【ブッダの教えは】仏教がわかってきた人のスレ 39 【こうだった】最終更新 2026/11/04 00:151.◆JBLfMwCXhYfEZwk前スレ【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4https://talk.jp/boards/psy/1791593861仏教がわかってきた人のスレ vol.37https://talk.jp/boards/psy/1786363932【ブッダの教えは】仏教がわかってきた人のスレ 38 【こうだった】https://talk.jp/boards/psy/17920258792026/11/01 07:01:2727コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYfEZwk四諦苦諦(くたい)生きることは本質的に苦である。生きるということは、苦を背負って日々を過ごすことだ。どこかの心優しい神様が、手をさしのべて助けてくれるわけではない。集諦(じったい)あらゆる出来事は必ず何らかの原因によって起こる。苦の原因は煩悩である。満足が得られないから、苦しくなっていく。滅諦(めったい)煩悩を消すことで苦が滅する。この世で起こっているものはすべてうつろう。現実をありのままに受け入れ、その世界に耐えるべく、自分の価値観・世界観を変えていく。この世の一切の事物は自分のものではないと自覚する。道諦(どうたい)煩悩をなくし、悟りを得るための方法がある。その方法を、ブッダは教える。2026/11/01 07:01:423.◆JBLfMwCXhYfEZwk八正道正見(しょうけん): 正しい見解。四諦を理解し、偏見なく真理を見ること正思惟(しょうしゆい): 正しい考え。欲望や怒り、害意を離れた思いを持つこと正語(しょうご): 正しい言葉。嘘、誹謗中傷、陰口、無駄話をしないこと正業(しょうごう): 正しい行い。人に迷惑をかけず、殺生や盗みなどをしないこと正命(しょうみょう): 正しい生活。規則正しく健全な職業や生活を送ること正精進(しょうしょうじん): 正しい努力。怠らず、正しい道を歩む努力をすること正念(しょうねん): 正しい気づき。常に理性的な心を保ち、今に集中すること正定(しょうじょう): 正しい精神統一。瞑想などを通じ、心を安定させること2026/11/01 07:01:574.◆JBLfMwCXhYfEZwk三法印「これが仏教である」という釈迦の教えのブランド・認定印のような役割を果たします。1、諸行無常(しょぎょうむじょう)この世のあらゆる現象や形成されたものは常に変化し、不変なものはないという真理。2、諸法無我(しょほうむが)すべての事象(諸法)は、互いに依存し合って存在しており、単独で不変の「自分(我)」という実体はないという真理。3、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)無常で無我な世の中(執着、欲望)から離れ、迷いが消えた「悟り」の境地は静やかな安らぎであるという真理。補足事項これに「一切皆苦(いっさいかいく:すべては苦である)」を加えて「四法印」と呼ぶこともあります。2026/11/01 07:02:115.◆JBLfMwCXhYfEZwkスッタニパータ 蛇の章1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2026/11/01 07:02:416.◆JBLfMwCXhYfEZwkスッタニパータ 犀の角の章35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲する処に赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。43 出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。2026/11/01 07:02:587.◆JBLfMwCXhYfEZwkスッタニパータ 八つの詩句の章796 世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のものである」と考えて、それよりも他の見解は全て「つまらないものである」と説く。それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。797 かれ(=世間の思想家)は、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを全てつまらぬものであると見なす。798 ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と〔真実に達した人々〕は語る。それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。799 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人より「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。800 彼は、既に得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分かれているが、彼は実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。801 彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、彼には何も存在しない。802 彼はこの世において、見たこと、学んだこと、或いは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?803 彼等は、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。彼等は、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。2026/11/01 07:03:228.◆JBLfMwCXhYfEZwk本スレの方針1、「観察の実践」、それが最大のテーマ2、「輪廻転生」の是非を巡る論争を、なるべく避ける3、 自己の見解に固執しない2026/11/01 07:03:599.◆JBLfMwCXhYfEZwkテンプレは以上2026/11/01 07:04:1710.ゴリ子qA90V観自在菩薩と観世音菩薩の違い。私は般若心経もまだ覚えられない上に法華経などまだみせてもくれないレベルですが、これの事が書きたい。音をきくと音がわかるの違いと書けば、誰か賢い方が仏教の教えの中でヒントをくれるかも知らないと思いました。もし良かったら教えてください。2026/11/01 09:30:1511.ゴリ子qA90V私には言葉がわかりません。ピカソが晩年に描いたもの、と似たように仙厓の○△□。これが何で伝わるのだろう?曼荼羅みたいにわかりやすく伝わるのもがあるのだろうか?その言葉を知りません。2026/11/01 11:14:5712.神も仏も名無しさんdmA9Xおばちゃん2026/11/01 23:57:5213.◆JBLfMwCXhYxmpuU前スレ完走⤴️2026/11/02 03:58:1914.ゴリ子PcfCSルールがあるんだ。知らずでごめんなさい。2026/11/02 07:35:0515.神も仏も名無しさんkhR8o麦情報は無視したほうが良い😀2026/11/02 08:15:0116.◆JBLfMwCXhYDt5Tn>>14ルールはとくに無し2026/11/02 14:25:5417.ゴリ子ife5Kありがとうございます。少し思った空海の曼荼羅の二枚は⚪︎と◻︎。それをあの△で繋げられたもの。マルサンカクシカクは宇宙の法則のようだなと思いました。2026/11/02 14:39:0918.神も仏も名無しさんwZ2dt>>17禅がらみの情報はフェイク禅解釈されているので除外推奨😀2026/11/02 14:43:1419.神も仏も名無しさん0zBMl世界には二つの原理があります、物理的世界と意識世界、これ等は異なる原理でありその上でそれらの関係が問われる、自然科学において意識は物理的世界から生じたとされます。同時に物理的世界のことは意識を通じてしか知ることができない。悟りとは意識が意識として成立する瞬間を捉えることだと井筒俊彦はこれを存在のゼロポイントと呼んだ。この現象を西田哲学は純粋経験、絶対無の場所、と呼び、久松真一は絶対的主体、無想の自己と呼び禅宗では仏性と呼び、神と呼ばれたり、この現象の特徴はそれが言葉で分節される以前です。生きてる限り根底に意識が意識として成立する瞬間がある、人々は意識の中で生きてる、すべての事物は意識の上に現れる、すなわち事物は意識が意識として成立する瞬間の上に成り立つ。仏教においても誰もが悟っているってのはこのためです。上記の現象を体感する方法として禅宗では公案や座禅、浄土教の念仏や天台宗や山伏の山歩き、神に祈る行為など。2026/11/02 18:35:1420.あいだみつおneG4cグローバリズムの真実https://www.facebook.com/share/v/1dEiRT2V21/https://i.imgur.com/9mpUMe1.jpeg2026/11/02 19:16:2021.ゴリ子3aASX三角だともう書いたので、伝わってると思います。と完全にオカルト 爆笑2026/11/03 09:10:5222.神も仏も名無しさんOaBadおばちゃんお腹空いたよ2026/11/03 12:09:3623.ゴリ子plXas>>22餓鬼か?なら飴ちゃんでええやろ?多分どっかの仏がいつの日にかくれるやろ。2026/11/03 21:31:4524.神も仏も名無しさんswnOgおばちゃん、何か作ってえ、肉食やねん2026/11/03 22:08:1025.ゴリ子plXas>>24ええで。ならその肉体脱ぎなはれや。奪衣婆ってそれやろ?ババ様の一人。2026/11/03 23:37:2026.ゴリ子plXas>>25そこに辿り着く事も出来へんここの幽霊が服、着用してる訳やろな。あっこにいければ、ババ様が脱がしてくれるわ。肉体寄越せな?2026/11/03 23:40:1027.あいだみつお0Z7QO生ネズミの剥身と生雀の羽ムシリで良いかい⁉️2026/11/04 00:15:51
【CX】超巡!超条先輩→休→【TX】追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。→休→【CX】DARK MACHINE THE ANIMATIONなんでも実況J906202026/11/04 02:16:55
【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4
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仏教がわかってきた人のスレ vol.37
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【ブッダの教えは】仏教がわかってきた人のスレ 38 【こうだった】
https://talk.jp/boards/psy/1792025879
苦諦(くたい)
生きることは本質的に苦である。
生きるということは、苦を背負って日々を過ごすことだ。
どこかの心優しい神様が、手をさしのべて
助けてくれるわけではない。
集諦(じったい)
あらゆる出来事は必ず何らかの原因によって起こる。
苦の原因は煩悩である。
満足が得られないから、苦しくなっていく。
滅諦(めったい)
煩悩を消すことで苦が滅する。
この世で起こっているものはすべてうつろう。
現実をありのままに受け入れ、その世界に耐えるべく、
自分の価値観・世界観を変えていく。
この世の一切の事物は自分のものではないと自覚する。
道諦(どうたい)
煩悩をなくし、悟りを得るための方法がある。
その方法を、ブッダは教える。
正見(しょうけん): 正しい見解。四諦を理解し、偏見なく真理を見ること
正思惟(しょうしゆい): 正しい考え。欲望や怒り、害意を離れた思いを持つこと
正語(しょうご): 正しい言葉。嘘、誹謗中傷、陰口、無駄話をしないこと
正業(しょうごう): 正しい行い。人に迷惑をかけず、殺生や盗みなどをしないこと
正命(しょうみょう): 正しい生活。規則正しく健全な職業や生活を送ること
正精進(しょうしょうじん): 正しい努力。怠らず、正しい道を歩む努力をすること
正念(しょうねん): 正しい気づき。常に理性的な心を保ち、今に集中すること
正定(しょうじょう): 正しい精神統一。瞑想などを通じ、心を安定させること
「これが仏教である」という釈迦の教えのブランド・認定印のような役割を果たします。
1、諸行無常(しょぎょうむじょう)
この世のあらゆる現象や形成されたものは常に変化し、不変なものはないという真理。
2、諸法無我(しょほうむが)
すべての事象(諸法)は、互いに依存し合って存在しており、単独で不変の「自分(我)」という実体はないという真理。
3、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
無常で無我な世の中(執着、欲望)から離れ、迷いが消えた「悟り」の境地は静やかな安らぎであるという真理。
補足事項
これに「一切皆苦(いっさいかいく:すべては苦である)」を加えて「四法印」と呼ぶこともあります。
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。
39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲する処に赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。
42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
43 出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。
44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。
796 世間では、人は諸々の見解のうちで
勝れているとみなす見解を「最上のものである」
と考えて、それよりも他の見解は全て
「つまらないものである」と説く。
それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。
797 かれ(=世間の思想家)は、
見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、
自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、
そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを
全てつまらぬものであると見なす。
798 ひとが何か或ものに依拠して
「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、
それは実にこだわりである、と〔真実に達した人々〕は語る。
それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、
または戒律や道徳にこだわってはならない。
799 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは
「勝れている」とか考えてはならない。
800 彼は、既に得た(見解)[先入見]を
捨て去って執著することなく、学識に関しても
特に依拠することをしない。
人々は(種々異なった見解に)分かれているが、
彼は実に党派に盲従せず、いかなる見解をも
そのまま信ずることがない。
801 彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、
この世についても、来世についても、願うことがない。
諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、
彼には何も存在しない。
802 彼はこの世において、見たこと、学んだこと、
或いは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも
構えていない。いかなる偏見をも執することのない
そのバラモンを、この世においてどうして
妄想分別させることができるであろうか?
803 彼等は、妄想分別をなすことなく、
(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。
彼等は、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。
バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。
このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。
1、「観察の実践」、それが最大のテーマ
2、「輪廻転生」の是非を巡る論争を、なるべく避ける
3、 自己の見解に固執しない
テンプレは以上
私は般若心経もまだ覚えられない上に法華経などまだみせてもくれないレベルですが、これの事が書きたい。
音をきくと音がわかるの違いと書けば、誰か賢い方が仏教の教えの中でヒントをくれるかも知らないと思いました。
もし良かったら教えてください。
ピカソが晩年に描いたもの、と似たように仙厓の○△□。
これが何で伝わるのだろう?
曼荼羅みたいにわかりやすく伝わるのもがあるのだろうか?
その言葉を知りません。
😀
ルールはとくに無し
少し思った空海の曼荼羅の二枚は⚪︎と◻︎。
それをあの△で繋げられたもの。
マルサンカクシカクは宇宙の法則のようだなと思いました。
禅がらみの情報は
フェイク禅解釈されているので
除外推奨😀
悟りとは意識が意識として成立する瞬間を捉えることだと井筒俊彦はこれを存在のゼロポイントと呼んだ。
この現象を西田哲学は純粋経験、絶対無の場所、と呼び、久松真一は絶対的主体、無想の自己と呼び禅宗では仏性と呼び、神と呼ばれたり、この現象の特徴はそれが言葉で分節される以前です。生きてる限り根底に意識が意識として成立する瞬間がある、
人々は意識の中で生きてる、すべての事物は意識の上に現れる、すなわち事物は意識が意識として成立する瞬間の上に成り立つ。
仏教においても誰もが悟っているってのはこのためです。上記の現象を体感する方法として禅宗では公案や座禅、浄土教の念仏や天台宗や山伏の山歩き、神に祈る行為など。
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と完全にオカルト 爆笑
餓鬼か?
なら飴ちゃんでええやろ?
多分どっかの仏がいつの日にかくれるやろ。
ええで。ならその肉体脱ぎなはれや。
奪衣婆ってそれやろ?ババ様の一人。
そこに辿り着く事も出来へんここの幽霊が服、着用してる訳やろな。
あっこにいければ、ババ様が脱がしてくれるわ。肉体寄越せな?