝つことには飽き飽きしていませんか?
父親 勝つことを別にすれば、全てのことにうんざりしている。決して勝てはしないのだ。わしは、局面を打開しようとしているのさ。
フランツ (肩をすくめて)お父さんは、いつだって、最後には望みどおりのことをやるんですよ。
父親 それが一番確実な負け方だ。
フランツ (厳しく)それはそうだ。(急に)実際、どうしようというのです?
フランツ 僕はここに来ています。まだできる範囲で、僕との会見に堪能なさい。
お父さんだけに話せる、特別の話があるのですよ。(父親、咳をする)咳をこらえなさいよ。
父親 (一種の卑屈さをあらわして)やってみるよ。(まだ咳が続く)どうもあまり具合がよくない……(咳を抑えて)さあ、これでよし。
フランツ (父親を見つめながら、ゆっくりと)情けないな! (間)さあ、笑ってくださいよ。
今日はお祭です。父親と息子の再会で、大盤振る舞いですよ。(出し抜けに)僕の裁判官にならないでくださいね。
父親 誰がそんなことを言った?
フランツ あなたの目ですよ。(間)二人の犯罪者、お互いが、自分では踏みつけにした信条に従って、相手を断罪する。この茶番劇を何と名付けますか?
父親 (平然と)正義。(短い沈黙)お前は犯罪者か?
フランツ ええ。あなたもね。(間)僕はあなたの裁判を忌避します。
父親 それではなぜわしに会いに来たいと言ったのだ?
フランツ あなたにお知らせするために。僕は全てを失いました。あなたも全てを失うでしょう。
(間)聖書にかけて、僕を裁かないとお誓いなさい。さもないと、すぐにも部屋に帰りますよ。
父親 (聖書の所まで行き、ページを開いてその上に手を広げる)誓うよ。
フランツ ありがとう。(階段を降り、テーブルの所まで行って、その上に録音機を置き、振り返る。父子は一つ床の上で向き合う)
年月のあとはどこにあるのでしょう? お父さんは変わりませんね。
父親 いや、変わったよ。
フランツ (見込まれたように近寄る。明らかな、しかも防御的な横柄さで)会ってみても、別に何の感動もありませんね。
(間。手を上げ、ほとんど無意志的な身振りで、その手を父親の腕に置く)老ヒンデンブルク。何だって?
(後方に飛び退りする。素っ気無く不快に)僕は拷問をやったのだ。(沈黙。乱暴に)聞いたんですか?
父親 (顔色を変えずに)うん、聞いたよ。先を続けなさい。
彼らは村全体をぐるにしようとしていたのです。僕は、村民に口を割らせようとしてみました。
(沈黙、ぶっきらぼうに、苛々して)だが、例によって例のごとくなっただけです。
父親 (重々しく、ゆっくり、しかも無表情で)いつも、そんなものさ。
(間。フランツは傲然と彼を見る)
フランツ 僕を裁くんですね?
父親 いや。
フランツ 結構です。ねえ、お父さん、もう一度言っておきますが、あなたが密告者だったからこそ、僕は拷問の下手人になったのですよ。
父親 わしは誰も密告しなかったぞ。
フランツ で、例のポーランドのユダヤ人は?
父親 あの男のことだって密告しはしなかった。わしは、何度となく……面白くもない責任を背負い込んだのだ。
フランツ それは同じことです。(彼は過去を回想する)面白くもない責任か? 僕もそいつを背負い込みました。
(笑って)ああ、不愉快きわまる責任だ。(笑う。父親はその隙を見て咳をする)どうしたんです?
父親 お前と一緒に笑ったのさ。
フランツ 咳をしていますね。止めてください。お願いです。胸が掻き毟られるようだ。
父親 すまない。
フランツ もうじき死ぬんですか?
父親 承知だろう。
フランツ (父親に近寄る。急に後退)これで厄介払いだ! (手が震える)こいつは、さんざんてこずるな。
父親 何が?
フランツ そのがんがんなる咳がですよ。
父親 (苛々して)馬鹿な。
(また咳の発作が起こり、次いでおさまる)
父親 いつのことだ?
フランツ 戦地にいた時。(長い沈黙。父親から目を背け、奥のドアの方を見る。喋る時には、直接父親に話しかける場合を除いて、現在の中で過去を生きている)
上官たちは四分五裂。手の内には曹長とクラーゲス、足元には兵隊たち。唯一の命令は、頑張れ、だ。
俺は頑張った。俺は死者と生者とをより分ける。お前は死にに行け! お前はここに残れ!
(間。舞台の前縁で、高貴にまた陰惨に)俺は最高権力を握っているのだ。(間)何だと?
(目に見えない対話者に耳を傾ける様子。やがて父親の方に向き直って)僕はよく聞かれたものですよ。「権力をどうするのだ?」とね。
父親 誰から?
フランツ それは夜の空中でしたよ。毎晩のように。(見えない対話者のささやきを真似て)権力をどうしようというのだ。権力をどうしようというのだ。
(叫ぶ)馬鹿野郎め! 俺はとことんまでやるんだ。力の限りやるんだ。(突然、父親に)なぜか知っていますか?
父親 ああ。
フランツ (少し慌てて)え?
父親 生まれて始めて、お前も無力を思い知ったのだ。
フランツ (大声で笑いながら)老ヒンデンブルクは頭がしっかりしているぞ、万歳だ。そう。僕は無力を知りましたよ。
(笑い止めて)ここで、あなたのおかげでね。あなたは奴らにユダヤ人を引き渡した。
彼らは四人がかりで僕を押さえつけ、他の奴らが、そのユダヤ人を絞め殺したのです。僕に何ができたでしょうか?
(左手の小指を立てて、それを見つめながら)小指の一本を動かせなかった。
(間)奇妙な体験だった。だが、未来の指導者たちにはこんなことをすすめませんね。誰だってこいつから立ち直ることはできないのです。
お父さん、あなたは僕を王子様に仕立ててくれました。しかし、誰が僕を王にしたか知っていますか?
父親 ヒトラーだ。
フランツ そうです。恥辱を通じてね。あの……出来事の後で、権力は僕の天命になりました。僕が彼を礼賛していたことも知っていますか?
父親 ヒトラーをか?
二人の指導者は、殺しあうか、さもなければ、一人がもう一方の女房にならなければなりません。僕はヒトラーの女房になりました。ユダヤ人は血を流していました。
そして、僕は、自分の無力の中心に、何と言っていいか、ある種の同意を発見したのです。(過去に戻る)あれには最高の権力がある。ヒトラーは、俺を不倶戴天で神聖な他者に、彼自身にしたのだ。
俺はヒトラーだ。だから、自分を乗り越えていくだろう。(間、父親に)もう食料はありません。部下たちは、納屋のまわりをうろついていました。(過去に戻って)四人の堂々たるドイツ人が、俺を地べたに叩きつけて、打ち砕くだろう。
そして、部下たちは、血の気がなくなるほど、捕虜を痛めつけるだろう。いや、俺は断じて汚らわしい無力には陥るまい。俺は誓うぞ。暗くなった。
恐怖はまだ鎖につながれている……大急ぎで彼らを押さえるのだ。もし、誰かが恐怖を解き放つとすれば、それは俺だ。俺は悪を要求する。人間を生きながら虫けらに変えるという、不滅な行為の独特な力で、俺の権力を示してやろう。
俺は、一人で捕虜を引き受け、彼らを汚辱の中に投げ込んでやろう。彼らは口を割るぞ。権力は深い淵だ、俺にはその底が見える。未来の死者だけを選んだのでは、まだすまない。
一本のナイフと一個のライターで、俺は人間の支配を決定するのだ。(うわずって)目がくらみそうだ。主権者たちは地獄に行く。それは彼らの名誉だ。俺は行くぞ。
(彼は、舞台の前縁で、そのまま幻覚にとらわれている)
父親 捕虜は口を割ったのか?
フランツ (追想から引き離されて)え、何ですって? (間)いや。(間)その前に死にましたよ。
父親 負けるが勝ちさ。
フランツ いや、すっかり分かりましたよ。僕には腕がなかったのです。まだなかったのです。
父親 (寂しい微笑)それは関係がない。人間の支配を決定するのは彼らなのだ。
フランツ 僕は彼らのようにすればよかったんだ。一言も言わずに、鞭に打たれて死ぬんだった。
(平静になる)それに、そんなことは真っ平です。僕は自分の権威を保った。
フランツ 十日間です。その十日が過ぎた時、敵の戦車が攻撃して来て、我が軍は全員戦士---捕虜たちまで。
(笑って)いや、僕は別ですよ。僕は死ななかった。全然死ななかったのです。(間)僕が拷問をやったということ以外に、僕の話は何一つ確実ではない。
父親 それから? (フランツ肩をすくめる)お前は街道を歩いた。身分を隠したのだな? そして、わしらの所に返ってきたのだな?
フランツ そうですよ。(間)廃墟が僕を正当化してくれました。破壊された家が、手足をなくした子供たちが僕は好きだった。
僕はドイツの苦悶を目の当たりにしないために、閉じこもったのだと主張してきた。それは嘘だ。
僕はドイツの死を願い、ドイツ復活の証人にならないために閉じこもったのです。(間)僕を裁いてください。
父親 お前は聖書にかけてわしに誓わせたが……
フランツ 考えが変わったのです。その結末をつけましょう。
父親 駄目だ。
フランツ あなたを誓いから開放してあげると言っているのですよ。
父親 拷問の下手人が密告者の宣告を受けるのかね?
フランツ 神はいないというのですか?
父親 神はいないのではないかと思うな。神がいないので、時には困ることもあるのだ。
フランツ それじゃ、密告者であろうとなかろうと、あなたは僕の自然の審判者ですよ。
(間。父親は首を横に振って否定する)僕を裁かないのですか? 全然?
するとあなたは別のことを考えているんですね。こいつはまずいぞ。(急に)待っているんですね。何を?
父親 何も待ってはいないよ。お前がここにいるから。
フランツ あなたは待っているんだ。僕は知っていますよ。あなたが長い長い間待っていたことを。僕は、あなたが冷酷な人間や悪人どもと対決しているのを見たことがありますよ。
奴らがあなたを中傷しても、あなたは何も言わず、待っていました。最後には、お人好しのほうがへこたれてしまったのです。
(間)喋りなさい。何でもいいから。これでは我慢ができない。
(間)
フランツ また二階に戻ります。
父親 今度はいつおりてくる?
フランツ もう二度と降りてきません。
父親 誰にも会わないのか?
フランツ レーニには会います。身の回りの用を足すために。
父親 で、ヨハンナは?
フランツ (ぶっきらぼうに)おしまいです。(間)あの女には勇気が欠けて……
父親 お前はあの女が好きだったのだな?
フランツ 孤独が僕に覆いかぶさってきたのです。(間)もし、ありのままの僕をヨハンナが受け入れたら……
父親 自分を受け入れるのか、お前は?
フランツ そして、あなたは、僕を受け入れてくれますか?
父親 駄目だね。
フランツ (深く傷つけられて)父親までもが?
父親 そうだ。
フランツ (声を変えて)それでは、僕たちは一緒に、一体何をやるんです?
(父親、答えず、深刻な苦悶の色を見せて)ああ、あなたに会うのではなかった。こんなことだと思っていた。思っていたんだ。
父親 何を?
フランツ 僕に何が起こるかを。
父親 お前には何も起こりはしない。
フランツ 今はまだです。でも、夢で見たように、あなたがそこにいて、僕がここにいる。しかも、夢とそっくりで、あなたは待っている。
(間)結構。僕だって待つことができます。(自室のドアを指して)あなたと僕の間に、あのドアを置きましょう。六ヶ月の辛抱だ。
(一本の指で父親の頭を指して)六ヶ月たったら、その骨の中身は空っぽになり、その目はもう見えず、蛆虫がその唇をむさぼり、ついでにその唇を膨らませている軽蔑まで食いつぶすさ。
父親 わしはお前を軽蔑しておらん。
フランツ (皮肉に)全く、その通りだ。僕が今のような話をしてしまった後ではね?
父親 お前はわしに何も話しておらんぞ。
フランツ 何ですって?
父親 お前のスモレンスクの話なら、三年前から知っている。
フランツ そんなことがあるものか。彼らは死んだ。証人は一人もいない。死んで埋められたんだ。一人残らず。
父親 ロシア軍が解放した二人は別としてな。彼らはわしに会いに来たよ。五十六年の三月のことだ。フェリストとシャイデマン、彼らを覚えているかな?
父親 口止め料だ。
フランツ それで?
父親 わしは四の五の言うわけにはいかない。
フランツ 奴らは……
父親 黙っているよ。お前はあの二人を恐れていたのだな。先を続けなさい。
フランツ (空を見つめて)三年か?
父親 三年だ。わしは、ほとんどその直後に、お前の死亡申告をした。そして、あくる年にウェルナーを呼び戻した。その方が慎重だったからだ。
フランツ (父親の声を聞かずに)三年間。俺は蟹に演説をぶってきた。彼らに嘘を吐いていたのだ。(不意に)その時から、僕に会おうとしていたのですね?
父親 そうだ。
フランツ なぜ?
父親 (肩をすくめて)まあね……
フランツ 奴らはお父さんの事務室に座っていた。奴らが僕を知っていたので、お父さんは奴らの話を聞いてやった。
そのうち一人が言いました。「フランツ・フォン・ゲルラッハは、死刑執行人だ」と。何という芝居だ。
(冗談を言おうとして)あなたはさぞかしたまげたでしょう、ね?
父親 いや、それほどでもない。
フランツ (叫ぶ)あなたと別れた時には、僕は純白だった。純粋だった。あのポーランド人を救おうとしたりして……驚きませんでしたか?
(間)何を考えたのです? あなたはまだ何も知らなかった、それなのに、突然知ったのですから。(いっそう声を張り上げて)一体、何を考えたんです?
父親 (深く暗い愛情を見せて)可哀想な奴だ。
フランツ え?
父親 わしが何を考えたか聞くなんて! 言ってやろう。
(間。フランツは身体を起こし、すすり泣きながら父親の肩に頭をのせて悶える)可哀想に! (不器用に頸筋を撫でてやる)可哀想にな。
(間)
十六年前から泣いたことなんかなかったのに、十六年後に泣き始めるとは。僕を憐れまないでください。
そんなことをされると、噛み付きたくなるから。(間)僕は自分をそれほど好きじゃありません。
父親 なぜ自分を愛したりするのだ?
フランツ なるほど。
父親 それはわしがすることだ。
フランツ あなたは、僕を愛するのですか? スモレンスクの屠殺者を?
父親 スモレンスクの屠殺者とはお前だぞ。
フランツ 構いませんよ。どうぞご遠慮なく。(わざと卑しい笑い)人間にはいろいろな好みがありますからね。
(急に)あなたは、僕を操っているんだ。感情を表にあらわすのは、それがあなたの目論見に役立つからだ。
全く、あなたは、僕を操っているんだ。剣突を食わせておいてからほろりとしたりして。
あなたがちゃんと僕を裁いてくれれば……この事件をよく考える時間は、有り余るほどあったんだし、
人間が傲慢すぎるから、あなた流に決着をつけたいという気持ちを、あなたは抑え切れませんよ。
父親 (陰気な皮肉)傲慢だと? そんなものは、とうの昔のことさ。(間。明るいけれども、陰険な一人笑い。フランツの方を振り向いて、恐ろしく優しく、また執念深く)
だが、この事件は、如何にもわしが始末しよう。
フランツ (飛び退って)そんなことはさせませんよ。この事件はあなたに関係があるのですか?
父親 これ以上お前に苦しんでもらいたくないのだ。
フランツ (まるで別の人間を非難するかのように冷たく、乱暴に)僕は苦しんでなんかいません。苦しませたのです。多分、この言葉のあやは分かってもらえるでしょうね?
父親 分かるさ。
フランツ 僕はすっかり忘れた。あいつらの悲鳴までも。僕はがらんどうです。
父親 そんなことだろうと思うよ。そいつは、ますます酷いな?
フランツ どうしてそんな?
父親 十四年間、お前は、自分でこしらえておきながら、当人のお前が身にしみてもいない苦しみに取りつかれているのだ。
僕は馬の役目をおおせつかって、苦しみがこの僕に跨っているのです。この騎手にはならないように願いますね。
(急に)ところで、どんな解決法があるのです? (父を見つめ、目を輝かせて)くたばってしまうがいい。
(父親に背を向け、苦しそうに階段を上る)
父親 (フランツを引き止めるような身振りは全然しない。だが、彼が二階の踊り場に達した時、力の入った声で)ドイツはお前の部屋の中にあるんだぞ。
(フランツはゆっくりと振り向く)フランツ、ドイツは生きている。お前は、もうそれを忘れることは出来ないのだ。
フランツ 知っていますよ。戦争に負けたのに、ドイツが何とかやっていることは。こいつは僕が処理しますよ。
父親 敗戦がもとで、ドイツはヨーロッパの最強国になっているのだ。お前がそいつを処理するって?
(間)ドイツはいさかいの種で、賭け金だ。我々は甘やかされている。あらゆる市場が我々に向かって開放され、機械は回転している。
まるで鍛冶屋のような騒ぎだ。フランツ、天の助けによる敗戦だ。ドイツには、バターもあれば大砲もある。
いいか、兵隊もいるのだぞ。近い将来には爆弾もできる。そうなれば、ドイツがたてがみを振る。
後見人どもが蚤のように跳ね飛ばされるざまが見られるわけだ。
フランツ (最後の弁護)ヨーロッパを支配していながら、我々は敗北者なのだ。我々は一体何を戦勝国に仕立てたのだろう?
父親 我々は勝てなかったのだ。
フランツ それでは、この戦争には負けるべきだったのですか?
父親 戦争は、負けるが勝ちでやらなければならなかったのだよ。
フランツ お父さんがやったのはそれですね?
父親 そうだ。戦争の初めからだ。
フランツ で、勝利のためには、軍人としての名誉まであえて犠牲にするほど、国を愛していた連中は……
父親 殺し合いを引き伸ばし、再建を邪魔するようなことになりかねなかった。(間)実を言えば、彼らは個人的な殺人以外には、何もしなかったのだ。
フランツ それはよく考えていい問題だ。こいつは、あの部屋で考えてみよう。
フランツ そういう考えが、あなたを誤らせているのです。僕は、僕を否認するこの国を否定しますよ。
父親 十三年間かかって、お前はその否定を試みたが、あまりうまくいかなかった。今では、お前は何もかも知っている。どうして、またあの芝居が続けられるだろうか?
フランツ しかし、どうすればあの芝居から抜けられるでしょうか? ドイツが潰れるか、さもなければ、僕が一般法の罪人にならなければならない。
父親 その通りだ。
フランツ それでどうだというんです? (父親を見つめる。急に)僕は死にたくないんですよ。
父親 (落ち着いて)なぜ死にたくないのだ?
フランツ こちらから聞きたいところですよ。お父さんは名前を残しました。
父親 そんなことは取るに足らんよ、そいつが分かってもらえればな。
フランツ 嘘をおっしゃい。あなたは船を作りたいと思って、それを実行したのですよ。
父親 船を作ったのは、お前のためさ。
フランツ へえ、僕はまた、船のために、僕という人間を作ったのかと思っていましたよ。どちらにしても船は存在している。死んだとしても、あなたは一つの船団だ。だが、僕は? 僕は何を残すだろう?
父親 何もないな。
フランツ (逆上して)だから僕は百年生きるのだ。僕には、僕の命しかない。(凄みを加えて)命しかないのだ。僕の命を取られてなるものか。
考えてもごらんなさい。僕は人生を憎むけれど、それでも無よりはましなんですよ。
父親 お前の生命、お前の死は、とにかく無だ。お前は何でもない。何もしないし、何もしなかった。お前は何もできないのだ。
(長い間。父親はゆっくり階段に近寄る。フランツの真下の電灯のところに立って、顔を上げてフランツに話しかける)すまないな。
フランツ (恐怖で固くなり)僕に、あなたが? こいつは策略だ。(父親は待つ。いきなり)何がすまないのです?
父親 お前だ。(間。微笑を浮かべて)親なんて馬鹿なものだ。彼らは太陽を停止させるのだ。わしは、世界はもう変わるまいと思っていたが、変わってしまった。わしがお前に与えたあの未来を思い出すかね?
フランツ ええ。
(フランツ、頷く)ところが、それは、わしの過去にすぎなかったのだよ。
フランツ そうですよ。
父親 知っていたのか?
フランツ ずっと前から知っていました。最初は僕もそれでいい気になっていたけれど。
父親 可哀想な奴だ。お前がわしの後を継いで、会社をリードしていくことをわしは望んでいた。しかし、リードするのは会社なのだ。会社が人員を選ぶのだ。このわしは、会社にはじき出された。
わしは所有主だが、もう指揮はしていない。そして、王子であるお前は、最初から断られた。会社には、王子など何の必要があろう? 会社は自分の手で経営主を養成し、募るのだ。
(父親が語る前に、フランツはゆっくり階段を降りる)お前にはあらゆる才能と、権力に対するわしの厳しい好みを授けたが、それは役に立たなかった。
何ということだろう。行動するために、お前は一番大きな危険を冒したが、会社はお前のあらゆる行動を手足の動きに変えた。お前の苦悩は、遂にお前を犯罪に追い込んだ。
しかし会社は犯罪行為の中でも、お前を消してしまうのだ。会社は、お前の敗北のおかげで太っていくのだ。フランツ、わしは過ぎたことを悔やみたくはないよ。
他の場所で、他の形なら、お前も有能だと考えられれば……だが、わしはお前を専制君主に仕立てた。今では、それは、何の用もなさないということを意味している。
フランツ (微笑を見せて)僕は運命付けられていたのですね?
父親 そうだ。
フランツ 無力に対して。
父親 うん。
フランツ 犯罪に対して。
父親 うん。
フランツ あなたの手でね?
父親 わしがお前に吹き込んだ情熱によってな。お前の蟹の裁判所に申告するがいい、わしだけが有罪だ、しかも全てについて有罪だ、とな。
フランツ (同じ笑顔で)それをあなたの口から聞きたいと思っていたんですよ。(彼は最後の何段かをおり、父親と同じ床の上に立つ)それでは承知しますよ。
父親 何を?
父親 (急に狼狽して)今すぐにか?
フランツ ええ。
父親 (嗄れ声で)今日中にだな?
フランツ 今すぐです。(沈黙)望んでいたところでしょう?
父親 (咳をする)こんなに……早くではない。
フランツ 早くて、なぜいけないのです?
父親 お前に会ったばかりだからさ。
フランツ あなたは誰にも会いませんでした。あなた自身にさえも。(彼は今やっと落ち着き、率直になったが、全く絶望的である)
僕は、あなたのイメージの一つにすぎなかったんだ。別のイメージは、あなたの頭の中に残っていました。
運悪く、僕のイメージだけが、人間の形を取ったのだ。ある晩、そのイメージは、スモレンスクで獲得した……
何を? 一瞬の独立です。というわけで、その瞬間を除けば、あなたは全てのことについて有罪です。
(間)引き出しの中に、弾丸の入っているピストルをおいて、僕は十三年間暮らしてきました。
なぜ、自殺しなかったのか知っていますか? 僕は考えたのです。やったことは取り返しがつかない、と。
(間。非常に誠実に)死んだところで、何も片付きません。僕のきまりはつかない。あなたは笑うでしょうが……
僕は……生まれなければよかったと思いましたよ。僕は、二階で嘘ばかり吐いていたのではない。
夜は、部屋を横切って歩きながら、よくあなたのことを考えたものだ。
フランツ (素知らぬ顔で無表情に)ああ。(感情を抑えて)僕は考えた。
もし、この始末におえないイメージをとらえて、僕の内側に取り込み、
僕の中に溶け込ませる手段があるとすれば、もう父しかいないのだ、と。
父親 フランツ、わしだけしかいなかったのだよ。
フランツ あっさり言いましたね。それを証明してください。(間)生きている限り、僕たちは二人です。(間)メルセデスには六人用の座席があったけれど、あなたは僕しか連れて行かなかった。よく言いましたね。
「フランツ、慣れなくてはいけないよ。スピードを出すからね」と。僕は八つだった。僕たちはエルベ河沿いのあの街道を走りましたね……トイフェルス橋は今でもありますか?
父親 昔のままだ。
フランツ あそこは危険な場所で、年々死人が出ていました。
父親 死人は毎年増える一方だ。
フランツ あなたはアクセルを踏みながら、「ほら、来たぞ」と言いました。僕は、恐さと嬉しさでもう夢中だった。
父親 (かすかに顔をほころばせて)一度は、もう少しで、前のめりに転覆するところだった。
フランツ 二度ですよ。近頃の車はもっと出るんでしょう。
父親 お前の妹のポルシェは、百八十キロ出るよ。
フランツ それに乗りましょう。
父親 そうすぐには……
フランツ 何を望んでいるのです?
父親 猶予だ。
フランツ それはありますよ。(間)そう長くはありませんがね。(間)僕は、あなたを憎まずに、一時間と過ごしたことはありません。
父親 今は?
フランツ 今は違います。(間)あなたのイメージは、頭にこびりついて離れない他のイメージと一緒に、
粉微塵になるでしょう。あなたは、最後まで、僕の大義名分だったし、宿命だったんだ。
(間)
(間)待て。わしにとっても、万事がこう早く行こうとは思っていなかったのだ。
(微笑を浮かべるが、それは、彼らの苦悩を隠しおおせない)がらんどうの空の下に砕け散る生命か、おかしなものだ。こ、これには、何の意味もない。
(間)わしを審判する奴はいないだろう。(間)なあ、わしも自分が好きではなかったのだ。
フランツ (父親の腕に手を置いて)それは僕の言うことですよ。
父親 (同じ仕草で)やっとこうなったな。わしは雲の影だ。大雨が降り、やがて太陽は、わしが生きた場所を照らすことだろう。
そんなことはどうでもいいさ。勝つ者は負ける。わしとお前を押し潰す会社を作ったのはわしなのだ。何も惜しむことはない。
(間)フランツ、少しばかり飛ばそうかね? お前も慣れるよ。
フランツ ポルシェに乗るんでしょう?
父親 もちろんだ。車をガレージから出してくる。
フランツ 合図をしてくれますね?
父親 ヘッドライトでな? よし。(間)レーニとヨハンナがテラスにいる。あの娘たちに別れの挨拶をしなさい。
フランツ 僕は……やりましょう……呼んでください。
父親 それでは、じきにな。
(退場)
(父親が大声で怒鳴るのが聞える)
父親 (大声で)ヨハンナ! レーニ!
(フランツは暖炉に近付き、自分の写真を眺める。いきなり黒リボンをはがして床に投げる)
レーニ (その直前に現れて)何をしてるの?
フランツ (笑って)僕は生きているだろう、え?
(今度はヨハンナが入って来る。彼は舞台の前面に戻る)
レーニ 中尉殿、私服を着ているのね?
フランツ 親父がハンブルクまで連れて行ってくれるんだ。明日、船に乗るよ。もう君たちには会えないだろう。
ヨハンナ、君の勝ちだ、ウェルナーは自由だよ。空気のように自由だ。幸せに暮らしなさい。
(彼はテーブルの縁の所にいる。人差し指で録音機に触れて)この録音機を君にあげよう。
五三年十二月十七日の、僕の一番よくできた録音と一緒にね。僕は霊感を受けていたのだ。
後で聞きなさい。いつか、弁論の要旨を知りたいとか、そうでなくても、ただ僕の声を思い出したいという時に。受け取ってくれるね?
ヨハンナ いただくわ。
フランツ さよなら。
ヨハンナ さよなら。
フランツ さよなら、レーニ。(父親のように、髪を撫でてやる)お前の髪は柔らかいな。
フランツ お前のだ。
レーニ で、どこを通って行くの?
フランツ エルベ街道だ。
(屋外で、自動車の二つのヘッドライトがつく。その光が窓越しに部屋を照らす)
レーニ 分かったわ。お父さんが合図しているわよ。さよなら。
(フランツが外に出る。エンジンの音。その音が膨れ上がって、また小さくなる。
光芒が別の窓をさっと掃いて消える。車は出発した)
レーニ 今何時?
ヨハンナ (時計に近寄って)六時三十二分。
レーニ 六時三十九分には、私のポルシェは水に落ちているわ。おさらばよ。
ヨハンナ (驚いて)どうしてなの?
レーニ トイフェルス橋は、ここから七分よ。
ヨハンナ あの二人は行くのね……
レーニ ええ。
ヨハンナ (こわばって引きつり)あなたがあの人を殺したのよ。
レーニ (同じようにこわばって)で、あなたは? (間)どうすることが出来るっていうの? あの人は生きたいと思っていなかったのよ。
ヨハンナ (ずっとこらえている彼女は、今にも歯をカチカチ鳴らしそうになって)七分。
レーニ (時計に近付いて)もう六分よ。いいえ、五分三十秒だわ。
ヨハンナ 駄目かしら……
レーニ あの二人をつかまえること? やってみなさいな。(沈黙)で、あなたはどうするの?
ヨハンナ (きつくなろうとして)ウェルナーが決めてくれるわ。で、あなたは?
レーニ (フランツの部屋を指して)あそこには、誰か閉じこもる人間が必要なのよ。その人間は、私よ。
ヨハンナ、もうあなたにはお目にかかれないわ。明日の朝、あのドアをノックするように、
ヒルダに言ってちょうだい。あの娘に言いつけることがあるから。
(間)あと二分。(間)私、あなたを憎んではいなかったわ。(録音機に近付く)弁論の要旨よ。
(録音機の蓋を取る)
ヨハンナ 私は嫌よ……
レーニ 七分! さあ、お放しなさい。あの人たちは死んだわ。
(最後の言葉を言い終えると、すぐに録音機のボタンを押す。ほとんど同時にフランツの声が響く。
フランツが語る間、レーニが部屋を横切る。彼女は階段を上がり、部屋に入る)
私が引き受けた被告は、我と我が手で腹に穴を開けた。諸君がリンパ液だと思っているものは、血液なのだ。
赤血球が全然なく、被告は飢えて死ぬのだ。しかし、私は、この複雑な穿孔の秘密を話そう。
もしも残忍な太古以来の敵、被告の滅亡を誓った肉食類、毛のない魔性の野獣、すなわち人間に狙われなかったならば、現世紀は幸せだっただろう。
一プラス一イコール一、これが二十世紀の神秘だ。野獣は身を潜めていた。
同類の馴れ馴れしい獣の中に、我々は突如として野獣の目をとらえた。そこで、我々は殴ってやった。
それは、予防のための正当防衛だった。私は不意に野獣を襲って殴りかかった。一人の人間が倒れた。
依然として生きている野獣を、私を。一プラス一イコール一である。何という酷い誤解だろう。
私の咽喉につかえる、このすえたようなむかつく味は、誰の、何の味だろう? 人間の味か? 野獣の味か、私自身の味か?
これは二十世紀のあの味なのだ。幸福な来たるべき世紀よ。諸君は、我々の憎しみを知らない。
我々の生命を賭けた愛の、凄まじい力を、どうして諸君は理解するだろう。愛、憎しみ、一プラス一イコール……
我々を無罪にしてほしい。被告は、まずはじめに恥辱を知ったのだ。彼は、自分が一糸もまとっていないことを知っている。
美しい子供たちよ。君たちは、我々から生まれたのだ。我々の苦しみが、君たちを作ったのだ。
(間)三十世紀は、もう答えはしない。我々の世紀の後には、おそらく世紀などはもうないだろう。
おそらく一発の爆弾が、光を吹き消してしまっているだろう。夜よ、おお、かつてあり、未来にもあり、現に今もある夜の法廷よ。
私は生きた。生きたのだ。この私、フランツ・フォン・ゲルラッハは、ここで、この部屋で、二十世紀を双肩に担った。
私は言った。「この責任を担う」と。今日、そしてまた永遠に。え、何っ?
(レーニはフランツの部屋に入ってしまっている。ウェルナーが建物の入り口に現れる。
ヨハンナは彼を認めてそちらへ行く。無表情な二人。彼らは言葉を交わさずに退場。
「さあ、答えたまえ」からあと、舞台は空っぽ)
---幕---