バルナックライカ 13台目

1.
ユーザー
KrnJe+rX
前スレ
バルナックライカ 9台目
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/camera/1456151764/
バルナックライカ 10台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1511457142/
バルナックライカ 11台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1546980196/
バルナックライカ 12台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1614531175/

※カメラ板の現行ルールでは、スレ立て後20レス未満のスレは1時間で落ちる設定です。
 スレ立て後は速やかに20レス保守が必要になります。
95
すべて
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最新の50件
2.
ユーザー
6OIGN
イタズラ品だよ

そう人生は全てイタズラ品だよ
お前の生き方も全てイタズラ品だよ

イタズラ品だよ
イタズラ品だよ
3.
ユーザー
0IvZ9
IIIaとDIIIならどっち選ぶ?
4.
ユーザー
6MMjt
>>3

お前のDⅢもⅢaもイタズラ品だよ

そう人生は全てイタズラ品なんだよ
お前の生き方も全てイタズラ品だよ

イタズラ品だよ
イタズラ品だよ


あーーーーーっ!!!!
5.
ユーザー
dgZmh
ブス喰い即尺?
6.
ユーザー
7irZn
懐かしいww
7.
ユーザー
mQmW4
今カメラ屋行って、例えばライカM3が1万で売ってたとしても買っても使わないからなぁ
転売ヤーなら即買いなんだろうけど
デジカメさえ持ち出さなくなった今、フィルムカメラに対する物欲はもう無いよ
8.
ユーザー
7YelY
もう銀塩は50歳以上の爺さんが集まる口実として存在するだけだろう
9.
ユーザー
CGUW2
保守
10.
ユーザー
N3HF3
カメラ持って町歩く事が不審者認定だから
11.
ユーザー
8atMc
ワロタ
12.
ユーザー
74zgd
運用
13.
ユーザー
O1YsH
14.
ユーザー
CfZrS
埋め
15.
ユーザー
kHiN3
30年前、中古カメラ市行くと旗持って歩いてる奇妙な爺さんとかいたような気がするけど、俺の思い違いか
16.
ユーザー
mL7DM
ワロタ
17.
ユーザー
JpIEh
ワロタ
18.
ユーザー
b5QNi
保守
19.
ユーザー
W6eHk
ウクライナのハリコフで作られたライカタイプのカメラだ。ロシアウクライナ戦争になってから変な風にウクライナ語で名前を変えると言うのは私は好きではない。ハリコフ等は鍼灸と言う名前になってしまった。

ソ連製のカメラはウィーンにいた1970年代にいろいろ使ったけど、1番愛用したのはソ連製のコンタックスのデッドコピーであるキエフである。このフェドと言うブランドのカメラは1番最初に登場したのは、1947年でこれはモスクワで作られていて、FedZorkiと言うダブルネームになっている。

この1番最初のフィールドモデルはモスクワの蚤の市に買いに行ったのである。私は外国人だから100ドルと言うぼったくり値段であったけど、それでもレアなモデルだから仕方がない。その時にKGBが私の動きをチェックしていて、いきなりミスター田中KGBのカメラ買いませんか?と言うオファーが私に提示されたのである。それはKGBであるから、私がモスクワに来ていて、誰であるかなどは簡単に判別できるわけだから、驚くまでのこともない。

このフェドンの2番目のモデルと言うのは、実に私の手の延長となってよく仕事をしてくれた。他にもソ連製カメラはいろいろ使っていたけれども、このカメラはスタイルの全体のバランスが良いので見ていて気持ちが良い。レンジファインダーのベースも長いし、1番特筆すべきところはライカM3にもついていない連続して改変可能なアイピースの視度を変える補正装置が付いているのである
20.
ユーザー
JCv8y
ハンガリーはブダペストで作られた世界最初のクイックリターン式の35ミリ一眼レフは会社の名前がγである。それでカメラの名前はDuflexと言う。ウィーンのライカショップのペーターのところからこのレアなカメラを買ったのだけど、調子が悪いので修理に預けておいた。そのレアな一眼レフの修理が上がったので、当時のライカの社長さんがそのカメラをカバンに入れて日本に持ってきた。ちょうど世界最初のライカであるUrライカの展示が日本で企画されていたので、新橋のホテルで会った時、ライカの社長さんは無造作に彼のカバンを開けて私に一眼レフを見せる時にその隣に入っている世界最初のライカも見せてくれた。

こういうところがライカ社の社長さんの人間の広いところだと思う。日本のメーカーだったら競合他社のカメラの修理が上がったと言うので、それを外国に持っていってくれるような融通の利くトップの人はいないと思う。

この時計には面白いストーリーがあって同行していたオーストリアの放送局のテレビクルーが暇ネタを拾いに来ていた。オーストリア航空は2枚のチケットしか出さなかったので、三脚担ぎがいないのである。それで20分位の長さの文化番組を3本撮影したのであるが私が私が文化番組のキャスターであると同時に三脚を担ぐ役になった。

銀座4丁目で、私がいかにも真面目なストリートフォトグラファーと言う感じで、フイルムは入っていないけれども、それで写真を撮るふりをしたのである。これは演技であって、写真家が写真を撮っていると言うのは全部あれはヤラセであって、インチキなのだ。森山さんや天才荒木にしても同じです。

その2つの番組を私は見なかったけれど、それから半年位後にwinに行ったら、オーストリア人の古い友人がその番組を見ていて面白かったと言ってくれた。私のヘンテコリンなドイツ語もそれなりにつうじたらしい。

21.
ユーザー
JCv8y
それで2つ目のガンマカメラであるが、それが1947年にローマでスタートした。このカメラなのである。35ミリレンジファインダカメラであるが、ボディーの両側が膨らんでいるのは別にイタリア人がちょい悪オヤジで格好つけているのではなくて、シャッターが金属ブレードのエンコを描いているやつなのでそのハードなレンズシャッターのラストエンドを格納するために、こういうふくらみが付いているのだ。これはなかなかおしゃれで、ちょうどフィアットアバルトのキャブレータのもっこり膨らんだのと同じだね。

ローマで作られたガンマライカは、最初のモデルは専用バイオレットの50ミリレンズが付いていたが、50ミリレンズのほかに交換レンズは登場しなかった。それで私がもっぱら使っているのはその次の2型モデルである。こちらはライカマウントと同じだが、ローマの人間はへそまがりだから、距離計のカムの位置がライカは12時だけれども、ガンマ2では、6時の方向についている。

このシステムカメラはフィルムの巻き戻しがついていない。ダブルマガジンで使うことが前提になっているのだ。今の時代フイルムが高いから1本のフィルムをこのカメラで大切に撮影して、ダークバッグで取り出せば良いので、意外と時代の方向には合っているかもしれない。
22.
ユーザー
jwbuK
Rodenstock Retina-Heligon 50/2 L39改
23.
ユーザー
eu2Mq
昭和8年に発行された定価3円50銭の当時のライカエキスパートによって書かれたライカ本である。ハードカバーでデザインはドイツ表現主義的だし、タイトルがドイツ語であると言うのも手に取ったとき、ドイツ語の本ではないかと思う。ところが、存在感として飛び抜けている。

本の定価が3円、50銭と言う事は、今の価値だとちょっと分かりかねるが、3500円よりも今の感覚からするとはるかに効果であったと思う。林文子の小説の中で、その時代のタイピストの給料が400,000円であったと言うのは少し参考になると思う。給料の10分の1の値段の本というのは十分に効果であるからだ。

それでこのライカの本の内容なのであるが、現代の我々からすると逆に非常にリアルで教えられることが多いし、時代遅れと言う感覚もないのが不思議な喜びである。その時代のライカのテクニックの最先端を論じているわけでと言う事は、今の我々の価値観からすると、70年以上前のクラシックライカに我々が価値を見出しているのであるから、何も時代遅れと言う感覚はそこには発生しないのだ。

デジタルライカのエム9が現役で会ったときに59を私のライカ本のレビューの中に入れたことがある。それで私の生まれ故郷ではないけれども、縁のある場所と言うので、私は醤油家の末裔であるから、千葉県の銚子にそのライカの本の中に乗せる作品のために撮影に行ったのであるが、その時に持参したのがライカエム9であった。

それから数年後に新しいライカ本を出すことになって編集長と打ち合わせをして、一応ライトジャパンに家を建てて大会6点を使った作品を載せようかと言ったら、編集長が言うにはそれはやめたほうがいいです。その理由を聞いたらデジタルカメラは古くなるので、本の中でそれが旧型になってしまうと売り上げが落ちるので、うまいやり方では無いのだと言う。

これは生なりましたね。カメラ雑誌だと常に最先端のモデルをかけて、笛や太鼓ではやしたてるのとライカ本を書くのとは意味がかなり違うと言うことを私は編集長に教えられたのである。

だからこのドイツ語の本らしく見える。ライカ本のは家に置いてある。私のバルナックライカは時代の先端であり、最新モデルと言うわけだ。
24.
ユーザー
FISFg
ユル・ブリンナー所有の「ライカMP」2台、計4億円超で落札

ライカカメラジャパンは12月8日、写真機材や作品を専門に扱うオークション「第43回 Leitz Photographica Auction」の結果について発表した。次回は2024年6月にウェッツラーのライツパークで開催予定。

今回はウィーンのホテル・ブリストルで11月24日(金)・25日(土)に開催。特筆すべき結果として、名優ユル・ブリンナーが所有していた2台の「ライカMP」(ブラック)が、それぞれ144万ユーロ(約2.2億円。手数料含む。以下同)と132万ユーロ(約2億円)で落札されたという。
25.
ユーザー
k3myM
レンズは資産!ライカは投資!みたいなのはいかがですか?
26.
ユーザー
LtWgi
映画の黒澤明監督は、次のように言っています。

「悪魔のように細心に! 天使のように大胆に!」

大胆さが求められるのは、どちらかというと「提案」
「創意工夫」を考えるときです。
実際に施工する際には、細心に考えて実施しなければ
なりません。

しかし多くの場合、「現場合わせ」の名のもとに
事前の検討不足で施工を始め、問題が起きてから
「えいやっ」と雑に解決する場面をよく見ます。
27.
ユーザー
tRTrT
ソ連製のライカコピーである。フェドカメラは1932年にライカが登場した。数年後に早くもそのデッドコピーが作られている。存在が知られている1番若い製造番号は260番台で、これはオーストリアウィーンのライカコレクションに収蔵されている。

この戦前のカメラは、当時からキエフで作られていた。ところが理由は不明ながら、戦後になってごく少数のFateカメラがモスクワで作られていて、それはこのようなダブルネームになっている。通常このカメラのシリーズが製造番号が刻印しないことになっているが、理由が不明ながら1948と言う製造年の刻印をここでは見ることができる。

さらに50ミリ標準レンズの刻印も変わっていて、もしくはと言う文字列がレンズのフロントに書き加えられている。そして戦前からこの時代までのソ連のライカコピーであるが、その製造のクオリティーというのが非常に高い。

ソ連製のコンタックスコピーであるキエフの場合は1番若い製造年代が1947であって、これはコレクターズアイテムとして天文学的なプライスタグが付いている。しかしこちらのカメラの方がつまりモスクワ生のフェドカメラの方が流通の数が少ないようである。

モスクワの2月の寒い時にモスクワの蚤の市でこのカメラを購入した。外国人のバイヤーが来たと言うので、値段を聞いたら思いっきり掛け値をして私にふっかけてきた。それが100ドルなのである。

その直後に、黒ずくめのKGBの若い奴が私に声をかけてきて、ミスター田中KGBのスパイカメラ買いませんかと。アメックスの広告だと外国では誰も私を知りませんと言うわけだが、KGBは何でも知っているね。
28.
ユーザー
ArlUk
いいね
29.
ユーザー
8FZRk
保守
30.
ユーザー
c0NCB
うわ〜ライカO型なんて嫁に検索されたら、確実に離婚モノですわ…😅
31.
ユーザー
wIDbN
初めてのオールドレンズ購入から、早1ヶ月ほどが経過した。我が家にやってきたのは、70年前に製造されたと思われる“沈胴式のズミクロン”。50mmの単焦点レンズの購入もこれが初めてだったので、今もなお慣れていない部分もある。そんな私ことアラサー会社員の所感を、続きとしてここに記したい。また、このレンズに対して細々と購入した物もある。それらを含めて、沈胴式のズミクロンを検討している何方かの参考になれば幸いだ。
32.
ユーザー
tTvla
いいね
33.
ユーザー
IPtEW
保守
34.
ユーザー
PG4Qo
New Thypoch Eureka 50mm f/2 lens for Leica M-mount coming soon
Photo Rumors / by PR admin / February 28, 2024 at 03:10AM

Leo has detected a Product Launch in this article

Thypoch displayed a new Eureka 50mm f/2 lens for Leica M-mount at the 2024 CP+ show (see previous Thypoch coverage | Thypoch lenses are sold at B&H Photo):

Paying tribute to classic design from the 1940s
Collapsible design
Dimensions: 41.2mm x 27mm
Double Gauss lens design
12-blade diaphragm
Excellent anti-glare capabilities
35.
ユーザー
YhGBa
女子ライカ部の持参機材はそれぞれにライカM3の初期モデルとか、戦前のバルナックライカである。大したものだ。
女子ライカ部員はさかんに「あつい、あつい」というので、路地裏から大川に出て、ちょっと涼しい風にあたる。
自分はこのこの前、京都のお豆腐屋さんの釜の前に居たので暑さには慣れている。

そのまま、隅田川を上流に歩いて住吉さまで撮影。
名代の佃煮屋「天安」にてお買い物タイム。
一部(東京カメラ倶楽部部員)は本隊を離れて、佃の佃屋酒店で麦酒。
リバーポイントタワーの前を通り、西仲通りを戻って、午後5時半にタマヤに到着。

女子ライカ部長の冒頭にごあいさつ、ならびに東京カメラ倶楽部の田村会長の乾杯の音頭で、女子ライカ部特別企画佃de浴衣de大撮影会の「大反省会」が開始された。

オヤジカメラマンが女子ライカ部に触ったりするといけないので、最初から女子ライカ部員は奥のこあがりに隔離。
しかし、その後は男女席をおなじうする、大懇親会に発展。
phatphotoの女子ライカ部(これは私の連載エッセイの方)の担当の「女子ライカ部の母」こと、工藤編集部員も駆けつけ、アローカメラの買い取り名人と二代目社長と、お店のスタッフのライカさん(女子)もかけつけ、大懇親会はさらに盛り上がり、大・大懇親会となる。
こうなると、さすがの広いタマヤの店内もラッシュの山の手線なみだ。

宴たけなわでご歓談中に、お店の明かりが暗くなり、女子ライカ部員が自分のそばに終結するという「不穏な空気」が発生したので、これは何かと気になったら、私の5/31の誕生日を1月遅れで祝ってくれるイヴェントであった。
立派なケーキをいただいて、家人への良いおみやげになった。
長生きはするものだ。
実に有り難い。オスカー・バルナックとブレッソンと女子ライカ部に感謝。
36.
ユーザー
g2I3b
基本的にキタムラのライカ(希少系)はボッタクリだと思っておけばいいですよ
37.
ユーザー
O8Ef7
いいね
38.
ユーザー
ads3R
1970年頃に1番最初に手にしたライカタイプのライカなタイプのカメラがこれだった。高田の馬場の堀部安兵衛商店で手に入れて10,000円以上する。高いカメラだった。こちらの初任給が35,000円だからね。

松岡正剛さんが1970年に立ち上げたオフと言う写真集に写真を2枚掲載したうちの1つがこのカメラで撮影したものだ。ところが

ピントがずれていて、モチーフは昆虫標本であったのだが、それがかなりピンボケであった。どうもそのピンボケ具合が森山風だと言うので選ばれたものと思われる。

これは今まで手にしたい。2日の中で1番綺麗だが、あまりに綺麗なので写真を撮る気持ちにはなりません。英国海軍の使っていたライカ王エフで二台連続番号のカメラを持っている。それは本体の裏側に改造がしてあって、そこからピントを見ることができる。このカメラも、それと同じように、裏側でネジを外してピントが見られるのだ。
39.
ユーザー
9Jn0z
ライカカメラに対抗するコンタックスカメラのこのいわゆるブラックコンタックスが最初に登場したのは1932年の4月であったそうだ。当時はまだフォトキナが存在しなかったから、発表されたのはドレスデンであったと記録されている。今ではブラックコンタックスと呼ばれているが、当時は対抗するライカもまだブラック仕上げが普通であって、その年の後半に初めてクローム仕上げのライカが登場してあんなピカピカしたの笑家ではないと批判されたそうだ。

ブラックコンタックスのなかなか当時としてはすごいアイディアなのはレンジファインダの前に引っ張り出すと85ミリから135ミリのフレームがあって、これを自由に交換して使うことができた。これは当時としてはかなり斬新的なアイディアであったと思う。

新しいコンタックスオーナーがブラックコンタクトを手に入れたときに、最初に135ミリのフレームかそれとも85ミリのフレームかを選択することができたかどうかは今ではちょっとわからない。あるいはわずかな料金でフレームファインダーを追加して買ったのかもしれない。でも普通のアマチュア用の写真撮影で考えると35ミリを使うのは報道写真家であって、通常の撮影は50ミリのその先が85ミリかあるいは135ミリというのが、通常のアマチュア写真家が選ぶネクストステップなのである。

それでこれまでブラックコンタックスのこのフレームファインダーをたくさん見てきた。私の経験からすると85ミリのフレームよりも135ミリのフレームが付いていたと言う例の方がはるかに多いのである。やはり5センチのレンズを買った後に望遠レンズと言うと、135ミリ、いや間違えた13.5センチですね。これを使いたがるのであろう。

それで今のデジタルカメラのリアルビューファインダーに慣れている人には、こんなものを使えるかと思うかもしれないが、実はちゃんと使えるのです。フレームが中途半端である方が、写真の本質はうまくフレーミングできるものなのだ。

40.
ユーザー
MvrlL
IIIc買ったった
41.
ユーザー
fEeKi
おめ
42.
ユーザー
XIYCH
いいね
43.
ユーザー
gbZfD
お前のⅢcはイタズラ品だよ
44.
ユーザー
ynZRb
保守
45.
ユーザー
ldgFC
あれはいつであったか朝日ジャーナルがまだあった頃だと思うけど、何かを記念するパーティーで、朝日新聞社にたくさんの人が来たときに、この本を出してくれた出版社の人に出会って、私はパーティーのお酒に酔った勢いでこういう本を出しませんかとお願いしたら、企画が通ってしまった。

高梨、赤瀬川、秋山さんの3人がお作りになったライカ同盟に入れてくれとお願いしに行ったら、定員3名でもういっぱいと言うので、本家の許可を得て分家を作ったのがその元のいきさつである。

残念ながら本家のほうは高梨さんを残すだけになってしまったが、偽物同名の方がまだメンバーは生存しているのがせめてもの救いである。しかも会長さんは片岡義男先生だからちょっと心強い。

それで表紙のデザインも素人っぽい私がやって、全部手書きのイラストで、偽物の同名であるから、^_^ひらがなの文字を入れて、いかにもインチキっぽい感じにしたのはうまくできたと感心しているのである。

偽物ライカ同盟を作ると言ったら、周りの皆さんが自分も入りたいと言うので、本の後ろのほうに自分で記入して、セルフメイドのメンバーの会員証をつけたのである。これはなかなか好評でした。

それではが偽物らいた同盟が何をやったかと言うと、設立直後に六本木ヒルズの上のレストランで、皆さんで飲み食いしただけが唯一の行動記録なのである。まぁ任意団体と言うのはそういうものであるから、それから20年以上が経ったけど、偽物ライカ同名の名前はまだ皆さんの間に記憶されているのである。ありがたいありがたい。
46.
ユーザー
Eez3J
南光 アジア文芸ライブラリー
朱和之, 中村加代子

日本統治時代の台湾に生まれた写真家・トウ南光をモデルにした歴史小説。彼のライカは、モダン都市・東京、そして戦争から戦後で大きく変わりゆく台湾の近代を写し出す。
47.
ユーザー
7VRLl
家人がソプラノ歌手としてドイツ語のリサイタルを何十年にもわたって開催してきた時に、本法、荘園のドイツ語の歌曲などを日本語に翻訳してくださったのが、家人の親戚にあたるドイツ語の大学の先生であった。

日本と言うのは、特殊な環境に音楽芸術が育っているから、初期のウィーンなどではイタリアの過激派イタリア語でそのままやると言うのが普通だった。ところが日本の場合は情緒的なところがあるから、外国語の歌曲を歌うと、それがプロジェクションで日本語になったりする。まずこれはカラオケ文化のようなものですね。

^_^それでその大学の先生はドイツ語の専門家であるから、ドイツ語の本をドイツは及ばず、特にオーストリアのウィーンに探しに行ったりするのである。それで私が割と長いこと住んでいたウィーンの大使館が良いなどがあるところなんだけれども、そのアパートメントのすぐ近くにドイツ語では有名な文学者が住んでいて、それは今ではパン屋さんの3階建ての古い古いビルなのである。

^_^そういうドイツの文学の専門家であるから、光の方向の映画が好きかと言うと、180度違うのであって、このプロフェッサーは柴又の寅さんの大ファンなのである。

^_^プロフェッサーは残念だとことに60歳で昇天してしまわれたのであるが、その葬儀の時に寅さんの山田監督から花輪が来ると言うようなつまり大学教授と映画監督はお互いに顔見知りであったと言うところが周囲をびっくりさせたのであった。
一方で、私の場合、寅さんの映画は全く見ないし、柴又に行った事はあるが、レオタックスと言うライカコピーの会社が柴又の川の縁にあったので、その関係で行っただけの話である。

似せられた同盟が結成された時に、メンバーの大阪出身のご夫婦が縁石を設けてくれて、それが15年位前の話なのであるが、大阪出身のご夫婦だから、柴又の川魚料理は全く知らない子ほい。国とか恋の新居がなんであるかもわからないので、事前にロケハンというか、宴会の1週間前に食べに行ったそうである。こういうのも頭が下がるね。

柴又もレオ、タックスの昔かな 長徳
48.
ユーザー
m6ZMu
いいね
49.
ユーザー
6VJm2
お前のレオタックスはイタズラ品だよ
50.
ユーザー
lvXki
運用
51.
ユーザー
ExgjG
カードンカメラカンパニーはもともと音響関係のハイファイなどを手がけていた。会社であって、今でも存続しているそうだ。それが戦前から戦後にかけて、アメリカ軍からアメリカのライカを依頼されて大変な苦労させられたカンパニーである。

創業者のカードンと言う人は、ウクライナのオデッサの出身だと言う。ウクライナの人とソ連の人とアメリカの人が同じ人間であると言うことを、私は以前から気がついていたのだった。

それでカードンカメラは製造台数が少なくて、軍用が1500台民間様が1000台ぐらいしか作られていない。40年前の話だが、キャナルストリートの駐車場で毎週末に蚤の市があった。そこで登場したのがシビリアンモデルのカードンカメラである。

値段は250ドルであったが、当時のレートは280円だから高くて買うことができなかった。その一方で、カードンカメラの研究をしたのである。^_^私が暮らしていたニューヨークのソーホー地区は、以前は小さな工場街がたくさん並んでいるところで、私が住んでいたロフトは人形工場であったそうだ。

そのロフトの北側に開けた窓からウェストハウスとストリートを眺めながら、カードンカメラカンパニーがどこにあるのかを考えていた。

偶然集めていた資料の中に、当時のカードンカメラカンパニーのレターヘッドを発見した時は嬉しかった。何の事は無い。私がいつも眺めていたウェストハウスタウンストリートの北側、今はニューヨーク州立大学のキャンパスになっていたところに、かつてのカメラ外車が存在したのである。
52.
ユーザー
Mj4JX
お前のカードンはイタズラ品だよ
53.
ユーザー
R0N9m
運用
54.
ユーザー
1jMEG
神宮にあったレ◯ナハウス
色々客と揉めた件を塾長さんが面白そうに話してるのを思い出した。失意の果てにM月さんは癌が再発して亡くなったのは無念だったろうに。
55.
ユーザー
V1xxL
C場さんは?
56.
ユーザー
HOdGZ
戦前の昭和10年頃に発行された田所さんと言う人が書いた。コンタックスの使い方と言うハードカバーの本が面白い。要するにまだクロームコンタックスが登場する直前の話であって、最初のブラックコンタックスでコンタックスの世界は完成されていると言うところが素晴らしいと思う。

この頃のコンタックスの本を見て面白いなと思うのは、やはり対抗する。ライカに対しての優越性を金属製のシャッター幕などで強調しているのはともかくとして、その背景に存在するのはカールツアイスのレンズが自由自在に使えると言うことである。

このコンタックスに対するコンプレックスと言うのは、これから時代が80年以上経過した。現代でもライカ人類が持っている。払拭することのできないカールツアイスとコンタックスに対するコンプレックスなのである。

例えば、これはアメリカ人のみんなが抱いている。ヨーロッパ文明に対するコンプレックスと非常に共通点があると思う。私がワークショップを持っていたザルツブルグカレッジで勉強に来る。MITの学生の皆さんは、夏の私のワークショップが卒業の単位に組み込まれているのは、当然ながらやはりマサチューセッツとか史観をよりも、観光名所のザルツブルグあたりに興味を示しているというのがなかなかトリッキーだと思う。

ブラックコンタックスの使い方で私が気になるのは、やはり最大の欠点はレンズの脇につけられた巻き上げ装置である。例えば撮影が順調な時は1日に7本から10本のフィルムを使うわけであるが、巻き上げ装置がこの位置についていると、指の皮が剥けそうになる。

特に冬がそうである。それで私のブラックコンタックスの使い方と言うのは、極力シャッタースピードを変えないということなのである。あるいは二台のブラックコンタックを用意していて、1つのコンタックスは500分の1秒でシャッターが切れる専用モデルと言うことにしてあって、もう1台のコンタックスは25分の1秒に最初からシャッター速度がセットしてあるから、これは暗いところで使うと言う二台で使うブラックコンタックスと言うやり方だ。

ライカカメラのフイルム巻き上げ装置はずっとカメラボディーの上のほうに付いていたが、ブラックコンタックスがクロームコンタックスになって、巻き上げ装置をフロントからトップに変えたと言う事は、すでにその欠点を最初の頃から記憶してそれに対応していたに違いない。
57.
ユーザー
My600
夏向きライカで坂崎さんのM2にY縣塾長がヴィトンの貼り革にする件の話
笑わせてもらいました
58.
ユーザー
oxnc1
それは…
触れてはいけない人だ
59.
ユーザー
3fBfo
マジかー(´・ω・`)
どうもありがとうございます
60.
ユーザー
nQfxB
もう若い人は知らないんじゃないかな?
というか今若い人が古カメラなんか興味ないだろうけど
あの界隈では40代で若者扱いだからねw
61.
ユーザー
QjQYe

>>59

あそこの界隈には関わってはダメだよ
最近はSNSの繋がりばかりで中古カメラの事は知らないけど
62.
ユーザー
PCDVL
Y爺のインスタのフォロワー見てみなよ
ポストしてもほとんどレスが付かないじゃんww
相手にされてないのはTwitterやインスタ見ればわかるよね
今のSNSはフォロワー数やレスの数で人気度が一目瞭然
昔みたいにハッタリは効かないよwq

63.
ユーザー
XhMrA
>>62
だから古典的なホームページ用電子掲示板に令和の時代になっても維持し続けたんだろ
50以上の爺さんばかりだというのもあるがな
64.
ユーザー
Cya7w
1947年にイタリアのフィレンツェで作られたエレクトラと言うカメラは、ごくごくシンプルなライカのスタンダードモデルを真似したようなタイプであった。それで最初のいわゆるモデルであるが、これはブラックの結晶仕上げで、なかなか存在感があって、好きなカメラである。

それより私の興味を引くのはこのフィレンツェ生カメラと言うものの存在感そのものに対するキュリオシティーなのである。何かメディチ家の関係者が作ったのではないかと言ういい加減な噂話をそこら辺にふらふらふら吐かせても信用する人が出てきそうな感じなのだ。

それでこのカメラの市場価格なのであるが最初のブラックボディーは国際感覚だと1000ドル以上するのであるが日本国内だと30,000円台で買えるのである。経済的にレッド王国の日本だから日本円の弱さと相まってそんなことになってしまっているのはちょっと残念と言うよりも今が買い時と言うことなのである。

^_^それでその当時のイタリアのカメラ雑誌の広告を見て面白いのは単位はイタリアリラであるが、やたら0がたくさん付いている。要するに、戦後のイタリアの経済混乱期のデノミネーションが起きる前の桁数の多さがそのまま反映されているのだ。

最初のブラック仕上げのこのカメラがあまり売れなかったので、決定打を放とうとしたのかどうか知らないがこのChromeしてくれると言うことになる。それでこのクローム仕上げのモデルを最後にして、フィレンツェのライカはその生産を終えてしまったのは残念なことであった。

そう思い出した。このフィレンツェ省の標準レンズが意外ともののけが乗り移っているのではないかと思われるような不思議な移りをするのである。私の友人の映画製作者が私が撮影したフィレンツェ製のレンズに対してそういう印象を送ってくれたのも忘れられない。もっともこれはコロナが蔓延し始めた。最初の年の春だったから、人間の感性などと言うものは、そういう伝染病にもろに影響を受けるのである。
65.
ユーザー
H8Stu
いいね
66.
ユーザー
kkHXk
ダライ・ラマがカメラが好きであることを最初にしたのは1960年代の初めのライフマガジンの表紙に彼が登場しているのである。それでダライ・ラマを記録するムービー、カメラマンが持ってきたベル&ハウエルの愛もカメラを手に取って、いろいろ見ている写真が表紙なのだ。

ライカの会社は製造番号が555,555代目のライカをゴールド仕上げでして、これをカメラ付きのダライ・ラマにプレゼントした。

それから何十年か経過して、ダライ・ラマが来日した時、カメラ好きだからヨドバシカメラなどを回っていると言うので、私はダライ・ラマの側近である人に質問をしたのである。あのとき以来、彼から譲られたゴールドライカはどうしました?というのである。

数ヶ月後にその答えが私に知り合いを通じて届けられた。すなわち

ゴールドライカは人にあげてしまった。
世界的な宗教家として、これはベストアンサーであると感心したのである。だってこのゴールドライカは俺のものだ。誰にも譲らないぞ。では宗教家として失格だし、日本の四谷のガラクタ屋に買い取ってもらったと言うのでは、経済的なマイナスイメージになってしまう。

ところで、私の写真集、winとライカの日々のトップに書かれている短い言葉だけど、1台のライカを持って世界の果てに旅に出る。こんなに素晴らしいことが他にあろうか?というのである。その1台のライカと言うのは、まさにこういうゴールドライカがふさわしいと思う。
67.
ユーザー
7Lekx
250枚1度に撮影できるフィルムカメラと言うのは、カメラメーカーが付属品として、それぞれの会社で一生懸命作っていたもので、この250個まで連続して撮影できるということがそのカメラのブランドのステータスであったものだった。

ライカカメラの250枚撮影できるこの両側が膨らんだモデルはそれがエキゾチックであるということで、非常に人気のレアなモデルである。私も何十年代250来間が欲しいと思っていたのであるが、実際に手にしてしまうと、単にそれだけのものであると言うのは、希望と欲望とその結果と言う意味から考えてみると、誠に当然なことだと思われる。

田中長徳研究科である鵠沼のブレッソンが非常にきれいなエバレディケースを作ってくれた。実際問題としては専用の金属カセットがないと撮影ができないので、ずいぶん高いカセット代を払って手に入れたが、結局手に入れてしまうと安心してしまって、後は取るだけだと言うことになってしまい、1枚も写真は撮らなかった。ここら辺はコレクターの心理だね。

^_^デジタルカメラで思い出すのは、Appleのクイックテイクなどごくごく初期のデジタルカメラはメモリも交換できなくて、内蔵式だし12枚ぐらいしか取れないのである。そういう時代には250位下などはちゃんとした存在価値があったけれども、それから、デジタルカメラのメモリーがどんどん多くなってフォーマットにもよるけど、何千枚も1度に取れると言うつまらない時代になってしまった。

私はフィルムマガジンのこういう膨らみのアナログ的なボリューム感にカメラの機械美学を感じている。世代なので、デジタルカメラの容量が大きくなって、メモリが膨らんでくれば実にリアリティーがあって、ダイナミックで好きになれるけど、今のデジタルカメラのメモリと言うのは実につまらない時代になったものだと思う。

ライカ250モデルはオスカーバルナックが最後に自分で設計したカメラという意味でも重要である。
68.
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jcTMN
ハイスピードレンズという言い方もありますね☺️
例えばLeicaだとhektor 50mm f2.5が最初のハイスピードレンズだそうです。それまでのelmarがF3.5なのでそれに比べると高速ということになりますね〜。その後すぐにF2のレンズが出るわけですが…🙄
69.
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FGc7u
マジかー(´・ω・`)
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aKp8H
>>61
湘南ラ◯カ広場ね(笑)
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9pfFK
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sPhwN
あ、(察しw)
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jN549
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33Xvl
以前アメリカで買ったライカDⅢがフリーメーソンのロゴ付いたモノなのよ
これってレアモノですか?
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T4Jph
いいね
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sylyT
いいんですか?
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eFLeB
ワロタ
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ほんとうですか!?
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てすつ
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25DCV
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Jkgr8
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kQul2
この時代のキャノンレンジ、ファインダーの美学
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mcQEP
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Ng6Tz
あーーーーーーっ!!!!
自分のチンポをイタズラ品だよ!
自分のチンポをイタズラ品だよ!
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DHqOn
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1sS90
オマエ、チンチンイタズラしてんだろ⁉︎
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kl3oW
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okHKp
インスタであの頃の事たくさん書いてるぜ
非公開にしてるからフォロワーにならないと見れない
よろしくなw

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