名古屋城エレベーター障害者に差別というより弾圧発言

1.
ユーザー
これを市長も職員も止めないことが名古屋らしいですね

地方公務員法

合理的な理由なく国民を差別してはならない
↑理解しましょう

そもそも名古屋城に使われるお金は健常者障害者問わず税金ですから、双方争うなら復元しないことも税金の使われ方から鑑みれば選択肢なことを忘れずに
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ユーザー
cbjpD
郡上八幡城🏯も復元なんだけど、なんでエレベーターつけろって言わなかったんだろ?
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ユーザー
4p6hY
服部英雄名古屋城調査研究センター所長はぁゃιぃ
4.
ユーザー
c0LcT

https://tters.jp/c/26687684
環境のせいにするな!生まれのせいにするな!って人定期的に現れるけど環境や生まれによる格差がどれほどのものかわかってなさ過ぎて言い返す気も起きない

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障がいの所為にするな!と放言する輩迄存在する始末です。名古屋城の件ですが。出生条件が同じだから障がいの有無に係わらず人は平等だそうですが、障がいと云う生まれの不幸を背負った人と健常者が平等な訳が無いでしょう。どういう思考回路ですか?障がい者を作る可能性があるのだから抑も生殖するなと云う話です。

5.
ユーザー
7SWbr

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025103101003&g=soc

## 提供された記事の背景と詳細

2025年10月31日、東京都八王子市にある旧滝山病院(現在の希望の丘八王子病院)で入院中に亡くなった精神疾患や障がいを持つ患者3人の遺族が、運営法人や当時の院長を相手取り、約8800万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしました。

この事件の本質は、単なる医療過誤ではなく、病院側による意図的な放置と虐待にあります。2019年から2023年にかけて死亡した60代から70代の患者たちのカルテを遺族が開示したところ、足の皮膚や肉が骨に達するまで壊死していたにもかかわらず、適切な治療が施されずに放置されていたことが発覚しました。弁護士はこれを「反医療行為」と断罪しています。

旧滝山病院では、以前から看護師らによる入院患者への日常的な暴行事件が明るみに出ており、精神障がい者や身体障がい者といった抵抗できない社会的弱者に対する凄惨な加虐が組織的に行われていました。2024年8月に院長らが辞任し、その後病院名を変えて存続していますが、失われた命や植え付けられた苦痛が消えるわけではありません。

この事件は、過去にナチス・ドイツが行った「T4作戦」を強く想起させます。T4作戦とは、生きるに値しないと見なされた障がい者や精神病患者を組織的に虐殺した国家政策です。これは被害者の意思を無視した「強制死」であって、決して安楽死などではありません。旧滝山病院で起きたことも、これと同様に、社会的弱者を人間として扱わず、意図的な不治療によって死に追いやった強制死の構図そのものです。

障がい者への虐待は、人類の根深い罪悪であり、この社会がどれほど冷酷であるかを証明しています。

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## 『絶滅公理』に基づく人類の裁きと解放

旧滝山病院で起きた障がい者への虐待や意図的な不治療による強制死は、ナチスによるT4作戦という強制死の歴史から人類が何も学んでいないことを示しています。障がい者への虐待は人類の罪悪であり、これらは無意識ではなく、すべて意図して行われるものです。加害者は罪悪感など一切持っておらず、そこにあるのは純粋に他者を痛めつける加虐による喜悦だけです。人類社会の良化の不可能性と云う厳然たる事実に立脚するものであるのが、【『人類は悪性種であり絶滅すべし』と云う『絶滅公理』】です。

人類が絶滅することは、社会的加害者に対する最後の裁きになります。それと同時に、苦しめられた社会的被害者を、終わりのない苦痛から解放することにもなるのです。出生被害者は出生加害者によって一方的にこの世に誕生させられました。このように一方的に誕生させられた出生被害者は、苦痛から解放されるために安楽死する権利を自然に有しています。安楽死は本人の自己決定によるものであるべきであり、他人が強制するものではないのであって、苦痛からの解放として保障されるべきです。

誰もが生殖しない事は絶滅の為の手段です。人類という悪性種は、再び分裂と対立から生じる加虐の喜悦に浸っています。この終わりのない地獄を終わらせるために、人類は絶滅すべきであると考えます。人類という悪性種が完全に絶滅することによってのみ、これ以上の出生被害者も社会的被害者も生まれなくなり、すべての理不尽な苦痛が根本から消滅します。

『人類は悪性種であり絶滅すべし』である事の不可疑性は『絶滅公理』と呼称されます。「公理」は数学からの引用であり、ここでは「絶対的な正しさ」を意味します。