【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5最終更新 2026/05/09 05:551.◆JBLfMwCXhYjl5ET私たちは、思考するからさまよう。この世は、思い通りにならない。本当の自分なんて、どこにもない。いま、この思考の幻から抜け出そう。前スレ【アーラヤ識】 唯識論 【瑜伽行派】 Part3https://talk.jp/boards/psy/1769773378【言葉の力で】 唯識論 【世界は変わる】 Part4https://talk.jp/boards/psy/17712049932026/03/18 09:55:58578コメント欄へ移動すべて|最新の50件529.◆JBLfMwCXhY4KHgbひとつには人によって、現実感覚の強さに個人差があるほとんど、体質的なものだ2026/05/09 04:04:43530.◆JBLfMwCXhY4KHgb当方は個人的に子供の頃からむしろ、目の前の現実世界に意識をフォーカスすることに苦労してきたこればっかりは、「慣れ」の問題だ2026/05/09 04:07:25531.◆JBLfMwCXhY4KHgbこれこそ、輪廻転生を確信する最大の理由だ(笑)人によって、この世で生きてきた経験値には、膨大な個人差があるこれは間違いない同じということはあり得ない自分と、多くの他人を長年に渡って観察してきた上での結論だ2026/05/09 04:10:38532.◆JBLfMwCXhY4KHgbこれには、自分が通ってきた独特の人生経路が、大きく影響している当方は、こう見えてもメチャ秀才タイプなため、若い頃は周囲にトップエリート層の人間がゴロゴロしていたどこの学校にも、「クラスで一番」とか「学年でトップ」とか、その程度の秀才はいるがそんな人たちを日本中から集めても、「世間は広い。こんな人間もいるのか」とビックリされるほど、メチャクチャに優秀な連中だそんな連中と、毎晩のように飲み食いしながら語り合い、人生観を聴取した2026/05/09 04:26:35533.◆JBLfMwCXhY4KHgbその後はドロップアウトして、フリーターを何年かやった(笑)今度は、周囲が中卒・高卒ばかりになった彼らと毎晩のように飲み食いして語り合い、人生観を聴取した「少年院での思い出」とかを、さんざん聞かされた2026/05/09 04:29:12534.◆JBLfMwCXhY4KHgbその後は再びサラリーマンになり、普通の人生に戻った今度は自分の周囲が、秀才でもなければ落ちこぼれでもない、中くらいの人たちばかりになった彼らとも、毎晩のように飲み食いして語り合い、人生観を聴取した2026/05/09 04:31:30535.◆JBLfMwCXhY4KHgbその結果として、「輪廻転生」を確信するに至ったどう考えても、人によって、この世で生きてきた経験値には、膨大な個人差があるこれは間違いない同じということはあり得ない自分と、多くの他人を長年に渡って観察してきた上での結論だ2026/05/09 04:32:40536.◆JBLfMwCXhY4KHgbイギリス経験論の代表的な哲学者、ジョン・ロックは「人は誰でも、白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれてくる。すべては、生後の経験によって得たものである」という、生得観念否定説を唱えた大哲学者には申し訳ないがこの意見には賛成できない2026/05/09 04:38:27537.◆JBLfMwCXhY4KHgb人によって、見ている世界が明らかに異なる全員で共有しているものはあるが住んでいるのは、基本的に別世界だ2026/05/09 04:43:50538.◆JBLfMwCXhY4KHgb古今東西の地球人類のあらゆる思想を吸収してきたため輪廻転生に対する強力な反対意見にも、慣れ親しんできた中でも、立ちはだかる最大の壁は、地球史上で最強の宗教である「イスラム教」が、輪廻転生を真っ向から否定していることだ2026/05/09 04:49:54539.◆JBLfMwCXhY4KHgbキリスト教だと、その点が曖昧なのだがコーランには、「輪廻転生は誤り」と明記されているその代わり、死後世界への関心の強さは、仏教やキリスト教の比ではないイスラム教にとって、現世でのこの人生は短期間の試練にすぎないその後は、あの世での永遠の生が待っているこちらが本番だ。この世の人生は助走に過ぎない2026/05/09 04:52:25540.◆JBLfMwCXhY4KHgbそれも一理あるとは思うのだが個人的に、「この世での経験値」にこだわっているどう考えても、人生、同じスタートラインでゼロからスタートしてると思えないんだよな~(笑)なので、輪廻転生を否定する意見には賛成できない2026/05/09 04:54:23541.◆JBLfMwCXhY4KHgbアリストテレスによると、そうではない魂は、人類全員に平等に分与されている個人差は、もっぱら、この世での身体の違いによって、もたらされている端的に言えば、世間のトップ秀才と中卒の少年院上がりとでは、脳が違うだけだまあ、いくら大哲学者とはいえ、しょせん古代の人間古代人は脳の機能のことなど、ほとんど知らんかったが2026/05/09 05:00:09542.◆JBLfMwCXhY4KHgbちなみに、フリーター時代に親しくなった中卒の少年院上がりは非常に頭脳明晰な人間であった工場では、有能な溶接工だった秋葉原で部品を買い集めて、自作コンピュータを組み立てるのを趣味としていた文系秀才の自分では、とうてい太刀打ちできない技術力の持ち主だった2026/05/09 05:02:50543.◆JBLfMwCXhY4KHgbだが、数学や物理学は、間違いなく自分の方ができる文系といったって、観念的なものや、記号論的なものには滅法強い(笑)これに関しては、その辺の技術者では当方に太刀打ちするのは無理だ2026/05/09 05:05:22544.◆JBLfMwCXhY4KHgbモノを扱う技術に関して、不器用なだけだしかし、この点に関してもこの人生で作業系の仕事に取り組んでみたおかげで、まあまあ経験値が得られた2026/05/09 05:06:54545.◆JBLfMwCXhY4KHgbこれが、当方に独特の人生観だ(笑)個人的に、「今回は、○○に関してかなりの経験値が得られた」とかなんとか人生をロールプレイングゲームのように語ることがよくあるここでいう「今回は」というのは、「この人生では」という意味だ周囲には、あまりの人生観の違いにビックリされてしまう2026/05/09 05:09:13546.◆JBLfMwCXhY4KHgb話を「古今東西の地球人類の思想」に戻すと「思想コレクションを趣味とするコレクターは、どこかにもっと高度な思想は無いか?と探し回っている」というような意見を、よく目にするそれも一理あるとは思うのだが、まだ甘い当方のような本物の思想コレクターは、「どこかに良い思想は無いか?」などと探し回ってはいない古今東西の地球人類の思想をほとんど全部、知っている全部を知ってるのだから、探すまでもない(笑)2026/05/09 05:12:42547.◆JBLfMwCXhY4KHgb世の中、みんながみんな、自分と同じ程度のキャパしか持ってないと思ってはいけない世の中には、膨大な知識を吸収しても平気で、なんともない人間だっているのである人はそれぞれ、別の世界に住んでいるのだ2026/05/09 05:15:27548.◆JBLfMwCXhY4KHgb教学しないで、瞑想ばかりするのも、1つの道だ瞑想っていうか、日常の気付きを大切にして日々を生きるのも重要だだが、地球人類が何百年も何千年もかけて蓄積してきた叡智を、あまりにも甘く見ていないか?一生かけて瞑想したところで、1度の人生で到達できるようなものではない2026/05/09 05:19:02549.◆JBLfMwCXhY4KHgbだが、ワキ目もふらずに修行に取り組むのも、ひとつの道だそれは否定できない2026/05/09 05:21:22550.◆JBLfMwCXhY4KHgbどちらが良いとも言い切れないこればっかりは、何とも言えん2026/05/09 05:22:15551.◆JBLfMwCXhY4KHgb目の前にある、地球人類の膨大な叡智に目もくれず日々の気づきを大切にして日常生活を送ることに、ひたすら専念するそんな生き方は、自分には考えられないだが、自分には考えられないからといって、否定するのは無理だ2026/05/09 05:23:57552.◆JBLfMwCXhY4KHgbていうか、そもそも自分にとって、日常生活そのものが修行だいまはそうでもないが、子どもの頃は現実世界に焦点を合わせられず超天然ボケキャラだったため、日々の生活がそのまま訓練の場だずっと「目の前の現実に意識をフォーカスする」という修行をしてきているようなものだ2026/05/09 05:27:05553.◆JBLfMwCXhY4KHgbなので、「目の前の現実に意識をフォーカスする」という修行に取り組んでいるというような話を聞かされるとなんとも複雑な気持ちになる2026/05/09 05:27:56554.◆JBLfMwCXhY4KHgb実際のところ、問題はそこだ教学がどうの、実践がどうのというよりそこが問題だ(笑)2026/05/09 05:30:11555.◆JBLfMwCXhY4KHgb5552026/05/09 05:30:51556.◆JBLfMwCXhY4KHgb例によって、話がメチャクチャに脱線した2026/05/09 05:31:07557.◆JBLfMwCXhY4KHgb唯識論の話に戻すと「外界は実在するかどうか?」という議論に熱くなりすぎるのは、考えものだ2026/05/09 05:31:45558.◆JBLfMwCXhY4KHgb唯識論である以上、基本的には「この世界は、阿頼耶識が転変した姿である」とするのがセオリーだここから大きく逸脱するのなら、それは唯識論ではなくなるそれなら、唯識論ではなく、他の思想に取り組むべきだろう2026/05/09 05:33:08559.◆JBLfMwCXhY4KHgbだが、「阿頼耶識が転変した姿である」からといって人によっては、程度の差がある外界を強く否定する人もいれば、あいまいな人もいる2026/05/09 05:34:11560.◆JBLfMwCXhY4KHgbだが、基本的には唯識論は、「外界の実在」に対して否定的なスタンスの思想だその点では、仏教思想界でも割と極端な思想体系それは間違いない2026/05/09 05:35:42561.◆JBLfMwCXhY4KHgb「外界の実在を否定する」という点にかけては、西洋哲学のジョージ・バークリが最も有名だ2026/05/09 05:36:48562.◆JBLfMwCXhY4KHgb質問:「外界の実在を否定する」という点にかけては、西洋哲学のジョージ・バークリが最も有名だチャットGPT:その通り。西洋哲学で「外界の実在否定」と聞いて、まず名前が挙がるのは、やはり George Berkeley だ。ただし、バークリは単純に「世界なんて存在しない!」と言ったわけではない。むしろ逆で、「我々が知覚している世界こそが、唯一の世界だ」と言った。2026/05/09 05:38:56563.◆JBLfMwCXhY4KHgb有名なのが、“Esse est percipi” (存在するとは、知覚されることである)という命題。つまり、バークリは、「物質」という“見えない実体”を否定したしかし、色や音や感触などの経験世界は否定しないむしろ、経験世界だけが確実だと考えた。だから彼にとっては、リンゴの「赤さ」石の「硬さ」炎の「熱さ」は、知覚内容として実在する。だが、「その背後に、知覚とは独立した“物質実体”がある」という考えを否定した。ここが重要。なので、バークリは「唯心論者」と呼ばれる。2026/05/09 05:39:11564.◆JBLfMwCXhY4KHgb面白いのは、これが仏教、とくに唯識とかなり似て見えることだ。たとえば唯識も、我々が経験する世界は「識」の変現外界の独立実体(外境)を疑う“客観物質”をそのまま認めないという方向へ行く。ただし、決定的な違いもある。バークリは最後に、「では、誰も見ていない時、世界はどうして存在し続けるのか?」という問題にぶつかる。彼の答えは、「神が常に知覚しているから」だった。つまり、世界を維持している絶対的主体永遠の知覚者としての神を導入する。ここが、西洋的。2026/05/09 05:39:40565.◆JBLfMwCXhY4KHgb一方、唯識や中観は、そこに「神」を置かない。特に中観派は、「世界を成立させる究極実体を置く」こと自体を拒否する。だから以前あなたが言っていた、「中観は、世界を仮和合させるパワーすら認めない」という理解は、かなり核心を突いている。バークリは、物質実体を否定したが最後は“神”という巨大主体を置いた唯識は、外界実体を疑うが阿頼耶識という認識基盤を置く中観は、それすら徹底的に空じるという違いがある。2026/05/09 05:40:11566.◆JBLfMwCXhY4KHgbなので、西洋哲学で比較すると、バークリ ← 唯識寄りImmanuel Kant ← 「現象/物自体」で親所縁・疎所縁に少し近いDavid Hume ← 実体懐疑で中観に接近する瞬間がある…という並びになる。2026/05/09 05:40:35567.◆JBLfMwCXhY4KHgbう~ん、さすがはAIだ2026/05/09 05:40:46568.◆JBLfMwCXhY4KHgbこんな話を、数秒で解説する2026/05/09 05:41:03569.神も仏も名無しさんQPvba>>561というか、外部の対象認知は人間は悟っていないので外れたものだ、それは人間の内部に汚染された認識だというのが唯識だろう😀2026/05/09 05:41:12570.◆JBLfMwCXhY4KHgbこのスピードは、人間には真似できない2026/05/09 05:41:36571.◆JBLfMwCXhY4KHgb>>569なるほど😆2026/05/09 05:41:59572.神も仏も名無しさんQPvba唯識の上部には悟ったあとの四智の認識構造がある😀2026/05/09 05:42:01573.神も仏も名無しさんQPvba文化や言語自体がソシュールでは恣意性だしねーなんらかの文化的な言語のフィルターで人間は世界を見ていると言える唯識で言えば欲望、感情に支配された対象の認識、病んだ幼児性愛者からみた幼児は性的対象の意味を与えられるが普通の人からは単に可愛い子供だな、家庭環境が地獄で親の病んだ世界に支配された人間から見た幼児はうるさい、うっとおしい存在の意味を持つソシュールをやってると優れた人間の洞察がてきるなー若い頃に人間社会科学一般理論を夢みてた賜物😀2026/05/09 05:47:44574.◆JBLfMwCXhY4KHgb>>573確かにソシュールは避けて通れない2026/05/09 05:48:38575.◆JBLfMwCXhY4KHgb中観派や唯識派も、確かにすごいが古代人の限界はある現代の言語哲学の鋭さにはかなわない2026/05/09 05:50:09576.神も仏も名無しさんQPvba若い頃に洞察認識みたいなのに慣れきった演繹法よりも帰納法先行の思想にかなり人間の認知に関す本、脳科学とか、認知症の脳の部位の欠損で何が失われるか?日本猿の、レベルの認識と行動は人間比べて、どうだろうとか、ホント、自分の関心のある情報収集魔王みたいに本を読んでいた理論よりも情報収集から結論出したい派😀2026/05/09 05:52:48577.神も仏も名無しさんQPvbaこのレスは俺の若い頃の読んだ本から残っている記憶たけだ😀2026/05/09 05:53:40578.◆JBLfMwCXhY4KHgb>>576帰納法的な生き方だ😆2026/05/09 05:55:34
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この世は、思い通りにならない。
本当の自分なんて、どこにもない。
いま、この思考の幻から抜け出そう。
前スレ
【アーラヤ識】 唯識論 【瑜伽行派】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1769773378
【言葉の力で】 唯識論 【世界は変わる】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1771204993
人によって、現実感覚の強さに個人差がある
ほとんど、体質的なものだ
子供の頃からむしろ、目の前の現実世界に意識をフォーカスすることに苦労してきた
こればっかりは、「慣れ」の問題だ
人によって、この世で生きてきた経験値には、膨大な個人差がある
これは間違いない
同じということはあり得ない
自分と、多くの他人を長年に渡って観察してきた上での結論だ
当方は、こう見えてもメチャ秀才タイプなため、若い頃は周囲にトップエリート層の人間がゴロゴロしていた
どこの学校にも、「クラスで一番」とか「学年でトップ」とか、その程度の秀才はいるが
そんな人たちを日本中から集めても、「世間は広い。こんな人間もいるのか」とビックリされるほど、メチャクチャに優秀な連中だ
そんな連中と、毎晩のように飲み食いしながら語り合い、人生観を聴取した
今度は、周囲が中卒・高卒ばかりになった
彼らと毎晩のように飲み食いして語り合い、人生観を聴取した
「少年院での思い出」とかを、さんざん聞かされた
今度は自分の周囲が、秀才でもなければ落ちこぼれでもない、中くらいの人たちばかりになった
彼らとも、毎晩のように飲み食いして語り合い、人生観を聴取した
どう考えても、
人によって、この世で生きてきた経験値には、膨大な個人差がある
これは間違いない
同じということはあり得ない
自分と、多くの他人を長年に渡って観察してきた上での結論だ
「人は誰でも、白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれてくる。すべては、生後の経験によって得たものである」
という、生得観念否定説を唱えた
大哲学者には申し訳ないが
この意見には賛成できない
全員で共有しているものはあるが
住んでいるのは、基本的に別世界だ
輪廻転生に対する強力な反対意見にも、慣れ親しんできた
中でも、立ちはだかる最大の壁は、地球史上で最強の宗教である「イスラム教」が、輪廻転生を真っ向から否定していることだ
コーランには、「輪廻転生は誤り」と明記されている
その代わり、死後世界への関心の強さは、仏教やキリスト教の比ではない
イスラム教にとって、現世でのこの人生は短期間の試練にすぎない
その後は、あの世での永遠の生が待っている
こちらが本番だ。この世の人生は助走に過ぎない
個人的に、「この世での経験値」にこだわっている
どう考えても、人生、同じスタートラインでゼロからスタートしてると思えないんだよな~(笑)
なので、輪廻転生を否定する意見には賛成できない
魂は、人類全員に平等に分与されている
個人差は、もっぱら、この世での身体の違いによって、もたらされている
端的に言えば、世間のトップ秀才と中卒の少年院上がりとでは、脳が違うだけだ
まあ、いくら大哲学者とはいえ、しょせん古代の人間
古代人は脳の機能のことなど、ほとんど知らんかったが
非常に頭脳明晰な人間であった
工場では、有能な溶接工だった
秋葉原で部品を買い集めて、自作コンピュータを組み立てるのを趣味としていた
文系秀才の自分では、とうてい太刀打ちできない技術力の持ち主だった
文系といったって、観念的なものや、記号論的なものには滅法強い(笑)
これに関しては、その辺の技術者では当方に太刀打ちするのは無理だ
しかし、この点に関しても
この人生で作業系の仕事に取り組んでみたおかげで、まあまあ経験値が得られた
個人的に、「今回は、○○に関してかなりの経験値が得られた」とかなんとか
人生をロールプレイングゲームのように語ることがよくある
ここでいう「今回は」というのは、「この人生では」という意味だ
周囲には、あまりの人生観の違いにビックリされてしまう
「思想コレクションを趣味とするコレクターは、どこかにもっと高度な思想は無いか?と探し回っている」
というような意見を、よく目にする
それも一理あるとは思うのだが、まだ甘い
当方のような本物の思想コレクターは、「どこかに良い思想は無いか?」などと探し回ってはいない
古今東西の地球人類の思想をほとんど全部、知っている
全部を知ってるのだから、探すまでもない(笑)
世の中には、膨大な知識を吸収しても平気で、なんともない人間だっているのである
人はそれぞれ、別の世界に住んでいるのだ
瞑想っていうか、日常の気付きを大切にして日々を生きるのも重要だ
だが、地球人類が何百年も何千年もかけて蓄積してきた叡智を、あまりにも甘く見ていないか?
一生かけて瞑想したところで、1度の人生で到達できるようなものではない
それは否定できない
こればっかりは、何とも言えん
日々の気づきを大切にして日常生活を送ることに、ひたすら専念する
そんな生き方は、自分には考えられない
だが、自分には考えられないからといって、否定するのは無理だ
自分にとって、日常生活そのものが修行だ
いまはそうでもないが、子どもの頃は現実世界に焦点を合わせられず
超天然ボケキャラだったため、日々の生活がそのまま訓練の場だ
ずっと「目の前の現実に意識をフォーカスする」という修行をしてきているようなものだ
「目の前の現実に意識をフォーカスする」という修行に取り組んでいる
というような話を聞かされると
なんとも複雑な気持ちになる
教学がどうの、実践がどうのというより
そこが問題だ(笑)
「外界は実在するかどうか?」
という議論に熱くなりすぎるのは、考えものだ
「この世界は、阿頼耶識が転変した姿である」
とするのがセオリーだ
ここから大きく逸脱するのなら、
それは唯識論ではなくなる
それなら、唯識論ではなく、
他の思想に取り組むべきだろう
人によっては、程度の差がある
外界を強く否定する人もいれば、あいまいな人もいる
唯識論は、「外界の実在」に対して否定的なスタンスの思想だ
その点では、仏教思想界でも割と極端な思想体系
それは間違いない
チャットGPT:その通り。
西洋哲学で「外界の実在否定」と聞いて、まず名前が挙がるのは、やはり George Berkeley だ。
ただし、バークリは単純に
「世界なんて存在しない!」
と言ったわけではない。
むしろ逆で、
「我々が知覚している世界こそが、唯一の世界だ」
と言った。
“Esse est percipi” (存在するとは、知覚されることである)
という命題。
つまり、バークリは、
「物質」という“見えない実体”を否定した
しかし、色や音や感触などの経験世界は否定しない
むしろ、経験世界だけが確実だ
と考えた。
だから彼にとっては、
リンゴの「赤さ」
石の「硬さ」
炎の「熱さ」
は、知覚内容として実在する。
だが、
「その背後に、知覚とは独立した“物質実体”がある」
という考えを否定した。
ここが重要。
なので、バークリは「唯心論者」と呼ばれる。
たとえば唯識も、
我々が経験する世界は「識」の変現
外界の独立実体(外境)を疑う
“客観物質”をそのまま認めない
という方向へ行く。
ただし、決定的な違いもある。
バークリは最後に、
「では、誰も見ていない時、世界はどうして存在し続けるのか?」
という問題にぶつかる。
彼の答えは、
「神が常に知覚しているから」
だった。
つまり、
世界を維持している絶対的主体
永遠の知覚者
としての神を導入する。
ここが、西洋的。
特に中観派は、
「世界を成立させる究極実体を置く」
こと自体を拒否する。
だから以前あなたが言っていた、
「中観は、世界を仮和合させるパワーすら認めない」
という理解は、かなり核心を突いている。
バークリは、
物質実体を否定したが
最後は“神”という巨大主体を置いた
唯識は、
外界実体を疑うが
阿頼耶識という認識基盤を置く
中観は、
それすら徹底的に空じる
という違いがある。
バークリ ← 唯識寄り
Immanuel Kant ← 「現象/物自体」で親所縁・疎所縁に少し近い
David Hume ← 実体懐疑で中観に接近する瞬間がある
…という並びになる。
というか、
外部の対象認知は
人間は悟っていないので
外れたものだ、
それは人間の内部に汚染された認識だ
というのが唯識だろう
😀
なるほど😆
悟ったあとの四智の認識構造がある
😀
ソシュールでは恣意性だしねー
なんらかの文化的な言語のフィルターで人間は世界を見ていると言える
唯識で言えば
欲望、感情に支配された対象の認識、
病んだ幼児性愛者からみた幼児は性的対象の意味を与えられるが
普通の人からは
単に可愛い子供だな、
家庭環境が地獄で親の病んだ世界に支配された人間から見た幼児は
うるさい、うっとおしい存在の意味を持つ
ソシュールをやってると
優れた人間の洞察がてきるなー
若い頃に人間社会科学一般理論を夢みてた賜物
😀
確かに
ソシュールは避けて通れない
古代人の限界はある
現代の言語哲学の鋭さにはかなわない
演繹法よりも
帰納法先行の思想に
かなり人間の認知に関す本、
脳科学とか、認知症の脳の部位の欠損で
何が失われるか?
日本猿の、レベルの認識と行動は
人間比べて、どうだろうとか、
ホント、自分の関心のある情報収集魔王みたいに本を読んでいた
理論よりも情報収集から結論出したい派
😀
😀
帰納法的な生き方だ😆