【最後の審判】 イスラム教を語るスレ 【天国と地獄】 2最終更新 2026/01/06 17:131.◆JBLfMwCXhYTNypg慈悲深く慈愛あまねき、アッラーの御名においてイスラム教を語るスレhttps://talk.jp/boards/psy/16900861622025/12/18 08:24:18159コメント欄へ移動すべて|最新の50件110.◆JBLfMwCXhYylDUSアッラーの慈悲の主な側面遍在する恵み (Ar-Rahman):アッラーの慈悲は全ての人々に(信仰の有無にかかわらず)降り注ぎ、生命、食料、雨、自然の美しさなど、現世でのあらゆる祝福の源です。2025/12/27 07:25:11111.◆JBLfMwCXhYylDUS永遠の慈愛 (Ar-Rahim):信仰する者たちへの特別な慈愛であり、過ちを犯しても悔い改めてアッラーに立ち返れば、罪を赦し、導きを与えるという約束です。2025/12/27 07:25:23112.◆JBLfMwCXhYylDUS無限の赦し: 罪がどれほど大きくても、アッラーに心から赦しを請えば赦されるという、希望のメッセージが含まれています。2025/12/27 07:25:37113.◆JBLfMwCXhYylDUS神の御名 (Asma ul Husna):アッラーには「最も慈悲あまねき御方(Ar-Rahman)」、「最も慈愛深き御方(Ar-Rahim)」、「最も寛大な御方(Al-Karim)」など、慈悲を示す多くの御名があり、これらを通じてアッラーに呼びかけることが推奨されます。2025/12/27 07:25:51114.◆JBLfMwCXhYylDUS親切の源: 人間社会における全ての善、親切、共感も、アッラーの慈悲の反映であり、その源泉であるとされます。2025/12/27 07:26:01115.◆JBLfMwCXhYylDUS信仰における重要性アッラーへの呼びかけ:困難な時や感謝を伝えたい時、信者はこれらの慈悲深い御名を用いてアッラーに祈ります。絶対的服従と信頼:アッラーの慈悲を理解することは、かれを唯一神として信じ、かれの教えに従い、感謝して生きることへと繋がります。2025/12/27 07:26:17116.◆JBLfMwCXhYylDUSアッラーの慈悲は、イスラム教徒の信仰生活の基盤であり、絶望の中に希望を与え、日々の生活に意味と目的をもたらす中心的な概念です。2025/12/27 07:26:35117.◆JBLfMwCXhYylDUSアッラーは、最も慈悲深い御方ありがたや~😭2025/12/27 07:26:59118.◆JBLfMwCXhYylDUS神は、旧約聖書の時代には人間に対して、異様に厳しかったが2025/12/27 07:36:24119.◆JBLfMwCXhYylDUSコーランに至って、愛と慈悲の神になった😄2025/12/27 07:36:44120.◆JBLfMwCXhYylDUSイスラム教徒は、旧約聖書を読まない2025/12/27 08:55:23121.◆JBLfMwCXhYylDUSコーランに全部、書いてある2025/12/27 08:55:36122.◆JBLfMwCXhYylDUSコーランだけでいい2025/12/27 08:55:55123.神も仏も名無しさんN7oCl>>106「その時代」の事情は、後の時代にダーイフと見做されるハーレム的天国の実在を正当化する根拠には、決してならない。2025/12/27 09:06:10124.神も仏も名無しさんN7oCl>>109無限の慈悲?w 本当に「無限」ならば不信心者にすらその無限の慈悲とやらの恩恵に【無条件に】(※)与れなければ可笑しい。(※「無限」とは、数量的にも質的にも、そして条件的にも、文字通り「限りが無い」のだから、当然「アッラーを信じれば」等の条件が付く時点で、無限ではあり得ない。無限でなければ、全能でもあり得ない) それにしても、「無限」という言葉を軽率に使うシューキョー脳患者とオカルト脳患者の、何と夥しく多い事よ。2025/12/27 09:14:20125.神も仏も名無しさんN7oCl>>111無限でも全能でも無いなら、「永遠」も無条件に保証する事は不可能。2025/12/27 09:17:30126.神も仏も名無しさんN7oCl>>112>罪がどれほど大きくても先述の通り、決して悔い改めない不信心の罪すら赦されるので無ければ、条件の限りが有り、「無限の赦し」は決して成立しない。2025/12/27 09:20:26127.神も仏も名無しさんN7oCl>>113先述の通り、「無限の慈悲」は絶対に成立しないので(以下略)2025/12/27 09:21:44128.神も仏も名無しさんN7oCl>>115->>116 さて、ここで一句。「アッラーは メッカ帰りに この仕打ち」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%88%AA%E7%A9%BA2120%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85 そんなに信仰が大事なら、上記引用事件の犠牲者ぐらい事前に助けろよ。「全能」と嘯くぐらいなら、今すぐ過去を改変するぐらい簡単だろ? それとも何か、スレ主は前スレ同様に「犠牲者達は天国に行けるはずだ」等の【絶対に】(※)実証不能な妄言的言い訳を繰り返す気か?(※もしもスレ主が「アッラーからそういうお告げが有った」と宣うなら、「ムハンマドは究極にして最後の預言者」というイスラム教の教義と矛盾するからな!w)2025/12/27 09:32:41129.神も仏も名無しさんN7oCl>>117出た!wスレ主のワンパターン芸十八番、思考停止&無根拠なアッラー賛美!www2025/12/27 09:33:59130.神も仏も名無しさんN7oCl>>119嘘つきwwww2025/12/27 09:34:27131.神も仏も名無しさんN7oCl>>120それならば、アッラーをYHWHと同一の存在と見做す必然性は何も無いはず。 それどころか、旧約聖書をクルアーン同様の「預言」として扱う理由も消滅し、旧約聖書を「預言」として扱う事によって担保されていた、クルアーンの「預言」としての正統性すら消滅する。2025/12/27 09:43:39132.神も仏も名無しさんN7oCl>>121->>122そんじゃ、現スレの >>98 でお前が認めた通りに「ハーレム的天国」は嘘っぱちだし、おまえがハーレム的天国の実在の論拠とした前スレ948の記述はクルアーンに基づかないって事になるなぁ。 前スレ948の記述がクルアーンの記述に基づくと言うなら、その章と節が何処か、とっとと述べろや。2025/12/27 09:54:37133.神も仏も名無しさんwDwp8 ゴガギーン ドッカン m ドッカン=====) )) ☆ ∧_∧ | | / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( )| |_____ ∧_∧ < おらっ!出てこい!! 「 ⌒ ̄ | | || (´Д` ) \ ◆JBLfMwCXhY !!! | /  ̄ | |/ 「 \ \ >>131-132 に | | | | || || /\\ \ とっとと答えろ! | | | | | へ//| | | | \_________ | | | ロ|ロ |/,へ \| | | | | ∧ | | | |/ \ / (_) | | | |〈 | | | | / / / / | / | 〈| | | / / / / | | || | | / / / / =-----=-------- | |2025/12/29 15:49:20134.◆JBLfMwCXhYHNr38>>128早めに天国に引き上げてくれたのだろう2025/12/30 05:02:14135.◆JBLfMwCXhYHNr38アッラーは慈悲深い御方~😭2025/12/30 05:02:32136.◆JBLfMwCXhYHNr38>>131旧約聖書は読まなくていいコーランに全部、書いてある2025/12/30 05:02:59137.◆JBLfMwCXhYHNr38“(ムハンマドよ、)われはただ万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。”(クルアーン21:107)2025/12/30 05:13:24138.◆JBLfMwCXhYhUaM3“あなたがかれらを優しくしたのは、アッラーの御恵みであった。あなたがもしも薄情で心が荒々しかったならば、かれらはあなたの周囲から離れ去ったであろう。だからかれら(の過失)を許し、かれらのために(アッラーの)御赦しを請いなさい。そして諸事にわたり、かれらと相談しなさい。”(クルアーン3:159)2025/12/30 08:49:07139.◆JBLfMwCXhYhOAA8“われの慈悲は、凡てのものにあまねくおよぶ””われの慈悲は、われの怒りに勝る”2025/12/30 14:19:57140.◆JBLfMwCXhYDygPmコーランと新年は、イスラム暦(ヒジュラ暦)の新年の祝祭や、イランの春の新年「ノウルーズ」で関連が見られ、特にイランでは、新年の食卓にコーランを添えたり、旅の安全祈願にコーランを使ったりする習慣があり、コーラン(クルアーン)は、イスラム教徒にとって神聖な書物として、新年の節目にも深く関わっていますが、新年のお祝いの仕方は、イスラム教の宗派や地域によって異なります。2026/01/01 08:42:44141.◆JBLfMwCXhYDygPmイスラム暦の新年の場合 (ヒジュラ暦)日付: 太陰暦のため毎年日付が変わり、太陽暦の7月頃(例:2024年は7月7日頃)。挨拶: 「クルアーム・アントム・ビ・ハイル(その年を通して、あなた方が元気でありますように)」などの言葉で祝うことがあります。イベント: インドネシアなどで、巨大なコーランを設置して祝うイベントが行われることもあります。イランの春の新年 (ノウルーズ)日付: 春分の日(3月22日頃)を元日とする太陽暦のお正月で、非常に盛大に祝われます。習慣:七草(ハフト・スィーン): 食卓にコーランを添え、麦芽のペースト、リンゴ、にんにく、酢など7つの縁起物を並べ、再生や健康、愛情を願います。旅のおまじない: 旅に出る際に、コーランの下をくぐり、キスをして、水の入ったコップを車が通った後にまくことで、旅の安全を祈ります。2026/01/01 08:43:07142.◆JBLfMwCXhY6ZFueイスラム教では、新年は夏に始まる2026/01/01 08:46:51143.◆JBLfMwCXhY6ZFue今年は6月27日だ2026/01/01 08:47:12144.◆JBLfMwCXhYtwQTr■唐突に訪れる終末の日コーランによれば、終末の日がいつ来るのか知っているのはアッラーだけで、人間はまったくこれを予期できないため、その日はまったく突然にやってくるといっていい。ユダヤ教・キリスト教においては、世界の終末にはいくつかの前兆があるが、コーランが語る世界の終末には前兆らしきものはほとんどない。ただ1つの例外は、ヤージュージュとマージュージュと呼ばれるものが解き放たれて、崖から駆け下りてきて世界を荒らすとされていることである。ヤージュージュとマージュージュというのは、旧約聖書や『ヨハネの黙示録』の中で終末の直前に世界を混乱させるとされているゴグとマゴグのことだが、この2人(あるいは2つの種族)が、どのように世界を荒らすかは、コーランには語られていない。2026/01/06 14:29:08145.◆JBLfMwCXhYtwQTrこのため、世界の終末はまったく唐突に訪れる。終末はまず天変地異という形でやってくる。コーランではこの天変地異を天の崩壊と地の崩壊という2つの視点で語っている。アッラーの創った天は7層で、がっしりしており、どこにも裂け目がないとされているが、終末の日にはこの天がぐらぐらと大きく揺れ、ぱっくりと割れて裂けてしまい、壊れ落ちてくるのである。しかし、信仰心のない人間たちは、このときになっても、「あれ、随分と雲が重なっているな」などというだけだという。天体の星々も、このときに命を終える。星たちは輝きを失って地上に落ちてくる。太陽も月も完全に光を失い、暗黒にぐるぐる巻きにされてしまう。2026/01/06 14:29:41146.◆JBLfMwCXhYtwQTrこうした崩壊は大地をも襲う。本来ならば平坦で不動のはずの大地が、ぐらぐらと激しく揺れ、砕かれ、四方八方に裂け、中にあったものをすべて吐き出して空っぽになってしまう。大地を不動のものとするために杭のように打ち立てられていた山々も、ずるずると動きだし、ついに空中を乱れ飛んで、粉々になってしまうのである。こうして、すべての山々が崩壊してしまうので、大地はついにどこまでも平坦なものになってしまう。そして、この結果、海の水が大地に流れ込んで、世界は始まる以前の混沌の状態に戻ってしまうのである。2026/01/06 14:30:17147.◆JBLfMwCXhYtwQTr■正気の消滅と復活コーランは旧約聖書や福音書を前提にしているので、終末の日の出来事はユダヤ教やキリスト教のものと類似している。このことは、人間の身に起こる出来事についても同様である。終末の日に人間の身に起こる出来事で最大のものは最後の審判だが、この審判はこの世に生きたことのある人間のすべてが受けなければならないものである。終末の日に、地上で生きていたか死んで墓の中にいたかは関係ない。そこで、終末の日に生きていたか死んでいたかによって、この日経験する出来事が少しばかり異なることになる。2026/01/06 14:30:46148.◆JBLfMwCXhYtwQTr終末の日には、天使が2度ラッパを吹き鳴らすが、この日に生きていたものたちは、最初のラッパが鳴り響いたとき、すべてが一度気を失うとされている。それから、2度目のラッパが鳴り響き、生きていたものも死んでいたものもすべてが、生きていたときと同じ姿で復活するのである。2026/01/06 14:31:07149.◆JBLfMwCXhYtwQTrこの復活の場面に関しては、コーランの考えはユダヤ教やキリスト教と異なっている。ユダヤ教、キリスト教では、人間は死ぬとすぐに死後の審判を受け、天国や地獄に送られる。そこで、最後の審判は、終末の日以前に死んでいた人間にとって死後に行われる2度目の審判ということになる。しかし、コーランでは、人間の受ける審判は最後の審判だけである。コーランの場合、人間は死ぬと墓に埋められ、その墓の中で、最後の審判を待っているとされているのである。終末の日に天使が2度目のラッパを鳴らすと、死んでいた人間たちは墓の中から復活するのである。墓の中にいた人間たちは、身体が腐り、骨になったり、完全に土になってしまっているものたちもいるが、そのようなことには関係なく、すべてのものたちが生きていたときと同じ肉体を供えた姿になって復活するという。2026/01/06 14:31:30150.◆JBLfMwCXhYtwQTr■死後の時間感覚ここで、とくに興味を引くのは、墓から復活したものたちの時間に関する感覚である。現実的な時間では、古い時代に死んだものと、より新しい時代に死んだものとでは、墓の中にいた時間には大きな違いがある。1000年以上も墓の中にいたものもいれば、10年間しか墓の中にいなかったものもいるはずである。しかし、コーランによれば、終末の日に復活した人間たちはみながみな、墓の中で暮らしていたのはほんの少しの期間に過ぎないと感じるのだという。たとえ何百年間も墓の中にいたとしても、復活した日には、人々はみな、自分がわずか10日間しか墓の中にいなかったとか、たった1日しかいなかったとか、極端な場合には1時間しかいなかったと感じ、近くにいるものたちとひそひそと墓の中にいた時間について話し合ったりするのである。2026/01/06 14:32:21151.◆JBLfMwCXhYtwQTr復活した人々は、次に神アッラーの前に集められる。このとき、人々はぞろぞろと群を成してアッラーの前に集まってくるとされている。しかし、このとき人々はただたんに群を成しているだけで、それぞれの人間の間に特別な関係もあるわけではないし、むしろ、それぞれがまったく無関係な個人として群を成して移動しているだけだといっていい。生きているときに夫婦だったとか、親子だったとか、あるいは兄弟、親戚、友人同士だったなどという関係は、終末の日にはもはや存在しなくなってしまうし、何の役にも立たなくなってしまう。あくまでも1個人として、人々は群を成してアッラーの前に集まり、そこで最後の審判を受けることになるのである。2026/01/06 14:32:42152.◆JBLfMwCXhYtwQTr■嘘をつけない身近な証人コーランの語る最後の審判は、ユダヤ教やキリスト教のそれと同様に、人間が生きてきた間にしてきた行為の数々を取り上げ、その善悪を判断して、天国に行くべきか地獄に行くべきかを決めるためのものである。この判断を行うのはアッラーの神だが、コーランでは審判が行われるのは大地の上なので、審判に先立って、神の来臨があるとされている。終末の日に、どかんどかんと大地が砕かれ、そこに神が降りてくるのである。神と一緒に数多くの天使たちも隊伍を整えてやってくる。業火が燃え盛るジャハンナムと呼ばれる地獄までもが、審判の場には持ち込まれるという。2026/01/06 14:33:30153.◆JBLfMwCXhYtwQTr終末の日に復活した人々は、みながみなこの場所へやってきて、1人1人最後の審判を受けることになるのである。こうして、最後の審判の場まで来ると、人間はもうどんな嘘をついても通用しないし、どんないいわけも役に立たない。最後の審判にやってくる人間は、みなそれぞれに2人の天使に付き添われている。そのうち1人は人間を追い立てる役目を持つものだが、もう1人は人間の魂の記録係だとされている。この記録係の天使は、すべての人間に1人づつ割り当てられており、人間が生きている間の行動をすべて帳簿に記録していたのである。2人の天使に伴われてアッラーの前にやってきた人間は、帳簿に記録されている善いことも悪いこともすべて見せつけられる。そして、ここで発言されたことはすべて、そばにいる番人によって記録されるのである。2026/01/06 14:34:23154.◆JBLfMwCXhYtwQTr審判の場所には、数多くの証人たちも登場する。興味深いのは、コーランの最後の審判では、天使や人間や妖霊ばかりでなく、舌、手、足、耳、目、肌といったその当人の身体の一部までが重要な証人となるということだ。自分の肌が突然に自分に不利なことを証言し始めたことに驚いて、「どうしておまえは自分に不利なことを証言するのだ」と文句を言っても始まらない。アッラーが肌に証言することを許しているからである。こうして、最後の審判にあっては、あらゆる意味で公正な裁判が行われるのである。2026/01/06 14:34:40155.◆JBLfMwCXhYtwQTr■アッラーの裁量最後の審判を受けることで、人間はそれ以降の時間を永遠に天国(ジャンナ)か地獄(ジャハンナム)で過ごすことになる。天国は永遠の楽園であり、そこに入ったものは永遠に安楽な暮らしをすることができる。地獄は全く逆の場所で、そこに入ったものは永遠の責め苦に苦しむことになる。2026/01/06 14:35:14156.◆JBLfMwCXhYtwQTrここで天国行きか地獄行きかを分けるものは当人の生前の行いだが、コーランにおいては、人間の生前の行いに報いるための独自の法則がある。単純化すると、生前に少しでも善いことをした者は、その人が行った行為の中で最も優れた善行によって全人生を判断され、悪いことを行った者は、悪行の総量によって判断されるということである。これは、善いことを行った者は自分が行った善いことの総量以上の褒美をもらうことができ、悪いことを行った者には悪行に見合った罰が与えられるということである。例えば、コーランを信仰し、善行を行おうと努力した者の場合は、たとえ少しばかり悪いことをしたことがあっても、それは見逃してもらえる。そればかりか、その人が行った行為の中で最も善いことを、一生涯行い続けた分だけの褒美を天国においてもらうことができるのである。コーランの中には、アッラーは人間の善行に対しては、それを十倍、あるいは何十倍にもして返すと記された部分もある。したがって、コーランを読む限り、地獄に行くことになるのはかなり悪質な人間だと想像できる。しかし、このような人間に対しても、アッラーはその人が犯した罪以上の罰は与えない。生前に地上で行った悪事の1つ1つについて、それと同程度の苦しみを地獄で与えられることになるのである。2026/01/06 14:36:09157.◆JBLfMwCXhYtwQTr■天国と地獄天国と地獄については、コーランに特別に詳しい描写はないが、簡単な描写はいくつか見つけることができる。天国は完全な楽園で、食うに困らない快適な場所である。具体的には、絶対に腐ることのない水が流れる川、味の変わらない乳の川、美酒の川、蜜の川などがあり、あらゆる種類の果物も実っている。暮らしぶりも贅沢で、金糸で飾られたねだい臥台に横たわり若々しい従者に酌をさせて酒を飲むことができるし、その酒はいくら飲んでも頭が痛くなったりしないという。また、鳥の肉も食い放題で、処女の妻まであたえられる。これに対して、地獄の方は基本的には燃え盛る炎に包まれた場所だとされており、煮えたぎる熱湯やどろどろの膿汁を呑まされる場所とされている。地獄のどん底にはザックームという奇怪な木も生えている。この木には悪魔の頭のような実が生っており、罪人たちはこの実を無理矢理に腹一杯食わされるのである。2026/01/06 14:37:53158.神も仏も名無しさんY1GU6クルアーンのシステムはこの正月理解できた昨日だけど😆2026/01/06 17:10:28159.神も仏も名無しさんY1GU6仁和寺だけはやけに苦労してるけどたぶん、ああいう感じだと末寺で把握しているがわからん😆2026/01/06 17:13:46
【朝日新聞・中盤情勢調査】自民党は単独で過半数(233議席)を大きく上回る勢いで、日本維新の会とあわせて与党として300議席超をうかがう、中道改革連合はふるわず、公示前勢力(167議席)から半減もニュース速報+2763773.22026/02/01 23:18:13
イスラム教を語るスレ
https://talk.jp/boards/psy/1690086162
遍在する恵み (Ar-Rahman):
アッラーの慈悲は全ての人々に(信仰の有無にかかわらず)降り注ぎ、生命、食料、雨、自然の美しさなど、現世でのあらゆる祝福の源です。
信仰する者たちへの特別な慈愛であり、過ちを犯しても悔い改めてアッラーに立ち返れば、罪を赦し、導きを与えるという約束です。
罪がどれほど大きくても、アッラーに心から赦しを請えば赦されるという、希望のメッセージが含まれています。
アッラーには「最も慈悲あまねき御方(Ar-Rahman)」、「最も慈愛深き御方(Ar-Rahim)」、「最も寛大な御方(Al-Karim)」など、慈悲を示す多くの御名があり、これらを通じてアッラーに呼びかけることが推奨されます。
アッラーへの呼びかけ:
困難な時や感謝を伝えたい時、信者はこれらの慈悲深い御名を用いてアッラーに祈ります。
絶対的服従と信頼:
アッラーの慈悲を理解することは、かれを唯一神として信じ、かれの教えに従い、感謝して生きることへと繋がります。
ありがたや~😭
人間に対して、異様に厳しかったが
「その時代」の事情は、後の時代にダーイフと見做されるハーレム的天国の実在を正当化する根拠には、決してならない。
無限の慈悲?w
本当に「無限」ならば不信心者にすらその無限の慈悲とやらの恩恵に【無条件に】(※)与れなければ可笑しい。
(※「無限」とは、数量的にも質的にも、そして条件的にも、文字通り「限りが無い」のだから、当然「アッラーを信じれば」等の条件が付く時点で、無限ではあり得ない。無限でなければ、全能でもあり得ない)
それにしても、「無限」という言葉を軽率に使うシューキョー脳患者とオカルト脳患者の、何と夥しく多い事よ。
無限でも全能でも無いなら、「永遠」も無条件に保証する事は不可能。
>罪がどれほど大きくても
先述の通り、決して悔い改めない不信心の罪すら赦されるので無ければ、条件の限りが有り、「無限の赦し」は決して成立しない。
先述の通り、「無限の慈悲」は絶対に成立しないので(以下略)
さて、ここで一句。
「アッラーは メッカ帰りに この仕打ち」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%88%AA%E7%A9%BA2120%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
そんなに信仰が大事なら、上記引用事件の犠牲者ぐらい事前に助けろよ。
「全能」と嘯くぐらいなら、今すぐ過去を改変するぐらい簡単だろ?
それとも何か、スレ主は前スレ同様に「犠牲者達は天国に行けるはずだ」等の【絶対に】(※)実証不能な妄言的言い訳を繰り返す気か?
(※もしもスレ主が「アッラーからそういうお告げが有った」と宣うなら、「ムハンマドは究極にして最後の預言者」というイスラム教の教義と矛盾するからな!w)
出た!w
スレ主のワンパターン芸十八番、
思考停止&無根拠なアッラー賛美!www
嘘つきwwww
それならば、アッラーをYHWHと同一の存在と見做す必然性は何も無いはず。
それどころか、旧約聖書をクルアーン同様の「預言」として扱う理由も消滅し、旧約聖書を「預言」として扱う事によって担保されていた、クルアーンの「預言」としての正統性すら消滅する。
そんじゃ、現スレの >>98 でお前が認めた通りに「ハーレム的天国」は嘘っぱちだし、おまえがハーレム的天国の実在の論拠とした前スレ948の記述はクルアーンに基づかないって事になるなぁ。
前スレ948の記述がクルアーンの記述に基づくと言うなら、その章と節が何処か、とっとと述べろや。
ドッカン
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早めに天国に引き上げてくれたのだろう
旧約聖書は読まなくていい
コーランに全部、書いてある
“(ムハンマドよ、)われはただ万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。”
(クルアーン21:107)
“あなたがかれらを優しくしたのは、アッラーの御恵みであった。あなたがもしも薄情で心が荒々しかったならば、かれらはあなたの周囲から離れ去ったであろう。だからかれら(の過失)を許し、かれらのために(アッラーの)御赦しを請いなさい。そして諸事にわたり、かれらと相談しなさい。”
(クルアーン3:159)
”われの慈悲は、われの怒りに勝る”
日付: 太陰暦のため毎年日付が変わり、太陽暦の7月頃(例:2024年は7月7日頃)。
挨拶: 「クルアーム・アントム・ビ・ハイル(その年を通して、あなた方が元気でありますように)」などの言葉で祝うことがあります。
イベント: インドネシアなどで、巨大なコーランを設置して祝うイベントが行われることもあります。
イランの春の新年 (ノウルーズ)
日付: 春分の日(3月22日頃)を元日とする太陽暦のお正月で、非常に盛大に祝われます。
習慣:
七草(ハフト・スィーン): 食卓にコーランを添え、麦芽のペースト、リンゴ、にんにく、酢など7つの縁起物を並べ、再生や健康、愛情を願います。
旅のおまじない: 旅に出る際に、コーランの下をくぐり、キスをして、水の入ったコップを車が通った後にまくことで、旅の安全を祈ります。
コーランによれば、終末の日がいつ来るのか知っているのはアッラーだけで、人間はまったくこれを予期できないため、その日はまったく突然にやってくるといっていい。
ユダヤ教・キリスト教においては、世界の終末にはいくつかの前兆があるが、コーランが語る世界の終末には前兆らしきものはほとんどない。
ただ1つの例外は、ヤージュージュとマージュージュと呼ばれるものが解き放たれて、崖から駆け下りてきて世界を荒らすとされていることである。
ヤージュージュとマージュージュというのは、旧約聖書や『ヨハネの黙示録』の中で終末の直前に世界を混乱させるとされているゴグとマゴグのことだが、この2人(あるいは2つの種族)が、どのように世界を荒らすかは、コーランには語られていない。
コーランは旧約聖書や福音書を前提にしているので、終末の日の出来事はユダヤ教やキリスト教のものと類似している。このことは、人間の身に起こる出来事についても同様である。
終末の日に人間の身に起こる出来事で最大のものは最後の審判だが、この審判はこの世に生きたことのある人間のすべてが受けなければならないものである。終末の日に、地上で生きていたか死んで墓の中にいたかは関係ない。そこで、終末の日に生きていたか死んでいたかによって、この日経験する出来事が少しばかり異なることになる。
ここで、とくに興味を引くのは、墓から復活したものたちの時間に関する感覚である。現実的な時間では、古い時代に死んだものと、より新しい時代に死んだものとでは、墓の中にいた時間には大きな違いがある。1000年以上も墓の中にいたものもいれば、10年間しか墓の中にいなかったものもいるはずである。しかし、コーランによれば、終末の日に復活した人間たちはみながみな、墓の中で暮らしていたのはほんの少しの期間に過ぎないと感じるのだという。たとえ何百年間も墓の中にいたとしても、復活した日には、人々はみな、自分がわずか10日間しか墓の中にいなかったとか、たった1日しかいなかったとか、極端な場合には1時間しかいなかったと感じ、近くにいるものたちとひそひそと墓の中にいた時間について話し合ったりするのである。
コーランの語る最後の審判は、ユダヤ教やキリスト教のそれと同様に、人間が生きてきた間にしてきた行為の数々を取り上げ、その善悪を判断して、天国に行くべきか地獄に行くべきかを決めるためのものである。この判断を行うのはアッラーの神だが、コーランでは審判が行われるのは大地の上なので、審判に先立って、神の来臨があるとされている。終末の日に、どかんどかんと大地が砕かれ、そこに神が降りてくるのである。神と一緒に数多くの天使たちも隊伍を整えてやってくる。業火が燃え盛るジャハンナムと呼ばれる地獄までもが、審判の場には持ち込まれるという。
こうして、最後の審判の場まで来ると、人間はもうどんな嘘をついても通用しないし、どんないいわけも役に立たない。最後の審判にやってくる人間は、みなそれぞれに2人の天使に付き添われている。そのうち1人は人間を追い立てる役目を持つものだが、もう1人は人間の魂の記録係だとされている。この記録係の天使は、すべての人間に1人づつ割り当てられており、人間が生きている間の行動をすべて帳簿に記録していたのである。2人の天使に伴われてアッラーの前にやってきた人間は、帳簿に記録されている善いことも悪いこともすべて見せつけられる。そして、ここで発言されたことはすべて、そばにいる番人によって記録されるのである。
最後の審判を受けることで、人間はそれ以降の時間を永遠に天国(ジャンナ)か地獄(ジャハンナム)で過ごすことになる。天国は永遠の楽園であり、そこに入ったものは永遠に安楽な暮らしをすることができる。地獄は全く逆の場所で、そこに入ったものは永遠の責め苦に苦しむことになる。
例えば、コーランを信仰し、善行を行おうと努力した者の場合は、たとえ少しばかり悪いことをしたことがあっても、それは見逃してもらえる。そればかりか、その人が行った行為の中で最も善いことを、一生涯行い続けた分だけの褒美を天国においてもらうことができるのである。コーランの中には、アッラーは人間の善行に対しては、それを十倍、あるいは何十倍にもして返すと記された部分もある。
したがって、コーランを読む限り、地獄に行くことになるのはかなり悪質な人間だと想像できる。しかし、このような人間に対しても、アッラーはその人が犯した罪以上の罰は与えない。生前に地上で行った悪事の1つ1つについて、それと同程度の苦しみを地獄で与えられることになるのである。
天国と地獄については、コーランに特別に詳しい描写はないが、簡単な描写はいくつか見つけることができる。天国は完全な楽園で、食うに困らない快適な場所である。具体的には、絶対に腐ることのない水が流れる川、味の変わらない乳の川、美酒の川、蜜の川などがあり、あらゆる種類の果物も実っている。暮らしぶりも贅沢で、金糸で飾られたねだい臥台に横たわり若々しい従者に酌をさせて酒を飲むことができるし、その酒はいくら飲んでも頭が痛くなったりしないという。また、鳥の肉も食い放題で、処女の妻まであたえられる。これに対して、地獄の方は基本的には燃え盛る炎に包まれた場所だとされており、煮えたぎる熱湯やどろどろの膿汁を呑まされる場所とされている。地獄のどん底にはザックームという奇怪な木も生えている。この木には悪魔の頭のような実が生っており、罪人たちはこの実を無理矢理に腹一杯食わされるのである。
この正月理解できた
昨日だけど
😆
やけに苦労してるけど
たぶん、ああいう感じだと末寺で把握しているが
わからん
😆