高市早苗氏「外国人が奈良公園のシカを蹴る」発言を称賛する人が知らない、キックより残忍な“日本人のシカ虐待”アーカイブ最終更新 2025/10/07 19:371.ケモクラシー631Wb自民党総裁選で先行する高市早苗氏の「外国人が奈良のシカを蹴る」という発言に、称賛の声が上がっています。しかし、日本人がキックどころではない残忍な方法でシカを虐待してきた“不都合な歴史”は、あまり語られません。…「事実」を客観的に振り返ると、キックどころではない残忍さで奈良公園の鹿を痛めつけ、命を奪ってきたのは他でもない我々日本人だからだ。 2021年2月、奈良公園内で雌のシカ1頭(推定11歳)が、斧(おの)のようなもので頭部をかち割られて、殺された。やったのは不良外国人…などではなく、三重県松阪市のとび職(当時23)だった。2010年3月にはやはり雌の鹿が、クロスボウで射抜かれて死んだ。解剖をしたところお腹には赤ちゃんがいた。これも外国人ではなく、三重県津市の会社役員(40)である。 戦時中も奈良の鹿はよく殺された。東大寺の僧侶で仏教学者の堀池春峰氏は「十九年末、奈良公園のシカを殺して食べた人たちが三十人ほど逮捕されました。その中に東大寺の関係者が三人いました」(朝日新聞1993年4月6日)と告白している。 これらはあくまで「鹿殺し事件」として立件されたものだけなので、その前段階で蹴ったり叩いたりという暴力などが無数にあるということは容易に想像できよう。…【石子詰】土中に穴を掘りて、罪人を生きながらに入れ、大小の石にて埋め殺すこと。中古、大和国 奈良の鹿を殺したる者も、この刑に処せられたり(ことばの泉:日本大辞典21版 明治37年) このような厳しい刑罰があったということは、大昔から、鹿にひどいことをされてカチンときて、思わず手が出たり足が出たりしてしまう不届者が定期的にあらわれてきたということである。…我々の立派な先人は、古い因習で思考停止に陥ることなく、正義の目で鹿トラブルを分析して、根本的な原因を「管理が十分ではない」と看破していたのである。 そんな武士道を体現した板倉重矩の没後400年、時は流れて令和の人気政治家は「鹿を蹴った外国人を許してはいけない!」と気を吐いて、一部の国民から「これぞ日本人!」と拍手喝采を浴びている。 果たして、これは「武士道」なのか。ひょっとして、我々は江戸時代の人々がもっていた大事な何かを失くしてしまっているのかもしれない。
【高市速報】高市「私の英語力って大したことないから、その頃付き合ってた男に添削してもらった。だいたい私、軍事問題の権威だって嘘を書いたの」ニュー速(嫌儲)3496.42026/06/13 00:55:56
自民党総裁選で先行する高市早苗氏の「外国人が奈良のシカを蹴る」という発言に、称賛の声が上がっています。しかし、日本人がキックどころではない残忍な方法でシカを虐待してきた“不都合な歴史”は、あまり語られません。
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「事実」を客観的に振り返ると、キックどころではない残忍さで奈良公園の鹿を痛めつけ、命を奪ってきたのは他でもない我々日本人だからだ。
2021年2月、奈良公園内で雌のシカ1頭(推定11歳)が、斧(おの)のようなもので頭部をかち割られて、殺された。やったのは不良外国人…などではなく、三重県松阪市のとび職(当時23)だった。
2010年3月にはやはり雌の鹿が、クロスボウで射抜かれて死んだ。解剖をしたところお腹には赤ちゃんがいた。これも外国人ではなく、三重県津市の会社役員(40)である。
戦時中も奈良の鹿はよく殺された。東大寺の僧侶で仏教学者の堀池春峰氏は「十九年末、奈良公園のシカを殺して食べた人たちが三十人ほど逮捕されました。その中に東大寺の関係者が三人いました」(朝日新聞1993年4月6日)と告白している。
これらはあくまで「鹿殺し事件」として立件されたものだけなので、その前段階で蹴ったり叩いたりという暴力などが無数にあるということは容易に想像できよう。
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【石子詰】土中に穴を掘りて、罪人を生きながらに入れ、大小の石にて埋め殺すこと。中古、大和国 奈良の鹿を殺したる者も、この刑に処せられたり(ことばの泉:日本大辞典21版 明治37年)
このような厳しい刑罰があったということは、大昔から、鹿にひどいことをされてカチンときて、思わず手が出たり足が出たりしてしまう不届者が定期的にあらわれてきたということである。
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我々の立派な先人は、古い因習で思考停止に陥ることなく、正義の目で鹿トラブルを分析して、根本的な原因を「管理が十分ではない」と看破していたのである。
そんな武士道を体現した板倉重矩の没後400年、時は流れて令和の人気政治家は「鹿を蹴った外国人を許してはいけない!」と気を吐いて、一部の国民から「これぞ日本人!」と拍手喝采を浴びている。
果たして、これは「武士道」なのか。ひょっとして、我々は江戸時代の人々がもっていた大事な何かを失くしてしまっているのかもしれない。