西村博之氏「古文漢文なんてオワコンを学校で習う暇あればIT教育した方が社会に出て役立つ人材が育つ」アーカイブ最終更新 2024/03/17 03:591.名無しさん@涙目です。xFaNU日本人はITの知識を軽視しすぎて生産性が悪いみたいなとこあるからな2024/01/17 12:20:55815すべて|最新の50件766.名無しさん@涙目です。G8rVi>>765下っ端の防人ですらかなりハイクオリティな歌を読んでいたというのにマジでそれ以下よな2024/03/02 18:29:00767.名無しさん@涙目です。jOd9z漢詩や和歌でウン十年経った今でも覚えてるものもあるけどな真面目に勉強すれば面白い2024/03/03 00:54:38768.つづき 遠野物語序文2PWcE書き込みができない。おかしい2024/03/03 06:24:30769.名無しさん@涙目です。2PWcE要するにこの書は現在の事実なり。単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。ただ鏡石子は年わずかに二十四五自分もこれに十歳長ずるのみ。今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも弁えず、その力を用いるところ当を失えりという人あらば如何。明神の山の木兎のごとくあまりにその耳を尖らしあまりにその眼を丸くし過ぎたりと責むる人あらば如何。はて是非もなし。この責任のみは自分が負わねばならぬなり。おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも2024/03/03 06:27:44770.現代語訳2PWcE------------要するに、この書は現在の事実を記したものである。このことだけでも立派な存在理由があると信じる。ただ鏡石君は年齢わずかに二十四五に過ぎず、自分もそれよりわずかに十歳年長にすぎない。(若齢で活発な世代であるにかかわらず)今の事業多く忙しい時代に生まれながら、事の大小もわきまえず(珍談奇談を収集するなど)その力を用いるところを失しているのではないかと批判する人もいよう。明神様のある山の木菟(ミミズク)のごとくに、あまりにその耳を尖らし、あまりにその目を丸くし(興味を覚えるままに節操もなく)話を聞いたり物を見過ぎたと責める人がいたら何と答えよう。はて、そのときは仕方がない。この責任のみは自分が負わなければならないだろう。老いたまま飛びもせず鳴きもせず、(時代を超えて世を見据えている)あちらの森のフクロウがさぞかし我々のしたことに呆れて笑っているかも知れないぞ2024/03/03 06:28:36771.名無しさん@涙目です。2PWcE最後の歌は老いてじっとしているだけの、あの森のフクロウは(ミミズクなどよりずっと話を聞き物を見ているはずだが)、飛びもせず鳴きもしない。我々のしたことをさぞかし笑っているかも知れないぞなお、序文に添える歌を 序歌 という。序文に代えて と歌を添える場合もあり、この場合も序歌と言った。2024/03/03 08:03:55772.名無しさん@涙目です。BkSvL>>766下っ端防人自身の歌じゃないだろ束ね役の地方豪族か、中央の担当役人が「下っ端になり変わって」詠んだと考えるのが妥当貧窮問答歌みたいなものだ2024/03/03 14:27:03773.名無しさん@涙目です。B3Afo序歌 とはもともとは序言としての歌を言った。つまり、昔は本の著者は前文をズラズラと書くようなことはなく、簡潔に巻頭に歌を記したのだ。前文を書くことが行われるようになっても前文は比重が軽く、歌にこそ意味があった。前文は著者の教養を示すためか、漢詩で書かれることが多かった。これを詩序という。「初春令月、気淑風和、梅披鏡前粉、蘭薫珮後之香」(初春の令月 にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す)この令月と風和らぎ(かぜやわらぎ)が組み合わされて今の年号令和が生まれたのはご存じのとおり。この文章はもともとは『万葉集』巻五「梅花歌三十二首并序」の詩序である。「天平二年正月十三日に、帥老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)べたり。 時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。しかのみにあらず、曙(あけぼの)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛(か)けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)け、夕(ゆふへ)の岫(くき)に霧(きり)結び、鳥はうすものに封(と)ぢられて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに、天を盖(きぬがさ)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室(いっしつ)の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)に自(みづか)ら放(ほしいまま)にし、快然(くわいぜん)に自(みづか)ら足(た)りぬ。若(も)し翰苑(かんゑん)にあらずは、何(なに)を以(もち)てか情(こころ)をの(手偏に「慮」)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)と夫(そ)れ何か異ならむ。宜(よろ)しく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、聊(いささ)かに短詠を成すべし。」2024/03/04 04:05:32774.名無しさん@涙目です。Rz7RI「社会の(中下層で)役立つ人材が育つ」なら間違ってはいないな2024/03/04 05:20:11775.名無しさん@涙目です。aYZFU>>773何でこの漢文は漢詩で文字数を揃えられてないんだろうな韻もまともに踏んでないこれが日本の僧侶が造った経文ならばちゃんと考えて造る学問というのは寺でしかまともにやってなかったんだよな2024/03/04 11:41:09776.名無しさん@涙目です。B3Afo>>775お前、漢詩ってどれでも文字数が揃えられてると思ってんのかww楽府詩集 より中庭 雑樹多 、偏為梅杏嵯。 聞君何独然 、念其霜中能作花 、露中能作実。揺蕩春風媚春日、念爾零落逐風劔 、徒有霜華無霜質。(宋 ・飽照)韻がどうしたこうしたといった疑問があるなら 近体詩 古詩 というのを調べてみるんだね2024/03/04 20:54:07777.名無しさん@涙目です。Bd5Nkそらあ俳句や和歌でないのも詩なんだろうが五言絶句や七言律詩が基本だろそうでないものは観ても何これとしか思わんな大体漢文でも史記やその前の周代の漢籍以外は読む価値ないだろ何でも価値があるなら現代の下らん音楽でも価値があるとか言うことになるな意味不明の歌詞でがなってるだけの騒音を無価値と断罪すんのと同じだ2024/03/04 23:13:39778.名無しさん@涙目です。xTuz7IT教育って具体的になんなん?ひろゆきってプログラム作れるん?2024/03/06 00:37:37779.名無しさん@涙目です。d4blo>>777お前さぁ、マジで馬鹿過ぎるよ境界知能というやつじゃないの? 相手してるの悲しくなるわ俺は上で「疑問があるなら 近体詩 古詩 というのを調べてみるんだね」と教えてやったろ近体詩 を調べれば全部分かるんだよコトバンクにだって説明がある。これで十分。引用してみようか中国古典詩の形式。 今体詩とも書く。 韻律の面で比較的自由な古体詩(古詩)に対し、厳格な韻律をもつ。 唐代で確立し一般的となった絶句(ぜっく)、律詩(りっし)、排律(はいりつ)の詩体の総称であり、それぞれ一句の字数により、五言(ごごん)、七言(しちごん)、まれに六言の形式がある。ちゃんと説明されてるだろ。絶句(ぜっく)、律詩(りっし)、排律(はいりつ)の詩体の総称。ここでは大ざっぱに唐代と書かれているが、こういう形式が確立したのが初唐。初唐って分かるな、唐の時代をいくつかに区切ってその最初の時代。618から玄宗即位の前年(711)までだ。高校出てれば知ってるよなw。2024/03/06 05:22:36780.名無しさん@涙目です。d4bloところで奈良時代は710年から。何と立派な平城京(七で「なん」、十で「と」。合わせて南都)712年からの盛唐の時代ともろに重なるんだから、近体詩の形式が初唐の時代に確立したなら日本でもそうなってると思うだろ。君レベルの人はそう思うかも知れないが、そうじゃないんだ。当時、中国の文化はリアルタイムには日本に伝わってこなかった。遣唐使の派遣は630年に始まり以後約200年続く。最後の遣唐使は894に54年ぶりに派遣されたが、これは事実上使節にすぎず留学ではなかった。そして安史の乱によって派遣制度が消滅した。では200年間のうちに何回派遣されたのかというと、中止や渡航失敗の解釈により説は分かれる。諸説あるが12回という説が最小、20回という説が最大である。だいたい多く見積もって、成功したといえるのは15回ぐらいじゃなかろうか。遣唐使が持ち帰ってくる情報は貴重なものではあったが、さほど多くはなかったのである。だから中国でこうなっているからといって、それがそのまま当時の日本にあてはまるかというと、そういうことはない。さらに当時の日本の受容能力の問題がある。奈良時代というのはひどい時代で、陰謀と呪術の時代だった。貴族の誰もがお抱えの呪術師を抱えており、その言いなりになっているような状況。さらに闘争も激しく一度戦いとなると一族を巻き込んで片方を全滅させるまでやった。時代環境的に中国の詩がどうしたというような状況ではなかったのである。中国で近体詩の形式が確立したといっても、同時期に日本でふつうに絶句や韻を踏んだ漢詩が作られていたと考えることはできないのだ。2024/03/06 05:23:09781.名無しさん@涙目です。d4blo日本最古の漢詩集である懐風藻は751年成立とされている。盛唐の時代に入って40年ほど経っている。だが、収録された作品のうち、新体詩の形式で書かれているのは作品の発表が新しい後半のものばかりだ。しかもその中で、「声律において違式のない」のはわずかに「九首」を数えるのみという。懐風藻が編まれた時代には、まだ唐詩はほとんど影響力を持っていなかった。圧倒的に六朝文化の影響が強い。※間違いのない形式で近体詩を書いているのは、遣唐使船で渡唐してついに帰朝することが叶わなかった学僧など、現地で学んだ人に多い。※六朝文化の影響については司馬遼太郎も何度か書いているな。「この国のかたち1」六朝文化の余風について など。建築なども、唐のドカンとした力強いものではなくて、六朝の何となく寂しい儚い感じのものが多い。ところでこの梅花の宴巻五の序文に天平二年(730)とあるから、この詩が書かれたのはほぼ同時期だろう。旅人は翌731年に死んでいる。(こんな寒い時期に外で酒宴などをしたから脳の血管が切れたのじゃないかなどと想像したくなるほどである)。だから遅くとも宴から半年以内に書かれたと考えてよいのである。すると、懐風藻より20年以上前に書かれたことになる。しかも大伴旅人は当時60歳。今なら75歳とか80歳に相当する年齢ではないか。近体詩の漢詩が書けると思うか?旅人が勉学に励んでいた時期(おそらく30歳ぐらいまで)は新体詩の漢詩なんて日本には無かったのじゃないか。唐からの商人や僧などが持ち込んでいたかも知れないが、それをすぐに習得できる日本人がどれだけいたか。時代の新しい懐風藻でも異式のない作品がごくわずかであることからして、老人である旅人が近体詩の形式で詩を書くということはあり得ないのである。2024/03/06 05:24:15782.名無しさん@涙目です。d4bloさらに、この梅花の宴巻五の序文には下敷きになった漢詩がある。王羲之の蘭亭序である。文章はほんとうにそっくりである。しかし、日本には和歌に本歌取りという伝統があり、さらに王羲之のこの文章は習字の手本として広く領布されていた。拓本とされるものが広く出回っていたのである。現代でもこんな感じのものがいくらでもある。http://y-tagi.art.coocan.jp/505.htmlだから、まともに書を学んだ人なら誰でも知っており、そのため盗作ともならなかった。有名な歌の替え歌みたいなものである。蘭亭序書き下し分永和九年、歳(とし)は癸丑(きちう)に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。禊事(けいじ)を脩(をさ)むるなり。群賢(ぐんけん)畢(ことごと)く至り、少長(せうちやう)咸(みな)集まる。此の地に、崇山(すうざん)峻領(しゆんれい)、茂林(もりん)脩竹(しうちく)有り。又、清流(せいりう)激湍(げきたん)有りて、左右に暎帯(えいたい)す。引きて以て流觴(りうしやう)の曲水と為(な)し、其の次(じ)に列坐す。糸竹管弦の盛(せい)無しと雖(いへど)も、一觴一詠、亦以て幽情を暢叙(ちやうじよ)するに足る。(下に続く)2024/03/06 05:26:52783.名無しさん@涙目です。d4blo是の日や、天朗(ほが)らかに気清く、恵風(けいふう)和暢(わちやう)せり。仰いでは宇宙の大を観(み)、俯しては品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめ懐(おも)ひを騁(は)する所以(ゆゑん)にして、以て視聴の娯しみを極むるに足れり。信(まこと)に楽しむべきなり。夫(そ)れ人の相与(あひとも)に一世(いつせい)に俯仰(ふぎやう)するや、或いは諸(これ)を懐抱(くわいはう)に取りて一室の内に悟言(ごげん)し、或いは託する所に因寄(いんき)して、形骸の外(ほか)に放浪す。趣舎(しゆしや)万殊(ばんしゆ)にして、静躁(せいさう)同じからずと雖も、其の遇ふ所を欣び、?(しばら)く己(おのれ)に得るに当たりては、怏然(あうぜん)として自(みづか)ら足り、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らず。其の之(ゆ)く所既に惓(う)み、情(じやう)事(こと)に随ひて遷(うつ)るに及んでは、感慨(かんがい)之(これ)に係(かか)れり。向(さき)の欣ぶ所は、俛仰(ふぎやう)の閒(かん)に、以(すで)に陳迹(ちんせき)と為(な)る。猶(な)ほ之(これ)を以て懐(おも)ひを興(おこ)さざる能はず。況んや脩短(しうたん)化(か)に随ひ、終(つひ)に尽くるに期(き)するをや。古人云へり、死生も亦(また)大なりと。豈(あ)に痛ましからずや。毎(つね)に昔人(せきじん)感を興(おこ)すの由(よし)を攬(み)るに、一契(いつけい)を合(あは)せたるが若(ごと)し。未(いま)だ甞(かつ)て文に臨んで嗟悼(さたう)せずんばあらず。之(これ)を懐(こころ)に喩(さと)ること能はず。固(まこと)に死生を一(いつ)にするは虚誕(きよたん)たり、彭殤(はうしやう)を斉(ひと)しくするは妄作(まうさく)たるを知る。後(のち)の今を視るも、亦(また)由(な)ほ今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな。2024/03/06 05:27:26784.名無しさん@涙目です。d4bloところで、王羲之はいつの時代の人か魏晋南北朝時代の人であり、六朝文化を代表する文人であり政治家である。魏晋南北朝時代とは、後漢が黄巾の乱で滅び、随が再び中国を統一するまでの400年間をさす。王羲之はその間の五胡十六国時代の人。303年に生まれ、361年に死んだ。つまり四世紀の人だ。こういう人物の書いた漢詩が近体詩の形式であるわけがないだろ。そして、この文章に形も中身も真似て書いた梅花の宴序文もまた近体詩の形式であるわけがない。要するに、>>775 は馬鹿で無教養すぎ、冗談みたいなことを書いてしまったのだ。人間教養がないとこんなに恥ずかしい目に会いますよと、という言葉の典型事例。教養が無いだけでなく頭も悪い。馬鹿晒してからの逃げ方も尋常な馬鹿さ加減ではない。>>777>大体漢文でも史記やその前の周代の漢籍以外は>読む価値ないだろだってさ。ふ~~ん、じゃ陶淵明や白居易の詩も読む価値ないのかwwwこれって、フランスの詩でボードレールやヴェルレーヌは読む価値なしと言っているのと同じだぞ。馬鹿大爆発だな。ここの1がスレ盛り上げるために煽ってるのだと思いたいが、馬鹿は本物。お前の親もお前みたいなクズよく生んだよ。二人とも酒飲んでたんだろうなwwww2024/03/06 05:27:52785.名無しさん@涙目です。097rmIT進んでない国だし古文漢文やってる場合ではないけど、教養有る先生に当たる割合高くて今も他の教科よりは話が役に立ってるわ…理系なのに。どうせ日本で開発するには人件費もかかるし労働環境クソだし言語の壁もあるから、むしろ時代遅れになりそうだがね。2024/03/06 13:31:22786.名無しさん@涙目です。ybWVdむしろお経を教えた方がいいでしょう2024/03/06 23:07:48787.名無しさん@涙目です。2lKLw高校の義務教育でやってる場合じゃないよほんと時間は限られてるからやむを得ない2024/03/07 02:22:09788.名無しさん@涙目です。vjf6K>>787うんじゃあ古文漢文やらなくていいから数学物理やろうかって言われてもやらないのが私文2024/03/07 07:15:38789.名無しさん@涙目です。GpKIH俺男子校だったけど、かろうじて数学物理なら分かるんだけど、、、って奴が多かったな文字読んで理解する課目は全然駄目思考ってのは言葉でするんで、理数系も高度なのやるなら言語や文章の力が必要なのよ2024/03/07 12:06:06790.名無しさん@涙目です。GArZpITと経済と政治と科学と数学だけでいい外国語は英会話教室とかで良い2024/03/07 13:40:19791.名無しさん@涙目です。Szkp6必要ないとかオワコンとは思わないんやがこれからAIが翻訳もプログラミングもする時代くるしやな結局AIには文章で指示出すから日本語大事になるんやろかかと言って漢文古文より優先すべきことはある気が2024/03/07 13:58:11792.名無しさん@涙目です。D9dZG何か長文を連投してる基地外居るねこういうのは基本相手にすべきじゃないね大体自分の知識でもないものをこれみよがしにひけらかしてるしそれと文章の本意に対して批判すべきだし人格攻撃ほどみっともないものないね2024/03/07 14:00:02793.名無しさん@涙目です。D5aNaプログラミング言語でもFORTRAN BASIC PASCALあたりはすでに「古典」2024/03/07 20:36:01794.名無しさん@涙目です。jjuo0COBOLはどの辺?2024/03/07 23:43:43795.名無しさん@涙目です。20YDs>>792> こういうのは基本相手にすべきじゃないねお前が一生懸命俺を相手してくんじゃねえか馬鹿w> 大体自分の知識でもないものをこれみよがしに> ひけらかしてるし歴史や文学史の知識に自分の知識なんか関係無いのw定説や通説を土台に議論する以外ないだろ?俺はすべてネットに当たり前に存在する資料で書いてるんだけどな。知ってて当たり前の事柄だからだ。知らないのはおかしいんだよ、ってな意味で出典を記してる。それを「自分の知識でもない」とか「ひけらかす」と言われてもなぁ学問やったことのない人間てのはおかしな考え方するもんだわ勉強になるよ>それと文章の本意に対して批判すべきだしお前の文章に本意なんてあるのか(大笑>人格攻撃ほどみっともないものないね馬鹿晒すほどみっともないものはないぞ。お前はコートの下からチンポ出して喜んでる変態と同じだ。2024/03/08 07:00:27796.名無しさん@涙目です。RA3vD>>794COBOL:万葉集FORTRAN:古事記BASIC:日本書記PASCAL:竹取物語こんなレベルの古典だろう2024/03/08 08:10:32797.名無しさん@涙目です。yuSrN>>796おもろいw2024/03/08 15:44:58798.名無しさん@涙目です。5s9pP大道廃有仁義慧智出有大偽六親不和有孝慈国家昏乱有忠臣多分この程度の文章を理解してない奴が自説を意気揚々と述べてくれるのを期待しよう2024/03/08 23:11:42799.名無しさん@涙目です。5Xc5r国破山河在って漢詩はいい詩だよね2024/03/09 13:57:33800.名無しさん@涙目です。f0v9N大道廃有仁義っての、これ高校の教科書に載ってた。受験参考書でも見た。>>798は高校行ってないってことか2024/03/10 04:38:57801.名無しさん@涙目です。4kLN8漢字の書き取りも然り2024/03/10 13:11:09802.名無しさん@涙目です。GO1mTN88-BASICはプログラミング界の古文だから古文の授業でやるとか…2024/03/11 12:45:13803.名無しさん@涙目です。CxZl5俺はプログラミング勉強してるから古文やらないとかどんだけ頭の容量が小さいんだw2024/03/12 00:54:26804.名無しさん@涙目です。m7Vse学校の授業時間は限られてるので「情報」という科目が追加になったなら何かを減らすのは道理それが古文であるべきかは検討の余地がある2024/03/12 11:53:47805.名無しさん@涙目です。CxZl5>>804そんなこと期待してるお前が馬鹿2024/03/12 12:49:56806.名無しさん@涙目です。9WRs9>>805バカはおまえ授業時間は無限にあるんじゃないんだよだったら社会に出て役立つ学問を入れてそうじゃないものは排除すべし2024/03/13 19:07:22807.名無しさん@涙目です。s5ZcBIT業界で3年前の情報なんて古すぎて役に立たないんだよなあ2024/03/13 19:14:16808.名無しさん@涙目です。sSWyc>>806そもそもお前が高校なんか行ったのが無駄2024/03/14 00:33:55809.名無しさん@涙目です。FKoYB確かにITを仮に高校でやったとして、大学卒業する頃にはAIが学んだこと全部出来ちゃうから必要ないスキルですとかいう落ちはこの先の未来にはありそう。AIの活用方法とか時代にあったもののが所謂ITプログラミングとかよりいいかもしれない。2024/03/14 01:41:16810.名無しさん@涙目です。sSWyc>>806プログラミングを学ぶと社会で役立つかよそんなのごく一部の人間だけだろうし、そもそも高校でちょこっと囓ったところで全然意味ないだろお前は古典とか漢文の勉強したくないだけ理由は馬鹿だからそれだけだろーがw2024/03/14 19:47:34811.名無しさん@涙目です。IJQD0プログラミングの技術よりITリテラシーを学ばせるべきLINEが危険であることぐらい理解できるようにそういうアプリを使わないように2024/03/15 20:14:44812.名無しさん@涙目です。fIx9z>>799一般に流布してる解釈と本来の意味は逆だがな。「戦争には負けたが、大自然は残った → 復興に邁進しよう」 という意味にされているが、本当は「自然は残ったが、俺の勤めていた政府は崩壊してしまった → これからどやって生きてゆこうか」という意味。作者の杜甫が、長年望んでいた仕官が叶い就職した直後、反乱軍によって都が陥落し捕虜になった時に詠んだ歌。2024/03/16 07:57:39813.名無しさん@涙目です。VIkwfそう大道廃れて仁義ありも道が失われてしまったから仁義なんかを説く輩がでてきた嘆かわしいもしくは仁義が説かれるようになったのは大道が廃れたからに他ならないこう解釈するのが妥当だな2024/03/17 01:29:43814.名無しさん@涙目です。gKSis妥当というよりそういう意味だろ。世の中には人の行う道がある。それは当然のことで、昔はあえて道がどうのこうのと言う人はいなかった。ところが世の中が乱れ、道が行われなくなると、ことさら仁義を説く者が現れた。孔子の説く道とは人の道徳であり礼なんだな。仁の心が態度やしぐさに現れたものが礼である。だから孔子の仁義はあくまでも人間社会の話なのだ。これに対し、老子の道とは宇宙の真理である天道につながるものである。人間を超えた万物・天然自然の存在すべてに妥当する真理なのである。老子の考えからすると、孔子の説く仁義などは小賢しい儀礼にすぎない。老子の言葉では 上善水の如し が有名。水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る。 と続く。水は万物を助け育てて誰とも争わない。人々が望むところに流れ(低い方へでも汚い地面へでも流れ)そこで役に立ち続ける。こっちの方まで知っている人を教養のある人という。天網恢恢疎にして漏らさず も有名。天網の意味は誰でも分かるが、恢恢は知らない人が多い。ゆったりしている様を言うんだな。疎 とは目が粗いこと。過疎の疎だな。天の網は一見ゆったりとして目が粗いが、悪行をした者を取りこぼすことはない。という意味。ここにも上記天道の考え方が反映している。疎にして漏らさず、とは天罰を免れないという意味だ。天罰というのも老子の思想から出た言葉。中国語にもともとあった。中国人がよく使った言葉である。天罰覿面覿面とは目の当たりに見ること。天罰はすぐに人々の目の前で加えられるといった意味。天罰が加えられるような罪を覿面の罪という。気の毒だが、安倍ちゃんなんかそうなのかなあ。2024/03/17 03:37:46815.名無しさん@涙目です。8w158李耳の弟子と自称する孔丘は何1つ分かってなかったんだよな道さえあれば全てあるとわざわざ殊更細かくくどく説いてもいる道が無いから徳が無い徳が無いから仁が無い仁が無いから義が無い義が無いから礼が無い礼が無いから智が無い全ては道さえあれば後のもの全てがあるのだと口を酸っぱくして説いてるんだよ道理理法法則こういうのが一番大事で他のは黙っていても修まる2024/03/17 03:59:00
下っ端の防人ですらかなりハイクオリティな歌を読んでいたというのに
マジでそれ以下よな
真面目に勉強すれば面白い
単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。
ただ鏡石子は年わずかに二十四五自分もこれに十歳長ずるのみ。
今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも弁えず、その力を用いるところ当を失えりと
いう人あらば如何。
明神の山の木兎のごとくあまりにその耳を尖らしあまりにその眼を丸くし過ぎたりと責むる人
あらば如何。
はて是非もなし。この責任のみは自分が負わねばならぬなり。
おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも
要するに、この書は現在の事実を記したものである。
このことだけでも立派な存在理由があると信じる。
ただ鏡石君は年齢わずかに二十四五に過ぎず、自分もそれよりわずかに十歳年長にすぎない。
(若齢で活発な世代であるにかかわらず)今の事業多く忙しい時代に生まれながら、
事の大小もわきまえず(珍談奇談を収集するなど)その力を用いるところを失しているのでは
ないかと批判する人もいよう。
明神様のある山の木菟(ミミズク)のごとくに、あまりにその耳を尖らし、あまりにその目を丸くし
(興味を覚えるままに節操もなく)話を聞いたり物を見過ぎたと責める人がいたら何と答えよう。
はて、そのときは仕方がない。この責任のみは自分が負わなければならないだろう。
老いたまま飛びもせず鳴きもせず、(時代を超えて世を見据えている)あちらの森のフクロウが
さぞかし我々のしたことに呆れて笑っているかも知れないぞ
老いてじっとしているだけの、あの森のフクロウは(ミミズクなどよりずっと話を聞き物を見ているはずだが)、
飛びもせず鳴きもしない。我々のしたことをさぞかし笑っているかも知れないぞ
なお、序文に添える歌を 序歌 という。
序文に代えて と歌を添える場合もあり、この場合も序歌と言った。
下っ端防人自身の歌じゃないだろ
束ね役の地方豪族か、中央の担当役人が「下っ端になり変わって」詠んだと考えるのが妥当
貧窮問答歌みたいなものだ
つまり、昔は本の著者は前文をズラズラと書くようなことはなく、簡潔に巻頭に歌を記したのだ。
前文を書くことが行われるようになっても前文は比重が軽く、歌にこそ意味があった。
前文は著者の教養を示すためか、漢詩で書かれることが多かった。
これを詩序という。
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前粉、蘭薫珮後之香」
(初春の令月 にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す)
この令月と風和らぎ(かぜやわらぎ)が組み合わされて今の年号令和が生まれたのはご存じのとおり。
この文章はもともとは『万葉集』巻五「梅花歌三十二首并序」の詩序である。
「天平二年正月十三日に、帥老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)べたり。
時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。
梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。
しかのみにあらず、曙(あけぼの)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛(か)けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)け、
夕(ゆふへ)の岫(くき)に霧(きり)結び、鳥はうすものに封(と)ぢられて林に迷ふ。
庭に新蝶舞ひ、空には故雁帰る。
ここに、天を盖(きぬがさ)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。
言(こと)を一室(いっしつ)の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。
淡然(たんぜん)に自(みづか)ら放(ほしいまま)にし、快然(くわいぜん)に自(みづか)ら足(た)りぬ。
若(も)し翰苑(かんゑん)にあらずは、何(なに)を以(もち)てか情(こころ)をの(手偏に「慮」)べむ。
詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)と夫(そ)れ何か異ならむ。
宜(よろ)しく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、聊(いささ)かに短詠を成すべし。」
なら間違ってはいないな
何でこの漢文は漢詩で文字数を揃えられてないんだろうな
韻もまともに踏んでない
これが日本の僧侶が造った経文ならばちゃんと考えて造る
学問というのは寺でしかまともにやってなかったんだよな
お前、漢詩ってどれでも文字数が揃えられてると思ってんのかww
楽府詩集 より
中庭 雑樹多 、偏為梅杏嵯。 聞君何独然 、念其霜中能作花 、露中能作実。
揺蕩春風媚春日、念爾零落逐風劔 、徒有霜華無霜質。(宋 ・飽照)
韻がどうしたこうしたといった疑問があるなら 近体詩 古詩 というのを調べてみるんだね
五言絶句や七言律詩が基本だろ
そうでないものは観ても何これとしか思わんな
大体漢文でも史記やその前の周代の漢籍以外は
読む価値ないだろ
何でも価値があるなら現代の下らん音楽でも
価値があるとか言うことになるな
意味不明の歌詞でがなってるだけの騒音を
無価値と断罪すんのと同じだ
ひろゆきってプログラム作れるん?
お前さぁ、マジで馬鹿過ぎるよ
境界知能というやつじゃないの? 相手してるの悲しくなるわ
俺は上で「疑問があるなら 近体詩 古詩 というのを調べてみるんだね」と教えてやったろ
近体詩 を調べれば全部分かるんだよ
コトバンクにだって説明がある。これで十分。
引用してみようか
中国古典詩の形式。 今体詩とも書く。 韻律の面で比較的自由な古体詩(古詩)に対し、厳格な韻律をもつ。
唐代で確立し一般的となった絶句(ぜっく)、律詩(りっし)、排律(はいりつ)の詩体の総称であり、それぞれ
一句の字数により、五言(ごごん)、七言(しちごん)、まれに六言の形式がある。
ちゃんと説明されてるだろ。絶句(ぜっく)、律詩(りっし)、排律(はいりつ)の詩体の総称。
ここでは大ざっぱに唐代と書かれているが、こういう形式が確立したのが初唐。
初唐って分かるな、唐の時代をいくつかに区切ってその最初の時代。
618から玄宗即位の前年(711)までだ。高校出てれば知ってるよなw。
712年からの盛唐の時代ともろに重なるんだから、近体詩の形式が初唐の時代に確立したなら
日本でもそうなってると思うだろ。
君レベルの人はそう思うかも知れないが、そうじゃないんだ。
当時、中国の文化はリアルタイムには日本に伝わってこなかった。
遣唐使の派遣は630年に始まり以後約200年続く。
最後の遣唐使は894に54年ぶりに派遣されたが、これは事実上使節にすぎず留学ではなかった。
そして安史の乱によって派遣制度が消滅した。
では200年間のうちに何回派遣されたのかというと、中止や渡航失敗の解釈により説は分かれる。
諸説あるが12回という説が最小、20回という説が最大である。
だいたい多く見積もって、成功したといえるのは15回ぐらいじゃなかろうか。
遣唐使が持ち帰ってくる情報は貴重なものではあったが、さほど多くはなかったのである。
だから中国でこうなっているからといって、それがそのまま当時の日本にあてはまるかというと、
そういうことはない。さらに当時の日本の受容能力の問題がある。
奈良時代というのはひどい時代で、陰謀と呪術の時代だった。
貴族の誰もがお抱えの呪術師を抱えており、その言いなりになっているような状況。
さらに闘争も激しく一度戦いとなると一族を巻き込んで片方を全滅させるまでやった。
時代環境的に中国の詩がどうしたというような状況ではなかったのである。
中国で近体詩の形式が確立したといっても、同時期に日本でふつうに絶句や韻を踏んだ漢詩が
作られていたと考えることはできないのだ。
だが、収録された作品のうち、新体詩の形式で書かれているのは作品の発表が新しい後半のもの
ばかりだ。しかもその中で、「声律において違式のない」のはわずかに「九首」を数えるのみという。
懐風藻が編まれた時代には、まだ唐詩はほとんど影響力を持っていなかった。
圧倒的に六朝文化の影響が強い。※
間違いのない形式で近体詩を書いているのは、遣唐使船で渡唐してついに帰朝することが叶わなかった
学僧など、現地で学んだ人に多い。
※六朝文化の影響については司馬遼太郎も何度か書いているな。
「この国のかたち1」六朝文化の余風について など。
建築なども、唐のドカンとした力強いものではなくて、六朝の何となく寂しい儚い感じのものが多い。
ところでこの梅花の宴巻五の序文に天平二年(730)とあるから、この詩が書かれたのはほぼ同時期だろう。
旅人は翌731年に死んでいる。(こんな寒い時期に外で酒宴などをしたから脳の血管が切れたのじゃないか
などと想像したくなるほどである)。
だから遅くとも宴から半年以内に書かれたと考えてよいのである。
すると、懐風藻より20年以上前に書かれたことになる。
しかも大伴旅人は当時60歳。今なら75歳とか80歳に相当する年齢ではないか。
近体詩の漢詩が書けると思うか?
旅人が勉学に励んでいた時期(おそらく30歳ぐらいまで)は新体詩の漢詩なんて日本には無かったのじゃ
ないか。唐からの商人や僧などが持ち込んでいたかも知れないが、それをすぐに習得できる日本人が
どれだけいたか。時代の新しい懐風藻でも異式のない作品がごくわずかであることからして、老人である
旅人が近体詩の形式で詩を書くということはあり得ないのである。
文章はほんとうにそっくりである。しかし、日本には和歌に本歌取りという伝統があり、さらに
王羲之のこの文章は習字の手本として広く領布されていた。
拓本とされるものが広く出回っていたのである。
現代でもこんな感じのものがいくらでもある。
http://y-tagi.art.coocan.jp/505.html
だから、まともに書を学んだ人なら誰でも知っており、そのため盗作ともならなかった。
有名な歌の替え歌みたいなものである。
蘭亭序書き下し分
永和九年、歳(とし)は癸丑(きちう)に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。
禊事(けいじ)を脩(をさ)むるなり。
群賢(ぐんけん)畢(ことごと)く至り、少長(せうちやう)咸(みな)集まる。
此の地に、崇山(すうざん)峻領(しゆんれい)、茂林(もりん)脩竹(しうちく)有り。
又、清流(せいりう)激湍(げきたん)有りて、左右に暎帯(えいたい)す。
引きて以て流觴(りうしやう)の曲水と為(な)し、其の次(じ)に列坐す。
糸竹管弦の盛(せい)無しと雖(いへど)も、一觴一詠、亦以て幽情を暢叙(ちやうじよ)
するに足る。
(下に続く)
仰いでは宇宙の大を観(み)、俯しては品類の盛んなるを察す。
目を遊ばしめ懐(おも)ひを騁(は)する所以(ゆゑん)にして、以て視聴の娯しみを
極むるに足れり。信(まこと)に楽しむべきなり。
夫(そ)れ人の相与(あひとも)に一世(いつせい)に俯仰(ふぎやう)するや、或いは
諸(これ)を懐抱(くわいはう)に取りて一室の内に悟言(ごげん)し、或いは託する所に
因寄(いんき)して、形骸の外(ほか)に放浪す。
趣舎(しゆしや)万殊(ばんしゆ)にして、静躁(せいさう)同じからずと雖も、其の遇ふ所を
欣び、?(しばら)く己(おのれ)に得るに当たりては、怏然(あうぜん)として
自(みづか)ら足り、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らず。
其の之(ゆ)く所既に惓(う)み、情(じやう)事(こと)に随ひて遷(うつ)るに及んでは、
感慨(かんがい)之(これ)に係(かか)れり。
向(さき)の欣ぶ所は、俛仰(ふぎやう)の閒(かん)に、以(すで)に陳迹(ちんせき)と為(な)る。
猶(な)ほ之(これ)を以て懐(おも)ひを興(おこ)さざる能はず。況んや
脩短(しうたん)化(か)に随ひ、終(つひ)に尽くるに期(き)するをや。
古人云へり、死生も亦(また)大なりと。豈(あ)に痛ましからずや。
毎(つね)に昔人(せきじん)感を興(おこ)すの由(よし)を攬(み)るに、一契(いつけい)を
合(あは)せたるが若(ごと)し。
未(いま)だ甞(かつ)て文に臨んで嗟悼(さたう)せずんばあらず。
之(これ)を懐(こころ)に喩(さと)ること能はず。固(まこと)に死生を一(いつ)にするは
虚誕(きよたん)たり、彭殤(はうしやう)を斉(ひと)しくするは妄作(まうさく)たるを知る。
後(のち)の今を視るも、亦(また)由(な)ほ今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな。
魏晋南北朝時代の人であり、六朝文化を代表する文人であり政治家である。
魏晋南北朝時代とは、後漢が黄巾の乱で滅び、随が再び中国を統一するまでの400年間をさす。
王羲之はその間の五胡十六国時代の人。
303年に生まれ、361年に死んだ。
つまり四世紀の人だ。
こういう人物の書いた漢詩が近体詩の形式であるわけがないだろ。
そして、この文章に形も中身も真似て書いた梅花の宴序文もまた近体詩の形式であるわけがない。
要するに、>>775 は馬鹿で無教養すぎ、冗談みたいなことを書いてしまったのだ。
人間教養がないとこんなに恥ずかしい目に会いますよと、という言葉の典型事例。
教養が無いだけでなく頭も悪い。
馬鹿晒してからの逃げ方も尋常な馬鹿さ加減ではない。
>>777
>大体漢文でも史記やその前の周代の漢籍以外は
>読む価値ないだろ
だってさ。
ふ~~ん、じゃ陶淵明や白居易の詩も読む価値ないのかwww
これって、フランスの詩でボードレールやヴェルレーヌは読む価値なしと言っているのと同じだぞ。
馬鹿大爆発だな。ここの1がスレ盛り上げるために煽ってるのだと思いたいが、馬鹿は本物。
お前の親もお前みたいなクズよく生んだよ。
二人とも酒飲んでたんだろうなwwww
どうせ日本で開発するには人件費もかかるし労働環境クソだし言語の壁もあるから、むしろ時代遅れになりそうだがね。
時間は限られてるからやむを得ない
うん
じゃあ古文漢文やらなくていいから数学物理やろうか
って言われてもやらないのが私文
かろうじて数学物理なら分かるんだけど、、、って奴が多かったな
文字読んで理解する課目は全然駄目
思考ってのは言葉でするんで、理数系も高度なのやるなら言語や文章の力が
必要なのよ
外国語は英会話教室とかで良い
これからAIが翻訳もプログラミングもする時代くるしやな
結局AIには文章で指示出すから日本語大事になるんやろか
かと言って漢文古文より優先すべきことはある気が
こういうのは基本相手にすべきじゃないね
大体自分の知識でもないものをこれみよがしに
ひけらかしてるし
それと文章の本意に対して批判すべきだし
人格攻撃ほどみっともないものないね
FORTRAN BASIC PASCAL
あたりはすでに「古典」
> こういうのは基本相手にすべきじゃないね
お前が一生懸命俺を相手してくんじゃねえか馬鹿w
> 大体自分の知識でもないものをこれみよがしに
> ひけらかしてるし
歴史や文学史の知識に自分の知識なんか関係無いのw
定説や通説を土台に議論する以外ないだろ?
俺はすべてネットに当たり前に存在する資料で書いてるんだけどな。
知ってて当たり前の事柄だからだ。
知らないのはおかしいんだよ、ってな意味で出典を記してる。
それを「自分の知識でもない」とか「ひけらかす」と言われてもなぁ
学問やったことのない人間てのはおかしな考え方するもんだわ
勉強になるよ
>それと文章の本意に対して批判すべきだし
お前の文章に本意なんてあるのか(大笑
>人格攻撃ほどみっともないものないね
馬鹿晒すほどみっともないものはないぞ。
お前はコートの下からチンポ出して喜んでる変態と同じだ。
COBOL:万葉集
FORTRAN:古事記
BASIC:日本書記
PASCAL:竹取物語
こんなレベルの古典だろう
おもろいw
慧智出有大偽
六親不和有孝慈
国家昏乱有忠臣
多分この程度の文章を理解してない奴が
自説を意気揚々と述べてくれるのを期待しよう
受験参考書でも見た。
>>798は高校行ってないってことか
古文だから古文の授業でやるとか…
どんだけ頭の容量が小さいんだw
「情報」という科目が追加になったなら何かを減らすのは道理
それが古文であるべきかは検討の余地がある
そんなこと期待してるお前が馬鹿
バカはおまえ
授業時間は無限にあるんじゃないんだよ
だったら社会に出て役立つ学問を入れてそうじゃないものは排除すべし
そもそもお前が高校なんか行ったのが無駄
AIの活用方法とか時代にあったもののが所謂ITプログラミングとかよりいいかもしれない。
プログラミングを学ぶと社会で役立つかよ
そんなのごく一部の人間だけだろうし、そもそも高校でちょこっと囓ったところで
全然意味ないだろ
お前は古典とか漢文の勉強したくないだけ
理由は馬鹿だから
それだけだろーがw
LINEが危険であることぐらい理解できるように
そういうアプリを使わないように
一般に流布してる解釈と本来の意味は逆だがな。
「戦争には負けたが、大自然は残った → 復興に邁進しよう」 という意味にされているが、
本当は「自然は残ったが、俺の勤めていた政府は崩壊してしまった → これからどやって生きてゆこうか」という意味。
作者の杜甫が、長年望んでいた仕官が叶い就職した直後、反乱軍によって都が陥落し捕虜になった時に詠んだ歌。
道が失われてしまったから仁義なんかを説く輩がでてきた嘆かわしい
もしくは
仁義が説かれるようになったのは大道が廃れたからに他ならない
こう解釈するのが妥当だな
世の中には人の行う道がある。それは当然のことで、昔はあえて道がどうの
こうのと言う人はいなかった。
ところが世の中が乱れ、道が行われなくなると、ことさら仁義を説く者が現れた。
孔子の説く道とは人の道徳であり礼なんだな。
仁の心が態度やしぐさに現れたものが礼である。
だから孔子の仁義はあくまでも人間社会の話なのだ。
これに対し、老子の道とは宇宙の真理である天道につながるものである。
人間を超えた万物・天然自然の存在すべてに妥当する真理なのである。
老子の考えからすると、孔子の説く仁義などは小賢しい儀礼にすぎない。
老子の言葉では 上善水の如し が有名。
水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る。 と続く。
水は万物を助け育てて誰とも争わない。人々が望むところに流れ(低い方へでも
汚い地面へでも流れ)そこで役に立ち続ける。
こっちの方まで知っている人を教養のある人という。
天網恢恢疎にして漏らさず も有名。
天網の意味は誰でも分かるが、恢恢は知らない人が多い。
ゆったりしている様を言うんだな。
疎 とは目が粗いこと。過疎の疎だな。
天の網は一見ゆったりとして目が粗いが、悪行をした者を取りこぼすことはない。という意味。
ここにも上記天道の考え方が反映している。
疎にして漏らさず、とは天罰を免れないという意味だ。
天罰というのも老子の思想から出た言葉。中国語にもともとあった。
中国人がよく使った言葉である。
天罰覿面
覿面とは目の当たりに見ること。天罰はすぐに人々の目の前で加えられるといった意味。
天罰が加えられるような罪を覿面の罪という。
気の毒だが、安倍ちゃんなんかそうなのかなあ。
道さえあれば全てあるとわざわざ殊更細かくくどく説いてもいる
道が無いから徳が無い
徳が無いから仁が無い
仁が無いから義が無い
義が無いから礼が無い
礼が無いから智が無い
全ては道さえあれば後のもの全てがあるのだと
口を酸っぱくして説いてるんだよ
道理理法法則こういうのが一番大事で他のは黙っていても修まる