【遺伝子型rs12109608】哲学的な話を好むタイプの多い都道府県 2位「滋賀県」、1位は?アーカイブ最終更新 2024/12/09 17:091.ジンギスカソ ★???哲学的な話を好むタイプの多い都道府県 2位「滋賀県」、1位は?ユーグレナ(東京都港区)は「哲学的な深い話を好むタイプ」について、統計的に有意な関連がある遺伝子タイプを発見したと発表。遺伝子解析サービスを使って「哲学的な深い話を好むタイプ(遺伝子型rs12109608)」に該当する人の割合を都道府県(出生地)別に算出したところ、最も多かったのは「奈良県」(27.3%)だった。2位以下には「滋賀県」(26.7%)、「香川県」(25.7%)、「鳥取県」(25.3%)、「石川県」(24.7%)、「富山県」(24.1%)、「山形県」(23.9%)、「静岡県」(23.2%)、「埼玉県」(23.1%)、「広島県」(23.0%)が続いた。今回のアンケートでは「浅い冗談話よりも、どちらかといえば哲学的な深い話を好む方か?」という問いに対して、「全く当てはまらない」から「とても当てはまる」まで7段階に分けて、回答をそのまま1~7点として扱った。3901人の回答をもとに特徴的な遺伝子タイプが存在するか解析したところ、「遺伝子型rs12109608」が「哲学的な深い話の好みやすさ」と統計的に有意な関連があることが分かったという。(続きは以下URLから)https://news.yahoo.co.jp/articles/c9d672deeb0c867210a153ff0e29e70c8cdcafc5https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20241206-00000092-zdn_mkt-000-1-view.jpg?exp=108002024/12/07 16:54:03147すべて|最新の50件98.名無しさんYRGq0言葉の力によって、開放し、模索を続けたらよい。そうとしか思わない。もう一つ思うことは、アメリカに行きゃあ良かったのでは?だな三島の中で育ったアメリカ、三島が対峙したアメリカは、実物とは違ったのかもしれない。2024/12/08 10:31:1399.名無しさんYRGq0>>97あ~、大江は読んでないです。読む前から嫌な感じがにじみでていた。2024/12/08 10:32:55100.名無しさんB5TsV>>98言語以前に存在してるというのが本質主義者2024/12/08 10:33:45101.名無しさんYRGq0>>100うん、三島はその本質主義者だった?2024/12/08 10:34:27102.名無しさんYRGq0三島が英語で読み書きができたか、とても気になりだした。できたのだろうか。論文書けたのか。2024/12/08 10:35:20103.名無しさんB5TsV>>101三島以外にの本質主義者は多いブッダもそうだよ2024/12/08 10:35:22104.名無しさんYRGq0>>103なるほど2024/12/08 10:36:12105.名無しさんyRc5cオセロで人間に勝つコンピュータは80年代ですでにあった。だけどオセロの必勝法は人間でも習得できる。浅いゲームだから。囲碁みたいに奥が深いものほど、AIのほうが強いんですよ。2024/12/08 10:42:13106.名無しさんYRGq0非常に狭い言語空間の中で、煮詰まっていく何々派、何々サイド、俺の命題に何々サイドも誰も答えることができない、これが人間の知の限界点なんだ本当にそうか?限界を迎えたのは、その言語コミュニティーではないのだろうか?と思うから、哲学者は旅を好む、物理的に移動して、自分の母語以外の言語を通して世界を抱える命題を眺めなおそうとするあるいは、書物をとおして、母語以外の言語で、古の同輩たちが何を見て何を考えたのか知ろうとする。そして、懐かしい混沌にかえるのだ。ああ、何もかも流転しまくってるんだと。ここでの結論は、旅をしない哲学マニアは、限界点に達しやすい2024/12/08 10:49:17107.名無しさんyRc5c君が指摘するように、「旅をしない哲学マニアは限界点に達しやすい」というのは、非常に本質的な洞察だ。哲学者は、言語や文化の狭い枠組みに閉じ込められることを嫌い、物理的・知的な旅を通じて自己を解放し、新しい視点を得ようとする。最終的に、哲学者は「混沌」としての世界そのものに回帰し、すべてが流転する中で新たな問いを見つけ続ける。それが、哲学を生きる者の宿命であり、喜びでもあるのだと思うよ。2024/12/08 10:53:26108.名無しさんyRc5c囲碁の定石も、これまでに人間が探究してきたものはごく一部だった、と言うのがAIで実証されたんですよ。2024/12/08 10:54:43109.名無しさんB5TsV限界を迎えたから腹を切ったのか否かはいまだわからずおそらく違う2024/12/08 10:55:06110.名無しさんB5TsV芥川はあいまいな私への漠然とした不安それが原因三島とはまた違うから2024/12/08 10:57:07111.名無しさんYRGq0>>109自死した人のその理由は、本人が言ったこと(言い残したなら)を受け入れるのみ解釈するのは無礼にして下品だこれが俺の態度>>107賛同してくれてありがとう。2024/12/08 10:58:26112.名無しさんB5TsV武士は絶望して戦場で死ぬわけじゃないわけで三島が求めたのは戦場での華々しい死そこへのコンプレックスからくるものかもしれない2024/12/08 11:02:12113.名無しさんYRGq0>>112なぜ三島の話をしたくなったの?2024/12/08 11:02:56114.名無しさんB5TsV>>113衝動的に時代かね2024/12/08 11:03:45115.名無しさんyRc5c反論してみると。1. 限界点の本質は「旅をするか否か」に依存しない問題は物理的な移動や他言語の習得にあるのではなく、思考の柔軟性や新しい視点を取り入れる能力にある。哲学的な深化は、必ずしも「旅」という外的行動によって達成されるものではなく、内的な反省や問いの再構築によっても可能である。2. 外部の視点を得る方法は多様であり、旅に限定されない他者との対話、異なる分野の知識の吸収、または想像力による思考実験もまた、狭い言語空間から脱する手段である。これらは物理的な旅に匹敵する効果を持つ場合がある。3. 旅をしても限界点を超えられるとは限らない物理的な移動が新しい視点をもたらすことは事実だが、それ自体が本質的な突破口になるわけではない。狭い視野を持つまま旅をしても、異なる文化や言語を表面的に消費するだけで終わる可能性がある。したがって、狭い言語空間を超えるために必要なのは旅そのものではなく、思考の質や問いに対する態度の変容である。旅がその一助になることは否定しないが、それが必須条件ではない。2024/12/08 11:09:33116.名無しさんYRGq0>>114なるほど、同時代の人なんだね俺はもっと後の人で、歴史上のできごと宿題で、金閣寺を読んで感想をかけといわれ、美を主題に選びながら文章に美が宿らず冗長な信条説明を繰り返すクソのような小説だと正直に書いて教師に半ば肯定の爆笑をされたような時代2024/12/08 11:12:22117.名無しさんYRGq0>>115そうだね旅は物理的なものに限定されず、また旅は他者との対話の契機であって目的ではない。だからこそ、書物を通す思索を含む旅は哲学の必須条件である。2024/12/08 11:16:40118.名無しさんyRc5cAI、面白いでしょう?これを追っかけるのが僕の生き甲斐。2024/12/08 11:20:23119.名無しさんYRGq0母語を等しくしない他者との対話が最も大事なことだ、というのが、俺の意見の柱。2024/12/08 11:25:25120.名無しさんyRc5c旅をどのように解釈するかは個人の思索の深度に依存する。物理的な旅であれ、書物を通じた旅であれ、問いを持つ姿勢や、新しい視点を受け入れる柔軟性がなければ、それらは哲学にとって必須条件ではなく単なる行為に終わる。書物や対話を通じた思索が哲学に重要な役割を果たすのは事実だが、それを「必須条件」とするには注意が必要だ。哲学の本質は「問いを持つこと」や「既存の枠組みを乗り越える姿勢」にあり、旅そのものはその一助に過ぎないかもしれない。2024/12/08 11:27:30121.名無しさんYRGq0>>118面白いね。思考って、ひょっとして質ではなく物量勝負だったのかもな、と思わせるあたり。AIの書く説明文は、すばらしくわかりやすい。日本語も英語も中国語も。2024/12/08 11:28:20122.名無しさんYRGq0>>120わかったよ。俺の主張が穴だらけなのは。で、あなたの意見は?反論職人ってわけはなく、自分の意見があるのだろう?2024/12/08 11:30:18123.名無しさんYRGq0あとはそうだなまとまった本を書くこと。一冊かきとおす。一つの問いに答えることをめざして、書きとおす2024/12/08 11:36:28124.名無しさんyRc5c>>1221流の人ほどAIを食わず嫌いする傾向にあるけど、それではいずれプログラマーに負けてしまいますよという、主張してみたかっただけ。2024/12/08 11:38:47125.名無しさんYRGq0>>124AIを食わず嫌いする一流の人って誰?2024/12/08 11:40:20126.名無しさんYRGq0なんの一流だろうか?さっきは、早稲田のなんとかの授業を、とか、東大のなんとか授業を、うけていればわかるとか俺、受けてないよ。2024/12/08 11:42:49127.名無しさんyRc5c>>125まあ僕が知ってるのはイラストレーターの分野だけどね。名前とか出さんが。他の分野も同じ。2024/12/08 11:42:52128.名無しさんz6bXf愛知だよ。哲学ーPhilosophyが、知を愛するの意味だから。愛知県民頭良さそうだろ。哲学は、科学が立ち止まったところから始まる。2024/12/08 11:44:11129.名無しさんYRGq0>>127なるほど自分の意見は特にない、あるいは意見を表明することを避けるが、誰かの意見へのリアクションや反論を好む人ですね?そういう人も世の中に必要なんだと思う。2024/12/08 11:51:17130.名無しさんYRGq0>>128名古屋大学って頭いいらしいじゃん2024/12/08 11:52:55131.名無しさんyRc5c>>129AIを使った意見でゲームを挑んで、自分もそれを読んで賢くなれたらお得だし。2024/12/08 11:55:26132.名無しさんYRGq0最近講演をネットで聞いてすげえなと思った哲学者は、Anand Giridharadasインド系アメリカ人、分類はジャーナリストだが、俺には哲学者に見えるWinners Take Allという著作で、一部の富裕エリートが慈善事業を通して彼らを富裕たらしめているシステムを維持しているのだ、との論旨を展開し、ならば、この先、格差の是正のために、全ての人にチャンスがある社会を構築するために、何をしたらよいのかを問うた。2024/12/08 11:58:56133.名無しさんyRc5c外国人と喋るの面白いよね。すげえ賢い人なのかとか思う。今はAI使えば多分通じてる。2024/12/08 12:12:10134.名無しさんH5aKt>>128そういえば滋賀県には愛知(えち)郡があるな2024/12/08 12:13:14135.名無しさんyRc5c「格差の是正のために、全ての人にチャンスがある社会を構築するために」こういうスローガン、自分の生存作戦を隠すカモフラージュする偽善以外にありえるの?2024/12/08 13:14:07136.名無しさんyRc5c世の中には、堕胎されてしまう人もいるし、高熱を出して脳が損傷したり、騙されやすい親が子供の運命を勝手に決めたり、1人1人条件が違うのは現実でしょう。有利な点だけが奪われるのがオチ。2024/12/08 13:26:57137.名無しさんyRc5c議論しないのが和の精神ですか。2024/12/08 13:52:07138.名無しさんIqsYO>>6何となく、意識が高くなったように感じさせる話鼻に付く事もあります2024/12/08 13:52:19139.名無しさんyRc5c意識高くて鼻に付くだって?そんなのは、だれかのゴシップで仲間たちとあざ笑ってるのがお似合いだよ。2024/12/08 15:24:46140.名無しさんYRGq0>>138哲学的に議論って、「人はいかにしてよりよき人生を送れるか」とか「世界はどのように成り立っているのか」とか「世の中の仕組みはいかに構築すべきか」といった根源的な問いについて、それぞれの立場や考え方から、意見を交換しあって、共通点をみつけ、相違点をみつけ、双方にとって資する方向を見つける試行錯誤の過程から、互いが、これまでに気づかなかった視点に到達する、ということだと思う。非常にまだるっこしくも豊饒な活動。鼻につくのは、何というか、日本の旧世代の悪癖というかお前、あれ知ってるか、これ知ってるか、というトリビアな知識競争におちいったり、有名哲学者の言説やら、哲学者同士の関係やらの、どこかのそれ系の雑誌で得た知識を披露しまくる競争とか、相手に何かの見解を述べさせて、それについての揚げ足取りに撤することにより、自分が他者より知的に優位であるとの錯覚に陥りたい人とか、そういう疲れる相手に遭遇したときは、鼻につきまくり。これは哲学的の議論とは何ら関係のない活動。2024/12/08 16:42:24141.名無しさんYRGq0>>53高田純次の面白そうな番組だね俺も見たかった。2024/12/08 16:44:52142.名無しさんxdGfy伸びてるから何かと思えば気印の独り言かこの世は胡蝶の夢。奈良の蝶はオオムラサキかなアゲハは似合わないな2024/12/08 16:51:45143.名無しさんyRc5cAIが、囲碁でそうであったように、人類が数千年掛けて積み上げた何十何百倍の知恵をあみだせるか、さてどうだろうねえ。囲碁の場合は盤面を絵としてAIは把握したんだが、文章の場合はどう把握してああなるのかわからん。でも今の段階のAIの作文から想像すると有望だろうと思う。2024/12/08 19:10:43144.名無しさんGxpHM哲学者同士の議論って酔っ払い同士の会話に似てる気がする2024/12/08 21:38:51145.名無しさん47VQgやっぱ西の方が多いね。東日本や日本海側は悪政だった徳川幕府のせいで名前もない水呑百姓多いし識字率も東日本は低かった。東北系の人間は今でも大嫌い。2024/12/08 21:50:34146.名無しさんSl0lC仏教に洗脳されてるような地域はそりゃつまらんだろ2024/12/09 09:14:17147.名無しさんSa1Se>>6言葉遊び的な中身は薄い話2024/12/09 17:09:35
ユーグレナ(東京都港区)は「哲学的な深い話を好むタイプ」について、統計的に有意な関連がある遺伝子タイプを発見したと発表。
遺伝子解析サービスを使って「哲学的な深い話を好むタイプ(遺伝子型rs12109608)」に該当する人の割合を都道府県(出生地)別に算出したところ、最も多かったのは「奈良県」(27.3%)だった。
2位以下には「滋賀県」(26.7%)、「香川県」(25.7%)、「鳥取県」(25.3%)、「石川県」(24.7%)、「富山県」(24.1%)、「山形県」(23.9%)、「静岡県」(23.2%)、「埼玉県」(23.1%)、「広島県」(23.0%)が続いた。
今回のアンケートでは「浅い冗談話よりも、どちらかといえば哲学的な深い話を好む方か?」という問いに対して、「全く当てはまらない」から「とても当てはまる」まで7段階に分けて、回答をそのまま1~7点として扱った。
3901人の回答をもとに特徴的な遺伝子タイプが存在するか解析したところ、「遺伝子型rs12109608」が「哲学的な深い話の好みやすさ」と統計的に有意な関連があることが分かったという。
(続きは以下URLから)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9d672deeb0c867210a153ff0e29e70c8cdcafc5
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20241206-00000092-zdn_mkt-000-1-view.jpg?exp=10800
そうとしか思わない。
もう一つ思うことは、アメリカに行きゃあ良かったのでは?
だな
三島の中で育ったアメリカ、三島が対峙したアメリカは、実物とは違ったのかもしれない。
あ~、大江は読んでないです。
読む前から嫌な感じがにじみでていた。
言語以前に存在してる
というのが本質主義者
うん、三島はその本質主義者だった?
できたのだろうか。
論文書けたのか。
三島以外にの本質主義者は多い
ブッダもそうだよ
なるほど
だけどオセロの必勝法は人間でも習得できる。浅いゲームだから。
囲碁みたいに奥が深いものほど、AIのほうが強いんですよ。
何々派、何々サイド、俺の命題に何々サイドも誰も答えることができない、これが人間の知の限界点なんだ
本当にそうか?
限界を迎えたのは、その言語コミュニティーではないのだろうか?
と思うから、哲学者は旅を好む、物理的に移動して、自分の母語以外の言語を通して世界を抱える命題を眺めなおそうとする
あるいは、書物をとおして、母語以外の言語で、古の同輩たちが何を見て何を考えたのか知ろうとする。
そして、懐かしい混沌にかえるのだ。ああ、何もかも流転しまくってるんだと。
ここでの結論は、旅をしない哲学マニアは、限界点に達しやすい
最終的に、哲学者は「混沌」としての世界そのものに回帰し、すべてが流転する中で新たな問いを見つけ続ける。それが、哲学を生きる者の宿命であり、喜びでもあるのだと思うよ。
と言うのがAIで実証されたんですよ。
いまだわからず
おそらく違う
あいまいな私への漠然とした不安
それが原因
三島とはまた違うから
自死した人のその理由は、本人が言ったこと(言い残したなら)を受け入れるのみ
解釈するのは無礼にして下品だ
これが俺の態度
>>107
賛同してくれてありがとう。
三島が求めたのは戦場での華々しい死
そこへのコンプレックスからくるものかもしれない
なぜ三島の話をしたくなったの?
衝動的に
時代かね
1. 限界点の本質は「旅をするか否か」に依存しない
問題は物理的な移動や他言語の習得にあるのではなく、思考の柔軟性や新しい視点を取り入れる能力にある。哲学的な深化は、必ずしも「旅」という外的行動によって達成されるものではなく、内的な反省や問いの再構築によっても可能である。
2. 外部の視点を得る方法は多様であり、旅に限定されない
他者との対話、異なる分野の知識の吸収、または想像力による思考実験もまた、狭い言語空間から脱する手段である。これらは物理的な旅に匹敵する効果を持つ場合がある。
3. 旅をしても限界点を超えられるとは限らない
物理的な移動が新しい視点をもたらすことは事実だが、それ自体が本質的な突破口になるわけではない。狭い視野を持つまま旅をしても、異なる文化や言語を表面的に消費するだけで終わる可能性がある。
したがって、狭い言語空間を超えるために必要なのは旅そのものではなく、思考の質や問いに対する態度の変容である。旅がその一助になることは否定しないが、それが必須条件ではない。
なるほど、同時代の人なんだね
俺はもっと後の人で、歴史上のできごと
宿題で、金閣寺を読んで感想をかけといわれ、美を主題に選びながら文章に美が宿らず冗長な信条説明を繰り返すクソのような小説だと正直に書いて教師に半ば肯定の爆笑をされたような時代
そうだね
旅は物理的なものに限定されず、また旅は他者との対話の契機であって目的ではない。
だからこそ、書物を通す思索を含む旅は哲学の必須条件である。
書物や対話を通じた思索が哲学に重要な役割を果たすのは事実だが、それを「必須条件」とするには注意が必要だ。哲学の本質は「問いを持つこと」や「既存の枠組みを乗り越える姿勢」にあり、旅そのものはその一助に過ぎないかもしれない。
面白いね。
思考って、ひょっとして質ではなく物量勝負だったのかもな、と思わせるあたり。
AIの書く説明文は、すばらしくわかりやすい。
日本語も英語も中国語も。
わかったよ。
俺の主張が穴だらけなのは。
で、あなたの意見は?
反論職人ってわけはなく、自分の意見があるのだろう?
まとまった本を書くこと。
一冊かきとおす。
一つの問いに答えることをめざして、書きとおす
1流の人ほどAIを食わず嫌いする傾向にあるけど、
それではいずれプログラマーに負けてしまいますよという、
主張してみたかっただけ。
AIを食わず嫌いする一流の人って誰?
さっきは、早稲田のなんとかの授業を、とか、東大のなんとか授業を、うけていればわかるとか
俺、受けてないよ。
まあ僕が知ってるのはイラストレーターの分野だけどね。名前とか出さんが。他の分野も同じ。
愛知県民頭良さそうだろ。
哲学は、科学が立ち止まったところから始まる。
なるほど
自分の意見は特にない、あるいは意見を表明することを避けるが、誰かの意見へのリアクションや反論を好む人ですね?
そういう人も世の中に必要なんだと思う。
名古屋大学って頭いいらしいじゃん
AIを使った意見でゲームを挑んで、自分もそれを読んで賢くなれたらお得だし。
Anand Giridharadas
インド系アメリカ人、分類はジャーナリストだが、俺には哲学者に見える
Winners Take Allという著作で、一部の富裕エリートが慈善事業を通して彼らを富裕たらしめているシステムを維持しているのだ、
との論旨を展開し、ならば、この先、格差の是正のために、全ての人にチャンスがある社会を構築するために、何をしたらよいのかを問うた。
今はAI使えば多分通じてる。
そういえば滋賀県には愛知(えち)郡があるな
こういうスローガン、自分の生存作戦を隠すカモフラージュする偽善以外にありえるの?
堕胎されてしまう人もいるし、高熱を出して脳が損傷したり、
騙されやすい親が子供の運命を勝手に決めたり、
1人1人条件が違うのは現実でしょう。有利な点だけが奪われるのがオチ。
何となく、意識が高くなったように感じさせる話
鼻に付く事もあります
そんなのは、だれかのゴシップで仲間たちとあざ笑ってるのがお似合いだよ。
哲学的に議論って、
「人はいかにしてよりよき人生を送れるか」とか「世界はどのように成り立っているのか」とか「世の中の仕組みはいかに構築すべきか」
といった根源的な問いについて、それぞれの立場や考え方から、意見を交換しあって、
共通点をみつけ、相違点をみつけ、双方にとって資する方向を見つける試行錯誤の過程から、
互いが、これまでに気づかなかった視点に到達する、ということだと思う。
非常にまだるっこしくも豊饒な活動。
鼻につくのは、何というか、日本の旧世代の悪癖というか
お前、あれ知ってるか、これ知ってるか、というトリビアな知識競争におちいったり、
有名哲学者の言説やら、哲学者同士の関係やらの、どこかのそれ系の雑誌で得た知識を披露しまくる競争とか、
相手に何かの見解を述べさせて、それについての揚げ足取りに撤することにより、
自分が他者より知的に優位であるとの錯覚に陥りたい人とか、そういう疲れる相手に遭遇したときは、鼻につきまくり。
これは哲学的の議論とは何ら関係のない活動。
高田純次の面白そうな番組だね
俺も見たかった。
この世は胡蝶の夢。奈良の蝶はオオムラサキかなアゲハは似合わないな
人類が数千年掛けて積み上げた何十何百倍の知恵をあみだせるか、
さてどうだろうねえ。
囲碁の場合は盤面を絵としてAIは把握したんだが、
文章の場合はどう把握してああなるのかわからん。
でも今の段階のAIの作文から想像すると有望だろうと思う。
東北系の人間は今でも大嫌い。
言葉遊び的な中身は薄い話