パーリーの今期周回のまとめ最終更新 2025/01/29 17:401.名無しさんJsEVdわたくしパーリーの今世における経験と智慧来世に向けての準備をツラツラと書くスレです備忘録ではありますが質問は受け付けます2024/10/08 18:23:32656コメント欄へ移動すべて|最新の50件607.パ◆GyEhhmlxmzjrTxObjそして名言種子には「表義名言種子」「顕境名言種子」があり、前者は「言葉に依っての対象認識」「言葉に依らない対象認識」に種子だそうです。表義名言種子=≪左脳の言語・音声記憶≫ 言葉に依っての対象認識【顕境名言種子】=言葉に依らない対象認識2025/01/02 08:48:22608.パ◆GyEhhmlxmzjrTxObjそして名言種子には「表義名言種子」「顕境名言種子」があり、前者は「言葉に依っての対象認識」「言葉に依らない対象認識」に種子だそうです。◯【表義名言種子】≪ 左脳の言語・音声記憶 ≫言葉に依っての対象認識●【顕境名言種子】≪ 右脳の映像(フォト)記憶 ≫言葉に依らない対象認識2025/01/02 08:51:13609.登り棒◆0mnwMe9WsAXwDcl以前分離脳を題材に話した意図なのだけども、左手でコップを取れ、と指示するとその人は左手でコップを取るが左脳が扱ってない左手なのでそれが分からないため指示通りにコップを取るが、相手に伝えるための言語では分からないと答える。問題なのは言語として理解していないのに相手の言葉の指示に従ってコップをとるということ。つまり、言語を音として聴いて経験からそれに対応した行動が取れているという部分。勿論右脳も言語として理解している可能性は否定出来ないけども。まぁ複雑な指示は無理だと思うけども無意識下でも簡単な言語なら音で理解する。何かあるたびに言語化すると固定化されて五感と言語の混じった認識が行われるので偏った視点になり、固定観念を生む。そうではなくて言語化はせずに全体を把握し、相手に伝えるために最後に言語化する。2025/01/03 14:33:38610.登り棒◆0mnwMe9WsAXwDclつまり日常生活では観察が大事だが、この観察は眺めているだけで言語化するのではなく、見たままの情報を入れるだけなんだよ。観察で湧き上がってくるのが思考だと思ってる人達はまだ言語を挟まずに観察する事が出来ないわけだ。これは瞑想の時だけではない。というよりは瞑想の時も意識がなくなるのではなく、むしろ意識は覚醒していく。つまり絶対無ではない。絶対無は意識がなくなるというより覚醒しつつも何も捉えない状態のが近いと思う。2025/01/03 14:52:23611.パ◆GyEhhmlxmzjrfT8Sv>>780おれが思うにって言うか、体験的に表すなら、分別に自性本心が同参するんだよ 表 分別→分別→分別→以下同文↑↓ + + + + 自在に裏 自性→自性→自性→以下同文つまり、同時ってこと、だから無我であっても、表の我と裏の自性を瞬時に往き来可能の状態にある分別から瞬間的に無分別に移ることが可能ってことだから、日常での注意力が不要な時は無心になるので、真如に自然に入るようにもなるって感じでしょ2025/01/03 15:21:28612.パ◆GyEhhmlxmzjrfT8Sv◯右脳・左脳だけで考えるとちょっと違う人間には下層脳の、辺縁系の脳があって、それらは深層記憶と一時的記憶と感情情動などの、言語による分別以外の働きをしていて右脳はそれらの脳と密接に連携されているですから、分別心、自我心、妄想分別心、本性本心と複数の部分が連携されて、私たちの心は動いているのだと言えます◯そして人間は、この左脳の分別機能と、右脳のイメージ機能と、辺縁系の記憶と情動記憶とが同時に連携されて覚醒されると【存在・意識・至福】の体験が生じる、と2025/01/03 15:33:08613.パ◆GyEhhmlxmzjr72e6h>>789 表 分別→分別→分別→以下同文↑↓ + + + + 自在に裏 自性→自性→自性→以下同文●ここに、付け加えると、その中間点に壁があるそれがマナ識の妄想分別、これがサンカーラの、行の衝動を言語に翻訳して、妄想してくる 表 分別→分別→分別→以下同文 ↓ + + + +マナ識の壁ー◯ーー◯ーーマナ識の壁 + + + + 裏 自性→自性→自性→以下同文このマナ識の壁が無いのが、大悟後のモデルであってマナ識の壁が有るのが、大悟前のモデルこの図式の、◯部分が坐禅・瞑想や何らかの縁起によって、もたらされる【無心】の一時的状態でこの時、マナ識の妄想分別が、一時的に停止、止滅されていて、自性が分別に影響を与えているこの時、【自性+意思】のベクトルが外界に向いていて、環境と自己同一化されていると、世界を観じ、自性に向き直ると【本心】と成る●全ての瞑想・坐禅の修練は最初、この壁の一時的停止を目指し、やがてそれは、壁そのものを、任意の意思によって、任意の時間の間【無化】することが可能になっていくそして、遂には、壁は完全に無化され、永続的に透明な門である【無門】とされるのだと理解する2025/01/03 18:02:55614.法介◆T3azX0Hk1UlGSlRhttps://zawazawa.jp/e82kr5mrk6brk2am/topic/92025/01/08 04:49:37615.パ◆GyEhhmlxmzjrIOuvkwikiark無漏むろ●有漏うろ【煩悩】に対する語。【煩悩】に【全く汚されていない清浄な状態】をいう。うろ 有漏(無漏)●漏は(梵)アースラヴァasrava の訳。【漏泄】の意味で、【煩悩】のこと。【煩悩がある】ことを【有漏】といい、【煩悩が無い】ことを【無漏】という。有漏はまた有染(うぜん)、有染汚(うぜんま)、有諍(うじょう)ともいわれる。染も染汚も諍も煩悩のことである。また誤った見解を生ずる拠り所であるから【見処】ともいう。有部では、【煩悩を随増する】(即ち煩悩と随順し、煩悩を増長する)ものを【有漏法】とし、そうでないものを【無漏法】とする。即ち、四諦の中で【迷いの因と果】とである、【苦集二諦】の諸法は【有漏法】であり、【覚りの果と因】である【滅道二諦】の諸法は【無漏法】である。有漏の肉体を有漏身、有漏の境界(迷いの世界)を有漏路ともいい、【無漏清浄の仏身】を【無漏身】【無漏清浄の境界】(さとりの世界)を【無漏路】という。多くの世俗の法を対象として起こる智慧を有漏智といい、四諦の理を証見する見道以後の聖者の智慧を無漏智という。2025/01/08 21:35:51616.パ◆GyEhhmlxmzjrIOuvk●また【見道】に【至るまで】の【凡夫が起こす善】を【有漏善】といい、◯【見道に入ってから】の【聖者が起こす】【煩悩の汚れのない善】を【無漏善】という。●有漏智によって行う世俗の行為を有漏行、有漏智によって修める六行観を有漏道といい、◯無漏智によって修める四諦の観行をなどを無漏行、無漏道という。●有漏道によって煩悩を断つのを有漏断、◯無漏道によって煩悩を断つのを無漏断という。●有漏道は、人間・天上などの五趣の有漏果を招くから有漏因ともいわれ◯無漏行は涅槃のさとりである無漏果を得るから無漏因といわれる。●凡夫が六行観を修めて住する四禅・四無色定・四無量心定などの禅定を【有漏定】【有漏禅】といい、◯聖者が【無漏智を発得する禅定】を【無漏定】と【無漏禅】という。無漏定は無漏の九地(未至定・中間定・四根本定・下三無色定)において起こされる。●法相宗では【仏果の浄識】を【無漏識】といい、【仏果に至る以前の識】を【有漏識】という。ただし≪第六識・第七識≫は【初地入見道】において【一分転識得智】して【無漏智】となるとし、●≪前五識と第八識≫とは【仏果に至って】はじめて【無漏識】となるとする。【無漏のさとり】を【本来寂然たる面】を≪無漏無為≫といいそれが【作用し起動する面】を≪無漏有為≫とする。(仏教学辞典)インクルード:新纂浄土宗大辞典から2025/01/08 21:36:06617.パ◆GyEhhmlxmzjrIOuvk(30)此は即ち無漏界なり 不思議なり善なり常なり安楽なり解脱身なり 大牟尼なるを法と名づく2025/01/08 21:36:28618.パ◆GyEhhmlxmzjrv18li●心は貧欲によって、膿患によって、愚痴によって常に染せられ汚されている。心が悩むゆえにわれわれは悩み、心が清浄になったときわれわれも清浄になりうる。この『雑阿合経』の教えは、努力次第で心を清浄になし得ることを述べている。●しかし、次のパlリ『増支部経典』は本来「心は【極光浄】」であることを明瞭に説いている。◯比丘衆よ、この【心は極光浄】なり、而して其は、【客の随煩悩に雑染】せられたり。(『南伝大蔵経』第十七・増支部・一四頁)◯比丘衆よ、此の心は【極光浄】なり、而して其は【客の随煩悩より解脱】せり有聞の聖弟子は如実に是を解す、故に有聞の聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。(『南伝大蔵経』第十七・増支部・一五頁)2025/01/09 10:51:15619.パ◆GyEhhmlxmzjrbCvEm無字の公案 和訳【趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」】「禅の実践的探究には、まず禅の祖師方によって設けられた関門を透過せねばならない。絶妙の悟りに至るには普通の心意識情といわれるものを完全に滅してしまわなければならない。もしそのような関門を透った体験もなく、普通の意識を滅した経験もなしに、禅を「ああだこうだ」と評判するとすれば、その人たちはいわば藪や草むらに住み着く幽霊のようなものである。さて言ってみるがよい。この関門とはいったいどんなものであろうか。ほかでもない本則でいわれた趙州の「無」の一字、これが禅宗の第一の関門であり、これを「禅宗無門関」と称するのである。もし人あってこの関門を透ることができれば、その人は親しく趙州におめにかかることができるばかりでなく、達磨をはじめとする歴代の祖師たちと、手と手をとって歩き、たがいの眉毛が結びあわさって祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができるし、同じ耳ですべてを聞くことができる。それこそまことにすばらしく快いことではないか。さあみなのもの、この関門を透過しようではないか。それには、三百六十の骨節、八万四千の毛孔といわれる全身全霊をあげて、疑問のかたまりとなり、この「無とは何であろう」ということに集中してみるがよい。日夜この問題をとって工夫してみるがよい。しかしながらこの「無」をたんに老荘の説く「虚無」と理解してはいけないし、また「有る」とか「無い」とかの「無」と解してもいけない。一度このようにしてこの「無」を問題にしはじめると、ちょうど熱い鉄丸を呑み込んでしまって吐くこともできず、呑み込むこともできないようなもので、このようにして今まで学んできた役に立たない才覚や、まちがった悟り等、それらをすっかり洗い落としてしまうがよい。そのように長く持続して時機が熟すると、自然に「外と内」(意識と対象)との隔たりがとれ、完全に合一の状態に入る。その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、自分自身にははっきりしているが、他人にはどのようにも語れない。ーーー2025/01/14 16:16:22620.パ◆GyEhhmlxmzjrbCvEm無字の公案 和訳【趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」】◯そのように長く持続して時機が熟すると● 自然に【外と内】(意識と対象)との 隔たりがとれ 自然に【外と内】(意識と対象)との 隔たりがとれ 自然に【外と内】(意識と対象)との 隔たりがとれ● 完全に合一の状態に入る!! 完全に合一の状態に入る!! 完全に合一の状態に入る!!◯その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、◯自分自身にははっきりしているが、● 他人にはどのようにも語れない。 他人にはどのようにも語れない。 他人にはどのようにも語れない。2025/01/14 16:22:14621.パ◆GyEhhmlxmzjrcSy4D● パイロットババジの言葉しようと、する瞑想は、できますですが◯瞑想とは【起きるもの】であって◯瞑想とは【起きるもの】であって◯瞑想とは【起きるもの】であって瞑想は【心の自然な状態】です瞑想を【しようと、する】のは【心の働き】なのです● パイロットババジの言葉瞑想は【する】ものではありません【心が無い】のが瞑想です2025/01/20 07:16:20622.パ◆GyEhhmlxmzjrcSy4Dスワミジ師の過去記事です。スワミジ師が真の宇宙意識体験・ニルビチャールサマーディを成就する前のプレ宇宙意識体験について語られています。◇ヨガナンダ・ギリに起こった宇宙意識体験を私が成就する3年前の写真です。私はそれまで瞑想をしたことがありませんでした。この3年後に色々苦しいことが続き、私はニルバーナ(涅槃)を成就する決意をしました。私は3ヶ月間、寝る暇を惜しみ座りました。その時にしていた瞑想はサマタとビパサナ瞑想です。所謂、止観行です。1989年8月某日、私はマハヨギ・パイロットババジ猊下に「5000年秘密のクリヤヨガ」を伝授されたヨギにクリヤヨガを教わりました。その時点で私はマハヨギ・パイロットババジ猊下のお名前も知りませんでした。まして、そのヨギがマハヨギ・パイロットババジ猊下から「5000年秘密のクリヤヨガ」を伝授されていたことも知りませんでした。クリヤヨガをして、僅か10分か15分後に、私は根元の宇宙に往きました。それは私が瞑想を始めて3ヶ月後のことでした。その体験が「宇宙意識体験」と呼ばれるものであり、どういうステージなのか教えてくださったのは、マハヨギ・パイロットババジ猊下でした。私は猊下の神秘的な力でヒマラヤの秘密の聖地に呼ばれたのです。それは1992年の5月の事でした。私がサマーディーを成就した4年後のことでした。Om Shanti Shanti ! (愛と平和を)https://i.imgur.com/nuPku11.jpeg2025/01/20 18:52:02623.パ◆GyEhhmlxmzjrShTIOサンカルパヨガ瞑想リトリート 資料No1https://ameblo.jp/adityagiri/entry-12482974586.htmlクンブメーラの会場でマハヨギ・パイロットババジ猊下にマハアバター・ギリ・ババジを紹介される*マハヨギ・パイロットババジ猊下の紹介で「5000年生きている」と言われる「マハアバター・ババ」(正確にはマハアバター・ギリ・ババジ)にお会いした話や、同じ肉体をマハアバター・ギリ・ババジと共有しながら、別のアバター(化身)として顕現する「アバター・ギリ・ババジ」と邂逅した話などは、あまりにも不思議なことです。当の私でさえ、最初は信じられなかったくらいです。2025/01/20 21:22:37624.パ◆GyEhhmlxmzjrShTIO10+サンカルパヨガ瞑想フォロー前の記事へ一覧次の記事へサンカルパヨガ瞑想リトリート 資料No22019-07-05 13:02:59人は他人のことを話す時、相手のことではなく実は自分のエゴについて語っている*「人は他者のことを語る時、相手のことではなく、実は自分のエゴについて語る」ものです。例えば、マハヨギ・パイロットババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)の「公開サマーディー」を売名の為のショーだと非難する人たちがいます。*その方たちはマハヨギ・パイロットババジ猊下とヨグマタジについて語っているのではなく、深い瞑想体験が無い自分の事を語っているだけなのです。https://ameblo.jp/adityagiri/entry-12490425629.html2025/01/20 21:29:04625.パ◆GyEhhmlxmzjrShTIOパイロットババジ● マイナス50度の極寒の地で腰布一枚巻かず、断食しながら一日50km走破する千日回峰行◯ 猊下は発心してすぐさま、極寒のヒマラヤに向かい、常人には信じられないような修行をされました。なんとマイナス50度の世界で、全裸で、断食しながら、一日50キロを歩く千日回峰行をされました。*日本に伝わった千日回峰行は、ヒマラヤの千日回峰行の伝統がそのまま伝わったものです。千日回峰行で有名な金峯山寺の御本尊の蔵王権現を見た時、私は「シバ神だ!」と思いました。憤怒神で青い身体はシバ神そのものです。真言密教や修験道には、チベット密教タントラが色濃く伝わっています。チベット仏教はインドのタントラ密教の影響が強いのです。◯ 日本の千日回峰行も大変です。あまりに過酷な修行のため、金峯山寺では歴史上二人しか成就していません。◯ しかしヒマラヤの千日回峰行は更に過酷です。ヒマラヤは高度が高く極寒の地です。冬には、マイナス40度や50度になる世界です。そんな過酷な世界で、裸で半年間断食するだけでも人間業とは思えません。2025/01/20 23:10:18626.パ◆GyEhhmlxmzjrShTIO◯ 猊下は高度4000メートルのヒマラヤから8000メートルまで一気に駆け上られたというのですから驚きです。*4000メートルのヒマラヤから7000メートルのヒマラヤへ、半日で往復されたこともしばしばあったそうです。とても人間業とは思えません。猊下にお話を聞くと、「獣道を通るのだ」とのお答えでしたが獣でも不可能な行です。◯ 猊下はヒマラヤの総ての山に登頂したと仰いました。ということは、8000メートル級のヒマラヤに何度も登頂しているということになります。8000メートル級のヒマラヤには獣道がなさそうに見えます。◯ この話を或る人にしたら、彼はこう答えました。「それは走っているのではなく、きっと飛んでいるのだね!」私も思わず笑ってしまいましたが、実際そう思いました。空中飛行するヨギの存在を聞いていたからです。猊下が千日回峰行をされた現場に行ったことがありますが、私は1メートルも登れませんでした。そのくらい勾配がきついのです。間違いなく、猊下は飛んでいると思いました(笑)2025/01/20 23:13:35627.パ◆GyEhhmlxmzjrShTIO● 修行者時代の猊下に日本の登山隊が接触する◯ 世界中の登山家が猊下の修行を目撃したそうです。猊下が修行者時代、世界の登山家の間ではこんな噂が飛び交ったそうです。「ヒマラヤには世界の登山家が重装備で挑戦しても登頂できない山を、裸で、半日で行き来する仙人がいる」この噂は、日本の週刊誌や漫画で何度も取り上げられたことがあります。◯ 日本人の登山家だったある歯科医師が、この噂を聞いて猊下に接触しました。歯科医師さんのお名前は失念しましたが、山田さんとか佐藤さんのようによくあるお名前でした。◯ 日本の登山隊は世界の登山隊がまだ登頂していないヒマラヤの山の初征服を望んでいました。山の名前は失念しました。彼は世界の名だたる登山家でさえも登頂出来ていないヒマラヤに、何の装備も持たずに、半日で行き来する仙人にガイドをお願いしようと思ったのだそうです。2025/01/20 23:14:30628.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZThttps://ameblo.jp/adityagiri/entry-12490425629.html● ササラン王国の王子として、地位 名誉 財産 名声総てを持って生まれたマハヨギ・パイロットババジ猊下◯ マハヨギ・パイロットババジ猊下は、ササラン王国の王子として出生され、地位も、名誉も、財産も総て最初から持ってお生まれになりました。ササラン王国で、王族である猊下を知らない人は一人もいません。ササラン王国の領土はかつて日本の国土くらいあったと聞きます。ご家族はマハトマ・ガンジーやネルー首相を初め、インドの有力な政治家と親密な関係をお持ちでした。◯ 猊下ご自身も空軍中佐時代、マハトマ・ガンジーの曾孫のラジブ・ガンジー中佐とは親しい友人でした。ラジブ・ガンジーとババジ猊下は空軍中佐仲間だったのです。周知のように、ラジブ・ガンジーは母親の「インディラ・ガンジー首相」の後を継いでインド首相になりました。2025/01/22 02:03:28629.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT猊下は空軍中佐時代から有名な「空軍のヒーロー」でした。猊下は空軍時代、あることでギネスブックに載り、インド中で有名になりました。その当時、インドで猊下の名前を知らぬものはなかったそうです。猊下はどこに行っても有名でした。売名行為をする必要などさらさらないのです。◯ そんな猊下が、突然発心(ほっしん)して莫大な財産、地位、名誉を総て捨てて、腰布一枚のサドゥー(遊行者)になったのです。◯ サドゥーとは、サマーディー成就を求めて、一切の世間的柵(しがらみ)を断ち、私有財産をすてて、腰布一枚と托鉢用のボールだけを持って遊行する修行者です。ナガサドゥーはそうしたサドゥー(遊行者)の中でも、最も厳しいサドゥーの一派で、腰布さえも所有しせずに全裸で修行します。◯ ササラン王国の首都ササランは、かつてインドの首都だったそうです。猊下のご家族は、現在もビハール州で三本指に入る大富豪です。売名行為をしたい人が求める総てを、猊下は生まれつきお持ちでした。「公開サマーディー」を売名行為だと仰る人は、何も知らずに猊下をジャッジしていることを知って頂きたいのです。2025/01/22 02:03:41630.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZThttps://ameblo.jp/adityagiri/entry-12461612000.html「公開サマーディー」とは何か?2019-05-16 03:04:18*如来・如去としてのマハヨギ・パイロットババジ猊下。五日間の「公開土中サマーディー」*我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下がこれからサマーディーに入定する前のお写真。真如に去る状態なので、「如去」と呼ばれる。反対にサマーディーからこの世界に還ってこられる時は、真如から来生(らいしょう)するので、「如来」と呼ばれる。如来と如去はワンセットになっているのだ。*世界中から集まった10万人もの信者の見守る中で行われた「五日間の土中サマーディー」入定する直前のお写真。この写真は私が撮りました。「土中サマーディー」は通常三日間が限度です。摂氏45度から50度に至るインドの気候では、入定中、肉体がもちません。五日間の「土中サマーディー」は肉体にとって極めて危険です。*何も知らない人は「公開サマーディー」をショーだと思うか、イカサマだと思います。そうではありません。それならインド政府が猊下やヨグマタジ(相川圭子師)を「世界で二人しかいない政府公認のサマーディーヨギ」として認めるはずがありません。インドのような大国の国家機関が認めるのは、マハヨギ・パイロットババジ猊下とヨグマタジの「公開サマーディー」の実績があるからです。*2000万人のサドゥーの最大集団であるジュナ・アカラが、猊下やヨグマタジの「公開サマーディー」を真実と認めているのでインド政府も追認する形になっています。*普通の方でも二日間だけなら「土中サマーディー」の真似事ならできます。*しかし、三日目は酸欠と二酸化炭素中毒で確実に死にます。2025/01/22 04:05:41631.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZThttps://ameblo.jp/adityagiri/entry-12461534530.html心電図でマハヨギ・パイロットババジ猊下の死と復活を記録したインド医学会の重鎮の実験写真2019-05-15 19:35:34―――――――――――――――心電図で猊下の死と復活を記録したインド医学界の重鎮マハヨギ・パイロットババジ猊下のサマーディーを疑ったインド医学会の重鎮が、猊下に心電図を付けて、実際に死んだ後に生き返るのかどうか実験しました。*猊下は一瞬にしてサマーディーに入定されました。呼吸は停止し、心臓は停止し、脈は停止して、肉体は完全に死の状態でした。猊下はこの時は五時間後に復活しました。*実験をした医学博士は学会にこうレポートしたそうです。「私には何が起こったのか全く説明出来ない。ただ言えることはマハヨギ・パイロットババジ猊下は、確かに死んでいた。そして五時間後に生き返ったことは疑いようのない事実だ」*何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか?*我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下「何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか人々に知らしめなさい」と私に命ぜられました。爾来、それを人々に示し続けるのが、私のライフワークになっています。*猊下は続けて私に申しました。「世界中でヨガの体操部門に過ぎないハタヨガを、ヨガの総てだと誤解している人があまりにも多い。*ヨガの最終目的はサマーディーである。仏教ではそれをニルバーナ(涅槃)と言う。ジャイン(ジャイナ教)では解脱と言う。*ハタヨガは、長時間の座禅で疲れた身体を回復するために開発された。貴方は経験しているから解るだろう?極寒のヒマラヤで長時間座禅した後に、激しい運動は出来ない。それでハタヨガのようにゆっくりした動きのアッサンが開発されたのだ。痩身の為に開発された訳ではない。*ヒマラヤのヨガの行者と言うと痩身のイメージが有るだろう。私もヒマラヤ修行時代はマイナス50度の世界で、半年間断食しながら、一日50キロ以上の回峰行をしたものだ。勿論そのような時代は毎日飢えていた。身体はガリガリだった。しかし、それは修行時代のことだ。https://i.imgur.com/gQyxAH5.jpeg2025/01/22 04:22:27632.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*勿論、ヨガは美容と健康の為にはなるがそれが本来の目的ではないことを顕らかにしたい。*ヨガという言葉が英語風にヨーガと発音されるようになってから、ヨガは本来のものとは全く違うものになってしまった。*現在ヨガと思われているハタヨガは、本来の目的から外れ、痩身の為、健康維持のためだけに行われることが多い。美容や健康に留意するのは悪くはない。*でも、ヨガの目的はヨガスートラの冒頭に書かれているように「こころの止滅だ」それはサマーディー成就への道だ。*最近はヨガとは関係ないものを〇〇ヨガと名付けて、新しい商品にする人が多い。*しかしヨガは、あくまで,サマーディー成就を目的としたものだ。サマーディーとは、仏教ではニルバーナ(涅槃)、ジェイン(ジャイナ教)や仏教ではモクシャ(解脱)と呼ばれるものと大まかな意味では一緒だ。*昨今、ヨガの技法を自己流に解釈して勝手に変えている人が多い。ヨガの技法は、アヴァター様達が数千年に亘って開発してきたものだ。それを勝手に変えてはいけない。*ヨガを習いにインドに来た外国人たちの多くは短時間で母国に帰る。短時間の修行でヨガの真髄に触れることなど不可能だ。*彼らはアッサン(アーサナ・体位)の名前さえ間違って欧米社会に伝えてしまっている。まったく不勉強な人たちが、ヨガの教師として、ヨガとは無縁のものを世界中に広めてしまった。*本当のヨガは「アシュタンガヨガ」で語るところのサンヤマ(綜制)以上の部門のヨガである。*アッシュタンガのアッシュとは、数字の八と言う意味で、タンガは道という意味だ。即ちヨガの八支則だ。仏教風に言うなら、ヨガの八正道だ」2025/01/22 04:23:06633.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*「八支則とは次の8つの道だ。1 ヤマ=禁戒(日常生活で行なってはいけない5つの戒め)①アヒンサ=非暴力・不殺生②サティア=嘘をつかない。③アステヤ=不盗④ブラフマチャリア=邪淫を禁ずる。禁欲⑤アパリグラハ=不貪」2 ニヤマ=勧戒(心身を清浄にしなさいなど、日常生活で実践すべき5つの行いを勧める戒め)⑥シャウチャ=清浄にすること⑦サントーッシュ=足ることを知る⑧タパス=苦行・自制⑨スヴァディアーヤ=マントラ読誦等⑩イーシュワラ・プラニダーナ=自在神祈念(=シバ神祈念)3 アッサン=体位(ジャパニーズイングリッシュではアーサナと訛っている)4 プランヤーマ=プラーナヤマ(呼吸法)5 プラティヤハーラ=制感(感覚を制御する)以下サンヤマ(綜制部門)6 ダラーナ(集中)7 ディハン=ディアーナ(瞑想)8 サマーディー(三昧)」そのように我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下は語らました。*サンヤマ(綜制)について少し補足します。ダラーナ(集中)やディハン(ディヤーナ・瞑想)といっても、皆さんが考えるものとは全く違います。*サンヤマ(綜制)についてヨグマタジはこう説明されました。`*「武田信玄の知恵袋で、悟っていると言われた快川和尚が、織田信長に焼き討ちされた時「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って、燃え盛る火の中で座禅しながら泰然と死んだというエピソードは有名です。このステージがプラティヤハーラ(制感)です。つまり、熱いとか寒いとか言った感覚を制御出来るステージです」*私はヨグマタジからこのお話を聞いた時は驚愕しました。快川和尚と言えば、日本では悟った僧侶として有名です。日本人で「心頭滅却すれば火も又涼し」という快川和尚の言葉を知っている人は多いでしょう。*その快川和尚の達成したプラティヤハーラ(制感)のステージでさえ、まだヨガとは呼べないと仰有るのです。2025/01/22 04:23:55634.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*確かにそう言われてみれば、プラティヤハーラ(制感)と言うのは感覚を制御出来るということです。「燃え盛る火の中でも泰然自若として座禅し続けたとしても、感覚を制御できただけでそれが悟りではない、プラティヤハーラ(制感)の一段上のダラーナ(集中)からが、真のヨガだ」という主張は理屈としては納得できます。*でも、初めてこのお話を聞いた時は衝撃を受けました。「なんてヨガのレベルは高いのだ!」と驚嘆しました。*プラティヤハーラ(制感)でさえヨガではないとするなら、ダラーナ(集中)やディハン(ディヤーナ・瞑想)とは、我々が考えているような意味での、集中や瞑想とは全く違うことになります。*そして実際そうなのです。私はヒマラヤでの瞑想中に、ダラーナも瞑想も体験しましたが、ダラーナとはそれまで私がイメージしていたような「集中」とは全く異なるものでした。*ディハン(ディヤーナ・瞑想)も私がイメージしていたような瞑想ではありませんでした。*日本人がイメージしている悟りのイメージを遥かに超えた悟りの境地がダラーナであり、ディハン(ディヤーナ・瞑想)だったのです。ダラーナやディハン(ディヤーナ・瞑想)でさえそうなのですから、サマーディーは、想像もつかない高みです。2025/01/22 04:30:38635.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*勿論、ヨガは美容と健康の為にはなるがそれが本来の目的ではないことを顕らかにしたい。*ヨガという言葉が英語風にヨーガと発音されるようになってから、ヨガは本来のものとは全く違うものになってしまった。*現在ヨガと思われているハタヨガは、本来の目的から外れ、痩身の為、健康維持のためだけに行われることが多い。美容や健康に留意するのは悪くはない。*でも、ヨガの目的はヨガスートラの冒頭に書かれているように「こころの止滅だ」それはサマーディー成就への道だ。*最近はヨガとは関係ないものを〇〇ヨガと名付けて、新しい商品にする人が多い。*しかしヨガは、あくまで,サマーディー成就を目的としたものだ。サマーディーとは、仏教ではニルバーナ(涅槃)、ジェイン(ジャイナ教)や仏教ではモクシャ(解脱)と呼ばれるものと大まかな意味では一緒だ。*昨今、ヨガの技法を自己流に解釈して勝手に変えている人が多い。ヨガの技法は、アヴァター様達が数千年に亘って開発してきたものだ。それを勝手に変えてはいけない。*ヨガを習いにインドに来た外国人たちの多くは短時間で母国に帰る。短時間の修行でヨガの真髄に触れることなど不可能だ。*彼らはアッサン(アーサナ・体位)の名前さえ間違って欧米社会に伝えてしまっている。まったく不勉強な人たちが、ヨガの教師として、ヨガとは無縁のものを世界中に広めてしまった。*本当のヨガは「アシュタンガヨガ」で語るところのサンヤマ(綜制)以上の部門のヨガである。*アッシュタンガのアッシュとは、数字の八と言う意味で、タンガは道という意味だ。即ちヨガの八支則だ。仏教風に言うなら、ヨガの八正道だ」2025/01/22 04:32:00636.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*「本当のヨガは、人々をサマーディーに導く為にある。ところが人々は、美容や健康の為にヨガを習う」*「健康を気にすることは悪くない。美容を気にするのも悪いことではない。それは良いことだ。ハタヨガで健康になることは出来る」*「しかし、ヨガの本来の目的とは美容や健康のためではなく、サマーディー成就のためにあるのだ。ハタヨガはサマーディー成就に至る手段の一つに過ぎない。座禅で疲労した身体をリラックスさせるためのもので、それが究極のゴールではない」*「ヒマラヤのアヴァター様達がヨガを作った目的は、総てが苦悩であるマーヤ(=幻想)の世界で苦しむ人々を悪夢から救いたいからだ。「一切皆苦」のマーヤの世界から解脱して欲しいからだ」*もう一度繰り返します。快川和尚の悟りのステージを超えた、ディハン(ディヤーナ・瞑想)についてババジ猊下はこう仰いました。●「 貴方達に・・・【一生に一度でも】【瞑想が起これば】ラッキーだ。ディハン(ディヤーナ)は非常に高いステージだ。● ディハンは【サマーディーの、一歩手前のステージ】だ。【“する瞑想”】ではなく【“起こる瞑想”】だ。それは≪神からの恩寵≫だ 」*ババジ猊下は続けて仰いました。「最近、ハタヨガを習得しただけで「ヨギ」とか「ヨギニ」と自称する人が多いが、ヒマラヤでそう名乗れるのは、本来はサマーディー成就者だけなのだ」*「ヨガがヨーガと英語風に発音されるようになってから、本当のヨガが誤解されているのは、人類の霊的進化において不幸なことだ。ヨガはジョガとも発音されるがヨーガと発音するのは英語の影響だ」2025/01/22 04:36:36637.パ◆GyEhhmlxmzjrqBfZT*「悪夢から覚めることを覚醒という。ヨガではサマーディー成就と言い、仏教ではニルバーナ成就と言う。ヨガの目的はサマーディーの成就なのだ」*「ところが多くの人々はビジネスの為に、体操に過ぎないハタヨガを、ヨガの総てのように教えている」*「しかも間違えて教えている。アッサンの名前さえ間違えて伝えてしまっている。我々からすれば、ヨガとは言えないものをヨガと言って教えている」*「ヨガの技法は覚者が作ったものだ。それを覚醒していない人たちが勝手に「◯◯ヨガ」と命名してビジネス化しているのは嘆かわしいことだ」*真のサンカルパ・サマーディー・ヨギは、意志の力でいつでもサマーディー世界に往き来することが出来る。2025/01/22 08:22:49638.パ◆GyEhhmlxmzjr0FhXmディハン(ディヤーナ・瞑想)についてババジ猊下はこう仰いました。●「 貴方達に・・・【一生に一度でも】【瞑想が起これば】ラッキーだ。ディハン(ディヤーナ)は非常に高いステージだ。● ディハンは【サマーディーの、一歩手前のステージ】だ。【“する瞑想”】ではなく【“起こる瞑想”】だ。それは≪神からの恩寵≫だ 」2025/01/22 10:19:54639.パ◆GyEhhmlxmzjr0FhXm● 現代の仏陀と言われ、100回以上の公開サマディー(ニルバーナ)を行った、世界的に有名なシバ神の転生であったパイロットババジ倪下が2024年8月20日に、マハーニルバーナに入られ、現世を去られましたね。● その日本における後継者は、自身もサマディー(ニルバーナ)に入られている、一人はヨグマタジでありもう一人が、スワミ・アディティヤナンダ・ギリジです御二人ともニルバーナ・サマディーに入られた聖者であります因みに、パイロット・ババジ直系のヨグマタジとアディティヤナンダ・ギリジはヨガナンダジのクリヤヨガでよく知られた、マハアバター・ババジに代表される、24人のアバター様の直系でもあってご両人に師事されて、サレンダーすると、その人も、間接的また直接的にも、パイロットババジ初め、24人全員とも繋がるようになると言われています24番目のアバター様である、パイロットババジ様は、全アバター様の頂点に立つ、シバ神生まれ変わりの最高のアバター様であると、日本人の御二人のサマディー・ヨギによって、教えられております2025/01/22 19:57:20640.パ◆GyEhhmlxmzjrbbP7m◇スワミジ師はこう仰います「私はヒマラヤで不眠断食瞑想を240日間(5760時間)達成しました。これだけ長時間座れる方は必ずノーマインド(無心)を達成しています。それでなければこのように長時間座ることはできません。無心は禅で言えば悟りです。この悟りを継続できればサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)と呼ばれる世界に往くことできます。不眠断食瞑想は最初の3日間が大事です。この3日をクリヤできれば、240日間不眠断食無心瞑想も簡単に成就できます。」◇ 「無心はサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)からやってくる」無心と言っても何段階もありますが、24番目のアヴァター様になられたパイロットババジ猊下はこう仰っています。● No sleeping No eating の中で No mind 状態を持続できれば未来には必ずサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)に到達するでしょう。2025/01/23 03:56:32641.パ◆GyEhhmlxmzjrpTMod◯今の【心】(念=憶えるている・記憶)が自我でしょその【心を解脱】して、無心無自我に至るそれが【心解脱】◯無心無自我でも、自己は在りますそれを【本心】と言うそして、本心として覚醒し目覚めるとこれを【悟り】といいます● ここ迄が、個人の魂の覚醒のことこの目覚めた無心無我の【本心】としてただ、在り続けるここが、只坐し、禅に住する処の禅定であって、そのように在り続けると独存位(カイバリヤ)と言われる在り方に至ると言いますこれは、一切の対象から離れた自己であって、自己そのものだけとして存在するような処です自己は自己を認識出来ませんので識は二分を離れると、識そのものが消えます個人的【識】が消える処を【解脱】としますそれがニルバーナ、サマディーと、ヨガでは言うようです宇宙としての意識に住するのだとか、そう言われています2025/01/23 14:35:41642.パ◆GyEhhmlxmzjrpTMod● 個我と宇宙我ってところかなパーリー経典にその釈尊が宇宙我になった記述が書かれていますね● だから、ヨガのサマディーは仏教で言うような、禅定三昧や無分別【三昧】とは、意味が違っていますヨガのサマディーはヨガの八支則の最後であって集中→制感→瞑想→サマディーこの、サマディーのことを言っている訳ですね● 九次第禅定で言えば、第四禅定が悟りの状態であると言えますまあ、明確に別れていると言う意味でパーリー経典の九次第禅定の書かれているヶ所からは◯【呼吸の停止】呼気と吸気が失われると書かれていますこの先がパーリー経典に有るのか?それは未確認です◯ そしてヨガでのサマディーはどうかと言うと呼吸、心拍、脳波、この3つが失われるとされていますその後、数時間~数日~数年という時間の後に、再び復活する、生き返る訳ですその間、個人の意識をはるかに離れて宇宙意識に存在している訳です故パイロット・ババジ倪下は、過去に医師の立ち会いの元で、サマディーに入られ、医者によって、死亡判定されたあと、5時間後に復活されていて、医学的証明されましたさて、前者の呼吸の停止は【悟り段階】で起こり、呼吸停止、心拍停止、脳波停止の肉体の死は【サマディー段階】で起こると言うことです2025/01/23 14:40:12643.パ◆GyEhhmlxmzjrpTMod● 同じ第四禅定でも◯【心】が入禅定の意図を持って瞑想【する】ことで、第四禅定に入ることと◯【無心】の内に、【する】のではなく自然に、第四禅定が【起こる】とでは別であって◯前者は悟前での【有心】からの禅定で◯後者は悟後での【無心】からの禅定です前者は有心から無心へ移るのに、10分20分1時間と、時間を必要としますが後者の場合は、元々の本心が無心(無自我)であるが為に心を使っている状態から無心へは、一瞬で移行されます坐した瞬間に、そのまり替わってしまう訳ですね2025/01/23 14:40:35644.リダン◆gEV3xsS//kX6S8z5 プラティヤハーラ=制感(感覚を制御する)↑痛覚無効やな瞑想による副次的なもんかと思ってたが明確に段階としてのそれやね2025/01/25 18:38:44645.パ◆GyEhhmlxmzjrop1CN火もまた涼しいって所でも、まだ前段階みたいね次の6からが統制っていうらしい集中からか2025/01/25 23:42:52646.リダン◆gEV3xsS//kYDDLkふむなら痛覚無効は事実であり俺はそこまでは経験があると言うことかな2025/01/26 15:30:08647.パ◆GyEhhmlxmzjr4JDf8真冬に外で平気で座れるなら身心脱落に近いでしょ、ってか同じ0℃の環境とか厳しい環境の方が身心分離が逆にしやすいかもね2025/01/26 20:17:16648.パ◆GyEhhmlxmzjrvoRnZ◯ 肉体の動と静に違いなし心の動と静も同じが、しかし本心と心、本心と肉体これは違う本心が、【肉体と心】統べている無心なのは本心、本心は心ではないから無我なのは本心、上に同じ故に本心は身心脱落している◯ 悟りの当体とは本心が無心に安住してる姿無き姿2025/01/27 07:40:08649.パ◆GyEhhmlxmzjrvoRnZ◯悟り前の坐禅は本心を悟る為のもので悟り後の坐禅は本心に住する為のもの◯ 同じ坐禅でも内容がまるっきり違って来る悟り前は、有心の坐禅で無心になる為の坐禅悟り後は、無心の坐禅で悟りを超える坐禅◯ ヨグマタジの本に書いてあったこと瞑想の目的2つ□セルフ リアライゼーションと□ブラフマ リアライゼーションだって端的な言葉です2025/01/27 07:43:16650.パ◆GyEhhmlxmzjrvoRnZ沙門果経より● 65 正念正知大王よ、またどのようにして出家修行者は【正念正知】を具足するのでしょうか?大王よ、ここに出家修行者がいて進むにも退くにも彼は【正知】によってこれを行い、また直視するにも周視するにも共に【正知】によって行います。また、手足を伸ばすにも屈するにも、下衣や上衣、托鉢碗を持つ時も、飲み食い、噛み味わう時にも、大小便をする時にも、行住坐臥にも覚醒している時も、語る時も、いずれも「わたしは今、これこれの状態である」という【自覚の元】に【正知】します。大王よ、このようにして聖なる出家修行者は【正念正知】を具足するのであります。ーーーあの、これが出来るようになったら、やっと≪独居して瞑想してもいいよ≫と、瞑想の許可が出ます。それまでは色々、固めないといけない事柄が多々あります。by ホワトターラー2025/01/27 16:05:32651.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErWSankalpayoga Foundationhttps://m.youtube.com/watch?v=HfTYFDSpppE「真のヨガと真のサマーディ」スワミ・アディティヤナンダ・ギリ・ジ師登壇~いのちの祭り2024 Vol.3~ーーー釈尊のニルバーナとは、ヨガで言うところの霊的な【微細身体】でいくサマディーで言うと、究極である【第四サマディー】とのこと話者の、スワミ・アデティヤナンダ・ギリ師は、過去に第三サマディーに入られたとのことですヨガのこれ迄に知られていない秘密が一寸だけ触れられていますね2025/01/29 16:08:43652.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErWwikihttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A6%85◯初禅 pathama-jhana(梵 prathamadhyana)諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れ、「有尋有伺」ながらも、離による喜・楽と共にある状態(「離生喜楽」)。◯第二禅 dutiya-jhana(梵 dvitiyadhyana)「無尋無伺」であり、内清浄による喜・楽と共にある状態「定生喜楽」。◯第三禅 tatiya-jhana(梵 t?tiyadhyana)喜を捨し、正念・正見(すなわち念・慧)を得ながら、楽と共にある状態(「離喜妙楽」)。◯第四禅 catuttha-jhana(梵 caturthadhyana)楽が止み、不苦不楽の受が存在する状態。◯四禅の修習は、五蓋に対抗するための五心所の修習であるとアビダンマでは記載されている。釈迦が八正道で説く【正定】巴:samma-samadhi,梵:samyak-samadhi)は、この【四禅の達成】である!2025/01/29 16:20:20653.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErW●注釈 1◯「有尋有伺」うじんうし尋(認識対象把握)と伺(認識対象維持)すなわち【覚・観】を伴う状態。つまり【心の作用が止みきらず】【思索や探究心を伴う状態】のこと。尋・伺を中村元氏は尋を 粗い想い伺を 微細な想いと訳していますね2025/01/29 17:26:18654.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErW● 解脱を分類する◯ 道・果を得ることを解脱と言います。三特相のいずれかを所縁として随観することで、その所縁に応じた方向から解脱に至ります。つまり、◯ 無常相を所縁として無常を随観することで、無相解脱が得られます。苦相を所縁として苦を随観することで、無願解脱が得られます。無我相を所縁として無我を随観することで空解脱が得られます。さらに、それぞれの随観については以下に詳しく述べます。● 無常随観相とは形、姿などの特徴のことです。つまり凡夫は名色に対して何かしらの形、姿などの特徴をとらえてそれに執着します。この執着から離れるために、固定した相は存在せずに、すべて名色は生滅の変化の流れである(無常である)ことを随観します。よって無常随観によって得られる解脱を無相解脱と呼びます。● 苦随観名色に対して楽を見るから「欲しい」という願いが生じます。苦随観とは、あらゆる名色は苦のみであるとあるがまま見ることで、それによって名色に対する渇愛という願いを断ち切ります。よって苦随観によって得られる解脱を無願解脱と呼びます。● 無我随観凡夫は名色の中に「我」という実体があると見て、「これは私だ」とか、「これは私のものだ」というように執着します。無我随観では、名色のどこを探しても我という実体は存在しない、つまり空であると随観します。よって無我随観によって得られる解脱を空解脱と呼びます。● 例えば、登山ルートが3つあっても、結局どのルートも目指す目標は頂上であるように、3つの随観のいずれかの方法で頂上である解脱を目指すイメージです。2025/01/29 17:26:58655.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErW● 定を分類する定には禅定、果定、滅定の3つあります。◯ 禅定禅定に関しては止の修習を参照して下さい。◯ 果定果定においては、その修行者がすでに得ている果に入定できます。例えば、預流果を得ていれば預流果にだけ入定できます。一来果を得ていれば、一来果にだけ入定できます。預流果にはもう入定できません。そして、果定に入っている間は、ずっと果心のみが連続して生じ、果心相続が途絶えて有分心が生じることによって果定から出定します。● 滅定◯ 滅定とは心を完全にストップさせる究極の定です。不還果、阿羅漢果を得て、さらに色界、無色界禅すべてを体験している者だけが滅定に入ることができます。◯ まず、【不還果、阿羅漢果】を得ている修行者は、【色界初禅】に入定します。◯ その後、【色界初禅から出定】し色界初禅心や心所のいずれかの【三特相】を随観します。◯ その次に、【色界第二禅】に対しても同様に行います。このように、入定、出定、随観を繰り返して【無所有処】まで達します。そして、無所有処から出定した際に、次の4つの準備をします。衣や鉢や住居などの四資具が、火災、水害、盗難などに会わないように請願する。僧団の呼びかけに応じられるように予測しておく。仏陀の呼びかけに応じられるように予測しておく。自分の寿命を予測しておく。これらが終わった後に、【非想非非想処】に入定すると、【心 心所】のはたらきが【完全に停止】した【滅定】に入ります。このとき【心は働かない】ので【心生色は生じず】(滅して)【業生色・時節生色・食生色】のみが生じています。2025/01/29 17:27:25656.パ◆GyEhhmlxmzjrRdErW●注釈 1◯「有尋有伺」うじんうし尋(認識対象把握)と伺(認識対象維持)すなわち【覚・観】を伴う状態。つまり【心の作用が止みきらず】【思索や探究心を伴う状態】のこと。ーーー尋・伺を中村元氏は尋を 粗い想い伺を 微細な想いと訳していますね● 第二禅[注釈 2]無尋無伺(むじんむし)尋・伺(すなわち覚・観)が止んだ状態。つまり【思索や探究心は無い】状態である。2025/01/29 17:40:16
【芸能】エイベックス松浦勝人会長、週刊誌に怒りの警告「俺も徹底的にやるぜ」「特に文春新潮 #俺の親父がだまってるからっていい気になんなよお前のことだ」ニュース速報+1841863.92025/01/30 13:51:46
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【元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん】壮絶PTSD体験つづった初著が大反響・・・読者レビュー「彼女を誹謗中傷する人は全員読むべきだ、これを読んで、心を入れ替えないのであれば、人の心が無い」ニュース速報+1091536.32025/01/30 13:53:08
【キー局社員】「女子アナとの2人きりの飲み会をセッティングするなんて、どこの局もやっていますよ、当然、性的な関係に発展するのを見越してね、関係を持てば仕事を振ってもらえるからと受け入れるケースも多い」ニュース速報+10813182025/01/30 13:51:44
今世における経験と智慧
来世に向けての準備を
ツラツラと書くスレです
備忘録ではありますが
質問は受け付けます
「表義名言種子」「顕境名言種子」があり、前者は「言葉に依っての対象認識」「言葉に依らない対象認識」に種子だそうです。
表義名言種子=≪左脳の言語・音声記憶≫
言葉に依っての対象認識
【顕境名言種子】=言葉に依らない対象認識
「表義名言種子」「顕境名言種子」があり、前者は「言葉に依っての対象認識」「言葉に依らない対象認識」に種子だそうです。
◯【表義名言種子】
≪ 左脳の言語・音声記憶 ≫
言葉に依っての対象認識
●【顕境名言種子】
≪ 右脳の映像(フォト)記憶 ≫
言葉に依らない対象認識
問題なのは言語として理解していないのに相手の言葉の指示に従ってコップをとるということ。
つまり、言語を音として聴いて経験からそれに対応した行動が取れているという部分。
勿論右脳も言語として理解している可能性は否定出来ないけども。
まぁ複雑な指示は無理だと思うけども無意識下でも簡単な言語なら音で理解する。
何かあるたびに言語化すると固定化されて五感と言語の混じった認識が行われるので偏った視点になり、固定観念を生む。
そうではなくて言語化はせずに全体を把握し、相手に伝えるために最後に言語化する。
これは瞑想の時だけではない。というよりは瞑想の時も意識がなくなるのではなく、むしろ意識は覚醒していく。つまり絶対無ではない。絶対無は意識がなくなるというより覚醒しつつも何も捉えない状態のが近いと思う。
おれが思うにって言うか、体験的に表すなら、分別に自性本心が同参するんだよ
表 分別→分別→分別→以下同文
↑↓ + + + + 自在に
裏 自性→自性→自性→以下同文
つまり、同時ってこと、だから無我であっても、表の我と裏の自性を瞬時に往き来可能の状態にある
分別から瞬間的に無分別に移ることが可能ってこと
だから、日常での注意力が不要な時は無心になるので、真如に自然に入るようにもなる
って感じでしょ
人間には下層脳の、辺縁系の脳があって、それらは深層記憶と一時的記憶と感情情動などの、言語による分別以外の働きをしていて
右脳はそれらの脳と密接に連携されている
ですから、分別心、自我心、妄想分別心、本性本心と
複数の部分が連携されて、私たちの心は動いているのだと言えます
◯そして
人間は、この左脳の分別機能と、右脳のイメージ機能と、辺縁系の記憶と情動記憶とが
同時に連携されて覚醒されると
【存在・意識・至福】の体験が生じる、と
表 分別→分別→分別→以下同文
↑↓ + + + + 自在に
裏 自性→自性→自性→以下同文
●ここに、付け加えると、その中間点に壁がある
それがマナ識の妄想分別、これがサンカーラの、行の衝動を言語に翻訳して、妄想してくる
表 分別→分別→分別→以下同文
↓ + + + +
マナ識の壁ー◯ーー◯ーーマナ識の壁
+ + + +
裏 自性→自性→自性→以下同文
このマナ識の壁が無いのが、大悟後のモデルであって
マナ識の壁が有るのが、大悟前のモデル
この図式の、◯部分が坐禅・瞑想や何らかの縁起によって、もたらされる【無心】の一時的状態で
この時、マナ識の妄想分別が、一時的に停止、止滅されていて、自性が分別に影響を与えている
この時、【自性+意思】のベクトルが外界に向いていて、環境と自己同一化されていると、世界を観じ、自性に向き直ると【本心】と成る
●全ての瞑想・坐禅の修練は最初、この壁の一時的停止を目指し、やがてそれは、壁そのものを、任意の意思によって、任意の時間の間【無化】することが可能になっていく
そして、遂には、壁は完全に無化され、永続的に透明な門である【無門】とされるのだと理解する
無漏
むろ
●有漏うろ【煩悩】に対する語。
【煩悩】に【全く汚されていない清浄な状態】をいう。
うろ 有漏(無漏)
●漏は(梵)アースラヴァasrava の訳。
【漏泄】の意味で、【煩悩】のこと。
【煩悩がある】ことを【有漏】といい、
【煩悩が無い】ことを【無漏】という。
有漏はまた有染(うぜん)、有染汚(うぜんま)、有諍(うじょう)ともいわれる。
染も染汚も諍も煩悩のことである。
また誤った見解を生ずる拠り所であるから【見処】ともいう。
有部では、【煩悩を随増する】(即ち煩悩と随順し、煩悩を増長する)ものを【有漏法】とし、
そうでないものを【無漏法】とする。
即ち、四諦の中で【迷いの因と果】とである、【苦集二諦】の諸法は【有漏法】であり、
【覚りの果と因】である【滅道二諦】の諸法は【無漏法】である。
有漏の肉体を有漏身、有漏の境界(迷いの世界)を有漏路ともいい、
【無漏清浄の仏身】を【無漏身】
【無漏清浄の境界】(さとりの世界)を
【無漏路】という。
多くの世俗の法を対象として起こる智慧を有漏智といい、四諦の理を証見する見道以後の聖者の智慧を無漏智という。
【凡夫が起こす善】を【有漏善】といい、
◯【見道に入ってから】の【聖者が起こす】【煩悩の汚れのない善】を【無漏善】という。
●有漏智によって行う世俗の行為を有漏行、有漏智によって修める六行観を有漏道といい、
◯無漏智によって修める四諦の観行をなどを無漏行、無漏道という。
●有漏道によって煩悩を断つのを有漏断、
◯無漏道によって煩悩を断つのを無漏断という。
●有漏道は、人間・天上などの五趣の有漏果を招くから有漏因ともいわれ
◯無漏行は涅槃のさとりである無漏果を得るから無漏因といわれる。
●凡夫が六行観を修めて住する四禅・四無色定・四無量心定などの禅定を【有漏定】【有漏禅】といい、
◯聖者が【無漏智を発得する禅定】を【無漏定】と【無漏禅】という。
無漏定は無漏の九地(未至定・中間定・四根本定・下三無色定)において起こされる。
●法相宗では
【仏果の浄識】を【無漏識】といい、
【仏果に至る以前の識】を【有漏識】という。
ただし
≪第六識・第七識≫は【初地入見道】において【一分転識得智】して【無漏智】となるとし、
●≪前五識と第八識≫とは【仏果に至って】はじめて【無漏識】となるとする。
【無漏のさとり】を【本来寂然たる面】を≪無漏無為≫といい
それが【作用し起動する面】を
≪無漏有為≫とする。
(仏教学辞典)
インクルード:新纂浄土宗大辞典から
此は即ち無漏界なり 不思議なり善なり常なり
安楽なり解脱身なり 大牟尼なるを法と名づく
心が悩むゆえにわれわれは悩み、心が清浄になったときわれわれも清浄になりうる。
この『雑阿合経』の教えは、努力次第で心を清浄になし得ることを述べている。
●しかし、次のパlリ『増支部経典』は本来「心は【極光浄】」であることを明瞭に説いている。
◯比丘衆よ、この【心は極光浄】なり、而して其は、【客の随煩悩に雑染】せられたり。
(『南伝大蔵経』第十七・増支部・一四頁)
◯比丘衆よ、此の心は【極光浄】なり、而して其は【客の随煩悩より解脱】せり
有聞の聖弟子は如実に是を解す、故に有聞の聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。
聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。
聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。
聖弟子は【心を修す】と我は言ふ。
(『南伝大蔵経』第十七・増支部・一五頁)
【趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」】
「禅の実践的探究には、まず禅の祖師方によって設けられた関門を透過せねばならない。
絶妙の悟りに至るには普通の心意識情といわれるものを完全に滅してしまわなければならない。
もしそのような関門を透った体験もなく、普通の意識を滅した経験もなしに、禅を「ああだこうだ」と評判するとすれば、その人たちはいわば藪や草むらに住み着く幽霊のようなものである。
さて言ってみるがよい。この関門とはいったいどんなものであろうか。
ほかでもない本則でいわれた趙州の「無」の一字、これが禅宗の第一の関門であり、これを「禅宗無門関」と称するのである。
もし人あってこの関門を透ることができれば、その人は親しく趙州におめにかかることができるばかりでなく、達磨をはじめとする歴代の祖師たちと、手と手をとって歩き、たがいの眉毛が結びあわさって祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができるし、同じ耳ですべてを聞くことができる。
それこそまことにすばらしく快いことではないか。
さあみなのもの、この関門を透過しようではないか。
それには、三百六十の骨節、八万四千の毛孔といわれる全身全霊をあげて、疑問のかたまりとなり、この「無とは何であろう」ということに集中してみるがよい。
日夜この問題をとって工夫してみるがよい。
しかしながらこの「無」をたんに老荘の説く「虚無」と理解してはいけないし、また「有る」とか「無い」とかの「無」と解してもいけない。
一度このようにしてこの「無」を問題にしはじめると、ちょうど熱い鉄丸を呑み込んでしまって吐くこともできず、呑み込むこともできないようなもので、このようにして今まで学んできた役に立たない才覚や、まちがった悟り等、それらをすっかり洗い落としてしまうがよい。
そのように長く持続して時機が熟すると、自然に「外と内」(意識と対象)との隔たりがとれ、完全に合一の状態に入る。
その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、自分自身にははっきりしているが、他人にはどのようにも語れない。
ーーー
【趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」】
◯そのように長く持続して時機が熟すると
●
自然に【外と内】(意識と対象)との
隔たりがとれ
自然に【外と内】(意識と対象)との
隔たりがとれ
自然に【外と内】(意識と対象)との
隔たりがとれ
●
完全に合一の状態に入る!!
完全に合一の状態に入る!!
完全に合一の状態に入る!!
◯その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、
◯自分自身にははっきりしているが、
●
他人にはどのようにも語れない。
他人にはどのようにも語れない。
他人にはどのようにも語れない。
しようと、する瞑想は、できます
ですが
◯瞑想とは【起きるもの】であって
◯瞑想とは【起きるもの】であって
◯瞑想とは【起きるもの】であって
瞑想は【心の自然な状態】です
瞑想を【しようと、する】のは
【心の働き】なのです
● パイロットババジの言葉
瞑想は【する】ものではありません
【心が無い】のが瞑想です
◇ヨガナンダ・ギリに起こった宇宙意識体験を私が成就する3年前の写真です。
私はそれまで瞑想をしたことがありませんでした。
この3年後に色々苦しいことが続き、私はニルバーナ(涅槃)を成就する決意をしました。
私は3ヶ月間、寝る暇を惜しみ座りました。
その時にしていた瞑想はサマタとビパサナ瞑想です。所謂、止観行です。
1989年8月某日、私はマハヨギ・パイロットババジ猊下に
「5000年秘密のクリヤヨガ」を伝授されたヨギにクリヤヨガを教わりました。
その時点で私はマハヨギ・パイロットババジ猊下のお名前も知りませんでした。まして、そのヨギがマハヨギ・パイロットババジ猊下から「5000年秘密のクリヤヨガ」を伝授されていたことも知りませんでした。
クリヤヨガをして、僅か10分か15分後に、私は根元の宇宙に往きました。
それは私が瞑想を始めて3ヶ月後のことでした。
その体験が「宇宙意識体験」と呼ばれるものであり、どういうステージなのか教えてくださったのは、マハヨギ・パイロットババジ猊下でした。
私は猊下の神秘的な力でヒマラヤの秘密の聖地に呼ばれたのです。
それは1992年の5月の事でした。
私がサマーディーを成就した4年後のことでした。
Om Shanti Shanti ! (愛と平和を)
https://i.imgur.com/nuPku11.jpeg
https://ameblo.jp/adityagiri/entry-12482974586.html
クンブメーラの会場でマハヨギ・パイロットババジ猊下にマハアバター・ギリ・ババジを紹介される
*マハヨギ・パイロットババジ猊下の紹介で「5000年生きている」と言われる「マハアバター・ババ」(正確にはマハアバター・ギリ・ババジ)にお会いした話や、同じ肉体をマハアバター・ギリ・ババジと共有しながら、別のアバター(化身)として顕現する「アバター・ギリ・ババジ」と邂逅した話などは、あまりにも不思議なことです。
当の私でさえ、最初は信じられなかったくらいです。
10+

サンカルパヨガ瞑想
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サンカルパヨガ瞑想リトリート 資料No2
2019-07-05 13:02:59
人は他人のことを話す時、相手のことではなく実は自分のエゴについて語っている
*「人は他者のことを語る時、相手のことではなく、実は自分のエゴについて語る」ものです。
例えば、マハヨギ・パイロットババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)の「公開サマーディー」を売名の為のショーだと非難する人たちがいます。
*その方たちはマハヨギ・パイロットババジ猊下とヨグマタジについて語っているのではなく、深い瞑想体験が無い自分の事を語っているだけなのです。
https://ameblo.jp/adityagiri/entry-12490425629.html
● マイナス50度の極寒の地で腰布一枚巻かず、断食しながら一日50km走破する千日回峰行
◯ 猊下は発心してすぐさま、極寒のヒマラヤに向かい、常人には信じられないような修行をされました。
なんとマイナス50度の世界で、全裸で、断食しながら、一日50キロを歩く千日回峰行をされました。
*日本に伝わった千日回峰行は、ヒマラヤの千日回峰行の伝統がそのまま伝わったものです。
千日回峰行で有名な金峯山寺の御本尊の蔵王権現を見た時、私は「シバ神だ!」と思いました。憤怒神で青い身体はシバ神そのものです。
真言密教や修験道には、チベット密教タントラが色濃く伝わっています。チベット仏教はインドのタントラ密教の影響が強いのです。
◯ 日本の千日回峰行も大変です。
あまりに過酷な修行のため、金峯山寺では歴史上二人しか成就していません。
◯ しかしヒマラヤの千日回峰行は更に過酷です。
ヒマラヤは高度が高く極寒の地です。冬には、マイナス40度や50度になる世界です。
そんな過酷な世界で、裸で半年間断食するだけでも人間業とは思えません。
*4000メートルのヒマラヤから7000メートルのヒマラヤへ、半日で往復されたこともしばしばあったそうです。
とても人間業とは思えません。
猊下にお話を聞くと、「獣道を通るのだ」とのお答えでしたが獣でも不可能な行です。
◯ 猊下はヒマラヤの総ての山に登頂したと仰いました。
ということは、8000メートル級のヒマラヤに何度も登頂しているということになります。
8000メートル級のヒマラヤには獣道がなさそうに見えます。
◯ この話を或る人にしたら、彼はこう答えました。
「それは走っているのではなく、きっと飛んでいるのだね!」
私も思わず笑ってしまいましたが、実際そう思いました。
空中飛行するヨギの存在を聞いていたからです。
猊下が千日回峰行をされた現場に行ったことがありますが、私は1メートルも登れませんでした。そのくらい勾配がきついのです。
間違いなく、猊下は飛んでいると思いました(笑)
◯ 世界中の登山家が猊下の修行を目撃したそうです。
猊下が修行者時代、世界の登山家の間ではこんな噂が飛び交ったそうです。
「ヒマラヤには世界の登山家が重装備で挑戦しても登頂できない山を、裸で、半日で行き来する仙人がいる」この噂は、日本の週刊誌や漫画で何度も取り上げられたことがあります。
◯ 日本人の登山家だったある歯科医師が、この噂を聞いて猊下に接触しました。歯科医師さんのお名前は失念しましたが、山田さんとか佐藤さんのようによくあるお名前でした。
◯ 日本の登山隊は世界の登山隊がまだ登頂していないヒマラヤの山の初征服を望んでいました。
山の名前は失念しました。
彼は世界の名だたる登山家でさえも登頂出来ていないヒマラヤに、何の装備も持たずに、半日で行き来する仙人にガイドをお願いしようと思ったのだそうです。
● ササラン王国の王子として、地位 名誉 財産 名声総てを持って生まれたマハヨギ・パイロットババジ猊下
◯ マハヨギ・パイロットババジ猊下は、ササラン王国の王子として出生され、地位も、名誉も、財産も総て最初から持ってお生まれになりました。
ササラン王国で、王族である猊下を知らない人は一人もいません。ササラン王国の領土はかつて日本の国土くらいあったと聞きます。
ご家族はマハトマ・ガンジーやネルー首相を初め、インドの有力な政治家と親密な関係をお持ちでした。
◯ 猊下ご自身も空軍中佐時代、マハトマ・ガンジーの曾孫のラジブ・ガンジー中佐とは親しい友人でした。
ラジブ・ガンジーとババジ猊下は空軍中佐仲間だったのです。
周知のように、ラジブ・ガンジーは母親の「インディラ・ガンジー首相」の後を継いでインド首相になりました。
猊下は空軍時代、あることでギネスブックに載り、インド中で有名になりました。その当時、インドで猊下の名前を知らぬものはなかったそうです。
猊下はどこに行っても有名でした。売名行為をする必要などさらさらないのです。
◯ そんな猊下が、突然発心(ほっしん)して莫大な財産、地位、名誉を総て捨てて、腰布一枚のサドゥー(遊行者)になったのです。
◯ サドゥーとは、サマーディー成就を求めて、一切の世間的柵(しがらみ)を断ち、私有財産をすてて、腰布一枚と托鉢用のボールだけを持って遊行する修行者です。
ナガサドゥーはそうしたサドゥー(遊行者)の中でも、最も厳しいサドゥーの一派で、腰布さえも所有しせずに全裸で修行します。
◯ ササラン王国の首都ササランは、かつてインドの首都だったそうです。猊下のご家族は、現在もビハール州で三本指に入る大富豪です。
売名行為をしたい人が求める総てを、猊下は生まれつきお持ちでした。
「公開サマーディー」を売名行為だと仰る人は、何も知らずに猊下をジャッジしていることを知って頂きたいのです。
「公開サマーディー」とは何か?
2019-05-16 03:04:18
*如来・如去としてのマハヨギ・パイロットババジ猊下。
五日間の「公開土中サマーディー」
*我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下がこれからサマーディーに入定する前のお写真。真如に去る状態なので、「如去」と呼ばれる。反対にサマーディーからこの世界に還ってこられる時は、真如から来生(らいしょう)するので、「如来」と呼ばれる。
如来と如去はワンセットになっているのだ。
*世界中から集まった10万人もの信者の見守る中で行われた「五日間の土中サマーディー」入定する直前のお写真。この写真は私が撮りました。「土中サマーディー」は通常三日間が限度です。
摂氏45度から50度に至るインドの気候では、入定中、肉体がもちません。五日間の「土中サマーディー」は肉体にとって極めて危険です。
*何も知らない人は「公開サマーディー」をショーだと思うか、イカサマだと思います。そうではありません。
それならインド政府が猊下やヨグマタジ(相川圭子師)を「世界で二人しかいない政府公認のサマーディーヨギ」として認めるはずがありません。
インドのような大国の国家機関が認めるのは、マハヨギ・パイロットババジ猊下とヨグマタジの「公開サマーディー」の実績があるからです。
*2000万人のサドゥーの最大集団であるジュナ・アカラが、猊下やヨグマタジの「公開サマーディー」を真実と認めているのでインド政府も追認する形になっています。
*普通の方でも二日間だけなら「土中サマーディー」の真似事ならできます。
*しかし、三日目は酸欠と二酸化炭素中毒で確実に死にます。
心電図でマハヨギ・パイロットババジ猊下の死と復活を記録したインド医学会の重鎮の実験写真
2019-05-15 19:35:34
―――――――――――――――
心電図で猊下の死と復活を記録したインド医学界の重鎮
マハヨギ・パイロットババジ猊下のサマー
ディーを疑ったインド医学会の重鎮が、
猊下に心電図を付けて、実際に死んだ後に
生き返るのかどうか実験しました。
*猊下は一瞬にしてサマーディーに入定されました。呼吸は停止し、心臓は停止し、脈は停止して、肉体は完全に死の状態でした。猊下はこの時は五時間後に復活しました。
*実験をした医学博士は学会にこうレポートしたそうです。
「私には何が起こったのか全く説明出来ない。ただ言えることはマハヨギ・パイロットババジ猊下は、確かに死んでいた。そして五時間後に生き返ったことは疑いようのない事実だ」
*何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか?
*我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下「何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか人々に知らしめなさい」と私に命ぜられました。
爾来、それを人々に示し続けるのが、私のライフワークになっています。
*猊下は続けて私に申しました。
「世界中でヨガの体操部門に過ぎないハタヨガを、ヨガの総てだと誤解している人があまりにも多い。
*ヨガの最終目的はサマーディーである。仏教ではそれをニルバーナ(涅槃)と言う。ジャイン(ジャイナ教)では解脱と言う。
*ハタヨガは、長時間の座禅で疲れた身体を回復するために開発された。
貴方は経験しているから解るだろう?
極寒のヒマラヤで長時間座禅した後に、激しい運動は出来ない。それでハタヨガのようにゆっくりした動きのアッサンが開発されたのだ。痩身の為に開発された訳ではない。
*ヒマラヤのヨガの行者と言うと痩身のイメージが有るだろう。
私もヒマラヤ修行時代はマイナス50度の世界で、半年間断食しながら、一日50キロ以上の回峰行をしたものだ。勿論そのような時代は毎日飢えていた。
身体はガリガリだった。
しかし、それは修行時代のことだ。
https://i.imgur.com/gQyxAH5.jpeg
*ヨガという言葉が英語風にヨーガと発音されるようになってから、ヨガは本来のものとは全く違うものになってしまった。
*現在ヨガと思われているハタヨガは、
本来の目的から外れ、痩身の為、健康維持のためだけに行われることが多い。
美容や健康に留意するのは悪くはない。
*でも、ヨガの目的はヨガスートラの冒頭に書かれているように「こころの止滅だ」
それはサマーディー成就への道だ。
*最近はヨガとは関係ないものを
〇〇ヨガと名付けて、新しい商品にする人が多い。
*しかしヨガは、あくまで,サマーディー成就を目的としたものだ。
サマーディーとは、仏教ではニルバーナ(涅槃)、ジェイン(ジャイナ教)や仏教ではモクシャ(解脱)と呼ばれるものと大まかな意味では一緒だ。
*昨今、ヨガの技法を自己流に解釈して勝手に変えている人が多い。
ヨガの技法は、アヴァター様達が数千年に亘って開発してきたものだ。
それを勝手に変えてはいけない。
*ヨガを習いにインドに来た外国人たちの多くは短時間で母国に帰る。
短時間の修行でヨガの真髄に触れることなど不可能だ。
*彼らはアッサン(アーサナ・体位)の名前さえ間違って欧米社会に伝えてしまっている。
まったく不勉強な人たちが、ヨガの教師として、ヨガとは無縁のものを世界中に広めてしまった。
*本当のヨガは「アシュタンガヨガ」で語るところのサンヤマ(綜制)以上の部門のヨガである。
*アッシュタンガのアッシュとは、数字の八と言う意味で、タンガは道という意味だ。即ちヨガの八支則だ。仏教風に言うなら、ヨガの八正道だ」
1 ヤマ=禁戒(日常生活で行なってはいけない5つの戒め)
①アヒンサ=非暴力・不殺生
②サティア=嘘をつかない。
③アステヤ=不盗
④ブラフマチャリア=邪淫を禁ずる。禁欲
⑤アパリグラハ=不貪」
2 ニヤマ=勧戒(心身を清浄にしなさいなど、日常生活で実践すべき5つの行いを勧める戒め)
⑥シャウチャ=清浄にすること
⑦サントーッシュ=足ることを知る
⑧タパス=苦行・自制
⑨スヴァディアーヤ=マントラ読誦等
⑩イーシュワラ・プラニダーナ=自在神祈念(=シバ神祈念)
3 アッサン=体位(ジャパニーズイングリッシュではアーサナと訛っている)
4 プランヤーマ=プラーナヤマ
(呼吸法)
5 プラティヤハーラ=制感
(感覚を制御する)
以下サンヤマ(綜制部門)
6 ダラーナ(集中)
7 ディハン=ディアーナ(瞑想)
8 サマーディー(三昧)」
そのように我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下は語らました。
*サンヤマ(綜制)について少し補足します。ダラーナ(集中)やディハン(ディヤーナ・瞑想)といっても、皆さんが考えるものとは全く違います。
*サンヤマ(綜制)についてヨグマタジはこう説明されました。
`*「武田信玄の知恵袋で、悟っていると言われた快川和尚が、織田信長に焼き討ちされた時「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って、燃え盛る火の中で座禅しながら泰然と死んだというエピソードは有名です。
このステージがプラティヤハーラ(制感)です。つまり、熱いとか寒いとか言った感覚を制御出来るステージです」
*私はヨグマタジからこのお話を聞いた時は驚愕しました。
快川和尚と言えば、日本では悟った僧侶として有名です。
日本人で「心頭滅却すれば火も又涼し」という快川和尚の言葉を知っている人は多いでしょう。
*その快川和尚の達成したプラティヤハーラ(制感)のステージでさえ、まだヨガとは呼べないと仰有るのです。
「燃え盛る火の中でも泰然自若として座禅し続けたとしても、感覚を制御できただけでそれが悟りではない、
プラティヤハーラ(制感)の一段上のダラーナ(集中)からが、真のヨガだ」という主張は理屈としては納得できます。
*でも、初めてこのお話を聞いた時は衝撃を受けました。
「なんてヨガのレベルは高いのだ!」と驚嘆しました。
*プラティヤハーラ(制感)でさえヨガではないとするなら、ダラーナ(集中)やディハン(ディヤーナ・瞑想)とは、我々が考えているような意味での、集中や瞑想とは全く違うことになります。
*そして実際そうなのです。
私はヒマラヤでの瞑想中に、ダラーナも瞑想も体験しましたが、ダラーナとはそれまで私がイメージしていたような「集中」とは全く異なるものでした。
*ディハン(ディヤーナ・瞑想)も私がイメージしていたような瞑想ではありませんでした。
*日本人がイメージしている悟りのイメージを遥かに超えた悟りの境地がダラーナであり、ディハン(ディヤーナ・瞑想)だったのです。ダラーナやディハン(ディヤーナ・瞑想)でさえそうなのですから、サマーディーは、想像もつかない高みです。
*ヨガという言葉が英語風にヨーガと発音されるようになってから、ヨガは本来のものとは全く違うものになってしまった。
*現在ヨガと思われているハタヨガは、
本来の目的から外れ、痩身の為、健康維持のためだけに行われることが多い。
美容や健康に留意するのは悪くはない。
*でも、ヨガの目的はヨガスートラの冒頭に書かれているように「こころの止滅だ」
それはサマーディー成就への道だ。
*最近はヨガとは関係ないものを
〇〇ヨガと名付けて、新しい商品にする人が多い。
*しかしヨガは、あくまで,サマーディー成就を目的としたものだ。
サマーディーとは、仏教ではニルバーナ(涅槃)、ジェイン(ジャイナ教)や仏教ではモクシャ(解脱)と呼ばれるものと大まかな意味では一緒だ。
*昨今、ヨガの技法を自己流に解釈して勝手に変えている人が多い。
ヨガの技法は、アヴァター様達が数千年に亘って開発してきたものだ。
それを勝手に変えてはいけない。
*ヨガを習いにインドに来た外国人たちの多くは短時間で母国に帰る。
短時間の修行でヨガの真髄に触れることなど不可能だ。
*彼らはアッサン(アーサナ・体位)の名前さえ間違って欧米社会に伝えてしまっている。
まったく不勉強な人たちが、ヨガの教師として、ヨガとは無縁のものを世界中に広めてしまった。
*本当のヨガは「アシュタンガヨガ」で語るところのサンヤマ(綜制)以上の部門のヨガである。
*アッシュタンガのアッシュとは、数字の八と言う意味で、タンガは道という意味だ。即ちヨガの八支則だ。
仏教風に言うなら、ヨガの八正道だ」
ところが人々は、美容や健康の為にヨガを習う」
*「健康を気にすることは悪くない。美容を気にするのも悪いことではない。
それは良いことだ。ハタヨガで健康になることは出来る」
*「しかし、ヨガの本来の目的とは美容や健康のためではなく、サマーディー成就のためにあるのだ。
ハタヨガはサマーディー成就に至る手段の一つに過ぎない。座禅で疲労した身体をリラックスさせるためのもので、それが究極のゴールではない」
*「ヒマラヤのアヴァター様達がヨガを作った目的は、総てが苦悩であるマーヤ(=幻想)の世界で苦しむ人々を悪夢から救いたいからだ。
「一切皆苦」のマーヤの世界から解脱して欲しいからだ」
*もう一度繰り返します。
快川和尚の悟りのステージを超えた、
ディハン(ディヤーナ・瞑想)について
ババジ猊下はこう仰いました。
●「 貴方達に・・・
【一生に一度でも】【瞑想が起これば】ラッキーだ。
ディハン(ディヤーナ)は非常に高いステージだ。
● ディハンは
【サマーディーの、一歩手前のステージ】だ。
【“する瞑想”】ではなく
【“起こる瞑想”】だ。
それは≪神からの恩寵≫だ 」
*ババジ猊下は続けて仰いました。
「最近、ハタヨガを習得しただけで「ヨギ」とか「ヨギニ」と自称する人が多いが、
ヒマラヤでそう名乗れるのは、本来はサマーディー成就者だけなのだ」
*「ヨガがヨーガと英語風に発音されるようになってから、本当のヨガが誤解されているのは、人類の霊的進化において不幸なことだ。ヨガはジョガとも発音されるがヨーガと発音するのは英語の影響だ」
ヨガではサマーディー成就と言い、仏教ではニルバーナ成就と言う。
ヨガの目的はサマーディーの成就なのだ」
*「ところが多くの人々はビジネスの為に、体操に過ぎないハタヨガを、ヨガの総てのように教えている」
*「しかも間違えて教えている。
アッサンの名前さえ間違えて伝えてしまっている。
我々からすれば、ヨガとは言えないものをヨガと言って教えている」
*「ヨガの技法は覚者が作ったものだ。それを覚醒していない人たちが勝手に「◯◯ヨガ」と命名してビジネス化しているのは嘆かわしいことだ」
*真のサンカルパ・サマーディー・ヨギは、意志の力でいつでもサマーディー世界に往き来することが出来る。
ババジ猊下はこう仰いました。
●「 貴方達に・・・
【一生に一度でも】【瞑想が起これば】ラッキーだ。
ディハン(ディヤーナ)は非常に高いステージだ。
● ディハンは
【サマーディーの、一歩手前のステージ】だ。
【“する瞑想”】ではなく
【“起こる瞑想”】だ。
それは≪神からの恩寵≫だ 」
シバ神の転生であったパイロットババジ倪下が2024年8月20日に、マハーニルバーナに入られ、現世を去られましたね。
● その日本における後継者は、自身もサマディー(ニルバーナ)に入られている、一人はヨグマタジであり
もう一人が、スワミ・アディティヤナンダ・ギリジです
御二人ともニルバーナ・サマディーに入られた聖者であります
因みに、パイロット・ババジ直系のヨグマタジとアディティヤナンダ・ギリジは
ヨガナンダジのクリヤヨガでよく知られた、マハアバター・ババジに代表される、24人のアバター様の直系でもあって
ご両人に師事されて、サレンダーすると、その人も、間接的また直接的にも、パイロットババジ初め、24人全員とも繋がるようになると言われています
24番目のアバター様である、パイロットババジ様は、全アバター様の頂点に立つ、シバ神生まれ変わりの最高のアバター様であると、日本人の御二人のサマディー・ヨギによって、教えられております
「私はヒマラヤで不眠断食瞑想を240日間(5760時間)達成しました。
これだけ長時間座れる方は必ずノーマインド(無心)を達成しています。
それでなければこのように長時間座ることはできません。
無心は禅で言えば悟りです。
この悟りを継続できればサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)と呼ばれる世界に往くことできます。
不眠断食瞑想は最初の3日間が大事です。この3日をクリヤできれば、240日間不眠断食無心瞑想も簡単に成就できます。」
◇ 「無心はサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)からやってくる」
無心と言っても何段階もありますが、24番目のアヴァター様になられたパイロットババジ猊下はこう仰っています。
● No sleeping
No eating の中で
No mind 状態を持続できれば
未来には必ずサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)に到達するでしょう。
その【心を解脱】して、無心無自我に至る
それが【心解脱】
◯無心無自我でも、自己は在ります
それを【本心】と言う
そして、本心として覚醒し目覚めると
これを【悟り】といいます
● ここ迄が、個人の魂の覚醒のこと
この目覚めた無心無我の【本心】として
ただ、在り続ける
ここが、只坐し、禅に住する処の禅定であって、そのように在り続けると
独存位(カイバリヤ)と言われる在り方に至ると言います
これは、一切の対象から離れた自己であって、自己そのものだけとして存在するような処です
自己は自己を認識出来ませんので
識は二分を離れると、識そのものが消えます
個人的【識】が消える処を
【解脱】とします
それがニルバーナ、サマディーと、ヨガでは言うようです
宇宙としての意識に住するのだとか、そう言われています
ってところかな
パーリー経典にその釈尊が宇宙我になった記述が書かれていますね
● だから、ヨガのサマディーは
仏教で言うような、禅定三昧や無分別【三昧】とは、意味が違っています
ヨガのサマディーは
ヨガの八支則の最後であって
集中→制感→瞑想→サマディー
この、サマディーのことを言っている訳ですね
● 九次第禅定で言えば、第四禅定が悟りの状態であると言えます
まあ、明確に別れていると言う意味で
パーリー経典の九次第禅定の書かれているヶ所からは
◯【呼吸の停止】呼気と吸気が失われると書かれています
この先がパーリー経典に有るのか?それは未確認です
◯ そして
ヨガでのサマディーはどうかと言うと
呼吸、心拍、脳波、この3つが失われるとされています
その後、数時間~数日~数年という時間の後に、再び復活する、生き返る訳です
その間、個人の意識をはるかに離れて宇宙意識に存在している訳です
故パイロット・ババジ倪下は、過去に医師の立ち会いの元で、サマディーに入られ、医者によって、死亡判定されたあと、5時間後に復活されていて、医学的証明されました
さて、前者の呼吸の停止は【悟り段階】で起こり、呼吸停止、心拍停止、脳波停止の肉体の死は【サマディー段階】で起こると言うことです
◯【心】が入禅定の意図を持って瞑想【する】ことで、第四禅定に入ることと
◯【無心】の内に、【する】のではなく
自然に、第四禅定が【起こる】とでは
別であって
◯前者は悟前での【有心】からの禅定で
◯後者は悟後での【無心】からの禅定です
前者は有心から無心へ移るのに、10分20分1時間と、時間を必要としますが
後者の場合は、元々の本心が無心(無自我)であるが為に
心を使っている状態から無心へは、一瞬で移行されます
坐した瞬間に、そのまり替わってしまう訳ですね
(感覚を制御する)
↑
痛覚無効やな
瞑想による副次的なもんかと
思ってたが明確に段階としてのそれやね
次の6からが統制っていうらしい
集中からか
俺はそこまでは経験があると言うことかな
身心脱落に近いでしょ、ってか同じ
0℃の環境とか厳しい環境の方が身心分離が逆にしやすいかもね
心の動と静も同じ
が、しかし
本心と心、本心と肉体
これは違う
本心が、【肉体と心】統べている
無心なのは本心、本心は心ではないから
無我なのは本心、上に同じ
故に
本心は身心脱落している
◯ 悟りの当体とは
本心が無心に安住してる姿無き姿
本心を悟る為のもので
悟り後の坐禅は
本心に住する為のもの
◯ 同じ坐禅でも内容がまるっきり違って来る
悟り前は、有心の坐禅で
無心になる為の坐禅
悟り後は、無心の坐禅で
悟りを超える坐禅
◯ ヨグマタジの本に書いてあったこと
瞑想の目的2つ
□セルフ リアライゼーション
と
□ブラフマ リアライゼーション
だって
端的な言葉です
● 65 正念正知
大王よ、またどのようにして出家修行者は【正念正知】を具足するのでしょうか?
大王よ、ここに出家修行者がいて進むにも退くにも彼は【正知】によってこれを行い、また直視するにも周視するにも共に【正知】によって行います。
また、手足を伸ばすにも屈するにも、下衣や上衣、托鉢碗を持つ時も、飲み食い、噛み味わう時にも、大小便をする時にも、行住坐臥にも覚醒している時も、語る時も、
いずれも「わたしは今、これこれの状態である」という【自覚の元】に【正知】します。
大王よ、このようにして聖なる出家修行者は【正念正知】を具足するのであります。
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あの、これが出来るようになったら、
やっと≪独居して瞑想してもいいよ≫と、瞑想の許可が出ます。
それまでは色々、固めないといけない事柄が多々あります。
by ホワトターラー
「真のヨガと真のサマーディ」スワミ・アディティヤナンダ・ギリ・ジ師登壇~いのちの祭り2024 Vol.3~
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釈尊のニルバーナとは、ヨガで言うところの霊的な【微細身体】でいく
サマディーで言うと、究極である【第四サマディー】とのこと
話者の、スワミ・アデティヤナンダ・ギリ師は、過去に第三サマディーに入られたとのことです
ヨガのこれ迄に知られていない秘密が一寸だけ触れられていますね
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A6%85
◯初禅 pathama-jhana(梵 prathamadhyana)
諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れ、
「有尋有伺」ながらも、離による喜・楽と共にある状態(「離生喜楽」)。
◯第二禅 dutiya-jhana(梵 dvitiyadhyana)
「無尋無伺」であり、
内清浄による喜・楽と共にある状態「定生喜楽」。
◯第三禅 tatiya-jhana(梵 t?tiyadhyana)
喜を捨し、正念・正見(すなわち念・慧)を得ながら、
楽と共にある状態(「離喜妙楽」)。
◯第四禅 catuttha-jhana(梵 caturthadhyana)
楽が止み、不苦不楽の受が存在する状態。
◯四禅の修習は、五蓋に対抗するための五心所の修習であるとアビダンマでは記載されている。
釈迦が八正道で説く【正定】巴:samma-samadhi,梵:samyak-samadhi)は、
この【四禅の達成】である!
◯「有尋有伺」うじんうし
尋(認識対象把握)と
伺(認識対象維持)
すなわち【覚・観】を伴う状態。
つまり【心の作用が止みきらず】
【思索や探究心を伴う状態】のこと。
尋・伺を中村元氏は
尋を 粗い想い
伺を 微細な想い
と訳していますね
◯ 道・果を得ることを解脱と言います。三特相のいずれかを所縁として随観することで、その所縁に応じた方向から解脱に至ります。
つまり、
◯ 無常相を所縁として無常を随観することで、無相解脱が得られます。
苦相を所縁として苦を随観することで、無願解脱が得られます。
無我相を所縁として無我を随観することで空解脱が得られます。
さらに、それぞれの随観については以下に詳しく述べます。
● 無常随観
相とは形、姿などの特徴のことです。つまり凡夫は名色に対して何かしらの形、姿などの特徴をとらえてそれに執着します。
この執着から離れるために、固定した相は存在せずに、すべて名色は生滅の変化の流れである(無常である)ことを随観します。
よって無常随観によって得られる解脱を無相解脱と呼びます。
● 苦随観
名色に対して楽を見るから「欲しい」という願いが生じます。
苦随観とは、あらゆる名色は苦のみであるとあるがまま見ることで、それによって名色に対する渇愛という願いを断ち切ります。
よって苦随観によって得られる解脱を無願解脱と呼びます。
● 無我随観
凡夫は名色の中に「我」という実体があると見て、「これは私だ」とか、「これは私のものだ」というように執着します。
無我随観では、名色のどこを探しても我という実体は存在しない、つまり空であると随観します。
よって無我随観によって得られる解脱を空解脱と呼びます。
● 例えば、登山ルートが3つあっても、結局どのルートも目指す目標は頂上であるように、3つの随観のいずれかの方法で頂上である解脱を目指すイメージです。
定には禅定、果定、滅定の3つあります。
◯ 禅定
禅定に関しては止の修習を参照して下さい。
◯ 果定
果定においては、その修行者がすでに得ている果に入定できます。
例えば、預流果を得ていれば預流果にだけ入定できます。一来果を得ていれば、一来果にだけ入定できます。預流果にはもう入定できません。
そして、果定に入っている間は、ずっと果心のみが連続して生じ、果心相続が途絶えて有分心が生じることによって果定から出定します。
● 滅定
◯ 滅定とは心を完全にストップさせる究極の定です。不還果、阿羅漢果を得て、さらに色界、無色界禅すべてを体験している者だけが滅定に入ることができます。
◯ まず、【不還果、阿羅漢果】を得ている修行者は、【色界初禅】に入定します。
◯ その後、【色界初禅から出定】し
色界初禅心や心所のいずれかの【三特相】を随観します。
◯ その次に、【色界第二禅】に対しても同様に行います。このように、入定、出定、随観を繰り返して【無所有処】まで達します。
そして、無所有処から出定した際に、次の4つの準備をします。
衣や鉢や住居などの四資具が、火災、水害、盗難などに会わないように請願する。
僧団の呼びかけに応じられるように予測しておく。
仏陀の呼びかけに応じられるように予測しておく。
自分の寿命を予測しておく。
これらが終わった後に、【非想非非想処】に入定すると、
【心 心所】のはたらきが【完全に停止】した【滅定】に入ります。
このとき【心は働かない】ので
【心生色は生じず】(滅して)
【業生色・時節生色・食生色】のみが生じています。
◯「有尋有伺」うじんうし
尋(認識対象把握)と
伺(認識対象維持)
すなわち【覚・観】を伴う状態。
つまり【心の作用が止みきらず】
【思索や探究心を伴う状態】のこと。
ーーー
尋・伺を中村元氏は
尋を 粗い想い
伺を 微細な想い
と訳していますね
● 第二禅[注釈 2]
無尋無伺(むじんむし)
尋・伺(すなわち覚・観)が止んだ状態。
つまり【思索や探究心は無い】状態である。