バルナックライカ 13台目

1.
ユーザー
KrnJe+rX
前スレ
バルナックライカ 9台目
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/camera/1456151764/
バルナックライカ 10台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1511457142/
バルナックライカ 11台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1546980196/
バルナックライカ 12台目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/camera/1614531175/

※カメラ板の現行ルールでは、スレ立て後20レス未満のスレは1時間で落ちる設定です。
 スレ立て後は速やかに20レス保守が必要になります。
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46.
ユーザー
Eez3J
南光 アジア文芸ライブラリー
朱和之, 中村加代子

日本統治時代の台湾に生まれた写真家・トウ南光をモデルにした歴史小説。彼のライカは、モダン都市・東京、そして戦争から戦後で大きく変わりゆく台湾の近代を写し出す。
47.
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7VRLl
家人がソプラノ歌手としてドイツ語のリサイタルを何十年にもわたって開催してきた時に、本法、荘園のドイツ語の歌曲などを日本語に翻訳してくださったのが、家人の親戚にあたるドイツ語の大学の先生であった。

日本と言うのは、特殊な環境に音楽芸術が育っているから、初期のウィーンなどではイタリアの過激派イタリア語でそのままやると言うのが普通だった。ところが日本の場合は情緒的なところがあるから、外国語の歌曲を歌うと、それがプロジェクションで日本語になったりする。まずこれはカラオケ文化のようなものですね。

^_^それでその大学の先生はドイツ語の専門家であるから、ドイツ語の本をドイツは及ばず、特にオーストリアのウィーンに探しに行ったりするのである。それで私が割と長いこと住んでいたウィーンの大使館が良いなどがあるところなんだけれども、そのアパートメントのすぐ近くにドイツ語では有名な文学者が住んでいて、それは今ではパン屋さんの3階建ての古い古いビルなのである。

^_^そういうドイツの文学の専門家であるから、光の方向の映画が好きかと言うと、180度違うのであって、このプロフェッサーは柴又の寅さんの大ファンなのである。

^_^プロフェッサーは残念だとことに60歳で昇天してしまわれたのであるが、その葬儀の時に寅さんの山田監督から花輪が来ると言うようなつまり大学教授と映画監督はお互いに顔見知りであったと言うところが周囲をびっくりさせたのであった。
一方で、私の場合、寅さんの映画は全く見ないし、柴又に行った事はあるが、レオタックスと言うライカコピーの会社が柴又の川の縁にあったので、その関係で行っただけの話である。

似せられた同盟が結成された時に、メンバーの大阪出身のご夫婦が縁石を設けてくれて、それが15年位前の話なのであるが、大阪出身のご夫婦だから、柴又の川魚料理は全く知らない子ほい。国とか恋の新居がなんであるかもわからないので、事前にロケハンというか、宴会の1週間前に食べに行ったそうである。こういうのも頭が下がるね。

柴又もレオ、タックスの昔かな 長徳
48.
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m6ZMu
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49.
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6VJm2
お前のレオタックスはイタズラ品だよ
50.
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lvXki
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51.
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ExgjG
カードンカメラカンパニーはもともと音響関係のハイファイなどを手がけていた。会社であって、今でも存続しているそうだ。それが戦前から戦後にかけて、アメリカ軍からアメリカのライカを依頼されて大変な苦労させられたカンパニーである。

創業者のカードンと言う人は、ウクライナのオデッサの出身だと言う。ウクライナの人とソ連の人とアメリカの人が同じ人間であると言うことを、私は以前から気がついていたのだった。

それでカードンカメラは製造台数が少なくて、軍用が1500台民間様が1000台ぐらいしか作られていない。40年前の話だが、キャナルストリートの駐車場で毎週末に蚤の市があった。そこで登場したのがシビリアンモデルのカードンカメラである。

値段は250ドルであったが、当時のレートは280円だから高くて買うことができなかった。その一方で、カードンカメラの研究をしたのである。^_^私が暮らしていたニューヨークのソーホー地区は、以前は小さな工場街がたくさん並んでいるところで、私が住んでいたロフトは人形工場であったそうだ。

そのロフトの北側に開けた窓からウェストハウスとストリートを眺めながら、カードンカメラカンパニーがどこにあるのかを考えていた。

偶然集めていた資料の中に、当時のカードンカメラカンパニーのレターヘッドを発見した時は嬉しかった。何の事は無い。私がいつも眺めていたウェストハウスタウンストリートの北側、今はニューヨーク州立大学のキャンパスになっていたところに、かつてのカメラ外車が存在したのである。
52.
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Mj4JX
お前のカードンはイタズラ品だよ
53.
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R0N9m
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54.
ユーザー
1jMEG
神宮にあったレ◯ナハウス
色々客と揉めた件を塾長さんが面白そうに話してるのを思い出した。失意の果てにM月さんは癌が再発して亡くなったのは無念だったろうに。
55.
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V1xxL
C場さんは?
56.
ユーザー
HOdGZ
戦前の昭和10年頃に発行された田所さんと言う人が書いた。コンタックスの使い方と言うハードカバーの本が面白い。要するにまだクロームコンタックスが登場する直前の話であって、最初のブラックコンタックスでコンタックスの世界は完成されていると言うところが素晴らしいと思う。

この頃のコンタックスの本を見て面白いなと思うのは、やはり対抗する。ライカに対しての優越性を金属製のシャッター幕などで強調しているのはともかくとして、その背景に存在するのはカールツアイスのレンズが自由自在に使えると言うことである。

このコンタックスに対するコンプレックスと言うのは、これから時代が80年以上経過した。現代でもライカ人類が持っている。払拭することのできないカールツアイスとコンタックスに対するコンプレックスなのである。

例えば、これはアメリカ人のみんなが抱いている。ヨーロッパ文明に対するコンプレックスと非常に共通点があると思う。私がワークショップを持っていたザルツブルグカレッジで勉強に来る。MITの学生の皆さんは、夏の私のワークショップが卒業の単位に組み込まれているのは、当然ながらやはりマサチューセッツとか史観をよりも、観光名所のザルツブルグあたりに興味を示しているというのがなかなかトリッキーだと思う。

ブラックコンタックスの使い方で私が気になるのは、やはり最大の欠点はレンズの脇につけられた巻き上げ装置である。例えば撮影が順調な時は1日に7本から10本のフィルムを使うわけであるが、巻き上げ装置がこの位置についていると、指の皮が剥けそうになる。

特に冬がそうである。それで私のブラックコンタックスの使い方と言うのは、極力シャッタースピードを変えないということなのである。あるいは二台のブラックコンタックを用意していて、1つのコンタックスは500分の1秒でシャッターが切れる専用モデルと言うことにしてあって、もう1台のコンタックスは25分の1秒に最初からシャッター速度がセットしてあるから、これは暗いところで使うと言う二台で使うブラックコンタックスと言うやり方だ。

ライカカメラのフイルム巻き上げ装置はずっとカメラボディーの上のほうに付いていたが、ブラックコンタックスがクロームコンタックスになって、巻き上げ装置をフロントからトップに変えたと言う事は、すでにその欠点を最初の頃から記憶してそれに対応していたに違いない。
57.
ユーザー
My600
夏向きライカで坂崎さんのM2にY縣塾長がヴィトンの貼り革にする件の話
笑わせてもらいました
58.
ユーザー
oxnc1
それは…
触れてはいけない人だ
59.
ユーザー
3fBfo
マジかー(´・ω・`)
どうもありがとうございます
60.
ユーザー
nQfxB
もう若い人は知らないんじゃないかな?
というか今若い人が古カメラなんか興味ないだろうけど
あの界隈では40代で若者扱いだからねw
61.
ユーザー
QjQYe

>>59

あそこの界隈には関わってはダメだよ
最近はSNSの繋がりばかりで中古カメラの事は知らないけど
62.
ユーザー
PCDVL
Y爺のインスタのフォロワー見てみなよ
ポストしてもほとんどレスが付かないじゃんww
相手にされてないのはTwitterやインスタ見ればわかるよね
今のSNSはフォロワー数やレスの数で人気度が一目瞭然
昔みたいにハッタリは効かないよwq

63.
ユーザー
XhMrA
>>62
だから古典的なホームページ用電子掲示板に令和の時代になっても維持し続けたんだろ
50以上の爺さんばかりだというのもあるがな
64.
ユーザー
Cya7w
1947年にイタリアのフィレンツェで作られたエレクトラと言うカメラは、ごくごくシンプルなライカのスタンダードモデルを真似したようなタイプであった。それで最初のいわゆるモデルであるが、これはブラックの結晶仕上げで、なかなか存在感があって、好きなカメラである。

それより私の興味を引くのはこのフィレンツェ生カメラと言うものの存在感そのものに対するキュリオシティーなのである。何かメディチ家の関係者が作ったのではないかと言ういい加減な噂話をそこら辺にふらふらふら吐かせても信用する人が出てきそうな感じなのだ。

それでこのカメラの市場価格なのであるが最初のブラックボディーは国際感覚だと1000ドル以上するのであるが日本国内だと30,000円台で買えるのである。経済的にレッド王国の日本だから日本円の弱さと相まってそんなことになってしまっているのはちょっと残念と言うよりも今が買い時と言うことなのである。

^_^それでその当時のイタリアのカメラ雑誌の広告を見て面白いのは単位はイタリアリラであるが、やたら0がたくさん付いている。要するに、戦後のイタリアの経済混乱期のデノミネーションが起きる前の桁数の多さがそのまま反映されているのだ。

最初のブラック仕上げのこのカメラがあまり売れなかったので、決定打を放とうとしたのかどうか知らないがこのChromeしてくれると言うことになる。それでこのクローム仕上げのモデルを最後にして、フィレンツェのライカはその生産を終えてしまったのは残念なことであった。

そう思い出した。このフィレンツェ省の標準レンズが意外ともののけが乗り移っているのではないかと思われるような不思議な移りをするのである。私の友人の映画製作者が私が撮影したフィレンツェ製のレンズに対してそういう印象を送ってくれたのも忘れられない。もっともこれはコロナが蔓延し始めた。最初の年の春だったから、人間の感性などと言うものは、そういう伝染病にもろに影響を受けるのである。
65.
ユーザー
H8Stu
いいね
66.
ユーザー
kkHXk
ダライ・ラマがカメラが好きであることを最初にしたのは1960年代の初めのライフマガジンの表紙に彼が登場しているのである。それでダライ・ラマを記録するムービー、カメラマンが持ってきたベル&ハウエルの愛もカメラを手に取って、いろいろ見ている写真が表紙なのだ。

ライカの会社は製造番号が555,555代目のライカをゴールド仕上げでして、これをカメラ付きのダライ・ラマにプレゼントした。

それから何十年か経過して、ダライ・ラマが来日した時、カメラ好きだからヨドバシカメラなどを回っていると言うので、私はダライ・ラマの側近である人に質問をしたのである。あのとき以来、彼から譲られたゴールドライカはどうしました?というのである。

数ヶ月後にその答えが私に知り合いを通じて届けられた。すなわち

ゴールドライカは人にあげてしまった。
世界的な宗教家として、これはベストアンサーであると感心したのである。だってこのゴールドライカは俺のものだ。誰にも譲らないぞ。では宗教家として失格だし、日本の四谷のガラクタ屋に買い取ってもらったと言うのでは、経済的なマイナスイメージになってしまう。

ところで、私の写真集、winとライカの日々のトップに書かれている短い言葉だけど、1台のライカを持って世界の果てに旅に出る。こんなに素晴らしいことが他にあろうか?というのである。その1台のライカと言うのは、まさにこういうゴールドライカがふさわしいと思う。
67.
ユーザー
7Lekx
250枚1度に撮影できるフィルムカメラと言うのは、カメラメーカーが付属品として、それぞれの会社で一生懸命作っていたもので、この250個まで連続して撮影できるということがそのカメラのブランドのステータスであったものだった。

ライカカメラの250枚撮影できるこの両側が膨らんだモデルはそれがエキゾチックであるということで、非常に人気のレアなモデルである。私も何十年代250来間が欲しいと思っていたのであるが、実際に手にしてしまうと、単にそれだけのものであると言うのは、希望と欲望とその結果と言う意味から考えてみると、誠に当然なことだと思われる。

田中長徳研究科である鵠沼のブレッソンが非常にきれいなエバレディケースを作ってくれた。実際問題としては専用の金属カセットがないと撮影ができないので、ずいぶん高いカセット代を払って手に入れたが、結局手に入れてしまうと安心してしまって、後は取るだけだと言うことになってしまい、1枚も写真は撮らなかった。ここら辺はコレクターの心理だね。

^_^デジタルカメラで思い出すのは、Appleのクイックテイクなどごくごく初期のデジタルカメラはメモリも交換できなくて、内蔵式だし12枚ぐらいしか取れないのである。そういう時代には250位下などはちゃんとした存在価値があったけれども、それから、デジタルカメラのメモリーがどんどん多くなってフォーマットにもよるけど、何千枚も1度に取れると言うつまらない時代になってしまった。

私はフィルムマガジンのこういう膨らみのアナログ的なボリューム感にカメラの機械美学を感じている。世代なので、デジタルカメラの容量が大きくなって、メモリが膨らんでくれば実にリアリティーがあって、ダイナミックで好きになれるけど、今のデジタルカメラのメモリと言うのは実につまらない時代になったものだと思う。

ライカ250モデルはオスカーバルナックが最後に自分で設計したカメラという意味でも重要である。
68.
ユーザー
jcTMN
ハイスピードレンズという言い方もありますね☺️
例えばLeicaだとhektor 50mm f2.5が最初のハイスピードレンズだそうです。それまでのelmarがF3.5なのでそれに比べると高速ということになりますね〜。その後すぐにF2のレンズが出るわけですが…🙄
69.
ユーザー
FGc7u
マジかー(´・ω・`)
70.
ユーザー
jFsG3
保守
71.
ユーザー
T5jHM
運用
72.
ユーザー
aKp8H
>>61
湘南ラ◯カ広場ね(笑)
73.
ユーザー
9pfFK
保守
74.
ユーザー
sPhwN
あ、(察しw)
75.
ユーザー
jN549
運用
76.
ユーザー
33Xvl
以前アメリカで買ったライカDⅢがフリーメーソンのロゴ付いたモノなのよ
これってレアモノですか?
77.
ユーザー
T4Jph
いいね
78.
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sylyT
いいんですか?
79.
ユーザー
eFLeB
ワロタ
80.
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rZFnF
ほんとうですか!?
81.
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nFhmi
保守
82.
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6YGlv
運用
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KAN7E
保守
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O2uR8
てすつ
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SAjtU
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25DCV
保守
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v7tHA
運用
88.
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Jkgr8
89.
ユーザー
kQul2
この時代のキャノンレンジ、ファインダーの美学
90.
ユーザー
mcQEP
いいね
91.
ユーザー
Ng6Tz
あーーーーーーっ!!!!
自分のチンポをイタズラ品だよ!
自分のチンポをイタズラ品だよ!
92.
ユーザー
DHqOn
保守
93.
ユーザー
1sS90
オマエ、チンチンイタズラしてんだろ⁉︎
94.
ユーザー
kl3oW
運用
95.
ユーザー
okHKp
インスタであの頃の事たくさん書いてるぜ
非公開にしてるからフォロワーにならないと見れない
よろしくなw

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