【マジメに】アル和体制は乃木坂46の最適解?【議論】slip最終更新 2024/12/25 03:151.君の名は36-VaO-Nu-vJS3QGqthttps://twitter.com/AroundSir/status/1864060415522816502?t=fkx8t3W8zggDUSYDrceQcA&s=19来年2025年の乃木坂はどうなる?2024/12/24 00:21:33215コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.君の名は50-pE7-hj-pQuJeG1Rなぎさつね2024/12/24 00:22:433.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsyslip付けてアンチスレ立てるって凄い執念だねそんなに消されたくないの?2024/12/24 00:26:154.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>2で欲しい回答も貰えたことだしもう語る事もないね2024/12/24 00:27:575.君の名はSq-3MJ-yk-bSEe0BThアルなぎ派個人的にはWコンビ好きだから、新期生は日向坂のコンビ設定ちょっと羨ましいなおみく ー> かきさくしょげかほ ー> なぎ??そろそろ6期生来るのにまだ5期エースの固定コンビがいないちょっと寂しい2024/12/24 00:28:256.君の名はau-lyV-o5-SwpdHwuv井上チートデイの時明らかに疲れてたし、コンディション悪そうだからセンターは1年休ませた方がいい次やるならアルノとWセンターだが来年はまだ早いかな2024/12/24 00:30:357.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>5マジで何を言ってるのかよく分からない井上池田のWエースってこの前やってたじゃん2024/12/24 00:30:438.君の名は9f-MlS-Tx-fY6pIMduさっちゃんが一番2024/12/24 00:33:339.君の名は36-jca-4L-uAX9fbEjリベンジアルノ!2024/12/24 00:37:2810.君の名は36-ZBO-La-OpUVKJbzさくなぎだよ2024/12/24 00:38:2211.君の名はIX-LGJ-oy-lfNYD8Vi個人的には井上は〇〇とペアというより孤高のエースって感じがするけどね2024/12/24 00:39:3312.君の名はLn-e1P-oZ-MOEeAoRz康がアルノのセンターしか本気出さない井上チートデイって康は興味なさすぎやろ2024/12/24 00:39:5413.君の名は4D-64d-6M-noEDgZE7>>1しつこいねやっとてれ和に決まったばかりだろ異論もないし2024/12/24 00:42:3414.君の名はSq-3MJ-yk-bSEe0BTh>>7雑誌の話?意味ないじゃん「乃木坂5期Wエースは誰ですか」って聞いたら昨日はなぎまお、先日はなぎさつ、今日はなぎてれ、明日はなぎアル答えはバラバラになるからな2024/12/24 00:45:3515.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>11個人的にはアルノにそれを感じるアルノはエースではないけどアルノと○○のペアでしっくりくるのが無い2024/12/24 00:45:4316.君の名は9f-Uxa-Tx-nLlio1JX無理にペアを作る必要ないから井上ワントップでいい2024/12/24 00:46:4917.君の名は50-6Jl-ic-YTYE4vT2西野はブスだけど圧倒的なものがあった中西は惹かれるものが何もないモブキャラ何でもいいから武器持たないとセンターとか無理よ2024/12/24 00:48:0018.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>142作以上のフロント経験があるのは井上と池田だけだから雑誌とか関係なくこの2人が5期のWエースなのは誰でも分かる2024/12/24 00:48:3119.君の名は4D-64d-6M-noEDgZE7メディアで初めてWエースと呼んだのが井上池田世間的にビジュアルも好評だからこれでいいあえて言えば井上中西よりDepartureを歌った池田中西の方が似合っていた2024/12/24 00:55:3120.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>19さざ波で1回シンメやったねあれは悪くなかったし意外と合うのかもしれないけど池田って川﨑と相性抜群なんだよね2024/12/24 01:01:0821.君の名は36-kdn-Tx-3apMRR4V>>13アスペ乙ー2024/12/24 01:02:0422.君の名は9f-vx1-ic-cPsbZuvyアル和もなぎさつもどっちも好き、Wセンやるならこのどっちかだと思う池田は準エース扱いだけど、フロントくらいで丁度いいと思う2024/12/24 01:02:3423.君の名は39-Wti-kd-qO1xXh9i真面目に話すなら、5期は井上和の一強だから変にペア作る必要がないただどうしてもWエースを作りたいなら、妥当なのはてれなぎだろうなと思ってる5期で1番好きなのは菅原だけど、そんな自分が見ても現状No.2に鎮座してるのが池田なのは明白だから2024/12/24 01:03:3824.君の名はHt-Ks3-nj-BE7uTiK6>>13シンプルに見た目の相性が悪いプレイボーイで感じなかった2024/12/24 01:03:4825.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>17無理よってもうやったからいいってwまだやってない子にやらせてあげて2024/12/24 01:03:5726.君の名は36-qog-2T-d2gXc8on白石(西野飛鳥)と秋元山下(久保与田)と梅澤(かきさくと田村)井上(適材適所)と菅原2024/12/24 01:05:2727.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>23Wエースなら池田、シンメ適正なら菅原って感じ2024/12/24 01:06:3328.君の名は4D-64d-6M-noEDgZE7>>24本音を言えば井上は色々と個性が強すぎて誰とも合わないと思っているただ運営が井上を一番に置いている以上あえて合わせるなら池田だと思う2024/12/24 01:13:3429.君の名は4D-we7-c2-sUjkRQLVもう中西と池田でいいだろMVは多分見ないけど2024/12/24 01:14:4230.君の名はNH-X2Y-jB-bYQXRF9G3期くぼした4期かきさく5期?シンメが多いのは一ノ瀬と川崎のイメージだけど歩道橋では池田とシンメダンスと背丈のシンメのバランスいいのは川崎な気がする井上が去年のブログでライバルは池田って書いてたけど知ってるやつは少ないかな?2024/12/24 01:17:5831.君の名は50-UzT-4G-YuCcjnQS歌で勝負する曲が来た時に和とアルノがソロパートで中核となるBメロやサビを担えば良いセンターである必用はない2024/12/24 01:19:0032.君の名はNH-X2Y-jB-bYQXRF9Gテレ推しのじぶんはひなてれでもてれアルでもてれさつでも良いと思っている2024/12/24 01:20:1033.君の名は36-Ftb-7L-yvZOP1Z5アル和体制なんてこないからw2024/12/24 01:23:4834.君の名はLn-e1P-oZ-MOEeAoRz昨年末から運営はアルなぎフラグ立てまくってるけどな年末年始CMやデュエットとか2024/12/24 01:25:5935.君の名はXM-Ddz-Xw-3Neuh9n4お互い何のメリットも無い2024/12/24 01:39:5136.君の名は36-WaG-l2-tUmpIo3Q何で小川菅原じゃなくてパンツにオタ増やしてんだよアホだろ運営2024/12/24 01:40:5437.君の名は36-rCO-W7-TeW5x2y0そう運営はアホだから怖いねやらかしてしまいそう2024/12/24 01:45:0138.君の名はHt-Ks3-Xf-BE7uTiK6>>28個性が強くて誰とも合わないのはどっちかというと池田じゃない?井上は菅原川﨑とか合う人はいると思う2024/12/24 01:49:4539.君の名は50-AGS-ES-tnvY7Tjlアルノオタクまだうるせえのな植物人間かよ2024/12/24 01:59:1240.君の名は36-upG-Nl-9OLvybJJ和の相方は使い分けたら良いよ歌はアルノで頭が必要な仕事は池田賑やかしが必要なら菅原学祭は川﨑2024/12/24 02:18:4141.君の名は9f-qib-dd-DjifUuUW井上は村内エースなのは異論は無いけど外仕事となると弱いのが辛い2024/12/24 02:21:0142.君の名は4D-B0I-Yl-Fhuena7vアルなぎ期待だが、声質で合ってるのはアルいろはだと思う。スタ誕見てて思った2人の秋桜も良かった2024/12/24 02:22:4743.君の名は50-6Jl-ic-O2VE4vT2>>305期はいのなぎ中西はセンター未経験だからな言っとくけど2024/12/24 02:53:2344.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>34分かってないねあれはフラグを立てたんじゃなくて初期のフラグを回収したんだよ2024/12/24 03:20:5645.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>37絶対無いから安心して欲しい運営はアルノ大好きだからまた誹謗中傷の的になるような可哀想なことはしないよ2024/12/24 03:27:0246.君の名は50-6Jl-ic-O2VE4vT2アルノや平手が売れてもファンは分かるからね、偉い豚に気に入られただけで特に何も輝くものが無いのは先生の道楽に付き合ってられないけどね悔しいとかはないけど何だかなと言う思い2024/12/24 04:16:5347.君の名は50-FoE-p0-LAe24181アルノは顔面にハンデがあるが、骨格は悪くない和ちゃんは顔面最強だが、骨格に難があるつまり、2人が並ぶとどちらも得をしない2024/12/24 04:20:1948.君の名はau-105-dL-z3X6zDipこの二人嫌いじゃないけどセット売りする意味マジで分からん年単位でアル和とか言ってるの同じやつだろ2024/12/24 05:03:4749.君の名は4D-XSS-s4-fGzVqUgS>>1白石西野、山下与田、遠藤賀喜Wエースは馴れ合いせずちょうどいい距離感だから井上池田が1番相応しい人気もビジュアルもね2024/12/24 05:07:5550.君の名は4s-3da-ic-U6Q5swuTまあ時が来たら分かるだろう。来年には既定路線で5期生初の表題曲ダブセンガ誕生するだろう。それまで震えて待ってろ。2024/12/24 05:33:1251.君の名は36-s6a-ai-jUb4Nwsy>>48分かるよなんか全てが真逆なんだよね髪型はロングとショートだし顔の輪郭とパーツも井上は直線的なのに対してアルノは全部丸いし何なら性格すら真逆で井上は自分を強く大きく見せようとするけど本当はそんなに自信がなくてアルノは自分を弱く小さく見せるけどしっかり自分に自信があるっていう笑ここまで真逆だと弾き合ってる様に見えるからシンメとしての親和性に欠けるよね2024/12/24 06:09:5152.君の名は9f-UWJ-9e-TdM43qgWユニットで好きなだけやってくれ選抜では不用2024/12/24 06:37:1153.ジルE◆UNplB/bGggVs-M0w-Kt-TvtHugOiお前がな2024/12/24 07:10:1554.君の名はVs-igc-c2-5iohkpJxなぎの横に並ぶならどう考えても菅原だろ池田は人気はあるけどなぎの横はなんかしっくりこないアルノはルックスに問題があるからエースの横には立てないし、立ったら乃木坂にとってよくない川崎でもいいけど、菅原の方が合う2024/12/24 07:11:2955.君の名はNH-PON-ai-DfZZn3J8緩やかに下っていくだけ井上仲西とか村専だし康の熱量が感じられないからね2024/12/24 07:16:1556.君の名は4D-WdI-6M-noEgfZ2W>>38池田みたいに色白でスタイルもよければ身長さえ大きく違わなければある程度誰とでも合う井上は真逆で誰と並んでも違和感になるグループとしてみても井上が浮いて見えるのは色黒と太さが原因日本チームに黒人ハーフがいるような感じで良くも悪くも目立つ2024/12/24 07:30:2757.君の名はVs-gFt-Qk-tZG90jhwアルノ単独だろナギとペアだとアルノのポテンシャルが半減する2024/12/24 07:51:1858.君の名は4D-9m6-Tx-Y9DAjJfX和桜のがしっくりくるけどな2024/12/24 07:52:1159.君の名は66-WOx-QN-xmAgGOqj>>45なら今回の選抜は五百城一ノ瀬フロント冨里福神菅原残留で川﨑中西は3列目かアンダーにすべきだったな運営はそれを全部踏みにじったから川﨑も中西も無駄に叩かれたんだし2024/12/24 07:53:3760.君の名は66-WOx-QN-xmAgGOqj愚痴垢とか中西自体は悪くないと思ってるけどアル和は猛烈拒否してる人を割と見かけるんよな表に出してるのは愚痴垢ぐらいだけど潜在的に良く思ってない人は結構いるんじゃないかな個人的にはなぎさつやてれなぎあんま興味ないしまだアルなぎの方がええと思うけど2024/12/24 08:04:3061.ジル執行役員(役)◆UNplB/bGggVs-M0w-pD-TvtHugOi五百城茉央2024/12/24 08:28:4262.ジル執行役員(役)◆UNplB/bGggVs-M0w-pD-TvtHugOi♖ルーク感2024/12/24 08:29:1263.君の名は9f-Gzv-Yl-Fhu7eY5Y>>55外向けには井上中西路線でいいと思うけどな口パクグループって馬鹿にそれてる乃木坂だし2024/12/24 08:36:0664.ジル執行役員(役)◆UNplB/bGggVs-M0w-pD-TvtHugOiやはり冨里奈央か2024/12/24 08:36:4965.君の名は50-Mz2-pJ-fqZz2M1v>>63歌番組で生歌なんてやらんよ2024/12/24 08:57:5566.君の名は4D-RPl-6M-noEnw10Z>>63乃木坂は楽曲とビジュアルが期待されているグループ楽曲が選べないならビジュアルだけでも吟味するべき生歌の優先順位は高くないだから井上中西は必要ないそもそもこの二人の歌の相性が合わないのは中西も認めている2024/12/24 09:23:2867.君の名は50-Huy-ic-r7cpYWZBアルノで売れるわけないやんアンチはまだたくさんいるんだから一度ついたイメージは消えないよ2024/12/24 09:47:4968.君の名はvD-fOz-c2-WUdgmv8f>>662人とも歌唱メンだから、メイン×メインでケンカしちゃうわけかスタ誕の組み合わせとか見てると、歌唱メン×非歌唱メンが割と合う感じがするなぎさつ、なぎてれ、てれアル、てれさつ(てれさちゃんず)あたり合う感じが2024/12/24 09:52:1169.君の名は9f-8eC-s4-fGzt7BKG和ちゃんの方が歌上手いしバレちゃう2024/12/24 09:54:2570.君の名はNH-PON-ai-DfZZn3J8>>68メインxメインでもいいけど相性というか声のトーンがある程度違わないとねオーディション番組あるある2024/12/24 10:08:4371.君の名は9f-WIP-OL-uitpsk4M白橋堀北くぼしたかきさく尺度は尊さ2024/12/24 10:26:4772.君の名はXA-zsy-T5-e0MtzXee正しいのは和桜だよ見た目的にも名前的にもこんなにマッチする二人はいないhttps://i.imgur.com/RIjAPyG.pnghttps://i.imgur.com/AalkPkm.jpghttps://i.imgur.com/VRurugy.jpg2024/12/24 10:46:5473.君の名は36-14o-Rw-7FzzAaSN和桜は小顔コンビだな2024/12/24 11:00:5174.君の名は4D-qbb-6M-noEL2miP>>72やっぱり似合わないな全く別の人種が2人並んだだけ2024/12/24 11:37:5075.君の名はUb-k8Y-2v-17OYIoY5中西はキャラは好きだが顔が坂道レベルにない2024/12/24 11:55:3376.君の名は9f-jhU-Yl-FhunhLbE中西は乃木坂唯一の音楽番組レギュラーだからなぁいずれセンター復帰させるんだろう2024/12/24 12:29:4977.君の名は4D-9yf-Rp-0lB1O8Nn中西さんの良いところは遠目に誰と並んでも相手を潰さないし本人も引き立つ以外と頭身バランスが良い2024/12/24 12:51:5678.君の名は50-yFU-ic-WKLS9SV3wセンターとかいらないし2024/12/24 13:30:0379.君の名は4D-Rwy-R2-eJcFv58c井上と一ノ瀬って仲悪いの?小川ばかり見てて一ノ瀬を余り見ない見たときの目がwwwミスったときに怒突いたりもう年齢からしてあの性格は治らないのかね感謝会のきっかけのポストも林→アル→久保について良かったと投稿してるの多いけど井上を省いてるのは嫌ってる人が多いのか?それとも癖が強すぎて上手く聞こえなかったのか?2024/12/24 14:35:0180.君の名は4D-Rwy-R2-eJcFv58cスター誕生って運営の指示なのか知らないけど・井上が歌う回数が異様に多い・コメントも毎回のように放送される・歌うメンバーから外れてるのに歌いたいと我がままを言って参加して2曲も参加一方、番組側は・体のラインがわかる服を着させる・ミスでカットされた部分だけでなく一ノ瀬を怒突いたのまで放送番組の運営への抵抗かwww2024/12/24 14:52:1881.君の名は36-dPf-Hi-ex1jcgbQslipあるから分かりやすいなまたアンチにアフィカスか(通報用)坂道帝国皇帝 お墓https://www.youtube.com/@sakamichi_keijiban新着情報「乃木坂46」https://www.youtube.com/@nogi_whatsnewのぎま【乃木坂46まとめ】https://www.youtube.com/@nogimamatome乃木坂46反応集【のぎくいず】お墓https://www.youtube.com/@user-sg8gd2nt6l乃木坂広報部ch【坂道まとめ】https://www.youtube.com/@nogizakakohoアイドル研究所【底辺鳥】https://www.youtube.com/@nogizakateihendori坂道レジェンドhttps://www.youtube.com/@sakamichi-legend乃木坂46交流センター【坂道まとめ】https://www.youtube.com/@VPIDIP박서진 fanTV (嘘だらけ)https://www.youtube.com/@gamedai4jisuperrobottais469乃木通 乃木坂46櫻坂46日向坂46https://sakamichi48.blog.jp乃木りんくhttps://nogizaka46link.blog.jp乃木坂LIFE -乃木坂46高速まとめ-https://nogizakalife.tokyo/乃木坂46まとめ 1/46 通夜https://nogizaka-46bunno1.blog.jp/坂道まとめアンテナ+(xに流す糞)https://comedydouga.com/sakamichi/乃木坂46まつり(xに流す糞)https://nogizaka.owa1.net/アイドル速報(xに流す糞)https://www.dolsoku.net/日向坂あんてなNeo(xに流す糞)https://hinaantenna-neo.com/乃木坂まとめ誕生(xに流す糞)https://nogizaka46-matome.jp/欅坂46まとめラボ(xに流す糞)http://www.keyakizaka46matomerabo.com/運営から訴状作られてるまとめサイト「乃木りんく」さん管理人はあのスッスさん ★46★47【-8ek -l22】https://talk.jp/boards/nogizaka/1731086114https://talk.jp/boards/nogizaka/1734620247【特大悲報】乃木坂非公式ご意見番 君の名は希望ことキボカス氏(バレッタ新規・マック店員)、筒井あやめちゃんから5期に流れてしまう 五百城と奥田がお気に入りの模様https://talk.jp/boards/nogizaka/1727310112乃木坂46 本スレでの荒らしやアンチのslipを記録しておくスレ★1★2https://talk.jp/boards/nogizaka/1709804231https://talk.jp/boards/nogizaka/1730201046乃木坂公式https://www.nogizaka46.com/s/n46/form/inquiryblogの場合Google Ad 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01:42:4087.君の名は50-mIz-ic-PDTbROr5リアクションなんかどうだっていい顔が変なんだよアルノ2024/12/25 01:52:0088.君の名は4s-PvB-Yl-bEG5B0KOやはり井上と池田かブブカWEBではhttps://www.idol-culture.jp/geinou/149211/「特に、2分6秒~10秒のタイミングで登場する井上和と池田瑛紗は群を抜いており、」と紹介されプレイボーイでは「乃木坂46が誇るWエース」と紹介運営もこの2人をフロント、センター脇に据えたこれが現実現実を受け入れられない、思い通りにならずに悔しくて悔しくてたまらないアンチまるで斉藤知事再選して悔しくて悔しくてたまらないマスゴミみたいだね笑2024/12/25 02:01:1489.君の名は36-s6a-ai-jUbzatObこのスレ消される気配ないし潰すか♪2024/12/25 02:11:0590.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:12:2391.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:13:0492.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:13:3593.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:14:1094.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:14:3195.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1-10中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:15:0896.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1-10 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:15:4697.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1-10 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:16:0798.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1-10 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:16:2499.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1-10 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:16:44100.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11-20中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:17:07101.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11-20 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:17:25102.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11-20 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:17:46103.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11-20 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:18:09104.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11-20 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:18:33105.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>21-30中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:20:01106.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>21-30 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:20:21107.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>21-30 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:20:40108.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>21-30 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:21:07109.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>21-30 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:21:30110.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>31-40中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:21:58111.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>31-40 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:22:16112.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>31-40 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:22:33113.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>31-40 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:22:55114.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>31-40 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:23:41115.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>41-50中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:24:11116.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>41-50 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:24:29117.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>41-50 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:24:43118.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>41-50 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:25:01119.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>41-50 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:25:16120.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>51-60中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:25:44121.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>51-60 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:26:01122.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>51-60 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:26:15123.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>51-60 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:26:29124.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>51-60 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:26:42125.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>61-70中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:27:02126.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>61-70 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:27:16127.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>61-70 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:27:30128.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>61-70 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:27:48129.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>61-70 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:28:04130.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>71-80中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:28:24131.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>71-80 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:28:41132.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>71-80 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:28:53133.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>71-80 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:29:08134.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>71-80 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:29:28135.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>81-90中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:29:46136.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>81-90 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:30:03137.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>81-90 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:30:20138.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>81-90 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:30:37139.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>81-90 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:30:57140.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:32:21141.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:32:33142.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:32:45143.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:32:58144.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>1 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:33:14145.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>2中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:34:15146.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>2 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:34:27147.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>2 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:34:39148.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>2 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:34:50149.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>2 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:35:04150.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>3中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:35:20151.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>3 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:35:30152.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>3 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:35:42153.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>3 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:35:54154.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>3 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:36:08155.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>4中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:36:31156.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>4 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:36:53157.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>4 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:37:08158.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>4 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:37:18159.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>4 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:37:36160.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>5中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:38:15161.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>5 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:38:32162.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>5 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:38:52163.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>5 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:39:04164.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>5 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:39:16165.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>6中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:39:34166.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>6 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:39:46167.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>6 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:39:57168.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>6 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:40:11169.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>6 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:40:24170.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>7中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:40:39171.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>7 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:40:54172.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>7 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:41:13173.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>7 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:41:24174.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>7 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:41:36175.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>8中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:42:09176.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>8 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:42:21177.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>8 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:42:32178.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>8 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:42:43179.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>8 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:42:55180.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>9中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:43:09181.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>9 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:43:24182.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>9 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:43:34183.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>9 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:43:49184.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>9 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:44:07185.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>10中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 02:44:28186.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>10 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 02:44:39187.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>10 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 02:44:49188.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>10 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 02:45:07189.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>10 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 02:45:23190.君の名は50-UzT-4G-YuCUKKnBアル和も素晴らしいけど5期生全員が揃うとさらに最高さ2024/12/25 03:02:10191.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 03:07:39192.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 03:07:51193.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 03:08:07194.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 03:08:22195.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>11 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 03:08:38196.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>12中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 03:09:17197.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>12 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 03:09:32198.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>12 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 03:09:46199.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>12 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 03:10:01200.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>12 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 03:10:19201.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>13中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 03:10:37202.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>13 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 03:10:49203.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>13 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 03:11:06204.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>13 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 03:11:22205.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>13 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 03:11:37206.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>14中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 03:12:20207.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>14 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 03:12:55208.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>14 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 03:13:14209.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>14 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 03:13:29210.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>14 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 03:13:45211.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>15中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~ 僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。2024/12/25 03:14:07212.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>15 5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。2024/12/25 03:14:23213.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>15 アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。2024/12/25 03:14:38214.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>15 アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。2024/12/25 03:14:57215.君の名は36-s6a-ai-jUbzatOb>>15 中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。2024/12/25 03:15:16
来年2025年の乃木坂はどうなる?
そんなに消されたくないの?
個人的にはWコンビ好きだから、新期生は日向坂のコンビ設定ちょっと羨ましい
なおみく ー> かきさく
しょげかほ ー> なぎ??
そろそろ6期生来るのにまだ5期エースの固定コンビがいないちょっと寂しい
コンディション悪そうだからセンターは1年休ませた方がいい
次やるならアルノとWセンターだが来年はまだ早いかな
マジで何を言ってるのかよく分からない
井上池田のWエースってこの前やってたじゃん
井上チートデイって康は興味なさすぎやろ
しつこいね
やっとてれ和に決まったばかりだろ
異論もないし
雑誌の話?意味ないじゃん
「乃木坂5期Wエースは誰ですか」って聞いたら
昨日はなぎまお、先日はなぎさつ、今日はなぎてれ、明日はなぎアル
答えはバラバラになるからな
個人的にはアルノにそれを感じる
アルノはエースではないけどアルノと○○のペアでしっくりくるのが無い
中西は惹かれるものが何もない
モブキャラ
何でもいいから武器持たないとセンターとか無理よ
2作以上のフロント経験があるのは井上と池田だけだから雑誌とか関係なくこの2人が5期のWエースなのは誰でも分かる
世間的にビジュアルも好評だからこれでいい
あえて言えば井上中西よりDepartureを歌った池田中西の方が似合っていた
さざ波で1回シンメやったね
あれは悪くなかったし意外と合うのかもしれないけど池田って川﨑と相性抜群なんだよね
アスペ乙ー
池田は準エース扱いだけど、フロントくらいで丁度いいと思う
ただどうしてもWエースを作りたいなら、妥当なのはてれなぎだろうなと思ってる
5期で1番好きなのは菅原だけど、そんな自分が見ても現状No.2に鎮座してるのが池田なのは明白だから
シンプルに見た目の相性が悪い
プレイボーイで感じなかった
無理よってもうやったからいいってw
まだやってない子にやらせてあげて
山下(久保与田)と梅澤
(かきさくと田村)
井上(適材適所)と菅原
Wエースなら池田、シンメ適正なら菅原って感じ
本音を言えば井上は色々と個性が強すぎて誰とも合わないと思っている
ただ運営が井上を一番に置いている以上あえて合わせるなら池田だと思う
MVは多分見ないけど
4期かきさく
5期?
シンメが多いのは一ノ瀬と川崎のイメージだけど歩道橋では池田とシンメ
ダンスと背丈のシンメのバランスいいのは川崎な気がする
井上が去年のブログでライバルは池田って書いてたけど知ってるやつは少ないかな?
和とアルノがソロパートで
中核となるBメロやサビを担えば良い
センターである必用はない
年末年始CMやデュエットとか
パンツにオタ増やしてんだよ
アホだろ運営
だから怖いね
やらかしてしまいそう
個性が強くて誰とも合わないのはどっちかというと池田じゃない?
井上は菅原川﨑とか合う人はいると思う
植物人間かよ
歌はアルノで頭が必要な仕事は池田
賑やかしが必要なら菅原
学祭は川﨑
スタ誕見てて思った
2人の秋桜も良かった
5期はいのなぎ
中西はセンター未経験だからな
言っとくけど
分かってないね
あれはフラグを立てたんじゃなくて初期のフラグを回収したんだよ
絶対無いから安心して欲しい
運営はアルノ大好きだからまた誹謗中傷の的になるような可哀想なことはしないよ
先生の道楽に付き合ってられないけどね
悔しいとかはないけど何だかなと言う思い
和ちゃんは顔面最強だが、骨格に難がある
つまり、2人が並ぶとどちらも得をしない
年単位でアル和とか言ってるの同じやつだろ
白石西野、山下与田、遠藤賀喜
Wエースは馴れ合いせずちょうどいい距離感だから
井上池田が1番相応しい
人気もビジュアルもね
来年には既定路線で5期生初の表題曲ダブセンガ誕生するだろう。
それまで震えて待ってろ。
分かるよ
なんか全てが真逆なんだよね
髪型はロングとショートだし顔の輪郭とパーツも井上は直線的なのに対してアルノは全部丸いし
何なら性格すら真逆で井上は自分を強く大きく見せようとするけど本当はそんなに自信がなくてアルノは自分を弱く小さく見せるけどしっかり自分に自信があるっていう笑
ここまで真逆だと弾き合ってる様に見えるからシンメとしての親和性に欠けるよね
選抜では不用
池田は人気はあるけどなぎの横はなんかしっくりこない
アルノはルックスに問題があるからエースの横には立てないし、立ったら乃木坂にとってよくない
川崎でもいいけど、菅原の方が合う
井上仲西とか村専だし康の熱量が感じられないからね
池田みたいに色白でスタイルもよければ身長さえ大きく違わなければある程度誰とでも合う
井上は真逆で誰と並んでも違和感になる
グループとしてみても井上が浮いて見えるのは色黒と太さが原因
日本チームに黒人ハーフがいるような感じで良くも悪くも目立つ
ナギとペアだとアルノのポテンシャルが半減する
なら今回の選抜は五百城一ノ瀬フロント冨里福神菅原残留で川﨑中西は3列目かアンダーにすべきだったな
運営はそれを全部踏みにじったから川﨑も中西も無駄に叩かれたんだし
表に出してるのは愚痴垢ぐらいだけど潜在的に良く思ってない人は結構いるんじゃないかな
個人的にはなぎさつやてれなぎあんま興味ないしまだアルなぎの方がええと思うけど
外向けには井上中西路線でいいと思うけどな
口パクグループって馬鹿にそれてる乃木坂だし
歌番組で生歌なんてやらんよ
乃木坂は楽曲とビジュアルが期待されているグループ
楽曲が選べないならビジュアルだけでも吟味するべき
生歌の優先順位は高くない
だから井上中西は必要ない
そもそもこの二人の歌の相性が合わないのは中西も認めている
アンチはまだたくさんいるんだから
一度ついたイメージは消えないよ
2人とも歌唱メンだから、メイン×メインでケンカしちゃうわけか
スタ誕の組み合わせとか見てると、歌唱メン×非歌唱メンが割と合う感じがする
なぎさつ、なぎてれ、てれアル、てれさつ(てれさちゃんず)あたり合う感じが
メインxメインでもいいけど相性というか声のトーンがある程度違わないとね
オーディション番組あるある
堀北
くぼした
かきさく
尺度は尊さ
見た目的にも名前的にもこんなにマッチする二人はいない
https://i.imgur.com/RIjAPyG.png
https://i.imgur.com/AalkPkm.jpg
https://i.imgur.com/VRurugy.jpg
やっぱり似合わないな
全く別の人種が2人並んだだけ
いずれセンター復帰させるんだろう
本人も引き立つ
以外と頭身バランスが良い
小川ばかり見てて一ノ瀬を余り見ない
見たときの目がwww
ミスったときに怒突いたり
もう年齢からしてあの性格は治らないのかね
感謝会のきっかけのポストも
林→アル→久保
について良かったと投稿してるの多いけど井上を省いてるのは嫌ってる人が多いのか?
それとも癖が強すぎて上手く聞こえなかったのか?
・井上が歌う回数が異様に多い
・コメントも毎回のように放送される
・歌うメンバーから外れてるのに歌いたいと我がままを言って参加して2曲も参加
一方、番組側は
・体のラインがわかる服を着させる
・ミスでカットされた部分だけでなく一ノ瀬を怒突いたのまで放送
番組の運営への抵抗かwww
またアンチにアフィカスか(通報用)
坂道帝国皇帝 お墓
https://www.youtube.com/@sakamichi_keijiban
新着情報「乃木坂46」
https://www.youtube.com/@nogi_whatsnew
のぎま【乃木坂46まとめ】
https://www.youtube.com/@nogimamatome
乃木坂46反応集【のぎくいず】お墓
https://www.youtube.com/@user-sg8gd2nt6l
乃木坂広報部ch【坂道まとめ】
https://www.youtube.com/@nogizakakoho
アイドル研究所【底辺鳥】
https://www.youtube.com/@nogizakateihendori
坂道レジェンド
https://www.youtube.com/@sakamichi-legend
乃木坂46交流センター【坂道まとめ】
https://www.youtube.com/@VPIDIP
박서진 fanTV (嘘だらけ)
https://www.youtube.com/@gamedai4jisuperrobottais469
乃木通 乃木坂46櫻坂46日向坂46
https://sakamichi48.blog.jp
乃木りんく
https://nogizaka46link.blog.jp
乃木坂LIFE -乃木坂46高速まとめ-
https://nogizakalife.tokyo/
乃木坂46まとめ 1/46 通夜
https://nogizaka-46bunno1.blog.jp/
坂道まとめアンテナ+(xに流す糞)
https://comedydouga.com/sakamichi/
乃木坂46まつり(xに流す糞)
https://nogizaka.owa1.net/
アイドル速報(xに流す糞)
https://www.dolsoku.net/
日向坂あんてなNeo(xに流す糞)
https://hinaantenna-neo.com/
乃木坂まとめ誕生(xに流す糞)
https://nogizaka46-matome.jp/
欅坂46まとめラボ(xに流す糞)
http://www.keyakizaka46matomerabo.com/
運営から訴状作られてるまとめサイト「乃木りんく」さん管理人はあのスッスさん ★46★47【-8ek -l22】
https://talk.jp/boards/nogizaka/1731086114
https://talk.jp/boards/nogizaka/1734620247
【特大悲報】乃木坂非公式ご意見番 君の名は希望ことキボカス氏(バレッタ新規・マック店員)、筒井あやめちゃんから5期に流れてしまう 五百城と奥田がお気に入りの模様
https://talk.jp/boards/nogizaka/1727310112
乃木坂46 本スレでの荒らしやアンチのslipを記録しておくスレ★1★2
https://talk.jp/boards/nogizaka/1709804231
https://talk.jp/boards/nogizaka/1730201046
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遠藤が喋った後に映されるメンバー
5割以上が井上
遠藤のことを(弓木とかが)喋ってる最中に映るメンバー
5割以上が井上
9割近くのときもある
気づいてる人もいると思うけど注意しながら観るといい
何故なのか・・・答は1つ
目は心を映す
なぎちゃんはいいんだよアホ
なんか、今の他のメンバーリアクションが面白くないわ
ブブカWEBでは
https://www.idol-culture.jp/geinou/149211/
「特に、2分6秒~10秒のタイミングで登場する井上和と池田瑛紗は群を抜いており、」
と紹介され
プレイボーイでは
「乃木坂46が誇るWエース」と紹介
運営もこの2人をフロント、センター脇に据えた
これが現実
現実を受け入れられない、思い通りにならずに悔しくて悔しくてたまらないアンチ
まるで斉藤知事再選して悔しくて悔しくてたまらないマスゴミみたいだね笑
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
5期生全員が揃うとさらに最高さ
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。
中西アルノへの手紙 ~虚構についてのファンレター(5枚)~
僕はアルノの真面目で不器用な所が好きです。アルノが歩んできた道は全てが意志によって舗装され強く輝いています。今や乃木坂46を眼差すファンは、語弊を恐れず言うのであれば、暗闇の中の輝きを好まなくなってしまいました。暗闇の中の輝きの尊さよりも、暗闇それ自体を自身の視野に収めることを嫌うからです。僕達乃木坂46のファンはコタツの中でアイスを食べ、外で降り積もる雪を景色にします。寒空の中で見るマッチの炎は強く輝いている。僕は乃木坂46以前のアルノに対し、強くこう感じました。乃木坂46はアルノを家に招き入れ、そして今僕達はコタツでゴロゴロするアルノを観ています。その温もりはインターネットで猫の動画を見続けるかのようで、子供の頃に降り積もる雪で遊びかじかんでしまった手の赤らみ、そのズキズキとした感覚を忘れてしまっています。
5期生が乃木坂46に加入してから、アルノを中心に乃木坂46を観るようになりました。僕が単純で”尾崎豊を歌う中西アルノ”という記号にマッチの炎を見出してしまったせいでしょう。或いは、アルノの目が黒く、目の前の景色(観客とサイリウム、これらの声援)を何も映していない所を目撃してしまったからかもしれません。今のアルノの眼はしっかりと乃木坂46を映しています。騒動の最中に「Actually...」で表題センターに選ばれたアルノは、今までで一番デビューを祝われなかったアイドルなのではないかと思います。あの理不尽に対して、アルノが気丈に振舞っているように見え、そして実際にあの時期を乗り越えられたのは、なによりアルノが乃木坂46を必要としていたからではないかと思うに至りました。今までのオーディションで乃木坂46に必要な人達が選ばれる中、アルノ本人が誰よりも乃木坂46を必要としていたからこそ乃木坂46の5期生に選ばれ、表題曲のセンターに選ばれたような気がします(生駒里奈や他1期生数人もそのような人物であったかもしれません)。その主従関係を引っ繰り返す意志こそ、今乃木坂46に一番足りていないモノのような気がします。
アルノはこれからどんなアイドルになっていくのでしょうか?アルノは未だに許せないことや怒りはありますか?闘う必要があると思っていますか?あるならば嬉しいし未来に期待をします。無いならばその方が嬉しいです。アルノにとって、乃木坂46はどのような場所になりましたか?温かいですか?生駒里奈や齋藤飛鳥、山下美月といった中心人物は、乃木坂46の温かさの中で、常にどうしようもなさと向き合い続けていたと思います。それは、乃木坂46という虚構を引き受ける際にどうしようもなく付いて回るものです。井上和もまた既に乃木坂46であることを求められ、『乃木坂46であること』と正面から闘い続ける運命にあります。アルノもまた表題曲のセンター経験者として『乃木坂46であること』と闘い続ける宿命を背負っていますが、その中身は正反対です。『乃木坂46であること』の重ねた年月が創り出してしまったつまらない規範を壊す存在としての宿命です。最早、これを無視することも出来るとは思いますが(それこそがアルノの持つ強さです)、これと闘い続けて欲しいというのが僕の至極勝手な願望です。
アルノは、そもそも虚構を愛していますか?虚構の自分を作りたいですか?それは、つまり俳優やアーティストという虚像への自己逃避が必要かという質問です。なぜこんなことを聞くのかと言うと、僕はアルノが乃木坂46を必要としていた理由は虚構の自分を生み出したかったからではないかと勝手に思っているからです。アルノが映画を恐ろしいほど観ている事はもうファンにとって周知の事実だと思います。映画鑑賞において得られる虚構へと飛び込んだ際の快楽、その最果てに乃木坂46への加入という選択肢が存在していたのだと僕は考えています。そうして乃木坂46へと飛び込んだ後、乃木坂46の先輩たちが舞台や映画・ドラマに出演していることからも、アルノも加入して早々に演技の道に進みたいと言及するのではないかと僕は思っていました。加入してからもう少しで2年が経とうとしている中、中西アルノが演技への欲望にストレートに言及していないのは、アルノが正しく「映画」の偉大さに対し恐れを抱いているからではないか?と思うに至りました。映画、虚構に対して憧れ畏れているからこそ安易に「やってみたいです!」等と言えないのではないかと。しかし、その畏れこそが最も俳優が持つべき感覚であると僕は思います。乃木坂46での活動、それ自体がまずほぼ現実とは思えないような光景であり、そこに身を置くことは虚構を生業とすることと近しいはずです。アイドルとしての生活は、他のメンバーも同様に、望む望まないに関わらず虚構へとアルノを引っ張っているはずです。”中西アルノ”と”乃木坂46の中西アルノ”との距離、その乖離が生じ始めていることに対する恐れを抱いていると、今のアルノを観ていると強く感じます。今のアルノは”中西アルノ”でいたいと思っているように見えます(そう思って乃木坂46の活動の中で”中西アルノ”でいられることもまたアルノの持つ強さです)。僕は、”乃木坂46の中西アルノ”が遠くに飛ばされてしまうことを受け入れたその先に広がる世界を、”中西アルノ”も求めているはずだと信じています。
中西アルノは乃木坂46よりも優しさの射程が広く、故に寂しいはずです。だからこそ、乃木坂46を導いていく存在になれると思っています。自身の立ち位置への怒りを持ち続けて欲しいと僕は思っています。寂しさを受け入れ続ける必要はありません。アルノのわがままは最早求められています。センターからアンダーセンターへ、そしてまた表題センターへと上り詰める中西アルノと、その節目節目の表情に期待をします。井上和と中西アルノという孤高が2人同時に存在する景色までそう時間はかからないはずです。アルノが乃木坂46よりも大きな虚構を生み出すことができる器だと僕は信じて止みません。そんな、中西アルノと画面を通して出会い、中西アルノが中西アルノでは無い存在として画面の中で人生を歩んでいる姿を僕は観たいです。テレビよりもライブよりも目の前に存在するよりも映画館の画面の中で輝く中西アルノで在って欲しいと僕は願います。映画が進むほどに俳優本人の生活、実存が遠ざかっていき、登場人物がさも存在し、永遠にこの物語を繰り返すことを恐れていないかのような、あの感覚を感じることができるならこれ以上嬉しいことはありません。偉大な虚構、映画史の中で燦然と輝くアルノを夢見てこの手紙を終えます。