新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2024/12/25 05:521.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36273コメント欄へ移動すべて|最新の50件224.神も仏も名無しさんXyiWf6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。2024/11/06 05:11:47225.神も仏も名無しさん79NLU7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。2024/11/07 05:16:29226.神も仏も名無しさん0RQ3r8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。2024/11/08 05:48:38227.神も仏も名無しさんRvQXH9 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。2024/11/09 07:46:56228.神も仏も名無しさんWuZ1w10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。2024/11/10 08:01:52229.神も仏も名無しさんxTDOm11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。2024/11/11 05:47:52230.神も仏も名無しさんto6uI12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。2024/11/12 05:28:45231.神も仏も名無しさんbTA6h13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。2024/11/13 05:40:08232.神も仏も名無しさんTZ0jV14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。2024/11/14 05:51:28233.神も仏も名無しさんIEaAw15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。2024/11/15 05:11:39234.神も仏も名無しさんSlqek16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。2024/11/16 06:58:14235.神も仏も名無しさんf1QJL17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。2024/11/17 07:09:13236.神も仏も名無しさん1kGYZ18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。2024/11/18 05:39:42237.神も仏も名無しさん2uoxG19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。2024/11/19 05:13:24238.神も仏も名無しさんt2e8220 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。2024/11/20 05:47:47239.神も仏も名無しさん5M9V721 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。2024/11/21 05:52:52240.神も仏も名無しさんLDzgt22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑最高の教えはどこも言っているだろうが、信者の霊感の言葉による後から取ってつけた言葉の根拠を知ると間が抜けた気持ちになる。2024/11/22 05:49:52241.神も仏も名無しさん0N8LM23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑密教だから多くは言えないと言われる。それは、霊感商法をはじめとした悪徳な手口をカモフラージュする役割でもある。2024/11/23 06:13:16242.神も仏も名無しさんgrhhj24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑ご利益信仰ではないからご利益を求めてはいけない。人の為と言って自分の為に勧誘する。そうやって洗脳されて信者は教えの為であるのに自分の為と犠牲を払うようになる。2024/11/24 06:35:22243.神も仏も名無しさん2omXM25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑この教えの中の呵責は、霊的ハラスメントである。2024/11/25 05:43:27244.神も仏も名無しさんwLEkz26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑この教えにご利益を求めてはいけないが、他の宗教はお力をいただくと報謝を求められるから気をつけろと言われる。実際この教えでは沢山の報謝を強いられている。2024/11/26 05:52:40245.神も仏も名無しさんbbBEI27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑歴史が教本に書かれているのに、仏が始めた教えとされている。そこからも辻褄が合わないことを示されている。2024/11/27 05:45:14246.神も仏も名無しさん4WI7t29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑教えに触れて浄まっていると思う信者が霊感商法やねずみ講の様な悪徳商法の手口を宗教活動であると思って実践しているから、汚れを感じさせるのである。2024/11/29 06:05:02247.神も仏も名無しさん6pSGu30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑仏教の裏で霊感商法やねずみ講の取り組みがされている。それは仏教を隠れ蓑としているということである。2024/11/30 07:11:24248.神も仏も名無しさん8Hc7k1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑教えが求めるのは教えに人、金、労力をもたらす人であるだから仕事中も教えに準えて考えるように洗脳されるのである。2024/12/01 07:44:13249.神も仏も名無しさんaqtND2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑学ぶのは教祖一家の苦難のストーリーでその裏のストーリーは隠されている。教えの手口も同様に隠されている。2024/12/02 05:59:57250.神も仏も名無しさんEbyDw3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑教えに従って実践することで悟りが得られると言われる。それは霊感商法の手法で勧誘、無償労働、献金をすることである。2024/12/03 05:43:57251.神も仏も名無しさんutyuv4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑他の教えの報謝はお力の代償を求められると否定しておいて、この教えのお力が特別であると洗脳して心から献金させる。その根拠は霊を持ち出した因縁による霊感商法である。2024/12/04 05:22:41252.神も仏も名無しさんNOc6a5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教えの為に欲を捨てる。それは、霊感の言葉が根拠のお力を求める欲に置き換えられるだけである。2024/12/05 05:52:48253.神も仏も名無しさんFafWl形式は必ず内容を伴ってこその形式美であると思う。鏡は本質ではないよ。美は 分別だから 不要だよね。わたしに、わたしが無いので、美も無いのよね。頭の中と行動が一致するよう、にと思うんだよね。デフィカルト だけれども死んでます 日々。わたしに 悪心が、良心が無く、したがって、もとの こころがありません。自由とは 主人公、主体性 を言いますが。私もあなたもないもとから ないものを どうやって。わたしに 分別心 は無い。中でも、外でも、生きたり、死んだり してる。あるがままも ないんですよ。瞬間は 常に 移り変わっていますから これが瞬間だと とらえられmなせん。無学で 無知 のわたしなんですけどね。満ち足りています。求めません。べきものは ないですね。なにも しない。くりかえしになりますが、 自由とは、主人公、主体性ですよ。毒物、劇物には致死量がある。致死量があるものを毒劇物という。致死量をずんずん、どbんどん、少量にして薬効量にしたものを薬、という。薬の薬効量をとてつもなく薄めたものを、食品、健康食品という。その効果があるものはつまりは、致死量を薄めて、薬効量の範囲で薬品としたもので、不必要なものは絶対に摂取してはならない。つまりは服毒自殺をしていることになる。だが、やまいであれば、いたし方が無い。病中は、服薬し、健康が戻れば、直ちに中止する。水を三日のまなければ、死ぬ、のだから生殺与奪の権は我にある。ノットディフィカルトである。服毒自殺を 勧めてはならない。しかし、闘病とは、毒を以て毒を制すべし。なのである。病気の時は、病人である。病気でなければ、病人ではない。病人でなければ、服毒自殺うぇおしてはならない。2024/12/05 17:00:41254.神も仏も名無しさんvGEAS6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑はからいはこの教えへの疑いである。人に対して後ろめたい取り組みをして、世間での居場所が無くなると、この教えの輪の中で洗脳されていくのである。2024/12/06 06:02:25255.神も仏も名無しさん5ogy77 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦も喜びも教えのお陰にされる。霊感の言葉で。2024/12/07 07:19:09256.神も仏も名無しさんEa67a8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑教えを信じる、信じないで人を判断して徳がある、なしで攻撃的にもなるのが信者の行動パターンである。2024/12/08 07:27:45257.神も仏も名無しさんyPFIG9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑それは勧誘の実践に信者を取り組ませる方便である。2024/12/09 05:52:11258.神も仏も名無しさん16v8Z10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑世の中を危険な場所と思わせて、教団施設内の地位を求めさせようとする。霊感の言葉が根拠である。2024/12/10 05:50:35259.神も仏も名無しさんIYbaH11 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑この教えに力の限りを尽くすほど洗脳されることは、その手法を知ると無駄なことと分かる。2024/12/11 06:38:39260.神も仏も名無しさん46i8o12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑他が為に身を捧げているようで、実は教えの為に勧誘しようとしている。霊感の言葉が根拠であると知られないように密教と多くを言わないようにして。2024/12/12 05:48:52261.神も仏も名無しさんAlIgy13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑自分を責めてしまう人は気をつけた方が良い。霊感の言葉を根拠に良いことも悪いことも教えのお陰にされて、自分の修行が足りないことにされてしまうから。2024/12/13 05:57:52262.神も仏も名無しさんXJBdQ14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑人を霊感の言葉を根拠に誘い込むことは大乗の行いではないからお力も流れてこないのである。2024/12/14 07:53:24263.神も仏も名無しさんPD8Hk15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑どこにも毒親はいるが、それと引き換えに理想の親を見せるのは新興宗教の手口であろう。2024/12/15 11:19:53264.神も仏も名無しさんIUHU916 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑教えを密教であるから多くを言えず深いものだと思わされてただ全てを委ねる信者。それが洗脳であり思考停止である。2024/12/16 05:49:18265.神も仏も名無しさんTepGw17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑教えの外の人に批判されたり避けられたりしているうちに疑いが生じて教えが流れてこなくなるのが怖くなる。もう「霊感商法を使うような教えでなくて良かった」とは言い合えないだろう。2024/12/17 05:54:00266.神も仏も名無しさんnWBQN18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑実は自分が救われる為に他の為と称して勧誘する。そこに信教の自由の信じない自由を侵害すれば、カルト性を伴う行為となる。2024/12/18 05:54:06267.神も仏も名無しさんsFDHo19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑霊感商法の手法である霊言による因縁で恐怖心を与えられると、人を真剣に勧誘するようになる。それが信教の自由の侵害とならなければ良いが。2024/12/19 05:50:51268.神も仏も名無しさんAqPfh20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えに悟りと思わされるものは、霊感の言葉によって煽られた恐怖心によるものである。2024/12/20 05:41:41269.神も仏も名無しさんeD33f21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑教えどおりならばみ仏本位、そうでなければ人間本位。ただそれだけで、誰でも言えることである。2024/12/21 09:51:14270.神も仏も名無しさんrptWO22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑霊感の言葉で勧誘しなければ救われないと言われるのは、洗脳の第二段階のねずみ講の手法である。2024/12/22 08:36:17271.神も仏も名無しさんajexI23 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】罰ありと教ゆる道も道なれど 真の真理(みち)とは因果応報【教主注釈】涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。↑罰も因果応報も結局霊感の言葉である。その法則性を知れば、迷惑行為にしか見えないだろう。2024/12/23 05:57:13272.神も仏も名無しさんbgznf24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑献金、勧誘、無償労働のことが言われている。仏教を隠れ蓑にして。2024/12/24 05:41:17273.神も仏も名無しさんoDcE425 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑初心でもお力をいただけると霊感の言葉でお力をその人の事象にこじつける。その後、取り組みが足りないと不幸を霊感の言葉で示しても信者は辞められなくなる。その波に乗ってはいけない。2024/12/25 05:52:49
【イブ】アメリカ人は失笑する!? なぜ日本だけ「クリスマスには、ケンタッキー」なのか? 米兵を通じ12月が「特別な時期」になり、KFCのCMで「七面鳥」の代替品にニュース速報+9766492024/12/26 03:19:14
【妻は衛藤美彩】「不倫関係にはありました…」『侍ジャパン』西武・源田壮亮(31)が銀座高級クラブ勤務の菜々緒似女性と衝撃不倫を告白「プレミア12の台湾でも密会、元乃木坂妻は…」ニュース速報+2745922024/12/26 03:28:24
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
霊感の言葉でお力を求めさせられ、お力を勿体ぶられるようになり、自分の精進の足りなさが申し訳ないと思わされる。それが手口である。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉に導かれる心は教えの為にすべてを捧げる為に使われる。霊感商法の様な悪徳商法が使われるとは気付けなくなるのである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
霊感の言葉で塗り固められた救いの真実を人に求めさせなければ救われない霊感商法である。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うのは勧誘することである。このねずみ講の教えを真に受けて歩めば、居場所が教団施設や信者の集まりのみとなり、洗脳は更に深められるだろう。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
霊感商法を使うのは邪教ならば、自ずと離れた方が良いと悟られてしまうだろう。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
この教えの書はお力によって救われた体験談の寄せ集めである。その根拠は霊感の言葉による霊感商法の手法によるものである。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
初心のうちはお力が遍く流れてくるが、慣れてくると勧誘しないとお力は長く続かないと言われる。それはこの教えのお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品に例えられる所以である。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
周囲から不純と思える態度を示しても気付けない真如教徒は霊感商法の手法で大乗(大船)に乗せられていると思わされているが、実は今にも沈みそうな泥舟に乗せられていることに気づきたくないだけである。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
この世を因縁まみれと恐れさせる霊言で居場所を制限される。教団施設を浄土と感じさせられるのが洗脳である。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
霊感の言葉と自分の境遇が絡められたお力の光は救いとなる。しかし、人を同様に救わなければお力が続かないと言われるので、自分も人に同様な救いを与えなければならない。それが信教の自由の侵害にも繋がるのである。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
日々教祖一家を思わせる取り組みはお力の実感に繋がるが、それはどれも霊感商法をはじめとした手法に目を向けさせないためである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
そこら辺のおばちゃんが「この教えは毛穴からお力が入ってくる」と言っていれば威厳がある。しかし、世の悪徳商法が使われていると知ってしまえば「気づくのはあっという間」である。
そして、おばちゃんは気づいた人を「堕ちた人」と言って信者から遠ざけるのである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
ままならないのがこの教えの霊による因縁と思わされれば、目的が教えの為にさせられる。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
正しいから非難されるという言い回しはカルト教祖の確信犯な言動である。無理な勧誘をしなければ成り立たないが、無断入信で幽霊信者が増える一方であろう。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心によって霊的因縁が心に植え付けられると、因縁にどう倒されるか分からない恐怖に幻覚も見せられるだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
この教え無しには生きられなくなったら、指導者からの霊的ハラスメントが始まる。その前に手口に気づこう。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
最高の教えはどこも言っているだろうが、信者の霊感の言葉による後から取ってつけた言葉の根拠を知ると間が抜けた気持ちになる。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
密教だから多くは言えないと言われる。それは、霊感商法をはじめとした悪徳な手口をカモフラージュする役割でもある。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
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ご利益信仰ではないからご利益を求めてはいけない。人の為と言って自分の為に勧誘する。そうやって洗脳されて信者は教えの為であるのに自分の為と犠牲を払うようになる。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
この教えの中の呵責は、霊的ハラスメントである。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
この教えにご利益を求めてはいけないが、他の宗教はお力をいただくと報謝を求められるから気をつけろと言われる。実際この教えでは沢山の報謝を強いられている。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
歴史が教本に書かれているのに、仏が始めた教えとされている。そこからも辻褄が合わないことを示されている。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
教えに触れて浄まっていると思う信者が霊感商法やねずみ講の様な悪徳商法の手口を宗教活動であると思って実践しているから、汚れを感じさせるのである。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
仏教の裏で霊感商法やねずみ講の取り組みがされている。それは仏教を隠れ蓑としているということである。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
教えが求めるのは教えに人、金、労力をもたらす人であるだから仕事中も教えに準えて考えるように洗脳されるのである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
学ぶのは教祖一家の苦難のストーリーでその裏のストーリーは隠されている。教えの手口も同様に隠されている。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
教えに従って実践することで悟りが得られると言われる。それは霊感商法の手法で勧誘、無償労働、献金をすることである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
他の教えの報謝はお力の代償を求められると否定しておいて、この教えのお力が特別であると洗脳して心から献金させる。その根拠は霊を持ち出した因縁による霊感商法である。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教えの為に欲を捨てる。それは、霊感の言葉が根拠のお力を求める欲に置き換えられるだけである。
鏡は本質ではないよ。
美は 分別だから 不要だよね。
わたしに、わたしが無いので、美も無いのよね。
頭の中と行動が一致するよう、にと思うんだよね。デフィカルト だけれども
死んでます 日々。
わたしに 悪心が、良心が無く、したがって、もとの こころがありません。
自由とは 主人公、主体性 を言いますが。
私もあなたもない
もとから ないものを どうやって。
わたしに 分別心 は無い。
中でも、外でも、生きたり、死んだり してる。
あるがままも ないんですよ。
瞬間は 常に 移り変わっていますから これが瞬間だと とらえられmなせん。
無学で 無知 のわたしなんですけどね。
満ち足りています。求めません。
べきものは ないですね。
なにも しない。
くりかえしになりますが、 自由とは、主人公、主体性ですよ。
毒物、劇物には致死量がある。
致死量があるものを毒劇物という。
致死量をずんずん、どbんどん、少量にして薬効量にしたものを薬、という。
薬の薬効量をとてつもなく薄めたものを、食品、健康食品という。
その効果があるものはつまりは、致死量を薄めて、薬効量の範囲で薬品としたもので、不必要なものは絶対に摂取してはならない。
つまりは服毒自殺をしていることになる。
だが、やまいであれば、いたし方が無い。
病中は、服薬し、健康が戻れば、直ちに中止する。
水を三日のまなければ、死ぬ、のだから生殺与奪の権は我にある。ノットディフィカルトである。
服毒自殺を 勧めてはならない。
しかし、闘病とは、毒を以て毒を制すべし。なのである。
病気の時は、病人である。
病気でなければ、病人ではない。
病人でなければ、服毒自殺うぇおしてはならない。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
はからいはこの教えへの疑いである。人に対して後ろめたい取り組みをして、世間での居場所が無くなると、この教えの輪の中で洗脳されていくのである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦も喜びも教えのお陰にされる。霊感の言葉で。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
教えを信じる、信じないで人を判断して徳がある、なしで攻撃的にもなるのが信者の行動パターンである。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
それは勧誘の実践に信者を取り組ませる方便である。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
世の中を危険な場所と思わせて、教団施設内の地位を求めさせようとする。霊感の言葉が根拠である。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
この教えに力の限りを尽くすほど洗脳されることは、その手法を知ると無駄なことと分かる。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
他が為に身を捧げているようで、実は教えの為に勧誘しようとしている。霊感の言葉が根拠であると知られないように密教と多くを言わないようにして。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
自分を責めてしまう人は気をつけた方が良い。霊感の言葉を根拠に良いことも悪いことも教えのお陰にされて、自分の修行が足りないことにされてしまうから。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
人を霊感の言葉を根拠に誘い込むことは大乗の行いではないからお力も流れてこないのである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
どこにも毒親はいるが、それと引き換えに理想の親を見せるのは新興宗教の手口であろう。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
教えを密教であるから多くを言えず深いものだと思わされてただ全てを委ねる信者。それが洗脳であり思考停止である。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
教えの外の人に批判されたり避けられたりしているうちに疑いが生じて教えが流れてこなくなるのが怖くなる。もう「霊感商法を使うような教えでなくて良かった」とは言い合えないだろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
実は自分が救われる為に他の為と称して勧誘する。そこに信教の自由の信じない自由を侵害すれば、カルト性を伴う行為となる。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
霊感商法の手法である霊言による因縁で恐怖心を与えられると、人を真剣に勧誘するようになる。それが信教の自由の侵害とならなければ良いが。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えに悟りと思わされるものは、霊感の言葉によって煽られた恐怖心によるものである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
教えどおりならばみ仏本位、そうでなければ人間本位。ただそれだけで、誰でも言えることである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
霊感の言葉で勧誘しなければ救われないと言われるのは、洗脳の第二段階のねずみ講の手法である。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
罰も因果応報も結局霊感の言葉である。その法則性を知れば、迷惑行為にしか見えないだろう。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
献金、勧誘、無償労働のことが言われている。仏教を隠れ蓑にして。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心でもお力をいただけると霊感の言葉でお力をその人の事象にこじつける。その後、取り組みが足りないと不幸を霊感の言葉で示しても信者は辞められなくなる。その波に乗ってはいけない。