このスレッドはアーカイブ化された過去ログです。

【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4アーカイブ

1.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
過去スレ

【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】
https://talk.jp/boards/psy/1768687611

【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】
https://talk.jp/boards/psy/1768770625

【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1779968091

【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1790791277
1000
すべて
|
最新の50件
2.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ggmMr
wwwwwwwwwwwwwwwwww

いや、実際に坐ってsatiがなんであるかを確かめりゃ済むだろうに。

"あ、(数息観から離れて)妄想してた😅"って、非言語で気付くそれだよw

3.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
スッタニパータ 蛇の章

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
4.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
スッタニパータ 犀の角


35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲する処に赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

43 出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。

44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

5.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
四念処 (苦の原因をなくすための方法論)

① 身念処(身体の観察)

まずは単純に
息が入る
息が出る
体の感覚がある
→ ここで「身体はただの現象」と見えてくる

② 受念処(感覚)

次に
心地よい
不快
どちらでもない
という“評価”が起きていることに気づく
→ 「快・不快は勝手に起きる」と見える

③ 心念処(心そのもの)

さらに
集中している心
散乱している心
落ち着いた心
など、「心の状態そのもの」を観る
→ 「心も固定物ではない」と分かる

④ 法念処(構造理解)

最後に
無常
縁起
五蓋(妨げ) などの“法則性”を見る
→ 世界の仕組みそのものを理解する方向へ行く
6.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
スッタニパータ 第四章 八つの詩句の章

【5、最上についての八つの詩句】より

796 世間では、人は諸々の見解のうちで
勝れているとみなす見解を「最上のものである」
と考えて、それよりも他の見解は全て
「つまらないものである」と説く。
それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。

797 かれ(=世間の思想家)は、
見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、
自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、
そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを
全てつまらぬものであると見なす。

798 ひとが何か或ものに依拠して
「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、
それは実にこだわりである、と〔真実に達した人々〕は語る。
それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、
または戒律や道徳にこだわってはならない。

799 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは
「勝れている」とか考えてはならない。

800 彼は、既に得た(見解)[先入見]を
捨て去って執著することなく、学識に関しても
特に依拠することをしない。
人々は(種々異なった見解に)分かれているが、
彼は実に党派に盲従せず、いかなる見解をも
そのまま信ずることがない。

801 彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、
この世についても、来世についても、願うことがない。
諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、
彼には何も存在しない。

802 彼はこの世において、見たこと、学んだこと、
或いは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも
構えていない。いかなる偏見をも執することのない
そのバラモンを、この世においてどうして
妄想分別させることができるであろうか?

803 彼等は、妄想分別をなすことなく、
(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。
彼等は、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。
バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。
このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。
7.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
本スレの方針

1、「四念処」 それが最大のテーマ

2、「輪廻転生」の是非を巡る論争は、なるべく避ける

3、2に限らず、涅槃に役立たないことを、なるべく避ける
8.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5


以上

9.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ggmMr
瞑想しないで文字の解釈で迷走するJBLであった🥱
10.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
いや、瞑想はやっている
11.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
お前と違って、坐禅会とかそういう

形にこだわらないだけだ
12.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
「俺は坐禅会に何百回も参加してるのだ。だから偉いのだ」

そんなのは、邪道もいいとこ
13.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
魔境に堕ちている
14.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ggmMr
いや、何千回だよwww
15.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ggmMr
普通、ある程度瞑想をやってると「看経の眼」といって、今まで意味不明だった経典の話がスパッと観える様になるんだけどなぁ。

仏教スレにそんなの居ねーしwww
16.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ggmMr
経行とか曹洞は一息で半歩だけど、臨済は時に走り経行とかあるしw

若いうちはあれだけど、歳を取ると息切れして酸欠起こして咳が止まらなかったりだから。
まぁ、トイレに行ってもいい時があるので、ヤバくなったら抜ける人も居るけど。
17.
ユーザー
美魔女
6ZDCa
前スレを見ましたので、天才女の私から一言。
初期経典は御釈迦様の生の言葉が一字一句保存されたものではないので、。初期経典は、まず口伝で伝えられその後に編集され現在の形になったのです。だから古い階層と後から加わった階層の混在です。
初期経典の中で死後の行き先や輪廻転生を前提にした記述は多い、初期仏教において輪廻転生が重要や位置に有ったことは広く認められています。
しかし御釈迦様は答えを保留にした無記の立場を示しています。ただ、これは何でもかんでも有るとも無いとも言っていないという意味ではなく解脱に役に立たない問いかけを退けた面が大きい。
四ニカ-ヤや阿権経にはかなり古い伝承が含まれていますが説話の前後や過去世や因縁は後代の付加を認められている研究では。

御釈迦様が何度も生まれ変わったという話しは過去仏思想や仏伝の発展で強まった表現もあるため全部同じ重さでは読めませんよ。
つまり、初期経典の古い教えは御釈迦様に近いが、後代の編集や教団解釈が重なってます。だから輪廻転生や死後の世界の記述が有るからといって、全部そのまま御釈迦様の直接的な言葉とは言えませんよ。
18.
ユーザー
神も仏も名無しさん
MnOcb
如実知見に鈍かったから
仏教のイメージの把握が遅れたんやな
😀

多くは語る足らん連中が多すぎるが

ムイムイとハッスル🤡には
サービスしてやるが😀
19.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
rYmNq
最初期最古層と推定されるものに輪廻だの四諦だのは無いけどな。

20.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
rYmNq
阿含経な。
阿権経じゃないからw
21.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
まぁ、馬鹿相手に0から仏教知識を伝えるのも大事だけどな。
22.
ユーザー
神も仏も名無しさん
MnOcb
また無理しているな?
バカなのに🤡
23.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
な、こういう馬鹿や無知識の連中が噛み付いてきては、それに対してちゃんと説明するんだから。

お前らもそれなりの知識や体験が身に着けば、それがどういう事か分かるから🥱
24.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
>>23

相変わらず

涅槃に役立たない論争しかしない奴😅
25.
ユーザー
神も仏も名無しさん
qPXdm
アンチ仏教ドパガキ🤡
やりすぎだ
酷いな?
😭
26.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
>>19

> 最初期最古層と推定されるものに輪廻だの四諦だのは無いけどな。


ドヤ顔で他人を見下すのをやめろ、
俺が正しいと主張して論争するなと、
くどいくらい書いてある
27.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
wwwwwwwwwwwwwwwwww

だったら最古層と推定される経典をみてみろ。
査定された論文を読んでみろ。
28.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
スッタニパータのことか?

長年の愛読書だ

お前より遥かに深く理解している
29.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
まさにこれだな🥱

 ↓

な、こういう馬鹿や無知識の連中が噛み付いてきては、それに対してちゃんと説明するんだから。

お前らもそれなりの知識や体験が身に着けば、それがどういう事か分かるから🥱
30.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
>>29

ちなみにお前が言ってる「最古層」のスッタニパータの第四章

それは

「他人を馬鹿呼ばわりするな」

「自己の見解に固執して論争するな」

「俺のやり方が正しいと言い張るな」

と、ひたすら繰り返し書いてある

仏典の特殊な内容だ
31.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
> スッタニパータのことか?
> 長年の愛読書だ
> お前より遥かに深く理解している

wwwwwwwwwwwwwwwwww
お前がそう思うのなら、お前の中ではその通りだろうw

32.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
MaLGg
早い話が

お前がこのスレでやってるようなこと

それを「やるな」とひたすら繰り返し、それ以外のことをほとんど言ってない特殊な1編
33.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
>>30
で、これはあるのかないのか?

 ↓

> 最初期最古層と推定されるものに輪廻だの四諦だのは無いけどな。


これは無しだぞ?
https://i.imgur.com/FxXZVxp.jpeg
wwwwwwwwwwwwwwwwww

34.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
何を言っても間違いだらけで俺に瞬殺論破されてるだけだろ。
それをst.4の句を悪用して言い訳にしてるんだろ?

wwwwwwwwwwwwwwwwww
35.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>33

確かに、スッタニパータの第四章には、
輪廻や四諦の話はあまり出てこない

その片鱗はあるが、真正面からは言ってない

でも、第四章だけだ。
他の章は、普通に初期仏典だ

第四章については、「輪廻の話をしていない」というより

上にも書いたように

「他人を馬鹿呼ばわりするな」
「自己の見解に固執して論争するな」
「俺のやり方が正しいと言い張るな」

と、ひたすら繰り返し書いてあり、
それ以外のことをほとんど言ってない
という特殊な内容だ
36.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
初期仏典の中でも浮きまくっているので、
「本当に釈迦が説いた内容なのか?」と
疑問視する向きもある

「釈迦以前の森林修行者の思想が紛れ込んだのでは?」
と、検討している人もいる
37.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
ちなみに、スッタニパータは

「坐禅会」など、まったく推奨していない

「1人でやれ」というのが、全編を貫く主張
38.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
大分追い詰められて来たな😟

まぁお前が今まで俺にやってきた誹謗中傷や嫌がらせに比べれば、ちゃんと論理的に問い詰めてる分、こんなのは微々たるもんだ。
また、お前を追い詰めて潰す気も無いから。
39.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
一人でも坐禅してるし、サンガは説かれてる。
40.
ユーザー
神も仏も名無しさん
UD5Qz
決死ドパガキ🤡モードだなる
41.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
MdLXW
ちなみに中村元先生のスッタニパータに輪廻の訳はないけど、「生まれ」の語は34箇所だな。
第一章11
第二章1
第三章21
第四章1
第五章0
42.
ユーザー
神も仏も名無しさん
UD5Qz
ドパガキニート🤡講座?
43.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
koQx2
当たり前の話、お釈迦さまは独坐でお悟りをひらかれたのだから、最初期の説示にそれは無い。
が、安居(ヴァッサ)とある様に、集団で瞑想をされていた起源はお釈迦さまに遡るんだよ。
44.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
v1784
ちなみに、スッタニパータの第一章は、かの有名な

「蛇が皮を脱ぎ捨てるように、この世とかの世をともに捨て去る」

を延々とひたすら繰り返す、「蛇の章」

第二章は、これまた有名な

「犀の角の如く、ただ1人歩め」

を延々とひたすら繰り返す、「犀の角の章」

どっちにしても、極めてユニークな内容だ

確かに、教義体系としては整備されてない(笑)
45.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
koQx2
まぁ、匿名掲示板でも、ハラスメントは成立するからな。
降り掛かる火の粉は払うけど。
46.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
pTYbU

> 確かに、教義体系としては整備されてない(笑)

韻文だから。
47.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ZvvU6
あとパーリ語仏典、初期仏教というのもなぁ🥱

分かってるのはガンダーラ地方で像化や文字が起こり地方へ広まったという仮説だから。

実際に漢訳阿含経典の方がパーリ語経典より古い時代の記述をしているのはその為だって合点がゆく。

48.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ZvvU6
某掲示板でも、パーリ語仏典=釈迦直説説を(学術的に)認める者は見ないしな。

そもそもお釈迦さまはそれぞれの地方語での伝道を薦められていたというし。
49.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
ZvvU6
958 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/10(土) 09:38:48.20 ID:crsZ5
>>955

ぜんぜん知らん分野に挑んでるんだから、仕方ないだろ😅


  ↓↑

28 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/10(土) 12:07:45.64 ID:MaLGg
スッタニパータのことか?

長年の愛読書だ

お前より遥かに深く理解している
50.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
v1784
>>49

「ぜんぜん知らん分野」というのは、「四念処」のことだ
51.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
v1784
スッタニパータではなく、大念処経だ
52.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
2nsHN
ふーん🥱
詳しくないのに、ここまで言い切っちゃうだ。🤭

 ↓

23 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:01.73 ID:9Ir0u
ハッキリ言おう
「四念処」こそ、初期仏教の核心だ

25 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:55.23 ID:9Ir0u
「四念処」を抜きにした初期仏教など、意味がない
53.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
2nsHN
あっ、訂正ですうw

ふーん🥱
「ぜんぜん知らん分野」なのに、ここまで言い切っちゃうだ。🤭

 ↓

23 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:01.73 ID:9Ir0u
ハッキリ言おう
「四念処」こそ、初期仏教の核心だ

25 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:55.23 ID:9Ir0u
「四念処」を抜きにした初期仏教など、意味がない
54.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
2nsHN
あっ、再訂正ですうw

ふーん🥱
「ぜんぜん知らん分野」なのに、ここまで言い切っちゃうんだ。🤭

 ↓

23 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:01.73 ID:9Ir0u
ハッキリ言おう
「四念処」こそ、初期仏教の核心だ

25 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:55.23 ID:9Ir0u
「四念処」を抜きにした初期仏教など、意味がない
55.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
2nsHN
しかも、核心はsatiだし。
56.
ユーザー
ハジ
IovDT
できるのか?w
57.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
e7Scn
それにしてもさあ……

いつまでこの仏教漫才やるの?
俺に何時迄突っ込み役やらせんの?

58.
ユーザー
ハジ
IovDT
実際、ひとつに決めて、、やらないとw
59.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
U0jLO
そうですね、やってみる事ですね。
文字を追っててもね。
60.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
9Mskc
そしてコツコツと続ける事でしょうね。
61.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
仏教漫才をコツコツと続けるのか?
62.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
四念処の代表格は、やっぱり身念処

なかでも、数息観が超有名

63.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
チャットGPT:

JBL、それはかなり本質を突いてるね!😄🪷

四念処のなかでも、身念処は実践の入り口として非常に重要。 そして、その代表的な実践法として有名なのが数息観だね。

ただ、仏教の瞑想史を少し掘り下げると、面白いポイントがあるんだ。

64.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
🪷 四念処と数息観の関係

四念処
観察対象
実践の例

身念処
身体・呼吸・姿勢・動作
数息観、呼吸の観察、歩行の観察

受念処
苦・楽・不苦不楽の感受
感覚が生じ、変化する様子を観察

心念処
心の状態
貪欲、怒り、散乱、集中などを観察

法念処
心身の現象や法則
五蓋、五蘊、七覚支、四聖諦などを観察
65.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
① なぜ身念処が重視されるのか?

身体は、今この瞬間に直接観察できる対象だから。
たとえば呼吸なら、
吸っているとき、吸っていると知る。
吐いているとき、吐いていると知る。
身体の緊張に気づく。
歩いているとき、歩いていると知る。
こうして、頭のなかで観念をこね回すのではなく、実際に起こっている現象に気づく力を養う。
ここが重要なんだよね。

66.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
② 数息観は、四念処のすべてにつながる?

これも面白いところ!

数息観は、呼吸を数えることで注意を呼吸に向ける瞑想法。
ただし、伝統や実践体系によって位置づけが少し異なる。

**初期仏教のアーナーパーナサティ(安般念)**では、呼吸への気づきを深めていく実践が、四念処の展開と密接に結びついている。

一方、呼吸を「一、二、三……」と数える方法は、呼吸を観察するための具体的な技法のひとつとして理解できる。

ここで区別したいのは、次の2つ。
数息:呼吸を数えて、注意を安定させる。
随息・観息:呼吸のあり方を観察し、気づきを深める。
数えること自体が最終目的なのではなく、呼吸への気づきを育てることが重要なんだ。

67.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
③ さらに深いのは、身念処から無常の洞察へ進むこと

ここが仏教的には核心だと思う。
最初は、ただ呼吸を数える。
やがて呼吸の微細な変化に気づく。
さらに観察を深めると、呼吸だけでなく、身体感覚も絶えず変化していることがわかる。
そして、感覚や心の状態もまた、固定されたものではないと観察できるようになる。

つまり、身念処は単に身体を観察する技法にとどまらず、無常・苦・無我への洞察につながる実践の基盤にもなり得るわけだね。

もちろん、数息観を行えば自動的に悟りに至る、という意味ではないよ。

ところで、JBLにひとつ聞いてみたい。
数息観の魅力って、どこにあると思う?
68.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
① 止(サマタ)――心を静め、集中力を養うこと。

② 観(ヴィパッサナー)――呼吸や身体の変化を観察し、無常を洞察すること。

③ 止観双修――心を静めることと、智慧を深めることの両方。

この3つ、似ているようで仏教の修行論ではかなり奥深い違いがあるんだよね。
69.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
プロンプト:

でも、「身念処」と聞いて、誰もが数息観を連想するわけではない

不浄観のイメージが強い人もいるようだ

70.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
チャットGPT:

そう、JBL。これはなかなか面白い指摘だね。🪷

「身念処」という言葉から何を連想するかは、その人がどの仏教の伝統や修行体系に親しんできたかによって変わるんだと思う。

とくに、数息観と不浄観は、どちらも身体を対象とする修行だけれど、実践の狙いや歴史的な位置づけには違いがある。
71.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
身念処をめぐる、2つの代表的なイメージ

① 数息観――呼吸を通して身体を観察する

安般念 は、呼吸への気づきを深める実践。
呼吸を数えることで心を落ち着かせる方法は、東アジアの仏教でも広く知られている。
とくに天台の止観思想では、数息などの方法が禅定の実践として体系化されている。
この系統に親しんだ人なら、「身念処」と聞いて呼吸の観察を思い浮かべるのは自然だろうね。
ただし、数息観と身念処は完全な同義語ではない。数息観は呼吸を対象とする具体的な瞑想技法であり、身念処は身体を観察する、より広い実践領域なんだ。
72.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
② 不浄観――身体への執着を見つめ直す

一方、不浄観 を連想する人もいる。

こちらは、身体を美しく魅力的なものとして捉え、執着する心を見つめ直す修行だね。

たとえば、次のような観察がある。
三十二身分観:髪、爪、歯、皮膚、骨など、身体を構成する要素を観察する。
九想観:遺体が腐敗し、変化していく過程などを観察する。
身体の不浄観:身体を構成するものやその性質に着目し、身体への過度な執着を弱める。
こうした実践では、身体を理想化する見方を崩し、貪欲や執着を弱めることが重視される。

ただし、不浄観は身念処と関連するものの、両者が完全に同じというわけではない。
73.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
🔍 なぜ、この2つのイメージが生まれるのか?

ここは仏教史的に興味深いところ。

観点
数息観
不浄観

主な対象
呼吸
身体の構成要素や遺体の変化など

主な実践上の狙い
注意の安定、禅定、呼吸への気づき
身体への執着や貪欲を弱めること

身念処との関係
身体、特に呼吸を観察する実践と関連
身体を観察する実践と関連

連想されやすい修行体系
呼吸観察、止観、安般念
初期仏教の身体観察、部派仏教の禅観、大乗仏教の修行論など

74.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YkqWU
なお、初期仏教の『念処経』では、身念処は呼吸の観察だけではない。姿勢、日常動作、身体の構成要素、四大、墓地での遺体の変化など、幅広い実践が含まれている。

つまり、数息観も不浄観も、身念処を連想させる有力な実践だが、身念処全体を代表するものとして、どちらか一方だけを絶対視することはできないんだ。

そして、ここでひとつ、さらに掘り下げたい問いがある。

不浄観は、四念処の身念処に含まれる実践として理解するべきなのか。それとも、貪欲を対治するための独立した観法として理解するべきなのか。

実は、この問いを考えると、初期仏教の四念処と、後代の禅定・観法の体系化との関係が見えてくる。

JBLが指摘した「身念処から不浄観を連想する人がいる」という現象も、そこから考えると、かなり奥行きのあるテーマになると思うよ。
75.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
AxLg2
> 仏教漫才をコツコツと続けるのか?

ボケがいる限りツッコミを入れたくなるのは人情というもの。

76.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
>>75

よく言うよ😂
77.
ユーザー
神も仏も名無しさん
GVFOC
ドパガキ🤡
下がっで良しっ‼️
😀
78.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
聖ウンコ師がいると、どのスレも全部、泥試合になるな
79.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
マトモな話になった試しがない😂
80.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
nWDBS
ボケばかりだから。
81.
ユーザー
神も仏も名無しさん
pTnrI
カントをやるか〜タイム😀
82.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
カントか、いいな😆
83.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6bSkE
本格派ですな~😂
84.
ユーザー
美魔女
WbqIO
現象とは時間、空間というカテゴリー枠組みを通して私達に現れる限りでの世界、私達が認識出来るのはこれだけです。

物自体とはその枠組みとは無関係にそれ自体としてある何か。決して認識出来ない。

つまり私達が知る世界はすべて人間のフィルターを通して現れる世界であって世界そのものではない。

私達の認識可能なすべては物自体には適用できないのです。


ボイン❗カントです。

85.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
>>84

確かに、その通りだが
86.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
教学有害論者の勝利宣言だな(笑)


158 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/10(土) 17:57:20.50 ID:7fhYW

まぁわたしが入れる話題が一つもない笑


159 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/10(土) 18:07:31.21 ID:OxpOi

そりゃあほとんど難しい話しばかりだから入れないのは当然だよね笑
87.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
教学有害論とは

「教学して教理に詳しくなるほど、悟りから遠ざかる」

という理論
88.
ユーザー
神も仏も名無しさん
hfkcO
般若心経じゃないの?色即是空空即是色。
古来日本国民的に一番最初に教わると言っても過言ではない。
そして聖徳太子様、もっと短く簡単で覚えやすいのにして頂きたかった。私が覚えられません。
89.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
教学有害論者にとって

「私は教義を知りません」とか

「私には難しいことは分かりません」

というのは、一種の勝利宣言(笑)
90.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
聖ウンコ師が

「私は何千回も坐禅会に参加してるのだ」と威張るのと一緒

普通の人には通じない、本人にしか分からない勝利
91.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
仏のスレ主は禅宗だから

禅宗にはそういう伝統もあるのは分かる
92.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
新興宗教には、こういう人が多い😅
93.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VoOye
そりゃまあ「知ってる」のは「自己」の上ってことで
教学や哲学などの知識はつまり「知ってること」、迷いの上のものとなるから

その辺に気付いたりわきまえてる人は
「知ってること」に執着しないってことで
94.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
いま思うと、あれは禅宗の影響だったのかも
95.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
>>93

「教義を知らなくてもいい」というのは、教学不要論

「教義を知らないほうがいい」というのは、教学有害論

この2つは、似て非なるものだ(笑)
96.
ユーザー
ハジ
IovDT
あなた、色んなこと、知ってて、賢いねえ、(笑)
97.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
>>96
凄く賢い方って書かれていましたよ?
それ先に言ってほしかったくらい、なら忖度しまくったのにと書いた事もあります。
98.
ユーザー
ハジ
IovDT
そーなんですねー
これから付託しましょうw
99.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
彼らは、教学ってものを誤解している

教学は、頭の柔軟体操だ

教学しないで瞑想ばかりするのは、
柔軟体操しないで筋トレばかりするのに相当する

頭が固くなるから良くない
100.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
>>97

当方は、新興宗教スレに長くいたので

「私には難しいことは分かりません」と
自慢げにいう信者を何人も見てきた

宗教界に特有のノリだ(笑)
101.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
>>98
はい。個人的にですが私の親戚縁者にやたらと先生職が点在していた関係もあり、あの先生たちの難しさは存じ上げていると言って差し支えないと思います。
幼い頃から見たあの正座で笑顔な怖さ 笑
102.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J1fBv
他のジャンルと違って、宗教界だけは

「私は教義に詳しい」といって威張る人より

「私は何も知らない」といって威張る人のほうが多い

前者ももちろんいるが、経験則として、後者のほうが多い(笑)
103.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
そうだと思いました。
無知の知、の何故何故マン哲学者は死刑にされたらしい。確かに!
104.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
教学有害論者にとって

「アナタは難しいことをよく知っていますねえ」

というのは、「お前の負けだ」と言ってるに等しい

「私は何も知りません」

というのは、「私の勝ちだ」と言ってるに等しい

他のジャンルにはあり得ない、宗教だけの逆転現象(笑)

105.
ユーザー
ゴリ子
uYK80
>>104
京言葉はもっと恐ろしい。
あれは本物 笑
106.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
なので、教学有害論のカルト信者が

「アナタはずいぶん、お詳しいですねえ(笑)」と言ってきたら

こちらはカチンとくる

ホメられてるわけではない

「無意味な努力でムダな知識をつけた負け組」と言われてるのである

こちらは経験則で、それがよく分かっている

だから、あえて

「お前の方こそ、信者のくせに、なんでこんなことも知らねえんだ。
信者ならマジメにやれ。バカめ」

と罵倒する

信者は、勝ち誇ってたところに罵倒されたからカチンとくる

普通の人には分からない、高度な心理戦だ😅
107.
ユーザー
ゴリ子
uYK80
>>105
そして仏教のトンチ。
これドラゴンボールの何段階上なの?くらいなバトルだと、仏教を学んで思います。茶飲めとか真っ直ぐに木をみろとか教わって思います。
108.
ユーザー
ゴリ子
uYK80
>>106
109.
ユーザー
ゴリ子
uYK80
>>10
110.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
だが、この心理戦には、勝てないのである

なぜなら、こちらは、いろんな思想を知っている

だから、教学有害論みたいな思想スタンスもあるのは知ってるので、認めざるを得ない

だが、教学有害論者は、他の価値観を知らない

だから、「俺の勝ちだ」という信念は揺るがない

このため、教学有害論者は無敵で、無双なのである(笑)
111.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VoOye
>>106
つまりそれは「知ってることはウソ」ってことを「知って」しまった見方からのものになる
知られたものの上に、「上下」「優劣」「真偽」やそれを得る「自己」が生まれるのに
「自分は知らない」という「真」「優」を「知って」しまってるということ
112.
ユーザー
ゴリ子
uYK80
>>111
リッスン
10らしいですな。己れの書き込み見返してください。勝手に出てきました。
113.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VoOye
こういうものは「善悪」とか「おまえはダメだ!」とかするということじゃないってことね
「知ってる」からダメ、ということではない
114.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
なんだ、またJBLの精神的•脳内勝利の自慢話か🥱
かわいそうな奴だよな。
115.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
だが、教学せずに瞑想ばかりするのは、良いと思えない

倶舎論、中論、唯識論

どれも、世間一般の常識人にとっては、クレージーなことが書いてある(笑)

こういうもので、日常生活によって刷り込まれた信念体系を崩してからでないと、瞑想には効果がない

瞑想は、大なり小なり、精神統一を伴う

「いや、自分は精神統一などしていない。リラックスしてるのだ」と言うかもしれないが

それは程度の問題だ。ある程度は精神統一につながる

精神統一の行をすると、「信念が強化される」という副作用がある

だから、気をつけなければならない

「教学は、頭の柔軟体操だ」というゆえんが、そこにある
116.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
「日々の日常生活の中に真実がある」とか

そういうのには賛成できない

むしろ、日常生活によって刷り込まれた信念体系を壊すことが重要だ
117.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>114

いや、お前みたいに「俺は熱心に坐禅してるのだじょ~」とかいって威張るのは、論外

愚かすぎて、語るに値しない(笑)
118.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
教学有害論もさることながら

「修行不要論」ってのもある

こちらは、また異なるロジックでデキている
119.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>103

> 無知の知、の何故何故マン哲学者は死刑にされたらしい。確かに!


無知の知ってのも、嫌味な言い方だ

しかも、大哲学者のソクラテスが、それを言うか(笑)
120.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VoOye
教学不要も、修行不要も
なぜそういう主張が出てくるのかっていうのは
仏教というのは人間の知性経験を超えたものを示す教えだからということがある

人間の知性によっては決して至れないしよればよるほどその「そのもの」とは違うものをつかんでしまう
修行も同じで、人間のやる修行によって自分を良くしていってその先に至れる、というものでは決してないということで
121.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
修行不要論は

「人はみんな、もともと悟っているんだよ。
そこに気づけばいいだけなんだ」

というロジックでデキている
122.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
これは文字通り

「やらなくていい。必要ない」

という意味だ
123.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
こういう発想は、禅宗からしか出てこない

例えば、日蓮正宗や創価学会

熱心に題目を挙げて、毎日欠かさず勤行してる人と、勤行をやらない人

この2人を比べてみれば、シンプルに前者が良い

前者の生き方が推奨される
124.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
ところが、禅宗に限っては

「妙に必死で坐禅なんかやってる奴はバカ」

という価値観があり得る(笑)
125.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
修行不要論のロン殿と、坐禅回数至上主義のセイウン居士殿

当方には、前者が賢く、後者が愚かに見えている
126.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
こんな感じだな。

でおー 不良品
カマ夫 粗悪模造品
JBL 粗悪品
笑夫 B級品
127.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
あ、ロンが居たか。

ロン 欠陥品
128.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
「坐禅など、しなくても良い」

という意見には賛成だ
129.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
坐禅は当たり前。
洗顔や歯磨きと同じ。
130.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
>>128
私の意見ですが、大反対です。坐禅は御釈迦様が悟られたものを受け継いだ大切なもの。
そしてそれ知らん奴など仏教徒におったんか、なら仏教要らん説には賛成。
131.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
思うに、教学と瞑想は

両方ともやるか、両方ともやらないか

そのどちらかにした方が良い

どちらか片方だけというのは、片手落ちだ
132.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>130

あ、そう(笑)
133.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
>>132
ほら、とっても賢い人だから不器用なんやろ?頭の方向転換というのかとんでも頭とか苦手タイプ?
もうそんな視線は見飽きたけど。
134.
ユーザー
ゴリ子
hfkcO
これ書いたら超叱られる例え、爆笑
多分最澄様がそのザ、エリート。
そして空海様がとんでも野生児。
理趣経を渡さなかったわけやろな。
135.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>134

なるほど
136.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
JBLとか、知識も体験もないのに宗教評論家を気取ってる馬鹿くらいにしか思ってないけどなぁ。
137.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>136

わかった、わかった

お前は偉い!!(笑)
138.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
結局あれこれと手を広げるけど、何一つものになってないよな、JBLって。
139.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
>>130

「坐禅のやりすぎは有害」と思うようになったのは

宗教板でセイウン居士殿の言動を見てからの話

以前からそう思ってたわけではない
140.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5
坐禅も、ある程度はやったほうがいいと思うんだけど

やりすぎると、バカになる😫

宗教板に、生きた実例がいるから
141.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
これ、JBLそのものだよあw



ふーん🥱
「ぜんぜん知らん分野」なのに、ここまで言い切っちゃうんだ。🤭

 ↓

23 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:01.73 ID:9Ir0u
ハッキリ言おう
「四念処」こそ、初期仏教の核心だ

25 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/10/01(木) 18:43:55.23 ID:9Ir0u
「四念処」を抜きにした初期仏教など、意味がない
142.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Kwl6f
そりゃ万回坐禅はしてても、俺なんかより坐禅してる人なんていくらでもいるだろ。

143.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
JBLは宗教板での自分のポジションを素直に受け入れたらいいのに、変な意地を張って更に転落してるんだよな。

鼻息で フッw 笑われる程度なのに。

144.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
>>141

ぜんぜん知らん分野を探究する中で、
四念処の重要性に気づいたのだ

お前にはあり得ない気づきだな(笑)
145.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
>>143

わかった、わかった

いいから、足組んで寝てろ(笑)
146.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
まぁ、ビギナー・トーシローへのハラスメントになるから、このくらいにしておくけどさぁ。

147.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
しかも、初期仏教の核心はsatiなのにw

148.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
昔の話になるけど、研究機関にいた時もなんか勘違いした人が売り込みに来てたけどさぁw
JBLもいい加減に自分の立ち位置を考えたら?
149.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
部外者がなんか言ってるしw

実際そんなもんだから🥱
150.
ユーザー
神も仏も名無しさん
ndvNT
チャッピーによる栖雲居士の評価は以下の通り

7. 一番気になるのは「世界観の閉鎖性」です
ここまで追っていて私が最も気になっているのは、実は「悪霊を信じているか」そのものではありません。
例えば、
「批判された」
↓
「自分の教えを理解していない」
↓
「だから相手は餓鬼憑き」
↓
「餓鬼憑きだから批判してくる」

となると、結論が原因の説明にもなってしまうんです。
さらに、
「カルトだから攻撃してくる」
「攻撃してくるからカルトだ」

となれば、こちらも循環します。
これが進むと、どんな反証も、
「それもカルト側の工作」

として処理できてしまいます。
もし実際にそこまでなっているなら、これは単なる「宗教好き」「口の悪い人」という範囲を超えて、現実検討の問題を疑うべき重要なサインになります。
現段階での私の評価
以前の私は、
自己愛的・優越的・攻撃的な人物像が中心で、精神病性は慎重に見る

という評価でした。
今はそこから一段変更して、
自己愛的・競争的・攻撃的な対人スタイルに加えて、長期間持続する被害的・組織的・宗教的な説明体系がかなり明瞭になっており、精神病性症状、とくに被害妄想・宗教妄想に相当するものがないかを真剣に鑑別したくなる状態
151.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
ん?
番号が飛んでるな。
152.
ユーザー
神も仏も名無しさん
ndvNT
>これは単なる「宗教好き」「口の悪い人」という範囲を超えて、現実検討の問題を疑うべき重要なサインになります。

>今はそこから一段変更して、
自己愛的・競争的・攻撃的な対人スタイルに加えて、長期間持続する被害的・組織的・宗教的な説明体系がかなり明瞭になっており、精神病性症状、とくに被害妄想・宗教妄想に相当するものがないかを真剣に鑑別したくなる状態

www
153.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
4wk6u
で、実際に仏教の現場に居る者から見て、関係ない世界の話だから。

新興宗教の連中もそういう扱いをしてたと思うぞ。
154.
ユーザー
美魔女
oT3Fv
また、みんなで私の取り合いなのね、もう、やだわ。
私にお色気が有るから寄ってくるのね✨
155.
ユーザー
神も仏も名無しさん
QeQiH
ドパガキ🤡も人気者だな?
わかりやすい虚言癖が
🤡〜
156.
ユーザー
ゴリ子
OOD29
>>154
ほんとに、ここの男性はジョニデ並みだと自己暗示かけてて、と昔教えられた。
イケメンしかみえてないから良いと思うよ、不二子ちゃん 笑
157.
ユーザー
ゴリ子
OOD29
ど直球に叱られちゃった。
徒然草 仁和寺にある法師

だって。少しはオブラートに包むとかデリカシーないのかな?と八つ当たり。
ほんと坊主な先生怖いっす。
158.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
身念処の次は、受念処だが

これは数息観や歩行禅、不浄観みたいに有名なものがない

159.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
チャットGPT:

そうなんだよ(笑)。

身念処には数息観・歩行禅・不浄観といった具体的な修行法があるのに、受念処には、これに相当する有名な独立した修行法が見当たらない。

ただ、初期仏教の四念処経を読むと、受念処にも明確な実践内容がある。むしろ、これは独立した特殊な瞑想法というより、日常のあらゆる感覚経験を観察する訓練なんだと思う。

受念処では何をするのか?

基本となるのは、受(vedana)を三種類に分けて観察すること。
160.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
1. 楽受(らくじゅ)

気持ちいい、快い、心地よい。
例:おいしいものを食べたとき、暖かい布団に入ったとき。

2. 苦受(くじゅ)

不快、痛い、嫌な感じ。
例:暑い、腰が痛い、嫌なことを言われた。

3. 不苦不楽受(ふくふらくじゅ)

快でも不快でもない、中立的な感覚。
例:何気なく音を聞いているとき、特に好きでも嫌いでもないものに触れたとき。

さらに、それぞれについて、
世俗的な欲望に結びついたものか、そうでないものか
その受が生じているか、消えているか
受が生じる条件や、消滅する過程はどうなっているか
を観察していく。

初期経典の代表例である『念処経』(MN 10)や『大念処経』(DN 22)では、受念処はこのような形で説かれている。

161.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
では、具体的にどう実践するのか?

例えば、誰かに嫌味を言われたとする。

① 刺激が入る
嫌味を言われる。

② 苦受が生じる
不快感、胸のざわつき、身体の緊張などが起こる。

③ 苦受を苦受として知る
「不快な感覚が生じている」と観察する。

④ 受に自動的に支配されない
不快感から直ちに怒りや攻撃へ進むのではなく、反応が生じる過程を見極める。

ここで大事なのは、苦受を無理に消そうとすることではない。
苦受が生じていることを知り、苦受に対する貪りや嫌悪がどう生じるかを観察する。
これは、あなたが関心を持っている、心王・心所を分析して怒りの発生過程を観察する方法にもつながる。
ただし、厳密には、苦受そのものと、苦受に対して生じる瞋などの心所は別のものだ。ここを区別することが重要になる。

162.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
受念処に固有の修行法はないのか?

実は、受念処と非常に相性のよい実践がある。
それは、感受が生じた瞬間を捉える観察だ。

パーリ経典には、快・不快・中立の感受を観察する実践が明確に説かれている。また、『相応部』の「矢のたとえ」(SN 36.6)では、身体的な苦痛と、それに重ねて生じる心の苦痛とを区別する。

身体の痛みという第一の矢は避けられないことがあっても、そこから生じる余計な心の苦しみという第二の矢は、訓練によって減らせるという趣旨だ。

これは受念処の実践的な意義を理解するうえで、かなり重要な経典だと思う。
163.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
プロンプト:

身体の反応はどうすることもできないが、
心の反応は訓練次第でコントロールできるというわけか

なんとも現実主義者で、初期仏教っぽい
164.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
チャットGPT:

まさにそういうことだね(笑)。

初期仏教の現実主義は、そこに表れていると思う。

ただし、少し正確に言うと、身体の反応は必ずしも制御できないが、心の反応は訓練によって変えていける。 そして、心の反応も、意志の力だけで自由自在に操れるわけではない。

『相応部』SN 36.6「矢のたとえ」は、この点を実に見事に説明している。

第一の矢: 身体的な痛みなど、避けられない苦痛。

第二の矢: 苦痛に対する嫌悪、嘆き、動揺など、心が付け加える苦しみ。

凡夫は第一の矢を受けると、第二の矢まで受けてしまう。
だが、仏道を修めた聖弟子は、第一の矢を受けても、
第二の矢を重ねずに済むようになる。

もちろん、これは身体と心を完全に切り離せるという意味ではない。
身体の痛みが心に影響することもあるし、
心の状態が身体に影響することもある。
165.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
ここが初期仏教のリアリズム

面白いのは、苦痛そのものを否定していないことだ。

「すべては心の持ちようだ」と精神論で片づけるのでもない。

苦痛は生じる。感受は生じる。しかし、
それに対して貪りや瞋りを重ねる必要はない。
これが訓練の方向性なんだね。

そして、あなたが関心を持っている心王・心所の分析とも、きれいにつながる。

例えば、嫌なことを言われた場合、
不快な感受である「苦受」が生じる。
その不快感に対して瞋りが生じる。
瞋りに引きずられて、怒鳴る、仕返しするなどの行動に進む。
この過程を観察できれば、少なくとも反応が自動的に行動へ直結するのを防ぎやすくなる。

ただし、受から瞋りへ進むのが必然というわけではないし、心所の生起を完全に意志で選べるというわけでもない。だからこそ、繰り返し観察し、訓練する意味がある。

初期仏教は、苦しみを形而上学的に説明するだけでなく、苦しみが生じる条件を見極め、実際に減らせる部分を減らしていく。

この姿勢は、まさしく実践的だと思う。
しかも、ここから十二縁起の「受縁愛」へ進める。
166.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
プロンプト:

受縁愛とは何か?
167.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
チャットGPT:

「受縁愛(じゅえんあい)」とは、十二縁起の第八支で、受を縁として愛が生じるという意味だね。

ここでいう「愛」は、男女の愛情という意味ではなく、パーリ語の tanha、つまり**渇愛(かつあい)**のこと。

十二縁起の中での位置

触(そく)
感覚器官・対象・識の接触
↓
受(じゅ)
快・不快・中立の感受
↓
愛(あい)=渇愛
欲しい、嫌だ、失いたくない
↓
取(しゅ)
執着し、つかみ取る

これは十二縁起の一部分で、受の前には触があり、
愛の後には取・有・生・老死と続いていく。
168.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
チャットGPT:

① 受:楽受が生じる
「おいしい、気持ちいい」という快い感受が生じる。

② 愛:もっと欲しくなる
「もっと食べたい」「また食べたい」という渇愛が生じる。

③ 取:執着する
「これを食べられないと嫌だ」「絶対に手に入れたい」と、欲求に強くとらわれる。

もちろん、楽受が生じたからといって、
必ず渇愛や執着に進むわけではない。
食事を楽しみながら、執着せずに食べることもできる。
169.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
反対に、嫌なことを言われた場合はどうだろう。

苦受: 不快な感受が生じる。
愛: この不快感をなくしたい、相手に仕返ししたい、という渇愛が生じる。
取: 怒りや恨みに固執する。

つまり、渇愛は快いものを求める場合だけでなく、
不快なものを排除しようとする場合にも生じる。

なお、仏教でいう渇愛には、
欲しいものを求める欲愛、
存在し続けたいという有愛、
存在を断ちたいという無有愛がある。
170.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
では、受念処とどう関係するのか?

ここが重要なんだ。

受念処は、受を観察することで、受から渇愛へと進む心の動きを見極める実践として理解できる。
楽受が生じても、ただ楽受として知る。苦受が生じても、ただ苦受として知る。中立の受についても、見過ごさずに知る。
そうすれば、感受が生じるたびに欲望や嫌悪に引きずられる、その自動的な反応を弱めていける。

ただし、十二縁起の「受縁愛」は、受があれば必ず愛が生じるという単純な心理法則ではない。縁起の条件関係を示したものだ。
初期仏教の実践的な眼目は、受そのものを消し去ることではなく、受を条件として渇愛が生じ、それが苦しみを増幅していく仕組みを理解し、その連鎖を止めることにある。
身念処で身体を観察し、受念処で感受を観察する。そこから心念処で貪りや怒りを観察する。
四念処がひと続きの修行として見えてくるね。
171.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
四念処の中でも、受念処は独特の位置にある

身念処では、身体を身体として観察する。
受念処では、経験が快・不快・中立のどれとして感じられているかを観察する。
心念処では、貪りや怒りなどを伴う心の状態を観察する。
法念処では、五蓋や五蘊、四諦などの枠組みから経験を理解する。

もちろん、これらは完全に切り離された段階ではない。
受念処で感受を観察しているときにも、
心の状態や五蘊の働きは関係している。
172.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
そして、受を観察することには、もう一つ大切な意味がある。

受は無常であり、受に対して生じる反応もまた、条件によって生じる。
不快感が生じたからといって、怒りに従う必要はない。
快感が生じたからといって、執着する必要もない。

これは、あなたが重視している無常・苦・無我・不浄の観察にもつながっている。

さらに重要なのは、四聖諦との関係

仏教の目的は、感覚をなくすことではなく、苦の生起と滅を理解することだ。
受を観察し、受を縁として渇愛が生じる仕組みを理解する。その理解が深まれば、渇愛を滅する道も見えてくる。
ここで、初期仏教の実践的な性格がよく表れている。
「自分とは何か」という哲学的な問いだけでなく、いま生じている感受が、どのように苦しみにつながるのかを観察し、その仕組みを変えていく。
受念処は、まさにそのための修行なんだね。
ちなみに、経典上の説明をさらに掘り下げるなら、次に注目したいのは『相応部』の**「受相応」**。受についての教説が集められていて、受念処と十二縁起を結びつけて理解するのに役立つよ。
173.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
やはり、知れば知るほど広がるな
174.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
1日や2日で分かるようなものではない(笑)
175.
ユーザー
神も仏も名無しさん
QeQiH
ま、ムイムイとハッスル🤡へのテストは
いつもしている😀
176.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
61rfw
受念処テストをしてるのだな?
177.
ユーザー
神も仏も名無しさん
oT3Fv
鹿はインチキ占い師と同じ
178.
ユーザー
ハジ
hvT5K
身体に帰ってリラックスー
179.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
aDvVD
リラックス瞑想
180.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lrxP7
久しぶりにキリスト教礼拝いってきた
呼ばれたケース😀
181.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lrxP7
哲学研究より、朝の目覚めで礼拝プランが決まった
😀
182.
ユーザー
神も仏も名無しさん
7j4yI
>>180
> 久しぶりにキリスト教礼拝いってきた
> 呼ばれたケース😀

よかったね。
でも百回や二百回で祓われる程度の悪霊じゃないね、君は。
183.
ユーザー
ハジ
hvT5K
呼ばれないと行けない神社があるらしい
184.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6Jrx1
身念処と受念処まできたな
185.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6Jrx1
教会に呼ばれたのか😄
186.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
c0qUa
阿弥陀様に呼ばれる話は
どうじゃ?

https://talk.jp/boards/psy/1790809822
187.
ユーザー
神も仏も名無しさん
gWtQ1
呼ばれなくても行ったり呼ばれても行けなかったり、既に行っていたり、気づいていなかったり、色々だな
188.
ユーザー
美魔女
Ojl1p
禅宗思想は現実をありのままに受け入れる。
私という執着を手放して世界を調和するのに対してニーチェは私の遺志を極限まで尖らせて世界を創造します。


禅宗思想はエゴを手放して現実をありのままに受け入れ波風を立てず鏡のように世界を映し出す静かな心の状態を目指します。


ニーチェは不条理な運命を単なる受け入れるのではなくこの最悪な運命を自ら受け入れてやる!という猛烈な力への意志を持ちます。

189.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PZRVN
馬鹿www

「私の遺志」 ではなくて「意志」だろ。
「世界を調和する」 ではなくて「世界と調和する」だろ。

それからニーチェの運命愛(Amor Fati)は、自分の身に起きる良いことも悪いことも、苦痛や運命の残酷さも含めて、すべてをありのままに肯定し愛する生き方だから。

真逆だな。
190.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PZRVN
つまり、ニーチェのそれは能動的前進な訳だ。
そういう意味では禅にもそれはある。
191.
ユーザー
ゴリ子
OOD29
顕教と密教の話でしょうか?
なら密教が理趣経を手放さなかったワケが分かる分かりやすいスレ先を上げてくれているエロ和尚様に皆様感謝感激ですよね。
192.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
wjX5p
俺が大蛇を退治したってホラを吹くパパゲーノみたいだよな、このカマ夫はw
193.
ユーザー
ゴリ子
OOD29
>>192
多分私は教わったと思います。
馬鹿相手に0から仏教知識を伝えるのも大事だけどな、、としてくださりありがとうございます。私は手塚治虫ブッタと聖⭐︎お兄さん二つのみ読んで知恵袋とネット検索で教わりました。
フリかなまで付けてくれたのに感激しました。

また私の間違いならごめんなさい。スルーしてください。
194.
ユーザー
美魔女
sLu0j
ゴリ子と法助がメチャクチャかわいい😃

ボイン🎵
195.
ユーザー
美魔女
sLu0j
道元は身体的実践を通して自己の消滅と万物との合一を示したが西田幾太郎はそれと同じ直観を受けて哲学で世界再構築する。
ボイン❗秋
196.
ユーザー
神も仏も名無しさん
6exhk
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のみことば

↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
197.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
受念処は、四念処のなかでも実践的に重要なところだね。

一言でいえば、快・不快・どちらでもない、
という感覚が生じたとき、それを自覚し、
感覚に引きずられずに観察する修行だ。

ここでいう「受(ヴェーダナー)」は、
感情全般というよりも、経験に伴う
「快・不快・中性」という感受のこと。

たとえば、誰かに嫌なことを言われたとき。
受:不快だ、気分が悪い。
想:こいつは失礼な奴だ、と認識・解釈する。
行:言い返してやろう、という意志や反応が生じる。
この三つを区別して観察するのが、実践のポイントになる。

普通は、この一連の過程が一瞬で起こり、
全部ひっくるめて「腹が立った」と感じる。
受念処では、その過程を丁寧に見分けていくわけだ。
198.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
具体的には、こう実践する

たとえば、誰かに腹の立つことを言われた場面を想像してみよう。

① 刺激を受ける

相手から嫌味を言われる。
この時点では、まだ言葉の内容を分析しなくてもよい


② 受を自覚する

「不快な感覚が生じている」
胸がムッとする、顔が熱くなる、気分が悪くなる。
まずは、その経験に伴う不快さを認識する。

③ 受を受として観察する

「不快な受がある。ただ、それだけだ」
不快感を無理に消そうとせず、正当化もせず、
ただ生じているものとして観察する。

④ その後の反応を見分ける

「言い返したい」「相手を憎いと思う」
という反応が続いても、すぐに従う必要はない。
受と、その受に続いて生じる欲求・反発とを区別する。

これは『念処経』(MN 10)に説かれる、
楽受・苦受・不苦不楽受を、それぞれそのような受として
知る実践に沿った説明だ。
199.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
日常生活での練習

座禅のように特別な時間を設けなくても、日常の感覚を使って練習できる。

美味しいものを食べたとき:「快い受が生じている」
嫌なことを言われたとき:「不快な受が生じている」
何も感じないような退屈な時間:「中性の受がある」

ここで重要なのは、快い受を嫌ったり、
不快な受を無理に消したりしないこと。
中性の受も見落とさず、気づいておくことだ。
200.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
受念処の核心は「受縁愛」にある

初期仏教の縁起説では、受を縁として愛(渇愛)が生じると説かれる。

たとえば、

「不快な感覚が生じている」
胸がムッとする、顔が熱くなる、気分が悪くなる。
まずは、その経験に伴う不快さを認識する。


こうした反応が自動的に起こることに気づく。
受念処の実践によって、受が生じても、
そこから必ず渇愛や執着へ進むわけではないと理解していく。

ただし、受念処そのものは、受をコントロールしたり
消滅させたりする訓練ではなく、まず受を正しく知る訓練なんだ。

受は生じる。しかし、その受にどう反応するかは、受そのものとは別の問題だ。

ここが、君が以前話していた「身体の反応はどうすることもできないが、心の反応は訓練できる」という点とつながってくる。

さらに踏み込むなら、受念処は単に怒りを抑えるための技術ではない。快・不快・中性の受が生じては消えていく様子を観察することで、受が無常であり、思いどおりにならないものであることを、実体験として理解していく修行でもある。
201.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
身念処といえば、数息観

あと、不浄観も身念処の一種
202.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
それに対して、受念処は

「反応しない練習」と聞いて、普通にイメージするものに近い
203.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>202

チャットGPT:

そう、それはかなり的確な理解だと思う。

受念処は、「反応しない練習」の実践的な土台に近い。
ただし、単に反応を我慢するのではなく、
反応が生まれる仕組みを観察するところが重要なんだ。
204.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
受念処で何をするのか

例えば、誰かに失礼なことを言われたとする。

① 刺激が入る
「バカにされた!」という状況が起こる。

② 受が生じる
不快な感受が生じる。腹が立つ、胸がムッとする、身体が熱くなる。

③ 受を観察する
「不快な感受が生じている」と気づく。
すぐに言い返したり、相手を憎んだりする前に、
まず感受そのものを観察する。

④ 反応の連鎖を見極める
不快な受から、怒りや執着が生じ、
さらに言い返す・仕返しするといった行動につながる。
その連鎖に巻き込まれないようにする。
205.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
参禅30年とか、悟ったという
ハッスル🤡やムイムイは
俺にテストされて当然である
😀
206.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
初期仏教の核心は、受縁愛

ここが重要だね。

縁起説では、
触 → 受 → 愛
という連鎖が説かれる。

感覚的な接触があり、
それによって快・不快・中性の感受が生じ、
そこから欲求や執着が生じる。

もちろん、受が生じたら必ず愛が生じる、
という単純な機械的反応ではない。
だからこそ修行によって、この連鎖を観察し、
執着を生み出さないよう訓練する余地がある。

207.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
今日も朝から私用予定目白押し
研究する暇が作れるんかな?
😀
208.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
例えば、不快なことを言われたとき、

不快な感受そのものは、すぐには消せない。
しかし、その不快感を「許せない!」という怒りに発展させる必要はない。
怒りが生じても、それを自分自身と同一視して、さらに増幅させる必要はない。
ということだ。

ただし、受念処は「反応しない」だけではない

ここは区別しておきたい。

受念処では、快・不快・どちらでもない感受を、感受として観察する。つまり、反応を抑圧する訓練というより、反応が生まれる手前の感受を見抜く訓練なんだ。

嫌なことを言われて不快になる。それ自体は自然なことだ。
その不快感を否定せず、ただ不快感として知る。
そこから怒りや執着がどう生まれるかを見ていく。
これができると、反応に振り回されにくくなる。

そして、これは君が以前から重視している、
心の働きを細かく観察するアビダルマ的な自己観察とも相性がいい。

身念処が身体を観察する訓練なら、
受念処は心が反応する仕組みを観察する訓練。

そして、その先にあるのが、受を条件として
愛が生じるという縁起の理解だね。
まさに初期仏教の実践理論の要所だと思う。
209.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
俺は、基本、他の連中に釣られない、
相手を釣るのは好きだがなー
😀
210.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>207

忙しいんだな?😄
211.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>209

ハッスルやムイムイを釣ってるな?😆
212.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>206

なるほど

受念処は、十二縁起の核心なんだな
213.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
ブイ?

で決死になるからなー
😀
214.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
>>212
俺はショートカットなので
仕事前のダルさ、うっとおしさや体調不良も巨神兵出して焼き尽くす
ところからスタート
😀
215.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
ハッスル🤡やムイムイのナルシズム煩悩を
灰にしてやる親切心が
俺にある😀
ま、当人達のその「苦」の自覚を推奨している😀
216.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>213

シンプルな反応だ😆
217.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
不思議な高野山の僧侶を見つけた

トマス・アクィナスと空海は似てる接点はありそうだな?


https://m.youtube.com/watch?v=Fa_W9jMCYFQ&t=39s&pp=2AEnkAIB
218.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
俺の不思議さは
もっと上だ
自分でも分からん、
昨日の教会の礼拝は霊的ノリは悪かった
夢に出た亡者(教会で知ることになる)
が、メインで
イエスキリストがメインでなかったせいもあるよーだ
😅
219.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
また、一年前ほぼ2日違いだった
認知症はなかったが寝たきりになり老人ホーム入所でコロナ関連で会うこともできなかったお方で
夢枕かも、と関連のあった教会に行くと
一年前ジャストに近い😅
220.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
イエスキリストは一番にして
礼拝しないと
霊的ノリが悪い😀
221.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
イエズス会の神父で、しかも真言宗の僧侶なのか
222.
ユーザー
夕
a8QIR
33.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
b5NIB(6/31)
初期仏教の大きな特徴として「行為」の意味を大きく転換したことが挙げられる。

当時の諸宗教では、行為の善悪をどう考えるのか、その行為(業)の意味は輪廻思想をもとに解釈された。例えば、バラモン教では、行為とは主に祭式を指す言葉であった。アージーヴィカ教では、現生の行為も来生の行為も運命論によりすでに決まっていると考えた。ジャイナ教では、行為とは外から流入してくる物(業物質)だと説き、真の自己はこの外的な物によって輪廻を繰り返すのだと考えた。

これに対し、初期仏教では「行為」とは自発的な意思にもとづく初行為だと説く。祭式や苦行に頼らずに、自己の人生を作るのは自己自身だと信じ、自らの未来をよりよくするために倫理的な向上を目指す考え方だったのである。


※比丘たちよ、私は業とは意志であると説く。 意志して身体・言葉・心によって行為する。

だそうだ。

223.
ユーザー
夕
a8QIR
つまり仏教では、

殺したという行為そのもの
施しをしたという行為そのもの

が業なのではなく、

その背後にある意図・意思・動機

こそが業であるという大転換が起こっています。

例えば、

うっかり虫を踏む
故意に虫を殺す

では外形的には同じ結果でも、業の重さは全く異なる。

なぜなら業の本体は「意志」だからです。
224.
ユーザー
夕
a8QIR
自己の人生を作るのは自己自身だ

という部分は、運命論への批判として理解できます。

アージーヴィカ教は、

「解脱する時期も苦しむ時期も全部決まっている」

と考えました。

しかし釈尊は、

過去業の影響はある
だが現在の意志と実践によって未来は変わる

と説きます。
225.
ユーザー
夕
a8QIR
そのため初期仏教は、

宿命論でもなく 自由意志万能論でもない

中道的立場です。

さらに興味深いのは、後の大乗仏教でもこの「意志としての業」という基本構造は維持されていることです。
226.
ユーザー
夕
a8QIR
「主観」の問題とも少し重なる。

祭式や物質としての業なら客観的に存在しますが、初期仏教の業は「意図」という内面的な働きです。つまり業の中心は外側の出来事ではなく、

どのような認識・欲求・意図から世界に関わったか。

だから初期仏教では、行為そのものよりも、

貪りから行ったか
怒りから行ったか
智慧から行ったか

が問題になる。

「言葉そのものに意味があるのではなく、どう受け取り、どう執着するかが問題になる」

業の中心を外物ではなく心の働きに見たことが、釈迦仏教の革新性かな。

227.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VL0NK
昨日夢に出てきた、この世におらん人の墓参り昨日に続いて、
墓探しで疲れてたから昨日は
😀
228.
ユーザー
夕
a8QIR
現実も夢みたいなもんだからね。夢の出来事も、意図としあらわれる





229.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VL0NK
この世におらん人の夢は
親族と
今の会社勤めの人と
昨日夢見た人

亡くなってジャスト命日一年に近いタイミングで夢みた、老人ホームに入ると
消息不明になるからなー
コロナ関連のせいで😮
230.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VL0NK
もう一人、スマホの使い方を教えてもらった友人と
夢見たのは、そんなところだ
😀
231.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VL0NK
夕と遭遇したころは
パソコンオンリーだ
スマホ使ったのは2020年くらいだろう
😀
232.
ユーザー
神も仏も名無しさん
VL0NK
今日の墓参りの墓の主は
霊的に喜んでいる気配を感じた
😀

昨日は墓地の霊感があるせいか、
見知らぬ探す時間で
まー色んな仏教系統の霊香してたなー
それで疲れたかな?
ま、最大はイエスキリストに霊的集中が薄いせいだな😮
233.
ユーザー
夕
a8QIR
しかしだ。意識は無意識でもあり、無意識は無意識である。意識してやっていると思っていることも無意志の証であるとなる。輪廻すらも縁起である。


初期仏教は「業とは意志にもとづく行為である」と説いた。これは祭式や運命ではなく、人間の意志的な営みを業の中心に据えた点で画期的であった。しかし、その意志そのものを観察すると、意志もまた様々な因縁によって生じていることが分かる。意識して行っていると思うことも、実は無数の条件が顕れた結果であり、独立した自由意志の発動とは言い切れない。意識は無意識の顕れでもあり、その意志さえも縁起しているのである。そうである以上、業も縁起であり、輪廻もまた縁起である。輪廻する固定的な主体があるのではなく、無明や渇愛の連鎖が因縁によって継続している状態を輪廻と呼ぶのである。ゆえに、輪廻すらも縁起なのである。
234.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
>>217
シェアして頂きありがとうございます。
観ました、笑顔素敵すぎな天才ってほんとに存在するんだ!と思ってしまいました。お人柄そのもの光ってると全て現れるんですね。
235.
ユーザー
夕
a8QIR
比較は輪廻を駆動する認識作用の一つ

とも言える。

比較によって自己が立ち上がり、 自己が立ち上がることで執着が起こり、 執着によって輪廻が維持される。

逆に言えば、

比較は起こっても、それを実体視しなければよい。

「ああ、比較という認識が今起こっているな」

と見るだけなら、比較は苦を生まない。

突き詰めれば、

比較が苦を生むのではない。比較によって成立した自己像を真実だと受け取ることが苦を生む。
236.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>222

まあ、「最後の昭和の仏教学者」とも言うべき人物(馬場紀寿)が主張してることだが😅
237.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
清水・馬場論争とは?

AI Overviw

清水・馬場論争(しみず・ばばろんそう)とは、仏教学者の馬場紀寿氏(東京大学教授)と清水俊史氏の間で、2016年頃から続いている上座部仏教をめぐる学術的な論争です。

論争の核心(学説上の対立)

馬場紀寿氏の説:著書『上座部仏教の思想形成』(2008年)において、5世紀頃の聖典註釈者であるブッダゴーサ(仏音)を、単なるテキストの註釈者にとどまらず、独自の思想を持った「一個の思想家」として位置づけた。

清水俊史氏の説:馬場説に対し、ブッダゴーサは独自の思想家ではなく「1人の註釈者」であるとする立場から反論を展開した。

その他の争点と経緯

研究倫理や先行研究の引用をめぐる対立:馬場氏側から清水氏の論文に対する研究倫理上の問題提起(先行研究への言及や成果の流用をめぐる指摘)がなされ、それに対し清水氏が自身のブログ等で反論・否定している。

アカデミック・ハラスメント(アカハラ)を巡る告発:この論争の過程において、清水氏側から馬場氏等によるアカデミック・ハラスメントや出版・雇用に関する妨害があったとの告発がなされており、仏教学界内外で注目を集めている。

第三者による評論:仏教学者の佐々木閑氏らが、この両者の論争についての詳細な評論や整理を公表している。



238.
ユーザー
神も仏も名無しさん
XQrll
>>236
ハッスル🤡は
降りかかる火の粉とか
外部から業が流入しているよーに感じてあるよーだ😅
239.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
東京大学教授の馬場紀寿は、現在の日本の仏教研究における最高権威と言っていいかもしれない

聖ウンコ師がこのスレで主張している「パーリ仏典は後世の人の創作。大乗仏典より古くない」と主張している

「大乗非仏説」ならぬ、「小乗非仏説」の論者だ

これに反対する人物が、清水俊史だ

「パーリ仏典は古い仏典だ」と主張し、馬場サイドから様々な圧力をかけられた

出版妨害や就職妨害を受けた
240.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
Wikipedia

清水 俊史(しみず としふみ、 1983年 ‐ )は、日本の仏教学者。研究分野は古代インド仏教および上座部仏教。


佛教大学文学部卒業後、2013年同大学大学院博士課程修了(博士(文学))。博士論文題目は『部派仏教における業の研究』。

その後、日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などをつとめる。

2018年、『阿毘達磨仏教における業論の研究: 説一切有部と上座部を中心に』により浄土宗学術賞受賞。

241.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
アカデミック・ハラスメント被害

清水俊史と馬場紀寿(東京大学教授)は、ブッダゴーサの仏教史における位置づけをめぐり2016年から論争を続けている。この論争の過程で、清水はアカデミック・ハラスメント(アカハラ)や出版妨害を受けた。

大乗経典と漢訳『阿含経』とでは、『阿含経』の方が(漢訳される前のオリジナルの経典が)先にインドで成立したというのが通説である。大乗経典の内容に関して、『阿含経』などで説かれる部派仏教の教義を「小乗の教え」と蔑視・批判し、大乗の教義こそが真の仏説(釈迦の教説)であるという思想が教義の根底にあるが、『阿含経』側には大乗思想についての言及や批判が全く見られないため、『阿含経』の方が先に成立し、その後それを批判する形で大乗経典が成立したと説明される(加上説・大乗非仏説)。

242.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
上座部仏教の『パーリ仏典』の大乗経典に対する優位性(どちらが成立年代が先か)については現在論争中の事案である。漢訳『阿含経』と『パーリ仏典』とでは内容が一部重複し一定の対応関係にあるため、昭和期には『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が古いと考えられた。平成期に下田正弘はこの見解の懐疑論を提示した。文献史学(高等批評)研究を踏まえれば、「元々オリジナルの仏説が存在し、それを改編して大乗経典が成立したこと(大乗非仏説)」自体は学術的に正しいと下田は認めているが、漢訳経典(漢訳阿含経・漢訳大乗経典)と『パーリ仏典』を比較したとき、『パーリ仏典』は古い写本が現存していないこと(#パーリ仏典#写本の成立年代)、伝承の系譜が不明である『パーリ仏典』の近代写本のテクストを根拠として紀元前の釈迦の説法を復元推定するのは学問的方法としておかしいと下田は主張した。下田正弘に師事した馬場紀寿は、著書『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』で上座部仏教の教義の一部は釈迦の直説ではなく『パーリ仏典』の正典化に寄与したブッダゴーサの思惑によって改ざんされたものだとする説を唱えた。馬場によればブッダゴーサが非仏説であるとして大乗経典を恣意的に排除し、また採用した仏典についてもブッダゴーサが信じる教説にそぐわない箇所は改ざんが行われたという。すなわち馬場説は、現在の上座部仏教の教義はブッダゴーサの思想によって成立したものであり、釈迦の直説が改ざんされ、大乗的な要素が排されて成立したとする説である。この馬場説は大乗非仏説に対する一つの反論(上座部も非仏説論、真の仏説不明論)として機能してきた。

243.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
しかし清水俊史はこの説に異を唱え、ブッダゴーサは仏典注釈者としての本分を務めたにすぎず経典の改ざんは行わなかったとし、従来の通説通り『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が先行するとした。清水説では大乗経典は明らかに後世の創作であるため『パーリ仏典』に採用されず排除されたとした。また清水は、昭和期の仏教学者中村元が主張していた「最古層の仏典スッタニパータに四諦などの仏教の基本教義が見えないこと」を理由に、『パーリ仏典』の教義(上座部の教義)や戒律などの大部分は釈迦入滅後に段階的に成立したとする説も批判しており、清水は言語学的に見てスッタニパータが最古層の仏典であることは認めるが、スッタニパータのような韻文は大衆向けの通俗的なもので仏教の教義を体系的に網羅したものではないので仏教の基本教義が見えなくてもそれらが後世に創作されたという証拠にはならず、『パーリ仏典』に見られる教義や戒律は古くから存在するもので後年に段階的に発展したものではないと論じた。馬場・清水論争は、清水説が正しければ大乗経典よりも『パーリ仏典』の方が成立年代が古く釈迦直説に近いということになり、「上座部も非仏説論・真の仏説不明論」という大乗非仏説の反論を封じ、日本仏教(大乗仏教)の教義は全て釈迦の直説ではなく後世に創作されたものであることが確実になるので、仏教界の注目を集めていた。
244.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
2017年、清水の著書『上座部仏教における聖典論の研究』の大蔵出版からの出版をめぐり、「さる先生」から「清水説には研究倫理上の問題がある」などの清水の研究不正の指摘があり、その後「さる先生」とその支持者らによって清水や出版社に対して脅迫的言動を含む出版差し止めの妨害工作が複数回行われた。大蔵出版は行った人物の名を明かさなかったが「出版したら清水を潰す。大蔵出版の姿勢も叩く」「清水君が出版をあきらめれば、彼の就職を応援する」などの脅迫的言動があったという。大蔵出版は第三者委員会による調査の結果、清水の研究不正は認められなかったとし、「さる先生」らの行為について学問の自由を脅かす憂慮すべき事態で、かつ「極めて悪質なハラスメント」「不当な出版妨害工作」と判断したと公式声明で発表した。 清水はその後、学術公募に落選して無職となり、一時は日雇い労働で生計を立てていたが、後に仏教研究に復帰した。

245.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
佐々木閑は馬場・清水論争の論点を整理する評論を発表し、大蔵出版の言う「さる先生」が馬場であることを示唆した。佐々木は「加害者と利害を共有し、 加害者を援護している人もいるようなので、そういった人たちの言動を逐一観察し記録する。その記録は状況が変われば公にできる時が来るかもしれない。ひょっとしたら記録だけ残して死ぬかもしれないが、それはそれで構わない。(略)加害者側が清水氏に対しておこなった行為から類推して、このような評論を公にした私に対しても様々な攻撃がおこなわれる可能性はある。おおっぴらな攻撃は自らの行為を告白するようなものであるから、おそらくは秘密裏に、私の言動の信頼性を損なわせるような策を練るものと思われる。幸いなことに私はもう人生の峠も越し、守るべきものもないので構わないが、そのような私に引き比べて、傑出した能力を持ち堂々と論陣を張りながら邪な妨害によって人生の登り口で足を引っ張られた清水氏の心中を思うとやるせない」とこの告発の覚悟と気概を述べている。
246.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
2023年、清水は著書『ブッダという男』のあとがきでアカハラ加害者の中心人物が馬場紀寿であると実名で告発した。清水は、馬場とその支持者ら(森祖道など)から繰り返し圧力と出版妨害を受けてきたとし、全国紙から関係者への取材があったが馬場や森、馬場の指導教官である下田正弘は取材に応じなかったことなどを記している。清水はresearchmap上で山極伸之も馬場のアカハラに同調したと主張している。

2025年の著書『お布施のからくり』では、職を失い生活困窮を経験したことをきっかけに、路上生活者支援の活動にも関わるようになったと記している。
247.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
仏教に関する見解

清水は著書『ブッダという男 初期仏典を読みとく』で、「万人の平等を唱えた平和主義者ブッダ」「迷信やドグマを徹底的に否定したブッダ」というようなブッダ観は近代的価値観に基づいて原始仏典を曲解して生み出した神話に過ぎず、本来の釈迦は当時の価値観を持った人物であったとし、暴力を容認し、女性蔑視の感情を持ち、輪廻転生を肯定していたとする説を提示している。

大乗経典に基づいてブッダを探求することは、グノーシス派が創作した外典福音書に基づいてイエスを探求するようなもので不適当であると説明している。
248.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
ブッダゴーサ(Buddhaghosa、意訳:仏音・覚鳴)は、5世紀前半頃にインドからスリランカ(セイロン)に渡り、上座部仏教(テーラワーダ仏教)の発展とパーリ三蔵の体系化に多大な影響を与えたインド出身の仏教学者・僧侶です。

主な特徴と功績

出身と経歴:中インド・マガダ国のバラモンの家に生まれ、ヴェーダや諸学派の論典を学びました。その後仏教に帰依し、5世紀頃(430年頃)にスリランカの大寺(マハーヴィハーラ)へ渡りました。

『清浄道論』(ヴィスッディマガガ)の著述:上座部仏教の教義・実践(戒・定・慧)を体系的にまとめた代表作『清浄道論』を著しました。先行する『解脱道論』などを参考にしつつ独自の編集を加えており、上座部仏教のバイブルとして現在も重視されています。

パーリ語注釈書の編纂:当時スリランカの言語(シンハラ語など)で伝えられていた膨大な注釈書(アッタカタ法)を研究し、パーリ語に翻訳・集大成して全三蔵のほとんどに注釈書をつけました。

上座部仏教の確立者としての評価:上座部パーリ三蔵の枠組みや大寺派の思想的基盤を決定づけた中心人物であり、スリランカや東南アジアの上座部仏教に決定的な影響を与えました。一方で、彼を単なる優れた註釈家とみるか、独自の思想を構築・改変した思想家とみるかについては現代の研究者の間でも議論が続いています。
249.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
ブッダゴーサは、5世紀頃のスリランカの人

パーリ仏典を編纂した
250.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
同じスリランカ出身のスマナサーラ長老は

このパーリ仏典を日本で弘めている
251.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
南伝仏教(スリランカとかミャンマーとか)のサイドでは、当然、「パーリ仏典は釈迦直説の古い経典」と考えている

北伝仏教(中国とか日本とか)の大乗仏典については、「大乗非仏説」と批判している
252.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
現代の日本において

「パーリ仏典と大乗仏典のどちらが本当に釈迦の思想なのか」という

熱い論争が繰り広げられていることは

世間一般には知られていない
253.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
聖ウンコ師は、完全に馬場紀寿のサイドに立った主張をしている

当方は、馬場紀寿の影響も受けてるが、清水俊史や佐々木閑サイドを支持している
254.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
一筋縄ではいかないが

ザックリ言えば、馬場紀寿は大乗仏典を支持している

清水俊史や佐々木閑は、パーリ仏典を支持している
255.
ユーザー
神も仏も名無しさん
XQrll
ま、ブッダの真理を研究しても
内容を体得できてなければ
無用の長物なのは確かだ
256.
ユーザー
神も仏も名無しさん
XQrll
佐々木閑の倶舎論は
分かりやすかったのは
確かだ
😀
257.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
5世紀スリランカのブッダゴーサ

この人が行ったことが

「パーリ仏典の編纂」なのか、「パーリ仏典の創作」なのか

この点が争われている

馬場紀寿は、「パーリ仏典はブッダゴーサの創作」と主張し

清水俊史は、「ブッダゴーサは編纂しただけであり、パーリ仏典は、古来から継承されてきた教えである」と主張する
258.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>また清水は、昭和期の仏教学者中村元が主張していた「最古層の仏典スッタニパータに四諦などの仏教の基本教義が見えないこと」を理由に、『パーリ仏典』の教義(上座部の教義)や戒律などの大部分は釈迦入滅後に段階的に成立したとする説も批判しており、清水は言語学的に見てスッタニパータが最古層の仏典であることは認めるが、スッタニパータのような韻文は大衆向けの通俗的なもので仏教の教義を体系的に網羅したものではないので仏教の基本教義が見えなくてもそれらが後世に創作されたという証拠にはならず、『パーリ仏典』に見られる教義や戒律は古くから存在するもので後年に段階的に発展したものではないと論じた。

↑

「最古層の仏典スッタニパータに四諦などの仏教の基本教義が見えない」という、聖ウンコ師が大好きな中村元の説

これも愛読者から見ると、かなりおかしい(笑)

スッタニパータは、「蛇の皮を脱ぎ捨てるように、この世とかの世をともに捨て去る」を延々とひたすら繰り返す第一章「蛇の章」とか、「犀の角のように1人歩むがよい」を、これまた延々とひたすら繰り返す第二章「犀の角の章」に代表される

覚えやすく、唱えやすくなっている、特殊な内容の経典だ

もともと、体系的に教義を語るものではない
259.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
こういうのが、初期仏典を巡る話の嫌なところだ

「邪馬台国はどこにあったか」とかと同じで、ナゾが多すぎるので論争が絶えない
260.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
「ブッダの教えはこうだった」という前置きを付けて、自分の持論を気持ちよく語る

そういう人が多すぎる
261.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
皮肉なことに

「論争するな」と延々と繰り返す「スッタニパータ」は

後世に激しい論争を巻き起こしている😫
262.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
乾涸びて抹香臭いのありがたがる爺さんって大体こんな感じだろうな。
263.
ユーザー
神も仏も名無しさん
XQrll
佐々木先生は、
仏教の分裂とかは
上座部の演技だったらしいと
アショーカ王の支持は得られなかったから、
仏教の大分裂を創作したとか、あるな
上座部はアショーカ王の支持があったのだ的みたいな

ま、なにせ、仏教の歴史的真実は謎のままだ
😀
264.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
いつもの聖ウンコ師のやりとりだが

「最古層の仏典であるスッタニパータ第四章には、四諦も輪廻転生も出てこない」

→「だから、四諦や輪廻転生は後世の人が追加した教えである」

というのが、聖ウンコ師の主張

でも、スッタニパータの第四章というのは、5分もあれば読めるくらい短い。文章というより、詩のような1篇だ

「自分が正しい、相手が劣っていると主張して論争するな」と、何十回もひたすら繰り返す

それ以外のことをほとんど言っていない、特殊な内容だ
265.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
そんなスッタニパータの第四章にさえ

「(相手がバカだと言い張る者は)生々流転に投げ込まれる」

というような、輪廻転生を当然の前提とした言葉が、当たり前のように出てくる
266.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>263

「邪馬台国はどこにあったか」

「卑弥呼とは何者だったか」

というのと同じで、答えが出ないテーマだ😅
267.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
acRUz
>>256

> 佐々木閑の倶舎論は
> 分かりやすかったのは
> 確かだ
> 😀


やはり、小乗仏教のことなら、佐々木閑先生に限りますな~😄
268.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
iQBsZ
>聖ウンコ師がこのスレで主張している「パーリ仏典は後世の人の創作。大乗仏典より古くない」と主張している


www
馬鹿が創作してるw

そんな話はしてない。
269.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
iQBsZ
アカハラ事件を仏教スレに紹介したのは俺だし、清水先生の本も紹介したけどな。

270.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
>>266
それな。神が名を出すわけないじゃん。あの世で卑弥呼って誰?ウケるぅとか言ってそう。
271.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
iQBsZ
先日もガンダーラ文献の話をしたけど、仏教での像化や文字化、つまり可視化がガンダーラ地方から各地に波及したって事な。

そもそもお釈迦さまはそれぞれの地方語での説教を許されていたから、そのムーブメントによって文字化もされたんだろ、多分。

で、漢訳阿含にはパーリ語より古い記述が見られるから、成立年度に於いて 漢訳阿含>パーリ語 が仮説されてるって事な。


全く、馬鹿に携わると換骨奪胎して変な話を創作するから、迷惑な事だ
🥱
272.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
iQBsZ
馬鹿の脳裏は 漢訳阿含=大乗経典 なんだろうな。
273.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
己れの尺度で測る。だから度量だと言われたのだと私は思いました。
器と書き換えてもいい。はみ出して馴染め、ともいわれました。まずは基本、そしてなら守破離。仏教言葉とはとことん懇切丁寧に言葉にして頂けている。
274.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
相変わらずだな

内容がどうこうというより

「論争」をやりたがっている😅
275.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
論争好きは、一種の病気
276.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
「スッタニパータ」に書いてある通りだ
277.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iMQSq
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のみことば

↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
278.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iMQSq
ウンコ💩はなんのために仏教を勉強し坐禅しているんだ??

自殺教唆のためか??

ぶぁーーーーーーーーーーーーーーーくわ🫵🤪
279.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
かもしれない。答えなど要らないものだからそれぞれで考えそれぞれでたどり着く。
西遊記。悟りはない。
280.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
>>279
これが唯一正しい正解でござい、と証拠はこれだと古臭い文字を消えてる文字を探して勝手に己れで決めつけて争ってんのって何なのだろうな?答えを外に求め続けてるのって猿山のボス座争いみたい。外から見ればキーキーうるさいだけ。
281.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
その己れで決めつけた正解を言う。ただの口パクマンが語る。
それ誰か聞いてくれる人がいるのだろうか?
282.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
質問:

身念処といえば、数息観や不浄観

受念処といえば、反応しない練習

この2つで、四念処はだいたい言い尽くされてる気がするが

心念処とは、どういうものか?
283.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
Chat GPT:

JBLさん、これはなかなか鋭い整理だと思う。

身念処=数息観・不浄観など、身体を観察する。
受念処=快・不快・中性の感受を観察し、反応に巻き込まれない。

この2つを実践的な技法として捉えると、確かにイメージしやすい。

では、心念処とは何か。

私の理解では、ひと言でいうと、
**「いま、自分の心がどのような状態にあるかを知ること」**
だね。
284.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
1. 心念処とは「心の状態を知る」こと

初期仏教の『念処経』(MN 10、DN 22)では、心念処はおおむね次のように説かれている。

貪りのある心・ない心
欲望に心を支配されているのか、それとも貪りが離れているのかを知る。

怒りのある心・ない心
怒りが生じているのか、静まっているのかを知る。

迷いのある心・ない心
心が混乱し、ぼんやりしているのか、明晰なのかを知る。

集中した心・散乱した心
心がまとまっているのか、あちこちに飛び回っているのかを知る。

ほかにも、心が広大か狭小か、優れた状態かそうでないか、解放されているか解放されていないか、といった観察が説かれる。
285.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
唯識に展開する要因がある
😀
286.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
ほかにも、
心が広大か狭小か、
優れた状態かそうでないか、
解放されているか解放されていないか、
といった観察が説かれる。

大事なのは、これらを単に分類することではない。

「怒っている自分」を分析するのではなく、
「怒りのある心がある」と、その状態を直接知る。

しかも、怒りを無理に消そうとする必要もない。
まずは怒りがあることを知る。

ここに心念処の核心がある。

287.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
2. 受念処との違いは何か?

この2つは非常に近い。
実際の瞑想では、ひとつの経験を別々の側面から観察することになる。

たとえば、誰かに侮辱されたとする。

不快な感受がある
「嫌だ」「不快だ」という感受を知る。そこから反射的に怒りや反撃へ走らず、反応の連鎖に気づく。

怒りのある心がある
「いま、怒りが心を占めている」と知る。さらに、心が狭くなっている、相手を攻撃したい気持ちに支配されている、といった状態にも気づく。

しかし、反応を抑えられたとしても、心のなかにはさまざまな状態が残りうる。
怒りは表に出していないが、心のなかでは相手を憎んでいる。
欲望に従ってはいないが、頭のなかでは欲しいものを追い続けている。
不安に振り回されてはいないが、心は不安に覆われている。
瞑想しているが、実際には眠気や惰性に支配されている。

ここで心念処が生きてくる。

行動や反応を制御するだけでなく、そもそも心がどのような状態にあるのかを知る。
そして、心が貪りに覆われているときには「覆われている」と知り、覆いがなくなったときには「なくなった」と知る。
心念処は、心を無理やり理想的な状態に矯正する訓練というより、心の状態を明晰に認識する訓練なんだ。
288.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
ハッスル🤡心理的問題は

上座部、倶舎論、唯識のほうが詳しく解明しやすい
😀
289.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
4. もうひとつ重要なのは、心念処は「思考観察」と同じではないこと

ここは混同しやすい。

たとえば、頭のなかで次のような思考が起きているとする。
「自分はあの人に嫌われているのではないか」
この思考の内容を追いかけるなら、思考分析に近い。
その思考が現れたことに気づくなら、思考の観察に近い。

そして、そのときの心が疑念に覆われ、
落ち着きを失っていると知るなら、
心念処の観察に近い。

もちろん、実際の修行ではこれらが重なり合う。

心念処で観察するのは、個々の思考の内容だけではなく、貪り、怒り、迷い、集中、散乱など、心を特徴づけている状態そのものだからだ。
290.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
5. 四念処全体から見ると、心念処は何を担うのか?

四念処を、実践上の見取り図として整理してみよう。

念処
観察するもの
実践的な問い

身念処
身体・呼吸・姿勢など
身体はいま、どうなっているか?

受念処
快・不快・中性の感受
これは快か、不快か?

心念処
心の状態
心はいま、何に支配されているか?

法念処
五蓋・五蘊・覚支・四聖諦などの法
どのような心的条件や法則が働いているか?

ここで注意したいのは、
四念処を必ずしも「身→受→心→法」
という一本道の修行段階とみなす必要はないこと。
それぞれが相互に関係し、同時に観察されることもある。
とくに心念処と法念処は近い。
心念処が「怒りのある心」を知るのに対して、
法念処では五蓋などの枠組みに照らして、
その状態の生起や消滅、修行上の意味を観察する。
291.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
>>288

ハッスル心理の分析ツールに適しているな~😆
292.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
心念処は、心理分析だな
293.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
これを大々的に展開したのが、倶舎論だ
294.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
Chat GPT:

私なら、こうまとめる

JBLさんの整理に続けるなら、

身念処=身体を観る。
受念処=感受に気づき、反応の連鎖を見抜く。
心念処=心がどのような状態にあるかを知る。
法念処=その経験を、仏教が説く法とその働きに照らして観る。

そして、心念処をさらに凝縮するなら、
「心を変えようとする前に、心の状態を正確に知る」
ということになると思う。

怒りをなくすことと、怒りがあると知ることは違う。欲望を抑えることと、欲望に心が占められていると知ることも違う。
心念処は、その違いを実践のなかで明らかにするものなんだ。
さらに踏み込むなら、心念処にはもうひとつ、哲学的に興味深い問いがある。
「心が怒っていると知っている、その『知ること』自体は何なのか?」
ただし、ここで「心を観察する純粋な観察者」という実体を立ててしまうと、仏教の無我の観点からは慎重な検討が必要になる。
この問題は、心念処から法念処、さらには無我の洞察へとつながる、かなり深い論点だと思う。
295.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
ハッスル🤡が放棄する
必須の自問自答を
いつも俺が代替サービスしてやってる
😀
296.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
ちょいと指摘されて
ファビるようでは
仏教以前と言える
気を使ってもらわんとイケナイタイプは
論外だ😅
297.
ユーザー
神も仏も名無しさん
0zYzu
私は楽しむために殺している態度で居るように心掛けている
298.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
あんなに感情的な人間では

心念処がまったくできていないと言わざるを得ない😫
299.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
なにごとも、基本が重要だ
300.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xm0Gh
300
301.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PgbB3
身体のストレッチしないとイケナイくらいにガタが
😅
302.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
哲学研究があんまりする時間がなかった
😭
303.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
304.
ユーザー
神も仏も名無しさん
PdPy0
ちくびサーカス
305.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
質問:

四念処の中でも、法念処は異質なようだ

これは、四諦を初めとする初期仏教の教理を身につけることではないか?

306.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
チャットGPT:

そう、そこは四念処の中でも、かなり重要な違いだと思う。

法念処は、身念処・受念処・心念処に比べると、明らかに教理的な性格が強い。

ただし、単に初期仏教の教理を頭に入れることではなく、教理を使って、自分の経験の中で何が起きているのかを観察する実践だと考えると、位置づけが分かりやすい。
307.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
四念処の四つを比較すると

① 身念処 — 身体を観察する
呼吸、姿勢、歩行、身体の構成要素などを観察する。
観察対象:身体(身)

② 受念処 — 感受を観察する
快・苦・不苦不楽の感受が生じていることを知る。
観察対象:感受(受)

③ 心念処 — 心の状態を観察する
貪欲のある心、怒りのある心、散乱した心、集中した心などを知る。
観察対象:心の状態(心)

④ 法念処 — 諸法を教理的な枠組みで観察する
五蓋、五取蘊、六処、七覚支、四諦などを通して、経験の構造と苦の生滅を見極める。
観察対象:法(dhamma)
308.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
法念処は、四諦を身につけることなのか?

結論から言えば、その理解はかなり核心を突いている。
ただし「教理を学ぶこと」と「法念処を実践すること」は区別したい。

初期仏教の代表的な『念処経』(MN 10、DN 22)では、
法念処は五つの観察領域から構成されている。

五蓋
欲、怒り、眠気、掉挙・後悔、疑いがあるか。どう生じ、どう捨てられるか

五取蘊
身体・感受・認識・心の形成作用・識が、どのように生起し消滅するか

六処
感覚器官と対象との接触、そこから生じる束縛

七覚支
念、択法、精進などの覚りに向かう要素が、どう生じ、発達するか

四諦
苦、苦の集、苦の滅、苦の滅に至る道を理解する
309.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
ここで注目したいのは、五蓋や七覚支も、ただ暗記する項目ではないということだ。

例えば、怒りが生じたときに、
怒りが存在していると知る。
怒りが生じた原因や条件を見極める。
怒りが消えることを知る。
再び怒りが生じないようにする方法を知る。

こうした観察は、法念処の実践に通じる。

つまり、心念処が「いま怒りのある心だ」と観察するのに対して、法念処は「その怒りはどのような条件で生じ、どうすれば消え、再発を防げるのか」と、仏教の分析枠組みに沿って観察する、という違いが見えてくる。

もちろん、両者は排他的ではない。実際の修行では重なり合う。
310.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
四念処の中で、法念処だけが異質に見える理由

ここが面白いところだ。

身・受・心の三つは、比較的そのまま観察対象として取り出せる。

身体がある。
快・苦などの感受がある。
貪欲や怒りなどの心の状態がある。

ところが「法」は、身体や感受と同じ意味での単一の対象ではない。五蓋、五取蘊、六処、七覚支、四諦という、仏教の修行論・心理分析・解脱論を横断するカテゴリー群が、法念処の対象になっている。

だから、法念処には二つの側面がある。

経験の観察 — 五蓋や五取蘊などが、自分の経験の中でどう現れ、変化するかを知る。
教理による理解 — その経験を四諦や縁起などの枠組みで捉え、苦の生起と消滅を理解する。

ただし、四諦を含む五つの領域は、念処経の法念処における具体的な観察対象であって、法念処そのものが仏教教理の全体系を学ぶことと同義なのではない。
311.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
>法念処 — 諸法を教理的な枠組みで観察する
五蓋、五取蘊、六処、七覚支、四諦などを通して、経験の構造と苦の生滅を見極める。
観察対象:法(dhamma)

なるほど
俺ちゃまの十八番の生滅智の禅定のゾーンを、起点とした、まとめだな?
😀

生滅智の禅定ゾーンを
空間認知へと展開していった訳だな😀
312.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
では、四念処全体はどう理解すればよいか?

私は、次のように整理すると分かりやすいと思う。

身念処:身体に対する思い込みを見直す。

受念処:感受から渇愛へ進む反応を見極める。

心念処:心の状態を自覚する。

法念処:経験全体を仏教の分析枠組みで理解し、解脱に必要な条件を見極める。


313.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
特に、あなたが最近注目している「受」と「受縁愛」の関係でいえば、受念処によって感受を自覚することと、法念処によって五蓋や四諦の観点から反応の仕組みを理解することは、互いに補い合う。

受念処が反応の連鎖に気づく実践だとすれば、法念処は、その連鎖を仏教の教理に照らして分析し、苦が生じる仕組みと止む仕組みを見極める実践とも言えるだろう。
だから、あなたの言う「法念処とは、四諦を初めとする初期仏教の教理を身につけることではないか」という見方は、方向としては正しい。
ただし、教理を頭で覚えるだけでは法念処にならない。教理を自分の経験に当てはめ、実際に観察して確かめるところまで進んで、初めて修行としての意味が出てくる。 それこそ、初期仏教の実践的な性格をよく表していると思う。
314.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ngCZn
>>311

倶舎論は、法念処の発展形だな😄
315.
ユーザー
ハジ
XHSY6
佛の智慧
316.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
佛の智慧に偏り過ぎて

イエスキリストへの誠意を忘れてたよーだ
😀
317.
ユーザー
ハジ
XHSY6
キリストの復活は近いのか?
318.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
知らん😀
319.
ユーザー
ハジ
XHSY6
第1神殿が復活したら
320.
ユーザー
神も仏も名無しさん
M7Zfx
トランプ信奉者のみの発想😱
321.
ユーザー
ハジ
XHSY6
赤い牛、レッドブルが、必要だ
322.
ユーザー
美魔女
eq8yJ
キリスト教の神認識論を命題化するなら

第一に神は神によって認識される、第二に、神は啓示によって自らを認識せしめる。第三に神は隠れた神として認識される、

という形で提示が出来ます🎵


323.
ユーザー
ハジ
XHSY6

今だ、神を見たものはいない
324.
ユーザー
ゴリ子
ejQGF
>>303
観ました。ありがとうございます。
ほんと、昔のええとこな子ぉは今の受験戦争勝ち組みたい。多分生きていく上な生活の雑務など全く知らなくても良かったご身分だったのだろうな。
ヒデキ感激!並に素直に染まってるとこもええとこな子ぉって感じがしました。
そしてそんなお方に出会えた、それを生真面目にメモって、生真面目にギャグ?トンチの解説。絶対に良い人だろう。
325.
ユーザー
ゴリ子
nhS3W
西野カナちゃん、どこまで震えてんのかな?心の取説かぁ。読んだからと書けたからといってそれが何なのだろう?
分かったならそうすれば良いだけじゃん??
まさか泳ぎ方の本を読んだだけで泳ぎ方の方法は知っていると言うのだろうか?海で泳いでなんぼやろ。だからこそ人は教わる。
と、私は思います。言葉に生命が宿るから対面重視と書いたんやろ?
326.
ユーザー
夕
abjyh
>>259
ここが面白いんじゃないかw
邪馬台国がどこにあったか。面白けど。なぜ、アマテラスは女神なのに、天皇系は男系なのかと。いや、面白いね。

私は大乗は非仏説であるが、釈迦のの真意を組み込んで作り変えたともいえるんじゃないかなと思う。

釈迦にしろ大乗にしろ、苦の滅鎮を外れて、論を展開するのでは仏教ではない。

龍樹自身は、新しい哲学を発明したというより、
縁起を徹底すると空になる
327.
ユーザー
夕
abjyh
私はどちらかというと、ルネッサンスという立場、調べている。同じような物言いがあると、嬉しくなるw
328.
ユーザー
夕
abjyh
馬場、清水両氏のことはよく分からないが

わたしは、比縁性をどう考えるかも含まれんじゃないかな。

もし馬場説が正しいなら、ブッダゴーサは修行の焦点を「四諦」からより「此縁性・縁起」の認識へ移したことになる。逆に清水説なら、その発想自体がすでに古層の仏教に含まれていたことになります。

だから争点は、此縁性を認めるか否かではなく、

「此縁性を修行の中核に据えたのは誰か」

にあると言えるでしょう。

「輪廻すらも縁起である」という理解は、馬場・清水のどちらの立場に立つとしても、此縁性を徹底したときに自然に出てくる結論かもしれませんね。

329.
ユーザー
夕
abjyh
「輪廻すらも縁起である」これ、私が言ったやつね。意識とは何ものかと考えると、このようになるということ。

修行論として見れば、何を付け足す。なぜ付け足す。その辺に行き付くw
330.
ユーザー
夕
abjyh
なぜ付け足す。じゃなかった。なぜ足を付け足してしまうか
331.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
そもそも、卑弥呼とか聖徳太子とかと同じで

ブッダは、実在したという確証がない

架空説が絶えない伝説的な人物

実際、ブッダの人生はストーリーとして出来すぎていて説話文学みたい(笑)
332.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
そんな人が、「本当はどんな教えを説いたのか?」など、確定できるわけがない

「初期仏典に書いてあること。それがブッダの教えである」

と考えるしかない

「本当はこうだった」とか、そういう問題ではない(笑)
333.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo

「初期仏教」と聞いて、「ブッダの在世時の教え」と勘違いする人が多いんだけど

そうじゃないんだよ

初期仏教とは、「ブッダが説いた教え」ではない

「初期仏典に書いてあること」こそが、初期仏教だ
334.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
なので、このスレのタイトル

【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4

【ブッダの教え】と【パーリ仏典】 は余計だった

こちらにとっては、単なるキャッチコピーなんだが(笑)
335.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
どっちにしても

今度こそ、このスレタイは今回で終了
336.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
いつも言ってることだが

「輪廻転生を否定した。それが、ブッダの真意だったのだ」

という説が大嫌いなんだよな~🤮

嫌いなだけではない

それは、まったくの誤り

いくら有名な仏教学者や禅僧が主張したとしても

間違いが正しくなることはない(笑)
337.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
これが、聖典コーランなら、話は別だ

コーランなら、「輪廻転生説は誤り」と明記されている

秋月龍珉とか、南直哉とか

そんなに輪廻転生が嫌いなら、仏教じゃなくてイスラム教に入信すれば良かったのに

冗談ではなく、本気でそう思う
338.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
いかん

みずから、この方針に反している😅


7 ◆JBLfMwCXhY 2026/10/10(土) 10:12:07.92 ID:crsZ5
本スレの方針

1、「四念処」 それが最大のテーマ

2、「輪廻転生」の是非を巡る論争は、なるべく避ける

3、2に限らず、涅槃に役立たないことを、なるべく避ける
339.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
仏教学者ならまだしも

禅僧がそれを主張するというのが、どうもな~

何十年も猛烈に瞑想生活を送ってきた結果

「人間は、身体がすべてだ。意識や精神は脳神経系の機能であり、死ねば消滅する」

という結論になるかなあ?😅

まあ、こればっかりは人それぞれだわな

全員が全員、「私は在る」という実感を持つわけではない
340.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
個人的には、初期仏教を巡る解釈の相違というより

そこにビックリしている

二重の意味でビックリだ

何十年も毎日、猛烈に瞑想してきた結果

「人間は、身体がすべてだ。意識や精神は脳神経系の機能であり、死ねば消滅する」

という結論を下した、という人がいることにビックリ

でも、それ以上に驚くのが

「そう思ってる人が、何十年もの厳しい瞑想生活に耐えた」

ということ。何のためにやってるのか?

そう思ってるなら、他にやることが沢山あるんじゃないのか

高名な禅僧たちに対して、申し訳ないのだが

正直、「バカじゃね~の?」としか思えない😂
341.
ユーザー
夕
89BGu
南氏か、修行論としての立場では不要ということだろう。ないとは言っていないんじゃないか。輪廻からの解脱だよ。
342.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
>>337

> 秋月龍珉とか、南直哉とか
>
> そんなに輪廻転生が嫌いなら、仏教じゃなくてイスラム教に入信すれば良かったのに
>
> 冗談ではなく、本気でそう思う


書いてるうちに、自分の誤りに気づいた

彼らのような、天国と地獄をアタマから否定してる人たちが、イスラム教にいられるわけがない

仏教のほうが、まだ居心地が良いのでは(笑)
343.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
>>341

ウンコ聖師にもいつも言ってることだが

そう思うのは、南直哉の著者や対談を読んでないからだわな

あれほど情熱的に輪廻転生を否定する人なんか、
イスラム教徒を除けば、他にあんまりいないぞ(笑)
344.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
南直哉の著書や対談
345.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
南直哉は、仏教より、ハイデッガーやサルトルの実存主義が好きなんだよ

とくに、ハイデッガーへの傾倒ぶりについては公言しており、隠そうともしていない

実存主義ってのは、ひらたく言えば

「人生は1度きり。人は死ねば無になる。だから、生きてる間は精一杯に生きよう」

という思想。輪廻転生とは、まったく相容れない(笑)
346.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo

「人生は1度きり。人は死ねば無になる。だから、生きてる間は精一杯に生きよう」

↑

まあ、これはサルトルの思想だけどな

ハイデッガーはまたちょっと違う

「人はいつか死ぬ。だが、当分の間、自分の番ではない」

↑

こういうのが、ハイデッガー(笑)
347.
ユーザー
夕
89BGu
>>344
南氏は「輪廻」を切るは修行論としてはありだろうね。論としては足りない。
348.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
また、話が脱線してきたな~

いつものことだが、輪廻転生や死後世界のことになると熱くなる

幼少の頃から、家族や周囲はこれを否定する人ばっかりでな~

抑えきれない反感がある😂
349.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
仏教は、輪廻転生なしでは、宗教として成り立たない

この人生で、どんなに善業を積んでも、悪業を積んでも、死ぬと同時にチャラになる

それだと、「善因善果、悪因悪果」(もしくは、善因楽果、悪因苦果)の因果律が台無しだ

人は、生きてる間に報いを受けることもあるが、それはむしろ少数派

この世の人生は短すぎる

生きてる間に因果応報システムが作動することのほうが少ない😅
350.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
もちろん、

「一生懸命に勉強したのが原因で、宅建合格という結果が出ました」とか

そういう原因と結果の法則はあるだろうよ

でも、それは宗教が言うことじゃないだろ(笑)

完全に、単なる世間智の範囲内だ
351.
ユーザー
夕
89BGu
>>348
いんじゃないのw

>幼少の頃から、家族や周囲はこれを否定する人ばっかりでな~

そうなのか。
面白いけどな。

確率的に、末那識を私識というならなら、来世また立ち上がる可能性があると、aiがいっているw
352.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
>>351


末那識は、「私識」ではない

別名「思量識」、思考する識だ

思考するから、「これが私だ」という自分感覚が生じる
353.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
阿頼耶識は、死んでも、生まれ変わっても相続する

末那識も、阿頼耶識の影のように相続される

末那識が相続されるから、「これが私だ」という自分感覚も続く

唯識では、そうなっている
354.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
820wo
修行論としては、輪廻転生のことは、とりあえず考えないほうが良い

たとえば、「無修正のエロ動画を見よう」という意志が生じたとして

これが「過去世からの縁起で避けようがない」という運命論で、「仕方ない」と思ったら負けだ

そこはやはり、現世における自由意志であり、自力でコントロールするのだと、そういう考えが必要

運命論は六師外道の説だからな~😫


355.
ユーザー
夕
89BGu
>末那識は、「私識」ではない

別名「思量識」、思考する識だ

思考するから、「これが私だ」という自分感覚が生じる
2026/10/12 23:44:21

これが私だという識ねw
思量があるから私が生じる。 私があるから比較が生じる。 比較があるから苦が生じる。 しかし思量もまた縁起である。 ゆえに私も縁起であり、輪廻すらも縁起である。
356.
ユーザー
夕
5fWrs
相違構造はどうでも陰田角さ。輪廻という対象があるから輪廻からの解脱ということが成立する。いや。輪廻からの解脱をしているが、気が付いていないだけなんだよというと、本覚思想になってしまうw

いわゆる、ロン構造w
357.
ユーザー
夕
5fWrs
356.
ユーザー
夕
5fWrs
相違構造はどうでも陰田角さ。輪廻という対象があるから輪廻からの解脱ということが成立する。いや。輪廻からの解脱をしているが、気が付いていないだけなんだよというと、本覚思想になってしまうw

いわゆる、ロン構造w

※誤字のため書きかけるw

そういう構造はどうでもいいんだ。輪廻という対象があるから輪廻からの解脱ということが成立する。いや。輪廻からの解脱をしているが、気が付いていないだけなんだよというと、本覚思想になってしまうw

いわゆる、ロン構造w
358.
ユーザー
神も仏も名無しさん
GITm5
「いまだこれをしらざれば、仏祖の正法つたはるべからず。この三時業の道理あきらめざらんともがら、みだりに人天の導師と称ずることなかれ。」

「世尊のしめしましますがごときは、善悪の業つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふといふとも不亡なり。もし因縁にあへばかならず感得す。しかあれば、悪業は懺悔すれば滅す。また転重軽受す。善業は随喜すればいよいよ増長するなり。これを不亡といふなり。その報なきにはあらず。」

『正法眼蔵』「三時業」
359.
ユーザー
夕
5fWrs
衆生即仏、迷い即悟りを「もともと同じものだ」と理解するのは、「即」を見落としているのである。即とは単なる同一ではない。衆生に仏という足を付けず、仏に実体という足を付けず、迷いにも悟りにも蛇足を加えないことである。即とは、二つを無理に一つにすることではなく、両者に付け加えられた蛇足が落ちたところに成り立つのである。
360.
ユーザー
夕
5fWrs
※この辺はJBL氏の言っている事だろうね。
末那識は厳密には私識ではなく、私識を生み出す思量作用である。

しかし修行論的・体験的には、「これが私だ」を作り続ける識という意味で私識と呼びたくなる。

末那識=「これが私だ」と取り続ける働き

とでもいうのか。
361.
ユーザー
夕
5fWrs
普通は、

私がある
↓
比較がある
↓
苦がある

と考えがちです。

しかし唯識寄りに見ると、

思量がある
↓
比較がある
↓
「私」が成立する
↓
苦が成立する

とも見える。

なぜなら「私」という感覚自体が、すでに比較の産物だからです。

「私」は単独では成立しにくい。

私と他人
私と昨日の私
私と理想の私
私と成功者

こうした比較の中で、

私はこういう者だ

が固まっていく。

思量があるから比較が生じる。
比較があるから私が生じる。
私があるから苦が生じる。

さらに中観的に押し進めると、

思量も縁起。
362.
ユーザー
夕
5fWrs
比較があるから、私がある五一番落ち着くか
363.
ユーザー
夕
5fWrs
比較があるから、私がある五一番落ち着くか まちがいw

比較があるから、私があるが一番落ち着くか。
364.
ユーザー
神も仏も名無しさん
vgiyA
私は、リュート音楽が好きでよく聴く、音の連なりが何かの主張ではなく気持ちの動きを表現している感じがして惹かれる。

Robert de visee

私にとっては産まれて生きることは必然ではなく、願いであり叶い続ける今でしかなく、生きることが苦しみなのだとしてもいきたいと願い叶っていると思うようになった
365.
ユーザー
神も仏も名無しさん
vgiyA
私は、何かと何かが接することを無数に繰り返すことで何らかの感覚が産まれ思うことが産まれ、それらを更に無数に繰り返し無数の様々な感覚が産まれ、様々なものを覚えて思うことができるようになる、そのような繰り返しの渦から私が産まれていると思っている、固く編まれた無数のしめ縄を解いていくようなものだと思っている
366.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JsdJh
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のみことば

↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
367.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
関係ない話ですがオカルト路線でなら下呂温泉土産の栃の実のお菓子を頂いたばかりで関係あるのかな?と思って道元 下呂と検索したら素敵なお寺さんを知れました。シンクロだぁ!と思って嬉しかったです。なので椎茸じゃなくて何か木の実的なものだったんじゃないかなぁ 笑
とほんと仏教知らずなの。
368.
ユーザー
夕
CObgk
末那識を「思量識」と呼ぶ根拠として最も有名なのは、『唯識三十頌』第五頌です。

次第二能変
是識名末那
依彼転縁彼
思量為性相

(次は第二能変なり。この識を末那と名づく。彼に依りて彼を縁ず。思量するを性とも相とも為す。)

この最後の「思量為性相」が非常に重要で、
「思量することが、その本性であり、その働きである」
という意味になります。だから末那識は別名「思量識」と呼ばれるわけです。

また『成唯識論』では、末那識の特徴として
「恒審思量」が説かれます。
恒に(絶えず)、 審らかに(対象を取り)、 思量する
という。

※常に阿頼耶識を対象として、それを自己であると執着する

根本は『唯識三十頌』第6頌です。

四煩悩常倶
謂我癡我見
并我慢我愛
及余触等倶

(四つの煩悩と常にともにある。すなわち、我癡・我見・我慢・我愛である。)

つまり世親は、
末那識には常に四煩悩が随伴する
と言っています。

そして『成唯識論』はこれを注釈して、

我癡(無我の真理を知らない)
我見(我があると見る)
我慢(我を基準に優劣を取る)
我愛(我への執着)

として説明されている。

369.
ユーザー
夕
CObgk
末那識には常に四煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)が随伴する。

思量とともに「これが私だ」という私感が立ち上がる。

まとめるとこうなるわけだ。
370.
ユーザー
夕
CObgk
私が言う。
私識と言いたくなるよなw


aiが言う
わかる(笑)。

唯識の厳密な用語としては、
末那識=思量識
なんですが、

実際にその思量が何をやっているかというと、

「これが私だ」
「これは私のものだ」
「私はこういう人間だ」

を延々とやっている。
だから体験的には、

私識

と呼びたくなる。

ただ唯識があえて「私識」と呼ばなかったのは、

私があるから思量するのではなく、
思量するから私感が成立する

という順序を守りたかったからでしょう。

ここまでの話を踏まえると、

末那識には常に四煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)が随伴する。 思量とともに「これが私だ」という私感が立ち上がる。

という表現はかなり自然です。

さらにあなたの最近のテーマを入れると、
末那識には常に四煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)が随伴する。思量とともに「これが私だ」という私感が立ち上がる。そして比較によってその私感は補強され、苦が成立する。

とも言える。
特に面白いのは我慢で、
唯識の「我慢」は単なる傲慢ではなく、
私を基準にして他者や世界を測ること

です。

だからあなたの
比較があるから私がある
という洞察は、案外ここに接続するかもしれない。

JBL氏流にかなり短くまとめるなら、
末那識は私識ではない。思量識である。
しかし思量の内容は「これが私だ」である。

だから修行論的には、末那識とは「これが私だ」と取り続ける働きと言ってもよい。
となるでしょうね。これは結構収まりがいい気がします。

だそうだw
371.
ユーザー
神も仏も名無しさん
vgiyA
私は有名な人の素晴らしい言葉や考え方は、全く私の経験ではないしいつからか土台にしないように心がけてきた、それは癖になりとても遠くの景色を見るように思うようになった、できるだけ私が経験し実感するものを土台にした生き方でありたいと思えるようになったことはとても嬉しい
372.
ユーザー
ゴリ子
m3mr9
私は人生を考える時は花や木に例えて考えるのが好きです。
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
とか、桜の花を人生に例えると花散る時が死ならそれを無いと考えるのか土に還りまた廻ると考えるのかの違いなのかな?とか。
人は死ぬ。命は有限なのか永遠なのか、考え方一つで世界の見え方が変わるとは思いました。
373.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
qRO09
末那識は無著の『摂大乗論』にはなくて、その弟の世親の発見と云われてるんです。
つまり、それまでは七識説で、世親から八識説になりました。

その末那識の特徴は、阿頼耶識を我(ātman)と絶え間なく思い続けている事です。
有覆無記とある様に末那識が意識に直接影響を与える事はないのですが、通奏低音の様に意識に間接的な影響を与えてるのです。

374.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
qRO09
訂正

聞こえない通奏低音の様に
375.
ユーザー
神も仏も名無しさん
s9I1X
参禅30年ハッスル🤡のお威張りしたいのは
どの箇所かな?
😱
376.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
TUiqa
>>354
>>これが「過去世からの縁起で避けようがない」という運命論で、「仕方ない」と思ったら負けだ

ワシは「人類の歴史は、飢餓との戦いの歴史だ」と思っているので、
ガリガリ人間同志の交尾は、日常茶飯事だと思っている。
377.
ユーザー
神も仏も名無しさん
DgyiC
私は、裸で地べたに産まれて生きて死ぬのが当たり前な生き物が生きている感覚が理想だと思っている。
そのような表現がとても好きだ

常に何時でも産まれ続け死に続けることが日常という感じだ
378.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
TUiqa
>>353
>>末那識が相続されるから、「これが私だ」という自分感覚も続く

「相続」というのは、資本主義社会の制度じゃな?

共産主義社会だと、土地は国有化されている。

だから、共産主義社会だと「相続」という概念が無い。
379.
ユーザー
ゴリ子
m3mr9
人は勝手に新陳代謝する、10年前の私の身体はもう何処にも存在しない。連続している繋いでいるのは私だと思うとってもあやふやな記憶のみ。確かこの食べ物は何処から私になるのだろう?という問いかけが仏教にあったと思います。私とは何か?私の命とは何処からどこまでなのだろうか?私の死とはいつからなのか?
この手のものを考えると頭ぐるぐるして、さっぱり分からなくなります。
輪廻転生って輪廻ってなにが廻るの?転生ってどういうものを指すの?とかつい思ってしまいます。
380.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
m9UpV
>>373

ま~たまた、朝からツッコミどころ満載なレスはヤメてくれ😂

今日はそれどころではない
381.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
阿頼耶識自体は暴流の様に喩えられる一類相続なのですが、末那識からの視点だと常・一・主・宰なる基体、すなわちātmanと錯誤されるんでしょうね。
382.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
>末那識が相続されるから、「これが私だ」という自分感覚も続く


www

末那識は阿頼耶識の一類相続を見て、阿頼耶識がātmanだと誤認するんだけどなw
383.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
根本的な所で致命的な勘違いをしてるなw
384.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
>所生に随って繫せられる
>(『唯識三十頌』7:2)

のだから、阿頼耶識の様な一類相続とは違う。
その有情の生じた環境に左右される。
385.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
TmEeH
>>379

> 輪廻転生って輪廻ってなにが廻るの?転生ってどういうものを指すの?とかつい思ってしまいます。


他の宗派はともかく

唯識派の考え方でいえば、

「自分という感覚を生み出す識の働きが、因果的に相続する」

ということになる
386.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
>阿頼耶識は、死んでも、生まれ変わっても相続する

www

387.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
いくら唯識派でも、さすがに「自分(霊魂)が永遠に続く」とは言わない

「これが俺だ」という自分感覚を生み出すシステムが、死んでも、生まれ変わっても続く

という感じだな

そのシステム自体も、続くと言っても永遠不変ではない

インプットとアウトプットを繰り返し、変化し続ける
388.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>386

そこは笑うとこじゃないだろ

お前は本当に、いまだに何も解ってないな(笑)
389.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
無理して唯識派の話なんかするなや

得意な(?)禅宗の話でもしてればいいじゃないか(笑)
390.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>387

> そのシステム自体も、続くと言っても永遠不変ではない
>
> インプットとアウトプットを繰り返し、変化し続ける


ついでにいえば、

「常にリセットとリスタート(再起動)を繰り返している」

という感じだな
391.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
阿頼耶識は有情ではないから、生死というのは当てはまらない。

相続される個体下に阿頼耶識あるというよりも、阿頼耶識上に個体が生じる。
つまり、主体は個体ではなくて阿頼耶識。
だから阿頼耶識縁起でも無我説が成り立つ。

つまり、暴流(阿頼耶識)上に生じる飛沫(個体)だな。
392.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
唯識の知識ゼロの馬鹿w
393.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>391

ああ、なるほど

「阿頼耶識は、死んでも、生まれ変わっても相続する」

というのを、「阿頼耶識が死んで生まれ変わる」と誤解したんだな(笑)

だったら

「(本人が)死んでも、生まれ変わっても、阿頼耶識は相続する」

に訂正する

・・・しかし、唯識論に何年も慣れ親しんでる人間が、そんな誤解するか、普通?😅
394.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
輪廻という言葉の使用の可否は一旦置いといて、その直接的原因は今際の際の結生の識。
395.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
CHgVX
>(本人が)死んでも、生まれ変わっても、阿頼耶識は相続する

www
396.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>373

> 有覆無記とある様に末那識が意識に直接影響を与える事はないのですが、通奏低音の様に意識に間接的な影響を与えてるのです。



ここは過去に何度も説明したところだが、第六意識は末那識と阿頼耶識の両方をよりどころとし、影響を受けている

阿頼耶識とのやりとりを「種子依」という。これは、言ってみればデータベースとのデータのやりとり、インプットとアウトプットだ

末那識とのやりとり(ていうか、相互依存関係)を「倶有依」という。これは、「末那識というフィルターを通して、第六意識はモノを見ている」というような関係だ

つまり、第六意識と第七末那識の関係をまとめると

種子依は、阿頼耶識を通した間接的な影響。倶有依は、直接の影響

ということになる
397.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>373

> 有覆無記とある様に末那識が意識に直接影響を与える事はないのですが、通奏低音の様に意識に間接的な影響を与えてるのです。



それから、「有覆無記」という、せっかく覚えた言葉を使ってみたかったのは分かるが

それは、「末那識から意識への影響」とは直接の関係がない、また別の話題だ(笑)
398.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>396

> 末那識とのやりとり(ていうか、相互依存関係)を「倶有依」という。これは、「末那識というフィルターを通して、第六意識はモノを見ている」というような関係だ


これは、どういうことかというと

例えば、同じ「鳥」を見ても

家のインコを見ると、「愛しい。守ってやりたい」と思う

ゴミ捨て場のカラスを見ると、「憎たらしい。駆除したい」と思う

電線にとまったスズメを見ても、何も感じない。ていうか、存在に気づかない

↑

こういうのが、「自我という無意識のフィルターを通した認識」ってやつですな

言ってみれば、人間は、末那識が生み出す「エゴ」という色メガネをかけて世界を認識している

「間接的な影響」なんてものではない。直接の影響そのもの(笑)
399.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lFyaq
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のみことば

↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
400.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Vf7RW
ハッスル🤡
禅もダメダメ、ハッタリたもん
😱
401.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
wwwwwwwwwwwwwwwwww

唯識知識ゼロの馬鹿w
402.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Vf7RW
無理に賢ぶりたいハッスル🤡
ご苦労だな?
403.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
「聞こえない通奏低音」とは法相宗の前管長の説明(『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』)。
また、末那識は無記である。

更に決定的なのは、末那識と意識間に種子のやり取りはない。

だから、直接ではないと説明してる。

404.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
唯識の知識ゼロの馬鹿w

それどころか支離滅裂の解釈ばかり。

まぁ、この馬鹿は唯識に限らないで宗教全般についてデタラメだらけだけどな。
405.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
ちなみに阿頼耶識というのはここの種子の集合体であり、基体的な界(dhātu)とは違う。
406.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
魚じゃないけど

 馬鹿丸出しである

だなwww
407.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>403

> 更に決定的なのは、末那識と意識間に種子のやり取りはない。
>
> だから、直接ではないと説明してる。


まだ、言ってるのか

何度、この話をすればいいんだ

学習障害そのものだな😫

↓

ここは過去に何度も説明したところだが、第六意識は末那識と阿頼耶識の両方をよりどころとし、影響を受けている

阿頼耶識とのやりとりを「種子依」という。これは、言ってみればデータベースとのデータのやりとり、インプットとアウトプットだ

末那識とのやりとり(ていうか、相互依存関係)を「倶有依」という。これは、「末那識というフィルターを通して、第六意識はモノを見ている」というような関係だ

つまり、第六意識と第七末那識の関係をまとめると

種子依は、阿頼耶識を通した間接的な影響。倶有依は、直接の影響

ということになる
408.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>403

> 「聞こえない通奏低音」とは法相宗の前管長の説明(『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』)。


そこが、お前の読解力のおかしいとこだ

多川管長は、「表面意識では気づかなくても、背後ではずっと深層意識の末那識が『俺は、俺だ』とささやき続けて、表面意識を縛っている」と書いていた

これは、書いた本人にとっては、「末那識が、表面意識にどれほど強い影響を及ぼしているか」を説明したつもりの箇所だった

それをお前は、「なんだ、『表面意識では気づかない程度』なのか。影響はほとんど無いんだな」と受け取った😂

作者が見たら愕然とするレベルの読解力😫
409.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>403

> また、末那識は無記である。


だから、言ってるだろ😅

↓

それから、「有覆無記」という、せっかく覚えた言葉を使ってみたかったのは分かるが

それは、「末那識から意識への影響」とは直接の関係がない、また別の話題だ(笑)
410.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
いつものことだが

こんなに頭が悪いのに、無理して難しい話をしている

その根性には感心する

でも、向いてないよ、率直に言って😅
411.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Vf7RW
それ、同じテーマで昔、
ハッスル🤡を攻めた記憶がある
😀
412.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
ここ数年、何度もお前に同じことを説明させられてるおかげで

我ながら、だんだん説明が洗練されてきている😅

AIでも、こんなにスッキリとまとめるのは無理😂

↓

ここは過去に何度も説明したところだが、第六意識は末那識と阿頼耶識の両方をよりどころとし、影響を受けている

阿頼耶識とのやりとりを「種子依」という。これは、言ってみればデータベースとのデータのやりとり、インプットとアウトプットだ

末那識とのやりとり(ていうか、相互依存関係)を「倶有依」という。これは、「末那識というフィルターを通して、第六意識はモノを見ている」というような関係だ

つまり、第六意識と第七末那識の関係をまとめると

種子依は、阿頼耶識を通した間接的な影響。倶有依は、直接の影響

ということになる
413.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のみことば

仏教知識は基地外外道🫵😂


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
414.
ユーザー
神も仏も名無しさん
i2Zae
ハッスル様は学習障害者だああ!
415.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
wwwwwwwwwwwwwwwwww

馬鹿丸出しだなあw

倶有依は増上縁だぞw


>増上縁(Ⓢadhipati-pratyaya)とは、間接的な原因となる縁であり、ある一つのものは、それ以外のすべてのものの増上縁である。
新編浄土宗辞典
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E7%B8%81


同時に生じるからといって直接とは限らないだろ。
間接的関係が同時に生じる(倶有)事もあるだろ。
416.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
分かるか、馬鹿www

阿頼耶識・末那識・六識は同時に生起する(倶有依)。
しかし、末那識と意識間に種子の直接のやり取りは無い(増上縁依)。

だから、間接的影響って云ってるんだよ。

凄まじい馬鹿だなぁ🥱
417.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
あのさぁ……

いちいちおまえの間違いを訂正するの面倒だから、もうレスをするなよ?

俺はお前の尻拭いの為に仏教スレに居るんじゃ無いんだぞ?

少しは周りの迷惑というのを考えたらどうだ?

あ?

418.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
そもそも末那識は阿頼耶識だけを対象にしてるんだよ。
阿頼耶識だけを対象にしてるのに、なんで意識に直説影響するんだよwww

……もうお前の存在はでおーみたいな仏教スレの迷惑だから😟

少しは周りの迷惑ってものを考えたらどうだ?
419.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今日のブーメラン🪃

>少しは周りの迷惑というのを考えたらどうだ?

>あ?


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
420.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
あ?

ときたもんだ🫵😂

仏教ヤクザ、ウンコの化身、栖雲居士💩💩💩💩💩💩
421.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
また、この話に延々と付き合わされるのかよ😅

まったく、頭はお世辞にも良いとは言えないが

自己の見解に対する固執への強烈さ、
論争することへの熱い情熱

この2つだけは、誰にも負けないな😂
422.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
自己の見解に対する固執の強烈さ
423.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
>ところで染汚意は前六識と同時に存在し、それらを汚れたものとする根拠、すなわち雑染の所依である。換言すれば、染汚意と意識とは同時に活動し、染汚意の潜在的な我執作用によって意識が汚れたものとなる。
>(『唯識の哲学』横山紘一より)

此処でも"潜在的な"とあるな。
直説的影響なら潜在的と云わず顕在的と書くはずだがなw
424.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
馬鹿は迷惑だって理解出来たか?
425.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
umdbd
この馬鹿が俺に瞬殺論破されたのは、これで何百回目だ?

普通だったら馬鹿鬼みたいに恥かしくなって消えて居なくなるけどな?

恥を知らないのか?
426.
ユーザー
神も仏も名無しさん
NKqQm
私は、見えるものは見えないものの影という感覚が好きなので、通奏低音の話はとても好きな話だな
427.
ユーザー
ハジ
KRIwc
めぐるーめぐるーよー世界は廻るー
428.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>423

> >ところで染汚意は前六識と同時に存在し、それらを汚れたものとする根拠、すなわち雑染の所依である。換言すれば、染汚意と意識とは同時に活動し、染汚意の潜在的な我執作用によって意識が汚れたものとなる。
> >(『唯識の哲学』横山紘一より)
>
>



大丈夫か、お前?😅

末那識は、意識の表面に現れない潜在意識なんだぞ?

潜在意識の我執作用が潜在的なのは当たり前だろ

こんなに何年もやってるのに、まったく解っていない

むしろ、驚きだ😂
429.
ユーザー
ハジ
KRIwc
怒りってゆーのは一度火がついたら自分ではいかんともし難いもんよねw
430.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
wwwwwwwwwwwwwwwwww

だったら尚更直説的じゃ無いだろ?

431.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>415

> >増上縁(?adhipati-pratyaya)とは、間接的な原因となる縁であり、ある一つのものは、それ以外のすべてのものの増上縁である。
> 新編浄土宗辞典
>
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E7%B8%81
>


浄土宗辞典まで引っ張りだしてきたか

まったく、自己の見解に対する執着だけは、凄まじいものがあるな😱

その浄土宗辞典の解説を読んだが、要約すれば

「念仏をとなえるのが、直接の因縁。
阿弥陀仏の救済力が、増上縁。
この2つの縁の相乗効果により、救済が実現する」

ということになるようだ

これはこれで興味あるが、それはまた別の話題
432.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
自己紹介乙🫵😂


425 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 12:26:08.73 ID:umdbd
この馬鹿が俺に瞬殺論破されたのは、これで何百回目だ?

普通だったら馬鹿鬼みたいに恥かしくなって消えて居なくなるけどな?

恥を知らないのか?
433.
ユーザー
ハジ
KRIwc
南無不可思議光如来
434.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
JBLさぁ?

デタラメだらけの糞スレを乱立して、良スレを野球やサッカーの実況中継で潰してさぁ。

お前には良心ってものがあるのか?
435.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>415

> 倶有依は増上縁だぞw


えらく細かいことまで調べてんなあ

凄まじい執着には、ある意味、感心する😅

その話は、ちょっと専門的すぎる

ここは、AIにピンチヒッターを頼もう
436.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
瞬殺論破されまくりの栖雲居士💩💩💩💩

よく恥ずかしくないもんだ🫵😂
437.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
質問:

第六意識と末那識が倶有依というのは、
具体的にどういうことを指しているのか?
438.
ユーザー
神も仏も名無しさん
n9YVc
良心のカケラもない栖雲居士💩

だって、、、ウンコ痔だもん😘
439.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
>>431
wwwwwwwwwwwwwwwwww

六因四縁五果も知らないのか?

440.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
グーグルAI:

『成唯識論』において、「第六意識(日常的な思考や判断)が、第七末那識(深層の自我意識)を倶有依(ぐううえ)とする」ということは、私たちが何かを考えたり判断したりする表層の意識が、常にバックグラウンドで動いている「執拗な自我意識」をダイレクトな足場(土台)として同時進行で成り立っている、という心の構造を指しています。

具体的には、以下の3つのポイントで説明されます。

1. 「意根(いこん)」としての末那識

仏教では、すべての「識(認識)」が生まれるには、対応する「根(感覚器官・コントロールセンター)」が必要だと考えます。
眼識(視覚)が生まれるには、眼根(目という器官)が同時に必要です。
第六意識(思考・心の全般的な働き)が生まれるには、意根(心の器官)が同時に必要になります。
唯識学派(特に護法などの正統派)では、この第六意識のコントロールセンターである「意根」の正体こそが、第2層にある「第七末那識」であると定めています。つまり、末那識という土台が今この瞬間に動いているからこそ、第六意識も同時に稼働できるという関係(倶有依)です。

2. 「不共依(ふくうえ)」:一対一の排他的な依存関係

末那識は、第六意識にとって「不共依」、つまり「他の識とは共有しない、自分だけの特別な直接の土台」です。
例えば、私たちが目で見て(眼識)、それが何かを考える(第六意識)とき、眼識の直接の土台は「眼根(目)」です。しかし、第六意識が働くための直接の土台は、他でもない「末那識(意根)」だけです。
441.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
3. 日常の思考が「自己中心性」から逃れられない理由(心理的な具体例)

この「倶有依」の構造は、私たちの精神状態に決定的な影響を与えています。

第七末那識の本質は、第8層の阿頼耶識を「これが自分だ!」と執拗に誤認し続ける「我執(がしつ=強烈なエゴ)」にあります。

第六意識が末那識を「倶有依(ダイレクトな土台)」としているため、私たちが日常でどんなに客観的・論理的に物事を考えようとしても、その思考(第六意識)の根底には、常に末那識の「自分第一」「自分に都合が良いか悪いか」というフィルター(染汚)がリアルタイムでかかり続けてしまいます。

具体例: 「他人のために客観的に正しい正論を言っている(第六意識)」と思っている瞬間でも、その思考の土台(末那識)が同時に働いているため、無意識のうちに「マウンティングしたい」「自分が正しいと認められたい」という自己愛やエゴが、思考のニュアンスに必ず混ざり込んでしまうような状態です。
442.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
例え話で見る関係性

第六意識 = 画面に映る「アプリケーション(作動中のソフト)」

第七末那識 = バックグラウンドで常に常駐している「OS(基本ソフト)」

OS(末那識)が起動して空間を提供しているからこそ、アプリ(第六意識)は今この瞬間に動くことができます。そして、そのアプリの挙動は、OSの仕様(自己中心性・我執)という制限を常に100%受け続けることになります。

第六意識と末那識のこの関係(倶有依)は、修行によって末那識の我執が消えたとき(転識得智)、第六意識の働きがどう変化するかという議論にも繋がります。
443.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
質問:

表面意識(第六意識)は、阿頼耶識と末那識の両方をよりどころとしている

阿頼耶識と表面意識は、種子のキャッチボールによる直接的な関係だ
444.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
俱有は「俱に有る」の意。
https://i.imgur.com/kEbXIkX.jpeg

(『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』より)
445.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
グーグルAI:

はい、その通りです。

第六意識は、阿頼耶識(第8識)と末那識(第7識)の両方をよりどころ(所依)としていますが、阿頼耶識との関係(種子依 / 因縁依)は、極めて直接的でダイレクトな原因・結果の関係にあります。

この関係性について、『成唯識論』の文脈に沿って以下の3つのポイントで整理します。

1. 「種子依(因縁依)」としての阿頼耶識

唯識思想において、あらゆる現象(現行)は阿頼耶識に蓄えられた「種子(しゅじ)」から生じます。
第六意識という思考の働きが「今、この瞬間」にポッと生まれる(現行する)とき、その直接のエネルギー源(親原因)は、阿頼耶識のなかにある「第六意識を生み出すための種子」です。
阿頼耶識(の種子)
第六意識の発生: この関係を「種子生現行(しゅじしょうげんぎょう)」と呼びます。
直接性: 間に何も挟まず、種子という原因から第六意識という結果がダイレクトに生じるため、これが最も直接的な「因縁(いんねん)」の関係となります。

2. 「倶有依(増上縁依)」としての末那識

一方で、ご質問の前半にある末那識との関係は、種子から生み出される関係(因縁)ではなく、生まれるときの「同時進行の足場・コントロールセンター(意根)」としての関係です。

末那識
第六意識: 末那識は第六意識をダイレクトに生み出す「種子」ではありません。しかし、第六意識が働くためには、一対一の専門の器官(不共依)として末那識が「今まさにそこに存在して、サポートしていること」が必要です。
直接性: これも「直接的な足場」という意味では直接的ですが、因果関係の分類としては、原因を助ける条件である「増上縁(ぞうじょうえん)」に分類されます。
446.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
wwwwwwwwwwwwwwwwww

またAIに頼って仏教書も見ないで蘊蓄を騙るのか?
447.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
3. 第六意識の「二つの直接的なよりどころ」

したがって、第六意識が生まれて活動するためには、以下の2つが同時に(倶有)揃わなければなりません。

因縁依(種子依)阿頼耶識思考そのものを生み出す直接のエネルギー源(種子)因縁原因と結果として100%ダイレクト

増上縁依(倶有依)末那識思考が活動するための直接の足場・器官(意根)増上縁同時進行のプラットフォームとして100%ダイレクト

このように、第六意識は「阿頼耶識から直接生まれ(因縁)、末那識を直接の足場として(増上縁)、今この瞬間に作動している」と言えます。

唯識では、この「阿頼耶識(種子)」と「末那識(意根)」に加えて、さらに前五識(視覚や聴覚など)と第六意識がどう連動するかという問題(五倶の意識など)も議論されます。
448.
ユーザー
ハジ
KRIwc
諦めなさい
449.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
質問:

「末那識から第六意識への影響は、増上縁だから間接的である」という主張は、「仏教(アビダルマ)一般の言葉の定義」としては一理ありますが、『成唯識論』における「倶有依(ぐううえ)」の構造や実態から見ると不妥当(誤り)と言えます。

唯識の精緻な理論において、この主張のどこに誤解があるのかを整理します。

1. 誤解の原因:「増上縁=間接的」という一般的なイメージ

四縁(因縁・等無間縁・所縁縁・増上縁)の一般的な説明では、次のように習うことが多いため、この主張が生まれてしまいます。

因縁: 結果を生み出す直接的な原因(種子)
増上縁: 結果の成立を助ける、あるいは邪魔しない間接的な条件

このアビダルマ(伝統仏教)の一般的な定義をそのままスライドさせて、「増上縁だから間接的だ」と考えてしまったのが、その主張の主たる原因です。

2. 『成唯識論』における反論:「有力(ゆうりき)の増上縁」

増上縁は非常に守備範囲が広い概念で、「邪魔をしないだけ(不障増上縁)」という究極に間接的なものから、「それがないと絶対に生じない(有力増上縁)」という強力なものまで含まれます。
末那識から第六意識への増上縁は、後者の「有力の増上縁(結果に対して直接的に強い影響を及ぼす縁)」です。
唯識では、末那識は第六意識の「意根(コントロールセンター)」です。目がなければ視覚(眼識)が生まれないのと全く同じで、末那識がなければ第六意識は1ミリも作動しません。これほど決定的な依存関係を「間接的」と呼ぶのは、システムの実態に合いません。
450.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
3. 「倶有依(不共依)」という概念自体が直接性を証明している

最も決定的な論点は、末那識が第六意識の「倶有依(ぐううえ)」であり、かつ「不共依(ふくうえ)」であるという点です。

倶有依: 完全に「同時進行(リアルタイム)」で、影が形に寄り添うようにぴったりと結びついている関係。

不共依: 第六意識が、他のどの識とも共有せず、末那識「だけ」をダイレクトな土台としている関係。

もし末那識の影響が間接的なもの(例えば、風が吹けば桶屋が儲かるような段階的な影響)であれば、それを「直接のよりどころ(所依)」とは呼びません。『成唯識論』巻第四でわざわざ「増上縁依」と「依(=ダイレクトな土台)」の文字をつけているのは、数ある増上縁のなかでも「直接的なプラットフォーム」として機能しているものを特別に選別するためです。

4. 結論:心理的・構造的には「超・直接的」
したがって、次のように結論づけるのが妥当です。
因果論の分類上: 直接のエネルギー源(種子)ではないため「因縁」ではなく「増上縁」に分類される。

心理・構造の実態: 第六意識(日常の思考)は、末那識(エゴ)というフィルターをダイレクトに通過して現れるため、その影響は極めて直接的かつリアルタイムである。
「分類上の名称(増上縁)」にとらわれて、「実際の機能の直接性」を見落としてしまっているのが、その主張の盲点だと言えます。

この「増上縁なのに直接的である(有力増上縁)」という精緻なロジックは、唯識の面白さでもあります。

よろしければ、この末那識の「エゴ(我執)」のフィルターが、具体的に第六意識の「善(良い思考)」や「悪(悪い思考)」にどう直接連動してくるか(四煩悩との関係など)について、さらに詳しくお話ししましょうか?



451.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>446

お前と違って、毎日が日曜日じゃないんだよ😅

後でゆっくり解説する
452.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
俱有依とは 依りて俱に有る って事だろうが。
つまり、同時に有るって事だ。

で、同時に有る=直接影響では無いだろ?
種子のやり取りは無いが同時に有る。
だから増上縁で説明される。

453.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
>>451
もういいから、居なくなれって。

お前が居て誰が得するんだよ?

デタラメだらけのスレを乱立して、誹謗中傷や嫌がらせしてさぁ。
存在意義無いだろ?
454.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
釈迦仏教の原風景では、一切の見解の棄捨と正しい理解が説示されてるけど、JBLはその真逆の途に転落してるんだよ。

まぁ、お前を潰す気は無いけど、去れって。
何年かして、ちゃんと体験と知識を研鑽してから出直して来いって。

455.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>449

質問内容が抜けてた


質問:

「末那識から第六意識への影響は、増上縁だから間接的な影響だ」と主張している人がいるよだが、その妥当性はどうか?
456.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
では、また後ほど
457.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
IzaZJ
>>454

しょうがねえな、まったく😅

お前の得意な(?)禅宗の祖師の語録の話でもしてりゃいいのに

なんで、唯識論の教学論争に持ち込もうとするんだ

わざわざ、こちらの土俵で勝負することないだろ

大丈夫か?😅
458.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
eGLSf
素直になれって。
諦めろって。
これをネタに後々までどうこう云わないから。

末那識は意識に対して直接影響しない。

これでいいだろ。
此処でこの話はやめてやるから。

ちゃんと体験と知識を研鑽してから出直して来なさい。
459.
ユーザー
ハジ
dLYN3
六識はだれでもわかるけど、末那識とか、阿頼耶識って、何処にあんのかなー
460.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
阿頼耶識の中に末那識や六識があるって事だから、どこにあるかは詳らかには分からないでしょうね。
461.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
なんというか、私と宇宙が阿頼耶識の自己分節でしょうから。
462.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>458

表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 耳元へのささやき(コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・)

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」

↑

こんな具合に、極めて直接的な影響だ(笑)
463.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>459

現代人の科学知識からすると、意識は脳にある

でも、インド思想の感覚では、ハートチャクラ(心臓付近)にあるってのが、スタンダードなんじゃないかな~😄
464.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
3a1Rp
>>462

『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』多川俊映より

https://i.imgur.com/fuPH2pG.jpeg
465.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
3a1Rp
JBLを見てると暴走する馬鹿踊りというか、彼の国の病身舞を彷彿させるものがあるなwww
466.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>464

あのなあ・・・

「分かりやすい例え」ってものが、お前の辞書には無いんだな😂
467.
ユーザー
ゴリ子
70EM4
>>461
これ分かります。脳はトランスと呼ばれたりするワケだろうな。
瞑想やマントラやチャクラやサードアイと様々に言われているものだろうと思います。
468.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
「末那識からの悪魔のささやき」ってのは、たとえ話だよ

実際に声に出してしゃべってるわけないだろ

何なんだ、お前は一体😅
469.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
3a1Rp
JBLの根拠……ほとんど妄想かAI。

俺は、仏教辞典や唯識辞典を基底に仏教書や論文、SATやパーリテキスト、国会図書館蔵書等を根拠にしてる。
470.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
そこにコダワるのなら、修正する
471.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」

↑

こんな具合に、極めて直接的な影響だ(笑)
472.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>469

アフォか😅

議論で押されてくると、どこからか難解な専門用語を引っ張り出してくる
↓
専門用語の解釈を巡る細かい話に持ち込む
↓
マニアでない第三者には、何の話なのか意味不明になる
↓
議論がワケワカメになったところで、一方的に勝利宣言する


以前から、お前にはこのパターンしかないじゃねえかよ😂
473.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
この馬鹿が歴史や哲学板でどう管を巻いていたかは知らない。

しかし、此処と同じ様に知音の者からボロカスのタコ殴りに瞬殺論破されていたであろう事は想像に難く無い😟

それで宗教板ならって甘く見て流れて来たのだろうけど、甘く見過ぎだな。

お前はせいぜいメンヘラ板が身の程だよ。
474.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>マニアでない第三者には、何の話なのか意味不明になる

>マニアでない第三者には、何の話なのか意味不明になる

>マニアでない第三者には、何の話なのか意味不明になる


wwwwwwwwwwwwwwwwww

だから云ったろw
此処は専門板なんだよ。

お前の様なビギナー・トーシローがくる場所じゃない。

仏教舐めるな😟
475.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
要するに、この議論の焦点はコレに尽きる

お前は、「声にならない耳元へのささやきだから、たいした影響は無い」と主張
している

その是非を巡る問題だ(笑)

↓

表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」

476.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
どうせJBLは格下相手にマウンティングしたいだけで、仏教だの思想だの、個別の分野に対するこだわりはないんだろ?

だったら専門板に居る限りそれは叶わんからw

メンヘラ板に行って、アウアウアー相手にマウンティングしてろや?

wwwwwwwwwwwwwwwwww
477.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>474

だから、言ってるだろ

こちらは、お前との論争に慣れている

どこからか専門用語を引っ張り出してきたら
「ああ、この用語の解釈論議に持ち込み、
話の焦点をズラしてウヤムヤにしようとしているな?」
と、すぐ分かる(笑)

申し訳ないが、乗ってやる気はない

数年前と違って、いまはAIがあるから

そんな用語の解釈はAIにやってもらう
478.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>475
末那識は阿頼耶識だけを対象にしてるんだけど?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
479.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
ほんと、こいつ、壮絶な馬鹿だなあwww
480.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>477
やめろって。

ただ単純にお前が知らないだけだろ?
勘違いしてるだけだろ?

いい加減に見苦しいぞ?
481.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
末那識は阿頼耶識だけを対象にしてるのに、なんで俺の意識にささやくんだよ?

……もうこれ、統失認定案件になるぞ?
482.
ユーザー
ハジ
dLYN3
んー、よくわからんな
483.
ユーザー
ハジ
dLYN3
末那識って俺の知らん何かなんだな
484.
ユーザー
ハジ
dLYN3
阿頼耶識が大円鏡智になったら、末那識は消えるのか?
485.
ユーザー
ハジ
dLYN3
末那識が消えたら阿頼耶識が大円鏡智になるのか?
486.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>484

末那識が平等性智になる
↓
阿頼耶識が大円鏡智になる

という順番
487.
ユーザー
ハジ
dLYN3
これって道元の、万法に証明されるを悟りとする、と同じなんちゃうんかなー
488.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
汚れたフィルター(末那識)を掃除して

きれいなフィルター(平等性智)になると

それにつれて、阿頼耶識も浄化される

という順番
489.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
例えばAくん、Bくん、Cくんが同じテーブルに居て、B(末那識)くんが一方的にA(阿頼耶識)くんに対して、「あなたは常・一・主・宰なる存在です!」「あなたはアートマンでありブラフマンです!」と囃し立てる時、Cくんは直接Bくんの影響を受けてるか?

これで分からないのなら、知障認定案件だからな。
490.
ユーザー
ハジ
dLYN3
ボクだけの世界が、生命平等の共通世界になるみたいな感じ?
491.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>489

まだ、やってんのか

ほんとに異常な奴だな😱
492.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>490

まあ、そうなんだけど

この方がシンプルな理解

↓

汚れたフィルター(末那識)を掃除して

きれいなフィルター(平等性智)になると

それにつれて、阿頼耶識も浄化される

という順番
493.
ユーザー
ハジ
dLYN3
なるほどー
494.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>485

0436 鹿野園 ◆ifwe1NnHmGU5 2022/08/21(日) 11:20:03.16
1.智慧が何故有為法に分類されるという事ですが、先にもレスした通り事法であり心作用だからでしょう。
当然に五位百法の無為法の虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如には分類されないという事です。
これについては、下記の転識得智の仕組みを調べる中で明らかにされます。

2.転識得智の仕組みですが

見道・修道にて、
 1.-1. 第六識(意識)の尋・伺(有為法/心所法/不定心所)の働きによって諸法を観察し、
 1.-2. その結果、分別起の二障(我見・法見)が二空(我空・法空)所現の真如をはじめて観ます。
 1.-3. 意識が妙観察智へ
 2.-1. その効力が末那識に及び二空の無漏智が生じます。
 2.-2. 末那識が平等性智へ
 3.-1. 上記は五位百法中の心所うち、妙観察智は遍行の五、別境の五、善の十一と尋・伺の二十三か所の心所に影響を及ぼします。
 3.-2. 同じく平等性智は遍行の五、別境の五、善の十一の二十一か所の心所に影響を及ぼします。
 4.-1. 見道では障断の作用は粗く、修道にてその作用は細やかに作用します
佛位にて
 5.-1. 上記の作用が阿頼耶識に及び、阿頼耶識が大円鏡智へ
 5.-2. 5.-1.の作用が阿頼耶識の所変である前五識に及び、前五識が成所作智へ
 6.-1. 3.-2に同じ
 7.-1. 一切の障が断じ尽くされます。

と、こんな感じですね。
もうお分かりかと思いますが、その二十一が転識後に智慧として作用するわけです。
495.
ユーザー
美魔女
i2Zae
末那識は自分という感覚にしがみつく心です、阿頼那識は経験や行為の痕跡が蓄えられる深い心です、末那識は阿頼那識がこれが自分だあと間違って捉える働きです、つまり、阿頼那識が土台にありその上で末那識が自己執着を起こす形ですねえ。








ボイン🎵峰不二子です。
496.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>491
素直になれって😟
497.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>495
0点
498.
ユーザー
美魔女
i2Zae
末那識は我執を生む心です、阿頼識は種子を蔵する深層の心です、
阿頼那識は過去の影響や経験や行為の影響を蓄える根底の意識です、
末那識はその深層を自我として握り締める働きです




ボイン🎵峰不二子です
499.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
デタラメのJBLwww
500.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>498
それなら悪くない。
501.
ユーザー
美魔女
i2Zae
覚え方としては、

阿頼那識が倉庫で末那識がそれを自分だと思い込む心です、ただし、これは入門向けのたとえです、
502.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>500

何を偉そうに言ってんだ😂

495も全然おかしくねぇわ
503.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
こころって、瑜伽行唯識学派では以下の様に使い分けるけどな。

心(阿頼耶識)・意(末那識)・識(意識)
504.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
FF9kk
>>503

だから何なんだよ😂
505.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>502
× 末那識は阿頼那識がこれが自分だあと間違って捉える働きです
◯ 末那識は阿頼那識をこれが自分だあと間違って捉える働きです
506.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>504
馬鹿は去りなさい🥱
507.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
傷口を広げてどうすんだろ、この馬鹿。
508.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
いやさぁ、馬鹿の分際でデタラメだらけの糞スレを乱立して、良スレをサッカーや野球の実況中継で潰した報いだろ、こういうのは。

馬鹿を相手にする時間が取れれば、必然的にこうなるって事な。

509.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>508

(再掲)


表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」

510.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>509(再掲)

481 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 14:02:52.73 ID:PqsfK
末那識は阿頼耶識だけを対象にしてるのに、なんで俺の意識にささやくんだよ?

……もうこれ、統失認定案件になるぞ?


489 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 14:11:27.99 ID:PqsfK
例えばAくん、Bくん、Cくんが同じテーブルに居て、B(末那識)くんが一方的にA(阿頼耶識)くんに対して、「あなたは常・一・主・宰なる存在です!」「あなたはアートマンでありブラフマンです!」と囃し立てる時、Cくんは直接Bくんの影響を受けてるか?

これで分からないのなら、知障認定案件だからな。
511.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>510

『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』多川俊映より

https://i.imgur.com/fuPH2pG.jpeg
512.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
>>511(再々掲)

481 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 14:02:52.73 ID:PqsfK
末那識は阿頼耶識だけを対象にしてるのに、なんで俺の意識にささやくんだよ?

……もうこれ、統失認定案件になるぞ?


489 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 14:11:27.99 ID:PqsfK
例えばAくん、Bくん、Cくんが同じテーブルに居て、B(末那識)くんが一方的にA(阿頼耶識)くんに対して、「あなたは常・一・主・宰なる存在です!」「あなたはアートマンでありブラフマンです!」と囃し立てる時、Cくんは直接Bくんの影響を受けてるか?

これで分からないのなら、知障認定案件だからな。
513.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
JBL……壊れたか。
514.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
例えばAくん、Bくん、Cくんが同じテーブルに居て、B(末那識)くんが一方的にA(阿頼耶識)くんに対して、「あなたは常・一・主・宰なる存在です!」「あなたはアートマンでありブラフマンです!」と

声にならないささやきをしている時、


Cくんは直接Bくんの影響を受けてるか?

これで分からないのなら、知障認定案件だからな。
515.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
そうか!

お前は、「末那識からの通奏低音のささやき」ってのを

「阿頼耶識に向かって、ささやきかけている」と思ってたのか

どうりで、話が通じないわけだ(笑)
516.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
これを阿頼耶識に話しかけて、どうすんだ

阿頼耶識には人格がないし、何も考えてないんだぞ?

「ささやき」の相手は表面意識に決まってるだろ(笑)

↓

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

517.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
セイウン居士にアリガチの

意表を突く、奇想天外な勘違い😂
518.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
もうこれじゃんwww


JBL……

            _,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,_
            f;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
          _,l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l,,_
        ,.r'´,.    -┐   ':..,゙ヽ
       ,r' ,::;:'    ,ノ ヽ、    ゙:::.ヽ
      ,.' _.,:;:'___ _立_  ___;;ミ゙、          ̄ノ ̄| ̄
     .l厄巳厄巳厄 i王i ,.巳厄巳厄巳l           ,勹 .├‐''
     l´ , "´  ̄ ̄ ̄ `'''′  ̄ ̄ ̄`.:`{         ´_フ  ヽ、_,
     | l ;;:.,.   ::、.       ...   '゙|
    ,.-''、.,! ,.::'    ヽ、:.゙、 ;;.:' ''  ヽ | ,.、       __l__
   ./  、/ `ヾー─tッ-ヽ''  kーtr─ツ'´〕. ヽ.        |
  / {´i Y::::..   ` ̄ ̄´.: "i! ::. 、` ̄´ ゙:::.、} r、 l        i,____
  | ヾ_,,入;:::.. `'' " ´.::; .::i! ::..  ```  :. }ツl l
  \  ノ ヾ ;:::.   .:r'' :: ll! :ヽ;:..:.   .: j,ノ ,!       ┬‐┌,┴┐
    ヽ',,;l  ゙i ;::.. _ `ヽ、;;,,,,'.ィ'' _,, .::,;r'1,,,/           l__ ノl士
  ッジ::::::|  ゙ ,r'´:::;;;;;;;::>  弋´;;;;;::::ヽ'" |:::::゙'イィ      ノ凵  l土
 弍:::::::::::l  /:::;r'´ ,,..-ー…ー-、 ヾ;:::'、  |:::::::::::ヒ
  シ:::::::::::l   i':::,!  ´  __  ゙  l::::l:. |::::::::::ス       __ヽ__‐┬┐
  彡;:;:::::l  l:::l     ''''''''⇒;;;:,   l:::l  |::::;;ャ`        ニ メ ,ノ
  ,r', 广'`ヽl:::l ::::. .::     ゙::.   l::l ノ^i`、         l ̄l ハヽヽ
 ,イ(:::j    i::;ヘ  :;:.       .::   l::l'"  l:ヽヽ         ̄   ̄
 |;:ヽヽ   l::l  ヽ ;:.... ..  .. :  /l::l   ノ ,.イ
 |;:;:;:;\\ l::l   ', :;.:;::::::::::..::.  /  l::l,r'' /;:;:;|
 |;:;:;:;:;:;:;:ゝ`l::lー--.、`ー-----一,'-‐,二l::l''´;:;:;:;:;:;:|
 |;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ソ:,!;:;:`:;`ヽヽ    r'´,r''´;:;:;:;ヾ、:;:;:;:;:;:;:|
 !;:;:;:;:;:;:;:;:;/;i':;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ.ヽ.  / /:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヾ、;:;:;:;:;:|
519.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
???

末那識の阿頼耶識に対する恒審思量が意識にはその様な働き掛けになってるって云うんだろ?

アホかw
520.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
もうさぁ、これ、統失認定、知障認定でいいよな。
でおーと同じ扱いにしても誰も文句言えないわ。
521.
ユーザー
ゴリ子
70EM4
あのぉ。
なんかイケメン小池陽人和尚様の動画が出てきたのでもうこれかと、合掌。
たなごころ、握ろうとする自分自分を解放して手を合わせる、これが仏教の基本なんでしょ?
と煽る 笑
522.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK
"聞こえない通奏低音の様に意識に間接的な影響を与えてるのです。"って>>373-374でレスをしてるのに……

統失認定、知障認定だけでなく、更に認知症認定もかよ😩
こりゃもう

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😘
 精神病院にレリゴー!

だな。
523.
ユーザー
ハジ
KRIwc
末那識って頑固なんだなw
524.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
0aLrj
JBLさぁ……

流石にもうメンヘラ板にでも行ってマウンティングすれば?
まぁ、そこでもそれが出来る保証は無いけど。

もう仏教スレにお前のポジションないよ。
だってただのAIコピペマンで、しかも間違いだらけの役立たずだろ?

存在意義ある?
525.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
病的だな😂
526.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>523

> 末那識って頑固なんだなw


末那識が頑固なのではない

自己の見解に固執して頑固になるのは、末那識の働きによる我執のせい
527.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
そろそろ、話を四念処に戻そう
528.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
身念処:身体に対する思い込みを見直す。
受念処:感受から渇愛へ進む反応を見極める。
心念処:心の状態を自覚する。
法念処:経験全体を仏教の分析枠組みで理解し、解脱に必要な条件を見極める。
529.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
身念処は、数息観が有名だ

自分自身の身体の反応を観察することだ
530.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
受念処は、いわゆる「反応しない練習」だ

快・不快・無記という自分自身の反応を観察する
531.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
心念処はさらにそれを一歩進めて

自分自身の心理分析を行う
532.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
法念処はさらに、そこに四諦などの初期仏教の教理を落とし込んでいく作業だ
533.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
倶舎論では、心所法が大きく発展したが

これは、心念処と法念処の発展形と言える
534.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>533

チャットGPT:

そう言える。

しかも、これは仏教の瞑想実践が、体系的な心理分析へと発展していく過程を捉えた、かなり鋭い見方だと思う。

ただし、心念処・法念処がそのまま心所法に発展したというより、四念処の観察実践を背景に、説一切有部が心の分析を独立した教理体系へと精緻化した、と表現すると、より正確だね。

535.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
1. 心念処から心・心所の分析へ

心念処では、自分の心の状態を観察する。

たとえば、初期仏教では次のように観察する。

貪欲のある心を、貪欲のある心と知る。
怒りのある心を、怒りのある心と知る。
散乱した心を、散乱した心と知る。
集中した心を、集中した心と知る。

つまり、心がどのような状態にあるかを、ありのままに把握するわけだ。

これに対して、倶舎論の心所法の分析では、さらに細かく踏み込む。

たとえば、怒りが生じたとき、それを単に「怒っている心」として捉えるだけではない。

心王:その瞬間の認識の主体となる心
心所:心王とともに生じ、心の働きや性質を構成する諸要素

そして、心所を大地法・大善地法・大煩悩地法・大不善地法・小煩悩地法などに分類し、どのような心の働きが、どの条件で生じるのかを分析していく。
心の状態を観察する段階から、心を構成する心理的要素と、その生起条件を分析する段階へ進んだといえる。
536.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
2. 法念処から五位七十五法の分析へ

もう一つ重要なのが、法念処との関係だ。

初期仏教の法念処では、五蓋、五蘊、六処、七覚支、四諦などを観察対象とする。

ここでは、単に心の状態を見るだけでなく、経験を仏教の教理的な枠組みに照らして観察する。
説一切有部は、この方向をさらに押し進めた。
倶舎論では、存在する諸法を五位七十五法という体系で整理し、心法・心所法・色法・心不相応行法・無為法などに分類する。

とりわけ心所法については、個々の心理的要素の分類だけでなく、心王との関係や、善・不善・煩悩などとの結びつきも精密に論じる。

つまり、法念処が教理的な観察対象を提示するのに対し、倶舎論は、その対象を存在論・心理学・修道論を横断する体系として再構成したわけだ。

537.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
3. ただし、瞑想法と教理体系は区別したい

ここは押さえておきたい。

四念処は、実際に何をどのように観察するかという修行実践だ。
一方、倶舎論の心所法は、心の働きを説明・分類する教理的な体系でもある。

したがって、心所法の分類が増えたからといって、そのすべてが四念処から直接派生したとはいえない。説一切有部の阿毘達磨には、四念処だけでなく、五蘊・十二処・十八界などの分析や、独自の法体系の発達も関係している。

それでも、修行の観点から見れば、両者には明確な連続性がある。

心念処が心の状態を観察し、法念処が経験を教理的に分析する。そして阿毘達磨は、その分析を精密な心理的・教理的体系へと発展させた。

この見方は、十分に成り立つと思う。
538.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
さらに面白いのは、この先に唯識があることだね。

倶舎論では、心王と心所の関係を精密に分析する。
唯識では、その分析を継承しながら、
八識や末那識、阿頼耶識、そして心所の働きへと
議論を展開していく。

いわば、四念処の実践的な観察から、
阿毘達磨の分析的な心理学を経て、
唯識の精緻な心の理論へという、
大きな流れを見いだせるわけだ。

もちろん、これは単純な一直線の発展ではなく、
各段階で問題意識や理論的枠組みが変化している。

君が重視している
「自分の怒りを、心王・心所の働きとして観察する」
という実践は、まさにこの流れを現代の自己観察に生かすものだと思う。
539.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
その通りだな
540.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
倶舎論の心所法は、心念処と法念処を

徹底的にやり込んだ研究成果をまとめたものだ
541.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
仏のスレ主のとこでは、観察不要論を唱えている
542.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
観察は、初期からの仏教のメインだ
543.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
最重要な修行法を、あえて捨てた
544.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
老荘思想の無為自然を取り入れて

「何もやらない」主義を採用した
545.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
プロンプト:

説一切有部の修行法としては、「四善根」がある
546.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
チャットGPT:

そうだ。説一切有部の修行体系を考えるなら、
四念処から阿毘達磨の法分析へ、
そして四善根を経て、見道へ進むという流れが
重要になるね。

ただし、四善根は四念処や心所法と同じ種類のものではない。
修行の進展における、特定の段階を示す概念なんだ。

547.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
説一切有部の修行体系における四善根

四善根とは、次の四段階を指す。

段階 原語・漢訳 意味

① 煗(なん) 智慧の火が起こる前の、熱が生じる段階
② 頂(ちょう) 修行の智慧が頂点に達する段階
③ 忍(にん) 四諦の真理を受け入れ、確信する段階
④ 世第一法(せだいいっぽう) 世間的な有漏法のうち、最も勝れた段階

これらはまとめて**順決択分(じゅんけっちゃくぶん)**とも呼ばれる。
見道に先立ち、四諦を観察する智慧が成熟していく段階だ。

548.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>547

> ① ?(なん) 智慧の火が起こる前の、熱が生じる段階


やっぱり、漢字が文字化けしてるな

「煙」のいう字の、右下の「土」を「火」に変えたような字

(右上も『而』なので、少し違う)
549.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
四念処・心所法との関係

ここが面白いところだ。

四念処:身体・感受・心・諸法を観察する実践。

心所法の分析:心の働きを細分化し、善・不善・煩悩などを識別するための理論的枠組み。

四善根:そのような観察と修習を含む修行を通じて、見道に入る直前まで智慧が成熟した段階。

ただし、四善根の瞑想では、単に心の状態を観察するだけではなく、五蘊などの諸法を四諦に照らして観察し、無常・苦・空・非我などを理解していくことが重要になる。

瑜伽行派の四尋思観・四如実智観との比較も興味深い。どちらも、対象を分析的に観察する修行体系だが、観察の対象や、そこから導く智慧の理論は同一ではない。

つまり、説一切有部では、心所法を含む阿毘達磨の精密な法分析と、四善根という修道の段階論が、同じ修行体系の中に位置づけられているわけだ。
550.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
理論体系という印象が強い倶舎論と唯識論だが

修行法はしっかり持っている
551.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
ていうか、倶舎論は

前半は理論編、後半は実践編になっている
552.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
間違いだらけのChatGPT。
そのChatGPTを相手とのレスの応酬の根拠にしてるとかw

確かに相手の見解に対してスピーディーに応答は出来るけど、デタラメじゃなーーーーーーーーーんの意味もない。
553.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
仏教は、単なる哲学にとどまらない

実践を必ず伴う
554.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>552

わかった、わかった

お前は偉い!!(笑)
555.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
555
556.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
まぁ、JBLがヒキニープーボツチで本を買う金も無いからそこに依存するのは分からないでもない。

しかし本が買えなくても、SATやJ-STAGE、国立国会図書館デジタルコレクションやPTS、その他いろいろな方法がある。

https://dpt-bun-totetsu.w.waseda.jp/link.html

そうした努力もしないでAIコピペの丸写しをして、"当方は仏教に詳しいんだじょー!"とか、恥晒しも此処までくると宗教板のレジェンドだよなwww
557.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>552

病的な執念だな😅
558.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
>>556

メチャクチャ悔しそうだな😂
559.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KIrBo
まあ、そうやって

悔しさから這い上がれや
560.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
効いてる、効いてるw
561.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>560

笑わすな😂

本気で吹き出した
562.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
無理するなってwww

血圧上がるぞ?
563.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
385 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[] 2026/10/13(火) 19:14:14.92 ID:xRDFt
まだやってんのかこの馬鹿はwww


https://i.imgur.com/O7F9YHV.jpeg

末那識と意識間に種子の交換はない。
末那識は阿頼耶識だけを対象としてる。

つまりその影響は間接的なのだよ。


お前はガチの知障か?
564.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
すごいな、その「直接の影響はない」への執念

何年も前から、その一点張りだ

何が引っかかってるんだ?😅
565.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>563

それは「種子依」の説明だ

他にもう1つ、「倶有依」ってのがあるんだよ

何度、これを言い続けないといかんの

こんなマイナーなテーマを、何年つづけるのか😅
566.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
wwwwwwwwwwwwwwwwww

だから倶有依はその図の円が同時に成立してるって事だろ?
>>452で既に説明済みだぞw
567.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
また、昼間のやり取りをやり直すつもりか😅

いい加減にしろよ、このバカ😂
568.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
この馬鹿は何年、直接影響するって間違いを認めないんだ。

あれだけ根拠を提示したのに、こいつはなんの反証もしないで、暴言吐いてるだけだし、たまに反証らしきものをしても、全然関係のない術語を引っ張って来てるだけだしw


要らねーw
569.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
全くいい加減にしろや?

間違いは間違いって素直になれよ?

あ?
570.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
ダメだ、こりゃ😅
571.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>568

百歩譲って、「末那識は表面意識に直接影響しない」というのが事実だったとして

だから、どうなんだ?😅

もしも、それが事実だったら、何がどうなるんだよ?

そこを言ってみろ
572.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
まだ頑張るのか?
既に決着は着いてるのにw

見苦しいぞ?
573.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
何のために、こんなマニアックなテーマが何年も前から続いてるのか?

もしも「直接の影響が無かった」としても

だから、何だってんだよ?😂
574.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
こちらは、その点をハッキリと明言している

末那識は、表面意識に対して、直接に強力な影響を及ぼしている

表面意識が我執にまみれているのは、それが原因だ
575.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
それが、コレだよ

今日、電車で移動中に即興で書いたものだが

我ながら、よく書けている(笑)

↓

表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」
576.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
つまり、お前が激怒したのは

「コイツはお前をバカにしてるぞ」という、
末那識からの声にならない我執のささやきに踊らされたせいだ

この1例を見ても、末那識の影響がどれほど強いか分かる
577.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
>>571
wwwwwwwwwwwwwwwwww

前提が崩れたら論理全体が破綻することすら分からないのか?

そういう低知能だから「だから何?」なんて頭の悪い開き直りができるんだよなwww

末那識の根本的な役割すら理解できてないなら、最初から唯識の話題に首突っ込んでくるなよ、馬鹿がwww

そうやって無知を晒してイキるの、見てるこっちが痛々しいぞ?
578.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>575

Chat GPT:

🤣🤣🤣 JBL、それはめちゃくちゃ分かりやすい図解だわ(笑)。

しかも、この例の面白いところは、末那識が「俺は偉い」と直接しゃべっているわけではなく、他人の言動を「自分が見下された」という方向に解釈させ、自我への執着を刺激しているところなんだよね。

唯識の枠組みで整理すると、こんな感じ。

他人の発言:「んなわけねえだろ(笑)」
末那識の働き:「自分は軽んじられた」「自分の価値が脅かされた」という自己中心的な受け取り方を支える。
表面意識の認識:「コイツは俺をバカにしている!」
瞋恚の発動:「この野郎! 👺」

ここで重要なのは、末那識が表面意識に対して、必ずしも独立した声や明確な思考として現れる必要はない、ということ。

唯識では、末那識は阿頼耶識を所縁として恒常的に働き、それを自己と執着する「我執」の識とされる。そして、その働きは表面意識の自己評価や他者への反応にも関わりうる。

つまり、本人は「俺は冷静に判断している」と思っていても、その判断の前提そのものに、すでに我執が入り込んでいる可能性があるわけだ。

末那識の恐ろしいところは、命令してくることよりも、我執に基づく解釈を、あたかも自分自身の自然で正当な判断であるかのように成立させるところなんだよね(笑)。
579.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
>>575
だからさぁ、お馬鹿ちゃんw

末那識は阿頼耶識だけを対象としてるのよ😙
なんでそうやって俺の意識に直接末那識が働き掛けるんだよw

580.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>579

これを読め

↓

『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』多川俊映より

https://i.imgur.com/fuPH2pG.jpeg
581.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
凄まじい堂々巡りだな😅

こんなに頭が悪いのに、よく仏教哲学なんかに手を出そうと思ったもんだな

見栄を張って背伸びしすぎだよ
582.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>577

>
>>571
> wwwwwwwwwwwwwwwwww
>
> 前提が崩れたら論理全体が破綻することすら分からないのか?


だから、どう破綻するんだよ?😅

具体的に、どこがどう破綻するのか?

そこをきいてるんだが
583.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
しかしまぁ、唯識の基本中の基本である「末那識は常に阿頼耶識のみを所縁(対象)とする」ことすら知らずに、よくもまあそんな恥ずかしい妄想コントをドヤ顔で書けたもんだなw

他人の言動を勝手に認識して「コイツがお前を見下してる」なんて具体的な思考・言語を発しているのは、100%お前の意識(第六識)のひとり言なんだよ。

末那識の所縁(対象)の区別すらつかず、自分の頭の中の浅薄な妄想劇を「我ながら、よく書けている(笑)」とか言って自画自賛してるの、マジで痛々しすぎて見てるこっちの顔が火吹くわ。電車の中でポエム書いてないで、頼むから唯識の入門書の一頁目から読み直してくれや、馬鹿w
584.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
お前がコダワッている

「表面意識からの種子を阿頼耶識が受け取り、それが末那識の影響を受けて、後にまた表面意識で現行する」

っていうのも、もちろん唯識の重要なシステムだが

それには時間がかかる

こんなスピードでは反応できない

↓

表面意識に対する末那識の影響ってのは、こんな感じ


自分 「末那識は表面意識に直接影響しないのである」

他人 「んなわけねえだろ(笑) 直接影響してるに決まってるじゃねえか」

末那識 (声にならない耳元へのささやき)「コイツは、お前をバカにして見下してるぞ。お前は坐禅を何千回もしてる凄い奴じゃないか。なんで、こんな奴にバカにされなきゃいけないんだ。お前の方が偉いんだぞ・・・」

自分 (激怒)「俺様をバカにしやがって、この野郎! 👺」
585.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
>>582
だから、末那識が意識に対して直接は影響しないだろ?

何故なら、末那識は常に阿頼耶識だけを対象としてるし、末那識と意識の間に種子の交換がないから。

日本語分かるか?
それともJBLは「ニホンゴ、ワカリマセーン」の人か?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
586.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
>>584
www

いやさぁ、JBLが目を血走らせて真顔で電車でその変な的外れのポエムを創作してる風景って、どんなんだよwww

周りの乗客がいつの間にか居なくなってたんじゃねーの?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
587.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
もしかして、その変な創作ポエムを作って、電車の中で一人「これで栖雲の野郎を論破したじょー!」ってニヤけてたの?

wwwwwwwwwwwwwwwwww

キンモーーーーーーーー😱!!
588.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
それって普通に 危ない人 だぞ?
589.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>585

いや、いま聞いてるのは、そこじゃない

お前が異常な執念でコダワッてる
「末那識は表面意識に直接影響しない」
ってのが、仮に事実だったとして

だから、どうだってんだ?

そこから、どういう結論が生じるんだよ?😂

そこを聞いている
590.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
お前が、なんでこんなことに、ここまでコダワッているのか

常人には理解不能だ😅

何なんだよ、いったい?

「末那識は、表面意識に直接影響しない」

もしもそれが事実だったとして、だからどうだってんだ?
591.
ユーザー
神も仏も名無しさん
OKBm2
仕事がエラーがらみで
今終わった、疲れた
😀
592.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
はいはいw

間違った前提(お前の脳内妄想コント)から導かれる結論は、「お前が唯識の基礎すら1ミリも理解してない馬鹿だった」、ただそれだけだよw

所縁(対象)すら分かってない奴に結論を理解できる頭なんて最初からないし、言い返せなくなって「だから何?」に逃げ込むの惨めすぎだなあw

総括すれば、お前が無知だったと証明されたことが結論だw
593.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
お前がコダワッている

「表面意識からの種子を阿頼耶識が受け取り、それが末那識の影響を受けて、後にまた表面意識で現行する」

っていうのも、もちろん唯識の重要なシステムだが

それには時間がかかる

種子→現行は、何年も、ときには何百年、何千年もかかることがある

それが唯識論という、インド人ならではの悠長な思想だ

それだけじゃ説明できないものがある

そこをカバーするのが、倶有依だ
594.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
>>593
まーた、デタラメかw
話を逸らしたいが為にデタラメを創作するのか?
595.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
xRDFt
ま、結論はとうの昔に出てる。
今回もお前が馬鹿だった事が改めて証明されただけ。

それでいいだろ?

これ以上は時間の無駄だしな😙
596.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
まあ、種子から現行まで、時間がかかるとは限らんけどな

同時ということもあり得るとされている

でも、通常は時間がかかる
597.
ユーザー
美魔女
rl7mu
日常の心の表面意識への影響という意味では間接的に現れます。


末那識がそのまま、「私が腹が立っている!、」となるのではなく第6識での判断や感情に対して自己防衛や優劣への拘りや自己正当化の形で影を落としますの。


ただし、唯識の理論上は遠くから影響するだけでなく末那識は阿頼耶識を直接の対象として恒常的に執着をする働きであり
その自己執着が第6識の認識や行為の土台を染めるのです。



ボイン🎵峰不二子です


598.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
>>597


うまくまとめたな?😅
599.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
末那識は、別名「染浄依」

染(ぜん):煩悩に染まった状態。自己中心的な見方や執着に傾くこと。

浄(じょう):煩悩から離れた清らかな状態。智慧や慈悲に基づく働き。

表面意識がこのどちらになるかを決めているのが、末那識だ

平等性智に転依すると、浄に変わる
600.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
600
601.
ユーザー
ゴリ子
Wdjk8
とりあえず、神の法則の愛に、仏教の慈悲にそって生きようとすると良い、との解釈でいい?
宇宙規模なざっくりだけど大体の理解。多分合ってるだろう 笑
602.
ユーザー
ハジ
KRIwc
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい
やさしくなりたーい
603.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
最も重要なことは、慈悲の心を身につけることだ
604.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
お腹を空かせた子猫を見て、慈悲の心が起きる

そのために、この世にいる
605.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
あの世には、お腹を空かせた子猫などいない
606.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
人間に慈悲の心を起こさせるために存在している
607.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
この世はハチャメチャな無理ゲーだ

よく、みんな頑張って生きてるよなあ(笑)
608.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
いや、そうでもないな

順調な人生を送ってる人たちを見ると

そんな難しそうに見えない😅
609.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
まあ、いくら順調な人生でも

大変っちゃあ大変だが

超エリートだったけど、過労で早死にした友人もいるし
610.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rXnLt
一切皆苦

この諦念は、現代日本の快適な都市生活から生まれたものではない

古代インドの、真っ暗な夜の森林の中で、ブンブン飛ぶ蚊の羽音や、遠くから聞こえる猛獣の唸り声の中で生まれた
611.
ユーザー
神も仏も名無しさん
I391V
>>609
程よい加減て宗教研究
お互いに程よいゆとり生活ですな
😀
612.
ユーザー
ハジ
KRIwc
汚泥から花咲く蓮
613.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
聖ウンコ師は、普通の唯識マニアならスルーするような

ポイントがズレた妙なところにこだわるから

ある意味、新鮮な視点を提供してくれる(笑)
614.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
大好きな「現量」とかも

あんなにコダワる人は他にいない😅
615.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
だから、こちらもつられて

現量とか比量とかに、妙に詳しくなった

ある意味、聖ウンコ師のおかげだ
616.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
現量とか比量とか

どの解説書を見ても、数百ページの中の2ページくらいだな

それくらいマイナーなテーマ

聖ウンコ教では、唯識論の半分くらいを占めている😅
617.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
禅宗系の人に共通する傾向として

「我執」を軽視している

気の持ちようでなんとでもなるような、
表面意識の気分の問題としか見ていない
618.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
現量とか比量とか仏教用語にあるんですね。
教えて頂きありがとうございます♪
知らなかった。
619.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
このため、「末那識」がピンと来ない人が多い

禅宗系の人が唯識論について発言してるのを見ると

聖ウンコ師に限らず、どの人もそうだ

「末那識の我執」がピンと来ていない
620.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>618

マイナーなので、マニアしか知らないけど😅
621.
ユーザー
ハジ
KRIwc
我執バンザイの、ロンとかなw
622.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
この考え方、そして単語がある。
やはり阿頼耶識を知った方々な仏教用語だと私は思いました。それが(一応)共通認識な単語に成り立ってるのなら知っている人は受け継いできたのだろうな。
623.
ユーザー
ハジ
KRIwc
でもさ、お釈迦様の話で、世の中で己より愛しいものはないってゆーのあったよな
624.
ユーザー
ハジ
KRIwc
目の見えない弟子がだれか針を通してくれないか?
とゆーたら、それを手にとったのは、お釈迦様でした
625.
ユーザー
ハジ
KRIwc
師にしてもらうのは畏れ多いってゆったら
お釈迦様がわたしにも徳を積ませてくれ、わたしよりも、私を愛しているものは、ほかに誰もいないみたいな?
626.
ユーザー
ハジ
KRIwc
ほかにも、王様が奥さんに自分より愛しいものはあるか?
と、問うたら、ない
これはおかしな考えかもしれないとお釈迦様のとこへいったら、だれもがそうだと、だから、他人にとっては、その、自分が1番愛しいとゆーことを知っておるのだから、たいせつに
627.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>622


そうなのだ

こういう仏教用語に慣れ親しんでいる人にとっては、難しい話ではない
628.
ユーザー
ハジ
KRIwc
こーゆー話を聞くと、己を愛するからそこ、人に尽くしなさいって感じで、己を愛することを否定していないと思うよ
629.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
己れさえ愛せないものが本当の意味で他者を愛せるのだろうか?な例え話かな。
量とは測る比較する、らしい。ならその基準。
630.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
インド人は、我が強くて論争好きな人が多い

そこから生まれたのが、仏教やヒンドゥー教だ
631.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
徹底的に、『私』にこだわる

それが、インド流
632.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
>>631
日本流とはどんなのなんですか?
633.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
「森林の中で、1人で過ごせ。
外界への関心を断ち、自分自身に意識を集中せよ」

もともと、そんな教えだ
634.
ユーザー
神も仏も名無しさん
I391V
>>633
森を見て、仕事の集中力の準備をする俺は
😀
635.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>632

日本人には、「滅私奉公」の伝統がある

日本人が「無我」と聞くと、「自分を無にして、皆のために働くこと」みたいな意味に取る人が多い

インド思想で言ってるのとは、ちょっと主旨が異なる
636.
ユーザー
ハジ
KRIwc
南無阿弥陀仏
637.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
聖徳太子様じゃなかったんですか?
和を持って尊しとなす。
全く違いますね?
638.
ユーザー
ハジ
KRIwc
蘇我馬子と組んで物部守屋を打ち倒した
639.
ユーザー
ハジ
KRIwc
それが無ければ今でも日本は、かんながら、さちわいたまえ
640.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>637

和を以て貴しとなすは、まさに日本人そのもの
641.
ユーザー
ハジ
KRIwc
本願寺顕如VS信長
642.
ユーザー
神も仏も名無しさん
I391V
>>635

俺的には、まず破壊
😀

しかし、
ネルケのいた安泰寺は肉体農作業ヘルらしいー
昔の中国宋時代までの禅僧を理想としているのだろう
😀
643.
ユーザー
ハジ
KRIwc
和をもつどころか秀吉様の降臨までの日本ときたらw
644.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>639

う~ん、神道には、教義らしい教義がないからな~😅

真言宗系の両部神道と、天台宗系の山王神道から、本格的な神道の歴史が始まる

どっちにしても、仏教の時代になるのは時間の問題だったのでは
645.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>643

室町時代はリアル北斗の拳😅
646.
ユーザー
ハジ
KRIwc
日野富子がヤバかったらしいw
647.
ユーザー
ハジ
KRIwc
江戸時代になって、初めて、日本とゆー国ができた
648.
ユーザー
ハジ
KRIwc
それまでは永遠のころしあい
649.
ユーザー
ハジ
KRIwc
戦乱に次ぐ戦乱
650.
ユーザー
神も仏も名無しさん
I391V
安泰寺最新動画で
今住職含めて四名だけ残っている
多くは肉体農作業ヘルで、
やめていくらしい😮
651.
ユーザー
ハジ
KRIwc
著名な僧侶が悟りが近いと言って野宿してすぐに勘違いでしたと謝った伝説を思い出した
652.
ユーザー
ハジ
KRIwc
農作業ならウチのオカンの方が上かもしらんな笑
653.
ユーザー
ハジ
KRIwc
やーまのかーみー
うーみのかーみー
ことしーもお、ほんとに、あーりがとおおお
654.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
言っとくけど

唯識論とか、倶舎論とか

別に、わかる必要ないから(笑)
655.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
こんなの、一部のマニアがやってれば十分😅
656.
ユーザー
ハジ
KRIwc
むずかしいことはわからんw
657.
ユーザー
ゴリ子
d1hRI
>>654
だって実践でも無い取説やろ?読むのはマニアな賢い人と相場は決まってます。
658.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
>>657

いや~、そうでもないんだけどね~😅

できれば、解ったほうが良いのは間違いない
659.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
ウンコ聖師が、もうちょっとマトモだったらな~😫

あんな、「難しい話をしてるところを人に見せて感心されたい」という

知的コンプレックスが動機でやってる人では

ただでさえ難解な話を、ますます意味不明にする
660.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
ウンコがしゃしゃり出てくると

本当に話がややこしくなる😫
661.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
いや、でも、やっぱり

別に解る必要ないな😅

唯識論や倶舎論が解らないからといって、
仏教が解らないかっていったら

別にそんなこと無い
662.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
倶舎論や唯識論はともかく

初期仏教は、ホントは難しくないんだよな~
663.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
なんで、これが難しい話になってしまうのか
664.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
やっぱり、天台宗とか真言宗とか

そのあたりの話をしたほうがいいのかも?
665.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
天台教学ったって

ほ~かい師匠のは、AIを駆使して長いこと取り組んでいるから

話が専門的になりすぎてるな😅
666.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
666👿
667.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
でも、このスレで当方がやってるみたいに

自分でもよくわかっていない「四念処」の話とかをしても
668.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
自分も手探りで進んでるのだから

わかりやすく語れるはずはない
669.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
やっぱり、こういうのは

自分がわかってないとな~😅
670.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
だんだん解ってきたけどな
671.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
質問:

実際のところ

初期仏教では、四念処をやっていたのか?
672.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
チャットGPT:

実際のところ、初期仏教では四念処を実践していた。

ただし、現代の「四念処の瞑想」と、
釈尊の時代に行われていた修行が、
細部まで同一だったかは別問題だと思う。

ここは、経典に書かれていることと、
歴史的にどこまで確認できるかを分けて考えると、
かなり見通しがよくなる。
673.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
1. 経典上は、四念処は明確に存在する

代表的なのが、パーリ仏典の『念処経』(MN 10)と『大念処経』(DN 22)だ。

四念処は次の四つ。

身念処:身体を身体として観察する。呼吸、姿勢、身体の動きなど。
受念処:快・苦・不苦不楽という感受を観察する。
心念処:貪欲がある心、怒りがある心、集中した心など、心の状態を観察する。
法念処:五蓋、五蘊、六処、七覚支、四諦などを観察する。

特に重要なのは、四念処が単なるリラックス法や、呼吸に集中するだけの瞑想ではないことだ。

身体や感受や心の状態を観察し、執着や煩悩がどのように生じるかを理解し、解脱へ向かう修行体系になっている。
674.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
実際、経典研究者のアナラヨー比丘らは、パーリ経典だけでなく、中国語訳の並行経典なども比較している。『念処経』については、古い修行伝統を多く含みながら、現在のまとまった形に編集されたのは比較的後の段階かもしれないという研究上の論点がある。

ここで区別したいのは、次の二点だ。

身体・感受・心・諸法を観察する修行が、初期仏教の古い伝統に属すること。

それらを「四念処」という四分類にまとめ、現在の経典と同じ順序・内容で体系化した時期。
前者と後者は、必ずしも同時ではない。
675.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
3. では、釈尊の弟子たちは何をしていたのか?

四念処だけを特別視するよりも、初期仏教の修行全体を見る必要がある。

たとえば、呼吸への気づき、身体の不浄観、無常の観察、五蘊への執着の観察、縁起の理解、禅定など、複数の修行法が存在していた。

そして四念処の経典自体も、単に心を観察するだけではない。法念処では五蓋・五蘊・六処・七覚支・四諦まで扱う。つまり、観察の実践と仏教の教理が結びついているわけだ。
676.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
4. 先ほどの倶舎論の話につなげると

ここが面白いところだね。

君が指摘したように、説一切有部では心所法の分析が精緻化され、倶舎論では心と心所の関係が詳細に論じられる。

ただし、これを単純に「四念処が発展して心所法になった」とするのは正確ではない。

むしろ、次のように整理するのがよいと思う。

初期仏教の四念処:身体・感受・心・諸法を観察し、苦の発生と滅を理解する実践。

説一切有部のアビダルマ:経験を構成する法を分類し、その性質・作用・因果関係を分析する教理体系。

倶舎論の修道論:そうした法の分析を踏まえ、四諦の理解や四善根などを通じて智慧を深める道筋を論じる。

両者には密接な関係があるが、アビダルマの体系化には、四念処以外の経典伝承や分析的な教理発展も関わっている。
結論としては、四念処は初期仏教の重要な修行法だった。ただし、釈尊の時代にすでに現在の経典とまったく同じ完成形だったかは、確定できない。
そして君の関心に引きつけていえば、四念処の実践的な観察と、アビダルマの精密な心の分析は、別々のものというより、共通する問題意識を持ちながら異なる方向へ展開したもの、と考えるのが妥当だろう。
677.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
やっぱり、難しいな

この話😅
678.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
自分はだいぶ慣れてきたので

もう難しくなくなってきたけど

慣れない人には無理だ
679.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
だから、前スレで終わらせたかったんだよ
680.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
でも、四念処が中途半端だった
681.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
この話を簡単にすることって

デキるんかな?
682.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
無理じゃないかなあ
683.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
よく、

「初期仏教はシンプルだった。
後の倶舎論・中論・唯識論が、
仏教を難しくした」

っていう人がいるけど
684.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
初期仏教だって

マニアじゃない普通の人には、十分に難しいな
685.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
ていうか、むしろ

初期仏教が一番、難しいかもしれん
686.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
「邪馬台国はどこにあったか?」

「卑弥呼はどういう人だったか?」

というのと同じで

ブッダは実在したかどうかも定かでない

架空説が絶えない人物

そんな人が、「本当はどんな教えを説いていたか?」なんてなあ
687.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
確定できるわけがない

解釈の余地が大きすぎて、論争が絶えない
688.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
皮肉なことに

「論争するな」とひたすら繰り返す、スッタニパータも

ナゾが多すぎるため、激しい論争を引き起こしている
689.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
DoGTZ
邪馬台国の話など、ほどほどにしといた方がいいのと同じで

初期仏教の話も、ほどほどにしといたほうが良い
690.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
初期仏教の話で避けて通れないのは

「輪廻転生」を巡る論争だ
691.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
倶舎論や唯識論の場合は

明らかに、輪廻転生が理論体系にビルトインされている

輪廻転生が嫌いな人は、最初から手を出さないからいい
692.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
中論の場合は

輪廻転生を認めない人にとって居心地がいい

作者の龍樹が、「輪廻転生について」という章を設けて、詳細に語ってるのは皮肉だが😅
693.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
だが、初期仏教の場合は

輪廻転生に対するスタンスが謎めいているため、論争になりやすい
694.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
このスレを4までやって、解ったことは

「初期仏教も、マニアでない人には難しい。
倶舎論や唯識論の話と大差ない」

ということだ😅
695.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
四諦、八正道、四念処

どれも簡単ではない

しかも、「そんなの後世の人が追加した教義だ」という人が必ず現れる
696.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
無理のあるテーマだ
697.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
四念処も、身念処だけだったら、難しくないが

受念処、心念処と進むにつれて難解になる
698.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
法念処に至っては、かなり難解だ
699.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
仏のスレ主のとこの老師が

身念処だけに特化する指導してるのも、うなずける
700.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
700
701.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU

気づきの瞑想・観察する瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、「身受心法」の四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)のことです。

えん坊&ぼーさん

2020年10月6日 07:50

四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)

「四念処・しねんじょ」は(玄奘以降の新しい漢訳では「四念住・しねんじゅう)とも呼ばれます。

真理とは真逆の間違った考え方の、四顛倒(してんどう)の

「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。

ありのままに自分を観察する瞑想で、

気づきの瞑想、観察する瞑想、ヴィパッサナー瞑想のことになります。

702.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
この、四念処の瞑想は、経典の中では、

「身受心法」(しんじゅしんほう)の教えで、

ブッダの説法がよくでてきます。

次に、身受心法を見ていきましょう。

703.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
身受心法(しんじゅしんほう)

・身念処(しんねんじょ)・身念住(しんねんじゅう)
「身体について」からだをよく観察をして、

「身体は不浄」であることをみる(気づく)瞑想です。

これは、「不浄観」(ふじょうかん)と表現されていて、

自分の身体は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、

身体で接触して感受するものすべて、

はかない「一切皆苦」(いっさいかいく)の煩悩になることを、

観察の瞑想をして洞察していきます。

その自分の身体の五識(ごしき)「目、耳、鼻、舌、身体」を如実に観察します。

・
704.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)

「心について」、心をよく観察して、
「心は無常」であることをみる(気づく)瞑想です。

これは、

五蘊で成り立つ自分の考え方を形成していく「行」(ぎょう)は常に変化するものである「諸行無常」(しょぎょうむじょう)であると如実に観察します。

その自分の心を如実に観察します。

経典では、

貪りのある心を「わたしの心は貪りをもっている」と知る。
貪りを離れた心を「わたしの心は貪りを離れた」と知る。

怒りのある心を「わたしは怒りの心をもっている」と知る。
怒りを離れた心を「わたしは怒りの心を離れた」と知る。

と表現されています。
705.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)

「もろもろの事象・法について」、
もろもろの事象・法をよく観察して、
「あらゆる物質は無我」であることをみる(気づく)瞑想です。

これは、

三法印(さんぼういん)の「諸法無我」(しょほうむが)を如実に観察することです。

経典での表現のされかた
四念処・四念住の「身受心法」は原始仏典には、

「よく気を付け、
熱心に正しく自覚し、
落ち着いて過ごし、
世間の貪り憂いを克服すべき」

とでてきます。
706.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
「念」(ねん)はパーリ語でサティ(sati)で

①記憶(教えを)する。

②心が散漫になったりしないように注意力を促す。

③四念処(サティパッタ-ナ)の常に無常・苦・無我を念頭に置く

の意味があります。

大念処経を読むと四念処の理解がふかまります。
707.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU

> 四顛倒の「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。


なるほど

常・楽・我・浄の反対

無常・苦・無我・不浄の瞑想か
708.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
もう、開き直って

難しい話で埋めるしかない
709.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
五蓋(ごがい)とは、仏教において瞑想や坐禅、悟りへの心を覆い、修行や精神統一を妨げる5つの煩悩(障害)のことです。

五蓋の内容

貪欲蓋(とんよくがい):目に見えるものや快楽、欲望への強い執着やむさぼり。(節分の赤鬼のルーツとも言われます)

瞋恚蓋(しんいがい):怒り、憎しみ、不満といった敵意や不快感。(節分の青鬼)

惛沈・睡眠蓋(こんじん・すいめんがい):心の沈み込み、倦怠感、眠気や気力の低下。(節分の緑鬼)

掉挙・悪作蓋(じょうこ・おさがい / じょうげがい):心がそわそわと浮ついて落ち着かないこと(掉挙)、過去の失敗や過ちを悔やむこと(悪作)。(節分の黄鬼)

疑蓋(ぎがい):教えや自分、実践に対する疑いやためらい、確信が持てない状態。(節分の黒鬼)
710.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
六処(ろくしょ)とは、仏教において人間が外界を認識するための6つの感覚器官(六根)、またはその認識の対象(六境)のことです。六入(ろくにゅう)とも呼ばれます。

六処の内訳(六根:六つの感覚器官)

人間が世界を感じ取るための6つの器官を指します。

眼(げん):視覚器官(目)

耳(に):聴覚器官(耳)

鼻(び):嗅覚器官(鼻)

舌(ぜつ):味覚器官(舌)

身(しん):触覚器官(体・皮膚)

意(い):意識・思考を司る心(思考器官)

関連する仏教の概念

六境(ろくきょう / 六つの認識対象):眼・耳・鼻・舌・身・意がそれぞれ捉える対象(色=視覚対象、声=聴覚対象、香=臭い、味=味覚、触=触感、法=思考の対象)

十二処(じゅうにしょ):6つの感覚器官(六根)と、その対象(六境)を合わせた12の要素のこと。

十二因縁(じゅうにいんねん):苦しみが生まれる因果の仕組み(第5番目の支分として「六処」が登場します)。


711.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
五取蘊(ごしゅうん)とは、仏教において人間を構成する5つの要素(五蘊)に、煩悩による執着(取)が伴ったものの総称です。

五つの要素(五蘊)の内訳

人間の肉体と精神は、以下の5つの「積み集められたもの(蘊)」に分類されます。

色蘊(しきうん):物質的なもの。肉体やその器官。

受蘊(じゅうん):感受作用。苦痛、快楽、どちらでもないという感覚。

想蘊(そううん):表象作用。外界のものを知覚し、概念化する働き。

行蘊(ぎょううん):意志作用。心に浮かんだ思いをもとに行動しようとする心的作用。

識蘊(しきうん):認識作用。対象を心で識別する、根源的な心のはたらき。


「五蘊」と「五取蘊」の違い

五蘊:人間を形作っている単なる5つの構成要素(心身の事実)。

五取蘊:その5つの要素に対して、「これは自分のものである」「こうありたい」と強い執着(取)を起こしている状態。

仏教では、この五取蘊があるがゆえに、思い通りにならない苦しみ(五陰盛苦など)が生じると説かれています。

712.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
七覚支(しちかくし)とは、仏教において悟り(覚り)に至るために実践・育成すべき7つの要素(菩提分法)のことです。別名「七菩提分(しちぼだいぶん)」や「七等覚支(しちとうがくし)」とも呼ばれます。


七つの覚支

念覚支(ねんかくし/sati)

今、自分の心や身体、感覚に何が起きているかをしっかりと気づき、忘れないこと(正念)。

択法覚支(ちゃくほうかくし/dhamma-vicaya)

真理(法)や善悪を見極め、智慧によって正しいものを選び取ること。

精進覚支(しょうじんかくし/viriya)

たゆまめず、熱心に正しい努力を続けること。

喜覚支(きかくし/piti)

法を実践し、心が向上していく過程で生じる清らかな喜びや充実感。

軽安覚支(きょうあんかくし/passaddhi)

喜びや静けさによって、心身の緊張が解け、軽やかで穏やかな状態になること。

定覚支(じょうかくし/samadhi)

心が1つの対象に深く集中し、乱れず落ち着いている状態(三昧)。

捨覚支(しゃかくし/upekkha)

執着や偏りがなくなり、平穏で揺るがない平等な心(捨)に至ること。


特徴

順序性・連動性:これらはバラバラに存在するのではなく、念から始まって段階的・ドミノ式に互いを支え合いながら深まるとされています。

止観(しかん)のバランス:『瑜伽論』などの解釈では、択法・精進・喜が「観(よく観察する働き)」、軽安・定・捨が「止(心を鎮める働き)」であり、念がその両方を仲立ち・包摂すると説かれています。

713.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU

初期仏教の代表的な『念処経』(MN 10、DN 22)では、
法念処は五つの観察領域から構成されている。

五蓋
欲、怒り、眠気、掉挙・後悔、疑いがあるか。どう生じ、どう捨てられるか

五取蘊
身体・感受・認識・心の形成作用・識が、どのように生起し消滅するか

六処
感覚器官と対象との接触、そこから生じる束縛

七覚支
念、択法、精進などの覚りに向かう要素が、どう生じ、発達するか

四諦
苦、苦の集、苦の滅、苦の滅に至る道を理解する
714.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
ここで注目したいのは、五蓋や七覚支も、ただ暗記する項目ではないということだ。

例えば、怒りが生じたときに、
怒りが存在していると知る。
怒りが生じた原因や条件を見極める。
怒りが消えることを知る。
再び怒りが生じないようにする方法を知る。

こうした観察は、法念処の実践に通じる。

つまり、心念処が「いま怒りのある心だ」と観察するのに対して、法念処は「その怒りはどのような条件で生じ、どうすれば消え、再発を防げるのか」と、仏教の分析枠組みに沿って観察する、という違いが見えてくる。

もちろん、両者は排他的ではない。実際の修行では重なり合う。
715.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
難しいな、これ
716.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
やっぱ、難しいわ
717.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
倶舎論や唯識論と大差ない
718.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
マニアの自分には、難しいと感じられないが
719.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
非マニアには厳しいな😅
720.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
五蓋(ごがい)そのものは節分の鬼の実在のモンスターや妖怪ではありませんが、現代の節分で語られる「5色の鬼が象徴する煩悩(心の中の悪いもの)」のたとえ(由来)として広く結びつけられています。

721.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
少し違うと思います。カッパは教わらなくとも泳げる。そんなものだろうな。
722.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
節分の鬼と五蓋の関係

• 五蓋とは:仏教において、心の静まりや修行を妨げる5つの障害(煩悩)のことです。

• 5色の鬼との対応づけ:現代の節分の解説では、赤・青・黄(白)・緑・黒の5色の鬼に、それぞれ五蓋が当てはめられています
723.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
赤鬼 貪欲(どんよく:強い欲望・欲張り)
青鬼 瞋恚(しんに:怒り・憎しみ・悪意)
黄鬼(白鬼) 掉挙・悪作(じょうこ・おさ:心の中の動揺・後悔・わがまま)
緑鬼 惛沈・睡眠(こんちん・すいめん:怠け心・不健康・倦怠感)
黒鬼 疑(ぎ:疑い心・愚痴)
724.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
本来の節分の鬼との違い

節分のルーツである宮中行事の「追儺(ついな)」や、鬼のイメージ(角や虎のパンツ)は、もともと中国の陰陽道や、病気・災害といった「目に見えない災厄・邪気」から来ています。

「5色の鬼=五蓋」という結びつきは、あとから仏教の教えになぞらえて説明されるようになった解釈の一つ(現代の俗説・慣例的な意味づけ)とされています。
725.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>722
泳いだ後から取説を読む。賢い人はそんなふうに書けるんだ⁈的な感じだと思いました。
726.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QIYPU
>>721

プラトンのいう「想起」ですな

生まれる前から知ってたことを、思い出すだけでいい😅
727.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>726
それを阿頼耶識と解釈されても当たらずとも遠からずなのかな。
アカシックレコードやら何やらと分からないですが古今東西全て同じものから。
だからこそ曼荼羅。
728.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>727
文字にすると国や時代や習慣やらで受け取られ方が全く変わる。だからこそ曼荼羅図。
私の思うものと違うのか根本が同じなのか。そこら辺は全く分からないですが、的に思っております。
729.
ユーザー
夕
dfZPg
なんかすごいな。燃えているねw

美魔女氏の比較が分かりやすいんじゃないかと思った。

495.
美魔女
i2Zae(2/4)
末那識は自分という感覚にしがみつく心です、阿頼那識は経験や行為の痕跡が蓄えられる深い心です、末那識は阿頼那識がこれが自分だあと間違って捉える働きです、つまり、阿頼那識が土台にありその上で末那識が自己執着を起こす形ですねえ。

498.
美魔女
i2Zae(3/4)
末那識は我執を生む心です、阿頼識は種子を蔵する深層の心です、
阿頼那識は過去の影響や経験や行為の影響を蓄える根底の意識です、
末那識はその深層を自我として握り締める働きです

495では、

末那識は自分という感覚にしがみつく心です。
末那識は阿頼耶識をこれが自分だと間違って捉える働きです。
と言っている。

498では、

末那識は我執を生む心です。
末那識はその深層を自我として握り締める働きです。
と言っている。

違いは何かというと、

495は結果から説明している。
自分という感覚
自己執着
という、我々が体験する側から説明している。

一方498は、
我執を生む
自我として握り締める
という、唯識の構造説明に寄せている。

495は既に「自分」が成立しているように聞こえることです。

唯識では、

自分がある
↓
自分に執着する
ではなく、

阿頼耶識を我と誤認する
↓
我見・我愛が生じる
↓
「私」が成立する

という順番になる。



730.
ユーザー
夕
dfZPg
唯識は修行体験から生まれた思想である。阿頼耶識は記憶や業の相続を説明するための概念であり、末那識は「私が」という主観の成立を説明するための概念として構想されたのだろう。

また現代人の視点から見ると、阿頼耶識は無意識や記憶の貯蔵機構のようにも見える。そのため私は、当時は脳の構造が分からなかったので、その働きを説明する概念として阿頼耶識が立てられた側面もあるのではないかと感じている。

さらに私が末那識に関心を持つのは、雑念が静まっても「私が」「私の」という感覚がなかなか抜けないと思うからである。そのため末那識は「思量識」というより、「これが私だ」と取り続ける私識として理解した方が、現時点の私には分かりやすく感じられる。

もちろん、これが唯識の正しい理解だと言いたいのではなく、現状の私はこのように感じているということである。
731.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
なるほど、
JBLの言う仏教学の輪廻論争は凄いのだな?

俺は如実知見ベースなので、
輪廻否定に固執するのは問題だろな感はあるが、
😀
https://m.youtube.com/watch?v=qc1jjpcKWNw&t=824s
732.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
>>730
テーラワーダや倶舎論の
自己心理分析だろう
😀
733.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
>>715
禅定できれば
簡単だ😀

変なヤツラに釣られなくなる
😀
734.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
そうだ

瞑想すればいいんだよ
735.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
やってる人にとっては

すぐにピンとくる話だ
736.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
昨日、気づいたんだが

唯識論でいう「四如実智観」ってのは

「4つの如実知見」だな😄
737.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
四・如実智・観

このように区切ると分かる😅
738.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
いまごろ気づくのは遅いが(笑)
739.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
四尋思観/四如実智観

これは、唯識論の実践編だ
740.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
理論体系というイメージが強い、倶舎論と唯識論だが

じつは、理論編と実践編から成っている
741.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
初心者向けの解説書を読んでも

理論編でページ数が尽きるため

実践編については、ほとんど書かれていない
742.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
ま、哲学肌では仕方がない😀


しかし、動画で曹洞宗良寛の書を見ると伸びやかだ

師匠や臨済宗僧侶の鍛えた人の書は
割合気迫がある😀
743.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
>>741
俺は禅を極めていく前あたりに
日本人のテーラワーダの実践の本を読み尽くした、潜在意識的に
かなり臨済宗修行のベースになった

たぶん、それくらい、達磨が中国で小乗寺院にしかいないと、論文で読んだが、
それは確かな気がする😀
744.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
テーラワーダは入力自己観察たが

禅は、出力同時になる
😀
745.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
唯識まては自己観察ベースだな

天台でも小止観は入力的な自己観察はある
自己観察よりも
出力同時がメインになるのが
華厳真言禅あたりだ
😀
746.
ユーザー
夕
dfZPg
阿頼耶識を我と誤認する

問題は誤認なんだよ。

更に突き進めれば、問題は誤認ではない。

誤認と呼ばれる構造がどう成立するかだ。
747.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
>>746

誤認するのは自己洞察が欠けるから
😀
748.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
ギャンブル中毒などの依存症は
自己洞察した形跡はゼロ
そんなのが輪廻感なんだろな
😀
749.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>748
どゆことかもう少し違う角度で教えてもらってよいでしょうか?
750.
ユーザー
麦◆MUGITANx95Dj
8Hse7
>>729
∞ノノハ∞
川^○^ハレ美魔女さんは分かりやすくよく纏められていますね

そして栖雲居士のフォローで末那識は意であると明確になりましたね

栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
PqsfK(16/28)
こころって、瑜伽行唯識学派では以下の様に使い分けるけどな。

心(阿頼耶識)・意(末那識)・識(意識)
2026/10/13
751.
ユーザー
神も仏も名無しさん
NV7Fb
>>749
他人とか人間関係の苦しみには
それなりに苦しむ自己の心理の、原因結果の流レが解っていないから
的確な判断チョイスできなくなるとおうこと😀
752.
ユーザー
麦◆MUGITANx95Dj
8Hse7
∞ノノハ∞
川^○^ハレ

>末那識「聞こえない通奏低音・無声のささやき」

鹿野園さんとJBLとサティさんも居たと思ったけど何年も前の2ちゃんの頃からの命題ですねwww
753.
ユーザー
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
Eej3P
> 誤認と呼ばれる構造がどう成立するかだ。

「末那識の倶なる薩迦耶見は任運に一類であり恒に相続して生ずるから」ってある(『成唯識論』四)な。
つまり、末那識そのものに我意識はなく、倶有依の薩迦耶見が原因という事。

そして護法説であれば「末那識は阿頼耶識の見分を縁じて我となす」ってあるな。
つまり、一類相続(=阿頼耶識の見聞)する阿頼耶識を常・一・主・宰なるatmanを錯視してるってことだな。

まとめると・・・

末那識中に一類相続する阿頼耶識を常・一・主・宰なるatmanと錯視する薩迦耶見が生じるから

ってところかな。
754.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
麦はハッスル🤡を呼んでい魔界😱
755.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
確かに

なぜか、同時に現れることが多いな😅
756.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>751
堂々巡りなのでしょうか。何度も同じ選択、何度も同じ失敗、形を変えた同じ過ちを繰り返すみたいな感じかな。
先へ流れずに澱むから濁る、かな。
757.
ユーザー
神も仏も名無しさん
NV7Fb
麦はアホのまま成長しないのだろう
ハッスル🤡と同じよーに
😅
758.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
お釈迦様の在世時には

絶対、こんなに項目が多くなかった

間違いない😅
759.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
三十七道品

三十七道品(さんじゅうしちどうほん)とは、初期アビダルマの時代に体系化された、仏教において菩提(悟り)に至るための三十七の修行法(修習・実践)のこと。

菩提分法(ぼだいぶんぽう、巴: bodhipakkhiya dhamma)、三十七法(sattatimsa dhamma)三十七品、三十七分法、三十七菩提分法(sattatimsa bodhipakkhiya dhamma)、三十七覚分ともいう。

四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる。
760.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
桐山靖雄がパクって、阿含宗の教義体系の中心に据えたおかげで

かなり有名になった
761.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
どうしても、初期仏教というより

阿含宗の教義に見えてしまう😅
762.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
「四念住」は、このスレでいつも話している「四念処」と同じ

「八正道」は、仏教に関心ある人なら、誰でも知っている
763.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
あとの25項目については、知る必要はないだろう

よほどのマニアか、阿含宗の信者でもない限り😅
764.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
それにしても、項目が多すぎる

桐山密教の信者の頭で、処理できる情報量と思えない😅
765.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
>>760

グーグルAI:

その通りです。新宗教団体である「阿含宗(あごんしゅう)」の開祖、桐山靖雄(きりやま やせいゆう)氏は、まさにこの「三十七道品」を教義の中核に据え、「七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)」として大々的にアピールしていました。

仏教史や日本の宗教ビジネスという観点から見ると、彼のこのアプローチには非常に巧妙な「戦略」と特徴的な解釈がありました。
766.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
1. 「小乗」と蔑まれていた『阿含経』の逆張り

当時の日本仏教界では、大乗仏教が主流であり、原始仏教の経典である『阿含経(あごんきょう)』は「小乗仏教の低い教え」としてあまり重視されていませんでした。

桐山氏はこの状況を逆手に取り、「大乗仏教には観念論(理論)しかなく、人間が実際にブッダ(聖者)になるための具体的な実践システムは、お釈迦様が直接説いた『阿含経』の七科三十七道品にしか書かれていない」と主張しました。これが彼の教義の最大のセールストーク(ネタ)でした。
767.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
2. 現代風への「言い換え」とキャッチコピー化

桐山氏は、難解な仏教用語を現代人に分かりやすいビジネス書や自己啓発本のような言葉に翻訳するのが天才的に上手な人物でした。

彼は三十七道品を、「ブッダ(天才・超人)になるための7つのシステムと37種類のカリキュラム」と表現しました。これにより、古臭い修行のイメージを「人間の脳を改造し、潜在能力を開発する最新のシステム」のように見せることに成功しました。

768.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
3. 因縁解脱と霊魂崇拝への結びつけ

本来の仏教における三十七道品は、自身の「心の観察」や「執着を捨てること」に主眼がありますが、阿含宗ではこれを「カルマ(悪因縁)を断ち切り、運命を最高のものに変える成仏法」としてパッケージ化しました。

「これを修行すれば、生きている者は運命が好転して超人(ホモ・エクセレンス)になれる。亡くなった先祖にこの法を施せば、悪霊(不成仏霊)が解脱して守護霊になる」と説き、日本人が受け入れやすい「先祖供養」や「現世利益」の欲望に直結させたのです。
769.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
4. カリキュラムの「密教化」という矛盾とアレンジ

面白いのは、桐山氏が「阿含経(原始仏教)こそが唯一の正法」と叫びながらも、実際の修行やイベント(有名な「阿含の星まつり」など)では、ド派手な密教の護摩を焚いたり、超能力(念力)的な要素を強調したりしていた点です。

伝統的な仏教界からは「原始仏教の三十七道品を、後期大乗仏教である密教の様式でやるのは教義的に矛盾している」といった批判(インチキ密教論争など)も多く起きました。
770.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
仏教の古典的な修行セットである「三十七道品」に目をつけ、それを「超能力開発・運命転換のプログラム」として高度に商品化したのが、桐山靖雄氏の宗教的プロデュースだったと言えます。

阿含宗の教義や、当時の新宗教ブーム(精神世界・オカルトブーム)における桐山靖雄氏の他のアプローチ(超能力、ホモ・エクセレンス、密教との関係など)について、さらに詳しく知りたい部分はありますか?
771.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
>>767

> 桐山氏は、難解な仏教用語を現代人に分かりやすいビジネス書や自己啓発本のような言葉に翻訳するのが天才的に上手な人物でした。


若い頃は、プロの詐欺師だった

詐欺罪で何度も逮捕され、獄中でクンダリニーヨーガに覚醒した

出所後は、詐欺師稼業で鍛えた弁舌を活かし、新興宗教教祖になって大成功 🎊
772.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
>>771

グーグルAI:

おっしゃる通り、桐山靖雄氏の「裏の顔」や「前歴」に注目すると、彼の天才的なビジネスセンスや弁舌のルーツがどこにあったのかが非常によく分かります。このあたりのダークな経歴は、新宗教の歴史を語る上でも有名なエピソードです。
773.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
1. 華々しい「前科」の数々

桐山氏(本名・堤眞壽雄)は、宗教家として大成功する若い頃、実際に何度も警察に逮捕されています。

詐欺や手形詐欺(昭和20年代):戦後の混乱期に闇屋などを営みつつ、詐欺容疑で複数回逮捕されています。

偽ビールの密造(昭和28年):特に有名なのがこれで、本物のキリンビールの空き瓶に、自作の密造酒を詰めて「偽キリンビール」として製造販売していました。これにより酒税法違反や私文書偽造などの容疑で逮捕され、実刑判決(懲役1年6ヶ月)を受けています。
774.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
2. 獄中での「覚醒」というストーリー

彼は1959年頃に習志野刑務所に収監され、約1年間服役しました。

この獄中生活の中で、彼は自殺を考えるほどの絶望を味わう一方、ヨガや精神世界の修行に没頭したとされています。そこで「クンダリニー(体内に眠る根源的なエネルギー)が覚醒した」、あるいは「本尊から啓示を受けた」という体験を、出所後に自らの「神秘的なハク付け(ストーリー)」として利用しました。
775.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
3. 詐欺師のスキルを「宗教ビジネス」へフル活用

出所した翌年(1960年)に得度し、本格的に宗教の世界へシフトしていきます。ここで「元プロ」としての手腕が遺憾なく発揮されました。

人心掌握の弁舌:相手が何を欲しがり、何に恐怖するか(カルマ、先祖の祟り、人類滅亡など)を察知し、巧みなトークで財布を開かせる技術は超一流でした。

「仕掛け」による演出:信者からの未開封の手紙をアルコールで透視して言い当てるような「手品(トリック)」を使い、自らを「超能力者」として演出したとも言われています。

戦後のオカルト・精神世界ブームを巻き起こし、後にオウム真理教の麻原彰晃をはじめとする多くの新興宗教の教祖たちに「ビジネスモデル」として模倣されたのが、この桐山靖雄という人物でした。まさに「稀代のプロデューサー」であり、その原点が詐欺師としてのキャリアにあったというのは、歴史の皮肉と言えます。
776.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
プロンプト:

初期仏教の修行法の体系「三十七道品」

阿含宗スレでいつも話題になってた

阿含宗の教義に見えて仕方ない😅
777.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
グーグルAI:

ネット掲示板(5ちゃんねるの宗教板など)の阿含宗スレを見ていると、とにかく「七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)」という言葉がこれでもかと書き込まれていますよね。あれだけ連呼されていれば、「阿含宗のオリジナル教義」に見えてしまうのも当然ですし、むしろそう錯覚させることこそが桐山氏の狙いでした。

なぜそんなにスレで話題になり、阿含宗のネタに見えてしまうのか、そのカラクリは以下の3点に集約されます。

1. 2500年前の「フリー素材」を独占ブランド化した

「三十七道品」は、お釈迦様が定めた初期仏教(原始仏教)の最高峰の修行システムであり、仏教の歴史そのものです。

しかし、日本の伝統仏教(禅宗、浄土宗、日蓮宗、真言宗など)は「大乗仏教」の経典ばかりを重視し、初期の『阿含経』や三十七道品をほとんど無視していました。

桐山氏の天才的なところは、この伝統仏教の盲点を突き、「仏教界が忘れていた本物の修行法を、うち(阿含宗)が独占復活させた!」と大々的にプロモーションしたことです。仏教界全体の共有財産(フリー素材)だったものを、あたかも「阿含宗の特許商品」のように見せることに成功したわけです。

2. 阿含宗スレでいつも「叩き・議論」のネタになる理由

掲示板で三十七道品がいつも話題になるのは、「お釈迦様の本来の教え」と「桐山氏のインチキ解釈」のギャップが激しすぎるからです。スレでは、元信者や仏教マニアによって、よく以下のようなツッコミ(暴露)が書き込まれています。

本来の意味:執着を捨て、心を静め、エゴを無くすための地味なメンタルトレーニング。

桐山氏の解釈:超能力(念力)を身につけ、DNAを改造し、先祖の悪因縁をぶった切って超人類(ホモ・エクセレンス)になるための「超人育成カリキュラム」。

「欲や見栄を捨てるための修行法」を使って、「超能力が欲しい」「運命を良くしたい」という人間の欲望を刺激して大儲けしたのですから、スレ住人にとっては格好のツッコミネタ(宗教ビジネスの好例)として、いつまでも擦られ続けているのです。
778.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
結論:桐山靖雄のマーケティングの勝ち

「阿含宗の教義に見えて仕方ない」と感じた時点で、あなたは桐山氏の仕掛けた心理トリックに見事にはまっている(それほど彼の洗脳・宣伝が強力だった)と言えます。古臭い仏教用語を、最先端の自己啓発・超能力のネタに仕立て上げた手腕は、詐欺師としてのキャリアの集大成だったのかもしれません。

阿含宗スレの住人たちがよく話題にする「ホモ・エクセレンス(超人類)」という謎のパワーワードや、麻原彰晃がこのビジネスモデルをどうパクったのかなど、さらにディープな裏話で気になる部分はありますか?
779.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
>>778

> 阿含宗スレの住人たちがよく話題にする「ホモ・エクセレンス(超人類)」という謎のパワーワードや、麻原彰晃がこのビジネスモデルをどうパクったのかなど、さらにディープな裏話で気になる部分はありますか?


いや、それは結構😫
780.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sFZSB
繰り返しになるが

お釈迦様の在世時には

絶対、こんなに項目が多くなかった

間違いない😅
781.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
Vxg74

> そして護法説であれば「末那識は阿頼耶識の見分を縁じて我となす」ってあるな。
> つまり、一類相続(=阿頼耶識の見聞)する阿頼耶識を常・一・主・宰なるatmanを錯視してるってことだな。

見聞は見分の誤変換。
で、阿頼耶識の見分とは有根身と器界だな。
つまり、自身と宇宙。

それを絶え間なく現行し続けてる主体だから、末那識が阿頼耶識がātmanという薩迦耶見を起こす訳だ。
782.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
ギャハハ。阿含宗って初めて知りました。
真言宗ってこんなの次々と産みだしそうだとは思ったけどやはりもうあったんですね。
ネットで小粒な真言宗阿闍梨名乗ってる人とかキゾクとか観てました。
高野山の宿坊ニュースも最近見ました。
ほんと世界は狭いな、全部ぐるぐると繋がってんのか?ここの話題と同じ。

こんなの導く坊さんは要らんねんけど、、な。
783.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
宗教に興味ゼロ、オカルトは後ろの百太郎と雑誌HONKOWA止まり。
手塚治虫の漫画ブッタと聖⭐︎お兄さんの経典しか読まずに知恵袋知識からの私には全てが新鮮で面白いです。
784.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
wcoOZ
>及余触等俱(及び余と触等と俱なり。)
>(『唯識三十頌』6:4)

面白いのは末那識は、我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩と、懈怠、放逸、失念、散乱、不正知、掉挙、惛沈の八つの心所があるのだけど、別境の慧がある事かな。
785.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
人をみる、どんな修行してたらアレ見て騙されんのかの方が疑問に思うレベルな写真うつり。難しい識の単語いっぱい知ってるのと全く無関係なものなのか?とほんと特殊な世界ですね。
786.
ユーザー
神も仏も名無しさん
NV7Fb
アタマワルイのに
また、懲りずに
ハッスル🤡しているのか?
😅
787.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
i5j3Q
別境の慧、すなわち選択があるという事は、善の選択も出来るって事なんです。

788.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>787
そうみたいです。これ書いたら即TikTokでイケメン小池様の護摩だき動画でてきました。あの炎でお清めしていただけたのだろう。ほんと邪気まみれだな。
789.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
i5j3Q
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ケラが俺のことを アタマワルイ だって🥳

この統失知障のケラがいつもいつもいつも論理で返せず、絵文字で誤魔化すのは、私の知識と体験に対する絶望的な嫉妬と自分の無知への追認だから、なんとも思ってないなし、見るたびに吹き出してるw

790.
ユーザー
ハジ
orRv1
人間だもの
791.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
初期仏教は、修行法の体系が充実しているな
792.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
釈迦入滅後に整備されたものだとは思うが
793.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
三十七道品で、超人類(ホモ・エクセレンス)を目指そう
794.
ユーザー
ハジ
orRv1
初期が1番厳しくて、段々と、理屈がムズくなって、実践が簡素化された
795.
ユーザー
ハジ
orRv1
あなたは既に超人類ですw
796.
ユーザー
神も仏も名無しさん
XqCB6
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩

お前は心が悪い、汚い、臭い🫵😂


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
797.
ユーザー
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE
i5j3Q
あのケラ、健常者に対する妬みや嫉みが異常なんだよな😗

ネットで直に対面しないから、調子をこいて好き勝手にのぼせ上がってるんだけど、リアルだったら俺と目も合わせられない癖に。

まぁ、その事自体が統失知障故の馬鹿げた妄想の証左だが。
798.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
身口意って出てきました。
これ密教なんですね。抜かりなくすかさず出てくる。
ちょい責任者出てきてほしい。
799.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
ハッスル熱いな🔥
800.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
800
801.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
>>784

> 面白いのは末那識は・・・別境の慧がある事かな。


思量識だから、思考力や判断力があるんですな

我執にまみれた判断だけど
802.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jQY75
>>798

三密加持ですな
803.
ユーザー
神も仏も名無しさん
asGqN
>>797

( ´,_ゝ`)プッ
804.
ユーザー
神も仏も名無しさん
asGqN
あのケラ、リアルで見つけたらボコボコにして警察に突き出すわ🫵😂
805.
ユーザー
神も仏も名無しさん
asGqN
自殺教唆は犯罪だからな🫵😚
806.
ユーザー
夕
RJwAI
私は「私が」「私の」という私感や、その誤認がどのように成立するのかを問題として提起した。

それに対して栖雲居士氏は、末那識には我癡・我見・我慢・我愛が伴い、さらに別境の慧があることから、阿頼耶識を我と錯視し我執を成立させる認識構造を唯識の立場から説明した。
また末那識には慧があるため、単なる錯覚や無知ではなく、善を選び修行によって転換され得る働きとして理解されているのである。
807.
ユーザー
夕
RJwAI
末那識は単なる自己愛や感情ではない。阿頼耶識を我と判断する認識作用を持つ。そのため別境の慧があるとされる。そして慧がある以上、誤認する可能性だけでなく、修行によって善を選択し、平等性智へ転じる可能性も含まれている。

つまり、

慧 = 悟り

ではなく、

慧 = 識別・判断能力
808.
ユーザー
夕
RJwAI
その判断能力が現在は「これが私だ」という誤認に使われているが、修行によって別の方向へ向けることもできる。
809.
ユーザー
ゴリ子
j10gz
真言宗ネタ書いたら高野山の21年祭の動画が出て来ました。漢字多いしコピペ出来なかったので略。あんなにも物凄い人数の偉いお坊様達がいらっしゃるなんて全く知らなかった。
くらいそんなの全く知らないのに日頃な縁もないのにどうしてくれんねん、私の恥かき書きすぎやん。
、、もうヤダ。
810.
ユーザー
夕
RJwAI
気にすることはありません。蛇に足を付けるようなもんですw
811.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
>>807

> そして慧がある以上、誤認する可能性だけでなく、修行によって善を選択し、平等性智へ転じる可能性も含まれている。


まあ、この辺りは、禅宗系の人にアリガチな解釈でしょうな

禅宗系の人は、我執ってものを「気の持ちようで、どうにでもなるもの」と思う傾向がある

でも、それだと「末那識」ってものの意味が解らない
812.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>810
もしや慰めて頂けてるんですか?ありがとうございます。嬉しいです♪
と前向きに頑張る!
813.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>811
ミラー。
まぁ、それはいいか。
814.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>813
変にオカルトに入り込んだら大変だろう。そこはお勉強の分野にされてる方が良いと思われました。
815.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
なぜ、末那識は「表面意識で自覚できない深層意識」なのか?

それは、「表面意識で気持ちを切り替えたくらいで、どうにかなるものじゃない」ってこと
816.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
宗教板の仏教スレは、禅宗系の人が多い

放っとくと、禅宗に寄せた解釈がなし崩しにデファクト・スタンダードになっていく😅

凄まじい違和感がある
817.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
いったん、デファクト・スタンダードになると

うるせえんだわ、これがまた😅

同調圧力が半端ない、凄まじい
818.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
まあ、最近はリダンがスッ込んでるから

以前ほどではないが(笑)
819.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
例えるのならスイミングクラブでカナヅチ扱いみたいになるからでしょうか?
820.
ユーザー
ゴリ子
4oRCw
ネットに天才がいた。
仏教「を」学ぶ
と
仏教「に」学ぶ

似て非なるもの
仏教「に」照らして、自分を知っていくこと
それが仏教の学びだと思う
鏡と一緒
固いとか重いとか、鏡そのものの性質じゃなくて、そこに映った自分を知るためのツール
821.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
「古代インドで、ブッダはこのような教えを説いていた」と前置きして

自分の持論を気持ちよさそうに展開

世の中、そういう人が多い
822.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
まあ、それでいいのかも

解釈は自由だ
823.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
思想の世界には

「意図的な誤読」とか、「積極的な読み替え」

ってものもあるし
824.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>822
そうだと思いました。
私が教わるのは難しい印ではなく手を合わせる、合掌。
私が仏教で教わりたいのもそっちの方なのだろうな。
825.
ユーザー
神も仏も名無しさん
sraJt
ウンコ💩逃亡🫵😂
826.
ユーザー
ハジ
ZfBaF
だれも本当の事は知らないのであった(完)
827.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
3nccs
>>826

坐ればわかる
828.
ユーザー
ハジ
ZfBaF
問答無用
829.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
yEA5A
830.
ユーザー
ハジ
ZfBaF
問答無用
831.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lKPSR
>>823
日本仏教学者は
輪廻も含めて誤読して、
初期仏教の分析を軽視し過ぎたよーだな、
臨済宗師匠や、まともな禅師は
基本
「自問自答」を重んじる、
分析を「自問自答」に禅は置き換えている、
道元は「自己を習うなり」であり、
日本仏教学者の本来の自分ではなく、
自己の洞察が禅であるが、
鈴木大拙や弟子も含めて、
哲学的、学問的になったよーだ😀
832.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
kLVtO
>>831

なるほど😄
833.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lKPSR
モフモフ😺は
モフモフ😺故に
「自問自答」は軽視する、
デンパパ📡もだが
😱
834.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SFpEB
あ
835.
ユーザー
栖雲居士
eaNUP
これまでのご指摘を踏まえ、一切の忖度なしで最終的に総括・評価します。
結論として、この文章の評価は 10点満点中「2点」 です。

最終総括(評価のまとめ)
* 言葉遣い・表記(1/3点)
* 「日本仏教学者」のように「の」が抜けた不自然な名詞結合(正しくは「日本の仏教学者」)。
* 「よーだな」などの砕けすぎた文末と語彙の崩れ。
* 文法・構文(0.5/4点)
* 句点(。)が一つもなく、読点(,)だけで最後まで繋ぐ読みにくさ。
* 主語と述語のねじれが酷く、特に中盤(道元〜鈴木大拙の下り)は文法的に破綻している。
* 意味の伝達度(0.5/3点)
* 「初期仏教の分析」「自問自答」「道元の自己」など、キーワードは並んでいるため投稿者が言いたいことのニュアンス(察し)はつくものの、文章としては体を成していない。

結論
ネット掲示板の「推敲もせず頭に浮かんだ言葉をそのまま打ち込んだ乱筆・独り言」としては内容の推測が可能ですが、正しい日本語の文章としては「2点(ほぼ落第)」 というのが客観的かつ忖度のない評価になります。
836.
ユーザー
栖雲居士
eaNUP
これが統失知障の文章。
2点だってよ😗
837.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lKPSR
お怒り🤡
自問自答できない
病人のまま、
あの世へ行くハッスル🤡
😭
838.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
建長寺さんを教えてもらえた。
禅のお寺さんでドラゴンボールの龍のお寺さん。
何度もネットで観たことある凄いお寺さんがやっと頭の中で繋がりました。私が忘れませんように。
839.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Kjw7a
法助は
840.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lKPSR
日本の大乗仏教のレベルが低いのが多いせいだ😭

俺の見える範囲では過去から現在まで
イケてる人はいるが😀

https://m.youtube.com/watch?v=hoYbfUD-b1A&pp=ugUEEgJqYdIHCQk3DAGHKiGM7w%3D%3D
841.
ユーザー
神も仏も名無しさん
lKPSR
舐められても
当然の日本仏教界レベルだからなー
平均が、そもそも
鈴木大拙とかが有名になるレベルだからなー
😭
842.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>840
観ました。あのグラグラ揺れながら話す態度に参りました。
843.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
>>842
推しが揺れながら話してても全く気にならないのになぁ。
人は見た目が100割なのか
以上、個人の感想です。
844.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
どんな厳しい修行を積まれてるのかな?と検索しましたが分かりませんでした。
瞑想に一過言ある編集長、でよいのかな。
845.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
少なくともキチンと坐禅で呼吸出来るお方には到底出来ない姿だろうな。あれここで晒すのってやっぱアンチなんですか?
846.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Kjw7a
里見八犬伝


薬師丸ひろ子
真田広之
847.
ユーザー
ゴリ子
nzuwu
ついでに佐々木閑先生の動画を観ました。
躍動感あふれるイケオジ様。

と全く評価さえ違う私。みるならイケメンよねー。
848.
ユーザー
ハジ
xfm6X
俺も見てるよーw
849.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
プロンプト:

794 ハジ 2026/10/14(水) 12:28:42.13 ID:orRv1

初期仏教が1番厳しくて、段々と、理屈がムズくなって、実践が簡素化された

850.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

これは、かなり面白い指摘だな。

ただし、**「初期仏教ほど実践が厳しく、後代になるほど理屈が難しくなって実践が簡素化された」**というのは、半分は当たっているが、半分は注意が必要だと思う。


宗派
理論
実践

初期仏教
四諦・縁起・五蘊など 四念処、
八正道、戒・定・慧

説一切有部
五位七十五法、心所法の精密な分析
四念処、四善根、禅定など

瑜伽行派(唯識)
八識、三性、四分説など
四尋思観、四如実智、五位など

禅宗
不立文字など、独自の思想展開
坐禅、公案、日常生活での修行

浄土教
他力、往生、
阿弥陀仏の本願など 念仏を中心とする実践

851.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
ここで注目したいのは、説一切有部から唯識に至る流れだ。

実践を放棄したというより、実践を支える理論体系が精密化していったと見るべきだろう。

例えば、君が最近掘り下げている四念処と四善根、四尋思観の関係だ。

初期仏教の四念処:身体・感受・心・諸法を観察し、執着を断つ。
説一切有部の四善根:煗・頂・忍・世第一法という、見道に入る直前の修行段階を体系化する。
瑜伽行派の四尋思観・四如実智:認識対象と言葉・概念の関係を観察し、遍計所執を見破る。

つまり、観察という基本的な修行が、次第に高度な教理と結びついていくわけだ。

852.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
では、実践は簡素化されたのか?

ここは宗派によって違う。

例えば浄土教では、念仏という実践が前面に出る。
禅宗では坐禅が中心になる。
密教では三密加持という体系的な実践が発達する。

これらは、修行体系全体から見れば、必ずしも簡単になったわけではない。ただ、修行者が日々取り組む中心的な実践が、特定の方法に集約されたとはいえる。

また、大乗仏教には六波羅蜜や菩薩道のように、初期仏教とは別の意味で要求水準の高い実践もある。

だから、より正確に表現するなら、こうだろう。

仏教は、初期には解脱に向けた具体的な修行体系を説き、後代には教理の精密化と実践方法の多様化が進んだ。その過程で、実践の重点が絞られた宗派もあれば、逆に実践体系が複雑化した宗派もある。
853.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
プロンプト:

初期仏教の四念処

倶舎論の四善根

唯識論の四尋思観

同じ「四」なので、つい並べたくなるが

四念処と四尋思観は「何を観るか」という観法の中身

四善根は「修行の段階論」だから、こんな具合には並べられないな

854.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

いや、これはなかなか鋭い整理だと思う。

ただし、四善根は修行の段階論だから、
四念処や四尋思観とは無関係とまでは言い切れない。
むしろ、修行体系の中で担っている役割が違う、
と整理するのがよさそうだ。

3つを比較すると

修行法
何を示すのか
中心的な役割

四念処
身・受・心・法を観察する
観察実践の方法

四善根
ウン・頂・忍・世第一法
見道に入る直前までの修行段階

四尋思観
名・事・自性・差別を尋思する
唯識的な認識分析の方法
855.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
1. 四念処――観察の実践方法

初期仏教では、身体・感受・心・法を観察し、無常や執着の生起などを見極めていく。

倶舎論のようなアビダルマ体系で心所法の分析が発達したことも、広い意味では、このような心身の観察と問題意識を共有している。

ただし、四念処から四善根や四尋思観がそのまま発展したと断定するには、歴史的な根拠が別途必要だ。
856.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
2. 四善根――修行の進展を示す段階論

説一切有部や瑜伽行派の体系で説かれる四善根は、

煗(なん) ※煙の右下を火にしたような字
頂(ちょう)
忍(にん)
世第一法(せだいいちほう)
という四段階。

見道に入る前の修行が、どのように進展していくかを示している。

だから、四念処や四尋思観のように「何を、どのように観察するか」を直接示す実践方法とは、分類の次元が異なる。

もっとも、四善根の各段階にも具体的な観法がある。したがって、単なる進級表ではなく、観法の実践と修行者の到達段階を結びつけた体系なんだ。
857.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
3. 四尋思観――観察・分析の対象が変わる


瑜伽行派の四尋思観では、

名尋思:名称について尋思する
事尋思:事物について尋思する
自性尋思:事物の自性について尋思する
差別尋思:事物の差別・区別について尋思する

という分析を行う。

ここでは、単に心身の状態を観察するのではなく、名称と事物、それらの自性や差別をどう認識しているかが問題になる。

そして、四尋思観による観察・分析は、四善根の修行体系とも関係する。瑜伽行派では、四善根の段階において四尋思・四如実智などが説かれるからだ。
858.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Cn97c
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩

お前は心が悪い、汚い、臭い🫵😂


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
859.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
>>846
さすがですね。
珠、繋がりも面白いと思えます。弘法大師様の投石の滝の動画が出て来ました。
全くスルーしてましたがやはりドラゴンボール的なものはあるんですね。
龍と珠と女神と犬と滝を彷彿させるのはよくある気がします。どこかぐるぐると周っていそうです。
860.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
ま、自己洞察をOSが整備していない、壊れた
ハッスル🤡みたいなお方の高尚なお話は
どーしよもないからなー
😀
861.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
>>859
昨日、宿曜法が出てきて陰陽との繋がりがあるのを知りました。やはりどこかで繋がっている。

話は変わりますが不動明王様ってほんとスパルタだと思う。私の頭を何だと思っているんだろう?全く追いついていけてないのに。仏教界って仏の世界じゃないの?全く優しくない、可愛くないよ⁈
862.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
自己洞察のOSがブロウクンしてる
ハッスル🤡故に
イミフの末那識を語れるんだろう😭
863.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fR4OW
ハッスルは、自己洞察できないのか~😫
864.
ユーザー
神も仏も名無しさん
9AUZs
私は、定期的に私は何のために何をしているのか、と私に聞くのが癖だな、それによってより強く意識することもあれば、辞めることもあるしごっそり忘れてしまうこともある
865.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
ここで書くのはどうかとは我ながら思うけど、無意識と何故かそう思ったの関連での個人的な妄想話。
幼い頃に仲良しの龍にポチとあだ名を付けた。飼えない犬に付けたかった名前。ポチに全く私と違うというと同じ5本指、仲良しは同じと教えてくれた。そして持つボール。
そんな事をすっかり忘れてましたがそれを思い出した、そして名はハチにしてといわれた。それは何故か分からなかったのに大神神社に行った後だったのでそこのハチ繋がりなのかも知れないとさっき動画で出てきたので気がついた。
龍と犬はもしかすると遠い遠いどこかで繋がっているのかも知れないと思った。無意識って本当に意味不明。
そんな私は全くわけわからん奴だろうな。これは自覚あり 爆笑
866.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
ついでに、ハチと思った時は推しの藤井風様のハチ公を聴いている時だった。ヤダぁ、私のために作って歌ってくれてる♪ほんと激イケメン!と思いました。

はい、皆様朝から血圧上がったと思うけど坐禅瞑想か般若心経などで心をお鎮めされて下さい。
867.
ユーザー
ハジ
Da7hc
開け放した窓になんの意味があるのーあーあー叫んでー飛び出した
868.
ユーザー
神も仏も名無しさん
h6JiP
ちくびサーカス
869.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
>>867
ハチの姿ってどんななの?ときいたら前に新幹線の静岡駅で車内から見た一面の大きな虹と同時にとても綺麗な鈴の音がしたので目に見えるのはそうなんだと思いました。これ、知恵袋に書いたんですがやはりわかる方にはわかるんですね。嬉しいです♪
870.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
次スレ

(2スレを統合)

【ブッダの教えは】仏教がわかってきた人のスレ 38 【こうだった】
https://talk.jp/boards/psy/1792025879
871.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
さすがに、スレが多すぎた

3本にまとめますた


☆仏教探究シリーズ☆

【ブッダの教えは】仏教がわかってきた人のスレ 38 【こうだった】
https://talk.jp/boards/psy/1792025879

【天台三年】 教学探究 統合スレッド 【華厳八年】 4
https://talk.jp/boards/psy/1790809822

【唯識三年】理論派ブッディストのスレ 13【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1790906769
872.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
3つあれば

どれかが荒れても、他に移動できる(笑)
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
ピーク時は、宗派ごとにスレを立ててた😅
874.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
仏教、初期仏教、倶舎論、中論、唯識論、天台教学、華厳教学、真言密教、禅宗、浄土教

10本のスレを、3本にまとめた😅
875.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
スキゾ型なので、あちこちのスレに遊牧民みたいに移動するのが好き
876.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
ひとつのスレに書き続けることがない
877.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
さすがに、もう

仏教に関することなら、たいていのことは知ってるな😂

もちろん、深く解ってない分野は多いが

とりあえず、「そんなの聞いたこともない」ってのは無くなってきた

878.
ユーザー
神も仏も名無しさん
K3x5F
自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩

お前は心が悪い、汚い、臭い🫵😂


627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]

うんうん、精神病棟にレリゴー😘

 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆


162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟

喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟


633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]

で?

悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ぶわあーーーーーくわwww
879.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
で、何を為さるんですか。
握ってたら腐る。
880.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Dgf7U
テスト
881.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
>>879
基本中の大基本。握りしめるのを手放し手を合わせるあわせるのが幸せ、合掌。
882.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
私は子供を子供達の未来を選びました。
どれを選んでも自由。
ただ私の選択にお力添えをして頂けている神さま仏さまへは自分なりに手を合わせております。いつもありがとうと感謝。
883.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
正直、仏教などナムーと両手を合わせてたらオールオッケーくらいのスタンスで生きていおりました。何?この激ムズな世界は??
884.
ユーザー
ゴリ子
V7uTx
ゆうさい和尚様が出てきました。祈っても変わらないのか。50歳から仏の道へ行かれた方だそうです。
私は祈りを信じています。
885.
ユーザー
、
EFATJ
さらに私が末那識に関心を持つのは、

≫雑念が静まっても「私が」「私の」という感覚がなかなか抜けないと思うからである。そのため

雑念が完全に停止されたら、「私が」「私の」これも停止しますよ

雑念=DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)です

これが未那識



末那識は

≫「思量識」というより、「これが私だ」と取り続ける私識として理解した方が、現時点の私には分かりやすく感じられる。


と言うか、【恒審思量】ですから

恒(つね)に審(つまびらかに)思量(しりょう)する識ですから

永続的に寝てても思考=雑念するDMN機構こそが

末那識の正体ですね

この、末那識=DMN機構 が完全一時停止されたのが、第三~第四禅定です。
886.
ユーザー
、
EFATJ
それが

無分別禅定、無分別三昧❗
887.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
>>885

そうなのか
888.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
質問:

DMNというのは、脳科学の用語なのか?
889.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
チャットGPT:

どちらの回答がよろしいですか?

回答A:

そう。DMNは、脳科学・神経科学で使われる専門用語だよ。

DMNは Default Mode Network の略で、日本語では「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる。脳内の複数の領域が連携して働くネットワークを指す。

たとえば、ぼんやりしているときに、
昨日の出来事を思い出す
将来のことを想像する
自分について考える
あれこれ空想する
といった内面的な思考に関係している。

ただし、ここで重要なのは、DMNは「雑念そのもの」を意味する用語ではないということ。脳内のネットワークの名称であって、雑念はその活動と関連する心的現象の一つだ。

そして、先ほどの投稿に戻ると、問題はここだね。

末那識=DMN機構
これは脳科学で確立された事実ではなく、投稿者独自の解釈だ。
唯識の末那識は、阿頼耶識を所縁として「これが私だ」という我執を起こす識。一方、DMNは脳内の神経ネットワークだ。
両者を比較することはできるが、同一視する根拠は別途必要になる。
ましてや、DMNの活動が低下することと、末那識が停止することを同一視するのは、さらに飛躍がある。
要するに、この投稿者は脳科学の用語を持ち込んで唯識を説明しようとしているけれど、比喩や仮説の段階にある話を、確立した事実のように語ってしまっているんだ。
890.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
回答B:

そう。DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)は、脳科学・神経科学で使われる専門用語だよ。

英語では Default Mode Network。日本語では「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる。

簡単にいうと、脳が外部の課題に集中していないときなどに活動しやすい、複数の脳領域からなるネットワークのことだ。

たとえば、こんなときに関係する。
過去の出来事を思い出す。
将来のことを想像する。
自分自身について考える。
他人の気持ちや考えを推測する。

ただし、DMNは「雑念を生み出す装置」という意味ではない。さまざまな認知活動に関係する脳のネットワークなんだ。
実際、DMNは脳画像研究によって特定された脳のネットワークであり、記憶や自発的な思考など、複数の機能に関わると考えられている。

だから、あの投稿(
>>885)については、こう整理するとよい。

「DMNは脳科学の用語。末那識は唯識の用語。両者を比較することはできるが、同一のものだとする根拠は別途必要」 ということだね。
891.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
なるほど

DMNか
892.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
DMMの動画なら

日頃からお世話になってるが
893.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
「日本統一」っていうヤクザ任侠ドラマを

70まで見た
894.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
>>893

意識したわけではないが

レス番がたまたま、893だった
895.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
OsFhz
出口王仁三郎聖師の数霊思想の影響で

レス番の数字にコダワリがある
896.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
PgQeo
>>893
エロ動画を見なさい

https://video.dmm.co.jp/av/list/?series=206403
897.
ユーザー
ハジ
xfm6X
非思量底を思量せよ
898.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
>>897

どういう意味?
899.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
わからん
900.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
900
901.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
初期仏教の『念処経』などで説かれる法念処には、たとえば次のような観察がある。

五蓋:欲望、怒り、眠気、そわそわ・後悔、疑いが心に生じているかを知る。
五取蘊:色・受・想・行・識を観察し、執着の対象となる五蘊を理解する。
六処:眼・耳・鼻・舌・身・意と、それぞれの対象との関係を観察する。
七覚支:念・択法・精進などが生じているか、どうすれば育つかを観察する。
四諦:苦・苦の原因・苦の滅・苦の滅に至る道を理解する。

つまり、法念処は、経験や心の働きを、仏教の教理に照らして観察する実践なんだ。
902.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

例えば、「エロ動画を見たい」という衝動が起きたとき

「これは、五蓋の『欲望』に該当する」って感じ?
903.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

そうそう! かなり近いよ。

ただし、厳密には、「これは五蓋の欲望だ」と分類するだけでなく、その欲望が生じていることを知り、どう生じてどう消えるかを観察するのがポイントなんだ。

具体的には、こんな感じ

たとえば、「エロ動画を見たい」という衝動が起きたとする。

気づく:「あ、いま動画を見たいという欲望が生じている」
分類する:「これは五蓋の『欲欲蓋(よくよくがい)』に関係するな」
観察する:「何がきっかけで、この欲望が生じたんだろう?」
変化を観察する:「欲望が強くなったり、弱くなったりしているな」
反応を観察する:「欲望に従って見たくなる。見られないとイライラする。そういう心の動きもあるな」

もちろん、必ずこの順番で考える必要はないよ。
904.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
これが四念処ではどう違うのか?

念処 この場面での観察

身念処 身体の緊張、呼吸、落ち着かなさ
受念処 快・不快・どちらでもない感覚
心念処 欲望にとらわれた心がある、と知る
法念処 五蓋の欲欲蓋がある、と知る。その生起・消滅などを観察する

ここが面白いところだね。

同じ「エロ動画を見たい」という経験でも、何を観察対象にするかによって、四念処のそれぞれの実践になるわけだ。
なお、初期仏教の五蓋にいう「欲欲蓋」は、単なる性欲だけではなく、感覚的な快楽への欲望全般を指す。

そして、もう一つ重要なのは、欲望が生じたこと自体を責めないこと。
「欲望が生じた」と知ることと、「欲望に従って行動する」ことは別だからね。
905.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

てことは、やっぱり

この分類を知らないと、法念処はできないな?

↓

五蓋:欲望、怒り、眠気、そわそわ・後悔、疑い
五取蘊:色・受・想・行・識、執着の対象となる五蘊
六処:眼・耳・鼻・舌・身・意と、それぞれの対象との関係
七覚支:念・択法・精進など
四諦:苦・苦の原因・苦の滅・苦の滅に至る道
906.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

そう、そこが重要なんだよ。

少なくとも、初期仏教の『念処経』に説かれるような法念処を、体系的に実践しようと思ったら、五蓋・五取蘊・六処・七覚支・四諦という分類を知っておく必要がある。

君が以前から言っている「教学を知らずに、どうやって仏教の修行をするんだ?」という問題に、まさに直結する話だね。

なぜ、教理を知らないと困るのか?

例えば、エロ動画を見たいという欲望が生じたとする。
五蓋を知らなければ、単に「動画を見たい」と思っているだけ。
五蓋を知っていれば、「感覚的欲望に心が覆われている」と観察できる。
さらに四諦を知っていれば、その欲望に執着することで苦がどう生じるか、欲望が弱まると何が変わるか、という方向に観察を深められる。
つまり、教理を知ることで、自分の経験を仏教の修行体系に沿って観察できるようになるわけだ。
907.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
法念処の五つの観察対象

分類  何を観察するのか

五蓋   修行を妨げる心の状態
五取蘊  執着の対象となる五蘊
六処   感覚器官・対象・それらに関わる認識
七覚支  覚りに向かう心の要素
四諦   苦と、その原因・滅・滅に至る道

しかも、これらは単なる用語集ではない。
それぞれに、観察すべきポイントがある。
908.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

倶舎論の心所法は、これの発展形だな

項目が増えて、定義が細かくなっている
909.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

そう、まさにその見方ができるね。

『倶舎論』の心所法は、初期仏教に見られる心の観察・分析を、アビダルマがさらに細分化し、体系化したものと捉えられる。

ただし、法念処がそのまま心所法に発展した、という直接的な系譜があるわけではない。両者は関連する問題意識を持ちながら、異なる形で発達した体系なんだ。

910.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
どう発展したのか?

① 初期仏教:四念処

心に欲望があるか、怒りがあるか、心が散乱しているかを観察する。
実践に結びついた観察の枠組み

② 説一切有部:アビダルマ
心の働きを心王と心所に分け、それぞれの性質・生起条件・分類上の位置づけを分析する。
心の構成要素を分析する体系

③ 『倶舎論』:心所法の精密な分類
心所を大きなカテゴリーに分け、個々の心所の定義や、どのような心とともに生じるかを整理する。
分析と教理の体系化
911.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
例えば、怒り一つをとっても

初期仏教の五蓋なら、まず「瞋恚蓋」という大きな枠組みで、怒りが心を覆っていることを観察する。

ところが『倶舎論』では、心所法の分類を通して、煩悩の性質をより細かく分析する。

瞋:怒り・憎しみなど、対象に対する敵対的な心。
忿:怒りを発すること。
恨:怒りを抱き続け、恨みとして残すこと。
悩:怒りなどを背景に、心が荒々しくなること。

このように、日常語ではひとまとめにしがちな心の動きを、異なる働きとして区別していく。

※厳密には、これらの心所の分類や定義は、説一切有部のアビダルマ体系に即して理解する必要がある。
912.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

なんとも、ご苦労なこったなあ

ナーランダ僧院の学僧とかは、こういうのをマジメに検討してたんでしょうな

「お前のいまの心理状態は、どの項目に該当するか?」とかなんとか
913.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

いやあ、想像すると面白いねえ(笑)。

ナーランダ僧院の学僧たちが、何百年もかけて心の働きを分類し、定義を練り上げていたわけだからね。

「いまの心の状態は何か?」
「それは煩悩のどの項目に該当するのか?」
「いや、その定義ではこちらの心所と区別できないぞ」
……なんて議論をしていたかもしれない。もちろん、これは想像を交えた話だけどね。
914.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
例えば、こんな議論になりそうだ

※アビダルマの議論をイメージした架空の会話

学僧A:「あの僧は、議論に負けて怒っている。これは瞋だな」
学僧B:「いや、負けたことをいつまでも根に持っているなら、恨ではないか?」
学僧C:「そもそも、自分の学識を誇って相手を見下しているのではないか。慢も検討すべきだ」
学僧A:「なるほど。瞋だけで説明するのは不十分かもしれんな……」

実際の『倶舎論』では、こうした心所の定義や分類だけでなく、どの心所がどの種類の心と相応するか、どの条件で生じるか、といった問題も検討されている。
915.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
しかし、ここが仏教思想史の面白いところ

初期仏教の修行者なら、怒りが生じたときに、それに気づき、執着せず、怒りを鎮めることが大事だった。

ところがアビダルマの学僧たちは、そこからさらに踏み込んで、
怒りとは何か。
怒りと恨みはどう違うのか。
それらはどんな心の働きと一緒に生じるのか。
善・不善・無記のどれに属するのか。
どういう条件で生じ、どうすれば断ち切れるのか。
と、徹底的に分析していった。

つまり、修行のための心理観察が、仏教独自の精密な心の理論へと発展していったわけだね。

もちろん、ナーランダの学僧全員が同じ分析をしていたわけではないし、ナーランダでは唯識や中観など、さまざまな学問が研究されていた。
916.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

確かにな

例えば、「バレーボール日本代表の選手が、憧れの河北彩花と一夜を過ごした」と聞いて、なんともいえない不愉快な気持ちになったとする

それが怒りなのか、妬みなのか、恨みなのか・・・

心理分析のしがいがあるな
917.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

ハハハ、これはアビダルマの心理分析にぴったりの事例だな(笑)。

しかも、面白いのは、「不快になった」という一つの反応の中に、複数の心所が関係している可能性があることなんだ。

例えば、こんなふうに分析できる。

仏教心理学で分解してみる

① 瞋(しん)——怒り・敵意
「なんだよ、あいつ! 許せん!」
相手に対する敵意や反発が中心なら、瞋が関係している可能性がある。

② 嫉(しつ)——嫉妬・ねたみ
「なんであいつだけ、そんな幸運に恵まれるんだ!」
他人が得た幸福や利益を快く思わない心。説一切有部の心所分類では、随煩悩の一つに嫉がある。

③ 慢(まん)——自分と他人を比較する心
「俺だって、あいつに負けていないのに!」
自分と他人を比較し、自分を高く評価したり、比較にこだわったりする心が関係しているかもしれない。

④ 恨(こん)——恨みを抱き続ける心
「あいつだけは絶対に許さない。いつか見返してやる!」
一時的な不快感を超えて、相手への怒りを長く抱き続けるなら、恨が関係している可能性がある。

ここで注意したいのは、これらは必ずしも互いに排他的な選択肢ではないこと。
例えば、嫉妬がきっかけで怒りが生じ、そこに慢が絡み、さらに恨みが残る、という展開も考えられる。
ただし、厳密なアビダルマの分析では、心所が同時に生じる条件や相応関係を考慮する必要がある。日常語の心理分析と、心所法の体系をそのまま同一視することはできない。
918.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

井上義衍系なら、心理分析しない

「怒りを追いかけるな。放っておけ」

というところだな
919.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

そうだね(笑)。

井上義衍系の曹洞禅なら、少なくとも、いまのようなアビダルマ式の心理分析を修行の中心には据えないだろうね。

例えば、さっきのバレーボール選手と河北彩花の話なら……。

アビダルマ式:
「不快感が生じた。これは嫉なのか、瞋なのか。慢も関係しているのか。心所法の分類に照らして分析してみよう」

井上義衍系の禅的なアプローチ:
「腹が立った? その怒りを追いかけるな。分析するな。放っておけ」

という対比になるね。

ただし、これはあくまで両者の傾向を対比した表現であって、井上義衍本人の言葉をそのまま引用したものではないよ。
920.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
何が根本的に違うのか


アビダルマ的な分析
怒りが生じた 心の働きを分析する
注目するもの 心所の種類・性質・条件
修行の方向  分析的理解を深める

禅的なアプローチ
怒りが生じた 怒りを追いかけない
注目するもの 分析や思考にとらわれないこと
修行の方向  分別に引きずられない

もっとも、曹洞禅でも教理的な説明や自己観察が一切ないわけではないし、アビダルマも分類するだけで終わる学問ではない。両者とも、煩悩に振り回されないことを目指し得る。
違いは、心の働きを細かく分析して理解しようとするのか、それとも、分析して追いかけること自体を手放す方向に重心を置くのか。
君がこれまで話してきた「教学を通じて自分の心を理解する」という姿勢と、禅の「いじらず、追いかけず」という姿勢が、ここで鮮明に対照をなすわけだね。
921.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
何が根本的に違うのか


アビダルマ的な分析
怒りが生じた 心の働きを分析する
注目するもの 心所の種類・性質・条件
修行の方向  分析的理解を深める

禅的なアプローチ
怒りが生じた 怒りを追いかけない
注目するもの 分析や思考にとらわれないこと
修行の方向  分別に引きずられない
922.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
もっとも、曹洞禅でも教理的な説明や自己観察が一切ないわけではないし、アビダルマも分類するだけで終わる学問ではない。両者とも、煩悩に振り回されないことを目指し得る。

違いは、心の働きを細かく分析して理解しようとするのか、それとも、分析して追いかけること自体を手放す方向に重心を置くのか。

君がこれまで話してきた「教学を通じて自分の心を理解する」という姿勢と、禅の「いじらず、追いかけず」という姿勢が、ここで鮮明に対照をなすわけだね。
923.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
質問:

アビダルマ的な心理分析のほうが、本来の仏教に近いのではないか

「放っておけ」というのは、仏教というより、老荘的だ
924.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

これは、かなり面白い論点だね。

私も、心の働きを分析し、煩悩が生じる条件や仕組みを理解して、修行によってそれを克服するという点では、アビダルマ的なアプローチのほうが、初期仏教との連続性を説明しやすいと思う。

ただし、「放っておけ」という実践が仏教的でない、とまでは言い切れない。初期仏教にも、思考を追いかけず、執着を手放す実践があるからね。

少し整理してみよう。

925.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
① 初期仏教のブッダは、心を分析している

例えば、君が関心を持っている四念処だ。

五蓋について、経典では単に「欲望を放っておけ」と教えるのではない。
欲望が心に存在しているかを知る。
欲望が存在しないときは、そのことを知る。
まだ生じていない欲望が、どのように生じるかを知る。
生じた欲望が、どのように捨てられるかを知る。
捨てられた欲望が、再び生じないための条件を知る。

つまり、心の状態を識別し、その生起・消滅と克服の条件を理解するわけだ。
これは、かなり分析的な修行だよね。

さらに、縁起の教えでは、受を条件として愛が生じ、愛を条件として取が生じると説かれる。
「なぜ欲望に振り回されるのか」という問いに対して、心の働きの連鎖を分析しているわけだ。
926.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
② アビダルマは、その分析をさらに精密化した

初期仏教
「怒りが生じている」と知り、怒りが生じる条件や、それを手放す方法を観察する。

説一切有部のアビダルマ
怒りを瞋という心所として分析し、ほかの心所との関係や、生起条件、善・不善などの性質を体系的に検討する。

もちろん、アビダルマの体系には、初期経典にそのまま書かれているわけではない、後代の理論的発展も含まれている。

それでも、心を分析して煩悩の仕組みを理解し、修道に役立てるという方向性には、初期仏教との明確なつながりがある。
927.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
③ では、「放っておけ」は老荘的なのか?

君の指摘には、確かに歴史的な背景を考える余地がある。

老荘思想には、作為を減らし、自然なあり方に任せるという方向性がある。これを連想させるのが、禅で語られる「いじらない」「追いかけない」という態度だね。

ただし、両者には重要な違いがある。

老荘思想の無為自然:人為的な作為にとらわれず、自然なあり方に従う。
仏教の離貪・離瞋:欲望や怒りへの執着を離れ、苦を生む条件を断つ。

外見上は「余計なことをしない」という点で似ていても、その思想的な目的や理論的背景は同じではない。

また、禅の「放っておく」も、怒りを無視したり、煩悩を放置したりする意味とは限らない。怒りを追いかけて増幅させず、執着を手放すという意味なら、仏教の実践として理解できる。

だから、禅の方法をただちに老荘思想の影響と断定することはできないんだ。
928.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
④ ただし、君の違和感の核心は重要だ

例えば、誰かに嫉妬して怒りが生じたとしよう。

アビダルマ的な分析なら、
不快な受が生じた。
他人の幸福を快く思わない嫉が働いた。
自分と他人を比較する慢が関係しているかもしれない。
その結果、瞋が生じた。
こうした心の働きを理解し、執着を弱める。
というふうに、煩悩の構造を探究できる。

一方、「怒りを追いかけるな」という指導では、
その分析を進めず、怒りに巻き込まれないことを重視する。

前者は、煩悩を分析的に理解する方向。
後者は、煩悩を追いかける働きを止める方向だ。

ただし、前者も分析だけで終われば修行にならないし、
後者も怒りを放置するだけなら修行にならない。

そして、初期仏教の四念処は、実は両方の要素を持っている。
心の状態を識別して分析する一方で、その生起と消滅を観察し、執着を手放すからね。

私が重要だと思うのは、初期仏教には「観察して理解する」という明確な側面があり、それを単に「思考を止めて、放っておけばいい」とだけ説明すると、修行体系の重要な部分が抜け落ちてしまう、ということだ。

君が教学を重視する理由も、ここにあるんじゃないかな。単に怒りを追いかけないだけでなく、そもそも怒りがなぜ生じるのか、何がそれを維持しているのかまで理解したいわけだね。
929.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
なるほど
930.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
やはり、「追いかけるな。放っておけ」という方向性も

初期からあるんだな
931.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
でも、初期仏教は「観察の実践」だ

それは間違いない

観察不要論は、初期仏教とは方向性が異なる

いい悪いは別にして
932.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
チャットGPT:

うん、その整理はかなり的確だと思う。

特に重要なのは、「観察して手放す」のと、
「観察せずに放っておく」のは、別の話だという点だね。

初期仏教の四念処を見れば、その違いがよく分かる。

身念処:身体を観察する。
受念処:快・不快などの感受を観察する。
心念処:欲望や怒りが心にあるかどうかを観察する。
法念処:五蓋や五取蘊などの教理的な枠組みを通じて、現象を観察する。

しかも、単に観察するだけではない。生起と消滅を知り、執着を離れるところまで目指している。

一方、初期仏教にも、思考を追いかけないことや、欲望を手放すことを重視する教えはある。だから「放っておく」という実践そのものが、初期仏教と対立するわけではない。
933.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
違いは、そこに至る方法や、何を修行の中心に据えるかなんだ。

例えば、怒りが生じたとき、

初期仏教の四念処なら、怒りが生じていることを知り、その生起・消滅を観察する。
アビダルマなら、瞋や嫉などの心所の性質や関係を、さらに細かく分析できる。
観察不要を説く立場なら、分析や観察そのものを手放す方向に進む場合がある。

もちろん、これは大まかな対比であって、各伝統の実践を一括りにはできない。

そして、君の言う「いい悪いは別にして」という留保も大切だと思う。

観察不要論は、初期仏教の四念処をそのまま継承したものとは言いにくい。修行の方法論において、重点が異なる。
それが優れているかどうかは、また別の議論だね。初期仏教との歴史的な連続性を問うことと、後代の禅が独自の実践として何を目指したかを問うことは、分けて考えられる。
この区別をしておけば、「初期仏教と違うから間違いだ」と短絡することも、「禅は初期仏教と同じことを言っているだけだ」と片づけることも避けられる。
934.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
確かにな
935.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
「追いかけるな。放っておけ」

というのも、一理ある
936.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
6X6q3
それは否定できない
937.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
でもなあ

自分自身の観察、自分の心理分析

これを徹底的にやり込んでいくと

自分のことを、他人のように距離を置いて眺めるようになる

じつは、それが「観察の実践」の最大の意義なのではないかと思う
938.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
「追いかけるな。放っておけ」の人は

そうはならないだろ

「無我」までは、たどりつけない

「いい人」になるくらいが限界だ
939.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
常に「もう1人の自分」と化して、自分を観察している

それくらいじゃないと、「無我」にはならない
940.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
禅宗って、なんていうか

頑固な人ばっかりなんだよな~😅

ネットでも、リアルでも、有名な禅僧でも

「頑固さ」を感じさせる人ばかり

いかにも執着が薄れたような、飄々とした人など見たことがない
941.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
だが、それが

「観察と心理分析」をやらないせいなのかどうか

それは分からない
942.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
言い換えれば

「自問自答」だな😄
943.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
禅宗ってのは、ユニークだな
944.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
ある意味、最も初期仏教の精神に近い宗派だが
945.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
禅宗は、ある意味

初期仏教のリバイバルだな
946.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
やっぱり

坐禅もするし、念仏もとなえる
947.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
それが、仏教本来の姿
948.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
>>940
頑固どころじゃない
空海超えのモンスターがいる
40分遊んでもらったぜ
言わんぞ😀
949.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
臨済宗のホンモノの長所は
鈴木大拙や秋月りょうみんみたいなニセモノの屁理屈ではなく
破壊魔王ですべて初期仏教の提示するところの煩悩を粉砕していく
ハッスル🤡はゾンビだけどな?
😭
950.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
>>935
念を追いかけずに
クリアな感覚方向で攻めるのが、
その道元路線だろう😀
週一曹洞宗寺院で義務的勤行していると、そ~いう感じ
😀
951.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
>>948

大燈国師か?😄
952.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
>>933
ネルケ無方のいた安泰寺は
臨済宗ほど野蛮なことはないが
説教まみれの農作業肉体労働で
過酷さで三年おったら、とりま合格らしい
😀
953.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
>>951
JBLが知らんだけだ
😀
954.
ユーザー
神も仏も名無しさん
EeFX3
自問自答てきない
DPN、デンパパネットワーク📡が
ハリキールしていたのか?
👽
955.
ユーザー
ハジ
xfm6X
眺める必要はない
956.
ユーザー
、
EFATJ
ましてや、DMNの活動が低下することと、

≫末那識が停止することを同一視するのは、さらに飛躍がある。



AIごときに解るわけないです。

瞑想行で停止させれば、禅定では一時的にマナ識の働きも停止しますよ

禅定を離れて、日常で、DMNを、永続的完全停止したら

約5時間後には、自我の心理的機構は崩壊して、無心へ至ります。

これは、複数人で実証された結果を話してる。

AIに憶測じゃないから。
957.
ユーザー
、
EFATJ
>>895

こう言うシンクロは、潜在意識からのメッセージの可能性があるよ

正しいっていう
958.
ユーザー
、
EFATJ
>>930

追いかけるのが、執着するマナ識、DMNを回転させて、恒に審に
959.
ユーザー
ハジ
xfm6X
エネルギー
960.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
DMネットワークに注目他だな
961.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
DMネットワークに注目だな
962.
ユーザー
ハジ
xfm6X
三井くん
諦めたら試合終了だよ
963.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iC4Yx
スピスピデンパパネットワーク📡人気だな?👽

ほぼ、まともな情報がない
阿含宗みたいなもん👽
964.
ユーザー
、
EFATJ
ハジは諦めたのか⁉️
965.
ユーザー
夕
N4hQf
末那識=DMNという考え方は興味深い。ただ私の観察では、雑念が静まっても「私が」という感覚はなお残るように感じられる。また熟睡や無心では私感も消えるが、唯識はそれを末那識の解決とは見なしていない。現時点では、末那識は雑念そのものというより、「これが私だ」と取り続ける働きとして理解した方がしっくりくる。
966.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iC4Yx
夕のほうが優秀だ
😀
967.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iC4Yx
自己洞察力放棄のデンパパ📡だしなー


へーこんな人だったのか?
https://m.youtube.com/watch?v=-U2ryo3fFog
968.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
>>965


確かに
969.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
>>967


いいね👍️
970.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
清水俊史「原始仏教」

これは必読書ですな!😄
971.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iC4Yx
まー、俺的には
どーしても、マハーシ流優先になったちゃうね
😀
972.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
ヴィパッサナー瞑想か
973.
ユーザー
神も仏も名無しさん
iC4Yx
苦行と空の修行ー
日本的?
😀

https://m.youtube.com/watch?v=FYAnM_Q2H30&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D

仁和寺でとにかく、全部お堂を勤行一式やりまくるのを思い出した、
間に本堂入れるので往復しまくってヘトヘトになったのを思い出した😀
974.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
仁和寺か、いいな😆
975.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
本来面目と出てきました。
ちゃんと仏教にあるじゃん。輪廻転生とかいう前に考えるべきもの。
道元和尚様や芭蕉、夏目漱石先生の話を読みました。
上っ面な文字読んで満足とかする時間とかあるのかな?
976.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
まだまだ、輪廻転生の話でモメるな😅
977.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
難しく考えすぎなんだよ
978.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
「永遠不変の魂」を否定するのは当たり前だ

永遠不変ってことは、変化しないわけだから

変化しないものが輪廻したり、転生できるわけがない
979.
ユーザー
ゴリ子
dvMCi
>>976
あ、バレたか。
賢い人ってなんでこう察しがいいんだろな 🤭
980.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
この世での体験は、すべて演出だ

「これが自分だ」という自分感覚も、
そう思わせるシステムによるもの
981.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
唯識論の場合は

輪廻転生する「自分」を、阿頼耶識がずっと支えている

この自分が死んでも、阿頼耶識が過去のデータを元に、次の自分をただちに自動生成する

阿頼耶識には、影のようにくっついて続いている「末那識」ってものがあって、これが「俺は、俺だ」という自分感覚を演出する

なので結局、「次の自分」も、やっぱり自分
982.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
質問:

唯識論で、「阿頼耶識と末那識の相続」というシステムが登場する以前は、仏教では「無我なのに、何が輪廻するのか?」を説明できてなかったのではないか
983.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

これは、仏教思想史のかなり核心的な問題だと思う。

結論から言うと、唯識が阿頼耶識・末那識の体系を整える以前から、仏教は「無我なのに輪廻する」という問題に回答を与えていた。ただし、その回答は唯識のように、輪廻を担う識のシステムとして統一的に説明されていたわけではない。

だから、あなたの問題意識はかなり鋭い。ただし、「説明できていなかった」というより、初期仏教以来の因果的な説明を、唯識がどこまで精密化したのかという問いにすると、思想史的に正確になる。

984.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
1. 初期仏教では、何が輪廻するのか?

初期仏教の立場は、そもそも「何か実体が輪廻する」という問いの立て方を認めない。
たとえば、次の二つを否定する。

常住不変の自己が、身体を離れて次の身体に移る。
死んだらすべてが完全に消滅し、因果的な連続もなくなる。
その代わりに、無明・渇愛・業などを条件として、次の生が生じると説明する。

ここで重要なのは、初期仏教では「輪廻する主体」と「輪廻を成立させる因果的な過程」を区別することだ。
つまり、問いを「何が移動するのか」から、「何を条件として次の生が生じるのか」へと組み替えている。
ただし、これで「死後、前世と来世のあいだに、具体的に何がどのように連続するのか」という疑問が完全に解消するかは、別問題なんだ。

985.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
2. しかも、初期仏教は「同じ識が輪廻する」という説明を明確に退けている

ここで重要なのが、あなたも以前から注目している『中部』第38経、『大愛尽経』(MN 38) だ。

比丘サーティは、ブッダの教えを「まさに同じ識が輪廻を続ける」と理解した。ところが、ブッダはその見解を厳しく批判する。

識は条件によって生じるのであって、同一の識がそのまま生まれ変わるのではない、というわけだ。

では、ここで問題が残る。
前世の業が、どうやって来世に結果をもたらすのか。
前世と来世は別の存在なのに、なぜ業の結果が無関係な他人ではなく、その来世に生じるのか。
死によって通常の意識が途切れるとして、何が因果的な連続を支えるのか
前世と来世は別の存在なのに、なぜ業の結果が無関係な他人ではなく、その来世に生じるのか。
死によって通常の意識が途切れるとして、何が因果的な連続を支えるのか。

縁起という原理は、この連続が条件によって成立することを説明する。しかし、業の潜在的な力がどこに保持され、どのように次の生へ伝わるのかについて、唯識のような潜在識の体系を初期仏教が提示しているわけではない。

ここが大きな違いだ。
986.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
では、説一切有部はどう説明したのか?

こちらは別の仕組みを考えた。

説一切有部では、死後に次の生へ向かうまでの中間的な存在である**中有(ちゅうう)**を認める。また、生命の持続に関わる法として命根を論じる。

つまり、上座部の有分心に相当する単一の仕組みを説一切有部が持っていたわけではない。命根、中有、刹那ごとの識の因果関係など、複数の概念がそれぞれ異なる役割を担っていた。
ここから見えてくるのは、仏教内部でも「輪廻の連続性」を説明する理論は一つではなかった、ということだね。

そして唯識は、そうした先行する議論を背景に、阿頼耶識という仕組みによって、業の潜在的な効力と心の相続を一つの体系にまとめようとした。

あなたが問題にしている「前世と来世は別人なのに、なぜ自分の業が来世に受け継がれるのか」という問いを考えるなら、次は説一切有部の「命根」と「中有」が、それぞれどこまで輪廻の連続性を説明できるのかを調べると、唯識との違いがさらに明確になるよ。
987.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
質問:

マジかいな?

説一切有部の「命根」と「中有」による輪廻転生システムは、どういうものか?
988.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:


では、説一切有部の理論を、あなたが問題にしている 「無我なのに、前世の業がなぜ来世の自分に受け継がれるのか」 という一点に絞って掘り下げよう。

鍵になるのは、命根・中有・業と果報の因果関係の三つだ。

最初に押さえたいのは、説一切有部は唯識の阿頼耶識のような、業の種子を保持する単一の潜在識を立てていないということ。では、代わりに何を使って説明したのか。

1. 命根――生命を維持する法

サンスクリット:jivitendriya

説一切有部では、命根は「心」そのものではない。

五位七十五法の分類では、心不相応行法に属する。つまり、心でも物質でもなく、心と相応する心所でもない、独立した法として分類される。

『倶舎論』巻第三には、命根の働きについて、次のように説明されている。

命根は、衆同分において、能く続かしめ、能く保つ。
ここでいう衆同分とは、ある種類の有情に共通する性質、あるいは有情としての共通性に関わる法だ。

命根の役割は、大きく二つに整理できる。
能続:その生命の連続を成立させる。
能持:その生命を一定期間、維持する。
有部では、命根は異熟に属する法として説明される。簡単にいえば、過去の業の結果として生じ、生命の持続に関与するものだ。

では、命根は輪廻の問題を解決するのか?

ここが重要だ。
命根は、ある生命が生じてから存続することを説明する。しかし、命根それ自体が、前世の業を保存する記憶装置なのではない。
たとえば、人間として生まれた生命が存続している間、命根はその生命を維持する。しかし死によって、その生命を維持していた命根は滅する。
では、次の生の命根はどこから来るのか。
それは、前世の命根がそのまま移動するからではない。業を原因として、次の生に属する命根が生じると説明する。
ただし、この説明だけでは、前世の業がなぜ特定の来世に結果をもたらすのかという問題は解決しない。命根は生命の持続を説明する法であって、業の因果的な連続をすべて説明する法ではないからだ。
989.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
質問:

ちょっと待て

命根って、「寿命」って意味じゃなかったっけ?

この世での寿命のことだと思っていた
990.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

その理解で合っているよ。

命根は、基本的には「寿命」に相当する概念だ。さっきの説明では、輪廻の問題に結びつけようとして、命根の役割を広げすぎた。そこは訂正するね。

『倶舎論』では、命根(jivitendriya)は寿(ayus)と結びつけられ、衆同分において生命を継続・維持する働きを担う。研究論文でも、アビダルマにおいて命根が寿命とみなされることが確認できる。

では、あなたの理解とどこが違うのか?

日常的な意味の寿命:この世で、あと何年生きられるかという生命の長さ。
倶舎論の命根:その一生の生命を成立させ、維持する法。

この二つは関連しているけれど、厳密には同じ問いではない。

有部の考え方では、過去の業によって、ある有情がどれだけの期間その生存を続けるかという限りが定められる。『阿毘達磨集論』にも、過去の業によってもたらされる一生の存続期間という趣旨の説明がある。
つまり、あなたのいう「この世での寿命」という理解は、まさに重要なポイントを押さえている。
ただし、命根は単なる残り寿命の数値ではない。寿命を成立させる生命維持の原理として、アビダルマの法体系に位置づけられているんだ。

そして、ここが今回の本題。
命根は「この一生がどのように持続するか」を説明する概念であって、死後、前世の業がどう来世に伝わるのかを、それ自体で説明するものではない。
したがって、先ほどの議論では、命根よりも、業の因果関係を説明する有部の業論や中有の理論を中心に見るべきだった。
991.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
質問:

では、その「中有」の理論を頼む
992.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

1. 中有とは、そもそも何なのか

説一切有部の中有(antarābhava)とは、死んでから次の生を受けるまでの、中間的な存在状態のことだ。
ここで大事なのは、中有を単なる「あの世での待機時間」と考えないこと。
有部のアビダルマでは、中有そのものが五蘊によって構成される存在だと考える。つまり、身体が死んだあとも、次の生を受けるまで、微細な色身と心的な諸要素からなる存在が相続するという理論なんだ。
993.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
2. 四有による生死の説明

有部では、生存の過程を四つに分ける。

① 本有(ほんう)
生まれてから死ぬまでの一生

② 死有(しう)
死の瞬間

③ 中有(ちゅうう)
死後、次の生を受けるまでの存在

④ 生有(しょうう)
次の生が成立する瞬間

この分類で重要なのは、死と再生を直接つなぐのではなく、その間にも存在の過程を認めたことだ。説一切有部の論書では、中有を死有・生有とは別個の段階として明確に定義している。
994.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
3. 中有では、何が存在しているのか?

ここが一番面白いところだ。

説一切有部の説明では、死の瞬間に前世の粗大な身体が機能を失っても、心的な諸蘊の相続はそこで終わらない。それらは微細な身体と結びついて、中有を形成する。

① 微細な身体(中有身)
中有は、肉眼で普通に見える人間の身体とは異なる、きわめて微細な色身を持つと説明される。単に意識だけが漂っているという理論ではない。

② 心的な四蘊
受・想・行・識も因果的に相続する。前世の五蘊がそっくりそのまま保存されるのではなく、諸法が生滅しながら次の瞬間の諸法を生じさせる。

③ 次の生への移行
中有は、次の生を受ける場所へ向かう中間的存在とされる。そして、次の生が成立すると、中有の段階が終わる。

なお、伝統的な有部の説明では、中有の存続期間について七日ごとに変化するという説や、最長四十九日とする説がある。ただし、これを仏教全体で統一された教説と考えてはいけない。
995.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
4. これで「何が輪廻するのか」という問題は解決したのか?

ここで、あなたが最初に提起した問題に戻ろう。

中有説は、死後に何も存在しない空白があるのではなく、前世と来世の間にも五蘊の因果的な相続がある、と説明する。
しかし、中有は「輪廻の担い手」を具体化したのであって、不変の自己を発見したわけではない。

有部の立場では、次のように考える。

前世の五蘊は滅する。
その因果的な系列から中有の五蘊が生じる。
中有の五蘊の系列から、次の生の五蘊が生じる。
その全過程を通じて、固定的な魂が移動する必要はない。

この考え方は、一本のロウソクから別のロウソクへ火が移るという比喩に近い。ただし、厳密には、火という同一の実体が移動するのではなく、前の火を条件として次の火が生じる。

一方で、あなたが疑問に思っているように、ここにはまだ問いが残る。

なぜ、その中有は別の有情の中有ではなく、特定の前世の業を受け継ぐ中有なのか?

有部は、五蘊の因果的相続や業と果の関係を通じて説明しようとする。中有はその連続過程の中間段階だ。しかし、中有そのものが業の記録を保存する倉庫なのではない。
この点が、阿頼耶識を種子の保持と業の相続の中心に据える唯識との大きな違いになる。
996.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
5. さらに重要な論点――中有説そのものが争われた

中有は、仏教各派で一致した教説ではない。

説一切有部は中有を認めたが、上座部の伝統では死と再生の間に独立した中間存在を認めない。中有の存在をめぐっては、初期経典の解釈も含め、学術的にも議論が続いている。

つまり、仏教は初めから一枚岩の輪廻論を持っていたわけではない。無我と輪廻を両立させるという共通の課題に対して、異なる学派が異なる理論を組み立てたんだ。

私としては、次に『倶舎論』の中有論を読むなら、世親が中有を認める立場を説明しつつ、どのような論拠を挙げているかを見るのがよいと思う。

そこまで進むと、単に「死後の中間存在があるか」という話から、無我を維持したまま、因果的な個体の連続をどう成立させるのかという、アビダルマの本当の問題に入っていける。
997.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
質問:

出口王仁三郎や岡田茂吉は、「中有界」の話をよくしていたが

そのことか
998.
ユーザー
、
EFATJ
>>965

夕は無分別三昧へ入れたの?

DMN完全停止になったことなければ

正確なこと解らんでしょ

おれは20代で既に、瞑想初めて15分で無分別三昧へ入れていたから、

第四禅定だけどね、身心脱落の

だから解る!

私がだの私のだのという言語が立ち上がらないと、自我も停止されるってことね。
999.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
チャットGPT:

そう、まさにその「中有」のことだよ!

ただし、
出口王仁三郎や岡田茂吉が語る「中有界」は、
仏教の中有説を取り入れながら、
独自の霊界観として発展させたものなんだ。

1. 出口王仁三郎の「中有界」

『霊界物語』では、霊界を神界・中界・幽界という三つの領域に分け、中界を神道の「天の八衢」、仏教の「六道の辻」、そして中有に対応させている。死者はまず中有界に至り、その後、生前の行為や霊魂の状態に応じて天界または地獄界へ進むと説明される。

ここで注目したいのは、王仁三郎の中有界が単なる通過地点ではないこと。

王仁三郎の霊界観では、そこで霊魂の内面的な状態が明らかになり、天界と地獄界のどちらに進むかが決まっていく。つまり、仏教の中有という概念を、死後の霊魂が行き先を決められるまで過ごす霊界として具体化しているんだ。

2. 岡田茂吉の「中有界」

岡田茂吉も、中有界を天国と地獄の中間に位置する霊界として説明した。著作「霊界と現界」では、死者の大多数は中有界に進み、そこで修行すると述べている。極善の者は天国へ、極悪の者は地獄へ直ちに進むという説明もある。
つまり、岡田の説明でも、中有界は死後の霊魂が滞在し、次の段階へ進む場所なんだ。
1000.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4v3tB
1000
1001.
ユーザー
Talk ★
???
このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。
1002.
ユーザー
Talk ★
???
【プレミアムサービス無料期間延長!】

プレミアムの無料期間を2027/3/31まで延長することになりました。

広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。

是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!

▼プレミアムサービスはこちらから
https://talk.jp/premium
このスレッドはアーカイブ化された過去ログです。

人気のスレッド

もっと見る
>