新興宗教・真如苑 vol.129最終更新 2026/01/30 19:451.神も仏も名無しさんxX3I70wq新興宗教・真如苑 vol.127前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596294546/新興宗教・真如苑 vol.127https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607610747/新興宗教・真如苑 vol.128https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1616020901/☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。出典 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/16634551452022/09/18 07:52:25323コメント欄へ移動すべて|最新の50件274.◆JBLfMwCXhY4K11W大本は世界の鏡の出る処であるから、世界に在る実地正味が、皆にさして見せてあるから2025/10/15 13:16:23275.◆JBLfMwCXhY7Kwkg真如苑(しんにょえん)は、1936年に開祖・伊藤真乗が設立した在家仏教教団です。仏教の教えに基づき、日常生活の中で仏性を磨き、喜びを広げていくことを目指しています。世界各国に寺院を設け、世界中に信徒がいます。2025/10/23 10:17:33276.◆JBLfMwCXhY7Kwkg主な特徴教義:日常生活の中で修行を重ね、仏教の教えに沿って生きることを重視しています。2025/10/23 10:17:47277.◆JBLfMwCXhY7Kwkg設立:昭和11年(1936年)、開祖・伊藤真乗が妻の友司と共に、東京都立川市に燈檠山・真澄寺を建立したことから始まります。2025/10/23 10:17:59278.◆JBLfMwCXhY7Kwkg「真如」と「苑」:「真如」は仏教でいう「真実そのもの」を意味し、「苑」は「囲いのない庭」を意味します。人々が真実を見いだすことができる、開かれた場所であるという願いが込められています。2025/10/23 10:18:11279.◆JBLfMwCXhY7Kwkg修行:「接心」と呼ばれる瞑想修行など、日常生活の中で心を磨くための様々な修行があります。2025/10/23 10:18:23280.◆JBLfMwCXhY7Kwkg信徒:家庭を持ちながら教えを学ぶ「在家の仏教教団」です。2025/10/23 10:18:36281.◆JBLfMwCXhY7Kwkg社会貢献:紛争や貧困に苦しむ人々の支援など、様々な社会貢献活動にも取り組んでいます。2025/10/23 10:18:46282.◆JBLfMwCXhYgr0C5 ,,.r'' ゛~~` ''ッ,, ) ) 、 ,,,,,,,,,Ω,,,,,,,ヾ. ,.、 / / ミ ミ゛ 彡三ミ ミ ミ .. | |l l ,´ ミ ミ, _,,,,,.ハ、,,,,,_ ミ ミ. . _-、i::| |ニニii ' 、,,,,ツi: ミ´´‘` | |´‘``ミ ミ /,‐ヽヽ`、|| 、シ`` i: ,ゞ、 , J レ、 ミ ミ . .( .〉〉/ シ // ミ`l ./\_,/ヾ .ミ "、呼んだ? ./ ノ ミ/ シ 彡 !trrrrrry| ミ ミ,, ,r'´ ,,、'゛ ミi. / / ' !w`~^' vwv '、ミ ミ 〃 .ミ .ミ / i: / `^^ \ " 〃 ミ 岡田茂吉(mokichi okada) (日本 1882-1955)2025/11/21 22:16:09283.神も仏も名無しさんTah4iヤナギ2025/12/03 22:56:58284.◆JBLfMwCXhYeEEfOこのスレは完全に終わったようだ2025/12/13 19:05:38285.◆JBLfMwCXhYeEEfO後は埋めよう⤵️2025/12/13 19:05:51286.◆JBLfMwCXhYeEEfOスレ埋めでストレス解消だ2025/12/13 19:06:36287.◆JBLfMwCXhYeEEfO伊藤真乗2025/12/13 19:09:00288.◆JBLfMwCXhYeEEfO1936年、真如苑の開祖である伊藤真乗は、妻・友司と共にみ仏の道に入ることを決意し、同年、真言宗の醍醐寺にて得度を受け、正しい修行に踏み出しました。1938年、東京都立川市にはじめてのお堂(真澄寺)を建立し、1943年には、真言密教のすべての法を受け継ぎました。2025/12/13 19:10:00289.◆JBLfMwCXhYeEEfOしかし、密教の教えは、出家して学ばなければ正しく意味を理解することはできません。僧侶だけでなく、より多くの人々がみ仏の教えを正しく修行できる道を目指した真乗は、1953年、ブッタの遺言の教え-大乗仏教の集大成ともいえる経典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」を中心に(所依の経典とし)、誰もが修行できる信仰のあり方を体系化しました。これが「真如苑」のはじまりです。2025/12/13 19:10:16290.◆JBLfMwCXhYeEEfO「真如」とは、さまざまな意味が含まれる仏教用語ですが、真如苑の「真如」には、今を生きる一人ひとりが、み仏の教えを学びながら、それぞれの生き方の中に幸せを見出していけるようにとの願いが込められています。現在、およそ20ヶ国に100を超える寺院があり、世界でおよそ100万人(国内およそ90万人)の信徒が活動しています。2025/12/13 19:10:30291.◆JBLfMwCXhYeEEfO90年の歴史があるのか2025/12/13 19:10:43292.◆JBLfMwCXhYeEEfO意外と長いんだな2025/12/13 19:10:55293.◆JBLfMwCXhYeEEfO醍醐寺で真言宗の僧侶になったのか2025/12/13 19:11:46294.◆JBLfMwCXhYeEEfO醍醐寺だったのか知らんかった2025/12/13 19:11:58295.◆JBLfMwCXhYeEEfO"人の役に立ちたい"その一心で出発昭和の初め、ひとりの航空エンジニアが、宗教の道に立ちあがりました。伊藤真乗、まもなく30才にならんとする青年です。宗教の道を選んだわずか数週間後、東京では二・二六事件が発生し、混沌とした時代のなかでの出発でした。2025/12/13 19:13:07296.◆JBLfMwCXhYeEEfO真乗は、信仰心の篤い父母のもとで、好奇心旺盛な少年として育ちました。若くして上京すると、真乗は苦学をしながら英語をよく学び、ラジオと写真、そして科学に興味を広げていきました。やがて立川飛行機製作所に入社。技術部門にたずさわって7年が経つころのことです。2025/12/13 19:13:44297.◆JBLfMwCXhYeEEfO仲間の相談相手になるうちに、真乗夫妻の人柄と家伝の易学が評判を呼び、気がつけば、真乗の自宅には、多くの相談者が誘い合わせて集まるようになっていました。悩める人々、病む人々のために祈りを向ける日々。人の役に立ちたい――真乗の胸に、その思いは日増しに強くなっていきました。2025/12/13 19:14:09298.◆JBLfMwCXhYeEEfOやがて縁あって、運慶作と口伝される不動明王を迎えます。不動明王と対座し、また、人々と対座する――。そのなかで、妻・友司とともに宗教家として立つ覚悟が固まります。1936年2月8日のことでした。2025/12/13 19:14:38299.◆JBLfMwCXhYeEEfOなるほど2025/12/13 19:14:51300.◆JBLfMwCXhYeEEfO3002025/12/13 19:15:04301.◆JBLfMwCXhYeEEfO修行にどこまでも徹する戦前から戦後にかけて、世情の不安定な時代、真乗は一心に修行を重ねます。生活の困窮、二人の息子の他界、世間の無理解、そして愛弟子の裏切り。苦難の道が続くなか、ホンモノを極めていきます。2025/12/13 19:15:24302.◆JBLfMwCXhYeEEfO1936年5月19日、京都の醍醐寺にて出家得度。日々、戦争の色が濃くなり、わずかな人が集まることさえ、警察が目を光らしていた時代です。けれども、真乗夫妻を訪ねる人々は増え続け、ついには家からあふれるほどに。そうして、お寺建築の声があがりました。2025/12/13 19:15:44303.◆JBLfMwCXhYeEEfO1938年、祈りに祈って生まれたお堂、真澄寺は、立川の少し寂しい場所に建立されました。その地が今、真如苑の総本部となっています。1940年には宗教団体法が実施され、厳しい宗教統制が敷かれていきました。宗教活動が思うようにできないならと、開祖・真乗は自身の修行に打ち込みます。2025/12/13 19:16:49304.◆JBLfMwCXhYeEEfO当時の醍醐寺座主、佐伯恵眼大僧正猊下が、自らその修行を指導し、「修行者の態度は、常にかくあるべきもの、とってもってよく範とせよ」とご説示されたと、後に座主となる岡田宥秀大僧正猊下は当時を語っています。2025/12/13 19:17:34305.◆JBLfMwCXhYeEEfO真如苑――どんな人にも開かれた教団を生む誰のなかにもあるよき心「仏性」が説かれる涅槃経をひもとくうちに、人々のよき可能性を開花させる一助となっていきたいという開祖の願いは、強くなっていきます。それが、在家教団としての出発となりました。2025/12/13 19:17:51306.◆JBLfMwCXhYeEEfO多くの相談相手に答えるところから出発した開祖。修行を極めたからこそ、出家で得られる心――境涯を実感していました。ここで、新しい悩みが生まれます。「ふつうの社会生活を営む在家の信者であっても、仏を求める心を持つ限りは、出家者と同じように仏道を歩むことができないか」2025/12/13 19:18:16307.◆JBLfMwCXhYeEEfO度重なる苦悲のさなか、ひもといた大般涅槃経に説かれる「仏性」。そして、釈尊の入滅に、神仏とともに在家の人々が馳せ参じたとの一節。この経典こそ、悩める人々、病む人々が、祈りと修行を重ね、出家と同じ境涯をめざす基盤となると開祖は確信しました。2025/12/13 19:18:36308.◆JBLfMwCXhYeEEfO「私は私なりの信念から、仏法の衣をぬぎ、素直に仏法を行ずる決心を固めた」髪を伸ばし、洋服をまとって、「真如苑」として一宗をおこし、歩み始めました。そうして、人々の心に仏の性を刻む祈りをこめて、開祖が自ら謹刻したのが、真如苑の本尊・涅槃像でした。2025/12/13 19:19:13309.◆JBLfMwCXhYeEEfO出家していない者であっても、修行をすれば仏性を磨き出せる――この修行のあり方を広めた真乗の試みは、仏教の世界に導き出した革新的な方法でした。融和――人々の安心立命のために開祖は願いました。――宗教の背景も国境も文化も性別も越えて、多くの人とともに、お互いの持てるよき心を発揮することができないか。真如苑の「苑」は、くにがまえの「園」ではないのだから、囲いがない真如苑になろう――。2025/12/13 19:19:44310.◆JBLfMwCXhYeEEfO妻・友司を伴い、全国各地へおもむき、一人ひとりに膝をつき合わせて教えを説く開祖。1967年、「欧州宗教交流国際親善使節団」団長として、ヨーロッパ8カ国を歴訪した開祖は、ローマ法王パウロ6世と会見し、日本人として初めてバチカン放送に出演をしました。「仏教の精神はあくまでも"融和"であり、"融合"であります」と呼びかけた開祖。どれほど実現が困難であろうと、国や人種、宗教の違いを越えて融和する世界を目指し、"真如"を説き続けました。2025/12/13 19:19:59311.◆JBLfMwCXhYeEEfO「我、人々と道つらぬかん」出発にあたって、30才の開祖が残した言葉は、生涯をつらぬく一筋の道となって、今も真如苑に生きています。2025/12/13 19:20:10312.◆JBLfMwCXhYqxc98唯一、勢いのある新興宗教2025/12/20 12:52:47313.◆JBLfMwCXhYDNugi伊藤真乗2025/12/26 22:11:55314.◆JBLfMwCXhYDNugi伊藤真乗2025/12/26 22:12:16315.◆JBLfMwCXhYDNugiすごいな2025/12/26 22:12:31316.◆JBLfMwCXhYJYrjo(´∀`∩)↑age↑2026/01/15 11:15:43317.◆JBLfMwCXhYs97Sg真言宗は、生命肯定の超ポジティブ思想2026/01/30 01:31:26318.◆JBLfMwCXhYs97Sg真言宗は、生命肯定の超ポジティブ思想2026/01/30 01:31:40319.◆JBLfMwCXhYs97Sg真言宗は、生命肯定の超ポジティブ思想2026/01/30 01:31:51320.◆JBLfMwCXhYs97Sg身口意の三密で、大日如来になりきる2026/01/30 01:32:17321.◆JBLfMwCXhYs97Sg身口意の三密で、大日如来になりきる2026/01/30 01:32:38322.◆JBLfMwCXhYs97Sg身口意の三密で、大日如来になりきる2026/01/30 01:32:52323.神も仏も名無しさんBXBY0ヤナギ2026/01/30 19:45:57
【朝日新聞・中盤情勢調査】自民党は単独で過半数(233議席)を大きく上回る勢いで、日本維新の会とあわせて与党として300議席超をうかがう、中道改革連合はふるわず、公示前勢力(167議席)から半減もニュース速報+2843649.32026/02/01 23:24:17
前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596294546/
新興宗教・真如苑 vol.127
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新興宗教・真如苑 vol.128
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1616020901/
☆ここは、真実追及と意見交換の場です。
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
教義:
日常生活の中で修行を重ね、仏教の教えに沿って生きることを重視しています。
昭和11年(1936年)、開祖・伊藤真乗が妻の友司と共に、東京都立川市に燈檠山・真澄寺を建立したことから始まります。
「真如」は仏教でいう「真実そのもの」を意味し、「苑」は「囲いのない庭」を意味します。人々が真実を見いだすことができる、開かれた場所であるという願いが込められています。
「接心」と呼ばれる瞑想修行など、日常生活の中で心を磨くための様々な修行があります。
家庭を持ちながら教えを学ぶ「在家の仏教教団」です。
紛争や貧困に苦しむ人々の支援など、様々な社会貢献活動にも取り組んでいます。
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岡田茂吉(mokichi okada)
(日本 1882-1955)
1938年、東京都立川市にはじめてのお堂(真澄寺)を建立し、1943年には、真言密教のすべての法を受け継ぎました。
これが「真如苑」のはじまりです。
さまざまな意味が含まれる仏教用語ですが、真如苑の「真如」には、今を生きる一人ひとりが、み仏の教えを学びながら、それぞれの生き方の中に幸せを見出していけるようにとの願いが込められています。
現在、およそ20ヶ国に100を超える寺院があり、世界でおよそ100万人(国内およそ90万人)の信徒が活動しています。
知らんかった
"人の役に立ちたい"その一心で出発
昭和の初め、ひとりの航空エンジニアが、宗教の道に立ちあがりました。伊藤真乗、まもなく30才にならんとする青年です。宗教の道を選んだわずか数週間後、東京では二・二六事件が発生し、混沌とした時代のなかでの出発でした。
やがて立川飛行機製作所に入社。技術部門にたずさわって7年が経つころのことです。
悩める人々、病む人々のために祈りを向ける日々。
人の役に立ちたい――真乗の胸に、その思いは日増しに強くなっていきました。
不動明王と対座し、また、人々と対座する――。そのなかで、妻・友司とともに宗教家として立つ覚悟が固まります。
1936年2月8日のことでした。
戦前から戦後にかけて、世情の不安定な時代、真乗は一心に修行を重ねます。生活の困窮、二人の息子の他界、世間の無理解、そして愛弟子の裏切り。苦難の道が続くなか、ホンモノを極めていきます。
日々、戦争の色が濃くなり、わずかな人が集まることさえ、警察が目を光らしていた時代です。
けれども、真乗夫妻を訪ねる人々は増え続け、ついには家からあふれるほどに。そうして、お寺建築の声があがりました。
その地が今、真如苑の総本部となっています。
1940年には宗教団体法が実施され、厳しい宗教統制が敷かれていきました。宗教活動が思うようにできないならと、開祖・真乗は自身の修行に打ち込みます。
「修行者の態度は、常にかくあるべきもの、とってもってよく範とせよ」とご説示されたと、後に座主となる岡田宥秀大僧正猊下は当時を語っています。
誰のなかにもあるよき心「仏性」が説かれる涅槃経をひもとくうちに、人々のよき可能性を開花させる一助となっていきたいという開祖の願いは、強くなっていきます。それが、在家教団としての出発となりました。
修行を極めたからこそ、出家で得られる心――境涯を実感していました。
ここで、新しい悩みが生まれます。
「ふつうの社会生活を営む在家の信者であっても、仏を求める心を持つ限りは、出家者と同じように仏道を歩むことができないか」
そして、釈尊の入滅に、神仏とともに在家の人々が馳せ参じたとの一節。
この経典こそ、悩める人々、病む人々が、祈りと修行を重ね、
出家と同じ境涯をめざす基盤となると開祖は確信しました。
髪を伸ばし、洋服をまとって、「真如苑」として一宗をおこし、歩み始めました。
そうして、人々の心に仏の性を刻む祈りをこめて、開祖が自ら謹刻したのが、真如苑の本尊・涅槃像でした。
融和――人々の安心立命のために
開祖は願いました。――宗教の背景も国境も文化も性別も越えて、多くの人とともに、お互いの持てるよき心を発揮することができないか。真如苑の「苑」は、くにがまえの「園」ではないのだから、囲いがない真如苑になろう――。
1967年、「欧州宗教交流国際親善使節団」団長として、ヨーロッパ8カ国を歴訪した開祖は、ローマ法王パウロ6世と会見し、日本人として初めてバチカン放送に出演をしました。
「仏教の精神はあくまでも"融和"であり、"融合"であります」と呼びかけた開祖。
どれほど実現が困難であろうと、国や人種、宗教の違いを越えて融和する世界を目指し、"真如"を説き続けました。
出発にあたって、30才の開祖が残した言葉は、生涯をつらぬく一筋の道となって、今も真如苑に生きています。