視覚障がい者の国である日本最終更新 2024/12/18 23:451.神も仏も名無しさんSJ4r9語ろう。2024/08/04 15:02:5115コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんSJ4r9日本人の7割か8割は近眼でメガネかコンタクトレンズをしている。視覚障がい者の国と言ってよい。昔は神の国と思っていましたので、日本が世界で一番よい国と思っていましたけどどうもちがうらしい。メガネかコンタクトレンズしてなくても白内障の手術とか網膜剥離の手術または眼底出血の手術をしていたりするし。だから、文部科学省あたりが近眼にならないように考えたら良いんですけど。実際は文部科学省のキャリア自体がほぼ全員近眼なんでなんで俺たちだけ近眼で悩まないといけないんだみたいになってしまうので、対策は特にしてないみたい。2024/08/04 15:11:243.神も仏も名無しさんrL2bb遺伝子系統だから、しょうがないのかも2024/08/05 09:55:234.神も仏も名無しさんrL2bb>>3遺伝子系統だから、しょ~がないのかも2024/08/05 09:57:265.神も仏も名無しさん4aCh5だから、戦前の日本の零戦は、結構すごくてグラマンとかスピットファイア相手に全機撃墜とかしてたらしいけどパイロットは全員ドイツ人だったとかまことしやかに語られていたらしいです。2024/08/05 13:31:476.神も仏も名無しさんIm1kzとりあえず >>1 は何も見えなくなれば良いよwwww2024/08/06 02:10:287.神も仏も名無しさん6Wkl7>>1 はアタマがカタワwwww2024/09/14 19:43:258.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAGcOYrワシが結婚しないのは、「自分が昭和風の男なので、嫁を不幸にしてしまう」と、思い込んでいるからなんだろう・・・と、改めて自覚したよ。そんな話を具体的に明日の朝までダラダラと書きたい誘惑にかられているのじゃが、2024/11/09 17:55:349.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAGcOYr気が向いたら書き始めるので、今日から書くかは不明2024/11/09 18:10:5410.エロ和尚◆ERO.Kk3nCArcWxw【斎藤一人】一人さんってエロ本を買うんですね と言われました(笑)https://www.youtube.com/watch?v=pge2m6q7RVE2024/11/10 10:05:3711.エロ和尚◆ERO.Kk3nCArcWxwワシの父親について昭和9年 生まれ父親は警察官母親は農業と専業主婦女女女男男男女男男の9人兄弟の下から2番目父親の父親は昭和26年に死んだ。学業優秀であった父親は、銀行に就職したかったが、片親なので不合格となったらしい。で、中堅土木会社に就職したが、体を壊したので、姉(四女)の旦那の飼料会社に転職した。2024/11/10 13:06:4712.エロ和尚◆ERO.Kk3nCArcWxw貧乏人の子だくさんといって、父は、上3人の兄弟が使い古した品物の「お下がり」ばかり与えられていたらしい。また、次男や三男に、よく虐められていたらしい。2024/11/10 13:10:3413.エロ和尚◆ERO.Kk3nCArcWxwワシの母親について昭和11年2月1日 生まれ父親は骨董品商母親は専業主婦女3人姉妹の末っ子長女が昭和2年 生まれ次女が昭和3年 生まれ(17歳で病死)父親の商売は太平洋戦争前は順調で、裕福だったが、戦争の影響で商売が傾き、戦後は生活保護世帯に没落した。「日本は絶対、勝つ」との信念のもと、金属類を惜しみなく国家に寄付したものの、敗戦のショックから立ち直れず、戦後は「花売りの行商」などをしたが、生活保護に。2024/11/10 13:22:3414.エロ和尚◆ERO.Kk3nCArcWxw3人目は、何とぞ、男子が生まれますように・・・・と念じて腰を振ったのじゃろうが、悲しいかな、3人目も女子が生まれて、母の父は、さぞ、残念であったじゃろう。それでも、三女(ワシの母)の七五三祝いの写真とかを見ると、結構、羽振りが良さそうであった。昭和16年開戦だから、昭和14~15年ころは裕福だったらしい。2024/11/10 13:30:4915.神も仏も名無しさんYlDab佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。問答、名付けられた名詞から名前を剥ぎ取ったそれを何と呼ぼうか。真理(さとり) を 無我 と言う事が出来るのだが、無我と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事はは出来ない。問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた原初、禅とは、静かにするの意である。梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)達磨さんはインドから中国にやって来たのか、否か。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは。道端のタンポポのさよなら、出会えば別れるのであ空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。また、問う。 『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』真理(さとり)は言語によって伝わらない。生まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。真理(さとり)である一如。如とは如来、来と言う助辞を漬けたものである。如来とは佛を言う。2024/12/18 23:45:19
視覚障がい者の国と言ってよい。
昔は神の国と思っていましたので、日本が世界で一番よい国と思っていましたけどどうも
ちがうらしい。
メガネかコンタクトレンズしてなくても白内障の手術とか網膜剥離の手術または眼底出血の手術をしていたりするし。
だから、文部科学省あたりが近眼にならないように考えたら良いんですけど。実際は文部科学省のキャリア自体がほぼ全員近眼なんでなんで俺たちだけ近眼で悩まないといけないんだみたいになってしまうので、対策は特にしてないみたい。
遺伝子系統だから、しょ~がないのかも
グラマンとかスピットファイア相手に全機撃墜とかしてたらしいけどパイロットは全員ドイツ人だったとかまことしやかに語られていたらしいです。
「自分が昭和風の男なので、嫁を不幸にしてしまう」
と、思い込んでいるからなんだろう・・・と、改めて自覚したよ。
そんな話を具体的に明日の朝までダラダラと書きたい誘惑に
かられているのじゃが、
https://www.youtube.com/watch?v=pge2m6q7RVE
昭和9年 生まれ
父親は警察官
母親は農業と専業主婦
女女女男男男女男男の9人兄弟の
下から2番目
父親の父親は昭和26年に死んだ。
学業優秀であった父親は、銀行に就職したかったが、
片親なので不合格となったらしい。
で、中堅土木会社に就職したが、体を壊したので、
姉(四女)の旦那の飼料会社に転職した。
父は、上3人の兄弟が使い古した品物の「お下がり」ばかり
与えられていたらしい。
また、次男や三男に、よく虐められていたらしい。
昭和11年2月1日 生まれ
父親は骨董品商
母親は専業主婦
女3人姉妹の末っ子
長女が昭和2年 生まれ
次女が昭和3年 生まれ(17歳で病死)
父親の商売は太平洋戦争前は順調で、裕福だったが、
戦争の影響で商売が傾き、戦後は生活保護世帯に没落した。
「日本は絶対、勝つ」との信念のもと、金属類を惜しみなく
国家に寄付したものの、敗戦のショックから立ち直れず、
戦後は「花売りの行商」などをしたが、生活保護に。
・・・・と念じて腰を振ったのじゃろうが、
悲しいかな、3人目も女子が生まれて、
母の父は、さぞ、残念であったじゃろう。
それでも、三女(ワシの母)の七五三祝いの写真とかを見ると、
結構、羽振りが良さそうであった。
昭和16年開戦だから、昭和14~15年ころは裕福だったらしい。
問答、名付けられた名詞から名前を剥ぎ取ったそれを何と呼ぼうか。
真理(さとり) を 無我 と言う事が出来るのだが、無我と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事はは出来ない。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、否か。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは。道端のタンポポのさよなら、出会えば別れるのであ
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
また、問う。 『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
真理(さとり)は言語によって伝わらない。生
まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
真理(さとり)である一如。如とは如来、来と言う助辞を漬けたものである。如来とは佛を言う。