タイで日本軍が捕虜らを9万人近く死なせながら作った「死の鉄道」、ダム水位低下で水没から復活し反日活動を再開最終更新 2026/06/17 19:361.番組の途中ですが転載は禁止です0if28第二次大戦中の「死の鉄道」駅 ダム水位低下で40年ぶりに姿現すhttps://news.yahoo.co.jp/articles/3adc199942fcd91f065bca162e0e4a2218df74ffカンチャナブリ、タイ、6月17日 (AP) ー第二次世界大戦中に建設され、「死の鉄道」として知られる泰緬鉄道の旧ニテ駅が、タイのワチラロンコーン・ダムの貯水池で約40年ぶりに姿を現した。ダムの保守作業に伴い貯水が排出されたことで、長年湖底に沈んでいた歴史的な遺構が一時的に露出した。泰緬鉄道は、当時のシャム(現タイ)とビルマ(現ミャンマー)を結ぶ全長415キロの路線。日本軍によって建設が強行され、オーストラリア、英国、米国、インドネシアなどの連合国軍捕虜約6万人と、数十万人のアジア人労働者が過酷な強制労働に従事させられた。建設過程で捕虜1万2500人以上、労働者7万5000人以上が命を落とし、その悲惨さから「死の鉄道」の名で呼ばれるようになった。現在、現地の研究者や歴史家らは、8月のダム保守完了および雨季による再冠水までの限られた時間を使い、現地調査や記録撮影を急いでいる。タイ・ビルマ鉄道センターの研究者アンドリュー・スノー氏は「通常はダムの水面下にある場所を記録・撮影できる貴重な機会だ」と語る。また、祖父を同鉄道の建設作業で亡くしたというオーストラリア人の独立研究者マーティン・フライヤー氏は、ロンドン国立公文書館の戦時中の航空写真と手書きの地図を照合しながら、当時の捕虜収容所の位置を特定する調査を行っている。現地には歴史的遺構を一目見ようと、タイ国内からも観光客が訪れている。バンコクから約350キロをバイクで駆けつけたという男性は、「水没していた歴史の一端を学び、強制労働を強いられた連合国軍兵士たちの記憶を留めたい」と話した。約100キロ南西にある、捕虜が多数死亡した難所「ヘルファイア・パス」にある記念センターのミック・クラーク所長は、「時が経つにつれ、こうした場所はより重要性を増している。個人の物語を語り継ぎ、戦争の代償を次世代に理解してもらう助けとなるからだ」と述べた。泰緬鉄道の遺構の一部は現在も観光路線として活用されており、歴史を風化させないための取り組みが続けられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3adc199942fcd91f065bca162e0e4a2218df74ff
カンチャナブリ、タイ、6月17日 (AP) ー
第二次世界大戦中に建設され、「死の鉄道」として知られる泰緬鉄道の旧ニテ駅が、
タイのワチラロンコーン・ダムの貯水池で約40年ぶりに姿を現した。
ダムの保守作業に伴い貯水が排出されたことで、長年湖底に沈んでいた歴史的な遺構が一時的に露出した。
泰緬鉄道は、当時のシャム(現タイ)とビルマ(現ミャンマー)を結ぶ全長415キロの路線。
日本軍によって建設が強行され、オーストラリア、英国、米国、インドネシアなどの
連合国軍捕虜約6万人と、数十万人のアジア人労働者が過酷な強制労働に従事させられた。
建設過程で捕虜1万2500人以上、労働者7万5000人以上が命を落とし、
その悲惨さから「死の鉄道」の名で呼ばれるようになった。
現在、現地の研究者や歴史家らは、8月のダム保守完了および雨季による再冠水までの
限られた時間を使い、現地調査や記録撮影を急いでいる。
タイ・ビルマ鉄道センターの研究者アンドリュー・スノー氏は
「通常はダムの水面下にある場所を記録・撮影できる貴重な機会だ」と語る。
また、祖父を同鉄道の建設作業で亡くしたというオーストラリア人の独立研究者
マーティン・フライヤー氏は、ロンドン国立公文書館の戦時中の航空写真と
手書きの地図を照合しながら、当時の捕虜収容所の位置を特定する調査を行っている。
現地には歴史的遺構を一目見ようと、タイ国内からも観光客が訪れている。
バンコクから約350キロをバイクで駆けつけたという男性は、
「水没していた歴史の一端を学び、強制労働を強いられた連合国軍兵士たちの記憶を留めたい」と話した。
約100キロ南西にある、捕虜が多数死亡した難所「ヘルファイア・パス」にある記念センターの
ミック・クラーク所長は、「時が経つにつれ、こうした場所はより重要性を増している。
個人の物語を語り継ぎ、戦争の代償を次世代に理解してもらう助けとなるからだ」と述べた。
泰緬鉄道の遺構の一部は現在も観光路線として活用されており、
歴史を風化させないための取り組みが続けられている。