ザ.仏教

1.
ユーザー
YAGM7
真言密教の目的は即身成仏です。
身体を捨て死後に別の世界へ行って仏に成るのではなくて今この身において仏の境地を実現する教えです。

身体をもつ人間が宇宙のすべて全知全能になるという意味ではなく迷いや自己中心を超えて自己と世界を仏の真理に即して捉え直すってことです。

悟りを頭で理解するのではなく生き方全体で実現しようとしてるのです。

禅宗の悟りは真言密教と違う道筋です。

座禅を通して自己中心や思考や物事を自分と対象を分けて捉える認識の在り方を問い直す。

私が木を見ている時、美しいって判断や意識に囚われず木は木としてあるものとして見ます。

悟りは木と私が一つになった気がするって感覚心理だけでなく実体とみなす見方の転換です。
自己中心認識超えて智慧と慈悲の実践です。

あらゆるものは原因と結果、条件や関係性などによって成立します。だから固定化実体、本質があるわけではない。

悟りは無心を含みながら更に世界と自己の在り方に対する根本的な目覚めを指します。
仏教の修行は体験が生じただけでなくそれが無我や空において智慧と結び付いてるか、執着が弱まり他者への慈悲が深まるかも問われます。修行は新しい情報を得ることだけでなく
自分の認識が変わることでもあります。

自然が自分の外にある対象というより自分の存在を成り立たせる全体のように感じる或いは自分の行為している意識さえ薄れる。こうした体験は勿論重要です。

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2.
ユーザー
YAGM7
仏教における悟りを無意識や心理体験だけに還元することは出来ません。
3.
ユーザー
YAGM7
真言密教は宇宙の真理と自己の不二性。
禅宗は自己と対象を分ける認識の転換です。
西田哲学は経験と場所からそんなを問い直す。
みんな、同じ思想ではない。
西田哲学は哲学概念によって経験と存在の構造を明らかにしようとする。
真言密教は教義と儀礼的な修行を通して即身成仏を目指す。
禅宗は座禅を通して悟りを実現し智慧を生き方に表します。
4.
ユーザー
YAGM7
それぞれ何を真理と呼ぶのかが異なりますが
共通する問いがある、私達が普段、自分が世界を認識している。と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしているのではないか。ということです。
5.
ユーザー
jHYvp
wwwwwwwwwwwwwwwwww

吹いた🤪

あんた、そういうの好きなんだね。
6.
ユーザー
jHYvp
私達が普段、自分が世界を認識している。と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしているのではないか。ということです。

 ↓

私達が普段、自分が世界を認識している。
と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしている。
と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしている。
と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしている。
と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしている。
と考えるその認識が存在の真実を見えにくくしている。
♾️


先ずはこの輪廻から脱する事だよ。
7.
ユーザー
YAGM7
あの問いを比較哲学の対象として扱うことが出来るのです。
8.
ユーザー
3qmoX
んじゃ板違いだね。
ここは宗教板だから。
9.
ユーザー
YAGM7
人間の苦悩は単なる知識が不足してるから生じるのではなく自己と世界、生死と有限と無限、矛盾の中を生きてることに深く関係しています。

したがって救済は矛盾の一方を否定して解決することだけでは得られない。矛盾を抱えた自己の在り方そのものが転換する時、世界は異なる意味をもって現れます。その転換を通して認識では捉えられない超越の次元が開かれる可能性があります。
虚空、座禅、西田哲学、久松の東洋的無を比較して共通する構造を明らかにしようとふる試みはこの超越の可能性と人間の救済を探るためのもの、ここで問われてるのは単に世界をどう認識するかではなく人間の現実をどのように超えてその生を新たな意味のもとで生きることが出来るかという問題です。
10.
ユーザー
YAGM7
転換を通して通常の認識では捉えられない超越の次元が開かれる可能性がある。このダイナミズムの反転で有限な苦悩を生きる人間の宗教的救済は救い無き虚無の底から立ち上がる再会の余韻を聞くことなしには人は永遠に救われない。
11.
ユーザー
YAGM7
それぞれ思想の異なる言葉で追求してきた存在の根底を比較し経験する世界と目に見えない存在との関係を現代に通ずる哲学として問い直す。
12.
ユーザー
YAGM7
見えるものは見えないものの現れという問題提起はその統合を考えるための出発点になりえます。
13.
ユーザー
Dw5z4
お陰で沢庵和尚様を読めました。
ご飯のお供にピッタリでした。
14.
ユーザー
6zLLa
沢庵うまいやつはうまいよなーw