そして1875年に『Science and Health with Key to the Scriptures』(『科学と健康─付聖書の鍵』)を著し、全ての病気の原因は心的なものであり、人間の病気の本質は心の中の虚偽とか幻想から起るとし、それを取り除くためには神とつながる霊的理解によらねばならぬと唱えた。
252.
◆JBLfMwCXhY
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1879年にクリスチャン・サイエンスを設立すると、マサチューセッツ州の、主として工場労働者を中心にこの運動を組織化、1892年、ボストンに母教会の第一科学者キリスト教会(The First Church of Christ, Scientist)が設立され、世界各地に支教会が数多く設けられた。日本では1907年(明治40年)にアメリカ人による礼拝が横浜で始まり、1920年(大正9年)に東京でも開始。1940年(昭和15年)に一旦解散したものの、戦後1946年(昭和21年)に京都で米兵による礼拝がグループとして再開、1947年(昭和22年)に東京の教会も再建された。
前スレ
なんだか、ボクにはわかってきたぞ? キリスト教を語るスレ vol.5
https://talk.jp/boards/psy/1706480996
ルター派(ルーテル教会)
聖公会(アングリカン教会)
改革派・長老派
会衆派・組合派
バプテスト
メソジスト
ペンテコステ派
バプテストとメソジストがツートップ
「洗礼」にやたらとコダワるのが、バプテストの特徴。
メソジストは、そこにはコダワらない
バプテスト教会の洗礼は、全身を水に浸すのが特徴。
「本人の意思を尊重」するため、幼児洗礼は行わない
全体的に、バプテスト教会は厳格。
メソジスト教会はゆるいとされている
https://www.christiantoday.co.jp/data/images/full/12006/image.jpg
イギリスが生んだ最大の宗教改革者 ウェスレー
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/John_Wesley_by_George_Romney.jpg/330px-John_Wesley_by_George_Romney.jpg
英国国教会 → メソジスト → ホーリネス → ペンテコステ(聖霊派)
独立派 → バプテスト → アドベンチスト → セブンスデーアドベンチスト(再臨派) → エホバの証人(異端)
携挙(けいきょ、英語:rapture)とは、プロテスタントにおけるキリスト教終末論で、未来の主イエス・キリストの再臨において起こると信じられていることである。まず神のすべての聖徒の霊が、復活の体を与えられ、霊と体が結び合わされ、最初のよみがえりを経験し、主と会う。次に地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験する。
艱難が始まる前に携挙が起こり、これにより真のクリスチャンは艱難を避ける事が出来るとする説を、「艱難前携挙説」という。携挙を強調する教派の多くは艱難前携挙説の立場をとる。ほかにも、艱難中携挙説と艱難後携挙説がある。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/christian-unabridged-dict/20180413/20180413122729.jpg
終末にあたってキリストが再臨し,1000年間統治するとされる王国。
一部の教派では、終末の日が近づき、キリストが直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になったと説く。千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する。また、至福の1000年間の終わりには、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っているとされる。
千年王国に入る時期をめぐって、三つの立場がある。
前千年王国説(千年期前再臨説-イエス・キリストの再臨の後に千年期があるとする説)
後千年王国説(千年期後再臨説-千年期の後にイエス・キリストが再臨するとする説)
無千年王国説(文字通りの存在ではなく、霊的、天的なものとする説)
https://bible-seisho.net/sp/pic/2359247_2.jpg
携挙 → 大患難期 → 再臨 → 千年王国 → 最後の審判
2、アドベンチスト教会では、こうなる
大患難期(現在) → 再臨 → 千年後、最後の審判。悪人どもの魂は消される
「たとえ、地の国が滅ぶとも、神の国は永遠」
ここでいう「地の国」とはローマ帝国、
「神の国」はローマカトリック教会を指している
ムーミンです
ムーミンです
ユーミンです
ムーミンです
合体!!┌┛┌┛┛┌┛
春よぉ~
ダメぇーーーー┓(*´゚ω`)┏
ユーザー
法介◆T3azX0Hk1U
4TSqv(20/20)
腰抜けチキンの馬パーリーに告ぐ!
一人親分の俺様気質の法介様が
お待ちです
直ちに
「鹿野園のバイブでブイブイ言わせたろか」
https://talk.jp/boards/psy/1708259299
まで出て来なさい!
2024/02/18 21:58:01
'Junior's Farm' - PaulMcCartney.com Track of the Week
https://www.youtube.com/watch?v=5Jpc9oZynyw
A Day in the Life
https://www.youtube.com/watch?v=sCbZ15JpxPg&list=RDL7BSYWhMJBQ&index=23
ひょっとして、マニア?
イエス!サー!!
https://www.youtube.com/watch?v=gFa0P6vuCW8
おやすみー
2/19(月)12:02配信
特殊分野で自営を続けるライター・村田らむ氏。連載「『非会社員』の知られざる稼ぎ方」では、さまざまな非会社員たちの半生を追ってきたが、その中でも異色だったのが「元傭兵」の高部正樹さん(59歳)だ。 連載の番外編である今回は、高部さんに「もし今、現役の傭兵だったら戦いたくない軍隊」を聞いていく。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や、イスラエル・ガザ戦争が続くなか、高部さんが「もっとも危険」と語る軍隊はどこなのだろうか?
高部正樹さんは「元傭兵」という珍しい経歴で知られている。アフガニスタン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナと20年近くにわたり、傭兵として活躍してきた。 私の連載『「非会社員」の知られざる稼ぎ方』でも半生を語っていただき、大きな反響があった。インタビューをしたのは2020年の年末だった。
その後、ロシアとウクライナの戦争、イスラエルとガザの戦争がはじまり、戦争の話題をよく聞くようになった。
高部さんの需要もますます高く、原作をつとめる『日本人傭兵の危険でおかしい戦場暮らし』も今年第3巻が発売された。 高部さんに久しぶりにお話を伺う機会をいただいたので、「高部さんが現役の傭兵だったら戦いたくない国の軍隊はどこ?」と、質問をぶつけてみた。 1位は『イスラエル』ですね。 理由は、意志が強固ではっきりしているからです。どれだけ大きな軍事力を持っていても、上のほうが軟弱、意志薄弱だったりすると、腰がふらつきます。
「ハマスを徹底的に潰す」 と上から下までキチンと意志が統一されている。もし日本が同じ状況だったら、 「国民が……」 「国際世論が……」 「アメリカが……」 「政治が……」 とブレるはずです。もちろんブレるのが悪いわけではないですけど、敵としてはイスラエルのほうがずっと怖い。 イスラエルには人質作戦も効きづらいです。作戦立案の段階では人質も念頭にあったみたいですが、実際に戦闘が始まったら人質は二の次。脅しにブレずに戦闘を続けていました。
なぜイスラエルの意志が強いのか?
それは建国以来常に敵国に囲まれているからだと思います。国民の一人ひとりに国防の意識が高い。パレスチナ戦争、中東戦争とつねに土俵際で戦っているから、 「負けたら国が消滅する」 という緊張感があります。
日本人はたとえ戦争状態になったとしても、 「帰る国までは、失うことはないだろう」 と思うんじゃないでしょうか?
イスラエルは戦力としては大きくないですが、徴兵制度ですから、いざとなったら大人のほとんどが軍人になります。
兵器開発も盛んで、世界最重量級の装甲兵員輸送車も持っています。また鹵獲した装甲車などを再利用していますし、アメリカから兵器も輸入しています。軍事力という点から見ても、かなり手強いと思います。 フリーランスの傭兵だったら、かなり戦いたくない国ですね。
今月は聖書全体の歴史を広く見渡すことで、旧約聖書・新約聖書双方を貫く神のマスタープランを学びます。同時に、二つの神の民(教会とイスラエル)がどのような関係を結ぶのか、今教会として私たちができることを学びます。
主なる神は天と地を創造し、天にある神の国(神の統治)を目に見えるかたちで地上に出現なさいました。それが神の国のひな型である「エデンの園」です。
しかし、「エデンの園」は、「蛇(サタン)」にそそのかされた最初の人アダムの反逆によって失われてしまいました。
すると、主は直ちに「神の国」の回復計画を宣言なさいました。「彼(キリスト)は、おまえ(サタン)の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3:15)
それは、アブラハムの子孫から「キリスト」を世に送り、アブラハムとの「契約」によって「神の国」を回復するという主の壮大な計画(マスタープラン)なのです。
こうして、「キリスト」「神の国」「契約」が聖書全体を貫く重要なテーマとなったのです。
次いで、BC1000年ごろ、主はダビデを選んで王とし、三大陸の蝶番(ちょうつがい)にあたる土地に、エルサレムを都とするイスラエル王国を建てられました。それは「王」による神の国のひな型であり、そこから祝福が世界に広がるようにされたのです。主はダビデと契約を結び(Ⅱサムエル7:13、16)、ダビデの家系からキリストが出ることを予告されました。
しかし、ソロモン王の後、王国は南北に分裂しました。モーセの律法を無視し続けた北王国はBC722年アッシリアに、そして南王国はBC587年バビロニアに滅ぼされました。それでも、主はアブラハムとの契約を忘れず、ペルシャのクロス王を用いてユダヤ人をエルサレムに帰還させ、彼らに神殿と城壁を再建させられました。
主イエスの宣教の第一声は「時が満ち、神の国は近くなった」(マルコ1:15)でした。
主は、イスラエルに「神の国」の祝福を回復し、アブラハム契約の「祝福の源」としての役割を果たさせようとされたのです。
しかし、ユダヤ人はイエスを拒否。そのため、まずユダヤ人にもたらされるはずだった救いと祝福が異邦人に流れました(ロマ11:11)。
代わって、成長した異邦人教会が「信仰によるアブラハムの子孫」として、神の国の祝福を世界の諸民族にもたらす役割を担うことになりました。
それはユダヤ人が「選びの民」ではなくなったということではありません。しかし、異邦人教会はユダヤ人をキリスト殺しの呪われた民として差別、追放、虐殺するようになりました。この反ユダヤ主義と迫害は現代まで続いてきたのです。
このため、キリストの教会はユダヤ人ではなく、異邦人に広がることになってしまった
世界メシヤ教は日本ではなく、異邦人に広がるのか
ローマ帝国に滅ぼされてしまった
世界中で迫害された
しかし、ユダヤ人が祖国から追放されて1800年余り、出エジプト前の400年間やマラキ書後の350年間と同様の「沈黙の時代」が長く続きました。
ところが、19世紀の終わりごろになって、ついにその「沈黙」に終止符が打たれ、聖書預言が成就し始めたのです。
1882年、ロシアで迫害(ポグロム)を受けたユダヤ人がイスラエルに帰還しました(第一次アリヤー)。その帰還は第二、第三と断続的に続き、ホロコーストで祖国回復の願いが頂点に達しました。
そして、1948年にイスラエル建国の日を迎えたのです。時を同じくして、イエスをメシヤと信じるユダヤ人が増え始めました。今や、その数は世界中で数十万人とも言われます。
そして今度は、パウロらが「ユダヤ人と異邦人が神の家族となる日」(エペソ2章)とキリストの再臨を待ち望むようになりました。
パウロからおよそ二千年、今は、信仰によるアブラハムの子孫である教会が待ち続けています。その人類史のクライマックスの日が近付いています。
「終末の時代」、それが私たちの時代です。キリスト初臨前と同様、世界共通言語(英語)が諸国に広がりました。グローバルな交通網、情報網も整いました。
そんな時代に私たち教会の成すべきことは何なのでしょうか。
全体を貫く神の計画に沿って、聖書を理解しなければ、イスラエルや教会の存在意味と目的を見誤ってしまいます。
②反ユダヤ主義の誤りを説くこと
信仰によるアブラハムの子孫である教会が、肉によるアブラハムの子孫であるイスラエルを迫害し攻撃するという歴史に終止符を打たなければ、サタンの国を打ち破ることはできません。教会の反ユダヤ主義はサタンの思う壺です。
ユダヤ人の中から、メシヤを信じる人たちが起こされるように祈ることは、神の民クリスチャンの使命です。神の民ユダヤ人には、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」が直接語り掛けてくださることが多いようです。教会の祈りの成果だと思います。
ユダヤ人の救いと共に、教会との和解のために実際に行動すること、それが「終わりの日」に近付いた時代のクリスチャンの急務だと思います。迫害されているユダヤ人のイスラエル帰還や貧しいユダヤ人の生活を支えることもその一つです。
ディスペンセーション派は、イスラエルでキリスト教を布教しようってのか?
今度こそ、ユダヤ民族をキリスト教に改宗させる
前世は中世ヨーロッパで、十字軍の騎士だったんだろうな
キリスト教国にするのは不可能
熱心なキリスト教徒なら、ユダヤ人やイスラエル国家に特別な思いがあっても不思議はない
確かに、神に選ばれた国民だった
世界平和が実現される
他の教祖はたいてい、「我こそはメシアだ」と言うんだが
一区切りついたら
法界スレの問いに返信入れとくれ
相当怨霊化しとるなあ〜
🤢👽
関心が薄い分〜
https://m.youtube.com/watch?v=X7sCaACHGyk&list=WL&index=1&pp=gAQBiAQB
ユダヤ人は選民
イスラエルは神の国
そこまでだった
自分には、死ぬことを意味するとしか思えないが
とも言うけれど
また
神道系統関連動画
神道系統スピリチュアルブー厶かもしれん
出口王仁三郎〜?
的
https://m.youtube.com/watch?v=LJ02N4QNgRU&list=WL&index=4&pp=gAQBiAQB
神道系スピリチュアル😆
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Virginia_2nd_Amendment_Rally_%282020_Jan%29_-_49416341132.jpg/440px-Virginia_2nd_Amendment_Rally_%282020_Jan%29_-_49416341132.jpg
「世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者・小児性愛者・人肉嗜食者による秘密結社が世界を裏で支配しており、ドナルド・トランプはこれと密かに戦っている」という主張が中心的であり、神に遣わされた救世主としてトランプが個人崇拝の対象となっている。
5chにいる、
ナルミだ
キリスト教スレ
😭
花粉症ダメージで
お元気なさそーだな
😄
花粉症で身体がダルいせいだろうな
黄砂系統ありそーだ
雨なのに目がかゆい
😄
>>スピリチュアルに目覚めた人々
ワシのことじゃな?
艱難前に携挙される
この見解の人たちは、まだ成就していない預言を解釈するのに、通常な文字通りの解釈法を用いません。
彼らは、黙示録20章4-6節は文字通り取るべきではないとします。「千年」というのは、単に、「長い期間」という意味だとします。
さらに「後千年王国」の接頭辞の“後”は、クリスチャン(キリストではなく)がこの地上に王国を立て上げた後にキリストが戻って来られるという考えを意味します。
しかしながら、これは聖書が提供している終わりの時の世界状況ではありません。黙示録を見ると、未来のその頃になると、世界はひどい所になっているということはよくわかります。また第2テモテ3章1-7節で、パウロは終わりの日のことを「困難な時代」と述べています。
いまいち分かりにくい
この方が、個人的にはシックリくる
千年というのは、単に「長い期間」を象徴する
文字通りの千年間ではない
その後で、キリストが再臨する
それが外れたのが大きい
そこから再び、理屈をつけて立ち上がった
これほど分かりやすい教えは、他にない
熱狂的な信者が集まってきた
彼らは仕事を辞め、家を売り、世界の終末に備えた
これから、どうなるのか
セブンスデーアドベンチスト教会では、
これらの疑問に答える理論体系が
完備されている
遥か遠い未来だ
今回は、改めてあの時の2012年問題って何だったのか?
についてマヤ暦の観点から見つめてみたいと思います。
「え? 2012年で地球は終わってしまうの?」
「2012年の終わりに、人類は滅亡するの⁉︎」
当時は、そんなショッキングな情報に惑わされた人もいたと思います。
2000年代に入って、2007~2008年前後あたりからでしょうか、2012年が近づくにつれて、2012年には地球は天変地異などさまざまな理由から終わりを迎える、という“終末論”がスピリチュアルの世界だけでなく、TVなどマスメディアでも盛んに取り上げられていたものです。
さらには、「アセンション(次元上昇)」という言葉と共に、「2012年には、地球はアセンションする」などと言われていました。
特に、この2012年問題は、2012年にマヤ暦のひとつである「長期暦(5125年をひとつのサイクルととらえる暦)」が2012年の12月21日でひとつの区切りを迎えることから、「マヤの預言」ともいわれていたりしました。
実際に、前年の2011年には日本は東日本大震災も体験することとなり、さらに不安を覚えた人も多かったはずです。
彼らが私たち子孫に伝えたかったことは、2012年にひとつの暦の周期が終わりを迎えるということ。
それは、まったくネガティブな要素ではなく、逆に、新しい時代がスタートするということでもあったのです。つまり、彼らは「地球が新しいステージに向かう」ということを教えてくれていたのです。
そして、ご存じのように、2012年の12月21日は、何事もなく無事に過ぎ去っていきました。
今では、あのときの2012年問題のことさえ、すっかり忘れている人も多いことでしょう。
それは、「自分を愛し、そして、地球の愛の度数も上げていく」ということです。
スピリチュアルの世界では、今、地球は愛と調和の時代を迎えていると言われています。
けれども、世界に目を向けると、一見そうとは思えない出来事が起こっているのも事実です。
環境破壊に自然災害、政治の混乱、国際間の緊張や宗教・民族紛争など、日々勃発する不安定な情勢を背景に、私たちの意識の内側にも目には見えない変化が起きています。特に敏感な人ほど、なんとなく不安でたまらない、未来への希望が見えない、という風に感じる人もいるはずです。
私は、これらの出来事は、地球の愛のエネルギーがネガティブなエネルギーをデトックスしようとしているからだと思っています。
私たち人間がそうであるように、宇宙の原理原則も愛というエネルギーで出来ているからこそ、すべてのことは、それが「愛の法則」にもとづいているか否かで、未来の方向性は決まってくると信じています。
つまり、これからは愛の精神にあふれている人がどんどん豊かさを享受し、そうでない人やモノは、自然に淘汰されていくのです。
ついに初めてネガティブな集合的エネルギーを上回る。
これは、ある数の人々が、
本来の自分やポジティブな姿勢に目覚めることで起きる。
全体から見れば数は少ないが、肯定的なエネルギーは、
幾何級数的に足し算される(統合される)傾向があるため、
2012年の冬至にはポジティブな集合的エネルギーがあるレベルに達し、
クリティカル・マスの分岐点を超えることになる。
最終的には自分の波長以外の現実を体験することは不可能になる。
具体的には、自分と異なる波長の人間とは離別する、死別する等して、
様々な方法でそれらの人間が周囲から消えていなくなってしまい、
ポジティブな世界ではポジティブなことだけが、
ネガティブな世界ではネガティブなことだけが起こる。
自分がどのパラレル・アースへ移行するかは、
2010年~2015年の5年間の過ごし方が最も重要となる。
パラレル・アースのポジティブな一方の極は、
やがて宇宙文明の一員として迎えられるが、
ネガティブな一方の極は、完全な破壊、破滅を体験することになる。
その世界は核戦争で自らを滅ぼしてしまい、
バシャール達が呼びかけても誰の返事もない、とても静かな世界だという。
「地球はパラレルワールドに分かれる」と言われてた
目覚めない人々は、「ネガティブな地球」で人生が続く
ネガティブな人は、ポジティブな地球からいなくなる
「携挙と千年王国の到来は近い」と、多くの人が思った
大本教信者の岡本天明が「自動書記で書いた」という、終末預言の書だ
日本では、「日月神示」ブームでもあった
「二二八八れ十二ほん八れ ○レ(○の中にレ点)の九二のま九十の○レのちからをあら八す四十七れる」
これは次の通りに読めると言われている
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/Makatajinjya-hondou.jpg
「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」
これについても読み方は
「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」
解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。助かるためには身魂[9](心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。
この大峠は我々の住むこの現界のみならず、神界、霊界、幽界なども含めたすべての世界とすべての存在に等しく起こるとされ、森羅万象のうち何ひとつそれから免れることができるものは存在しないという。
また、この現界よりもはるかに高次元で高度と思われる神界の神々や守護神といった存在でもこの大峠を越せない存在があるという。
ディスペンセーション派が強調する「大患難期」だ
アセンション・ブームの頃はずいぶん流行ったフレーズだ
懐かしい😅
長年のマニアである当方から見ると、船井会長の理解は浅かったが(笑)
神の国は近づけり
神の国は永遠
濃いやろな
聖霊的世界観が
ほーかいくんと遊んでたで〜
😄
室生龍穴神社の
霊域展開が
一番自信ある、
一度しか行ったことがないけど
😄
しっかり魂と皮膚に刻みこめている
室生龍穴神社は
😄
😄
😄
https://intojapanwaraku.com/wp-content/uploads/2019/12/tabineco_mrj1.jpg
あれだけだな
神社系統では
出口王仁三郎超えできとるな〜
と味わえた神社は
他の有名神社でも、まーまーな程度
神道系統のパワー霊感系は
上には上がいるやろな〜
とは思う
😄
新興宗教系統の信者らしきのが
両手を上に上げヘビのよーにウネラセながらお祈りしていた、
神社に入るまで、
その新興宗教信者らしきのがお祈り満足してから
去った後に参拝した、
あの変なお祈りの横では
参拝したくなかったからな〜
😄
蛇の霊に憑依されてるな?(>_<)
龍と
蛇ではな、
ランクが
😄
俺からみるとヘビの祈りしか見えなかった
😄
麦が
お怒りだ
😄
高野山真言宗寺院で
山伏系統の除霊する寺は
ヘビの霊を弁財天にした
とかあった
😄
月報雑誌に書いてた〜
除霊やってるんと〜
😄
戻ってきた〜
😄
ここやな、
3回ぐらいお参りしたことがある
https://www.inukai.info/?project=%E5%96%B6%E6%A5%AD%E5%86%85%E5%AE%B9%EF%BC%92
UFOによる空中携挙の検証
「ヨハネの黙示録」には、「空中携挙」という現象が予言されている。
これは「法華経」が予言する「虚空会」と符合するが、
『日月神示』にも同様の予言がある。
「いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる人間もあるのぞ」
「神の仕事をしておれば、どこにいても、
いざという時には神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ」
この空中携挙という現象について、
「UFOが救出してくれる」と解釈している人が多い。
確かに、UFOに救出されるケースもあるかも知れないが、
空中携挙の本質的な意味はまた違うものだろう。
たまに、こんな質問を受けることがある。
「宇宙人はいるのでしょうか?」
こういう質問に対して最初に口をついて出てくるのは、
「当然でしょう」という言葉である。
私自身も宇宙人と実際に遭遇したことがある。
今から十数年前のことである。
私はアメリカのアリゾナ州にあるセドナという場所に行った。
いろいろ見て回ってからホテルに戻った時、こんな話を聞いた。
セドナではよくUFOが現れ、宇宙人に会った人もいるというのである。
その話を聞いた時は、自分が宇宙人に遭遇するとは予想だにしなかった。
部屋に戻ってベッドに入ると、いつの間にか寝てしまった。
ところが、少し経って何かおかしな感じを覚え、
ふと目を開けてみると、私の顔を誰かが覗き込んでいるではないか。
それはピンポン球のような形の大きな目をした得体の知れない生き物だった。
あまりに近かったので驚き、顔を手でパッとはねのけると、
「グニャッ」というゴムのような感覚が手に伝わってきた。
そのとき、部屋の中に同じ生き物がもう一体いるのに気づいた。
と、その瞬間、私はフッと意識を失ってしまった。
再び目が覚めたときは、もう誰の姿もなかった。
ふと見ると、右手の甲が少し赤くなっていた。
手で払いのけたときの跡が残っていたのである。
私が見た生き物の乗り物なのかどうかは分からなかった。
私が遭遇した宇宙人は、どうやら「グレイ」といわれている
種類だったようだが、詳しいことは不明である。
金星人と比べると、あまり意識の高い生き物ではなかったように思う。
金星人とは直接会ったことはないのだが、人間に紛れ込んで
地球で暮らしている金星人が存在することは私の意識がしっかりと捉えている。
ちなみに、私は金星とは縁が深く、竹内満朋先生からも、
「あんたは金星に目を向けなさい」と言われたことがある。
金星人は地球の人類よりもはるかに精神性が高く、宇宙の法則に通じている。
その宇宙の法則を乱さない為に、人類を見守りはするものの、
必要以上に介入したりはしないのである。
個人的にコンタクトを取ることがあっても、大々的に自分をアピールしたり、
おおっぴらに人間の前に姿を現したりはしない。
したがって、「私は金星人である」と言って表に出てくるような者がいたら、
それはニセモノである。
特に「善」を説く者がいたら要注意だ。
ホンモノは「善」ではなく「中真」を説くからだ。
自分を金星人だと信じ込んでいる人もいるかも知れないが、
そういう人は中真感覚を失っていると言えるだろう。
空中携挙、ラプチャー、人間消滅
どうもプロテスタントは、カトリックより、このラプチャーということに非常に関心があるようだ。
ラプチャー問題ともなると、艱難前に起こる、いや、艱難中だ、後だ、と議論がとても盛り上がる。教える側の牧師さんも興味があり、それが信者に反映した結果であろう。
「反キリストが現れたら、私たちはこの世にいません。」と宣言したプロテスタントの女性がいた。おい、おい、この前、町で買い物していたぞ。 どうなってるんだよ、おばさん。反キリストは、もう現れているぞ。
UFOがもっと空に見られるようになると、ラプチャー現象は、反キリストの仲間、近隣の惑星から来る高度に進化した宇宙人によってなされると喧伝されることだろう。
円盤にある磁気エレベーターによって機内に引き上げられ安全地帯に運ばれます。反キリスト、マイトレイヤーの言葉に賛同出来ない人は、そのまま地上に残され助けられることはない、などと言われることだろう。
反キリストの論調を優位にするため、偽のラプチャー現象が多発することだろう。忽然と人が消え始め、なかには円盤に引き上げられる人たちの映像も流布されることだろう。
ラプチャーが空中携挙と訳されているため、空中に引き上げられる様子が肉眼で見えるものと誤解しがちである。
そうではない。円盤など出てくる必要はない。神がなさることである。人間は、その場所で、突然消えるのです。誘拐などと区別するために、神はそれを目撃する人を用意される。彼らが、人が大気中に消えたことを証言するでしょう。これが、本当のラプチャーであります。
アセンションとはこの地球の次元が上昇し、第三密度から第四密度に上がっていくことです。
地球が宇宙の次元に近くなり、宇宙の考え方や感覚、意識が地球に住む人間に降り注ぐようになります。
地球はすでにアセンションが進んでいます。人々は宇宙意識を持ち始めているのです。
世の中では「アセンションに乗る人と乗れない人で世界が分断される」と言われることがあります。
ただ、私は分断というより、高い波動が心地よく思える人と、そうでない人が分かれていると考えています。
神様や宇宙が選別しているという話ではありません。
「波動が合う人」と「合わない人」でそれぞれが世界やグループを作るようになってきています。
この記事ではその2つの違いについて説明していきます。
(上と下で分けて述べていますが、上が優れているということではありません)
あなたがどちらの世界・グループに属しているか、チェックしてみてください。
①感覚
上の世界のグループの感覚は「ただそこにいる」というものです。
それ以外には「大丈夫」「まあいっか」という感覚もあります。
下の世界のグループは「苦しい」「嫌悪」などの感覚を持っています。
「うまくいかない」「うまくいくわけない」という感覚もあります。
あなたは日々、どちらの感覚を強く抱いていますか?
もし、上の感覚を持っているとしたら、あなたは何か大きな存在、宇宙、エネルギーに身を任せているのです。アセンション後の地球の波動に合っていると言えます。
一般的にはどちらの感覚も持っていて、日によって行ったり来たりしている人が多いのではないでしょうか。
アセンション後の波動に合ってくれば、その比率がより上の方にシフトしていくでしょう。
上と下のグループで日常的に使う言葉は違います。
上で多いのは「ありがとう」「そうだよね」など感謝や共感を示す言葉をよく使います。
下は「あいつのせいで」「悔しい」など嫉妬、妬み、批判などを示す言葉が多いです。
あなたはどちらの言葉を多く使っていますか?
また周りの人が日常的に使っている言葉に注目してみてください。
それによってあなたがどのグループに属しているかがわかります。
上と下のグループで日常的に使う言葉は違います。
上で多いのは「ありがとう」「そうだよね」など感謝や共感を示す言葉をよく使います。
下は「あいつのせいで」「悔しい」など嫉妬、妬み、批判などを示す言葉が多いです。
あなたはどちらの言葉を多く使っていますか?
また周りの人が日常的に使っている言葉に注目してみてください。
それによってあなたがどのグループに属しているかがわかります。
上の世界の人がよく使うポーズは「ウェルカム」です。
手を広げて相手を招き入れるようなポーズです。
下の世界は「拒絶」です。両手をクロスさせて「近寄らないで」「触らないで」という意思を示します。
あなたや周りの人がどんなポーズをしているか、観察してみましょう。
無意識の体の動きに、所属する世界が表れています。
周りの人との関係も大きな違いがあります。
上の人たちは「同士」「仲間」と呼び合い、お互いをそういう目で見ています。
下の人たちは「上下関係」「上司部下」という力関係のもとでお互いを見ています。
あなたの勤務先や学校はどちらに近いですか?
上の人が住む世界は「共存共栄」「理解」「ワクワク」などの考え方を重視する世界です。
下は「不平不満」「不足」「争い」などが満ちています。
例えば、職場で争いごとが絶えない、悪いニュースばかり行き交っている、という状況であれば下の世界に近いと言えます。
実際は、職場では良いことも悪いことも両方起こっているはずです。
「悪いことが多い」と思うのであれば、あなたの目がその方向に向いているのかもしれません。
上と下の世界はあらゆる場所で分離しています。
会社、学校、家庭だけでなく、フェイスブックやツイッターなどインターネット上でも起こっています。
多くの人はその日その日の精神状況などによって、両方の世界を行き来しています。
もし、あなたが下の世界ばかりにいるとすれば、それは高い波動に慣れておらず、苦痛に感じているからです。
あなた自身の波動を上げていけば、自然と苦痛は取れます。
インナーチャイルド(幼少期の心の傷)を癒やすことが効果的です。
自分自身を愛せるようになり、高い波動でも居心地が良くなるでしょう。
このふたつの世界は分離しているというよりも、視点の違いにより、ネガティブ世界からは分離して見えているけれどもポジティブ世界からは共存しているように見えている状態になっています。
つまり、ネガティブ世界の住人はポジティブ世界の住人と共存できませんが、ポジティブ世界の住人はネガティブ世界の住人がそこに存在していることを受け入れているような構造をとっています。
バシャール×スドウゲンキ (2007年11月発刊)より
(バシャール)P29
ポジティブなエネルギーが増えていき、あるところで臨界量に到達します。そして2012年にはひとつの境界線を超えるでしょう。だからといって、2012年になれば地球上のすべての人類がポジティブになるわけではありません。
けれども2012年にはポジティブなエネルギーが充分パワフルなレベルに達するので、それ以降はポジティブなエネルギーによって、ポジティブな出来事がどんどん加速されていきます。
(バシャール)
二極化はどんどん高まっていきます。まず最初にネガティブなものごとを見る必要があるからです。表面に浮上してきたネガティブな現実を見ることができて初めて、みなさんは自分のたちの地球がどうなってほしいかを理解し、ポジティブな選択ができるのです。みなさんは自分の人生でどのようなエネルギーを表現したいのか、決断することができます。
しばらくの間は、ポジティブなエネルギーもネガティブなエネルギーも、両方経験できるでしょう。しかし近い将来、ポジティブなエネルギーの人々はポジティブな地球だけを、ネガティブなエネルギーの人々は、ネガティブな地球だけを見るようにシフトしていきます。
ポジティブな地球とネガティブな地球は、まるでパラレル・リアリティのようになり、その2つのリアリティを同時に見ることはできなくなります。ネガティブな地球とポジティブな地球を同時に体験することはできなくなるのです。
われわれが知覚するリアリティが分離するというということは、つまりこの同じ地球上に天国と地獄が生まれるということですか。人によって、同じ世界が地獄になる人もいれば、天国になる人もいるということですね。
(バシャール)
そうです、しかしこれは同じ地球を異なる角度から見ているのではなくて、文字どおり2つの異なった現実、2つの異なった地球になるのです。
(須藤)いわゆるパラレル・ワールドというわけですね。
(バシャール)そうです。パラレル・ワールドです。
パラレル・リアリティとしての地球は、量子力学のエヴァレット解釈(ヒュー・エヴァレットが1957年に発表した定式化)みたいに無限にあるということでしょうか。
(バシャール)
そうです。無限の数のパラレルな地球がすでに存在しています。パラレル・リアリティのすべてが、すでに「今、ここ」にあるのです。そしてあなたがどのリアリティを経験するかは、あなたの波動が決めています。
私たちがそのことをテレビの番組のようだと説明したことがあるのを思い出してください。同じ時間帯に様々な番組が放映されていますが、あなたが一度にみることのできる番組はひとつだけですね。地球上の大部分の人は、今はポジティブとネガティブの両方がある同じ番組を見ています。
けれども、遠からざる将来、ポジティブな番組だけを見る人々、ネガティブな番組だけを見る人々というように分かれます。両方の現実が共存していますが、それぞれのリアリティはお互いに他者を感じることはできません。ちょうど今現在もパラレル・リアリティは存在しているけれども、あなたの目にはそのリアリティが見えなくて、あなたのリアリティが、それ以外のパラレル・リアリティに住んでいる人に見えないのと同じことです。
でもすべてが「今、ここ」にあります。すべてのリアリティが「今、ここ」に重なって存在しているのです。ただ波動が違うので、ひとつのリアリティにあるときには、それ以外のリアリティを体験することがないのです。現在では量子力学者もこれが真実であると理解しています。わかりますか。~(中略)~
ちっとは
元気に
なったか〜、
こっちは、
ローラーギョーチュー学園軍団を
あぽーん機能で貫き遊ぶ
プレイをしている
彼等のレスを予測して
遊ぶプレイ
😄
六眼気分だ
予測だけなので
〜
ローラーちゃまの
よーな
心眼はありませんので
😄
花粉症の症状だろう
ここまで
沈黙JBLは
珍しい、
俺も毎年花粉症のくすりは
飲まないが
今年は
飲んでる
😄
https://youtu.be/fdlRf6aKpLY?si=Z-l9TvWoIXm-Gb4H
https://wks1.com/images/2024-02-09-031630.jpg
https://youtube.com/playlist?list=RDOnYp9zPUf_4&playnext=1&si=hNuV2SYvS2VULAL7
😄
携挙や千年王国のバリエーションだ
トーキョーは
空気が悪いから
花粉症ダメージ倍増するからな〜
😄
休日の
仏教研究祭りやった
今朝も
一つヒラメいた
😄
みたいな
キリスト教も
ご無沙汰だな
いつも
天台浄土教や
山伏あたりばかり
休日は
模索している
😄
ムイムイ居心地良さそーなので
レスは避ける
😄
キリスト教思想において終末にあたり,キリストが再臨して千年間統治するという観念。 ユダヤ教のメシア待望に源を持ち,初期キリスト教の時代に「ヨハネ黙示録」の記述と結びついて流布し,しばしば民衆の間で,現世のなかに至福の状態が実現するとして,その到来を熱狂的に主張する者が現れた。
青少年を手に入れるものは、未来を手に入れる―。あのヒトラー率いるナチ党は権力を握ると、千年王国をつくるために若者たちの教育に着手しました▼強じんな肉体とナチスへの奉仕と献身、そして「人種的優越」の確信。男子は祖国のために死をいとわない将来の兵士、女子は総統のためにたくさん子を産む将来の母へと徹底的に教育されました(『ナチ独裁下の子どもたち』)▼こうしたナチ的人間を育てた青少年組織が「ヒトラー・ユーゲント」でした。10歳から加入が義務付けられ、ナチズムによる偏見や差別がやわらかな心に植えつけられました。それは神の国、聖戦と信じ込まされ、戦争に駆り出された日本の若者にも共通しています▼公開中の「ジョジョ・ラビット」。アンネ・フランクを思わせるユダヤ人少女との交流によって、ヒトラー・ユーゲントの少年が悪夢から解き放されていく姿を描いています。喜劇仕立ての映画にしたマオリ系ユダヤ人の監督は、寛容について教えることはおとなの責任だと▼「2千年の長きにわたって一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」。またも暴言王、麻生副総理の口からナチスばりの妄言がとびだしました。万世一系の天皇の国、単一民族の国家を強調したものですが、そうした排外がいかに危ういか▼命を選別する優生思想によって障害者を殺りくした植松被告は裁判で正当性を主張し続けています。人びとに差別や憎悪を吹き込む世界に未来はない。歴史の証明です。
少し回復か
😄
ケンフォーセットゼミ
https://youtu.be/xjGUVpCHenA?si=auLUmuZkPCEQ5hUc
キリスト教を分かりにくくしている
とくにアメリカ合衆国だ
アメリカの影響が最も大きい
レス増えたな
😄
日本伝道隊、イエス・キリスト教団は
清め派だが
英国だ
バックストンだ
日本史では
明治史で
松江バンドという
集まりで
説明されている
出雲大社のお膝元で
布教してたということだな
(ルドルフ・シュタイナー 薔薇十字会の神智学)
😄
『公案ちゃなんの、そんなことに頓着せんがよい。この繊でよいのぢや。持法、今日の上でもう仏法は尽きてゐる』などと済まし込んでゐる宗旨が、どうかすると多いやうぢや。そんなものではない。この臨済の如く
命迄捨て>始めて分つた大道ぢや。黄檗のところで六十棒どやされたが、犬愚のところで始めてカラツと分つた。
それから足破夏の因縁といふものがある。後に又黄檗のところへ行って、叩き出されてしまうたが、そこで始めて真の境地を得たのぢや。ぢやから、親から生みつけられたその儘でよいなどと、今日済ましてゐる宗旨があるが、飛んでもない問題であるぞ。焼生下にして健ち会するものではない。(足利紫山[195
エディはニューハンプシャー州ボウに生まれた。生まれつき神経性など体の不調のため病弱であったことから様々な民間療法を経験したが、ニューソートの創始者であるフィニアス・クインビーの暗示療法を経験したことが、その後の彼女の宗教面に於いて影響を受けることになる。
その後、夫に先立たれるなどして不幸な出来事が続いた後、1866年に事故で負傷。その際、新約聖書に記されているイエスの癒やしの一つを考えるうちに回復に向かったということから、それに霊感を受けて彼女自身で聖書の研究会を立ち上げた。
そして1875年に『Science and Health with Key to the Scriptures』(『科学と健康─付聖書の鍵』)を著し、全ての病気の原因は心的なものであり、人間の病気の本質は心の中の虚偽とか幻想から起るとし、それを取り除くためには神とつながる霊的理解によらねばならぬと唱えた。
完全に、生長の家の教義の元ネタ
大聖師の教えは、クリスチャンサイエンスの受け売りだった
「病気は無い」
「病気は・・・」
千回唱えて、病気を治す
アメリカでは、世界規模で発行されている新聞クリスチャン・サイエンス・モニター紙がこの教会から源をもつことで知られている。
また、週刊/月刊で刊行物を発行しており、世界の各言語に翻訳されて発売されている。
日本では、表参道のユニオンチャーチ裏、京都地下鉄鞍馬口そばに教会があり、日曜礼拝、水曜礼拝が行われ、読書室がある。
聖書と健康と科学─付聖書の鍵(創始者の著書)を活動の指針としており、いわゆる牧師やシスターはいない。
実証(肉体的、心理的な癒やし)のない教えではない。(師イエスの言葉と業を記念するために・・・原始キリスト教と、その失われた癒やしの要素を復帰させる・・)
実証のために、実践士が世界各地にいる(クリスチャン・サイエンスの実践士は、祈りによる癒やしの仕事に全時間を捧げており、誰でもその助けを求めることができる)
クリスチャンサイエンスモニター紙が有名だ
マニアックなの
を攻めているなー
その関連は
5chでは
まちこ、
という
コテのヤツがハマっているよーだ
文章は
台風きませーん
といえば
台風はきませーん
😭
ネタで
まちこ
ネタで
一時めちゃんこ盛り上がっていた
モモンガ丼荒らし大本山荒らしが
くる以前
😄
とりかこんだバトルが
長期に渡って
行われていた
現存するこて
シャロン、サティ
消えたコテでは
ネクザ、サロメ
このあたりで
まちこネタの百年戦争みたいなノリで行われていた
😄
まちこ事情に
とても詳しいだろうな
😄
まちこは
リアルに
まちこがらみの
教会で
顔合わせ
激しい
5chバトルまで
発展したらしい
😫
んで、アメリカに渡って生長の家から繁栄の神学に鞍替えした
完全にニューソートの系譜の人だ
直接
対面したのは
ロンとムイムイ
まちことシャロン
ピッピの悪意で
シャロンの通う教会をバラして
幸福くんが
シャロンの教会に乗り込んだらしい
いまんところ
オフ会しちゃたパターンは
俺の知る範囲では、
あ、
俺側の推定で
とある場所で
俺はアンドーらしきヤツに出会った
場所は言わん、
風貌をアンドーに言ったら
ポジティブマッチやった
😄
キリストはサイキョーだから、キリストに願えば唯心所願だーーー!の
生長の家の上位互換としての繁栄の神学、みたいな受け取り方をしてる人だな
放出〜
ロゼが現場レスみているかもー幸福くん事件は
😄
ちょっとでも情報
出そうものなら
サティなら
簡単に場所特定できるやろなー
😄
😄
ナルミと
まちこの
名前採用となった
😄
Congregationes (ともに集まれるもの)に由来する語)
一六世紀イギリスに発した新教的キリスト教の一派の呼称。 組合派ともいう。 各教会は独自の原則に立ち相互の交わりを重んずるが、上からの支配を否定し、国家からの分離を主張する。 独立派。
16世紀初頭、ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革が行われ、その影響を受けてイングランドでも宗教改革が起こった。なかでも、イングランド国教会司祭ロバート・ブラウンらによる分離派改革運動は、後の会衆派教会へとつながる流れとなる。ブラウンらはエリザベス1世治下の英国国教会を宗教改革を徹底していないとして批判し、真の教会は自覚的に悔い改めてキリスト者の生活をなす人により構成されること、また教会は王権ではなく教会自身の手のみによって改革されなければならず、国家から独立していなければならないことを主張した(分離派)。分離派は国家に弾圧されて抵抗し、一部の人々は信仰の自由を求めて1620年にアメリカ大陸に渡った。彼らがピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々である。
また、イングランドに残った分離派は独立派と呼ばれ、1642年から1649年の清教徒革命(イングランド内戦)で、オリバー・クロムウェルを指導者として中心的な役割を果たすことになった。なお、イングランドにおける宗教改革期にピューリタンと呼ばれたのは、分離派(後の独立派、現在の会衆派)、長老派、バプテスト、クエーカーなどの人々である。
会衆派ってのは、ピルグリム・ファーザーズや清教徒革命を起こした連中なんだな
聖書によって改革され続けるという改革派の信仰は、ドイツ、フランス、オランダなどで広まったが、ジョン・ノックスによってスコットランドに伝えられ、この地で発展し、教会制度によって「長老派」(プレスビテリアンPresbyterian)を名乗るようになる。ノックスは『戒律の書(訓練、規律書)』で、長老制がジュネーヴからではなく、聖書から直接来たものであると明言している。
1567年にスコットランドの国教となり、その後にフリー・チャーチが分離した。大陸の改革派とイギリスの長老派はそれぞれ信仰告白を整備し、準拠する信仰告白によって呼び分けられるようになる。ピューリタン(清教徒)のうちトマス・カートライトはイングランド国教会の監督制を否定し、長老制を主張した。長老派のウェストミンスター信仰告白は1647年にスコットランド議会で採択され、1648年、イングランド議会でも採択された。ニュージーランドにおいては主流的存在である。
前にも出てたな、この話
それに対してカルヴァン派は、
大陸では改革派、英米では長老派と呼ばれる
なぜか、カルヴァン派とは呼ばれない
まったく〜
川崎薬師寺が
唯識
倶舎論の名動画が
あがってるのにー
オレは
いつ見るのかわからんが
川崎薬師寺の動画ファイルは
作って放り込んでいるが量が膨大だ
😫
唯識と倶舎論の
研究のプロが動画をあげているらしい
ほーかいくんの唯識の動画は親鸞会関連清森やしなー
😄
専用SDカードにファイル分けして
保存している
😄
インド仏教傾向にある
JBL向きの
動画だらけだ
しかも専門家、
牧村は唯識では
我流解釈で怪しいらしい
😄
唯識倶舎論動画
まだまだ落としきれとらん〜
一時間動画は
約15本残ってる〜
休日なのに
動画落とし
ひたすらー
😭
俺より論理的知能が高い
JBLが
川崎薬師寺の動画全制覇したならば
唯識倶舎論キングだ
😄
セレクトしても
100あった
😄
動画落とし修行か〜〜?
😭
今週は
キリスト教に霊的チャンネル合わせれる
ぐらいに元気だ
動画落としソフトが
一時高速だったのに
スローに戻った、怪しげだ
通話用スマホでは絶対に入れないソフト
😃
規制食らってる〜
😃
たぶんメインスマホだけだが〜
😃
落とし中〜
クルアーン日本語訳の朗読
3本あるなー
😃
https://m.youtube.com/watch?v=bQ2wlT0gmmo
クリシュナの
霊的世界観は
やはり
三論天台華厳真言密教あたりの
関連近似値を感じるなー
😃
如来蔵のよーで
如来蔵てはない
三論天台華厳真言密教は
明白に如来蔵思想扱いしやすいが
😃
三論天台華厳真言密教の正統派よりも
山伏と念仏の感覚に近いかー
😃
一番近いかもー
😃
霊的法則の
探求娯楽だ〜
明日からは
仏教に戻る
修行ヒラメキフラッシュを食らわぬ限り
霊的理性と
霊的法則の
研究をやるであろう〜
😄
新バージョンヒラメキからの
探求
今終了ー
😄
原曲は飽きたが
これは
いいなー
https://m.youtube.com/watch?v=Dqit8zP2KA4&list=LL&index=3&pp=gAQBiAQB
今のキリスト教の教義は初期のものとは別の物なんですよ
ちゃんと輪廻転生を教えないといけない
https://i.imgur.com/Y6a8Nki.jpeg
😫
https://talk.jp/boards/yume
主人格は 南都 なんとぉっ 麦なので、執着心とどこか生真面目に自己弁護する性癖が見えてくる。
岩場で云わば、深刻な ご病気で 孤立無援状況だから多数者を偽装する工作としてキャラ変し、鬼和尚、偽鬼和尚、雀鬼ジャンキー犬山、麦、幸、偽軍曹、ニセ和尚、エロ和尚と かくれみの、すなわち、その実体は異名同一人物( いみょう どういつ じんぶつ ) です。
服用薬(前期、後期、)
〇 ググる エピリファイ とは!?
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00060340
〇 ググる リスペリドン
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00058901
単語登録の件
しまったしまった 島倉千代子
マイッタマイッタ マイクル ジャクソン
困った困った こまどり姉妹
● アンダーウエアー編
凹 トランクス
▼ パンが2個
▽
~▼~ 紐パン
~▽~
~●-●~ ブラザーミシン サングラス 椰子の実タヒチアンダンスかっぷ
~●_●~
~●●~
~○-○~ ちちの ろうがんきょう
~○_○~
~○○~
~◎-◎~ ちちの 強度近眼鏡
~◎_◎~
~◎◎~
(
~▲-▲~ 父あての手紙
~▲_▲~
~▲▲~
~△-△~ ちちもよいしょよいしょしよーと、目の上へと持ち挙げる~♪
~△_△~
~△△~
( 注意喚起、棺桶に片足突っ込んだら ) 勃起不全にともなう射精不可は、加齢現象の一つであり、55歳を過ぎたあたりから、死亡者数が増加するにつれ、精子不要論が勃興し、大奥女中と同じく おしとね下がり、となる。
スレ主逃走の為、このスレは終了。
*****************
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偉大なる智慧の完成についての心髄の経
観自在菩薩が深遠なる智慧の完成を実践していたとき、もろもろの存在の五つの構成要素は、皆、固有の本性・実体を持たない「空」であると見極め、だからこそ、あらゆる苦しみと災いを克服した。
舎利子よ、形あるもの(色)は、空に異ならず、空は、形あるものと異ならないのである。形あるものは空であり、空は形あるものなのである。そして、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用もまた、同じく空なのである。
舎利子よ、あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。だからこそ、空であることには、形あるものは存在せず、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用も存在しない。眼・耳・鼻・舌・身体・心も存在しない。これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。また、老いて死ぬこともなければ、老いて死ぬことが尽きることもない。苦・集・滅・道という四諦もない。知ることもなければ得ることもない。
得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。
だからこそ知るべきである。般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなるさとりの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言なのである。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではないのである。
だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
訳文提供:菅原研州師
士師記はイスラエルの「暗黒時代」とも言うべきすさんだ時代を描いています。
ここでは、12人の士師のうち、有名な3名を選んで紹介しましょう。
唯一、女性の士師であり、神との関係が良好なすばらしい指導者だったと言えます。彼女はいつも、なつめやしの木の下に座っていて、民がそこに来てはいろいろと相談をし、適切なアドバイスを受けていました。
彼女が士師だった時代、イスラエルはカナンの王ヤビンからの圧迫に苦しんでいましたが、デボラは勝利を預言し、カナンの将軍シセラが、1人の女性の手によってあっさりと殺されてしまったことを機に、イスラエルはヤビンを絶ち滅ぼします。
「臆病な勇士」として有名な士師が、このギデオンです。
彼の時代、イスラエルはミディアン人に苦しめられており、ギデオンも、ミディアン人を恐れて酒ぶねの中に隠れて脱穀作業をしているときに御使い(天使)が現れました。
御使いに、「ミディアン人からイスラエル人を救え」と言われたギデオンは、自分の属する分団は一族の中で最も弱く、その中でも自分は最年少だと弱音を吐きます。
しかし神が、「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ」(同6・16)と励ますと、ギデオンは、神にそのしるしとして、超自然的な現象を起こして見せてくれるように求めます。神がそれに応じたので、ギデオンは意を決して立ち上がりました。
ギデオンは、その後、40年間イスラエルを治めました。イスラエルの民は、ギデオンを勇者としてたたえ、その息子たちが国を治めるように懇願しましたが、ギデオンは、自分は勇者ではないと言い、神に信頼するように説いて固辞しました。
サムソンは、まだ母の胎内にいるときに御使いが現れ、「生まれてくる子どもはイスラエルをペリシテ人の手から救う者になる。その子の髪の毛を切ってはならない。また、ぶどうの木からできる物はいっさい食べてはならない」という指示を与えます。
サムソンの両親はその言いつけを守り、サムソンは1度も髪の毛を切ったことがないまま成長し、やがて人並みはずれた怪力の男になりました。
秘密を聞き出そうとするデリラに対して、サムソンは最初はのらりくらりとでたらめを言ってかわしていましたが、しつこく毎日責め立てられることに疲れ果て、ついに、「生まれてから1度もそったことのない髪をそりおとしたら、自分の力は消えてしまう」と本当のことを話してしまうのです。
デリラはすかさず、サムソンが眠っている間にその髪の毛をそり落としてしまいました。そこに知らせを受けたペリシテ人たちがやってきて、怪力を失った彼を捕らえ、両目をえぐり出し、鎖をかけて牢につないでしまいました。
彼の最期について聖書では「サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった」(同16・30)と記しています。
Resurrection sunday ~ Hillsong
https://www.youtube.com/live/pO5hm3rdJWc?si=oOoiwz4y9MXiLlLm
こんな訳の判らない話が長い間、多くの人々の心の拠り所として広く受け入れられたなんて馬鹿げてるとは思わないのかね?
言葉の意味を微妙に変えて文として成り立ってない話を作るのは、要するに
よく判ってないから
ではないかな?
玄奘三蔵が砂漠で死にそうになった時に一心に唱えたのは、これがマントラだからでもこんな意味不明な文だからでもなく、
高邁な優れた思想だったからだと思うが。
つまり、殉じる価値のある概念だったからだと思うがね。
それを本を数冊読んだ程度で判るだろうなんて考えるゲス共が理解なんて絶体無理だよ。(笑)
(^。^)アホかと。(笑)
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19才 縄文時代の平均寿命は15歳最長30 15歳志学しがく
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張るプルプル肌 感触最良バスト 20老眼スタート20歳弱冠
25~29 ♀婚活29歳迄、脱水で細る顔ボソッ 25男の体のピーク 北朝鮮喜び組25歳解雇
30~34 30自立 ♂人生振り返り期、30♀婚活スクリーニング削除 動脈硬化始まる 未悟の新興宗教開祖乱立
35~39 ♀加齢青アザ、中年太りと滴る愛液枯渇と名器終了、膣粘膜薄→性交痛→膣レーザー治療
40~44 40不惑、初老 夜間頻尿 毛細血管ゴースト化 精子数減少 43老眼乱視、子宮硬化不妊
45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放 禿頭始
50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命 知命 アル中肝静脈瘤破裂前期
55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中肝静脈瘤破裂後期
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
聖霊とは
聖霊(せいれい、Holy Spirit)とは、キリスト教において「父なる神」「子なるイエス・キリスト」と共に、三位一体(さんみいったい)の神を構成する第3の位格(ペルソナ)です。骨肉を持たない霊的存在で、信者の心に宿り、神への信仰を強め、導きや慰めを与える「助け主」として働きます。
本質:神の息、あるいは風(ギリシャ語:プネウマ、ヘブライ語:ルーアハ)に例えられ、目には見えないが力強く働く神の愛と力そのものとされる。
役割と機能:
真理の啓示:人に真理を悟らせ、キリスト教の教えを理解させる。
慰めと導き:
人生の不安を取り除き、正しい道へ導く(「慰め主」「弁護者」)。
信仰の生成:イエス・キリストへの信仰を生み出し、強める。
聖めと賜物:信者を清め、信仰上の特別な力(恵み、賜物)を与える。
御霊(みたま)、聖なる御霊
神の霊、キリストの霊
慰め主(なぐさめぬし)、助け主
聖神(せいしん:日本正教会での呼称)
「父と子と聖霊のみ名によって」という祈りの言葉。
「聖霊に満たされる」「聖霊降臨(ペンテコステ)」。
「聖霊の実(愛、喜び、平和など)を豊かに結ぶ」。
キリスト教の伝統的な教義において、聖霊は単なるエネルギーではなく、知性と意志を持つ人格的な神として理解されています。
😀
唯一の神の異なる表れ: キリスト教では、神は「父」「子」「聖霊」の3つのペルソナ(人格、あり方)で構成されるとされています。それぞれが神であり、かつ3つで1つの神(唯一の神)であるというのが三位一体の教えです。
創造・救済・聖化の役割:
父: 万物の創造主であり、愛の根源です。
子(イエス): 父から遣わされ、十字架と復活を通じて人類の罪を贖う救い主です。
聖霊: イエスの復活・昇天後に人々の心に宿り、信仰を強め、神へと導く働き手です。
「キリスト教」で検索したらヒットした😆
1月20日ぐらいだったのか?
😀
聖霊を通じて
直接のイエス・キリストから
直接教わる
教団指導者よりも
霊的に導かれたものが
指導者であるべきだ感がありそうだ
😀
父と子と聖霊 聖霊とは 「聖霊」はどこから出てきたのか
聖霊(せいれい)は、
父なる神、子なるキリストと共にキリスト教の「三位一体」を構成する神の第3位格です。神の力や愛が地上で具体的に働く姿であり、特にイエスの復活後に弟子たちに降臨した「助け主(慰め主)」とされます。聖書において、旧約時代からの神の息吹が、新約で人格的な力として現れました。
「神の霊」「キリストの霊」: 神の本質そのものであり、キリストの愛を人々の心に届ける存在です。
「助け主(パラクレイトス)」: 私たちの側に立ち、弁護し、慰め、導いてくれる人格的な存在です。
信仰の源: 人々を信仰に導き、教会を誕生させ、信仰生活を力づける働きをします。
聖霊はキリスト教の起源から存在しますが、特に「聖霊降臨」のエピソードが決定的な意味を持ちます。
旧約時代から: 聖書では「神の霊」として、天地創造や預言者たちに宿る力として描写されています。
イエスの約束と降臨: イエスは自身の死後、父なる神から「助け主」が送られることを約束しました(ヨハネの福音書14:16)。イエスの死と復活、昇天を経て、ペンテコステ(聖霊降臨日)に弟子たちの上に聖霊が下りました。
父と子からの発出: キリスト教の伝統(特に西方教会)では、聖霊は「父と子」から発出する(出てくる)と定義されています。
つまり、聖霊は神の意志が地上で働く「力」であり、キリストの復活後に信者と共にいて、教会を導く存在として強調されるようになりました。
「聖霊」が具体的にどのような力として現代の信仰生活で認識されているか、さらに詳しくお知りになりたいですか?
😀
マタイのイエス・キリストの誕生前と、
天に登る時の言葉
そこの具体的説明にエチオピア聖書は
たくさんあるようだ
😀
説教と預言があるらしい
😀
確かに、イエス・キリストが復活したのに説教、言葉が既存の聖書が少なすぎる、
本来は一つの書簡にならんといかん、
アッサリ過ぎる
😀
それはリアリティがある
少ないのが不思議なくらいだ
😀
スマホのメモでいつでも読めるように
オモロイところをまとめた
エチオピアの文献に記された最も深遠な教えは、人間の魂の本質に関するものでした。ある一節でイエスはこう語っています。
「あなたの体はいわば神殿である。しかしあなたが頭で想像するような神殿ではない。これは比喩ではなく、神聖なものと物質的なものが出会う神聖な場所だという意味だ。あなたには三つの階層がある。肉体・魂・そして霊魂の三つだ。肉体は土から生まれ、土に還る。魂は感情と意志を宿しており、上昇したり下降したりする。そして霊魂はあなたの中にある神の息吹であり、永遠であり、不滅なる私の存在を示すものだ。」
そしてイエスはこう付け加えます。
「あなたの人生の使命は、これら三つの要素を調和させることである。肉体が魂に従い、魂が霊魂となり、霊魂が父なる神に安らぐ時、あなたは創造された本来の姿、すなわち神の生きる像となる。」
これらの写本は、ひとりひとりに宿る内なる自由、ひとりひとりに宿る内なる神、すなわちイエスの教えに出てくるひとりひとりの「内なる神殿」について語っています。それは神聖なるものに近づくためには特定の仲介者は必要ないことを教えています。このようなメッセージは、宗教の代行者としての権威と権力を拠り所とする教会にとって、破滅的なものでした。
2:不安定な神秘主義
エチオピアの写本には、精神的な葛藤、魂の旅、天使の出現といった抽象的なイメージが数多く描かれています。論理と秩序に浸透していたギリシャ・ローマにとって、これらは教会の神理を人々に教育することを妨げるものでした。あまりにも神秘的で、感情に響かせ、神に直接触れるという体験を人民ひとりひとりに推奨することに等しかったのです。
支配者たちの口から私の名が発せられるが、彼らは私を知らない。そんな暗黒の時代に、私の声は忘れられた場所から、山々から、砂漠から、沈黙の中で苦しむ人々の前に戻ってくる。真実は死なないからだ。わたしは種であり剣であり、そして戻ってくる。」
真のキリスト教は教会による宗教ではなく、人類の変革です。教義の集合体ではなく、人類の内なる部分に秘められた自由への旅なのです。
これらのエチオピアの写本は、従順ではなく勇気を求めるキリスト、説教ではなく真理を体現するために遣わされたキリストを描き出しています。「あなたの人生を説教としなさい」とイエスは言います。「愛を私の証とし、平和を私の証言としなさい。」と。
ありうる
エチオピア系統から
スーフィズムが出てきた可能性がある
西欧キリスト教と違い過ぎる
😀
確かに、その可能性は高い
使徒信条の否定の要素がある
聖なる公堂の教会、聖徒の交わり
教会の権威を無視するから
削除したとも
推察できる
😀
日本基督教団の
年上の信徒は
元内村鑑三の無教会主義で
使徒信条を嫌っていた
牧師に戦闘を挑んでいたが
エチオピア聖書の内容からすると
使徒信条の
聖なる公堂の教会、聖徒の交わり
長老派的な牧師の権威は
否定する
というスタンスは
大間違いではないだろう、
既存のプロテスタント信者には嫌われるだろうけどな、
😀
エチオピア聖書の話を語れるのは俺くらいだ、トーク五ちゃんねる合わせて
😀
大乗起信論、如来蔵に近い発想のようだ
😀
対峙は
マンガ本、ナウシカの
最終決戦の雰囲気がある
😀
エチオピア聖書は
一致するかもしれん
😀
門脇佳吉神父の霊的世界観がわかりやすくなってきた
😀
ある部分ではトマスの肯定的な結論の部分に関しては一致があるかもしれん
😀
エチオピア聖書の内容にはならないが
禅とイエズス会の融合は
エチオピア聖書に合致しそうである
😀
エチオピア聖書の動画
ほぼ門脇佳吉神父の世界観と
イコールだ
恐るべしエチオピア聖書
😀
雰囲気的には
真言密教を超ミラクル発想で
霊的世界を表現した内容がエチオピア聖書らしい
😀
後で見てみよう
イエス・キリストによって動かされる
みたいな
なかなかの霊的認識観が増えた、
門脇佳吉神父バージョンとしての
😀
よーわからなかったが
エチオピア聖書がヒントになりそうだ
😀
J-Stage
J-Stage
+1
この思想は、キリスト教の信仰と、禅仏教をはじめとする東洋の「道(どう)」の伝統を統合しようとする試みです。
1. 核心的な概念
門脇神父は、西洋的な「存在の形而上学」に対して、東洋の「道」の概念を基盤とした「道の形而上学」を構築しました。
J-Stage
J-Stage
+1
身体的実践の重視: 禅の修行(参禅)やイグナチオの『霊操』を通じ、頭文化的な理解ではなく、身体を伴う「行(ぎょう)」としての信仰を重視しました。
キリストとしての「道」: ヨハネ福音書の「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉を、単なる比喩ではなく、実在的な歩み(道行き)として捉え直しました。
コト的世界観: 西洋的な「モノ(実体)」の論理に対し、出来事や関係性を重視する「コト(事)」の論理、あるいは能動でも受動でもない「中動態」的な霊的次元を説きました。
J-Stage
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+4
2. 背景と影響
門脇神父は、自身も禅の師家に参禅し、キリスト者でありながら禅の修行を深めた人物です。
J-Stage
J-Stage
東西思想の対話: 西田幾多郎や道元、松尾芭蕉などの日本思想と、聖書学・カトリック神学を対照させ、日本人の精神風土に根ざした「日本的な普遍神学」を目指しました。
定義:神の啓示を論理的・系統的にまとめる学問分野。
単なる知識の蓄積ではなく、神、キリスト、教会、終末などの教理を論理的に統合し、体系的に研究・理解することを目的とします。
別名・類語:系統神学、神学大全、神学綱要。
構成要素:主に「教義学(教理)」、「倫理学(生活と行動)」、「弁証学(真理の明証)」の3つの分野から構成される。
具体的なテーマ:神、啓示、人間、キリスト、聖霊、救い、教会、天使・悪霊、終末など。
目的:聖書全体から特定のテーマに関する情報を収集し、論理的な全体像を築くこと。
アウグスティヌス『神の国』
トマス・アクィナス『神学大全』
ジャン・カルヴァン『キリスト教綱要』
「組織」とは教会の組織(組織図)のことではなく、教理を「体系的(Systematic)」に整理する取り組みを指すため、注意が必要です。
結論から言うと、現代ではほぼ同じ意味(同義語)として使われます。
しかし、歴史的な背景やニュアンスには細かな違いがあります。
視点:「教会の教え」に重きを置く。
内容:教会が公認した教理(ドグマ)を整理・解説する学問。
特徴:伝統や信条を大切にする、カトリックや伝統的プロテスタントで好まれる呼称。
視点:「論理的な体系」に重きを置く。
内容:聖書、哲学、科学、現代社会との対話など、広い視点から真理を体系化する。
特徴:教会の枠組みを超え、学問的な整合性を追求する、英米圏や自由主義神学で好まれる呼称。
教義学は「教会が何を信じているか」を重視。
組織神学は「神学をどう論理的に組み立てるか」を重視。
⚡️ワンポイント
かつては「教義学」が主流でしたが、19世紀以降、より論理的・学際的なアプローチとして「組織神学」という呼び名が広がりました。
もし興味があれば、以下の点についてもお話しできます:
カルヴァンやバルトなど、特定の神学者のスタイル
組織神学の具体的な項目(神論、人間論など)の解説
聖書神学(聖書そのものを研究する分野)との違い
知りたいトピックや神学者はいますか?
↑
このコメントは妥当と言えるか?
chatGPT:妥当性の評価
そのコメントは、「傾向としては概ね妥当だが、厳密には例外や重なりがある」と言えます。
歴史的な背景や学問的な力点の置き方を踏まえると、以下のような整理ができます。
カトリックの「教義学(Dogmatics)」:
カトリックでは、教会の「公的な教え(ドグマ)」や「聖伝(伝統)」、教皇・公会議の権威を非常に重視します。そのため、神学研究も「教会が何を真理と定めているか」を体系化する教義学という呼称が伝統的に馴染みます。
プロテスタントの「組織神学(Systematic Theology)」:
プロテスタントは「聖書のみ」を権威の基盤とします。特定の教会の教え(ドグマ)に縛られるよりも、聖書の教えを論理的・学問的に再構成する組織神学という枠組みが、特に近代以降の自由な研究スタイルに適していました。
プロテスタントでも「教義学」を使う:
20世紀最大のプロテスタント神学者の一人、カール・バルトの主著は『教会教義学(Church Dogmatics)』です。彼は「神学は教会のためのもの」と考え、あえてこの名称を選びました。
カトリックでも「組織神学」を使う:
現代のカトリック神学の教科書や大学の講座では、現代社会や哲学との対話を重視して「組織神学」という名称が使われることも一般的です。
言語圏による違い:
ドイツ語圏ではどちらも「教義学(Dogmatik)」、英語圏ではどちらも「組織神学(Systematic Theology)」と呼ぶ傾向が強く、教派よりも文化圏の慣習に影響される側面もあります。
「カトリック=教義学、プロテスタント=組織神学」という図式は、それぞれの教会の権威に対する考え方の違いをよく表しているため、理解を助けるための整理としては優秀です。
しかし、実際の学問の世界では「どちらの教派も両方の言葉を使い、現代ではほぼ同義語として扱われる」のが実情です
カトリックでは教義学
プロテスタントでは組織神学がメインとなる
カトリックの組織神学が語られるのは珍しい
個人的に、プロテスタントに馴染みがないため
何も考えず、このようにコメントしたが
似たようなものらしい😅
組織神学と言ってるんだな
「システマティック・テオロジー」
を日本語に直訳したもの
いろんな宗派を学んでいるが
イエズス会系のカトリックしか知らない
心の癖というものだ
どうしても、新興宗教に見えてしまう😅
同じ鎌倉仏教の浄土真宗と比べても、
なんか新興宗教っぽいイメージがあるな
長い歴史と伝統を誇る
刷り込まれたイメージは、なかなか消えるものではない
chatGPT:それはかなり多くの人が感じる印象ですね。
日蓮宗や日蓮系の諸宗派が「新興宗教っぽい」と見られやすいのには、いくつか理由があります。
彼は
「法華経こそ唯一の正法」
「他宗は誤りである」
とかなり断定的に主張しました。これは、浄土宗や曹洞宗のような比較的静かなイメージとはかなり違います。
この「唯一絶対の真理を掲げる」感じが、現代人には新宗教的に映りやすい。
単に自分が信じるだけでなく、相手にも改宗を勧める。これは伝統仏教の中ではかなり攻めたスタイルです。
特に近代以降、創価学会や立正佼成会など日蓮系の在家教団が大規模に布教したことで、「日蓮=新興宗教っぽい」という印象がさらに強まりました。
真言宗の真言や浄土真宗の念仏も似た構造ですが、日蓮宗はその一点集中が特に際立つ。
実際には鎌倉時代以来の伝統宗派
しかし、表現様式が非常にラディカル
なので、「古いのに新興宗教っぽい」という独特の印象になるわけです。
ある意味では、日蓮は鎌倉時代にすでに“近代的な宗教運動”を始めていた、とも言えます。
chatGPT:まさに同じ構造があります。
プロテスタントも、16世紀の宗教改革以来だから、もう500年の歴史があります。
十分に「伝統宗教」なのに、日本ではしばしば新興宗教っぽく見られる。
まず、基準になるのが強大な既成宗教
──カトリック教会です。
千年以上の歴史を持つカトリックと比べると、プロテスタントはどうしても「後から出てきた改革派」に見える。
これは、奈良仏教や天台・真言から見た日蓮宗に少し似ています。
「これこそ本来の教えだ」
「既存の権威は誤っている」
という構図は、日蓮の
「法華経こそ正法」
に近い印象を与えます。
駅前での伝道
個人への積極的な勧誘
小さな会堂
在家中心の運営
などが目につきやすく、寺院中心の伝統仏教と違って「運動体」に見えやすい。
特にマルティン・ルターやジャン・カルヴァンの改革精神は、ある意味かなり“革命的”です。
だから
歴史的には十分古い
しかし自己理解が「改革運動」である
ので、永遠に「新しいもの」という印象をまといやすい。
日蓮宗もプロテスタントも
「伝統を壊したのではなく、本来の正しさに戻ろうとした」
と自分たちは考えていることです。
外からは革命、内側からは復古。
ここが共通しています。
と
ハッスルはやる気出てるな、
ニコク堂とリダンには
もはやついていけぬ頂上決戦
😀
😀
https://m.youtube.com/watch?v=jhCePaTzMhs&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D
ロシア正教会とウクライナ正教会が
何年も戦争してるのが、つらいところだな~😫
チャットGPT:はい。
現在、ロシア正教会 と ウクライナ正教会 は、かなり深刻に対立しています。
ただし、「ウクライナ正教会」と呼ばれる組織が複数あるため、そこを整理すると分かりやすいです。
ウクライナには長く、
モスクワ(ロシア)系
ウクライナ独立派
の二つの流れがありました。
そして2019年、コンスタンティノープル総主教庁 が、ウクライナ独立派を正式な教会として承認し、現在の「ウクライナ正教会(OCU)」が成立します。
これに対してロシア正教会は、
「ウクライナ教会は本来、モスクワの管轄だ」
として激しく反発しました。
つまりこれは単なる宗教対立ではなく、
民族 identity
国家主権
帝国意識
歴史認識
まで絡んだ問題です。
ロシア正教会には、
「キエフ・ルーシがロシア文明の母体」
という強い歴史観があります。
中世のキエフ公国(現在のウクライナ)が、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ共通の起源だ、という考えですね。
だからロシア側からすると、
「ウクライナ教会がモスクワから独立する」
というのは、単なる組織分裂ではなく、
「ロシア世界(ルースキー・ミール)の解体」
に見える。
ここが非常に大きい。
ロシアによるウクライナ侵攻 以降、この対立は宗教戦争レベルにまで激化しました。
ウクライナ側では、
「モスクワ総主教への祈り」をやめる
ロシア系聖職者を排除する
修道院の管理権をめぐる争い
などが起きています。
特に有名なのが、キーウ・ペチェールシク大修道院 をめぐる問題です。
ここは東スラヴ正教の聖地級の場所で、ロシア側・ウクライナ側双方にとって象徴的意味が極めて大きい。
実は「モスクワ系ウクライナ正教会」も、戦争後にはロシアから距離を取り始めています。
つまり現在のウクライナには大きく言うと、
独立派(OCU)
旧モスクワ系だがロシアと距離を置く教会
が並立している状態です。
なので、
「ロシア正教会 vs ウクライナ正教会」
と言っても、実際には
教会法
民族主義
地政学
帝国史
東スラヴ文明論
が全部絡み合った巨大問題なんですね。
ある意味では、
「ソ連崩壊後も続いていた“ロシア世界”の精神的分裂」
とも言える話です。
俺は2年後以降、礼拝いくかもしれん
😀
中心になるのは、日本ハリストス正教会 です。
特に有名なのが、東京・神田にある
東京復活大聖堂(ニコライ堂)
ですね。
ニコライ・カサートキン(日本では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる)が、19世紀に日本へ正教を伝えました。
彼はロシア帝国から派遣された宣教師でしたが、かなり日本文化への理解が深かったことで知られています。
その流れで建てられたのがニコライ堂です。
歴史的にはロシア正教会系です。
ただ現在は、
日本独自の自治教会
「日本ハリストス正教会」
という形になっています。
教会組織としては、完全にモスクワの支部というわけではありません。
とはいえ、歴史的・典礼的にはロシア正教の影響が非常に強いです。
代表的なのは、
生神女福音聖堂(京都)
大阪ハリストス正教会
ですね。
京都の生神女福音聖堂は、京都らしい静かな住宅地にあり、かなり落ち着いた雰囲気です。
外観は日本の町並みに溶け込んでいるのに、中へ入ると、
イコン
燭台
香
聖歌
によって、一気に東方キリスト教世界の空気になる。
禅寺ともカトリック聖堂とも違う、独特の「静かな荘厳さ」があります。
大阪にも教会共同体があります。
関西の正教会は、東京ほど大規模ではありませんが、
ロシア系
ギリシャ系
ルーマニア系
ウクライナ系
など、海外出身信徒とのつながりもあります。
なので、典礼に行くと、多言語が飛び交うこともあります。
少し面白いのは、関西には昔から
修験道
真言密教
浄土信仰
の土壌が強いので、
正教会の
聖像崇敬
香
詠唱
身体性
神秘主義
に、どこか親近感を持つ人もいることです。
特に、
「理屈より、典礼空間そのものに浸る」
という感覚は、日本の山岳宗教や密教文化と、妙に響き合うところがあります。
ニコライ堂ほど有名ではないですが、関西の正教会も、かなり味わい深いですよ。
まーJBLがAI井上義衍行使したから
効果テキメンで
ビギナー🤡キャンペーンしだした
ササルワードらしい
😀
チャットGPT:そうですね。
日本の正教会といえば、やはりまず思い浮かぶのが
東京復活大聖堂(ニコライ堂)
です。
規模・歴史・象徴性のどれを取っても、日本正教会の“総本山”的存在ですね。
がスルーし難い
緊急事態らしい
😅
御茶ノ水の高台に、巨大なビザンツ風ドームが突然現れるので、かなりインパクトがあります。
周囲は、
神田
御茶ノ水
秋葉原
という、近代東京のど真ん中なのに、
ニコライ堂だけ空気が
「19世紀ロシア帝国+東ローマ帝国」
なんです。
あの緑色のドームと鐘楼は、東京の寺社とも西洋教会とも違う独特さがあります。
建てたのは、ニコライ・カサートキン。
明治日本に正教を根付かせた人物ですね。
しかも当時、日本にあれだけ本格的な東方教会建築を建てるのは、かなり巨大プロジェクトでした。
関東大震災で被害を受けましたが、その後再建されています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/2019_Tokyo_Resurrection_Cathedral_02.jpg/1280px-2019_Tokyo_Resurrection_Cathedral_02.jpg
中心になったんだな?
😀
正教会は、カトリックみたいに「説教中心」ではなく、
聖歌
香
イコン
光
儀礼動作
で、“天上界を現前させる”感覚が強い。
だからニコライ堂に入ると、
「説明」ではなく、「空間そのもの」で宗教体験させる
という感じがあります。
これは、日本の密教寺院や修験道の護摩法要にも少し通じるところがありますね。
https://nikolaido.org/wp-content/uploads/2026/04/1_DSC09197s-1536x1076.jpg
ニコライ・カサートキンが東京に建てたんだな😆
😀
関東がセンターだな
😀
かもしれない
明治大学は高層ビルになってしまったが
バプテストは福岡だが😆
製ウンコ師が禅師たちについて書いていた内容は
「ネットの風説レベル」と、チャットGPTに酷評されていた😫
マジ邪道
まことしやかに
ラピスのキリスト教みたいな
😫
上から目線だからなー
しかも具体性がなく
手前勝手にハッスル
まるでラピスのキリスト教へのスタンスみたいな
😫
😫
すぐヤメたとか言ってた😫
ラピスのように
ソロでオリジナル禅を
思いついて
決死に探求しているのかもしれんな
西欧哲学を混ぜた革新的な真理を
😫
どこにも所属してないらしい
組織で浮かばれなかった夢を
ソロて夢実現〜
誰かが追従してくれることを信じて
ひたすら〜
😭
西欧哲学を混ぜて語ろうものなら
鼻で笑われるだろう
😫
年一回付き合いあるのは
1名のみだな
😀
ローマ・カトリックとも、プロテスタントともかなり雰囲気が違う。
代表例としては、ギリシャ正教会、ロシア正教会、日本ハリストス正教会など。
1. 「古代教会の伝統」を非常に重視する
正教会は、
「使徒時代から受け継がれた信仰と典礼を、そのまま保持している」
という自己理解が強い。
そのため、
古代の典礼
聖歌
修道制
イコン(聖像)
教父思想
を非常に大事にする。
西欧キリスト教のような 「合理化・制度化・改革」 よりも、
神秘の継承
に重点がある。
この点、雰囲気としては仏教の伝統宗派に近い部分もある。
正教会といえばイコン。
イコンは単なる宗教画ではなく、
「天上世界への窓」
と考えられる。
そのため、 信徒はイコンに接吻したり、灯火を捧げたりする。
偶像崇拝とは違い、
イコンを通して、その背後の聖なる存在に向かう
という理解だ。
正教会の典礼は、
香(乳香)
聖歌
ろうそく
黄金色の祭具
長時間の祈祷
などを用い、かなり感覚的・神秘的。
特にビザンティン聖歌は独特で、
「祈りそのものを音楽化した」ような雰囲気がある。
西欧カトリックが「法・制度・神学」の方向へ発展したのに対し、正教会は
礼拝そのものによって神秘に参与する
感覚が強い。
これはかなり重要。
正教会では、人間の救いを
「神に似たものへ変容していくこと」
として理解する。
これを「神化(テオーシス)」という。
アタナシオスの有名な言葉:
「神が人となったのは、人が神となるためである」
もちろん、 「人間が創造主そのものになる」という意味ではない。
神の生命や光に参与する、という意味。
この感覚は、西欧の 「罪の赦し中心」の救済観よりも、 むしろ東洋宗教の修行観に近く感じる人もいる。
ここが、カトリック教会との最大の違い。
正教会では、
ローマ司教(教皇)は「名誉上の第一人者」 ではあっても、
全教会を支配する絶対君主ではない
と考える。
だから正教会は、 ローマ教皇中心のピラミッド型ではなく、
各地域教会の連合体
という性格が強い。
正教会では修道院の権威が大きい。
特に有名なのが、ギリシャのアトス山。
ここでは千年以上、 祈りと禁欲の伝統が継続している。
正教会は全体として、
修行
祈り
静寂
観想
をかなり重視する宗教文化なんだ。
もちろん神学は高度だが、
西欧スコラ哲学のように 「理性で体系化する」 方向には行きすぎなかった。
だから正教会では、
「神を理解する」 より
「神秘に参与する」
ほうが重要視されやすい。
このため、 西欧キリスト教よりも、
神秘主義
典礼
修行
観想
が前面に出やすい。
西方 → カトリック
東方 → 正教会
へ大きく分かれた。
その後の西欧は、
教皇権
スコラ哲学
宗教改革
近代化
へ進んだのに対し、
正教会側は、 古代的・典礼的・神秘主義的な性格を比較的強く保ったんだ。
少なくとも、外から見た印象としては、
カトリック教会 → 「普遍的制度宗教」
東方正教会 → 「神秘と典礼の宗教」
という違いを感じる人は多い。
ただ、これは「カトリックに神秘主義がない」という意味ではない。
カトリックにも、
アッシジのフランチェスコ
アビラのテレサ
十字架のヨハネ
みたいな強烈な神秘家がいる。
むしろ西欧神秘主義は非常に深い。
ただしカトリック全体としては、
教会法
神学体系
教皇制
宣教組織
世界統治的構造
が発達したので、
神秘主義だけでなく、「制度」と「理性」が巨大化した
という特徴がある。
イコン
聖歌
沈黙
観想
修道制
神秘的典礼
が宗教生活の中心に近い。
特に有名なのが「ヘシュカズム(静寂主義的祈り)」。
これは、
「主イエス・キリストよ、我を憐れみたまえ」
という短い祈り(イエスの祈り)を繰り返しながら、 呼吸や心を静め、 神の光に参与していく修行。
かなり東洋的に見える。
神を概念で把握することはできない
という「否定神学(アポファティック神学)」も強い。
つまり、
神とは「これである」 と定義するより、
神は人間の理解を超える
という方向。
ここも、かなり神秘主義的。
大学
論理学
スコラ哲学
が発達した。
たとえばトマス・アクィナスは、
理性によって信仰を体系化する
方向へ進んだ。
修道院
典礼
祈り
神秘体験
がより中心に残った。
だから雰囲気としては、
カトリック → 「ローマ帝国+哲学」
正教会 → 「ビザンツ神秘主義」
みたいな違いがある。
1054年の教会大分裂の前は、ローマとコンスタンティノープルのどちらが中心だったか?
実は「宗教的中心」と「政治的中心」がズレていた。
結論を先に言うと――
宗教的権威としては、ローマが最古・最高格だった
しかし実際の政治力・文化力では、コンスタンティノープルが圧倒的だった
という二重構造だった。
ローマは、
ペトロ
パウロ
が殉教した都市とされる。
そのため、
「使徒ペトロの後継者としてのローマ司教」
という権威が非常に重かった。
古代教会では、ローマ教会は
「第一の座(primus)」
として尊重されていた。
つまり、
古さ
使徒伝承
名誉
ではローマが別格。
4世紀に、 コンスタンティヌス1世が新首都 コンスタンティノープルを建設した。
コンスタンティノープル遷都以後、
皇帝
官僚
軍
経済
学問
の中心は東方へ移る。
特に西ローマ帝国滅亡(476年)後は、
「実際に文明世界を支えていたのは東ローマ帝国」
だった。
豊か
強い
知的
都市文明的
だったのはコンスタンティノープル側。
宗教会議でも東方優位
古代の重要な神学論争――
ニカイア公会議
カルケドン公会議
なども、ほぼ東方世界で行われた。
神学の中心人物も、
アタナシオス
バシレイオス
ナジアンゾスのグレゴリオス
など、東方系が非常に多い。
実際、キリスト教神学の基礎はかなり東方で形成された。
ローマ側は、
「ペトロの後継者だから」
という理屈を強めていった。
一方、コンスタンティノープル側は、
「ローマは名誉上の第一人者ではある。しかし他教会の君主ではない」
と考えた。
ここが後の決定的対立になる。
ある意味、
「古い宗教首都ローマ」と「新しい帝国首都コンスタンティノープル」
の緊張関係だった。
さらに言うと、
この対立は単なる神学論争ではなく、
ラテン語文化(西方) vs
ギリシャ語文化(東方)
の文明衝突でもあった。
西方は、
法律
組織
制度
を重視しやすく、
東方は、
神秘
哲学
典礼
を重視しやすかった。
その違いが、長い時間をかけて積み重なり、 最終的に 東西教会分裂へ至ったんだ。
長年の対立が、1054年の相互破門で象徴的に決裂した
という理解のほうが正確なんだ。
当時、
西方のレオ9世側と、
東方のミカエル1世ケルラリオス側が激しく対立していた。
そこで教皇側の使節団が アヤソフィアへ乗り込み、
祭壇の上に
「コンスタンティノープル総主教を破門する文書」
を置いた。
すると東方側も、
「教皇使節団を破門」
した。
これが1054年事件。
ここが重要。
当時はまだ、
「また関係修復できるだろう」
くらいの感覚もあったらしい。
実際、中世には何度か和解交渉も行われている。
だから歴史学的には、
1054年は
「象徴的な決裂点」
なんだ。
むしろ東西関係を修復不能にしたのは、
第四回十字軍によるコンスタンティノープル占領。
本来イスラム勢力と戦うはずの十字軍が、
なんとキリスト教都市コンスタンティノープルを略奪した。
東方キリスト教徒からすると、
「西方は、同じキリスト教徒を襲った」
という巨大なトラウマになった。
これで感情的断絶が決定的になった。
代表的なのは3つ。
1. 教皇権問題
最大の争点。
ローマ側:
「教皇は全教会の最高権威」
東方側:
「教皇は名誉上の第一人者にすぎない」
ここが根本衝突。
やや専門的だが有名。
西方教会は、 ニカイア信条の
「聖霊は父と子から発する(Filioque)」
という文言を追加した。
東方は、
「勝手に信条を変更するな」
と反発。
神学問題でもあり、 「誰に決定権があるのか」という権威問題でもあった。
かなり大きい。
単なる教義論争ではなく、
「ローマ文明」と「ビザンツ文明」
の分裂でもあった。
だから「1054年の東西分裂」とは、
厳密には、
長期的な文明的亀裂が、相互破門という形で表面化した象徴的事件
ということなんだ。
東西南北が統一されてたんだったな
コンスタンティヌス大帝が、コンスタンティノープルに遷都した
文明が進んでいたのだ
やがて、帝国の中心はローマからギリシャに移ってしまった
😀
何事もまず歴史から入る
まずは競馬の歴史から入った
は
相当なハイレベル
なにせ、山伏念仏神仏習合を研究オタクなので
やたら詳しい
まだまだ探求だ
😀
大方は山伏念仏神仏習合だけ
😀
ハッスル🤡は話にならんと
解っていた
😀
胡散臭い自称禅というわれるを
ボコボコしていた
支店長というコテと
ロンは
曹洞宗なのでノータッチだった
😀
メンタルタフになってきたな?
スレが存続している
😀
確かにな
そこに目を付けてる人は少ない😅
ハッスル軍団の結束が、以前ほどでないのもある
2014年あたりに本気で
山伏念仏神仏日蓮あたりの無料論文をおとしているからなー
😀
ファイル分けまでしている
唯識もある、中論もある、三論宗もある
チベット密教、真言密教も、覚鑁もあるけど
多すぎて読み切れていない
山伏念仏神仏習合日蓮は
かなり読んだほうだ
😀
明治以降は醍醐寺だが、
それ以前は謎だ
😀
粉河寺(和歌山県紀の川市)西国三十三所観音霊場の第三番札所であり、当山派の有力寺院として多くの修験者や巡礼者を集めていました。根来寺(和歌山県岩出市)新義真言宗の総本山であり、中世には強力な僧兵集団や修験のネットワークを持ち大いに栄えました。金剛山 転法輪寺(大阪府・奈良県境)葛城修験の霊峰・金剛山頂に位置し、修験道の七高山の一つとして全国の山伏の修行場となっていました。
大峯山 龍泉寺(奈良県天川村)大峯山の登山口である洞川(どろがわ)に位置し、当山派総本山・醍醐寺の大本山かつ、大峯山寺の護持院として山伏たちの修行を支えました。
なるほどー
粉河寺は今や山門派天台宗からの独立さた形になってる
😀
三つともコンプしてる
粉河寺は三井寺系統ぽい気がしたが、
高野山系統当山派ぽかったのかー
今、謎が解けた
😀
大峯・吉野地域の中心寺院大峰山寺(奈良県吉野郡天川村)修験道の最重要聖地である大峯山上ヶ岳に位置する修験道の中心道場です。本山派の僧侶や修験者たちが厳格な修行を行いました。
喜蔵院(奈良県吉野郡吉野町)吉野山にあり、本山派の「峰入り(山中修行)」の重要な拠点となった大峰山寺の護持院の一つです。熊野・葛城地域の結節点今熊野観音寺(京都府京都市)西国三十三所観音霊場の一つであり、熊野信仰を介して三井寺派と非常に深い関係を持ち、京都における本山派の重要な拠点でした。金剛山転法輪寺(奈良県御所市/大阪府南河内郡)葛城修験の霊峰・金剛山にあり、役行者が開いたとされる修行の地として本山派の僧たちが活動していました。
これも知らなかった
院政がらみだからそうだが
現在は真言宗泉涌寺派の管轄だ
😀
これも知らなかった
現在は醍醐派だ
😀
本山派、当山派のグループ的な修験道探求には意欲が薄かった、
関西で歴史が宗派として古い方(平安〜鎌倉)でない、
修験道宗派の探求に偏っていた
天海血筋の金峯山修験本宗
や
真言宗犬鳴山派の修験道とか
マイナー本山のほうが好みだった
😀
や
真言宗犬鳴山派の修験道
は割合何度でも行きたい事好みの寺だ
高野山よりも何度も行きたい濃度が高いかもしれん😀
臨済宗系統山伏もかなり影響与えていたという、今の霊気から想像できぬ歴史がある
朝熊山やら金剛三昧院とかの関連があるのかもしれない
😀
犬鳴山周辺の葛城山系の修験道はメインは三井寺系統らしい
😀
😀
根来寺と聖護院(本山修験宗の総本山)は、ともに修験道の一大拠点であった「葛城修験」を通じて深い歴史的つながりを持っています。根来寺の山内には役行者を祀る「行者堂(重要文化財)」があり、この行場は聖護院の山伏組織である「本山派」によって統括・編成されていました。関係性の詳細葛城修験の聖地:和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山・根来寺は、かつて修験道の行者(山伏)たちの強力な拠点でもありました。
聖護院による組織化:京都の聖護院は、中世において根来寺の僧侶や山伏を自らの修験道組織に組み込んでいました。重要な儀式:根来寺周辺(紀の川市など)の行場は、聖護院から派遣された修験者たちによって「葛城灌頂」という重要な秘法が執り行われる中心地の一つでした。このように、根来寺は密教の寺院としての機能だけでなく、本山修験宗の総本山である聖護院の強い影響下にある山伏たちのネットワーク(本山派)と密接に結びついていました。現在でも両寺院は、「日本遺産」に認定された葛城修験の構成文化財として重要な位置を占めています。
サイコメトリーマジメにやらなかった
あれは
三井寺系統だったのかー?
気づかなかった、
謎の山伏関連やなー、で素通り
金堂や大塔と覚鑁御廟をメインなしてたからー
AIもない時代だったしなー
AI検索様々だなー
😀
過去は聖護院と臨済宗山伏だったのかー
現在の雰囲気は真言宗僧侶が戦後山伏寺院を構築したので
聖護院系統の
禅定感とは異なる
😀
臨済宗山伏と聖護院の線を理解した
😀
真言宗系統当山派山伏と
聖護院三井寺系統山伏の
混合拠点だったとは
予測外だ
😀
僧兵集団との融合:根来寺はその後、強力な武装集団(僧兵)を抱えるまでに発展しましたが、その強大な軍事力・組織力の背景には、山岳地帯に精通し諸国を巡る山伏たちの存在も大きく関わっていました。行者堂の存在:根来寺の境内にある「行者堂(重要文化財)」は、修験道の開祖・役行者を本尊として祀り、修法の道場として歴史を伝えています。
根来寺が聖護院と深い関係あっても不思議ではない
明治政府の山伏弾圧によって山伏宗派の痕跡側消えてしまっているからなー
😀
根来寺に春日社もあるから
春日社は高野山では山伏階級だから
根来寺と高野山の山伏との関係も自動的に濃いだろなー
高野山の山伏資格は根来寺のある葛城山修験と大峯修験をやったら資格を与えられたらしいからー
😀
本来は
真言宗系統は一部
比叡山関連は
徳川家で比叡山末修験の改宗霊場が多い
出羽三山、吉野など
😀
7月にはいるまで
キリスト教研究に励もう
😀
あと半時間もしないうちに
活動する
買い物に行くか
😀
「全的堕落」(トータル・ディプラヴィティ)
が、ホットなテーマだ😆
どうしようもなくなった😫
次はセブンズーデーだな
😀
https://www.youtube.com/watch?v=HTWkSzADfhY
AI検索をやった
😀
アメリカの無宗派・独立系メガチャーチの信仰 教え +2
アメリカの無宗派・独立系(ノン・デノミナショナル)メガチャーチは、伝統的な教理よりも聖書の根本的な教えや現代的な実践を重視します。個人の救いと現世での成功・幸福を強調し、参加型のライブ礼拝と充実したコミュニティ活動を提供しているのが特徴です。主な信仰と教えの核聖書中心主義と福音主義(ボーン・アゲイン): 聖書は神の言葉であり誤りがないとする立場をとります。「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れることで、人は新しく生まれ変わる(ボーン・アゲイン)」という回心を重視します。繁栄の神学(プロスペリティ・ゴスペル): 信仰の強さが現世での健康や金銭的な豊かさ、キャリアの成功に直結するという教えが色濃い傾向があります。無宗派である理由: 既存の教派(バプテスト、メソジストなど)特有の厳格な伝統や歴史的対立を取り払い、より多くの人にキリスト教の教えを届けることを目的としています。特徴的な活動と運営スタイルライブ形式の礼拝: ロックやポップス調の賛美歌、バンド演奏、映像や照明を駆使したエンターテインメント性の高い演出を行います。カリスマ的牧師: 話術に長けたカリスマ的な牧師による、現代社会の悩みやビジネス、人間関係に直接寄り添った実践的な説教が中心です。ライフスタイル・コミュニティ: 巨大な施設内にカフェや書店、フィットネスジム、託児所などを備え、教会を一つの「生活拠点」として機能させています。年齢や関心事ごとの小グループ(スモールグループ)活動が非常に活発です。代表的なメガチャーチの例として、リック・ウォーレン牧師によって設立されたカリフォルニア州の「サドルバック・チャーチ」や、テキサス州のジョエル・オースティン牧師が率いる「レイクウッド・チャーチ」などが挙げられます。こうした教会は全米、そして世界中に影響力を持っています。
トランプ支持のバックグラウンドを
😀
アメリカの福音派のキリスト教共同体意識は +5 アメリカの福音派におけるキリスト教共同体意識は、「個人の回心(新生)」と「聖書の絶対的な権威」を土台とし、信者同士の強い連帯と社会的価値観の共有によって形作られています。彼らは全米人口の約4分の1を占める最大の宗教グループです。主な特徴は以下の通りです:個人の信仰体験と伝道: 聖書の教えを重視し、自らが「神と個人的な関係を結んだ」という回心体験を何よりも重視します。この救済の喜びを他者に伝えることが共同体の大きな使命となります。強力な信者ネットワーク: 日曜礼拝だけでなく、聖書研究会や小グループ(スモールグループ)での活動が盛んで、生活のあらゆる面で強い相互扶助と連帯感を生み出しています。道徳的価値観の共有: 伝統的な家族観や生命倫理(中絶反対など)を重んじ、世俗化する現代文化に対する強い危機感を共有しています。この結束力が、政治的な保守連合としての基盤にもなっています。
アメリカの福音派の主流のようだ
😅
1. 穏健な法学派(マズハブ)スンニ派の日常的な実践と法解釈の基盤となる4つの主要な法学派です。
2. ハナフィー学派:トルコ、中央アジア、南アジアに多く、最も寛容で合理的な法解釈で知られます。
3. シャーフィイー学派:東南アジア(インドネシアやマレーシアなど)やエジプトを中心に広がっています。マーリク学派:北アフリカや西アフリカで広く信仰されています。
4. ハンバル学派:サウジアラビアなどの厳格な法解釈の基盤となっています。
二つらしい
トルコ系統と
その周辺系統らしい
4つの内の二つがメインらしい
😀
アメリカの超エゴイスト社会のオアシスらしい
😅
Gemini との会話
Q.イスラム法学とは何か?
A.イスラム法学(フィクフ / Fiqh)とは、一言でいうと「聖典の言葉から、人間が守るべき具体的なルールを導き出す学問」のことです。
イスラム教には、神の法である「シャリーア」がありますが、聖典にすべての細かいルールが書いてあるわけではありません。そこで法学者たちが頭を悩ませ、「これはどういう意味か?」「現代のこの問題にはどう当てはめるべきか?」と研究するプロセスや、その結果まとまった法律体系のことを「イスラム法学(フィクフ)」と呼びます。
イスラム法学では、新しい問題やルールを決める際、主に次の4つのソース(根源)を順番にたどって結論を導き出します。
1. クルアーン(コーラン) イスラム教の最高聖典。神の言葉そのもの。
2. ハディース(預言者の伝承) 預言者ムハンマドの言動や行動の記録。クルアーンを補足する具体的なお手本になります。
3. イジュマー(合意) ある時代の法学者たちの意見が一致すること。「みんなが正しいと認めたことは間違っていない」という考え方です。
4. キヤース(類推適用) 聖典に直接書いていない新しい問題を、似たような古いケースと比べて推量すること(例:「クルアーンでワインが禁止されている。ならば、脳を麻痺させる麻薬も同じ理由で禁止である」と判断する)。
混同されやすいですが、明確な違いがあります。
シャリーア(神の法): 神が定めた完璧で不変の理想。
フィクフ(法学): 人間(法学者)がシャリーアを理解しようと努力して作った、現実の法律マニュアル。時代や地域によって解釈が変わり得るもの。
福音派グループ内の助け合いをするから、
福音派グループの外のリベラル連中には
助け合いがないエゴイスト地獄があるよーだ
まー
トランプも巧妙な戦略家だ
福音派グループに対するという意味での
😅
イスラム社会では、法律家が宗教指導者なんだな
この二つの学派が主流らしい
2. ハナフィー学派:トルコ、中央アジア、南アジアに多く、最も寛容で合理的な法解釈で知られます。
3. シャーフィイー学派:東南アジア(インドネシアやマレーシアなど)やエジプトを中心に広がっている
キリスト教の「神父さん」や仏教の「お坊さん」のような、儀式を執り行う「聖職者」は、イスラム教(特にスンニ派)には基本的に存在しません。その代わりに社会を引っ張るのが、これまでに見てきたイスラム法をマスターした法律家たち、通称「ウラマー(知識人・法学者)」です。
なぜ法律家が宗教指導者になるのか、その理由と彼らの役割を少し整理してみると、イスラム社会の見え方がガラリと変わります。
イスラム教において、神への信仰を示すということは、「神が定めたルール(シャリーア)通りに生きる」ことそのものを意味します。
つまり、「どうすれば正しい信者になれるか?」という宗教的な疑問は、すべて「どんな法律(ルール)を守ればいいか?」という法的質問に直結します。そのため、聖典を深く読み解き、ルールを教えてくれる法律家(ウラマー)こそが、人々にとって最も頼りになる精神的・宗教的なリーダーになるのです。
インドネシアの労働者も増えているもんなー
😀
彼らウラマーの中でも、特に社会で重要な役割を果たすのが次の2つのポジションです。
1. カードィ(裁判官)
国家から任命され、実際の裁判で白黒つける人たちです。結婚、離婚、遺産相続、ビジネスのトラブルなど、市民の日常的なもめ事をイスラム法に基づいて裁きます。
2. ムフティー(法解釈のアドバイザー)
人々や裁判官からの「こういう場合、イスラム法的にはどうですか?」という質問に対し、「ファトワー」と呼ばれる法的見解(アドバイス)を出す人たちです。
現代のファトワーの例: 「宇宙ステーションにいる宇宙飛行士は、どっちを向いてお礼拝すればいいですか?」 「人工肉(培養肉)はハラール(合法)ですか?」 こうした最先端の疑問に答えるのも、現代のムフティー(法律家)たちの仕事です。
最後の審判は
信仰の善行と悪行の
秤で
ジャッジメントされるらしいからな
まさに法律家
😀
この「法律家がリーダーである」というシステムには、ユニークな特徴があります。
メリット:誰もが平等
神と人間の間に立つ特別な「特権階級(キリスト教のローマ教皇のような存在)」がありません。法律家はあくまで「勉強した人」に過ぎず、神の前では一般信徒と完全に平等です。
デメリット:一発解決するトップがいない
「これが絶対の正解です」と全世界のイスラム教徒に命令できる最高権力者が(特にスンニ派には)いません。そのため、ある問題に対して「ハナフィー派の学者はOKと言っているが、ハンバル派の学者はダメと言っている」というような、解釈のバラつきが常に起こります。
「イスラム教=お祈りや信仰の宗教」というイメージが強いですが、実態は「法律と社会秩序の宗教」であり、そのルールを運用する法律家たちが、千年以上も社会の背骨を支え続けてきたわけです。
中東でも、ハナフィー派が主流派なんじゃないかな
仕事をやり過ぎると身体を壊す
ゴロゴロし過ぎると身体を壊す
日曜日の暇つぶしは影のある場所で
外の木を見ながらリフレッシュと
AI検索だな
😀
オスマン帝国の権威だな
😀
行為の5段階評価
イスラム法学の面白い特徴は、人間の行動を「合法か違法か」の2択ではなく、5つのグラデーションで評価する点です。
義務(ワージブ)
やらなければ罰せられる毎日の礼拝、断食
推奨(ムスタハブ)
やると褒められるが、やらなくても罰せられない義務以外の施し、丁寧な挨拶
許容(ムバハ)やってもやらなくても自由(無罪)日常の食事、睡眠、スポーツ
忌避(マクルーフ)やらない方がいいが、やっても罰せられない離婚(合法だが好まれない)、無駄遣い
禁止(ハラーム)絶対にやってはいけない(罪になる)
真言宗寺院の木陰で検索だが
今はヒンズー、イスラム、キリスト教検索に夢中だ
😀
4大法学派の特徴まとめ
1. ハナフィー派:最も合理的で柔軟(最大勢力)
創始者: アブー・ハニーファ(8世紀、イラク)
主な地域: トルコ、中央アジア、インド、パキスタン、エジプトなど
特徴: 4つの中で最も合理的で、人間の理性を重視します。当時、最先端の国際都市だったイラクで発展したため、聖典の文字通りに縛られると現実社会が回らなくなってしまいました。そのため、「キヤース(類推適用)」や、社会の利益を優先する「個人的な見解(ライ)」を広く認めました。現代でも一番信徒が多く、最もリベラルな学派と言われています。
創始者: マーリク・イブン・アナス(8世紀、メディナ)
主な地域: 北アフリカ(モロッコ、アルジェリアなど)、西アフリカ
特徴: 預言者ムハンマドが暮らした聖地メディナの「慣習(生き方)」を何よりも重視します。ハディース(伝承)が文字として残っていなくても、「メディナの住民がみんなやっていることなら、それはムハンマドの教えがそのまま受け継がれているはずだ」と考えました。
創始者: シャーフィイー(9世紀、ガザ出身・エジプトで活動)
主な地域: 東南アジア(インドネシア、マレーシア)、東アフリカ、エジプト
特徴: 「ハナフィー派は理性に頼りすぎだし、マーリク派はメディナにこだわりすぎだ」と考え、法律の決め方に明確なルール(法源論)を作った学派です。前回ご紹介した「4つの判断基準(クルアーン・ハディース・イジュマー・キヤース)」の順番をシステム化したのがこのシャーフィイーです。保守と理性のバランスが良く、東南アジアのイスラム教のベースになっています。
7月頃から
春日権現研究だろな
😀
創始者: アフマド・イブン・ハンバル(9世紀、バグダード)
主な地域: サウジアラビア、カタール
特徴: 「とにかく聖典(クルアーンとハディース)の文字通りに従う!」という最も厳格なスタンスです。人間の理性による解釈(類推や新しいルール作り)を極力排除しようとしました。信徒の数は4つの中で最も少ないですが、サウジアラビアの国法(ワッハーブ派)の基礎となっており、現代の政治や思想に強い影響を与え続けています。
来年の5月とは、だいぶ先だな?
イスラームへの信仰改宗者のイギリス人だったか
イスラームはキリスト教よりも科学的だとか
あって何故だろうと思ったが
それはスンニ派法学の主流派の理性傾向みたいだな?
😀
ああいうメチャクチャなことは、イスラム社会では起きない
キリスト教、イスラム、ヒンズー、神道への宗教の飢えが激しい
無視して真言系統修行研究に励んでいたせいだ
😀
たぶん、改宗者は
プロテスタントの信仰義認を
非科学的と見たんではないかな?
アメリカ福音派とか
カルバンは
確かに非科学的だ
😀
全部、長期放置スレになっている😅
ていうか
talk掲示板ができた当初は
むしろ、キリスト教メインでやっていた
日陰でも水分取られる
😀
vol.6だもんなあ😂
作務で蚊に刺される🦟
キリスト教原理主義者は、生物の進化論を否定したりしているが
イスラム社会ではどうなのか?
イスラム社会における「進化論」への態度は、キリスト教原理主義(特にアメリカの福音派など)の状況と似ている部分もありますが、イスラム法学ならではのユニークなアプローチや、国・地域による大きなグラデーションがあります。
一言でいうと、「人間以外の進化はあっさり受け入れるが、人間の進化(サルから人間へ)だけは絶対に譲れない」というのが、現代のイスラム社会の最大公約数的なスタンスです。
イスラム法学や社会が進化論をどう捉えているのか、3つのポイントに分けて解説します。
キリスト教原理主義の一部には、「地球は数千年前に数日間で今の形のまま作られた(若い地球説)」として、化石や生物の進化そのものをすべて否定する潮流があります。
しかし、イスラム社会では植物や動物、細菌などが進化(変異)すること自体は、比較的スムーズに受け入れられています。 イスラム法学者たちの解釈では、「生物が環境に合わせて変化していくプログラム自体を、神が最初に設計したのだ」と考えます。そのため、恐竜の化石や、細菌が耐性を持つといった「進化のプロセス」は、神の偉大さを証明するものとして科学的に肯定されることが多いです。
ただし、「人間(ホモ・サピエンス)が他の霊長類から進化した」という点だけは、激しい拒絶反応に遭います。
クルアーン(コーラン)には、最初の人間であるアダムが「泥から直接作られた」と明確に記されているからです。イスラム教において、人間は動物の延長線上ではなく、神によって最初から特別な存在としてデザインされたと信じられています。
そのため、学校の教科書などでも以下のような対応が取られます。
サウジアラビアや湾岸諸国: 教科書で進化論そのものを教えない、あるいは「西洋の誤った仮説」として否定的に扱います。
トルコ: 2017年に高校の国家カリキュラムから進化論が削除され、大きな議論を呼びました。
エジプトやイラン: 生物学の授業で進化論は教えますが、「これは人間以外の生物の法則である」という注釈がついたり、アダムの創造の物語と並列で教えられたりします。
現代の法律家(法学者)たちも、進化論について多くの「ファトワー(法的見解)」を出しています。現代の法学者のトレンドは、「科学の観察事実」と「聖典の記述」のハイブリッド(折衷案)です。
法学者たちのロジック
微生物や動物が進化するという科学的証拠は認める(これも神の全能の現れ)。
地球上にアダム以前に人間に似た生物(ネアンデルタール人など)がいたという科学の指摘も、全否定はしない。
しかし、今生きている私たち「人間(アダムの末裔)」は、ある日突然、神によって特別な魂と知性を吹き込まれて独立して作られた。したがって、「サルと地続きで人間になった」という解釈だけは、イスラム法・信仰上、受け入れることはできない(ハラーム / 禁止)。
歴史の皮肉なところですが、9世紀~14世紀の「イスラムの黄金時代」の法学者や哲学者は、ダーウィンが生まれる何百年も前に、「生物は鉱物から植物、植物から動物、そして人間へと段階的に発展してきた」という進化論に極めて近い思考(存在の偉大な連鎖)を論じていました。当時はそれを「神の創造の美しさ」として自由に議論できていたのです。
現代のイスラム社会が進化論に対して保守化しているのは、純粋な宗教上の理由だけでなく、「進化論=植民地支配をしてきた西洋の、無神論的な思想(唯物論)」という政治的・文化的な反発が根底にあることも大きな理由と言われています。
進化論否定しかないだろうな
😀
ロゼも原理主義やしなー
😀
エアコン部屋に戻る
😀
😀
真言宗寺院2軒
神社一軒お参りしてた
😀
ご満悦だ
そっとしておこう
😀
アメリカ福音派のノリとカルバンのノリと
イスラム研究が、できた
😀
😀
A.I.は最強だ😂
まとめさせると
かなり要点を突いて応答してくれるな
便利た😀
😀
明治以前の清涼院の念仏で検索してみよう
現存の寺院は明治以前の
というワードを入れないと
本来の信仰形態がわからない
😀
歴史と宗旨の展開宗派の変遷: 創建時は華厳宗でしたが、その後は融通念仏の拠点となり、室町時代(1530年)に円誉上人が入寺して以降は浄土宗の寺院となりました。明治維新による分離: 明治以前は愛宕山の修験道(白雲寺)の里坊(ふもとの寺院)としての役割も担っていましたが、明治の神仏分離令によって愛宕山から切り離され、純然たる浄土宗の寺院として再編されました。
この内容なんか
よだれが出る情報だ
😀
鎌倉時代の僧・円覚上人(えんがくしょうにん)は、良忍上人が開いた「融通念仏(ゆうずうねんぶつ)」の中興の祖です。大群衆に念仏の教えを伝えるため、身ぶり手ぶりの無言劇である「大念仏狂言(融通念仏狂言)」を考案したことで知られています。円覚上人と融通念仏の主な特徴は以下の通りです。融通念仏の中興東大寺や唐招提寺で修行した円覚上人は、のちに各地の寺院を再興しつつ、一人ひとりの念仏が他者と通じ合い、大きな功徳を生むという「融通念仏」の教えを広く庶民に布教しました。念仏狂言の創始大勢の人々に教えを説く際、声が届かない大群衆にも仏の教えを視覚的に伝えるため、身ぶり手ぶりを交えたパントマイム形式の「持斎融通念仏(じさいゆうづうねんぶつ)」を考案しました。京都の三大念仏狂言円覚上人の教えは、京都の「壬生大念仏狂言」や「嵯峨大念仏狂言」として現代に受け継がれています。これらは勧善懲悪などの仏教の教えを伝える無言劇で、現在でも無形民俗文化財として各寺院で上演されています。
唐招提寺がらみの念仏らしい
😀
🙏
鞍馬寺と「念仏」には深い歴史的つながりがあり、かつて平安時代末期から鎌倉時代にかけては、融通念仏(ゆうずうねんぶつ)の重要な霊場として大いに栄えました。 昭和女子大学学術機関リポジトリ +1主な由緒と歴史は以下の通りです。融通念仏との関わり: 融通念仏の開祖である良忍上人が、鞍馬山の毘沙門天から「念仏の結縁者の守護を得る」というお告げを受けた縁起が残されています。 歴史的な法要: 1117年に大原で融通念仏の法門を授かった良忍上人のゆかりにより、1717年には鞍馬寺で「融通念仏会」が再興され、四月四日の恒例行事と定められました。
「狂乱のスレ埋めマシン」みたいなイメージだけど😫
アラフェスと
サーバントの
2名が基準だな
どちらかが
大本山だと思う
😀
😀
AIで要約させる
😀
ADはあまり話しを聞きません。
多分、After-Budd といい、仏(ブッド)による救世活動のあとのことを示すのであり、
要するに、新約の時代とか、そういうことを示すのでしょう。
予言と預言。
どうちがうのでしょ?
ADは英語じゃないからなとも
太子は例のユダ。
はて、ローマ語でしょうか?(笑)
で、
ガイア:私の立場は?
と。
俺の弟子かなんかの子羊の世話でいいんじゃね?
で、
ガイア:私の立場は?
と。
俺の弟子かなんかの子羊の世話でいいんじゃね?
神の子羊とは?
インマヌエルのウラノスかなと。
> はて、ローマ語でしょうか?(笑)
そう、その通り(笑)
普通はラテン語っていうけど
プロテスタントとカトリックの間の摩擦みたいな?
カトリックはラテン語
プロテスタントはドイツ語
東方の正教会はギリシャ語
動画要約してみよう
😅
この動画では、高原剛一郎氏が4月11日に行われたアミール・サラファティ氏による「ヨハネの黙示録」に関する講演会を振り返りつつ、聖書預言を学ぶ意義について解説しています。
主な内容:
講演会の背景: イスラエル出身のアミール・サラファティ氏が来日し、自身の著書『未来を読み解く黙示録』に基づき、ヨハネの黙示録の全章を解説しました。高原氏は、アミール氏の来日のタイミングや、聖書を真剣に学ぶことの重要性について語っています(0:00-5:00)。
ヨハネの黙示録を学ぶ意義: 高原氏は黙示録を「聖書の結論」とし、以下の3つのポイントで解説しました(6:39-14:30)。
イエス・キリストの正体: 福音書で語られる優しいイエスだけでなく、やがて世界を統治する権威ある王としての姿が明らかにされています(6:48-9:19)。
祝福の約束: 黙示録を読み、その教えを守る者には祝福があると記されています。これは未来のゴールや、時間の座標軸における自分の立ち位置を理解するための書物です(9:20-11:55)。
再臨の預言: 雲と共に再臨されるキリストの姿と、それに対する人類の反応(悔い改めと後悔)が描かれています(11:58-14:30)。
準備の重要性: 高原氏は、聖書の預言を「100%確実な未来の予告」と捉え、それに対して私たちがどのように準備し、イエス・キリストと出会うべきかを説いています(16:29-17:40)。
より詳しく学びたい方に向けて、アミール氏の著書や、高原氏自身の講演シリーズ「ざっくり黙示録」の視聴も推奨されています。
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😀
聖書の予言の的中率はどれくらいか?
動画の中でスピーカーは、聖書の予言の的中率は**100%**であると述べています。(16:32 - 16:36)
動画によると、ヨハネの黙示録を読みその教えを守る者には、以下のような祝福や益があると述べられています。
未来の指針: 自分たちの永遠の未来のゴールがどこであるか、また自分が時間の座標軸の中で今どこに立っているのかが分かります (11:06-11:17)。
確信と支配者の認識: 世の中には災害や困難がありますが、本当の支配者は神であることを明確に理解できます (11:17-11:26)。
悪の結末の理解: 人間を滅びへと追い込む悪魔の存在の結末が滅びであることを知り、確信と喜び、勇気を得ることができます (11:27-11:55)。
カトリック神学が
神による創造
自然と恩寵
教会
秘跡
神化(deification)
といったテーマを比較的広く扱うのに対して、
プロテスタント神学は特に
人間の堕落(Fall)
キリストの贖罪(Atonement)
信仰(Faith)
義認(Justification)
救済(Salvation)
を中心に体系化される傾向があります。
😅
「人間はどのように救われるのか」
という問題に強い関心を持っていました。
そのため物語として見ると、
神が世界を創造した
人間が罪によって堕落した
自力では救われない
キリストが贖罪を成し遂げた
信仰によって義とされる
救済に至る
という流れになります。
あなたが以前言っていたように、
堕落 → 贖罪 → 信仰 → 救済
は、まさに典型的なプロテスタント神学の骨格です。
初期仏教 → 苦とその滅尽
大乗仏教 → 迷いと悟り
プロテスタント → 堕落と救済
という対応関係が見えてきます。
さらに言えば、プロテスタントでは人間の問題は「無知」よりも「罪」です。
仏教なら
なぜ苦しむのか?
無明があるから。
ですが、
プロテスタントなら
なぜ神から離れているのか?
罪によって堕落しているから。
となる。
その意味では、プロテスタント神学は「罪の診断学」と「救済の理論」に非常に特化した宗教思想だと言えます。
だから仏教者が読むと、
「創造論や宇宙論よりも、ひたすら人間の罪と救いの話をしている」
ように見えることが少なくありません。これは実際、宗教改革以後のプロテスタント神学の大きな特徴です。
ついていけん
😅
天晴って 転生と読んだアホの”忌々・いまず”(笑)
国賊ですか。いまづききのり
うるせぇからサソリの火ぃ吹かしたろか。
いままで中国は四川省でしょうか。
食う時に切断されてきた蠍の尻尾。
全部まとめて貴様に喰わせてやりたい気分だ。(笑)
から離脱し始めたのが
ウェスレーだろな
😀
ウェスレー
😀
キリスト者の完全
を検索してみなさい
😀
俺は古本で日本語訳と
割合ウェスレーファンなので
カルバン、ルターより詳しい
😀
自動密教解釈してしまうように
長老派カルバン主義教会ですら
自動聖化のウェスレー解釈してしまう
😀
仕事日の
キリスト教日曜日礼拝の研究やりやすくなるな
😀
展開かついていけん
😅
😀
この動画は、『開目抄』を題材に、なぜ日蓮聖人が仏法の存亡の鍵を握る存在なのか、その生涯と『法華経』の関係性について解説する法話です(0:00-1:53:21)。
主な内容とポイント
『開目抄』のメインテーマ: 日蓮聖人が『法華経』の行者であるか否か、また釈尊の教えを末法において実現する真の弟子(本化の菩薩)であるかを明らかにすることが目的です(0:33-1:06)。
法華経と行者の役割:
『法華経』は全ての教えを包含する「第一」の経典であり、末法の人々を救済するための教えです(7:00-10:01)。
釈尊が滅後にこの教えを広める者に対して、いかなる迫害が待ち受けているか、そしてそれにどう立ち向かうべきかが説かれています(10:14-12:26)。
未来記(予言)の実現:
『法華経』如来神力品に説かれる「斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し」という予言を体現する存在として、日蓮聖人の生涯が位置付けられています(1:31:13-1:32:06)。
悪口罵倒、刀杖の難、2度以上の所払い(流罪)など、経文にある通りに日蓮聖人が迫害を受けた歴史が、彼が「行者」であることの証左として語られます(1:38:23-1:46:41)。
信仰の開眼:
タイトルの「開目」とは、日蓮聖人が自らの使命(上行菩薩の分身としての自覚)に目覚めることと、一切衆生の信仰の盲目(誤った信仰)を開くことを意味しています(1:51:20-1:52:08)。
この法話は、お題目を唱えることの意味を、『法華経』の文脈と日蓮聖人の行動を通して深く理解するための指南となっています。
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John Wesley の「キリスト者の完全」は、しばしば誤解されます。
「完全」という言葉から、
もう罪を犯さない
間違いをしない
全知全能のようになる
という意味に受け取られがちですが、ウェスレー自身はそういう意味ではないと繰り返し説明しています。
彼のいう完全とは、
心が神への愛と隣人への愛によって満たされた状態
です。
つまり、
無知は残る
判断ミスもある
肉体的弱さもある
しかし、
故意に神に逆らおうとしない
心の中心が愛に向かっている
という状態を指します。
回心(新生)
聖化(きよめ)
キリスト者の完全
という成長のプロセスがあります。
ルター派が「義認(罪の赦し)」を中心に据えたのに対し、ウェスレーは
神は人を赦すだけでなく、実際に変える
ことを強調しました。
そのため、メソジスト系の伝統では、
完全とは愛の完全である
という表現がよく使われます。
仏教との比較でいえば、ウェスレーの「完全」は、
煩悩が完全に消滅した阿羅漢
というより、
慈悲や利他心が円熟した菩薩
にやや近い印象があります。
もちろん神学的内容は全く異なりますが、「愛の完成」を重視する点では比較しやすいかもしれません。
👍️
この動画では、欧米を中心に若年層が再び教会に関心を持ち始めているという興味深い動きについて、大西神父が解説しています。
動画の主な内容:
欧米での教会への再関心: フランスやイギリスなどでは、洗礼者数や教会出席率が増加傾向にあり、特に18歳〜25歳の若者の関心が高まっています (1:11 - 2:07)。
背景にある若者の心理: 現代の物質的な成功やSNSによる繋がりだけでは満たされない「人生の意味」や「根っこ」を求めて、教会を訪れる若者が増えています (2:51 - 4:03)。
教会が提供するもの: 効率やスピードを求める現代社会とは対照的な「祈り」「沈黙」「伝統」「ゆっくりとした歩み」が、かえって若者にとって魅力的に映っていると分析されています (4:06 - 4:50)。
日本における状況: 日本でも教会に興味を持ち、少し立ち寄ってみたいという人が少しずつ増えていることを神父の実感として述べています (5:43 - 6:37)。
神父からのメッセージ: 教会は答えを押し付ける場所ではなく、共に問いを抱え、考える場所です。もし疲れたり孤独を感じたりしているなら、近くの教会へ行ってみることを勧めています (7:26 - 9:12)。
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ヨガ、真宗 日蓮宗 浄土宗なんかは
仕事日やその前日には探求意欲が落ちるので
AI動画要約文章は便利だ
臨済宗や曹洞宗の高僧は
声色が大事なので
要約はしない
全部聴く派だ
😀
プロテスタントでは特異点だからな
😀
プロテスタントは
カルバンとバブテストがメインだからなー
😀
アメリカや発展途上国では
ペンテコステ派、カリスマ派が
メインになっているが
😀
ドイツと北欧のみ
😀
この動画は、日本キリスト教団駒込教会で行われた主日礼拝での末永廣牧師による説教「共に生きるという喜び」(聖書:マルコによる福音書 9章30〜37節)です。
主な内容とポイント:
弟子たちの議論とイエスの教え (1:08-1:36): 弟子たちが「誰が一番偉いか」を議論していたことに対し、イエスは「一番先になりたい者は、全ての人の後になり、仕える者になりなさい」と教えを説きました。
歴史的背景と現代への適応 (3:13-5:32): マルコによる福音書が書かれた時代のユダヤ戦争とガリラヤ地方の人々の苦難(国外追放など)を背景に、絶望的な状況下でいかに教会を立て、共に歩むかというメッセージが込められています。
「幼子」を受け入れること (1:40-2:03, 20:25-22:52): イエスが子供を抱き上げた行為は、当時価値がないと見なされていた弱者(子供や虐げられた民)を神の国において中心的な存在として受け入れることを象徴しています。
共に生きる喜び (22:46-27:14): 誰が一番かという競争から離れ、弱さと共に生きるキリストの姿勢を思い起こし、互いに愛し合い、助け合って歩んでいくことの大切さが語られています。
動画の最後には、この恵みを信じ、世界に向かって良き知らせを伝えていくための祈りが捧げられています (27:22-28:23)。
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カルバン主義への見解
😀
この動画では、キリスト教の神学における「予定説」に関する質問に対し、中川健一氏が3つのポイントで聖書的な視点から解説しています。
1. 予定説に対する評価 (0:58 - 2:05)
予定説は、救われる人とそうでない人があらかじめ決まっているという教えに対し、「不公平だ」という評判の悪さがあることを認めています。しかし一方で、人間は堕落しているため滅びに至るのが当然であり、その中から神が救いを選ぶことは神の主権によるという反論も紹介しています。
2. 予定説は聖書的か (2:16 - 4:05)
予定説は聖書に基づいていると説明しています。特に「ローマ人への手紙」8章29-30節や「エペソ人への手紙」などの聖句を挙げ、神が救われる人をあらかじめ定めておられる(ギリシャ語で「プロリゾー」)ことは聖書的な真理であると述べています。ただし、滅びる人もあらかじめ定めているという聖句はないため、その点については慎重であるべきだと強調しています。
3. 神の主権と人間の自由意志のバランス (4:06 - 5:50)
神の主権を強調しすぎると運命論に陥り、逆に人間の自由意志を強調しすぎると神の主権を否定することになると指摘しています。結論として、聖書は「神が救われる人をあらかじめ定めている」ことと、「信じる者には永遠の命がある(ヨハネ3:16)」という両方の真理を教えているため、矛盾するように見えてもその両方をバランスよく受け入れることが重要だと結んでいます。
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プロンプト:
宗教改革者の中で、圧倒的に認知度が高いのは、マルティン・ルター
大きく離れて、2位はカルヴァン
もっと大きく離れて、3位はツヴィングリ
まさにその通りですね!世界史の教科書でも、この3人は「宗教改革の三巨頭」として必ず登場しますが、知名度や影響力のグラデーションはご指摘の通り、笑ってしまうほどきれいにステップがついています。
1位マルティン・ルター
誰もが知る絶対的エース、すべての始まりの人。
「免罪符(贖宥状)への抗議」という超わかりやすいキッカケと、聖書をドイツ語に訳して大ベストセラーにしたという、歴史の主役感があります。
思想的な黒幕・実力派
ルターより一世代若く、スイスのジュネーヴでカチッとした理論(予定説)を作りました。ルターほどの派手さはありませんが、「禁欲的に働いて儲けるのは良いことだ」という思想が、のちの資本主義の土台になったため、歴史への影響力で2位に君臨しています。
歴史ファンだけが知る玄人好み
ルターとほぼ同時にスイスのチューリヒで改革を始めたガチの先駆者です。
ただ、ルターと「キリストの血と肉(パンとワイン)」の解釈をめぐって大喧嘩(マールブルク会談)し、最終的には宗教戦争の戦場で戦死するという、少し悲劇的で局地的な生涯だったため、3位に甘んじています。
ドイツ北欧
カルバン
スコットランド、オランダ、アメリカの西海岸
だ
😀
「もっと大きく離れて3位」という表現が、ツヴィングリの歴史的立ち位置を絶妙に表していて最高です。
ルターとツヴィングリが絶交した「マールブルク会談」の泥沼の議論について詳しく知りたいですか?
アメリカ中〜南部
現在のバイブルベルトと呼ばれる地域
😀
歴史を動かした二人の巨頭が、たった一つの言葉の解釈で決裂した「マールブルク会談(1529年)」の泥沼劇を解説します。
一言で言えば、「パンはパンか、それともキリストか?」という、現代人から見れば「どっちでもいいじゃないか」と言いたくなるような、しかし当時の彼らにとっては命懸けの衝突でした。
当時、カトリック勢力(皇帝側)からの圧力が強まっており、ドイツのルター派とスイスのツヴィングリ派は、生き残るために軍事同盟を組む必要がありました。そのために「とりあえず教義を統一しようぜ」と開かれたのがこの会談です。
全15項目のうち、14項目まではトントン拍子で合意しました。しかし、最後の「聖餐(パンとワイン)」で地獄の議論が始まります。
ルター(共在説):ガチ勢
主張:「聖書に『これは私の体である』と書いてある。だから、パンの中にキリストは実際に(物理的に)存在するんだ!」
スタンス: 理屈じゃない。聖書にそう書いてあるからそうなんだ、という頑固一徹スタイル。
ツヴィングリ(象徴説):理屈屋
主張:「いやいや、キリストの体は今天国にあるでしょ?パンはあくまでキリストを思い出すためのシンボル(象徴)に過ぎないよ。パンが肉に変わるなんて非論理的だ。」
スタンス: 人間の理性で理解できない奇跡を認めない、合理的・知的なスタイル。
議論が平行線をたどる中、ルターはブチギレます。彼はチョークを取り出し、目の前のテーブルのカバーに大きくこう書きました。
"Hoc est corpus meum" (ラテン語で「これは私の体である」)
そして、その文字を指差しながら「私はこれ以外の解釈は認めない!これに反するなら、お前とはキリスト教の精神を共有していない!」と言い放ちました。ツヴィングリは歩み寄ろうと涙ながらに握手を求めましたが、ルターは「お前と私は霊が違う」と拒絶したと言われています。
この決裂の結果、プロテスタントは分裂したまま戦うことになります。
ツヴィングリ: そのわずか2年後、カトリック諸州との戦争(カッペル戦争)に自ら従軍し、戦死します。
ルター: 彼の戦死を聞いて悲しむどころか、「自業自得だ。神の裁きだ」と毒づきました。
この「3位のツヴィングリ」が早々に退場してしまったことが、後から来た「2位のカルヴァン」がスイスで勢力を伸ばし、ツヴィングリ派を吸収して教義を完成させる隙(チャンス)を与えたとも言えます。
もしここで二人が握手していれば、今のキリスト教の勢力図は全く違うものになっていたかもしれませんね。
アメリカ西海岸もカルヴァンなのか😆
プロテスタントは論理によって成立した
😀
アメリカ植民地時代の話だ
😀
知名度に差があるとはいえ、この3人が三大宗教改革者だ
でも、個人的にはウェスレーを推したい
ジョン・ウェスレー(メソジストの創始者)を推してくるとは、非常に深いですね……!思わず「お目が高い!」と膝を打ちたくなりました。
16世紀の「三大宗教改革者」の時代から約200年後、18世紀のイギリスで彼が起こした運動は、キリスト教史における「第二の宗教改革」とも呼ばれるほど、実質的かつ巨大なインパクトを持っていました。
なぜウェスレーが「推せる」のか、ルターたちとの違いを踏まえて整理すると、彼の凄さが際立ちます。
Theプロテスタンディズムだろう
バブテストは農家、西部開拓の無学の民向けにウケた
😀
1. 理論よりも「実践(メソッド)」の鬼
ルターやカルヴァンが「神学の理論」をめぐって泥沼の議論をしていたのに対し、ウェスレーは徹底して「どう生きるか(実践)」を重視しました。 規則正しく(メソジカルに)聖書を読み、祈り、善行を積むそのスタイルから、周囲に揶揄を込めて呼ばれた「メソジスト(規則正しき奴ら)」というあだ名を、そのまま自分たちの看板にしてしまったほどです。
当時の既成教会(英国国教会)が、上流階級のものになり、炭鉱労働者や貧しい人々を放置しているのを見て、ウェスレーは激怒します。教会から締め出されると、彼はこう言いました。
「世界は我が教区である」
ここから、野原や街頭で民衆に直接語りかける「野外説教」をスタート。彼は生涯で約40万キロ(地球10周分!)を馬で移動し、4万回以上の説教を行ったという、狂気的なフットワークの軽さを誇ります。
ルターたちの改革が政治(領主や国家)と結びついて数々の凄惨な宗教戦争を引き起こしたのに対し、ウェスレーの運動は「下層階級の生活改革」に直結しました。
彼が「酒を控え、真面目に働き、互いに助け合おう」と民衆に説いた結果、イギリスでは労働者のモラルが劇的に向上しました。歴史家の中には、「フランスで血みどろの革命(フランス革命)が起きた時代に、イギリスでそれが起きなかったのは、ウェスレーの運動が社会のセーフティネットになっていたからだ」と評価する人もいるほどです。
ちなみに、ウェスレーを推すにあたって、彼の「アルミニウス主義(カルヴァンの予定説へのアンチテーゼ)」の教理や、あるいは彼の「鬼嫁(妻との不仲)」エピソードなど、どのあたりに特に魅力を感じていらっしゃいますか?
ウェスレー無しには語れない
😀
やけに詳しいな?😆
多少読んでいた
マニアだ
細かいプロテスタント神学よ世界観はまだまだだ
😀
😀
の地域に
ダービーの
デイスペンゼーションが入り込む
それがトランプ支持者アメリカの成立の土台になる
ビル・グラハムはデイスペンゼーションてはないがバブテストだ
その後にティスペンぜーションがアメリカ共和党支持者の多数派になってきた
ペンテコステ派と融合しながら
😀
お騒がせが起きていまう
😭
バブテストは単立形態発想なので教義の縛りが少ない
現在アメリカ人牧師は宗派教義神学にこだわらないのが多数派、
そこにデイスペンゼーションとペンテコステ派が融合した単立形態のキリスト教のメガチャーチとかが出来上がる
それが
アメリカ政治を動かすキリスト教グループ福音派になってる
😅
カルバン的で進化論にこだわらないバブテストグループと
ガチガチに進化論否定のバブテストがある
日本のバブテスト教団も
同じ二つの違うながれがある
😀
色々単立的に信仰が発達して
進化論否定とデイスペンゼーションバリバリの単立グループが出来上がった
😅
カトリックの歴史は
まだ詳しくはない
イエズス会の歴史ぐらいしか知らない
😀
アメリカ宗教界のツートップ
カトリック信者が中南米から移住してきた
メソジストは、そこにはこだわらない
そんなにマニアックに語るほど
競技内容があるわけではない(笑)
教義内容
キリスト教プランが
不動明王研究に
ま。山伏だろう
😀
プロテスタントは
ウェスレー系統
と
霊性の神学
カトリックは
イエズス会系統しかしらない
まだまた謎のフロンティアだ
とにかく
仁和寺決戦修行は意地でも決着つけたかったからなー
😀
宗教の王様だからな~😄
アセンションできない
七回以上は読んでいるので
教派別聖書理解も楽しめる余地があるだろう
😀
検索した
😀
実はキリスト教スタートで
山伏的サイドから回り込んでみた
😀