新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/07/08 05:581.神も仏も名無しさんM3eFr(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36463コメント欄へ移動すべて|最新の50件414.神も仏も名無しさんh7qdbコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑この教えに準えて誠実に尽くそうとしても、基本が霊感商法やねずみ講の手法であるから、嘘をつかざるを得ないだろう。2025/05/18 08:24:09415.神も仏も名無しさんNqxvDコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑やっていることが霊感商法やねずみ講の手口だから非難されるのである。2025/05/19 05:51:51416.神も仏も名無しさんCusQbコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心で洗脳された心には、教えを信じなければどう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こすだろう。2025/05/20 05:48:20417.神も仏も名無しさんZ7f8eコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑お力を求める心が芽生えれば、この教えの取り組みを求められる。勧誘、献金、無償労働である。2025/05/21 05:57:03418.神も仏も名無しさんNARZTコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑あらゆる騙しの手口が行き着いた教えに導く教師は、いつまでそれを続けるのだろうか。2025/05/22 06:00:11419.神も仏も名無しさんd56q7コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼23 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑指導者の「知ったようなことを言う」は困ったときの方便である。「教えは深すぎて分からない」と言っていれば済むのである。2025/05/23 05:49:12420.神も仏も名無しさんF9eONコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑「こんなに救われているのに報謝ですよ」と言われるが、霊言で不幸を示して救われた気にさせるマッチポンプである。2025/05/24 09:09:08421.神も仏も名無しさんszM8iコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑霊感商法を伴う教えの呵責はただのハラスメントである。それを真に受けていると、いつまでも騙され続けるだろう。2025/05/25 07:23:02422.神も仏も名無しさん71LZQコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えの中の言葉を聞くと、あらゆる宗教が寄せ集められているのが分かる。仏教を強調するのはその手法のカモフラージュである。2025/05/27 05:53:55423.神も仏も名無しさんtGlk4コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着から教えのお力へ執着が変わっても、安らぎを得ることはできない。それは、カルトに人を誘い込まなければならないからである。2025/05/28 06:02:49424.神も仏も名無しさん4UOUVコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑この教えに過去の過ちを懺悔するならば、霊感の言葉で新たな因縁を示されて取り組まされる。それは、霊感商法の手法である。2025/05/29 05:52:33425.神も仏も名無しさん3rS7pコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑世の中は移り変わり、教えの手法も変わらない。しかし、過去の情報がAIでかき集められてしまう時代である。2025/05/30 05:53:56426.神も仏も名無しさんwrrsoコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼31 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】夢みせて出離の道を教ゆるも 佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり【教主注釈】夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。↑夢までも霊感の言葉に結びつけ、教えに都合の良い様に取り組ませようとする。その目的は勧誘、無償労働、献金である。2025/05/31 07:43:27427.神も仏も名無しさん2HTqLコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑この教えに大船に乗った気分にさせられると、霊感商法やねずみ講の手法に取り組まされる泥舟に乗せられてしまうことになる。2025/06/01 07:30:27428.神も仏も名無しさん8KM9oコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑教法を学ぶどころか、騙しのデパートにどの様な手法があるか学んだほうが身を守ることができる。2025/06/02 05:46:03429.神も仏も名無しさんGrc2pコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑因縁は消除するものではない。この教えに心を揺さぶられて霊的に示されて創り出されるものである。2025/06/03 05:59:01430.神も仏も名無しさん3CRwXコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑周囲の信者が喜んで取り組み、自分もそう言われる。その違和感を感じたならばやっていることを顧みよう。2025/06/04 05:39:54431.神も仏も名無しさんLijdSコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教祖一家の因縁を信者に対して戒めようとしている。2025/06/05 06:46:09432.神も仏も名無しさん2m5SlコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えへの疑いはお力が流れてこなくなり、どう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こす。霊感商法によるマインドコントロールである。2025/06/06 06:04:53433.神も仏も名無しさんXHmJbコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦と喜びを教えのお力にこじつけられ、感情が揺さぶられる。そして、お力が何時までも続かないと脅されて勧誘行動をさせられるのである。2025/06/07 06:19:29434.神も仏も名無しさん74QXfコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑この教えのみ仏の為に何をさせられるのか。み仏は何をしてくれるのか。よく考えてみるのが良いだろう。2025/06/08 08:55:01435.神も仏も名無しさんs0OMaコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑多くを語ると教えの意図を知られてしまうが、教えを疑うとお力が流れて来ない。教えの取り組みは人を騙すことと認められない信者が人の不幸を観察する。2025/06/09 06:17:23436.神も仏も名無しさんkpIM2コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑世の欲望を教えの中で捨てようとしても、教えの中の同じ様な欲望を求めさせられるのである。特に、霊因縁の恐怖を植え付けられたお力への欲望は教えに操られるための最大の欲望である。2025/06/10 05:46:48437.神も仏も名無しさん9Y2coコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑それまでの自分の苦しい状況から救ってくれた聖なるもの。そこに世のあらゆる騙しの要素があることに気づけなければ、その加担者となってしまうだろう。2025/06/11 05:59:53438.神も仏も名無しさんsb8UcコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑この教えに自己犠牲になるのは、勧誘、献金、無償労働に取り組むのだが、信者が高貴に思っていても、人を犠牲にすることになる。2025/06/12 05:55:47439.神も仏も名無しさんEkSBuコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない。そういった後から教えにこじつけるやり取りは不毛である。2025/06/13 05:47:06440.神も仏も名無しさんclrMlコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑お力に目がくらんで、教えの手法に気づくことなく周囲に教えを勧めれば、世間での居場所が無くなるのである。2025/06/14 07:12:40441.神も仏も名無しさんU44LKコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑教祖一家に理想の親、理想の子どもを見せられ、教えに取り組むため歩む道を示される。仏教を隠れ蓑に新興宗教の手法をカモフラージュされながら信者は歩まされる。2025/06/15 06:35:00442.神も仏も名無しさんM1WGXコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑一切お任せは思考停止。それは霊因縁の恐怖から始まる。2025/06/16 05:52:07443.神も仏も名無しさんBhqbCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑信者による無理のある笑顔は、教えが流れてこなくなる恐怖の裏返しであろう。2025/06/17 05:49:06444.神も仏も名無しさんZwHJDコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑他が為は自分の実績が上がるための取り組みであり、人の信教の自由の信じない自由を侵害することに繋がる。それがこの教えの取り組みである。2025/06/18 05:52:11445.神も仏も名無しさん9RtKCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他に幸いの歩みを与えることはない。信教の自由の信じない自由を侵害するのであるから。2025/06/19 05:49:28446.神も仏も名無しさんkxmYsコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えに人を救う人と思わされる信者の心理はメサイアコンプレックスである。2025/06/20 05:57:57447.神も仏も名無しさんtis2XコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼21 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑教えの為ならば正しい道、教えの為にならなければ曲がった道。教えに思考停止させられるとそれが真理にさせられる。2025/06/21 07:39:34448.神も仏も名無しさんzk80oコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑教えに生かされていると洗脳され、やがて「勧誘しないとお力はいつまでも続かない」と脅されて勧誘しなければならなくなる。それは、お力がマルチ商法で掴まされる粗悪品であることが分かる時である。2025/06/22 07:02:40449.神も仏も名無しさんygxUjコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼24 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】智をわけて福徳荘厳あわせては 智慧荘厳と知るも尊し【教主注釈】涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。↑勧誘に行く毎に自分の徳が上がり、勧誘ターゲットの徳を上回ると勧誘が成功すると言われる。そのような方便を信じるのは時間がもったいない。2025/06/24 05:50:59450.神も仏も名無しさんm7DjkコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼25 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】今蒔きて今日に収穫あらねども 努力重ねて稔り待つべし【教主注釈】まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。↑初心のうちは「こんなに救われている」と思わされるが、やがて「勧誘しなければお力は長く続かない」と言われる。それでも続けなければならなく思わされるのがマインドコントロールである。2025/06/25 05:53:42451.神も仏も名無しさんsnMLmコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼26 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】常住の佛の教え世の末の 末の末まで楽土示さん【教主注釈】真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。↑この教えの教祖一家が常住する信者の中に、教えを疑うとどう因縁に倒されるか分からないという恐怖が常住するのである。2025/06/26 05:45:18452.神も仏も名無しさんIJXXLコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼27 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】徳という徳は特にと積めぞかし 積もりつもりて功徳とぞなる【教主注釈】徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。↑徳という人生のポイントがあると言われ、それを人生の転機に崩されたり、教えにそぐわないと無くなると言われる。それも後から取って付けられた話である。2025/06/27 05:47:19453.神も仏も名無しさんJcUn1コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼28 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中に道をば示す真理(みち)あれど 最後のみのり最上と知れ【教主注釈】名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。↑この手法に行き着くと言うならば、他のカルト同様騙しの宝庫である。2025/06/28 07:05:31454.神も仏も名無しさんpXDxRコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼29 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑人の佛に仕えまつらんは まことこめての救いにぞある【教主注釈】苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。↑この教えに向けるまことは、人の信じない自由を奪うことを無視してまで向けられるのである。2025/06/29 07:49:58455.神も仏も名無しさんiWxmSコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼30 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】貴賤をも貧富もわけずまことをば 尽くし伝うが佛子なりけり【教主注釈】世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。↑貴賤の基準が教えを信じる、信じないに変わるだけである。それは人の信教の信じない自由を侵害することに繋がる。2025/06/30 05:50:40456.神も仏も名無しさんhUKZMコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼1 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛のみめぐみこそは世の果の はてのはてまであまねかりけり【教主注釈】み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。↑何かと勧誘を重要視するが、その手口に解散命令が出る教団と同じ霊感商法が含まれる。2025/07/01 06:01:17457.神も仏も名無しさんmSqKqコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼2 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】教団の大いなるより一人をも 多く救わることぞうれしき【教主注釈】これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。↑一時期教団の信者数は右肩上がりと言われていたが、数はいくらでも操作できるのである。昭和の終わりに「水ぶくれ真如苑~急成長の秘密と欺瞞の構図~」が出版されて百万人以上公称信者数を下げた経緯もある。2025/07/02 05:56:46458.神も仏も名無しさんGPMLWコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼3 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】人の世の哀れになくも自からの あわれを知らぬ人の多きに【教主注釈】自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。↑信者の最高の教えを信じているという自惚れは、教えを否定されてしまえばたちまち崩れる。その恐れの裏返しに上から目線になっている。2025/07/03 06:02:19459.神も仏も名無しさんc1SYmコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼4 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】家々の佛檀こそはみ佛の 在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き【教主注釈】「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。↑仏壇で教祖一家や涅槃像を崇めているのを見たら、ヤバいと思った方がいい。2025/07/04 05:55:40460.神も仏も名無しさんpGvBaコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼5 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日にすべてのことに対応し 菩提の糧となすは尊し【教主注釈】 ”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。↑信者の教えへの依存状態が頭の中で何でも教えに絡めようとする。勧誘が一番の取り組みだから、人も同じような状況にさせようとするのである。2025/07/05 08:34:27461.神も仏も名無しさん9g8ACコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼6 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】まこととは目には見えねどみ佛の 世界に通じる救けとぞなる【教主注釈】まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。↑信者は教えへの忠誠心を示すが、根底に新興宗教を信じさせられているという負い目があるから教えを否定する人に攻撃的になるのである。2025/07/06 08:34:56462.神も仏も名無しさんbyIfXコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼7 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】信心は観念(おもう)のみでは迷いなり 行い示し会得するもの【教主注釈】信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。↑こんなにお力をいただいて喜んでいるだけでは申し訳ない。実践して報謝していかなければならないと言われる。お力はいつまでも続かないと言われるのは、お力がマルチ商法の粗悪品であることが明かされるからである。2025/07/07 05:53:45463.神も仏も名無しさんsbRuNコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼8 常楽【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の宝の外の宝なる 教えの宝得るぞ尊し【教主注釈】世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。↑この教えの宝はその本質を知ればたちまち失われる。しかし、そうならないための洗脳技術が施されているのである。2025/07/08 05:58:49
【芸能】タイタン太田光代社長「自首させたのに、名前が出るのはいかがなものか。名前を控えるからと自首させた意味がなくなってしまう」所属2人オンカジ疑惑ニュース速報+681861.62025/07/08 12:52:57
【気象庁】日本のほぼ全域で7月13日頃からは、この時期としては10年に一度程度しか起きないような「著しい高温」となる可能性 熱中症に警戒ニュース速報+281755.62025/07/08 12:51:31
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
この教えに準えて誠実に尽くそうとしても、基本が霊感商法やねずみ講の手法であるから、嘘をつかざるを得ないだろう。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
やっていることが霊感商法やねずみ講の手口だから非難されるのである。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心で洗脳された心には、教えを信じなければどう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こすだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
お力を求める心が芽生えれば、この教えの取り組みを求められる。勧誘、献金、無償労働である。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる騙しの手口が行き着いた教えに導く教師は、いつまでそれを続けるのだろうか。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
指導者の「知ったようなことを言う」は困ったときの方便である。「教えは深すぎて分からない」と言っていれば済むのである。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
「こんなに救われているのに報謝ですよ」と言われるが、霊言で不幸を示して救われた気にさせるマッチポンプである。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
霊感商法を伴う教えの呵責はただのハラスメントである。それを真に受けていると、いつまでも騙され続けるだろう。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
この教えの中の言葉を聞くと、あらゆる宗教が寄せ集められているのが分かる。仏教を強調するのはその手法のカモフラージュである。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着から教えのお力へ執着が変わっても、安らぎを得ることはできない。それは、カルトに人を誘い込まなければならないからである。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
この教えに過去の過ちを懺悔するならば、霊感の言葉で新たな因縁を示されて取り組まされる。それは、霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
世の中は移り変わり、教えの手法も変わらない。しかし、過去の情報がAIでかき集められてしまう時代である。
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
↑
夢までも霊感の言葉に結びつけ、教えに都合の良い様に取り組ませようとする。その目的は勧誘、無償労働、献金である。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
この教えに大船に乗った気分にさせられると、霊感商法やねずみ講の手法に取り組まされる泥舟に乗せられてしまうことになる。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教法を学ぶどころか、騙しのデパートにどの様な手法があるか学んだほうが身を守ることができる。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
因縁は消除するものではない。この教えに心を揺さぶられて霊的に示されて創り出されるものである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
周囲の信者が喜んで取り組み、自分もそう言われる。その違和感を感じたならばやっていることを顧みよう。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教祖一家の因縁を信者に対して戒めようとしている。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えへの疑いはお力が流れてこなくなり、どう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こす。霊感商法によるマインドコントロールである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦と喜びを教えのお力にこじつけられ、感情が揺さぶられる。そして、お力が何時までも続かないと脅されて勧誘行動をさせられるのである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
この教えのみ仏の為に何をさせられるのか。み仏は何をしてくれるのか。よく考えてみるのが良いだろう。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
多くを語ると教えの意図を知られてしまうが、教えを疑うとお力が流れて来ない。教えの取り組みは人を騙すことと認められない信者が人の不幸を観察する。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
世の欲望を教えの中で捨てようとしても、教えの中の同じ様な欲望を求めさせられるのである。特に、霊因縁の恐怖を植え付けられたお力への欲望は教えに操られるための最大の欲望である。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
それまでの自分の苦しい状況から救ってくれた聖なるもの。そこに世のあらゆる騙しの要素があることに気づけなければ、その加担者となってしまうだろう。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
この教えに自己犠牲になるのは、勧誘、献金、無償労働に取り組むのだが、信者が高貴に思っていても、人を犠牲にすることになる。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない。そういった後から教えにこじつけるやり取りは不毛である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
お力に目がくらんで、教えの手法に気づくことなく周囲に教えを勧めれば、世間での居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
教祖一家に理想の親、理想の子どもを見せられ、教えに取り組むため歩む道を示される。仏教を隠れ蓑に新興宗教の手法をカモフラージュされながら信者は歩まされる。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
一切お任せは思考停止。それは霊因縁の恐怖から始まる。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
信者による無理のある笑顔は、教えが流れてこなくなる恐怖の裏返しであろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為は自分の実績が上がるための取り組みであり、人の信教の自由の信じない自由を侵害することに繋がる。それがこの教えの取り組みである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他に幸いの歩みを与えることはない。信教の自由の信じない自由を侵害するのであるから。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えに人を救う人と思わされる信者の心理はメサイアコンプレックスである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
教えの為ならば正しい道、教えの為にならなければ曲がった道。教えに思考停止させられるとそれが真理にさせられる。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
教えに生かされていると洗脳され、やがて「勧誘しないとお力はいつまでも続かない」と脅されて勧誘しなければならなくなる。それは、お力がマルチ商法で掴まされる粗悪品であることが分かる時である。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
勧誘に行く毎に自分の徳が上がり、勧誘ターゲットの徳を上回ると勧誘が成功すると言われる。そのような方便を信じるのは時間がもったいない。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心のうちは「こんなに救われている」と思わされるが、やがて「勧誘しなければお力は長く続かない」と言われる。それでも続けなければならなく思わされるのがマインドコントロールである。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
この教えの教祖一家が常住する信者の中に、教えを疑うとどう因縁に倒されるか分からないという恐怖が常住するのである。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳という人生のポイントがあると言われ、それを人生の転機に崩されたり、教えにそぐわないと無くなると言われる。それも後から取って付けられた話である。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すよう
に、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
この手法に行き着くと言うならば、他のカルト同様騙しの宝庫である。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
この教えに向けるまことは、人の信じない自由を奪うことを無視してまで向けられるのである。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
貴賤の基準が教えを信じる、信じないに変わるだけである。それは人の信教の信じない自由を侵害することに繋がる。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
何かと勧誘を重要視するが、その手口に解散命令が出る教団と同じ霊感商法が含まれる。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
一時期教団の信者数は右肩上がりと言われていたが、数はいくらでも操作できるのである。昭和の終わりに「水ぶくれ真如苑~急成長の秘密と欺瞞の構図~」が出版されて百万人以上公称信者数を下げた経緯もある。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
信者の最高の教えを信じているという自惚れは、教えを否定されてしまえばたちまち崩れる。その恐れの裏返しに上から目線になっている。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
仏壇で教祖一家や涅槃像を崇めているのを見たら、ヤバいと思った方がいい。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
信者の教えへの依存状態が頭の中で何でも教えに絡めようとする。勧誘が一番の取り組みだから、人も同じような状況にさせようとするのである。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
信者は教えへの忠誠心を示すが、根底に新興宗教を信じさせられているという負い目があるから教えを否定する人に攻撃的になるのである。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
こんなにお力をいただいて喜んでいるだけでは申し訳ない。実践して報謝していかなければならないと言われる。お力はいつまでも続かないと言われるのは、お力がマルチ商法の粗悪品であることが明かされるからである。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
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この教えの宝はその本質を知ればたちまち失われる。しかし、そうならないための洗脳技術が施されているのである。