秀吉が弟 秀長に宛てた書状 “関係性うかがえる貴重な資料”アーカイブ最終更新 2024/08/06 05:381.番組の途中ですが転載は禁止ですOTjTONHK 2024年8月5日 5時23分織田信長の後継者争いをめぐって起きた小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、弟の秀長に宛てた書状が東京大学史料編纂所の研究者による調査で確認されました。兄弟の関係性がうかがえる貴重な資料だとしています。…秀吉の書状では、信長の次男、信雄がおさめていた尾張の黒田や一宮を攻め火を放ったと書いていて、当時、近くにいなかった秀長に対し、秀吉は「きっと煙が見えただろう」と冗談を交えて、敵に与えた損害を伝えています。また、秀長に対し、敵対する織田軍や徳川軍に備えて、港が近い伊勢の城に行き、水軍の手配をしっかり行うよう命じています。村井准教授によりますと、秀吉から秀長に宛てた書状が見つかることは珍しく、「弟だからこそ、気を許して軽口をたたけるような関係であることがうかがえる。また、この戦いでの秀長の具体的な役割は、今まで知られていなかったが、秀吉が敵をけん制するために、弟を重要なポイントに派遣したことが分かった」などと分析しています。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240805/k10014536881000.html2024/08/06 04:34:292すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですJwlhF>>秀吉は「きっと煙が見えただろう」と冗談をこのショボいネタを歴史物書きの誰が最初に使うかヨーイドン!まあ恥ずかしくて寝かすよね2024/08/06 05:38:41
織田信長の後継者争いをめぐって起きた小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、弟の秀長に宛てた書状が東京大学史料編纂所の研究者による調査で確認されました。兄弟の関係性がうかがえる貴重な資料だとしています。
…秀吉の書状では、信長の次男、信雄がおさめていた尾張の黒田や一宮を攻め火を放ったと書いていて、当時、近くにいなかった秀長に対し、秀吉は「きっと煙が見えただろう」と冗談を交えて、敵に与えた損害を伝えています。
また、秀長に対し、敵対する織田軍や徳川軍に備えて、港が近い伊勢の城に行き、水軍の手配をしっかり行うよう命じています。
村井准教授によりますと、秀吉から秀長に宛てた書状が見つかることは珍しく、「弟だからこそ、気を許して軽口をたたけるような関係であることがうかがえる。また、この戦いでの秀長の具体的な役割は、今まで知られていなかったが、秀吉が敵をけん制するために、弟を重要なポイントに派遣したことが分かった」などと分析しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240805/k10014536881000.html
このショボいネタを歴史物書きの誰が最初に使うか
ヨーイドン!
まあ恥ずかしくて寝かすよね