【日本】《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説アーカイブ最終更新 2024/05/22 14:181.TUBASA ★???邪馬台国はどこにあったのか――。古くから続けられてきた論争に決着が付かない理由は、『魏志』倭人伝に記された地理的情報にこだわっていたからだと、歴史学者・桃崎有一郎氏は指摘する。そして、あることに注目すると結論が見えてくるという。いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づけを援用しなければならない。ところが、その文献史料での議論が詰んでいる。3世紀に成立した根本史料の『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない。続きはこちらですhttps://news.yahoo.co.jp/articles/26d2681b19db630bb66988173d1701a9a5981bdb2024/05/02 22:27:42961すべて|最新の50件2.名無しさんLI3Jc存在してなかったと思う2024/05/02 22:29:173.名無しさん31uae今現在その場所すら特定されてないだろ2024/05/02 22:31:014.名無しさんkL5onヤマトなら奈良県でしょ2024/05/02 22:31:455.名無しさん2YTU6あったのか論争よりもなかった論争だよね2024/05/02 22:31:546.名無しさんbBFQU>>4福岡県山門郡というのがありまして2024/05/02 22:32:087.名無しさんkL5onまじか!2024/05/02 22:32:528.名無しさんO85Ln魏志倭人伝をちゃんと読めば邪馬台国がどこにあったか分かるよ2024/05/02 22:33:179.名無しさん797vIこれ、画期的な新説なの?2024/05/02 22:36:3310.名無しさんLI6CZいや、そんな説は昔からあったしむしろ素人ほどそう考えるだろう。専門家ほどひねくれて考えがちだから。2024/05/02 22:38:2411.名無しさんVX2Dh北九州説が有力だ2024/05/02 22:38:4412.名無しさんVX2Dh卑弥呼が大陸の魏王からもらった金印が発掘されれば分かると言うが、それが簡単じゃない2024/05/02 22:41:2613.名無しさんTv06j中国人のゆうことは当てにならんって言ってんのに、技師倭人伝だけは100%信用するのなんでなん?2024/05/02 22:42:0814.名無しさんHydcmさらば恥丘よ2024/05/02 22:44:0815.名無しさんV4ONV熊本だよホテル邪馬台国があるだろそこへは山々を越えて辿り着く2024/05/02 22:45:2916.名無しさんbBFQU>>13朝鮮人よりは当てになる2024/05/02 22:47:0517.名無しさんN4UMg>>13当時は中国人なんていなかったわけだし2024/05/02 22:49:3718.名無しさんYOPrs大和が発足した当時、ヤマトとは読んでない倭国の代表を表す大倭として発足し和へ表記を変えたのは奈良時代中期ごろつまりそれまでの読み方はタイワ2024/05/02 22:52:5319.名無しさんHrTz2邪馬台と書いてヤマトと読むヤマト!2024/05/02 22:53:1620.名無しさんONp4q山門(やまと)と水門(みなと)が対語だろ?本来は九州の山門地域が起こりだと思うが。2024/05/02 22:54:4121.名無しさんHPfLH結論書いてないな2024/05/02 22:54:5322.名無しさんLI6CZ>>18現代でも大和を「やまと」と読めるのは知ってるからだよな。どこをどう読んだら大をヤマ、和をトってよめるのだろうか。2024/05/02 22:56:1723.名無しさんYOPrs隋と外交をするにあたって、かつて交流があった邪馬台国の知名度を利用して大和をヤマトと無理やり読み替えた2024/05/02 22:56:1724.名無しさん6aQDsまあ、魏呉蜀が覇権を争ってた一種の戦国時代だろ俺が邪馬台国の使者なら、正確な都の位置は敵国になるかもしれない奴等には教えない。魏国は呉と倭国が同盟を組んで挟撃されるのを警戒してたから、倭国と親交したけど逆にいえば、魏に余裕ができたら倭国に攻め入って来る可能性は高いだろぜってーに、ほいほいと教えるわけがない2024/05/02 22:56:2125.名無しさんONp4q>>22百済をクダラと読むのも、日本が記録して残った音だったよな?2024/05/02 23:00:0826.名無しさんm7I6h1にあるソーズ元にごちゃごちゃ過去の日本語の地名や過去の漢字の読み方を書いて説明してあるけど、隋書の倭国伝に「邪靡堆に都する。すなわち、魏志いうところの邪馬臺」って書いてあるんだから隋書が書かれた三国志の時代から300年くらいしかたってない頃の中国人が邪馬台っていうのがヤマトに近い音って判断しているのが強く推認できるんだから日本の古代の読みを考察するほどのこともないと思う…2024/05/02 23:02:0727.名無しさんoBgQQ無茶苦茶だ2024/05/02 23:02:3428.名無しさん0uK5h邪馬台国のお姫様なら明日香村キトラ古墳のさらに奥深くで永遠の眠りについてるよ。明日香と書いて飛鳥と読む。飛鳥文化の中心地。2024/05/02 23:02:4829.名無しさんKNNhyそうだ我々が待ち望んだヤマトだあああ!2024/05/02 23:03:0230.名無しさんhwch0馬とかあんまり使ってなかったからじゃね2024/05/02 23:04:0731.名無しさんLTkKR韓国でしょ。2024/05/02 23:04:4532.名無しさんoBgQQ>>30馬は一時期衰退したんだよ馬を使ってたのは西より東。応仁の乱くらいで騎兵は一回消えて鎌倉とかの時は歩兵中心。武田軍とか騎兵隊使ってたけど、日本は騎兵は一時期衰退してた。2024/05/02 23:07:3633.名無しさん2mqRGハニワ原人全滅だ!2024/05/02 23:08:0634.名無しさんHPfLH100余国って書いてあんだから、村の集合体でしょ2024/05/02 23:08:3735.名無しさんdyd6X日本全体を邪馬台国(やまと)としてたかもね!ってことかに?倭 だけでもヤマトぅって読むよ!ってことね2024/05/02 23:09:5836.名無しさんHkn2J妄想を長々と読まされてしまった。2024/05/02 23:10:0537.名無しさん21ZUG邪馬台Q2024/05/02 23:16:4238.名無しさんhEOzc邪馬台国や卑弥呼は当て字だろ2024/05/02 23:16:4339.名無しさんTkVQb日数を間違える可能性の方が低い東南に陸行すること五百里にして伊都国に到る。郡使往来し常に駐する所なり。壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等の二十人を遣はし、政等の還るを送る。因って、臺に詣り、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ。帯方郡の使者張政が伊都国にきて(水行20+10 陸行一月)×2往復このくらいの期間待って張政は帯方郡にもどり倭の使者はそのまま洛陽に出向いて返礼の貢物を届けている日数を間違える可能性は低い方角を南と間違えて伝えたのは帯方郡太守の戦略ではないか海を渡って倭人に建業を攻めさせる2024/05/02 23:16:4640.名無しさんHxNcRじゃ、Java大国2024/05/02 23:21:3641.名無しさんTkVQb3世紀半ばの九州って権力者スカスカだからね九州の権力者はどんどん減って2世紀末伊都国平原1号墳の女王七が瀬の大王の遺構を最後に九州北部から王が消える再び現れるのは3世紀半ばの那珂八幡3世紀初め九州では王不在の期間がある2024/05/02 23:23:0642.名無しさんoBgQQこれはもしかして大和政権の神武天皇のことをさしたいのか?確かに神武天皇だか天照だかを卑弥呼とかいってる話は見かけるけど大和政権って渡来人でしょ明らかに。熊襲とかを古事記だか日本書紀で討伐する話とかあるわけだし。2024/05/02 23:24:1143.名無しさんTkVQb那珂八幡は前方後円墳ね3世紀初頭 九州は王不在↓3隻半ば 畿内発祥の前方後円墳が九州で出現この流れね2024/05/02 23:24:5544.名無しさん3Nhsb5ちゃんの邪馬台国スレは、多分常におんなじ奴だと思うけど大量のアカウントで似たような九州説支持が書き込まれるよな。多分こういう学者が九州説が捨てられないように必死に工作していつまでも研究が進まないんだろうな。2024/05/02 23:28:0645.名無しさんHEjki>>1いまさら、、魏が聞き間違えた邪馬台国なんてわかりきった事を。だいたい邪馬台国ってどういう語源なんww2024/05/02 23:29:0846.名無しさん9isfP九州人が発狂するスレw2024/05/02 23:30:4047.名無しさんHEjki卑弥呼も火の巫女に当て字しただけやろ。2024/05/02 23:31:1748.名無しさんaMQMRこの話題いつまでやるんだよ2024/05/02 23:31:4949.名無しさんL2FeT「当時の人はどう読んだか?」なんてテープレコーダーがあるわけも永遠に分からない弥生時代に書かれた魏志倭人伝対馬や壱岐でも当時は寒冷だったと書かれているだが邪馬台国は酒を飲み絹をまとい老人も生活できる豊かさだとある鉄器のクワとか使用して稲作もあると憶測なんかより魏志倭人伝にある壱岐より温暖で穀物がよく取れる穀倉地帯で鉄器と絹の生産が見られた地域を探ればいいだけの話し弥生時代の絹は九州と福岡で多くみられる他は無い、弥生時代初期の鉄器も九州で多く他は無い温暖というと壱岐より温暖だと熊本、鹿児島、宮崎あたりかそれらで穀倉地帯まで含めると佐賀と福岡も入れてもいいかまぁ奈良とか何も弥生時代初期のものが出ないところはお話にならない寒いし穀倉地帯でもないし2024/05/02 23:32:2050.名無しさん3t1J3音(言葉)が先で記録するために文字が当てはめられたからアイデアやこじつけが出てきて色んな説が生まれてしまうのね2024/05/02 23:32:4551.名無しさん3Nhsb>>42アマテラスなら岩戸伝説自体、渡来して来た知識層が土着の未開日本人に必死に歓待されて文化を分け与えて、その結果敬われる、って話に思えるよな2024/05/02 23:35:5952.名無しさんTkVQbおじさんたちは吉野ヶ里フィーバーで九州有利だったからなアップデートできてないおじさんが騒いでる吉野ヶ里は環濠集落防衛ラインの中核てだけで邪馬台国ではない熊本鹿児島の狗奴国との戦いで前線になりうる場所に女王がいるわけないだろ女王はもっとも安全な場所にいる2024/05/02 23:36:2453.名無しさんrd0T3ノー、ヤメィトウ!2024/05/02 23:36:3654.名無しさんoBgQQ>>51天岩戸神社とか言い出すの?宮崎にあるけど大和政権は大和政権で切り離そうよーー明らかに大和政権の前と後で文化違うでしょ。蘇我氏とか明らかに朝鮮文化圏だし。2024/05/02 23:41:0555.名無しさんJnYc4鋼鉄ジーグはイタリアで有名2024/05/02 23:42:2256.名無しさん3Nhsb>>54言い出したのあんたでしょw分裂症かよw42 名無しさん[] 2024/05/02(木) 23:24:11.89 ID:oBgQQこれはもしかして大和政権の神武天皇のことをさしたいのか?確かに神武天皇だか天照だかを卑弥呼とかいってる話は見かけるけど大和政権って渡来人でしょ明らかに。熊襲とかを古事記だか日本書紀で討伐する話とかあるわけだし。2024/05/02 23:43:1257.名無しさんo2VfR自分でネタを振って、突っ込んで来た奴に更に突っ込んで悦に入るのは基本2024/05/02 23:44:5358.名無しさんTkVQb魏の使者が伊都国に来るのでそのための防衛ラインの中核が吉野ヶ里ってだけhttps://www.yoshinogari.jp/.assets/yoshinogari_site_peripheralmap.jpg藤原京より前の天皇は庶民とは住まない豪族貴族纒向が小さい?当たり前天皇が住む場所は平城平安の規模がある?後世はそうなるがこの時代はそうなってない天皇の住まいは小規模2024/05/02 23:48:3659.名無しさんnKH3J偉い人が言ってた 中国は属国に卑しい漢字を当てて書く習慣があったから大和大国→邪馬台国日巫女→卑弥呼まぁ日巫女は天照大神だわな2024/05/02 23:49:1160.名無しさんS2xuaやはり奈良あたりなの?2024/05/02 23:49:3761.名無しさんoBgQQ>>56卑弥呼は政権違うでしょ。古墳時代と弥生時代の政、とくに神事ごと。巨石信仰とかのアメニズムとかも古墳飛鳥くらいには薄くなるわけだし。卑弥呼は大和政権とは違う王族になると思うけどね。熊襲とか、隼人とか。もしくは他の場所の九州に限らず。馬台国がヤマトにするのは滅茶苦茶すぎる。2024/05/02 23:51:5462.名無しさんvou11神社といえば福岡の山門(やまと)近くにハートマーク♥の恋木神社てのあるなw2024/05/02 23:52:0463.名無しさんVilyI壱岐島だよ2024/05/02 23:52:2764.名無しさん3Nhsb>>61あんたが天照ネタを振ったから返しただけだろ、>>57が正解だな、無理やりスレと関係ない、自分が書きたい事に誘導するやつはあぼーんするわ2024/05/02 23:58:0765.名無しさんynXU2「新説」ではないだろタイトルの付け方をわざとセンセーショナルにしたいがために、言葉をチョイスしたような印象があるだから、あえて悪意ある言い方をすると「焼き直し」じゃねーかって思ってしまう多分「埋もれていた説を再評価」とか「再発見」みたいな表現のほうが適切だろ2024/05/03 00:00:4066.名無しさんdHM6O邪馬台と書いてじゃなくてヤマトに邪馬台を充てたんだろ。2024/05/03 00:07:0367.名無しさんQsV6c金印がそのへんに捨てられてたんだし大和朝廷には繋がらないと思う2024/05/03 00:14:5068.名無しさんrgnyv>『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない魏志倭人伝も後世の記述な訳だから、割と正確なスタート(帯方郡)→半島西岸沿いに伽耶(任那)→島嶼地区→九州上陸(〜太宰府)ルートは記述当時の時期には地図に落とし込まれてて正確に書けるよな。あとは地図もないし適当に書いたんだろうけど、上陸→陸行→短期水行→陸行→長期水行→再上陸→邪馬台国があってるとしたら九州は離れてるもんな、まあ西都原くらいなら有り得るのか?でも北九州あたりから水行10日陸行一月なら瀬戸内海で大阪あたりか黒潮に乗って紀伊半島に上陸して畿内、って流れのが有りそうだよな。2024/05/03 00:15:2869.名無しさんGr1GK大和川は生駒山地と金剛山地の間を流れるhttps://www.jiban.co.jp/images/tips/kihon/ground/prefecture/osaka_tikei.gif主要海運路でもあり山の門みたいに見えたんじゃないか旧法隆寺とその近くにあった厩戸王の住まいは大和川の近くで隋の使者裴世清をもてなした3世紀初頭九州は王の墓にふさわしい副葬品がある遺跡未発見そして3世紀半ば福岡市内で前方後円墳の出現当然のことだが王にふさわしい遺構が見つかれば自分は意見を変えるぞただ今のところ見つかってない2024/05/03 00:18:3370.名無しさんYuNLaもう愛知県でいいよ(´・ω・`)2024/05/03 00:21:1771.名無しさんD7vfB日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国。百済、新羅、高句麗は倭国」2024/05/03 00:21:4772.名無しさんvVUzWいやしい とか よこしま とか 悪意に満ちてて嫌なかんじだよね2024/05/03 00:28:1273.名無しさんto2iA卑弥呼=神功皇后邪馬台=大和朝廷百余歩の墳墓=箸墓古墳何度も言わせるなよ恥ずかしい日本人なら死ぬまで覚えておけな2024/05/03 00:34:3774.名無しさんQ5Vy6ヤマトの諸君が一言↓2024/05/03 00:45:1875.名無しさんIQNwP鋼鉄ジーグに出てくる2024/05/03 00:45:2576.名無しさんJJmKW滋賀でいいよ2024/05/03 00:48:3777.名無しさん3YkGR八丈島あたり2024/05/03 00:50:5878.名無しさんH0Z2D>>42現日本人=古墳人=中華からの入植民2024/05/03 01:03:3279.名無しさんep0xK過去ばっかり見ててもしょうがないだろ大事なのは現在・未来だ2024/05/03 01:07:4880.名無しさん3eERy国なら漢帝国から金印を貰っとる古代日本で国と認められたのは光武帝から金印貰っとる博多の奴国しか実在してない奴国が邪馬台国に拡大した可能性は高い親魏和王の金印もこの地域から出土されるだろう2024/05/03 01:15:2881.名無しさんrA81t日本国家黎明の首都だからはっきりさせないといけないです。2024/05/03 01:19:3082.名無しさんPVoT3邪馬台 ジャマたいこれは九州弁だな2024/05/03 01:23:3883.名無しさんZfyNz>>78中華というよりはチベットとか満州族中華は漢民族が世界の中心は我々だっていう主張の表現2024/05/03 01:33:1784.名無しさんPVoT3漢字なんだから中国に近いところが有力やはり九州2024/05/03 01:35:0885.名無しさんrwRcwメキニメキニヌダラダラ2024/05/03 01:36:5686.名無しさんhzMpRうちの田舎で古墳と金印が出たそうだが、工事が止まったら大損害だからそのまま埋めて金印は近所の教師に渡されたって近所の教師がゆって見せてた2024/05/03 01:41:2287.名無しさんFTHQa台与をトヨと読んでる時点で「台=ト」は確定だろ2024/05/03 01:56:0588.名無しさんhQYAZ馬鹿めと言ってやれ・・・・・・馬鹿めだ2024/05/03 02:04:0489.名無しさんH0Z2D>>83いや、集団的パレオゲノミクス解析の結果は弥生人は北東アジア人のゲノム60%だが古墳人は東アジア人(つまり漢族系の祖先)のゲノム70%で現日本人と一致したhttps://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414弥生人と古墳人は日本に入植した時代が違うhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/1360062024/05/03 02:12:1490.名無しさんZfyNz>>89沖縄、関西、東北の3系統に分かれるって話でしょ?漢民族っていうのは少し疑問が残るけどなぁ一歩引いて朝鮮ならミトコンドリアでわかるんだがttps://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf2024/05/03 02:23:5791.名無しさんFDI8R大きな和と書いてヤマトと読むのは服部レベルで謎2024/05/03 02:57:3092.名無しさんYnP0P久しぶりだなヤマトの諸君2024/05/03 02:58:2293.名無しさんFDI8R地名って大抵が当て字らしいね田んぼを埋めたから埋田それでは字面がよろしくないので梅田にしてみましたみたいな2024/05/03 03:06:1694.名無しさんyM1mq大阪住んでるけど「ヤマトの国」なんてアニメ火の鳥でくらいしか知らんかったなあ・・JR桜井線 巻向駅か・・今度のんびり遺跡めぐりに浸りたいもんだ2024/05/03 03:17:3495.名無しさんFDI8Rヤマのウシロで山背ダジャレじゃんね2024/05/03 03:29:0896.名無しさんBPbW9卑弥呼が中国と交流していたのに文字がないわけがない邪馬台国の痕跡がないのは滅ぼされた後に洪水ですべてが土石流で埋まってしまったからで墓も荒らされてしまったから特定できない2024/05/03 03:33:4197.名無しさんFDI8R>>96そもそも文字を残す媒体がなかった彼らの神話は基本的に口伝で残すというような掟があった仮説はいくらでもあるよ2024/05/03 03:38:0998.名無しさんnZ37j名称論は昔からあるし、纒向遺跡(奈良県)から大型構造物が見つかってて、そこで卑弥呼が生存していた時期のものと『科学的』に一致する大量の桃の種も見つかってる。また魏志倭人伝でも邪馬台国への行程の記載で現在の福岡北部までのルートはほど議論の余地なく確定で、意見が分かれる「水行十日、陸行一月」の解釈だが無理やり九州方面だと仮定すると時間と距離でかかり過ぎてて南洋上に飛び出してしまう。物証や記録からみて合理的なのは昔から畿内説で、九州説は大陸の玄関として使われてた頃の形跡に縋ってる諸説の一つだろ?2024/05/03 03:43:4199.名無しさんZfyNz畿内でもなく、キリスト教のような異教を自国に取り込んだ可能性もあると思う。大和が渡来と仮定して、対馬とか離島は可能性ある。日本書紀にも古事記にも九州遠征は記載されていて王朝潰しに行く話は残ってる。卑弥呼が大和政権に絡んでいたら、神武天皇とか書かれているあそこに記載されていないとおかしい。大和政権とは別で、どこかの王族または天皇だったが一番すんなりな気もするけどな古墳があるという考え方も、もともと古墳はない文化ってこともありえると思うのだが。2024/05/03 03:56:27100.名無しさんFgtOA場所論争よりも大和政権の前身なのか違うのかが重要だな2024/05/03 04:07:55101.名無しさんFgtOAただ卑弥呼は子が居なかったとはっきり書かれてるので天皇=卑弥呼の子孫ではない2024/05/03 04:10:05102.名無しさんFgtOAただ正統な後継者の台与については若かったこともあって子については不明2024/05/03 04:13:45103.名無しさんZfyNz箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とする説はあるけどまず何で倭をヤマトと呼んでるのか。ついでに父親の孝霊天皇が128歳で崩御してるけど128歳ってどうなのか。古墳は奈良にあるけど。奈良有力説も、難しいんだよな。卑弥呼の時代はちょうど弥生の終わりの文化入れ替えの時だからさらにややこしいんだと思う。下手したら日本を調べるより中国の歴史書をいくつか調べて審議した方が早いかもしれない。交流は何かしらあったのかもしれないけど、墓ほんとに見つかるのかな。2024/05/03 04:23:30104.名無しさんn7vBd何処にもねえよwww小説だぞ神話だよヤマタノオロチは信じないのにそっちは信じるのかいwwwwww2024/05/03 04:36:24105.名無しさんpQc4C>>8「水行十日」の解釈だけでも行先が変わってくる「水行」は今の基準なら海を進んだと考えがちだが当時の感覚だと河を指した可能性が高いあるいは瀬戸内海を大きな河と捉えた可能性もある2024/05/03 04:45:27106.名無しさんZfyNz倭国は金印であったとみていいだろうけど倭国が邪馬台国かはまた別の話だな日本史的には文明ありましたアピールできるからいいのではただムー大陸アトランティス大陸見つけますみたいなことを言ってるとは思うけど福岡で倭国の金印見つかったわけだし大和とは別だろうな2024/05/03 04:56:53107.名無しさんeooaB>>4朝鮮半島に決まっているにだ2024/05/03 05:18:40108.名無しさんpQc4C「倭」は、やたら遜ってヘコヘコするヤツみたいな意味だったようだしマレビト(稀人・客人)信仰があったなら異邦人に対してそういう態度をするクニ(集落)もあっただろう頭下げたら負けだという感覚の民族からすればあいつらチーズ牛丼とか食ってそうみたいなノリで「倭人」と名付けたとしても不思議ではない2024/05/03 05:29:01109.名無しさんVcmILそもそも魏志倭人伝を信用したとして、邪馬台国なんて近隣諸国にいつ滅ぼされてもおかしくない脆弱な国だろそれを日本の歴史上、長く安定していた大和朝廷に当てはめることがおかしいんだよ邪馬台国なんてすぐ滅んで卑弥呼も後の歴史に特に影響与えてない与えてたら女王政権が続いてるわ2024/05/03 05:55:52110.名無しさんX6p53北部九州が栄えててヤマトという地名もここからきてるとおもうがなんでわざわざ奈良なんかに引きこもった人たちが九州を支配下において大和と名乗ったのだろう外圧や災害などきっかけとなった大事件があったのだろうか2024/05/03 06:01:52111.名無しさんjNZBz邪馬台伝奇2024/05/03 06:39:04112.名無しさんQgVec俺たちの心の中2024/05/03 06:42:03113.名無しさんtRPCIうちの裏庭にヒミコの墓が2024/05/03 06:48:27114.名無しさんfhICf何を今更2024/05/03 06:51:46115.sageZzc7q魏志倭人伝を信用しないのなら「邪馬台」という字面自体も信用できない2024/05/03 06:59:10116.名無しさんJ61Vh今の地図に照らし合わせて考えるのではなく、当時の地図にあてはめて考えれば、おおよその場所が特定できるのでは?2024/05/03 06:59:11117.名無しさんEn6DWあの記述はどうみても北九州から沖縄以南に向かってるだろ東南アジアまで行ってんちゃう?2024/05/03 07:02:43118.名無しさんEn6DWミャンマーとタイじゃね?2024/05/03 07:03:18119.名無しさんEn6DW今と同じ場所に国があったかは知らんけど2024/05/03 07:04:17120.名無しさんEn6DWタイ住民の縄張りが今より広かったと予想2024/05/03 07:07:02121.名無しさんmLSqP熊襲じゃない事は確かだろう2024/05/03 07:09:56122.名無しさんkBymk>>110九州で抗争が起きて奈良に逃げてきた奴らがいるのかもね2024/05/03 07:14:14123.名無しさんmTC4u邪馬台は「やまたい」なので北九州が邪馬台国2024/05/03 07:17:08124.名無しさんEn6DW台湾がなんでタイワンかっつーとタイ方面に出る湾だからでしょ2024/05/03 07:17:58125.名無しさんNUEao普通に考えればその後朝廷が関西に居た事を考えれば邪馬台国も関西じゃない?今みたいに交通手段も勿論無いような時代そんなに大変な手間やコストをかけてお引越しするとは考えにくいよ2024/05/03 07:19:14126.名無しさんEn6DWアイヌは倭人のことシャムって呼んでたし。シャムってタイの民族じゃん2024/05/03 07:20:15127.名無しさんSYTl1>>6岩手県「なんの、わが県には八幡平(ハチマンタイ)があるったい」2024/05/03 07:20:32128.名無しさんNUEao大和って地名は結構全国にあるから当てにならんよな2024/05/03 07:23:03129.sageZzc7q>>125平安京も東京だな2024/05/03 07:23:07130.名無しさんmddjr>>125舟は縄文時代から使われてるし馬は日本列島にいなかったので当時の移動は舟が基本瀬戸内海があるので関西と九州間は頻繁に移動していた2024/05/03 07:23:18131.名無しさんEn6DWシナチョンとアイヌがコロボックルやシャムなどの先住民族を日本から追い出したんちゃう2024/05/03 07:23:19132.名無しさんJG0fj卑弥呼は襲名制2024/05/03 07:25:04133.名無しさん0tP4oヤマダ?2024/05/03 07:26:17134.名無しさんVyjrT>>1のソースで書かれている事って、2chの卑弥呼スレや邪馬台国スレで昔から言われていた事で何の目新しい内容でもないけどな2024/05/03 07:26:23135.名無しさん628eM>>109>それを日本の歴史上、長く安定していた大和朝廷に当てはめることがおかしいんだよそもそも大和朝廷を最初から強い中央集権的な国家と考えるのがおかしい強固な中央集権郡県制を敷いたのは下手すりゃ(?)明治からそれを封建制すらすっ飛ばして中央集権国家を2・3世紀の日本に当てはめようとするのがおかしいだろうと朝廷が中央集権を目指しても利権を奪われる地方の勢力はそれに抵抗したり武家の世になってからは権力者がその気になればすぐにでも滅ぼせるぐらいに脆弱な存在でなのに滅ぼされなかった所に日本の特異性があるのはよく言われる所2024/05/03 07:27:44136.名無しさんc0Fbl邪ァァァ2024/05/03 07:33:36137.名無しさんEn6DWミャンマーティー朝廷2024/05/03 07:33:52138.名無しさんuJyhg卑弥呼自身は北九州周辺に居たんだろうと思う。奈良盆地で温々と暮らしていたなら、海なんて渡って使者を中国に送ろうなんて考えないわ魏志倭人伝を記した人物が邪馬台国まで行ったかも怪しからな。卑弥呼が女王さま的な存在なら会わないハズがないが、会ったとは記されてはいないいわゆる空出張的に記しただけなんだろう。私はこんなに苦労をしました。凄いでしょうって言いたかっただけ畿内に有ったなら、途中の出雲や吉備の記述が無いのが不自然。報告書の体を成していないからな2024/05/03 07:34:31139.名無しさんEn6DW侵略者が関西関東に進出してったときにも先住民族がいたんだろ2024/05/03 07:36:20140.名無しさんVyjrT金印も怪しいんだよな。あんな貴重なものが田んぼに放置されているんだったら、もっと多くの遺物が見つかっても良さそうなもんなのに2024/05/03 07:37:55141.名無しさんoYerS二重構造にしか見えない九州と中国地方四国と近畿の2024/05/03 07:38:02142.名無しさんEn6DW大陸側では東の島々は刺青だらけの化け物の棲む土地って言われてたんだしあとから来て俺らの手下になれって各部族の長のもとを巡回して従わなかったやつを追い出したんだろ2024/05/03 07:38:39143.名無しさんEn6DWつまりもともと東の島々は従わなかったやつらの領土2024/05/03 07:39:23144.名無しさんEn6DWヒミコは原住民の女酋長2024/05/03 07:40:50145.名無しさん1ry40黒猫邪馬台2024/05/03 07:41:04146.名無しさんEn6DWオオキミは侵略者2024/05/03 07:41:10147.名無しさんoYerS>>142ザパニーズの戯言は要らね2024/05/03 07:41:43148.名無しさんEn6DW侵略者がえらそうに起源を探っているだけ2024/05/03 07:41:51149.名無しさんEn6DW原住民は刺青たくさんしていた女系民族であとからきたやつは刺青しない男系の民族2024/05/03 07:43:30150.名無しさんEn6DW明らかに違う民族2024/05/03 07:44:04151.名無しさん628eM>>138>畿内に有ったなら、途中の出雲や吉備の記述が無いのが不自然。>報告書の体を成していないからなそもそも魏使の報告書なるものに邪馬台国までの行程が記されていたという根拠がない現代風に言えばだある会社が新規にある会社と取引を開始してその取引開始の挨拶にいった人間が上げる報告書にその会社に行くまでの行程を書くか?当然相手会社の位置とか財務状況は事前に審査してその上での取引開始そもそも魏志倭人伝が「単一資料」で書かれているということに根拠がなくむしろ距離が里数や日数混合で書かれたり不彌國を過ぎて情報密度が落ちるのは「複数資料」によるものと考えたほうが合理的2024/05/03 07:44:54152.名無しさんoYerS年代すらバラバラだからな数世代違う魏志倭人伝2024/05/03 07:47:44153.名無しさんoYerS全部話半分以下だよところどころしか見ることが出来ない世代も勢力もグチャグチャなんだから全部合ってるとも言えないし、全部間違っているとも言えない2024/05/03 07:50:24154.名無しさんZfyNz黄金の国、邪馬台国みたいな創作か2024/05/03 07:55:18155.名無しさん628eM>>153>全部合ってるとも言えないし、全部間違っているとも言えないそれは日本の記紀にも言えることでだからこそ厄介なんだな100%嘘しか言わない人間は逆に100%信用できるというw虚実混ざってるのがたちが悪い2024/05/03 07:55:19156.名無しさんMgFRM過去の遺産の邪馬台国に興味がそそられるのはなぜだろうかなぜそんなに気になって気になって仕方ないのか2024/05/03 08:00:17157.名無しさんEn6DWたぶん太陽は豊で太陽で異世なんだなティーさんに由来する御名前ヒミコは日か火を観るみこでー酋長時代のミコは巫女で、大王時代のミコは皇子2024/05/03 08:00:49158.名無しさんVyjrTまだ文字が無かった時代は口伝による伝説の世界だからロマンを感じるのでは2024/05/03 08:01:58159.名無しさんoYerS妄想だが、記紀から受ける印象は九州、中国地方はDとO1の交雑種でコレをアマテラス系出雲から四国に移動したDとO2の交雑種をスサノオ系だと思っているしかも、アマテラスもスサノオも系統か役職のようなものでどこかの時代の人間がヒミコ、帥升だと思っている男女が曖昧なのも融合と主導権が入れ替わったのだろうそれは結果、近畿や畿内でなそれをムリヤリ1系統にしたんだろう2024/05/03 08:02:26160.名無しさんNUEao>>156定説が定まってないって事は偉い歴史学者もその辺の一般人もこの説では対等にやりあえる部分だからな。そんな分野は中々無いだからロマンがあるんじゃないかな2024/05/03 08:03:35161.名無しさん628eM>>156まずは女王が治めていた幻の古代国家・・・という日本史の中のエキセントリックさ次に倭人伝の行程記事を読み解けばその位置を解明できる・・・という推理物としての面白さ2024/05/03 08:04:57162.名無しさんEn6DWイヨが異世になっちゃったのは大乱でたくさんの人間があの世送りにされた場所だからと予想太陽の巫女ことティーヨーさんは大王の戦利品として嫁になり伊勢にお引っ越ししてたまにくる勝者の接待女に成り下がったと太平洋はティーさんが平定した海洋とゆーことでティーさんは海の民と予想2024/05/03 08:05:05163.名無しさんEn6DWアマが女と海女の両方を指すのは女系のやつは海の民だったからではないかと後世になっても山陰地帯の武家は海戦得意だしー2024/05/03 08:08:09164.名無しさんoYerS後の世でも天皇と将軍の二重構造で海外からはよく分からん、だったしな歴史なんてずっと似たようなこと繰り返してると思ってる2024/05/03 08:08:11165.名無しさんEn6DW天皇家のルーツと嫁民族のルーツが違うんだろうねその上で天皇家と武家もルーツが違うんだろうねで、倭国大乱頃の倭には五王がいたらしいからー2024/05/03 08:10:14166.名無しさんuJyhg>>151地誌も含めたものだからね。一応、史書なんだろう。それを省くとは通常では考えられないこれだけ大変な思いを功績は大きいですよね。って事だろう2024/05/03 08:11:28167.名無しさん628eM>>160まず先鞭をつけたのが宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」で日本版シュリーマンの印象を大衆に植え付けた(尚シュリーマンの実像は巷間思われてるようなものじゃないがw)で学者相手にも筆や弁で引けを取らない松本清張が出てきて安本(東遷説)や古田(九州王朝説)が出てきて百家争鳴というかグダグダになってしまったのが邪馬台国論争(現代2024/05/03 08:13:22168.名無しさんoYerS後だって何も知らん海外相手に日本の歴史は?って聞かれて天皇家中心か幕府、将軍家中心かメチャクチャ悩むぜ、その時々で日本の歴史なんて古代も戦国時代からの幕府、将軍、天皇でムリヤリまとめたと似た状況なんだろ?2024/05/03 08:13:42169.名無しさんEn6DW最低でも大きく五つぐらいの民族がいたのではないかと。雑魚民族含めたらもっと。今の中国だけでも56民族いるし東南アジアや北方に移住したやつもいるだろうしこの中から列島に移住してきたやつがひとつのわけないそれ+縄文以前からいたやつを足すと2024/05/03 08:13:55170.名無しさんEn6DWみなさんけっこう移動なさるし2024/05/03 08:14:41171.名無しさんEn6DWイヌイット日本列島起源説を唱えたい2024/05/03 08:15:22172.名無しさんZfyNz古事記やら日本書紀以外にも応長があれば風土記がある。なのに風土記とか書物に記載されていないということは、卑弥呼は三国志のファンタジーなんじゃないかと思うけどな。魏志倭人伝がどれくらい信用できる書物かだよなと思う。2024/05/03 08:16:37173.名無しさんEhjSuあなたの心の中にあります2024/05/03 08:16:57174.名無しさんEn6DW戦乱の時代なんかのらねこの縄張りぐらい毎年の勢力図が塗り変わってそう2024/05/03 08:17:19175.名無しさんoYerSもう全く、後の世と同じだよ天皇だって今は江戸城跡に居るんだから2024/05/03 08:18:13176.名無しさんEn6DW侵略者との喧嘩に負けたり家出したり帰ってこれなくなった犬猫はめっちゃ遠方で見つかることあるよねだから戦争負けた人間も死ななければ遠くに行く2024/05/03 08:19:03177.名無しさんEn6DWきっとイヌイットさんは北九州から北海道を経由して北極圏まで行ってしまわれたのでは2024/05/03 08:19:53178.名無しさんEn6DWアイヌさんは北海道にとどまって黒船以降の明治政府による同化政策のえじきにされたと。2024/05/03 08:21:01179.名無しさんEn6DW元祖シャムさんはタイへ2024/05/03 08:21:25180.名無しさんEn6DWクマソはクメール2024/05/03 08:22:05181.名無しさんVdVsM邪馬台国は九州大和朝廷と邪馬台国は無関係2024/05/03 08:22:07182.名無しさんEn6DW無関係つうかフツーに戦争負けて軍門に下ったか滅ぼされてそう2024/05/03 08:23:32183.名無しさんEn6DW樺太からシベリア行ったやつもいそう2024/05/03 08:24:30184.名無しさんEn6DWみなさん頭が固いよ2024/05/03 08:25:13185.名無しさんoYerSアマテラスが天皇家で何か間違って目立った天皇家の女性がヒミコ、ひめみこ、とかなんだろ?で、そん時の倭国大乱の勝者、主導権取った古代将軍が畿内に幕府みたいなものを置いて天皇を御輿に担いで取り寄せたいつものことじゃねぇか2024/05/03 08:25:54186.名無しさんEn6DWユダヤ人が中国いて日ユなんたら論とも言ってるやつがいるぐらいだし中東のすみっこくんだりから極東まで残党が流れて来るのになんで日本にいた民族だけは近郊にしか移動しないと思ってるんだそりゃもう安全な空き地を求めて移動しまくるに決まっている2024/05/03 08:29:27187.名無しさんZfyNz>>183日本の系統は3タイプあって琉球、関西、東北。この東北はモンゴルとかのシベリア系。古墳は確か北海道の江別、恵庭、札幌とかにもあるらしいけど群衆墳は東北までらしいよ2024/05/03 08:29:57188.名無しさんEn6DW絶滅した遺伝子も出てった遺伝子もあるでしょ。残ってるやつの中から調査の対象になった一部の人とゆー限られた情報で見たらそうなだけ2024/05/03 08:31:26189.名無しさんoYerSで、また血の記憶で取られた薩長が取り返したんだろ?京都御所じゃなくて薩長で持っていって置けよ2024/05/03 08:32:56190.名無しさんmhMYhヤマトンチュー2024/05/03 08:33:08191.名無しさんsmibm距離を誤魔化して経費を懐ナイナイした2024/05/03 08:36:59192.名無しさんoYerSCや遼河系なんて大した影響ないだろアマテラス、スサノオ、ツクヨミそれぞれDとO1交雑の長江系の影響DとO2交雑の黄河系の影響Dの縄文系の影響だよアマテラスとツクヨミは早い段階で融合しているが2024/05/03 08:38:28193.名無しさんEn6DWしかし殷(商)は倭人の国だったらしい2024/05/03 08:40:19194.名無しさん628eM>邪馬台国は九州そもそも九州と十把一絡げにしても福岡平野と宮崎平野じゃあ異次元に話が違う(この意味が分からないやつはこの話題から退場願いたい)要するに「九州説」は「九州だったらどこでも良い」「少なくともアカデミズムの推す畿内説は許さない」というルサンチマン畿内説が荒唐無稽で話にならないと言うならあとは九州説同士で確度を高め合えばよいが現実そんなことはできない距離や方角その他、解釈の自由度を広げまくって収集がつかなくなったのが九州説2024/05/03 08:46:08195.名無しさんfRywhた たい だ だいて てい で でいと とい ど どい↑台の字が古代中国語でこの読み全部を表すのでヤマトの他にヤマテ、ヤマダ、ヤマデ、ヤマドなどの地名全部邪馬台国の可能性あるんだよ2024/05/03 08:50:37196.名無しさんgqbu7天皇家は邪馬台国時代何してたの?2024/05/03 08:50:43197.名無しさんoYerS九州は勢力が2つ、もしくは3つに見えるな、古代だと2024/05/03 08:50:53198.名無しさんEn6DW殷の住人とインドの原住民と日本列島の住人はルーツ全然関係ないかね。なんか古代日本もネグリトやアンダマン人みたいな見た目の色黒のやつらが全身白もしくはオレンジと黒とかの縞々の服を着て女酋長が骨でまじないとかやって刺青の庶民は火のまわりでドンドコ太鼓叩いて謎の躍りの儀式とかやって山や海に生贄捧げてるやつがいそう(偏見)2024/05/03 08:51:28199.名無しさんEn6DW飛鳥時代とかの桃色や水色のヒラヒラした衣装着た色白の人々みたいのは後から来ただしょ2024/05/03 08:52:55200.名無しさん628eM>>196その質問が成り立つためには「邪馬台国時代(2・3世紀)に天皇家があった」と言う前提が必要だと思うんだがそれは何によって担保されるのかな?2024/05/03 08:55:43201.名無しさん4x9E3ギャートルズは何処にあったのか?2024/05/03 08:55:57202.名無しさん0Adcq金印をサイコメトリーしてもらえ2024/05/03 08:56:07203.名無しさんczlfu>>196何してたのって、邪馬台国=大和朝廷だよ卑弥呼とは神功皇后、つまり応神天皇の御母君応神天皇が御即位するまで摂政として国政を預かってたこの時代に魏に使者を送り、魏から日本の統治者として認識されていたんだよ2024/05/03 08:58:12204.名無しさんEn6DWどーゆー順番で入れ替わったかがよくわからん。ヒラヒラ衣装は大陸からきた野蛮人が政権取ってから輸入してきて戦利品として獲得した嫁にくれたかね武家は首狩り族だし中国にもタイワンにもいるよね首狩り族2024/05/03 08:58:35205.名無しさん628eM>>192>アマテラス、スサノオ、ツクヨミ>それぞれ太陽と月があってそれぞれに悪さして日蝕・月蝕起こす3番目の存在がいるという3セットの構図は海外の神話にも見られるというのが比較神話学からの知見まあ牽強付会もいいところ2024/05/03 08:59:31206.名無しさんoYerSで、トヨと読むの?イヨと読むの?タイヨとは読まないだろ?2024/05/03 08:59:50207.名無しさんczlfu>>200何を言ってるのか良く分からないけど2-3世紀に大和朝廷はあったに決まってるだろ邪馬台国=大和朝廷なんだから2024/05/03 09:00:43208.名無しさんEn6DW孤島に首狩り族の縄張りがあったら、よほど乱暴者の中国人でも下調べ無しに近づくのはこわい2024/05/03 09:02:18209.名無しさんZfyNzこの国は鉄器と青銅器の順序が逆の国なんだぞ鉄を先に使ってた変な国なんだから古墳時代にあきらかに何かあったとしか思えぬ邪馬台国は本当に日本にあったのか無いだろ。倭国も本当に日本なのか怪しい。金印見つかって倭国だ!って言ってるだけなのでは?倭国って中国の南東側にあった国の呼び名でしょ?2024/05/03 09:04:20210.名無しさんV5WuI魏志倭人伝の信頼性は低いからな。日本と交易していた朝鮮人から話を聞いて邪馬台国の行程等を記述したんだと思うけど日本との交易で利益を得ていた朝鮮人が本当の事を話すだろうか?利益を独占する為に、出鱈目なことを教えたと思う。2024/05/03 09:04:23211.名無しさんEn6DW侵略者を案内したやつがいるはず2024/05/03 09:04:40212.名無しさんEn6DW手引きをした者2024/05/03 09:05:17213.名無しさんfRywh>>103その辺の大昔の暦が半年で一年って説ってのがある。つまり128歳なら64歳崩御2024/05/03 09:05:19214.名無しさんZfyNz>>213この当時の64歳は仙人2024/05/03 09:05:53215.名無しさんEn6DW魏は船で東の海の島々の下調べをしていたのでは2024/05/03 09:06:33216.名無しさん628eM>>207>邪馬台国=大和朝廷なんだから根拠なしただの思い込み決めつけあくまでそこからスタートなら根拠のない前提を土台にする砂上の楼閣2024/05/03 09:06:35217.名無しさんDuheUヤマトの諸君!2024/05/03 09:06:54218.名無しさんoYerS>>209先というか、青銅器勢力が鉄器勢力に勝つみたいな大番狂わせがあったように感じる2024/05/03 09:07:18219.名無しさんR2FZN結局新資料が出てきたわけもなく、過去のものを擦りまくってるだけだから不毛だ2024/05/03 09:07:26220.名無しさんfRywhウィキペディアで悪いけどこれなhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E4%BA%8C%E5%80%8D%E6%9A%A6%E8%AA%AC2024/05/03 09:07:39221.名無しさんZfyNz>>218日本は青銅器は祭具でしか使ってないから何で先に難しい製鉄技術を手に入れたんだろうね2024/05/03 09:08:31222.名無しさんEn6DW半島から前方後円墳が発見されてしまったよね2024/05/03 09:08:49223.名無しさんZfyNz>>222朝鮮にも前方後円墳があるらしいね主張としては日本の王族が半島渡ったって話になってるけど2024/05/03 09:09:41224.名無しさんoYerS>>221半島含めた地域が違うんだろ?2024/05/03 09:10:33225.名無しさん628eM>>209>この国は鉄器と青銅器の順序が逆の国なんだぞ初めて聞いた北部九州・限界灘周辺地域に入ってきたのは鉄・銅ほぼ同時だと思ってたがソースのURLとまで言わんがそれを証明する遺跡とか提唱者の名とか良ければ教えてくれんかね?2024/05/03 09:11:21226.名無しさんoYerSそもそも思い込みがあるかもな鉄器は青銅器に先立つか。鉄器は青銅より低い温度で作れるという別世界の常識これで覆る2024/05/03 09:13:45227.名無しさん628eMちな鉄の融点1536℃ に対し銅の融点1085℃ で銅の方が加工しやすいただ地表で存在する割合としては鉄のほうが圧倒的に多い2024/05/03 09:20:52228.名無しさんoYerS噴火跡だらけなのに古代に製鉄せんでも容易に鉄の塊なんて青銅より手に入りやすそうだが山火事なんかもあったろうしあとは縄文から慣れ親しんだ削りと研ぎ出しをすれば良いからな大きなものでなくても弓矢、槍の国だし2024/05/03 09:22:24229.名無しさんZfyNz>>225ほぼ同時かttps://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/91/1/91_1_11/_pdf2024/05/03 09:23:30230.名無しさんoYerS>>223で、半島で日本より古い古墳は見つかった?2024/05/03 09:30:12231.名無しさん628eM恐らく多く誤解されてるのは古代において「銅製武器を鉄製武器が粉砕して勝利した!」というようなイメージ確かに武器以外同条件のタイマン勝負なら鉄器に軍配もあがるだろうがよく古代オリエントでヒッタイトなんかが鉄製武器を振り回して帝国築いた・・・なんてイメージ持たれてるが鉄器は神殿に奉納したり外交先に贈り物にされたりレアアイテムとして扱われてるのが実情2024/05/03 09:31:36232.名無しさんGr1GK記紀は7世紀の権力者の影響で書き換えられた可能性がある仏教伝来は日本書紀で552年としてるが他の複数の資料から538年が有力大分のウガヤフキアエズ王朝がないことにされて王朝発祥時期が神武即位(紀元前660年)に置き換えられた可能性実際は王朝73代神武が2世紀後半に東征したがこれは天武や不比等にとって都合が悪かったかもしれない2024/05/03 09:33:17233.名無しさん628eM>>228そんな純度の高い鉄の塊がそのへんにゴロゴロしてるわけじゃない人類が最初に利用した鉄は隕鉄(鉄を多く含んだ隕石)なんて説があるくらいだ2024/05/03 09:34:42234.名無しさんZfyNz>>230ほいhttps://news.yahoo.co.jp/articles/467f6884cde14166caa6172e933270cbb01285392024/05/03 09:34:46235.名無しさん9YfuY北九州説はおらが国の街おこし志向が強すぎる2024/05/03 09:38:27236.名無しさんVcmIL>>194むしろ邪馬台国なんてものが存在するなら九州以外ありえないなぜなら魏志倭人伝にしか記載がなく地理的にも気候的にも九州のことしか書かれてないから機内説なんてのは全く無根拠の0から産まれた説ですらない説2024/05/03 09:41:13237.名無しさんoYerS>>233純度が高い必要なんてどこにあるの?しかも、青銅器だけで構成された勢力と鉄器だけで構成された勢力の争いなんて思い込みじゃね?比率の問題だろ2024/05/03 09:42:45238.名無しさんoYerS>>234なんか、ザパニーズくさいヤツだな2024/05/03 09:45:42239.名無しさんoYerS>>236畿内は新しいと思うが九州か四国か、と言われると分からん2024/05/03 09:47:34240.名無しさんZfyNz>>238墳墓が半島にあるのは怪しいんだが蘇我氏の文化が朝鮮系、とくに床暖房などの文化がこれを考えると半分くらい、どうなんだとは考える余地はあるあと上の方の人の意見の補足だけど日本のタタラ製鉄始まるまでは、鉄器とかは朝鮮からの輸入なttps://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/kodaisinonazo/1387341660042.html2024/05/03 09:50:20241.名無しさんDSNNwとりあえずお前ら佐賀県の吉野ヶ里遺跡行ってこい。九州が邪馬台国のあった場所だということがわかるだろう2024/05/03 09:51:49242.名無しさんPKCdo製鉄で大変なのは、銅と比べ物にならん高温が必要でどうやって賄うかとさらに眼の前にある黒い石をくっそ熱したらかったい鉄になる、って発見もしくは知識だろうそもそもなんでそこに思い至ったのかとなろうじゃねえんだから、現実は鉄みつけた!叩いたら剣になった!じゃねんだから……2024/05/03 09:52:26243.名無しさん628eM>>236よろしいその意気や良しだwあとは九州説同士で内ゲバか共食い化か知らんが精々議論考察し合って「これぞ九州説」「九州説もこれが最有力説」なんてものを是非出してくれ前世紀から続く「素直に読んだらここしかない!」という口上は聞き飽きたwww2024/05/03 09:52:50244.名無しさんDSNNw>>101ハ?なんだこの無学文盲は?卑弥呼女王には台与という娘がいて、13才で王位を継いだ。歴史書読めアホ2024/05/03 09:55:03245.名無しさんcF6o8邪馬台国だからヤマトなの?初めて知ったわー大和は?2024/05/03 09:56:31246.名無しさん628eM>>241言っておくが吉野ヶ里が日本最大の環濠集落でもないしそれ以前に環壕集落が弥生時代のデフォってわけでもない工業団地として潰される予定が一転保存されたのは邪馬台国ブームのお陰で再現されてる建物も地中からそのまま出てきたわけでもなく奈良出土の銅鏡に描かれた家屋を参考にしてたりするwww2024/05/03 09:56:32247.名無しさんEn6DW>>245どっちも当て字2024/05/03 09:58:12248.名無しさん628eM>>244>卑弥呼女王には台与という娘がいてびっくりですwwwwwwwwww2024/05/03 09:58:37249.名無しさんEn6DWイヨは侵略者に拉致られてその嫁にされたヒミコの跡継ぎ2024/05/03 09:59:56250.名無しさんcF6o8>>247何が正解なのかドシロートのオレには全くワカラン邪馬台国が何処にあろうが別にどーでもいいけど専門の人は色々論争してるんやなーって思ってる2024/05/03 10:00:49251.名無しさんEn6DWクマソとエゾはなんで蔑称の末にソをつけるのかソガシの親戚だったかしらんガは河のそばにでも住んでたか国の意味だろ2024/05/03 10:01:46252.名無しさんEn6DWどうしてソが蔑称になったんだろうな2024/05/03 10:02:41253.名無しさんEn6DW祖先もソだし2024/05/03 10:03:07254.名無しさんDSNNw>>248日本の歴史書全巻も持ってない知ったか外題学問、浅学非才の口耳講説のバカに専門的なことを教えてやるが、それが事実だ2024/05/03 10:03:29255.名無しさんDSNNwまあ、歴史家の多くは北九州説が有力だと言ってるけどな2024/05/03 10:05:10256.名無しさんEn6DW今ある日本の古代の歴史書は元のやつ燃されちゃって勝者が口伝んを参考にしながら大陸から拉致られて朝鮮人経由で引き渡された中国人の学者に書かせただしょ2024/05/03 10:05:44257.名無しさん628eM>>250>専門の人は色々論争してるんやなーって思ってる多分学者の間では論争なんかほぼ起きてないそもそも昭和の邪馬台国ブームもどちらかと言えば素人・門外漢かアカデミズムに挑むと言う形まあ100%畿内説で片が付いたというわけじゃなくいが(そもそも学説なら反証可能性を残さないなんてありえない)邪馬台国=初期ヤマト王権(だだしそれが後の大和朝廷かは不明)と考えるのが一番蓋然性が高いと2024/05/03 10:07:03258.名無しさんEn6DWたぶんソガシはアイヌでイヌイットがコロボックル2024/05/03 10:08:18259.名無しさんEn6DW物部氏がモノノフで2024/05/03 10:08:42260.名無しさんDSNNw>>256ネット漬けの誇大妄想の典型だなこれ笑。妄想はいいから歴史書全部読めアホ。分厚くてデカい本が18冊ほどある2024/05/03 10:09:04261.名無しさんEn6DW中臣の華僑くささ2024/05/03 10:09:07262.名無しさんEn6DWヒミコはアマテラスイヨはアメノウズメ2024/05/03 10:10:28263.名無しさん628eM>>254あのなあ・・・そこまで見識語るなら言葉は正確に使え馬鹿者壱与は卑弥呼の宗女であって娘じゃないだろって話ニホンゴワカリマスカ?2024/05/03 10:10:34264.名無しさんEn6DW実の娘かただの継承者かは不明2024/05/03 10:11:15265.名無しさんEn6DWウズメは初女とでも書くんだろ2024/05/03 10:11:48266.名無しさんDSNNw>>257コイツ、陰謀論者の秋山と同じ人種だろ笑言ってることが小学生程度の感想で笑える。もしかして神話を信じてるアホ?笑2024/05/03 10:11:58267.名無しさんEn6DW若いほうのアマだからウズメ2024/05/03 10:12:07268.名無しさんDSNNw>>263いや、日本語ならお前の1万倍知ってるよ無学文盲の発達障害笑2024/05/03 10:12:56269.名無しさんEn6DW性犯罪者の侵略者が女子中学生を拉致って遠国で嫁にした図2024/05/03 10:12:57270.名無しさんEn6DW悪いやつだよあれは2024/05/03 10:13:24271.名無しさんEn6DW侵略者の歴史は美化されている2024/05/03 10:13:50272.名無しさんDSNNw>>263どこからそんなデタラメ情報仕入れて知ったかしてんのか知らんが、台与は卑弥呼の娘だと昭和の歴史書に書いてある。お前のような低学歴のゴミが古文書まで読める学者の話を否定できるわけなかろう笑2024/05/03 10:14:34273.名無しさんEn6DW義娘かもしらん2024/05/03 10:15:04274.名無しさんEn6DW単純にナンバーツーの若い巫女の可能性もある2024/05/03 10:15:40275.名無しさんcF6o8>>257そうなのかま、そのうちわかってくるやろって思ってるけどこーいった人達の尽力のおかげよな2024/05/03 10:16:24276.名無しさんEn6DW実娘かもしらんけどどっちだかは断定できなかろ2024/05/03 10:16:34277.名無しさんEn6DWもし実娘なら世話係の弟とのガキということに2024/05/03 10:17:07278.名無しさんDSNNw>>263妄想小学生に教えてやるが、4世紀中頃、大和地方に大王という支配者が現れ日本を統一する。これが天皇であり、崇神天皇だ2024/05/03 10:17:21279.名無しさん628eM>>268でその俺の一万倍ニホンゴ知ってるとほざく人間なら宗女と娘を混同するのか?wまあこのアホを置いといて「宗女」ということから古代社会に巫女という集団・階級があったんじゃないかとも想像できる考古学で言われるヒメヒコ体制か?2024/05/03 10:17:30280.名無しさんEn6DWたたりがみが祖とは2024/05/03 10:17:57281.名無しさんZfyNz梁書倭国伝 北史倭国伝調べても無いんだろうから何となくそこはお察しな気はするけどな台与=壹與が書いてある書物壱与が壹與の新字体2024/05/03 10:18:24282.名無しさんDSNNwこの崇神天皇は名をミマキイリヒコイニエノミコトの言い、朝鮮ミマナのミマナ王だった。騎馬民族として日本に渡り征服し、豪族連合の代表として日本を支配した。古墳にも騎馬民族の文化があり、この説が事実の可能性が非常に高い2024/05/03 10:19:53283.名無しさんDSNNw>>279いや、お前のような無知なその辺のカスが何をほざこうと、昭和の学者が台与は卑弥呼の娘だと言っている。身の程を知れよ知ったかぶりして恥ずかしいぞお前笑日本の歴史なんか知らないんだろお前?2024/05/03 10:22:53284.名無しさんEn6DWこのような記事があったよ↓>「魏志」倭人伝の壹與は、太宰府にある国宝文献の「翰苑(カンエン)」には、>「臺與幼齒 方諧衆望」: 臺與は幼くして、まさに民衆の望みにかなった。・・・とあります。>壹與は「いちよ」、又は「いよ」と読めます。>臺與は「だ(た)いよ」、又は「だ(た)よ」と読めますが、和語の基本は濁音が頭にこないのです。>また、「taiyo」の「ai」ように合成語は別にして、母音は連続しないのです。>だから「た」を「と」に変えて、「とよ」と読む学者先生方が多いですが、根拠が薄いです。>邪馬臺國と同じで、無理があります。私は、「魏志」の壹與(いよ)の方が正しいと思うのですが、「古事記」の内容からすると、「とよ」と読む方が、辻妻が合うのです。>だから私は、「魏志」壹與、「翰苑」臺與、共に間違いで、「豐與」が正しいのではないかと思うのです。>古い文献は保存の為に写本を繰り返しますから、どんなに慎重に写本しても、誤字は多くあるのです。2024/05/03 10:24:13285.名無しさんEn6DWトヨちゃんはタイヨウちゃんであり、たぶん古い日本ではティーヨちゃんだったと予想2024/05/03 10:25:02286.名無しさんEn6DWティーだからタイとかイとか色々になまる2024/05/03 10:25:29287.名無しさん628eM>>278>4世紀中頃、大和地方に大王という支配者が現れ日本を統一する。昔の教科書だなw語呂合わせで「大和朝廷4世紀中ばに日本をシチュー(4中)にする」なんてのがあったここまで来るとこいつわざと「老害」演じてるのかなとwwww2024/05/03 10:25:42288.名無しさんEn6DWアマが籠城してたところが北九州で戦場が山陰山陽で滅亡したところが四国だな前の支配者は出雲大社の黒い旧神だろうけどどの氏族が末裔だかは知らん2024/05/03 10:27:43289.名無しさんEn6DWイヨは伊予→伊世→伊勢に漢字が変化して神宮も大王の進出にあわせて東に移動したんだろう2024/05/03 10:29:26290.名無しさん628eM>>283いや、お前のような無知なその辺のカスが何をほざこうと原文に「宗女」と書いてるんだが?昭和の学者って誰よ?文献といえば内藤湖南?言っておくが昭和のいかなる高名な学者だろうと今じゃ否定されてる説なんて山ほどあるぞとりあえず原文検索しろド低脳ゴミクズ2024/05/03 10:29:34291.名無しさんEn6DWあるいはアマ殺害が黒い旧神でそのあと山陰で大黒として栄えて大陸の外人連れてきた南九州の勢力がリベンジして滅ぼしたかね。なんかここ何回か支配者の交代がありそうな気がする二回以上2024/05/03 10:34:06292.名無しさんZfyNzイヨの話に大和政権出て来ないんだから邪馬台国はフィクションだよ九州にも畿内にもありません!2024/05/03 10:34:14293.名無しさんqA5Bv卑弥呼には夫も子供もいなくて後継者に一族の台与がなったってのはもう周知の事かと思ってたけど、娘だって主張する人いるんだな2024/05/03 10:39:50294.名無しさんZESkW実は邪馬台国は複数あったのかも知れないよ別々の集落に辿り着いた人がそれぞれ「ここが邪馬台国か」と呼んだとしたらあり得るその場所は違うと否定できる記録やツールも無かった時代だし九州に到達したのか中国地方に到達したのかも確証は無いような時代だろもしかしたら対馬だったかもしれんし2024/05/03 10:42:39295.名無しさん6JZaP著者の陳寿の名誉欲から、邪馬台国を実態以上にデカく見せた水稲不向きの北九州に言うほどの人口を養う生産力はなかった2024/05/03 10:43:54296.名無しさんEn6DWミャンマータイ国ならもともと二か国を併せた総称かも2024/05/03 10:44:56297.名無しさんDSNNw>>287お前、wとかつけて発達障害丸出しだぞ。人からどう思われてるかわからない知恵遅れ笑。やっぱりバカは違うな笑2024/05/03 10:47:12298.名無しさんEn6DWヤマトを「大和」と書くのは大戦後にもうけんかしないでねって意味で列島の大王が家臣とともに当て字でてきとうに決めたキラキラ名邪馬台は大陸のやつが蔑称として利用した当て字2024/05/03 10:47:49299.名無しさんDSNNw>>290おいおい小学生笑。身の程を知れよ。歴史も国語の勉強もしてない底辺のただのクズが学者に意見してんじゃねーよ。フンコロガシ野郎は糞の味についてだけ語ってろよ笑2024/05/03 10:49:51300.名無しさん628eM>>297いやさそんな下らないケチレスはいいから原文で「宗女」は確認したのか?2024/05/03 10:50:22301.名無しさんEn6DW狗邪韓国とかいう邪悪な名前の島があるな。2024/05/03 10:51:24302.名無しさんDSNNw>>290ないとうこなん笑笑。バカが知ってる奴の名前を上げただけ笑。知識笑をひけらかしたんだろーな笑お前の知らん歴史家も考古学者もたくさんいるわ。昭和の学者たちも後世に小学生から意見されるとは思ってもなかったろう笑2024/05/03 10:52:44303.名無しさんEn6DWイヌと邪の二勢力の共同港かねくやかんこくと言うらしいけどたぶんクヤはカヤの別称で漢字は蔑称かな2024/05/03 10:53:23304.名無しさんDSNNw>>290神話はいいから現実を見ろ低学歴2024/05/03 10:53:36305.名無しさんlu5cLしかし魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の人間の服装や風俗は南方系のものなんだよな入墨の習慣は九州にはあっても畿内にはなかったことは記紀でも明確なわけだし2024/05/03 10:54:59306.名無しさんEn6DW部落民のレイパーどもはヒミコ殺してトヨに強制ストリップさせた侵略者と行動パターンそっくりだなたぶん一度は栄えても恨みに思った民族に滅ぼされたな2024/05/03 10:55:32307.名無しさんDSNNw>>293何でお前がそんなこと知ってるんだ?歴史も日本語も知らない無学文盲のカスが学者に意見すんなよ笑。だいたい最近の情報ってのは、真実をねじ曲げた胡乱しかねーからな。それを学んだ知的障害者どもが、ネットで知ったかぶる2024/05/03 10:56:45308.名無しさんEn6DWまた天皇家と部落の韓国人がヤクザとカルト使って皇女と混血し、列島の権力の座に返り咲こうとタクらんでいるけどもしかして祖先からして悪いやつなのではないかと2024/05/03 10:57:37309.名無しさんDSNNw>>300そんな神話は知らねえよ妄想小学生笑。歴史書しか読まないんでな2024/05/03 10:57:48310.名無しさんS9muaデスラー「ヤマトのクルーは親しみを込めて諸君と言っている」2024/05/03 10:57:58311.名無しさんWshMD常識から言って奈良でしょう北九州なら詳しい行き方など必要ないからな奈良は大陸の人にとってはどこだかわからない場所2024/05/03 10:59:00312.名無しさんEn6DWたぶんブラクやチョンやしなちくも遺伝子の記憶で先祖と同じ犯罪を繰り返してしまうんだな2024/05/03 10:59:27313.名無しさんDSNNwド素人のうわべ学問のカス野郎がデタラメな意見をさも真実のごとく語る。コイツがその典型だな笑>>3002024/05/03 10:59:33314.名無しさん628eM>>302まあ邪馬台国に関わった学者の全て知ってるわかじゃないがなたまたま知ってる内藤湖南をあげたのには理由はあるがその理由がこのアホウに分かるかは疑問だwこのアホは置いといてだひょっとして「文献の九州説考古学の畿内説」なんてのを聞いたことがある人もいるかもだが実のところ戦前より前ならそれは逆で考古資料の年代も今からすりゃデタラメレベルでむしろ九州説のほうが考古資料を持ち出しそれに対して文献の再度のブラッシュアップやったのが内藤湖南という人物2024/05/03 11:00:06315.名無しさんDSNNw>>300歴史も日本語も勉強していない知的障害者が身の程をわきまえろよ2024/05/03 11:00:47316.名無しさんDSNNw>>314知ったかはやめとけ恥の上塗りだぞお前笑2024/05/03 11:01:37317.名無しさんDSNNw>>314しかも日本語もまともに使えない発達障害じゃあ、誰もお前の話は聞かないよ。デタラメ情報を撒き散らすだけで、謙虚さというものはどこにも無い2024/05/03 11:04:15318.名無しさんDSNNwちなみに江戸時代までは邪馬台国は九州にあったというのが常識だった2024/05/03 11:05:29319.名無しさん6JZaP神武東征は事実を含んでいる。刺青の件でもイワレビコには無いがメンバーの一部にはあった。最終目的地大和盆地には先住民の風習があり彼ら弱小グループは地元に従い、欠史八代を含め。徐々に勢力を拡大してこずったが九州北部平定後に王権からヤマト朝廷と言うにふさわしい権力に・・さらに昔 アカホヤ大噴火で朝鮮・大陸に散った縄文人だが、(1000年無人)九州中国地方が元に戻り長江人と混血した(鉄器持ち・高生産性・大陸仕込み獰猛&狡猾)弥生系が舞い戻ってきた神武グループもそれ。奈良盆地の強敵ナガスネヒコらも弥生系?2024/05/03 11:07:43320.名無しさん628eMまあ自分は畿内説だが大陸に朝貢して最大の受益者は北部九州でありその通交にしても北部九州の助力がなければ不可能だったろうとは考える「だったら大和なんか持ち出さなくても北部九州で完結する話」というのが九州説だろうが考古学的に見れば九州から畿内そして関東と「緩やかな首長連合」が形成されてたと見るのが畿内説かな?邪馬台国が仮に九州にあってもこの首長連合の萌芽はまあ現時点定説だと思うが九州説支持者には既にここらへんから反発するやつが多い2024/05/03 11:08:51321.名無しさんDSNNw俺の話は昭和の学者の話を書いてるだけで、俺の意見ではない。昭和の学者と言えば明治生まれの固い奢宿だから、どこぞの小学生歴史博士の言うことよりは遥かに信倚観念できるだろう2024/05/03 11:09:22322.sageZzc7q鉄は還元が必要2024/05/03 11:12:40323.名無しさんDSNNw>>319作られた神代天照大神の子孫が日本の君主となったので、どうしても天孫降臨の話が必要になり、太陽神に縁のある名の土地、日向(宮崎県)が選ばれたが、歴代の天皇は大和(奈良県)にいた為、その間の連絡をつけるために神武天皇東征の話が作られなければならなかった。2024/05/03 11:14:09324.名無しさん628eM>>318>江戸時代までは邪馬台国は九州にあったというのが常識だったバカ丸出しwww北畠親房(南北朝時代)の「神皇正統記」とかおぼろげにでも畿内説だったものがむしろ江戸時代に国粋主義的な思想をバックに出てきたのが九州説「朝貢」と言うのは要は膝を屈したと言う話でそんなものは大和朝廷とは関係なく九州のどこぞの蛮族が倭国の王を僭称した・・・と言う理屈この辺は常識中の常識2024/05/03 11:15:50325.名無しさん3dq4p>>305当時はまだ海面が今よりずっと高い位置にあるんで関西も暖かい奈良盆地あたりは完全な入江だしなそして四国から外房に人々が移住して房総半島の開拓が始まったように割とかなりの距離を移動して移住してる2024/05/03 11:17:45326.名無しさんDSNNw>>324お前の常識は5ちゃんねるとかだけ。どう育ったらこう身の程知らずのバカになるのか?笑明治生まれの学者が言ってることより、お前のようなその辺の今時のクズのカス野郎が言ってることを信じろと言うのか?笑笑2024/05/03 11:19:02327.名無しさんpQc4C四国説は無いんか?2024/05/03 11:20:12328.名無しさんDSNNw>>324ネットやその辺のトンデモ本を読んで歴史を知った気になるなよ笑もうやめとけ恥の上塗りは2024/05/03 11:21:23329.名無しさんDSNNw最低でも歴史書全18巻も持ってない知的障害者が、一丁前に歴史について語るなって話だよ2024/05/03 11:22:17330.名無しさん628eM>>326残念ながら俺の言ってるのは何も俺のオリジナルじゃないんだよ殆どは今じゃ常識レベルのお話ばかりお前の年齢がいくつか知らんが全く知識を更新しない老害だよゴミクズ2024/05/03 11:23:48331.名無しさん6JZaP>>325古事記のナガスネヒコとの対決に至る舟の航跡がそれと合う2024/05/03 11:24:25332.名無しさんDSNNw>>324まあこのようなイスラム原理主義者と同じ人種に日本の歴史を教えても仕方あるまい2024/05/03 11:24:36333.名無しさんEn6DW倭の五王と七福神2024/05/03 11:24:52334.名無しさんEn6DW日本出身はエビスだけと2024/05/03 11:25:29335.名無しさんDSNNw>>330今どきの小学生には常識らしいが、残念ながらそれは嘘だ。昭和の歴史書全巻読んで出直してこいアホ。特別支援学校の図書室の本じゃあ、ちょっと勉強にはならんかもだがな笑2024/05/03 11:26:38336.名無しさん6JZaP江戸湾も多摩川の田園調布裏あたりまで入り込んでいた古墳もあるし。古気象学・地学も考古学と連携する時代2024/05/03 11:28:13337.名無しさんDSNNw古い歴史というのは古い時代の人間ほど真実を知っているものだ。お前のような今どきの軽佻浮薄な不逞の輩のクズに教えられることなど何も無い。ねじ曲げられた情報を信じてんじゃねーよバカが笑>>3302024/05/03 11:30:28338.名無しさんDSNNwお前らも明治生まれの宿老が言ってることと、今どきのその辺のカス野郎が言ってることのどちらを信じるか?答えは一目瞭然だな2024/05/03 11:32:14339.名無しさん628eMちなみに「昭和の歴史書」を連呼してる基地外がいるが(民明書房刊かな?www)講談社とか吉川弘文館とかの日本全集で邪馬台国や古墳時代は考古学者編集執筆してる2024/05/03 11:33:17340.名無しさん6JZaP朝鮮には5000年間の空白期間があるそうだね12000年前から7000年前。そのころ「アカホヤ」があり日本列島から朝鮮に避難。空白の5000年が終わり。土器も出現。古墳まで韓国学界は稲の伝播も含め真面目に取り組む姿勢がなく、こね回す・曲げる・自由自在酷いもんだね2024/05/03 11:34:07341.名無しさんDSNNw>>339ん?お前は考古学者だと言ってるのか?ちょっと日本語がおかしくて、誰かこのマヌケの言ってることを翻訳してほいんだが笑2024/05/03 11:36:02342.名無しさんtXCHi当時にしたらリアルタイムの軍事資料なんだから筆者の思想垂れ流しで距離や方角盛るとか到底許されそうに思えんけど倭国と戦争になって倭人伝に従って軍移動させたら全軍海上で野垂れ死にました🥺では筆者の首が飛ぶどころの騒ぎじゃない2024/05/03 11:36:23343.名無しさんgYzL9日本の何処かにあるならどこでも良い2024/05/03 11:38:08344.名無しさんDSNNw>>339歴史書における考古学者は弥生時代までな知恵遅れ2024/05/03 11:38:55345.名無しさん6JZaP竹田の歴史教科書が検定に受かり朝鮮ハンギョレ大発狂日本サヨクもなぜかツラレテ・・こだまのようにそれ以上に発狂竹田って男はたいしたもんだ。そこらのネトウヨの億倍の破壊力2024/05/03 11:42:59346.名無しさん628eM>>344恥をかく前に検索したらどうだ?ド低脳ゴミクズ爺勿論時代区分にはいくつかあるが平安時代とか少なくとも飛鳥奈良時代まではその区分に含まれるのが大勢で少なくとも俺の言った日本史全集の該当の時代はは白石とか寺澤が編集してる2024/05/03 11:47:50347.名無しさん6Zk5N>>342中国の正史としての歴史書は史記以外は次の王朝が編纂しているからリアルタイムというわけでもないけど…2024/05/03 11:48:26348.名無しさんE9oq1不弥国 → 宇美一帯投馬国 → 三潴、上妻、下妻などの一帯邪馬台国 → 筑後山門、肥後山門などの一帯だろうな2024/05/03 11:49:51349.名無しさんDSNNw>>346いや、そりゃあオメーのただの感想だろバカが笑どこの歴史書が飛鳥奈良時代を考古学者が書くって言ってんだよ死ねよアホ笑あんま笑わせるなよ低学歴笑2024/05/03 11:51:16350.名無しさんDSNNw>>346こういう考え方だから、デタラメばかり覚えるんだろーな2024/05/03 11:52:20351.名無しさんDSNNwちなみに魏王からもらった金印が大和で発掘されても、そこに卑弥呼の墓がなければ証拠にはならんと言う。まあ九州説が真実だろうがな2024/05/03 11:53:26352.名無しさん628eM>>342>筆者の首が飛ぶどころの騒ぎじゃないこの辺勘違いしてるやつが多いがそもそも「三国志」が史書の列に加えられたのは陳寿が死んでからで三国志自体が時の朝廷から命じられて編纂されたものじゃないよしんばそうであったとして所謂「魏志倭人伝」と言われてるものなんて三国志全体の巻末付録おまけのおまけ全体の内容の評価に及ぶものじゃないだろうに2024/05/03 11:54:26353.名無しさんEn6DW投馬国は台湾で、邪馬台国はタイ(  ̄▽ ̄)2024/05/03 11:54:32354.名無しさんEn6DWヒミコは三十ヶ国の女王だからたくさん省略されてる2024/05/03 11:55:33355.名無しさんEn6DW台湾に馬祖って島々がある2024/05/03 11:57:56356.名無しさんfRywh千葉説とか四国説とかも語ろうぜ!w2024/05/03 12:00:32357.名無しさんEn6DWだからうちがうちがって遺跡掘ってるやつらは三十ヶ国の中の小さい国々のひとつで多国籍軍のリーダーがヒミコ2024/05/03 12:02:21358.名無しさんEn6DWで、どうせヒミコと関係ない村みたいな国も100個ぐらいあんちゃう2024/05/03 12:03:14359.名無しさん628eM>>349>どこの歴史書が飛鳥奈良時代を考古学者が書くって言ってんだよ死ねよアホ笑ほれ爺w 講談社 日本の歴史02 王権誕生 寺沢 薫 吉川弘文館 日本の時代史 1 倭国誕生 白石太一郎まあ自分が持ってるのをあげたけど他にもあるだろうマジで今の中学生の知識にも追いついてないぞゴミ爺2024/05/03 12:03:51360.名無しさんEn6DW講談社w小学校の図書室で読んだのかな2024/05/03 12:05:20361.名無しさん628eM>>360講談社がいつ児童書専門の出版社になったんだ?バカ丸出しだな2024/05/03 12:06:50362.名無しさんEn6DW天皇陵調べたらそのときの天皇と今の皇室と繋がってない証拠とかが出てきそう2024/05/03 12:08:28363.名無しさん02rU7>>32日本の馬は足が遅いんだろうなwだから突撃に向かない連絡係みたいなのにしかツカエナイwwww2024/05/03 12:09:56364.名無しさんdLgYy神奈川県大和市はなんか違う2024/05/03 12:10:05365.名無しさん628eM>>362「繋がってる証拠」ならともかく「繋がってない証拠」ってなんぞ?「悪魔の証明」かよ2024/05/03 12:10:56366.名無しさんujDnF宇宙戦艦邪馬壹2024/05/03 12:11:03367.名無しさんDSNNw>>359おい、負け犬クソガキ笑。ネットでデタラメ書いて恥さらしてる暇があったら、本当の歴史書を買って日本語も勉強してろ。お前の書き込み読んだ学者はみんなお前のこと笑ってるぞ2024/05/03 12:13:11368.名無しさん02rU7武田信玄の甲陽軍鑑では我欧米乃早馬欲と書いてあるつまりナポレオンが使ってたような足が早くて強靭な肉体を持つヨーロッパの馬が欲しかったということwwwでも実際はタタールの持久力の高い馬を横浜から輸入してたんだけどねヨーロッパの馬は高いから2024/05/03 12:14:26369.名無しさん628eM>>32というか古今東西問わず正面主力は大抵歩兵集団騎兵はその機動力でサイドを突いたり後ろに回り込んだり武田の騎馬軍団とかイメージがあるけど騎馬の比重は他の戦国武将に比べ特に高くなかったとか2024/05/03 12:14:31370.名無しさんDSNNw>>360これはまだ類人猿以下だから相手にしなくて可い2024/05/03 12:14:34371.名無しさん6JZaP史書とやらにバイアスがかかり、バイアスがかかっているに違いないと都合よく取捨選択できるのが歴史論争の醍醐味2024/05/03 12:15:03372.名無しさん628eM>>367んー学者先生がこんなとこ見るのかね?wお前のアホさは中学生にでも笑われかねないぞゴミクズ爺w2024/05/03 12:16:39373.名無しさんEn6DW>>365血縁関係の有無なら無いほうも簡単に証明できるぞ2024/05/03 12:17:18374.名無しさん628eM>>373なるほどねDNAとかなら可能かもっともそうなると現代の皇族のサンプルも採取する必要があって事実上不可能だと思うがw2024/05/03 12:19:50375.名無しさんEn6DW水行二十日で投馬国、水行十日陸行一ヶ月で邪馬台国日本国内だったらこんなかかんないね!2024/05/03 12:20:39376.名無しさんEn6DW韓国からだったら七千里余とか千里とか距離が書いてあるのにいきなり日数に切り替えている、これは韓国より遠距離にある場所の証拠2024/05/03 12:22:49377.名無しさんB26f2奈良県とかありえないんだよ、突然現れるわけだからな生産性から考えても絶対有明海がいるだろ?つまらん議論なんだよね、奈良県とかいうならその途中はもっと明確に分化がないと。松浦→吉野ケ里→大和だろ?2024/05/03 12:23:58378.名無しさん628eM>>375それもなんとでも解釈できる潮待ち(都合の良い潮の流れになるまで待つ)とか悪天候にあったとかあるいは寄った先々で熱烈歓迎接待を受けたとかw要は行程記事なんてどうとでも解釈できる身も蓋もないがこんなもんで位置を特定しようと考えるほうが馬鹿げてる2024/05/03 12:26:43379.名無しさんDSNNw>>372磯田道史が見てるかも知れん。惜しむらくは古きを知る明治生まれの歴史家はおらんだろうが。お前の話は小学校では通用するかも知れんが、大人の世界では笑われるだけだと言うことがわかったか?笑2024/05/03 12:29:55380.名無しさんB26f2学者が有明海の生産性ガン無視するのはなんでなんだろうね?歴史書を読み解くとか、学問ではないのでは?2024/05/03 12:30:22381.名無しさんDuheU>>374現生皇族のなら簡単に手に入ると思うよ、古墳時代の王墓って比定されている所の人骨の方が難しいてか、古墳の再利用もあったし、盗掘もあるし、なあ。2024/05/03 12:30:23382.名無しさん628eM>>377>その途中はもっと明確に分化がないと。その文句は倭人伝の行程記事に言うべしじゃあ仮に九州説を取るとして不彌國から投馬國までノンストップ20日水行だったのか?投馬国から邪馬台国陸行一月で途中に一つの国もなかったか?あるいは投馬国が邪馬台国に隣接してその国境に行くまで一月要したのか?とまあ不彌國以後は別資料と考えたほうが合理的だと思うが(不彌國までは割と詳細な地理志)2024/05/03 12:33:39383.名無しさんB26f2奈良県の話は歴史が割とはっきりしてる近代の話だよな。2024/05/03 12:33:43384.名無しさんB26f2>>382その文献の話に意味はないってことだよ。創造なんだから。結局畿内まで行く途中とか全く何もないことになるからな。マツロ国にインしたのは間違いないんだろう?2024/05/03 12:35:18385.名無しさん628eM>>380>有明海の生産性生産性と言うならそれは人口に反映されてるはずその有明周辺が人口絶対数あるいは密度が高かったって資料あるかい?想定されてる人口だと東山道とかが結構高かったりするwこれは稲作が進んだとは言え米で腹いっぱい食えるには遠く及ばず海産物もとっただろうが山で取れる堅果類や果物や禽獣類に多く頼ってたんだろう2024/05/03 12:39:24386.名無しさんujDnF邪馬台国はなかったって聞いた2024/05/03 12:43:53387.名無しさんanN7w当時の防犯カメラが出土されれば分かる2024/05/03 12:50:45388.名無しさんB26f2>>385逆だよな、だとすれば人口密度が低かった原因は何かを考えないと。巨大な干潟をなぜ人々は無視したのか?2024/05/03 12:51:08389.名無しさん628eM>>388意味不明だななにか阻害要因があるから人口が少ないんじゃなくて生活に必要な物資がないから人が少ないんだろうなにもない所に人間が湧いて出るもんじゃない2024/05/03 12:54:35390.名無しさんAHoOe神奈川なのか?2024/05/03 12:58:20391.名無しさんsCG4hえ?普通にそう思ってたんだけどヤマタイとヤマトが別とか普通思わんやろこれが画期的って…2024/05/03 13:12:40392.名無しさんWQrXn時代を経れば、経るほど真実から遠退くのはココを見てもよく分かる邪馬台国は異次元世界の宇宙にあってヒミコはトランスジェンダーだったんだよ2024/05/03 13:16:32393.名無しさんoy6Az普通の頭で考えれば邪馬台はヤマトって読むでしょ邪馬台国と大和朝廷が併存したと考えるのも変だし因みに昔から言われてる卑弥呼の正体は神功皇后幼い皇子の摂政として君臨したのは周知の通り後に皇子は応神天皇として即位した2024/05/03 13:19:06394.名無しさんWQrXn正直、邪馬台国なんかより日高見の方が浪漫がある邪馬台国は八俣の大蛇として葬ったんだよ2024/05/03 13:19:46395.名無しさんWQrXn実は邪馬台国は八州の持ち回りでどこでも全部正解なのは内緒な2024/05/03 13:22:25396.名無しさん4BR0iぶっちゃけ大阪だろうが福岡だろうがどっちでも良いわ曖昧なやつは絶対に問題に出ないから2024/05/03 13:25:12397.名無しさんUIcXC>>393そもそも邪馬台国をヤマタイと当時読んでたのかどうか根拠があんの?2024/05/03 13:27:06398.名無しさんOQx5z邪馬台国は倭人が魏の使者にホラを吹いて信じ込ませた架空の国2024/05/03 13:28:11399.名無しさんWQrXnトヨと読めば、ヤマトだよ2024/05/03 13:29:27400.名無しさんB26f2干潟と平地がある言うてるのに…2024/05/03 13:32:57401.名無しさんWQrXn超時空要塞だろ?邪馬台は?秀吉は超時空太閤だしどうとでもなるこんなこともあろうかと、って2024/05/03 13:33:16402.名無しさんB26f2つまり説明から言えば、大和はパクリってことでしょ?2024/05/03 13:33:49403.名無しさんWQrXn魏志倭人伝なんて大陸の侵略資料だろ?目一杯ウソ書かせるだろ2024/05/03 13:34:52404.名無しさんWQrXn>>400だから?有明のこと言ってんの?難波潟のこと言ってんの?2024/05/03 13:43:12405.名無しさんWQrXnそもそも騙しがあってダミー作って嘘八百ならお手上げ鎌倉なんて不便この上ないし江戸は人造都市だし難攻の要所のわかりにくい方が良いとか言われたら大小すら分からん結局、天皇や将軍などの有力者が居さえすれば良いんだから2024/05/03 13:49:31406.名無しさんWQrXn2つ、3つの都市で役割が違った今も中世も太古もだが、力関係が変わった今までと同じように邪馬台国だけ全く違うとは思えないけどなたぶん、ずっと場所変えてループしている2024/05/03 13:57:53407.名無しさん73RwX日田市だって2024/05/03 14:05:39408.名無しさんoFYXO直感だと久留米だな広い平野、大きな川、福岡と佐賀にアクセスしやすい巨大な農耕集落を形成するなら最高の地卑弥呼は宮崎から久留米にやってきて女王になった人なんじゃないのか2024/05/03 14:20:37409.名無しさんWQrXnソレはソレであまりに不安定な場所じゃねぇか?とも思うけどな太古の情勢で太古の最大商業、軍事都市ではあるのかもしれないが政治的、宗教的な要人を置くかね?やっぱり、一箇所ではなく、複数に分けるんじゃね?九州北部地方蹂躙されたら全部オワリなんてことするかね?2024/05/03 14:21:14410.名無しさんVcmIL>>311北九州だから大陸渡るまでしか詳しくないんだよ奈良なら、むしろ日本上陸から詳しくなるわ2024/05/03 14:23:38411.名無しさんWQrXn伊能忠敬の地図が渡らなければ、オランダ商人だって出島の地理しか詳しくないだろうぜ2024/05/03 14:26:57412.名無しさんThyaY>>15熊本県上益城郡に山都町(やまとちょう)ってあるしなまあ町村合併で出来てから20年も経ってないけど2024/05/03 14:28:55413.名無しさんuf8B6邪馬台国はどこにあったのか?日本列島以上、2024/05/03 14:31:41414.名無しさんTXmmN> なお、九州にも「山(ヤマ)門(ト)」という地名があるが、「門」の字で表す「ト」は甲類なので> 日本全体や奈良地方を指す「ヤマト」とは上代の発音が違い、ここでは忘れてよいだそうだ上代日本語云々となると素人が現代音でどうこう語る話でも無さそうな2024/05/03 14:34:20415.名無しさんoFYXO>>412山都町の面積でかすぎ車で1時間走っても山都町から出れないとかw2024/05/03 14:35:19416.名無しさんoFYXO久留米の近くにも旧山門郡と大和町があったいまは合併して柳川市になったけどねやっぱ久留米一帯のどこかだとおもう東は大分西は佐賀南は熊本北は福岡の集落にアクセスしやすい地域だし2024/05/03 14:40:18417.名無しさんWQrXnわかりやすく全部ソコにあった!なんて考えない方がいいと思うがね日本なんだから天皇が居るところ?将軍が居るところ?天下の台所?いつも、日本は重層構造で海外はいつも分からずに適当なこと言ってんだから2024/05/03 14:41:18418.名無しさんThyaY>>415その半分は演習場だからな(イメージです)2024/05/03 14:43:25419.名無しさんjcTes>>8ごめん、わからんwあの本での距離と方向の記述を真に受ければ奄美沖の海上になるがwさすがにそれはない測量技術が未熟あるいは書き間違いで距離を多めに書いてしまった説を採れば九州になるし南と東を書き間違えたんじゃないか説を採れば近畿になる2024/05/03 14:45:16420.名無しさんjcTes>>364あそこは4つの村が合併してその後分村騒ぎになったときに「大きく和する」の意味を込めて改名した瑞祥地名(´・ω・`)2024/05/03 14:49:11421.名無しさんPCacpとりあえず記事の内容読め2024/05/03 14:50:17422.名無しさん0pCg9卑弥呼の墓では思われてた墓を道路拡張とかでぶっ壊した自治体があるって学者さんの記事を見たことあるんだよなあうろ覚えかなあ2024/05/03 14:51:52423.名無しさんWQrXnだから、時が来たらゴゴゴゴって海に浮かび上がるか宇宙から飛来すんだよ超時空要塞 邪馬台2024/05/03 14:51:59424.名無しさんDGZ13>>421記事を読んだ労作だな国号としての大和、地名としての大和、行政区分名としての大和をきっちり分類し、それぞれについて、各時代にいかなる読み方をしていのか、推定しし、邪馬台については中国の各時代にどのような発音であったかを推定し、三国志における邪馬台国とは大和国だと結論づけたみな、邪馬台国の卑弥呼って、ヤマトのヒメミコじゃねーの?とは思っていたが検証は面倒でやってこなかった2024/05/03 14:56:59425.名無しさん2Cq5Aヒミコは2人いた。一人は奈良の太田タネヒコの娘。もう一人は九州の宇佐家の娘。太田家はインドから日本に来た出雲族。宇佐家は徐福と共に日本に来た一族。徐福は古代メソポタミアの王のまつえいで、日本に来る途中に魏国と同盟関係にあった。九州のヒミコは奈良のヤマトを攻めるとき、魏に軍事司令官の派遣を要請している。そのとき、九州の自分たちがヤマトだとウソをついた。九州のヒミコは魏から敵国の名前を聞かれたとき、ヤマトとは言えず、クヌ国と答えた。奈良と九州の戦争は、九州側が勝利した。太田家が奈良を裏切って、九州のモノノベ氏を勝たせてしまう。戦後、九州のモノノベ氏は失脚したが、九州のナカトミ氏は神官として奈良のヤマトで生き残る。ナカトミ氏はのちの藤原氏である。九州のウソつきと、国を売った太田家の歴史ものがたり。2024/05/03 15:05:32426.名無しさんNGJ6L>>424ぞの面倒をやるのが仕事のはずなんだけどな学者というのはいったい何をやっているのか2024/05/03 15:07:01427.名無しさんDGZ13>>426邪馬台国は、歴史学者の興味は惹かねえじゃないかな考古学者は、この時代を掘りまくるけども2024/05/03 15:11:27428.名無しさんNGJ6Lただそうなると邪馬台国がどこか、から、大和朝はどこから発祥したかという問題にすり替わる気がするぼんやりとしか分かってないが2024/05/03 15:12:52429.名無しさんDGZ13俺は学者じゃねーから、何年にもわたる検証なんかしないが、邪馬台はヤマトで確定でよいと思うそして、日本語におけるヤマトの意味は、最初はミナトの対語だったのが、都みたいな意味(高貴な方がおわすところ)に変化していったと思うね死者「ヤマト(ミヤコ)のヒメミコの使いでまいりました」帯方役人「邪馬台国の卑弥呼の使いが来た」2024/05/03 15:16:24430.名無しさんKanAy奈良の狭川は佐川急便か2024/05/03 15:19:16431.名無しさんDGZ13>>428その問いこそ、邪馬台国探しの本質だな(1)ヤマト王権はどこで、どのように発祥したのか2024/05/03 15:19:20432.名無しさんDGZ13ヤマト王権は、現在の奈良の地で、女系王権として発祥した2024/05/03 15:21:44433.名無しさんDGZ13すくなくとも、最初に対外的にヤマトを名乗ったのは、女系王権の女王だったことになる2024/05/03 15:31:12434.名無しさん2icWE仮に九州にあったとしたら畿内にあった巨大な遺跡は何なんだよって話になる別の政権があって大陸とも交通してたのに九州にあった邪馬台国は何の関係も無いと言うのか?普通の頭で考えれば分かるけど畿内が本拠地で北部九州が出先機関なんだよ後の時代で言えば太宰府や長崎奉行みたいな存在なので魏の記録にも九州の習俗は載せてるけど畿内の習俗については乏しいそれは魏の使者は北部九州までしか来てないのだからだから邪馬台国までの旅程も水行十日陸行一月とか曖昧な表現になってて本拠地を隠すための工作だ2024/05/03 15:31:57435.名無しさん7WxIb確か魏志倭人伝が書かれたころってまだ呉が残ってたんじゃなかったっけ?だから自国に味方する国の位置は敢えてぼかしてたって話もあるよな。普通にたどると奄美辺りになるのも呉を牽制するためだろ。で、熊襲が呉の支援受けてたなら魏の保護下にある邪馬台国と対立するし最前線は九州って事になるから九州のどこかだろ。2024/05/03 15:32:49436.名無しさんDGZ13>>434畿内に巨大遺跡があっても、九州説になんの打撃もないヤマトのヒミコが、日本列島最大最強組織のボスだと前提する根拠はどこにもない2024/05/03 15:35:00437.名無しさんHSaPO昔は大阪なんてほぼ海で奈良は海に近かったんだろうなと予想2024/05/03 15:36:55438.名無しさんE9oq1>>414自分らの聞こえたように適当に当て字してる当時の中国人が日本の上代仮名遣いに則って表記してくれてるというのがそもそも根拠が無く怪しい2024/05/03 15:37:48439.名無しさんDGZ13>>435そうだね三国志は、魏晋視点で書かれているため、日本列島と呉の関係がまったくわからないそれぞれが、存亡をかけて対立している時代だ、行き来がないわけないわな九州勢と呉、畿内勢と呉、出雲勢と呉などなどここらへんは、発掘待ち、そのうち呉の文物がザクザク出てくるだろう2024/05/03 15:38:41440.名無しさんDGZ13>>439訂正、×三国志は〇三国志の東夷伝は2024/05/03 15:40:10441.名無しさんUVbly曹ヒが歓迎したというな革命した直後に外国から使節がきて曹ヒが皇帝として接見するというのは曹ヒの権威を高めるのに役だったという外国人ですらおれを皇帝として認めてるんだから、おまえらもおれを皇帝として認めろ、ということ2024/05/03 15:43:55442.名無しさんTXmmN>>438九州の地名が当時の大和の発音とは違うから無関係って話だよ?日本書記とかの文献での記述から導いてる箇所、まず記事読もうよ2024/05/03 15:47:25443.名無しさんDGZ13>>441漢王朝が衰えて以来、東夷は長らく朝貢にやってこなくなっていたそれがどうだ、禅譲を受けた魏にさっそく東夷がやってきた魏が漢時代の威信を回復したのだってあたりかな2024/05/03 15:55:14444.名無しさんuf8B6おまいら、三国志の時代の話やで信じてどーするんや2024/05/03 15:57:38445.名無しさんSlXpt>邪馬台は「ヤマト」と読むこんなのみんな前から言ってるわ。俺だって2chに書き込んだことあるのにw2024/05/03 15:59:17446.名無しさんDGZ13>>444三国志に邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢したと書かれている事実が存在するその事実から、当時の日本列島の様子をどこまで推察できるか、というゲームなのだよ2024/05/03 16:00:32447.名無しさんDGZ13時は3世紀前半、日本が歴史時代に突入するのはこの300年後だ現存する文書のみで数えれば500年後のこと当時の日本の様子を伝える資料は中国にしかない2024/05/03 16:04:35448.名無しさんuUPOx>>433卑弥呼が天照大神そのものを指していてその天照大神という女神を信奉している国が邪馬臺国って説もあるから女系どころか統治者として女王がいたとも言い切れない2024/05/03 17:20:40449.名無しさんjrkO5そもそも日本書紀や古事記が天皇一味によって歴史を改竄して、それまでの真の歴史を消してる。だから魏志倭人伝の邪馬台国が分からなくなってる。2024/05/03 17:32:22450.名無しさんFDI8Rヤマタイってラーメン作ってる会社っぽい2024/05/03 18:31:50451.名無しさん0m1Lz魏の書物にはっきりと佐賀の王と書かれてるんだわな2024/05/03 18:41:33452.名無しさんThyaY>>450ヤマダイか味のマルタイか2024/05/03 18:45:02453.名無しさんbn2Gk江戸時代までは、ヤマト読みだったとは聞いたけど2024/05/03 19:32:58454.名無しさんkpdvHこれ完全にロンパされてる論だろ邪馬台国(ヤマタイコク)という呼び名は江戸時代の学者が暫定的につけた名前実は本当の呼び名は今も謎2024/05/03 19:35:58455.名無しさんkpdvH>>433中国の歴史書に最初に記されている倭王はスイショウな卑弥呼はもうちょい後2024/05/03 19:38:29456.名無しさんWdSNA>>434自分たちが日本列島の支配者だ!と、他の大勢力を出し抜いて大陸へ行った可能性もあるよね2024/05/03 19:40:50457.名無しさんVcmIL>>434魏志倭人伝読んでる?そもそも邪馬台国は隣国にすら脅かされてる微妙な国で日本全土を統治してたなんてありえないんだけど?2024/05/03 19:55:11458.名無しさん1Iq2F倭猿国是边境的野蛮国アル* ∧CCP∧ ヤマ・ドゥの起源はウリナラ ( ; `八´)彡 <丶`∀´> 手縛図にも描かれているニダΣm9っ つ Σm9っ )ロシアをめぐる混乱や規制が広がる ジョージア タジク #トルコhttps://yamatoxx00xx.blogspot.com/2024/05/blog-post_3.html フィリピンと中国海警船が衝突 またチリで中国の麻薬農園発覚https://yamatoxx00xx.blogspot.com/2024/05/blog-post.html2024/05/03 19:59:47459.名無しさん668q1ヒント 豊の国2024/05/03 20:09:27460.名無しさん668q1豊国ととよのくにの違いは何ですか?豊国(とよのくに、とよくに、古墳時代 - 7世紀)は、古墳時代にあった律令制以前の国の一つ。 旧国名を豊日別(とよひわけ)と言い、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する九州の北東部地域に存在した。 律令制の時代には豊前国と豊後国に分かれた。2024/05/03 20:10:27461.名無しさんWQrXnヒメミコと帥将だろ2024/05/03 20:20:43462.名無しさんDGZ13>>455スイショウは倭国王はじめて対外的にヤマト(邪馬台)を名乗ったのは、卑弥呼という意味で書いた2024/05/03 20:35:01463.名無しさんD3N2e>>457そうなんだよねその程度の立場の国号をなぜ奈良が欲しがるのかが謎大陸に比較的近い領域の倭国の盟主としては対外的に認められてたとは思うけど2024/05/03 20:39:28464.名無しさん2TPCW後世の創作だよね2024/05/03 20:48:18465.名無しさんHaztn空母「邪馬台」が出来るかな?2024/05/03 21:02:39466.名無しさんWshMD九州から日本全土を支配することはできない有史以降一度もない当時の交通手段から無理日本を支配していたのなら畿内2024/05/03 21:09:10467.名無しさんZfyNz誰も魏志倭人伝も日本書紀も古事記も読んでないつまりは全部空想ってことは見ててわかったと思う2024/05/03 21:13:48468.名無しさんVcmIL>>466邪馬台国が日本全土を支配してるなんて妄想いつからしてんの?クスリはほどほどにしとけよ2024/05/03 21:18:39469.名無しさんiZ6t6じゃあさ、あいだとって韓国説でいいじゃん2024/05/03 21:22:10470.名無しさん029WF卑弥呼の国が邪馬台国で、神武天皇の国が奈良県の倭国で別名大和。襲名制だったのかも。徳川家康だって、外国に使節を派遣するときは、源家康を名乗っていたし、便宜上、昔の血族の名前のほうが通じやすかったのかも。2024/05/03 21:33:20471.名無しさん7WxIb>>466そのために、つまりもっと領土を広げるために九州は福岡から宇佐経由で四国、そして奈良に移ったんだろ。2024/05/03 21:38:41472.名無しさん6cZfH5ちゃんでいつも必死なマルチID九州節子信者のいつもの弁だなw来たかwこっから独演が始まるぞw2024/05/03 22:48:56473.名無しさんyDJbm海外からすれば日本全体が邪馬台国。しかし所謂首都はどこだったかが問題。そしてそれは奈良でほぼ決着がついている。2024/05/03 22:51:07474.名無しさんC4KoM>>1言葉遊びをしてるようで読んでてイライラしたわさっさと結論を言えよハゲ2024/05/03 22:58:00475.名無しさんC4KoM天皇家に伝わってるだろ神武天皇の即位は西暦紀元前660年らしいんだからあと邪馬台国と天皇家の関わりてあるのかな?2024/05/03 23:03:40476.名無しさんUNMv0>>5その頃の日本に国があったのは間違いないそれを否定する人はいない2024/05/03 23:23:40477.名無しさんI0xck>>475伝わってないから分からんって言ってるんじゃないの??????2024/05/03 23:26:33478.名無しさんKxGwb倭『やまとぉいこくです。』魏『?、、やまたいこく?』倭『ひのみこでございます。』魏『?、、ひみこ?なんじゃそりゃ?』魏『なんやったっけ?やまたいこく?邪馬台国やったな。ひ?みこ、、卑弥呼やな。 変な国ww』こんな感じやろ2024/05/03 23:45:03479.名無しさんw3YWN邪とか卑とか倭とか、ほんまに悪意のある漢字を無理に当ててるから、結局ほんまの読み方まで解らんようになってるんやろな2024/05/03 23:48:13480.名無しさん9Zy8G邪馬台をヤマト読みは流石に突飛すぎやろ全く違う2024/05/04 00:15:47481.名無しさんGAHfe>>480あなたには、なにがあってて何が違ってるか、判定するための知識がないだろ2024/05/04 00:21:50482.名無しさんLdwzP大和でヤマトと読ませるのがそもそも無理があるからな邪馬台でヤマトと読むとしても、大和は後から当て読みしただけやろ邪馬台国と大和朝廷が関係してるとは考えにくい2024/05/04 00:52:56483.名無しさんn2xc0倭、大倭、大和、大養徳全部ヤマトやで2024/05/04 01:07:17484.名無しさんGAHfe>>482古くからの地名は大和言葉だよ中国人や後世の人があてた漢字が何かは関係ない2024/05/04 01:59:59485.名無しさんxMM1H中国に日本語話す集落あるし半年あれば言語なんて話せられるようになるだろ2024/05/04 04:57:43486.名無しさんGAHfe何にも知らないゴミカスって悲しいね2024/05/04 05:02:37487.名無しさんLfYui>>477いや、知ってるけど教えてやんねえーよてことだろ天皇家なら一般人の知りようのない歴史資料が山のようにあるんだろうけど、それをわざわざ公表さしたなんて話は聞いたことがないし2024/05/04 05:03:08488.名無しさんvEYJJ一番最初に中国とコンタクト取ったのは邪馬台大和は「ええ、それの子孫のようなものです」とネームバリューを使わせてもらっただけ2024/05/04 05:08:31489.世界◆jx4dwz8Np21KcIXサラリーマンをなめんじゃねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!!2024/05/04 05:11:54490.名無しさんGAHfe>>487なんの根拠もなくお気持ちを語るの好きですね2024/05/04 08:40:18491.名無しさんAeQhw大和でヤマトなんて当て字でもおかしいのわかるだろワの国が、自国を大きく見せようと大和と当て字後にヤマトと名乗ることが大陸とやってくことに都合が良いことに気づいた政権が大和と書いてヤマトと読みますと名乗り出したんだろう邪馬台国と大和朝廷は全く別ってことだ2024/05/04 08:42:34492.名無しさん5MkxO九州から日本を支配することはできない有史以降一度もない中国様が相手にしてくれた政権なんだから日本全体の支配力を持っていたはず畿内以外にはありえない東大と京大とのくだらない学閥争いの結果、不毛な論争が続いているだけ2024/05/04 08:50:12493.名無しさんOT2u5ワッハッハッハッ!「邪馬台」と書いて「ヤマト」と読むってか?こりゃ面白い我がガミラスにとってヤマトは「ジャマだい」ですなぁ総統…ワッハッハッハッ!グワーッハッハッハッハッ!2024/05/04 08:53:56494.名無しさんg9FI1「邪馬壹」←さあ、この漢字をコピペして中国語の音声で読み上げてもらいましょう2024/05/04 09:15:57495.名無しさんAxeVa九州説とかまだ言ってるド素人が居んのかw2024/05/04 09:27:23496.名無しさんg9FI1チェンマーイーだって2024/05/04 09:30:45497.名無しさんNFdihなんで歴代天皇皇后らが九州出身で九州でごちゃごちゃ争いやってんの?奈良周辺じゃ何もなかったのかよ2024/05/04 09:35:26498.名無しさんHS2Ew倭国があって大倭国大和国だから連合国の総称だよヤマタノオロチもあれヤマトのオロチよ2024/05/04 10:08:38499.名無しさん1Iu6B魏の里の尺度をまともに捉えて、邪馬台国は茨城にあったと提唱したいw鹿島神社中心に日巫女さんはいたんだろう。日本で一番早い日の出のエリアだ。2024/05/04 10:15:18500.名無しさんwUDd5邪馬台国が畿内にあったとすると吉備・出雲といった中国地方の強国を支配下に持つ、機内から九州北部にいたる大連合国家ということになるそんな超大国相手に九州の一地方国家でしかない狗奴国が対等に戦争してたことになる2024/05/04 10:26:17501.名無しさんmwkR4西暦3世紀頃は奈良県は人口過疎地で、巨大な箸墓古墳の時代に突然人が増えたらしい。九州から遷都した可能性を感じる。日本のことを昔は、大和・日高見の国と言っていて、日高見の国とはどこだって議論がある。漢字から見ると、日の登る土地だ。奈良時代の風土記には茨城県(常陸の国)に、昔ここを日高見の国と呼んだ、と書いてある。だから大和・日高見の国は、西日本と東日本だという説。しかし、日高見の国は九州に考古学的遺跡の多かった3世紀の時代からには東国の近畿をさし、奈良に東遷してからは、さらに東の地域を指す言葉になったという、抽象的な言葉だという説もある。2024/05/04 10:26:51502.名無しさんM5mnX邪馬台国連合の中で人口が記録されてるのは以下の通り奴国(福岡)20000戸、伊都国(福岡)1000戸、不弥国(福岡)1000戸対海国(長崎)1000戸、一大国(長崎)3000戸末盧国(佐賀)4000戸邪馬台国70000万戸投馬国50000戸このように記録に残されてるのは北部九州が占めており邪馬台国と投馬国も九州の国だと馬鹿でも推測できる2024/05/04 10:33:02503.名無しさんM5mnXあと奈良という盆地に70000戸4人計算で28万人の大集落があったという妄想は妄想好きの馬鹿でも無理2024/05/04 10:37:44504.名無しさんuJ0n0>>501世界的に卑弥呼の時代は寒冷な時代魏志倭人伝でも「対島・壱岐においても食糧は不足がち」となっていて海産物で凌いでいる様子当然、穀倉地帯の無い奈良は海産物も取れないし人口は増えないしかし魏志倭人伝で邪馬台国は食べ物に困っている様子は無く、老人も見かけ、酒を飲み、絹をまとっていて豐かな様子寒冷な卑弥呼の時代で食に困らないなら穀倉地帯でしかも暖かいところ、さらに穀倉地帯があるところだろうそして魏志倭人伝にある弥生時代の絹、卑弥呼の時代の鉄器が多く産出しているところもう議論の余地は無く九州のどこかが邪馬台国しだいに暖かくなってきて古墳時代になって奈良に人が移動して栄えた2024/05/04 10:44:34505.名無しさんHS2Ew卑弥呼の話だけじゃなくて卑弥弓呼の話もしようぜ卑弥呼と争ってた男王俺は姫命と彦命って意味だと思う2024/05/04 10:45:09506.名無しさんO9XBi>>505だな個人名ではなさそうだヒメとヒコ2024/05/04 10:47:45507.名無しさん9L00o普通の頭で考えたらわかるけど邪馬台=ヤマト畿内にあったヤマトが邪馬台国の本拠地時の摂政であった神功皇后が卑弥呼これは日本書紀にも書かれてるだよ、決定打でしょ国史を否定する奴って何なの?2024/05/04 10:49:13508.名無しさん6VYwe秋田よどこでもいいよ江戸時代かそこらで流行ったフェイク銅器でひたすら迷ってやがれなんでも鑑定団舐めんな2024/05/04 10:52:43509.名無しさんdUaPD“ここは、どこですか?”と聞かれた人が“ここは、やまとたい!”と答えただけ。だから邪馬台国と表記されたが、やまと、たい(=ヤマトです)と答えているから、邪馬台国は九州説に間違いない。その後、大陸からの侵略から逃げるために、日田、宇佐から瀬戸内海を渡り畿内にクニを移した。なんで、こんな簡単な事、わからないかな。2024/05/04 11:13:41510.名無しさんvStGP文字を持たない野蛮人(当時の日本人)と超文明国家の魏の使者がどうやって意思疎通していたのかも興味深い2024/05/04 11:17:52511.名無しさんO9XBi>>507魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」ここだね神功皇后だとは書いてない、というか意図があいまいな魏志引用だね魏志にある景初3(西暦238)年の朝貢と、広開土王碑に残された三韓成敗の396年と、150年の開きがあるのがなあ神功皇后の最大の功績たる三韓成敗をとると、卑弥呼は神功皇后ではない後世の帝の三韓成敗を何かの事情で神功皇后の功績だとかきかえてしまった、ということであれば卑弥呼は神功皇后で、当時のヤマト王権は女系王権(卑弥呼から台与へ継承)であって、卑弥呼と戦った狗奴国の卑弥弥呼は、仲哀天皇(神功皇后の夫)の長男次男の?坂王と忍熊王だったことになる狗奴国とは大和となるそれはそれで面白いと思う2024/05/04 11:33:39512.名無しさんn2xc0>>5022~3世紀の日本の総人口は60万前後って推定されてるから邪馬台国を九州に持って来ると総人口の大半が北九州に集中してるって事になる全国の弥生遺跡の分布を見てもそんな極端な偏りは見えて来ないし、北九州だけでそれだけの人口を当時の技術で支えらえるかと考えたらまあ無理吉野ヶ里でも人口は千人強、クニ全体で五千人程度だそうだし九州説にとってかなり厄介な話になるから、松本清張先生も「こんなん中国役人の捏造や!んな訳あるかあ!」って言ってたよw2024/05/04 12:01:56513.名無しさんMmJxK>>501その頃に我々の祖先の古墳人が大陸から半島経由で大和地方に入植したんだろうなhttps://pbs.twimg.com/media/E_hEDy4XsAcQVyA?format=jpg2024/05/04 12:02:31514.名無しさんc0wkv中国語も知らないやつが考古学って茶番だな。事業仕分け対象だよレンホーさん2024/05/04 12:04:27515.名無しさんBLb7M邪馬台国がどこにあったとか命がけで討論してる老害どもいるけどぶっちゃけどこに存在したかとかどうでもいい2024/05/04 12:21:55516.名無しさんZpl5I大和朝廷は日本に無数とあった豪族の連邦制であったのは間違いない。例えばだ、その頃には既に九州から関東近郊までの勢力が同じ連合に与していたとするならば奈良も九州も同じ邪馬台国なんじゃねーの?だから奈良説だとか九州説を論じるのはナンセンスだとオレは思うんだよ2024/05/04 12:58:17517.名無しさん81sOh>>487いくら皇室でも古事記より古い文献は持ってないよww2024/05/04 13:12:15518.名無しさんiSnyl日本語しか喋れないザパニーズが大量にネガキャンしているってことだけは分かる普通は離脱なり、帰還するのに絶対に本国に帰らないで日本って凄く良い国だと思う2024/05/04 13:46:07519.名無しさん5MkxO東大系の連中が言い出してしまった九州説いまさら引っ込めることができなくなり、屁理屈こね回しているんだどーせ大昔のことでどちらが正しかろうが人畜無害屁理屈こねりゃいくらでも言えるんだ日本の考古学なんてこの程度2024/05/04 14:30:30520.世界◆jx4dwz8Np2NIpjIでかしたぞ金太郎!!2024/05/04 14:32:21521.名無しさんjsl9a大和をヤマトと呼ぶことにしたのは奈良時代以降なんだけどね2024/05/04 14:38:01522.名無しさん5MkxO支配するためには軍事力が必須九州から海を渡って大量の軍事力を移動させるのは困難九州から日本を支配することはできません東大のバカさ加減に付き合うつもりはありません2024/05/04 14:39:48523.名無しさんjsl9a晋書倭人伝によれば至魏時有三十國通好 戸有七萬とあり30国で万戸と言うことがわかるということは魏志倭人伝における、邪馬台国は九州30国の連合の呼び名ということになり日数記載の行程は別の使者の記録を併記したものであろうことがわかる2024/05/04 14:43:13524.名無しさんJjUGH>>516それは大いにあり得る無数のクニグニが時に仲間だったり反目し合ったりと立場が変わったりした事もありそうだしその中でも盟主が交代したこともありそうその上で大陸と外交を行う際に自分らが倭国扱いされてるクニグニの一員である自覚はあったように思うし時の盟主も昔から邪馬台国がその代表であるとして国号を称する事を重視していたように思う2024/05/04 14:48:09525.名無しさんjsl9aそもそも漢の時代に100国レベルの国が大乱によって30国を女王によってかろうじて保ってたという話であり魏の時代と同じころ、急速に畿内で発展した形跡があるのであればその後西日本一帯を支配下におき、正式に隋と交流するにあたって、過去の友好国としての邪馬台国の名を出すのは自然なこと2024/05/04 14:50:41526.名無しさんxKiwD海外向けの出島なんだろ?2024/05/04 16:18:35527.名無しさん81sOh邪馬台国って中国と仲良くて鏡とか貰ってるけど大和朝廷は中国が嫌いで遣隋使を送るまで奈良に引きこもってたんだよね邪馬台国は出雲みたいな国でに大和とは別だったんじゃないかな?2024/05/04 16:30:08528.名無しさんHT3SZ>>527倭の五王なんかは一般的に大和王朝の王のからの使者とされているから遣隋使まで没交渉とされている訳ではない2024/05/04 16:42:13529.名無しさんEmIFp漁系か狩猟系か多分入れ墨はあった2024/05/04 17:02:25530.名無しさんVUbK1デスラー「古代、第二の地球は見つかったのか」2024/05/04 17:19:39531.名無しさんXr3na多分、凄く正確だよ海の中にジャウマダイがあったんだよ日本のワケがないじゃんワクワクとかも全部あったスィーンの東方にあった2024/05/04 17:42:54532.名無しさんxhKBC>>517文献でなくとも物証とかさだって仁徳天皇陵とか俺ら中見れないじゃん一般人が知りえない情報はあるんだよ2024/05/04 17:55:09533.名無しさんXr3naと思わせて全く何も無いから隠してるあったらとっくに見せて主張している2024/05/04 17:56:52534.名無しさん180HO魏志倭人伝だったと思うが有名な記述「海に潜ってアワビを獲っている」「目下の者が目上の者に何か言われると「あい」と答える」これ、現在の対馬だと言う説が強い2024/05/04 17:58:14535.名無しさんXr3na台湾や琉球ってオチ2024/05/04 18:02:05536.名無しさんXr3na同じだと思って毎回着いてる場所が違うんだよ台湾、琉球、九州とアレ?随分とコロコロ変わるなぁ?ってアイツラの記述が正しかったことなど無い2024/05/04 18:07:15537.名無しさんnnt8B>>522だからなんで邪馬台国が日本を支配する必要があるんだ?そもそも熊襲と争ってるって書いてるだろ。支配してないんだよ。2024/05/04 18:16:35538.名無しさんWvtd9グルグル回ってたんだよワなんだから2024/05/04 18:24:22539.名無しさんWvtd9正直、あの程度の環濠集落だろ?季節で移動してたって不思議じゃねぇわやっぱり古墳時代後期まで定住と考える方が無理鉄や水の問題だけでも動くと思うわ2024/05/04 18:27:32540.名無しさんWvtd9勝って取ったところに移るルールなんだよ名前もそんな感じだし2024/05/04 18:30:56541.名無しさんxhKBCそもそも論だけど、時系列だと魏はどうやって邪馬台国と交易したんだろう1.最初は卑弥呼が魏に使者を送ったんだよね?(卑弥呼よく知り得たな、凄くね?どこ情報だよ?)2.それで魏の王は邪馬台国を認知した。3.で?2024/05/04 18:35:31542.名無しさんWvtd9帥升の方が先じゃね?しかも、帥升は言葉に難があった印象を受けないだから、向こうから来たと思っている2024/05/04 18:39:51543.名無しさんWvtd9どうも、並列的で前後や主導権が違う系統でクルクルしている印象を受ける鉄器を持ち、大陸的でも少数派で主導権を持たなかったり、その後に入れ替わったり2024/05/04 18:43:10544.名無しさんWvtd9地域や系統にも思い込みと勘違いがムチャクチャあるように感じてる国譲りとかも本当に先住からなのか?とか結局は多数が物言うワケだから2024/05/04 18:48:32545.名無しさんKoxx9ヤマト ミナトどこにでもある2024/05/04 19:00:08546.名無しさんObdNCYoutubeで詳しい人達が何度も解説動画を出しているけど、魏志倭人伝を書いた陳寿は出世コースを目指していて、魏志もメインに書いていたのは魏の歴史。それについては後の王朝に評価された。倭人伝については、メインから外れる。現代日本で著名人とされているのは本人にも意外なことかも。倭国に行ったこともなく、既存の書物のパッチワーク。軍事報告書でもあり、西域の大月氏国と同じ距離にするために、邪馬台国への距離が不自然になったとも言われている。さらに新説として、陳寿本人は水行10日陸行20日とかいたのではなく、死後、後の王朝で、里数表記を前述の政治的事情で日数に書き換えたとも言われている。魏志については、今日本や中国で読まれているものも、当時日本に伝わったものも、中国で当時読まれていたものも現物ではなく写本である。2024/05/04 19:14:11547.名無しさんxhKBC>>542へー、「帥升(すいしょう)」て人がいたのか三世紀に奴隷160人の朝貢をしたってあるねそれを受けて魏の王様が、挨拶ついでにじゃちょっと倭国を調べてこいて流れで邪馬台国に行き着いた可能性が高いね2024/05/04 19:18:34548.名無しさんf3M8Fそういえば山口県の研究者が山口県にあったって本を出版してましたね2024/05/04 19:18:41549.名無しさんG27NX>>272 初めて聞いた説だわ後学のために誰の説かご教示頂きたい2024/05/04 19:20:45550.名無しさんG27NX邪馬台国が大和だとしたら、邪馬台国の南にある狗奴国はどこになるんだ?熊野?2024/05/04 19:25:26551.名無しさんiudpD日本じゃないと思うんだけど卑弥呼が日本にいた証拠もないし2024/05/04 19:28:24552.名無しさんvStGP宮内庁が箸墓古墳の発掘調査を許可したら何か分かるかもしれないのに頑なに許可しないのは何故なんだろう?2024/05/04 19:37:34553.名無しさんiudpD>>552知られるとまずいことでも有るのかな?2024/05/04 19:47:17554.名無しさんDikDZヤマトンw2024/05/04 19:57:09555.名無しさん7kEVHジョン・ウィック国だっけ?2024/05/04 20:14:15556.名無しさん7kEVH>>552オレでも大学に自分チの墓を掘り起こしたいと言われたらサスガに断るわ蔵や風土記には協力して家の改修の時には基礎掘り起こして年代によって古伊万里の破片から土器まではいったけど墓だけは完全に秘所だった2024/05/04 20:23:36557.名無しさんiudpD歴史を知るのにあちこちの国はピラミッド発掘しているのに日本だけはなんで嫌がるの?2024/05/04 20:32:21558.名無しさんvStGP皇室は税金で養われているわけだし、箸墓古墳みたいな2000年近く前の墓なんてもはや古代遺跡なんだから発掘許可して日本の歴史を解き明かすために協力するのがスジだと思うわ2024/05/04 20:35:04559.名無しさんDikDZコーフン時代w2024/05/04 20:56:08560.名無しさん81sOh>>557ファラオの子孫はもうエジプトを統治してないじゃんw2024/05/04 21:00:39561.名無しさんiudpD>>560天皇が支配しているから調査は必要ないね2024/05/04 21:09:55562.名無しさん7kEVHピラミッドは墓じゃないからな2024/05/04 21:47:02563.名無しさんMmJxK今の研究は徳川の将軍の墓所の遺骨からDNAを検出してるのに今更何を拒むのか天皇の遺骨も検体しろよ2024/05/04 22:16:04564.名無しさんZAJal邪馬台国(笑)卑弥呼(笑)アホ日本国人は作り話に華を咲かせるのが好きだねそんな物語無いのだよ無能共2024/05/04 22:23:32565.名無しさんn2xc0桜井茶臼山古墳はどうも掘っちゃいけない古墳と同格だったかもしんないとさ3世紀末の古墳だが盗掘済みでありながら103面分の銅鏡破片が石室から見つかった事より「この王権の権力マジヤバ、邪馬台国みたいなチンケな雑魚とはレベチ」だそうで2024/05/04 22:30:56566.名無しさんNGVSh>>564魏志倭人伝は日本が作ったもんじゃねーぞザパニーズ2024/05/04 23:09:11567.名無しさんNGVShアレだろ古墳に飛行石かブルーウォーターがあって邪馬台国と書いてラピュタかアトランティスの場所を指し示すんだろ?ソレか大昔にとっくにバルスしたんだろ?2024/05/04 23:13:26568.世界◆jx4dwz8Np2w0XWc矢島金太郎! ただいま帰りまし・・た。2024/05/04 23:27:53569.世界◆jx4dwz8Np2w0XWcうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお2024/05/04 23:28:11570.名無しさんNGVSh邪馬台建設編ってあったっけ?2024/05/04 23:36:00571.世界◆jx4dwz8Np2w0XWcサラリーマンをなめんじゃねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!!2024/05/04 23:39:12572.名無しさんxuh3C俺は北部九州の原住民が渡来人の影響で国の体を為し、その後東遷して大和に落ち着いた派なんだが(邪馬台国なんて名称は気にしない)、なんで東遷したか理由がわからんのよ太陽信仰でより明るい東方向の土地を目指すのは(北部九州はどんより気候だし)なんとなくわかるが国を移すモチベーションになるかなと2024/05/05 00:21:18573.名無しさんjhx0h鉄か水、耕作地だろ2024/05/05 00:22:53574.名無しさんjhx0h文化や文明ってのは水と森林の消費だからな鉄に手をつけるとバカ食いだし2024/05/05 00:25:39575.名無しさんWiigS根本的に邪馬台じゃなくて邪馬壹が魏志倭人伝の表記なんだろ?ジャマイカだろ2024/05/05 00:32:47576.名無しさんpp0p5>>572東遷するぞ!と計画的に奈良盆地に移動したのではなく、(1)北九州に渡来人が稲作文化とともに入植(2)原住民と混じったり争ったりしながら北九州に水稲文化を根付かせる(3)水稲共同体は、狩猟採集共同体に比べて、すさまじい勢いで人口が増える(4)半島や大陸からの渡来も続々と北九州に上陸する子どもらに継がせる土地がもうない!新規渡来は既得権だらけで入り込めないあぶれ者や新規渡来人は、新たな土地を目指すしかない九州の南は水稲に適さないならば東へ人口増と渡来増にともなってジワジワと東へと広がっていったのだと思うこのように、九州北部から関東まで稲作共同体が増えていくそして、干拓に成功して大人口を擁することになり、交通の要害でもあり、防衛に適した奈良盆地に王権が出現する口伝として、先祖はまず高天原から九州に降りて来て、そこから大和に来たんだよとの話は残る2024/05/05 00:38:26577.名無しさんpp0p5>>565あそこは近所に銅鐸工房跡が複数あるしなその気になったら銅鏡も量産できただろう(いまのところ銅鏡工房は発掘されていない)桜井市は「卑弥呼の里にようこそ」なんて町おこしをやってるが邪馬台国とは別で、邪馬台国より強大な王権があった可能性は捨ててるのかと2024/05/05 00:51:13578.名無しさんqIiq6>>512「魏志倭人伝に記載されている物」(西暦300年以前弥生時代)10種の魏晋鏡 福岡県398 奈良県4鉄刀 福岡県17 奈良県0素環頭大刀素環頭鉄剣 福岡県16 奈良県0鉄剣 福岡県46 奈良県1鉄矛 福岡県7 奈良県0偏りしか見えないけどこれで全国に散らばっているなぁって思うのかな?2024/05/05 01:13:36579.名無しさんEMLxm三國志も創作日本書紀も創作カタカムナやシュメールについて語ってみろや文系w2024/05/05 01:16:28580.名無しさんEMLxm聖徳太子も卑弥呼も存在していなかったのに何を語ってるのド素人が八咫烏や五色人について調べてみたら?素人の皆様2024/05/05 01:19:03581.名無しさんpp0p5>>579たしかに三国志も日本書紀もジャンルとしては創作カタカムナはスキゾフレニー、シュメールは人類文明の故郷2024/05/05 01:19:04582.名無しさんpp0p5>>580ヤタガラスは中国の伝説に登場する三本足の大烏の日本名神仙思想によれば、太陽に住む漢代においては、棺の上にこの大烏の意匠を凝らした布をかける習慣があった日本書紀では、神武を導くという役割が与えられている五色人とは、竹内文書よれば、世界の人種は赤・白・黄・黒・青の5色に分類できるが、日本人は別格で、黄金なのだというまた人類は日本で発祥したという2024/05/05 01:29:55583.名無しさんEMLxm>>582あんたそこまでググって調べて来たのなら答えは分かるな?邪馬台国なんて創作であり存在しない故に起源はどこかだとか語っても意味無いんだよ2024/05/05 01:37:41584.名無しさんEMLxm日本国の歴史学者など適当なものでソースも無しに言ったもん勝ちだと思っているテレビでもそうだろ?コメンテーターほど信用ならないアホはいないだろ?2024/05/05 01:40:40585.名無しさんEMLxmこのスレを読んでる糞ガキにも言いたい教科書を信じるな2024/05/05 01:42:24586.名無しさんlGjGu陳寿は割と真面目な人だったしかし伝聞だしね北九州に都市国家群があったくらいの話だろうヤマト王権とは関係ない2024/05/05 02:30:01587.名無しさんWM39J誰もみな見つけたがるが遥かな世界その国の名は邪馬台国どこかにある古代日本どうしたら見つかるのだろう教えて欲しい2024/05/05 03:40:51588.名無しさん1Gjaaその頃の日本とか、中華からすると本州でなく、九州しか認知されてなく、ヤマトは福岡県山門郡だろう。日本人も全国制覇してる村は、なかったんじゃない。2024/05/05 06:27:41589.名無しさんJ8FRB茂木誠先生や羽賀ヒカル先生に聞いてみようぜ2024/05/05 07:06:37590.名無しさんjxlLS>>586世界三大陳氏は下記の通り陳寿陳舜臣陳健一これ歴史を志す者として常識なので丸暗記必須2024/05/05 07:41:33591.名無しさん93w0nそもそもが東大と京大の学閥争い東大ゆうても官僚や裁判官になるヤツとは違い、落ちこぼれどもが歴史学者になるんだ杉尾秀哉や茂木健一郎が頑強に九州説を唱えてみてもオマエら一蹴するだろ?ヒマな文三バカが京都大にイチャモンつけて遊んでみたのが発端九州から日本を支配することはできません2024/05/05 07:48:01592.名無しさん4V0Wp福岡の山門が大和たい!2024/05/05 07:50:38593.名無しさんOxGkT>>566中国人が書いた物をまるまる信用できるずら?2024/05/05 08:15:58594.名無しさんJ8FRB>>593利害関係も特にない上に帝に捧げる資料だから、嘘つく方がヤバくね?2024/05/05 08:29:35595.名無しさんp4LNT>>578機内説は見えない聞こえないくんしかいないから無駄邪馬台国の東に海を渡った先にも倭人の国があるそれがどう考えても機内の国だろ2024/05/05 08:47:54596.名無しさんKqz1sヤマトとなぜ結びつける?2024/05/05 09:47:07597.名無しさんIvTMFもうわかったから、争うのはやめろよ俺の股間が邪馬台国、それでいいだろ🥺2024/05/05 09:54:29598.名無しさん5oPC0九州発祥の倭種連合国家の名前が東遷なり東からの勢力に呑まれるなりしたのちに日本全体を表す国号になったんだろうな2024/05/05 10:07:35599.名無しさんfZXK7九州に邪馬台国があった一方で畿内にさらに大きい勢力があったこれで何の矛盾もないと思うんだけどな2024/05/05 11:09:18600.名無しさんEMLxmだーかーらー!邪馬台国自体が存在しないんだってアホ共が2024/05/05 11:59:04601.名無しさんhtjyE単純な話邪馬台(ヤマト)国が全国統一したから日本の国号も当初はヤマト(倭)になった2024/05/05 12:04:48602.名無しさんHAMXn魏志倭人伝は日本だと限定しているの?2024/05/05 13:09:58603.名無しさんAJK8g沖縄人は本土の人の事をヤマントンチュ(ヤマトの人)って言うよね2024/05/05 13:12:16604.名無しさんdliak中国人が描いた妄想だと思う何故詳しく書き残していないのか2024/05/05 13:15:53605.名無しさんi0d4aヤマト→昔日本をヤマトと言ったから、沖縄は日本語を使うけど、天皇の支配の外だから日本をヤマトン→の、の意味チュ→?2024/05/05 13:16:50606.名無しさんAJK8g訂正× ヤマントンチュ◯ ヤマトンチュ2024/05/05 13:19:16607.名無しさん2ZDXr八岐の大蛇はヤマトノオロチじゃないかとも言うしな2024/05/05 13:19:51608.名無しさん2ZDXr>>605チュ→衆諸説あります2024/05/05 13:20:48609.名無しさんcpMln>>607邪馬台のおろちつまり植民地に毎年年着を取り立ててた邪馬台国は金印を見てわかる通り蛇信仰2024/05/05 13:51:41610.名無しさんSZF70なんで大和国より倭国より、奴国より、く奴国より、 邪馬台国の方が人気なの?他の国はみんな興味も示さないのにな邪馬台国がみんた大好きすぎるだね(^^)2024/05/05 13:53:27611.名無しさんSZF70邪馬台国みたいな国が日本を統一すればみんな幸せになれるんじゃない?だからみんな邪馬台国に興味津々なんでしょいまの自民は腐敗しまくった男の王のく奴国みたいなもんだからね争いがたえず、みんな不幸せになる一方だからな2024/05/05 13:56:27612.名無しさんi0d4a奴(な)国については、対馬→壱岐→松浦→糸島→奴国だけど、奈良時代に「すべての日本国の土地を漢字二文字以上で名付けなさい」って決められて、福岡県に奴縣(なのあがた)って地名が出来たから、疑り深い研究者以外にはほぼ解決されてるんだよな。2024/05/05 14:05:39613.名無しさんcpMln>>610世襲政治なんかすぐ腐敗するし後ろ盾が崩壊すれば内乱になるそういう経験から、女王をたてて争いごとは占いで解決するような工夫をしたんだろうがそういうのは、結局権力者によるいかさまでコントロールされるのが常なので、せいぜい30国くらいしか従わなかった戦闘に強い魏が勢力が強いということで新たな後ろ盾として魏は半島の反乱を抑え込むため、倭国税力を利用しようとしただけそれで、邪馬台国に金印を渡すということで、他の倭国勢をまとめなさいということが描かれている2024/05/05 14:06:10614.名無しさんrn7BV山ン本五郎左衛門だよ2024/05/05 14:36:25615.名無しさんi0d4a不弥国は奴国から東に100里(1里を80メートルとして8キロ)だから、奴国が福岡市内として遠賀川流域なんだろうな。そこから船に乗って投馬国へ行く。奴国が政治的に大きな集落のように書かれている割には、不弥国や投馬国は通り道のような簡素な書き方。不弥国から投馬国まで船で20日。船を時速8キロから12キロとして8時間移動して64から94キロメートル。20日移動して、1200から1800キロメートル。遠賀川から600キロほど進んだ場所に宮崎県の都萬神社(西都市)があるので、そこから南に水行10日陸行1月進み、熊本県邪馬台国がある。南にというのは、政治的な事情で中国の会稽という場所の東の緯度にあることになっているので、帳尻を合わせているのである。邪馬台国の南に狗奴国があるので、熊本県中・南部である。2024/05/05 14:55:31616.名無しさんtVc1q>>607ヤマトが日本全体を指すってならヤマトのオロチって呼んでも結局どこだかわかんないだろ2024/05/05 14:59:06617.名無しさんi0d4a>>616単純に、8つに分岐してるんじゃないかな。本名は、高志(こし、新潟県のこと)の八岐の大蛇。八岐の大蛇は奥出雲地方と場所が特定されている。八岐の大蛇は体からヒノキなどが生えているなど、8つの支流を持つ川のことだったんじゃないか。当時、蛇は川や水の神様である。奥出雲地方に8つの支流を持つ川は存在するが、小さな川である。2024/05/05 15:06:39618.名無しさん22QWP別府だよ決まったんだよ2024/05/05 15:14:52619.名無しさんSr84s>>618別府傑作だなwwwwwwwwwwwwwww2024/05/05 15:17:01620.名無しさんSr84s邪馬台国は阿蘇山からくじゅう連山にかきけて宇佐から日田までだろう2024/05/05 15:20:52621.名無しさんy5PlXあったなら卑弥呼の墓くらい残ってるはず2024/05/05 15:22:36622.名無しさん22QWPしかも卑弥呼は別府温泉の花魁だよ魏の使節団が花魁ショーを見て女王だと勘違いした2024/05/05 15:49:03623.名無しさんcpMln漢の時百余国に対し魏の時三十国安帝永初元年(107年)倭國ノ王帥升が贈った生口は160人に対し卑弥呼が最初に贈った生口はわずか10人それでも女王に金印紫綬を授けた理由として親魏倭王とし、種人(倭人)を綏撫して孝順に勤めよさらに銅鏡百枚をはじめ豪華な贈り物を国中に示し魏から認められた王として知らしめよ と明記されているつまり、魏が後ろ盾になることで内乱で乱れた倭国をまとめあげ孝順せよという要求から交流が始まるしかし、狗奴国は卑弥呼を認めず思い通りにならなかったため、使者(張政等)を派遣して大乱の鎮圧に協力している卑弥呼の死後は権力争いで荒れ、張政等のもとわずか十三歳の宗女を王と認め安定するも魏の権力体制も崩れ、西晋となり交流も途絶えていく漢の時とくらべてもこのような貧弱な体制であり、後ろ盾も失ったとってつけたような女王がその後安定するはずもないと考えるのが妥当だろうに2024/05/05 16:49:26624.名無しさんIayDt>>11九州は近すぎる単なる通過点と考えるのが妥当距離的に行けば四国になる2024/05/05 18:26:28625.名無しさんzzGIK>>624距離的に四国かもしれないが山が多いのは断然九州だ、奈良なんか平地の論外だが四国の下のフィリピン海プレートの沈み込みが浅いことにより、地下の圧力・温度が小さく、マグマが溶けるだけの条件が揃わないので火山がないのだとか2024/05/05 18:36:04626.名無しさんzzGIK女王がいる邪馬台国より北には、次のような国名があると記載されています。国への行き方や距離や詳細は省略し、国名だけが並んでいる形です。自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國此女王境界所盡□蘇の付く国々 魏志倭人伝の倭国、卑弥呼の女王国の中には、對(対)蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国と、蘇の字が付く国が3つある。 後の『隋書』では、「倭国には、阿蘇山という火山があり噴火する」旨が記載されている。日本では、昔から大きな山や川などの周りにその名前がつく地名となっているケースは多々あり、これらの三カ国は阿蘇山の周辺国の可能性がかなり高いと思う。隋書には、以下の記載がある。阿蘇山という山がある。その岩山が突然噴火して火が天にまで届く。人々はこれを異変だと言って祈祷や祭祀を行う。 ここで「阿蘇山」が突然登場する。そして、随書に出てくる山(海も川も湖も含めても)は、この阿蘇山だけである。 なぜ阿蘇山だけが登場するのかは、それだけ、阿蘇山が当時の倭国にとって、身近でもあり、有名な存在だったからだと思う。また、中国から来た使者にとっては、実際に見聞きした場合、活火山で噴煙もあがり、広いカルデラで、周辺にも高い山々がありで、神秘的で特徴的な存在だったからだと思う。 ここで強調しておきたいのは、阿蘇山は九州のほぼ中央部分にある山であり、決して、海側の福岡市や北九州市からでは、見れないし、感じれない山だということだ。中国からの使者が、船や陸路で海岸線の九州や山口を通過して、機内の飛鳥地方に向かったとした場合には、決して登場しない位置にある山だ。 もし、畿内ならば、それこそ、大きな島として淡路島や、大きな湖として琵琶湖が登場してもおかしくは無いと思う。日本を代表する山ならば、日本一の高く美しい山として富士山が登場してもおかしくはないはずだ。そもそも、畿内の人たちが、普段から阿蘇山を意識して暮らしているだろうか。もちろん、そんなわけはなく、畿内の国々に暮らす人が、阿蘇山のことで祈祷や祭祀を行うわけはない。 しかし、現実には、阿蘇山だけが登場している。つまり、九州の北部から内部に倭国があった。そこの人々の話を聞いた。または、中国の使者は、九州の内部にやって来た。と捉える方のが、一番理にかなった自然な解釈となる。畿内の倭国王に会いに行くには、九州内部の福岡や熊本に行く必要は全く無いからだ。 逆もまた同じであり、九州の人々にとっては、九重や阿蘇や霧島や桜島や英彦山などを始めとする九州の山々こそが身近な存在の山々であり、普段の日常生活において、本州にある山々(富士山でさえ)を意識することは全く無いのである。2024/05/05 18:41:51627.名無しさんzzGIK阿蘇山は、30万年前~9万年前に発生した過去4回の巨大噴火により形成されたとされるカルデラ地形で出来ています。日本では北海道の屈斜路カルデラに次いで、2番目の広さであり、世界でも有数の大規模を誇る巨大なカルデラとなっています。 つまり、阿蘇山は、大噴火により山の頂上部分が全て吹き飛んでしまい、いま残っている阿蘇の山々は、その吹き飛んだ跡の外周に当たる残りの山々ということになります。 もしも、阿蘇山が噴火して山が吹き飛んでいなければ、標高が9,000~12,000メートルくらいあると想定されているようで、いまの富士山よりも2倍や3倍にもなるような遥かに大きな山だったということになります。2024/05/05 18:44:40628.名無しさんKqz1s卑弥呼がいたと思うか?卑弥呼すらいなかったって言われてるのに2024/05/05 21:40:47629.名無しさんmh3w1ヤマトスw2024/05/05 22:23:15630.名無しさんzCAkb飛行石が無きゃ辿り着けない2024/05/05 22:28:15631.名無しさんOzL1gヤマトは日本全体じゃあないよな豊葦原瑞穂国が本来の全体を表す言葉で元首は大国主だよな元々は天御中主が主神だったそれを半島からやってきたヤマト族が侵略してできたのがヤマト政権だこいつらがアマテラスを信仰するように強要したんだよな2024/05/05 22:38:09632.名無しさんqMbLn文献には四方が海に接しているて記述がなかったっけ!?じゃ九州か四国か紀伊半島のどれかだなて、候補が増えとるやないかーい2024/05/05 22:51:37633.名無しさんzCAkb持ち回りだよ八州で2024/05/05 22:56:05634.名無しさんKqz1s沖縄とか台湾とかありえるぞヤマツユなんて国があるならな2024/05/05 23:19:53635.名無しさんqMbLn邪馬台国の人は刺青をしてたんだろ?日本人のルーツに中国江南説もあるし、もしそうならその名残かな刺青は海に潜る人にとってダイビングスーツ的な役割を果たすとかなんとか江南人は刺青文化らしいそれとも全く関係なく、当時の日本民族ではただデフォだったのだろうか2024/05/05 23:41:54636.名無しさんIURD2邪馬台国はエジプト2024/05/06 00:54:25637.名無しさん0cP7X>>635海だろうなサメだかなんだか避けだったような2024/05/06 03:04:52638.名無しさんIWllY>>635弥生時代の瀬戸と東海地方には入れ墨文化があったらしい土器の文様に鯨面の装飾があるものがこの地方を中心に複数見つかってる2024/05/06 08:08:06639.名無しさんuU3NQ沖縄にも入れ墨文化があった。今100歳くらいの沖縄の女性は手の甲に入れ墨している人がいる2024/05/06 08:10:49640.名無しさんMF2WZとにかく古代の天皇陵を研究者に調査研究させないと何もわからないよ一種のブラックボックス2024/05/06 08:57:05641.名無しさんKELm1倭武天皇の足跡追ってみ。2024/05/06 09:05:19642.名無しさんuFARoイスカンダルの末裔2024/05/06 09:06:51643.名無しさんtChnk邪馬台国は日本の小国がかましていたブラフ。それか、魏志倭人伝中に気まぐれに書き込まれた空想。2024/05/06 09:12:34644.名無しさんhMQnB文字の無い国だから位置から名前まであやふやなのかしら2024/05/06 12:19:51645.名無しさんn3U7w墓を荒らすとファラオの呪いにかかるから2024/05/06 12:36:31646.名無しさんUEW9v新解釈とか新説はいいから。新しい遺跡が見つかってからにしてくれ。2024/05/06 14:13:04647.名無しさんCUaYY>>644文字自体はあったっぽいけど、史書を残すような文ではなかったろうね2024/05/06 14:47:21648.名無しさんFYw0Rヤマトのことをファンタジックに伝えたら大袈裟に文字に残された感じだと思う2024/05/06 14:53:06649.名無しさんghEHJ金印や鏡から文字の存在は認識していただろうが記録が何も残ってないってのが不自然この先も見つかることはないだろうが2024/05/06 16:41:51650.名無しさんZI0DO>>638日本書紀の記述からも明らかな飛鳥の朝廷k使者(裴世清)を送った隋書の倭国伝に男の多くは顔に入墨をし、手足にもしているって記述されているから入墨はそれほど地域的な特徴とは言えないからねえ2024/05/06 17:11:05651.名無しさんW1AVh今更だな歴史教科書に書き込めよ2024/05/06 17:14:28652.名無しさんIWllY魏志倭人伝の記述に江戸時代からずっと振り回され続けてるもんなそれで何の物証もないんだからねえ2024/05/06 17:16:03653.名無しさんW1AVh入れ墨は海人族な2024/05/06 17:19:13654.名無しさん2R3s5大和朝廷が作った神話や史書や記録乱世の中において統治するには、過去の矛盾する記録は葬らないといけない古事記や日本書紀より古い記録が出てこないのはそういうことだろ2024/05/06 17:56:17655.名無しさんD3fU6みんな邪馬台国にすごい興味津々のようだ邪馬台国の復活フラグか面白い時代になるぞ2024/05/06 18:11:32656.名無しさんD0u5e二世紀〜三世紀って(歴史的には)そんなに古くも無いけど分からんという事は…2024/05/06 18:24:54657.名無しさんaH6Pc金印が出た志賀島の唄が君が代の原型だしあの辺に何らかの日本のルーツがあるのはほぼ間違いないんだよな2024/05/06 18:30:15658.sagekBb0m>>647ねえよ2024/05/06 19:55:00659.名無しさんkJOT0文字があったがそんんあものがあると天皇の正統性が否定されるから全部消されたんだよ古い神社の祠に石で宇宙文字みたいなのが刻まれてるが何が書いてあるかも分からない土偶や銅鐸なんかもある時期で一斉に消えるから何に使われてたかも分からない改める時は痕跡の残らないほど消すのが日本の伝統だからな旧字や変体仮名でも消えてほとんど使われてない戦後そうも経たないのにきれいに消えたからな2024/05/06 21:12:21660.名無しさんQ3bD8>>659日本書紀も古事記も天皇の正当性は気にしていないむしろ誰の種かは気にしないといった大らかなエピソードがちりばめられている焚書の理由はないよ2024/05/06 21:26:27661.名無しさんQ3bD8>>654日本書紀自体が、互いに矛盾する事例を列挙していくスタイルだ矛盾するからといって、焚書の理由にはならない2024/05/06 21:28:48662.名無しさんMW5aj奈良のヤマトは九州の文献全部燃やしたクズ2024/05/06 21:44:21663.名無しさんS4jgIそもそも日本の資料に存在しないんだから探すだけ無駄2024/05/06 22:09:07664.名無しさんbu7EH① 郡(帯方郡治)より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を歴て、乍は南し乍 は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千余里② 始めて一海を度(わた)る千余里、対馬国に至る③ また南一海を渡る千余里、一大国に至る④ また一海を渡る千余里、末盧国に至る⑤ 東南陸行五百里、伊都国に到る⑥ 東南奴国に至る百里⑦ 東行不弥国に至る百里⑧ 南、投馬国に至る水行二十日⑨ 南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月⑩ 郡より女王国に至る万二千余里⑤の時点で伊豆まで来ちゃってんだよな2024/05/07 00:15:40665.名無しさんukHCK神武天皇のために邪馬台国の名前を出してるだけで邪馬台国など存在しなかったっていう話の方がすんなりくるんだが日本書紀や古事記には記載がない、しかし中国の書物には台与は出てくる。だか卑弥呼は出てこない。出てくるのは魏志倭人伝に卑弥呼っぽいのが出てくるだけ。この論争、一番の問題は邪馬台国そもそも存在してるのか否かをはっきりさせてなく、存在ありきで全てを語りすぎてる。邪馬台国など存在していない、こっちがいま信憑性高い気もする。2024/05/07 00:35:44666.名無しさんrLZdIじゃ福岡で見つかった金印はなんなのさ2024/05/07 06:00:53667.名無しさんrLZdIこのスレを読んでも分かるが、徳島説をみんな敢えてスルーしてるよね怖いの?それとも気持ちが着いてこないの?2024/05/07 06:03:45668.名無しさんXjb40>>666途中で落としちゃった、とかw2024/05/07 07:12:58669.名無しさんrLZdI卑弥呼の墳墓が見つからない理由として、後の偉い人の墓と合祀したって可能性はないの!?若しくはぶっ壊して跡地に偉い人の墓を作ったとか2024/05/07 07:24:41670.名無しさんyRjJx>>669神社になってる説はないか?しかも奥の院な。2024/05/07 07:57:08671.sageDBBT9単に壊されて農地になったり飛行場になったりしてるかも2024/05/07 07:59:07672.名無しさんJ5SiH卑弥呼って中国や韓国にも行ったの?2024/05/07 08:07:32673.名無しさんvyO18その後のヤマト王権が奈良やから、邪馬台国がヤマト国だとすれば普通に考えて奈良になるわな2024/05/07 08:18:36674.名無しさんvyO18DNA調査すると、2,3世紀ごろから本州の人骨のDNA配列が急に代わるんよなその配列は現在の本州人ほぼそのものこの人種を古墳人と呼ぶようになった邪馬台国もヤマト王権もその頃から起こるそして大王は天皇と呼ばれるようになる普通に考えれば、天皇の歴史は2,3世紀以降から始まり紀元前700年ごろの神武天皇は捏造ってことになるその頃は人種が違うんだから2024/05/07 08:28:00675.名無しさんx8guE答えが出ない論争って、不毛以外の何ものでも無い2024/05/07 08:50:34676.名無しさんWqM8vヤマトの諸君 おはよう2024/05/07 08:55:09677.名無しさんU3HGg>>673ヤマトタケルの名を貰ったのは九州北部じゃなかったっけ?奈良のヤマト政権が出来る前は饒速日系のナガスネヒコが守っていた合衆国でしょつまり、九州のヤマト国を制覇したヤマトタケルの後にヤマト国の地名を丸パクリして奈良にシン・ヤマト国を建国したんじゃないの?元々奈良に住んでた人達は出雲や東北に追いやられたり、饒速日の家来だった物部氏系や九州の隼人を吸収して軍事力を拡大して北部に逃げた残党狩りに坂上田村麻呂を使ったりしてさ2024/05/07 09:55:54678.名無しさんQVbxgでも神武天皇って九州から攻め上ってるよね?2024/05/07 09:59:19679.名無しさんWApLV3世紀前後に九州文化が近畿に流入した痕跡が見つからない以上神武天皇と同じく東征は神話扱いにしかならんだろ2024/05/07 10:04:13680.名無しさんQVbxg以降ずっと畿内政権なのになぜそんな神話になっているかは興味深い。紀元前660年はないとしても2024/05/07 10:50:17681.名無しさんrLZdI>>670ああ、神社は十分にあり得るな2024/05/07 11:18:55682.名無しさんa8akZ奈良の新ヤマトは九州の旧ヤマトの正当性を認めていて継承したがったんだろうな2024/05/07 11:51:07683.名無しさんU3HGg卑弥呼は別名を大倭姫(おおやまとひめ)、天造日女命(あまつくるひめみこと)、大海孁姫命(おおあまひるめひめのみこと)、日女命(ひめみこと)>>1の歴史学者的には大倭姫(おおやまとひめ)はヤマトヒメと読むワケでヤマト国の姫って言ったら要するに九州の熊襲の姫でしょ「倭の五王」が暴れているよりも前の王達が争っていた時代だし葬式の風習自体が王によって違ってみたいじゃない?壺に入れるパターンとかさ海外から九州に住み着いた色んな部族がいたわけでで、卑弥呼の墓って確か100人くらいの従者を生きたまま頭だけ出して生き埋めにしてたよね?んで、後にハニワ置くようになったとかてことは墳丘墓っぽくね?じゃあ現代の小山っぽい上に神社建ってるのが卑弥呼の墓かもってなるけどヤマトヒメでしょ?そりゃ荒くれものの王だった熊襲たちがいた九州北部のどっかでしょ2024/05/07 11:51:47684.名無しさんa8akZ大陸外交でも友好国ヤマトを滅ぼした敵国になる訳にもいかないから旧ヤマトの継承国家の地位になりたかっただろうしね2024/05/07 12:01:52685.名無しさんQVbxg奈良がわかる! 富雄丸山古墳・木棺に眠るのは女性?https://www.asahi.com/articles/ASS3R6S9TS3MPOMB00W.html今話題の富雄丸山古墳。4世紀後半の古墳。卑弥呼の死は3世紀。纒向遺跡や箸墓古墳が3世紀と言われている。魏志倭人伝の倭人の風習が縄文人なので卑弥呼は神武の東征で討伐される側だった可能性…2024/05/07 12:13:39686.名無しさんylbgw>>664 伊都国=糸島市はほぼ確定で議論になってないよ2024/05/07 12:52:56687.名無しさんylbgw>>664 郡(帯方)から女王国(邪馬台国)まで一万二千里ってしっかり総距離書いてあるんだから、素直に読めば奴国(北九州)から千里程度の範囲に投馬国と女王の都があるって事じゃん2024/05/07 13:15:30688.sagesqU7n>>680今は東京政権なのだから、畿内は昔東京にあったんだ!2024/05/07 13:25:24689.名無しさんQVbxg一里=430mとすると…一万二千里=約5000km邪馬台国はハワイにあった可能性…2024/05/07 13:54:01690.名無しさんtbuIg漢と交流した形跡がある紀元年前後の奴国は博多や春日原から板付付近の遺跡で間違いないんだけどな2024/05/07 14:15:08691.名無しさんkTcUp>>687伊都国の周辺までは距離が書いてあるけどその先が日数表記なこと、隋書に夷人(倭人)は里数を知らず、日をもって計った、と書かれていること、伊都国に関してのみ「至」ではなく到」の字が使われていることから使者の到着地が伊都国でそこから先は倭人を通じての伝聞情報ではないかという説があるからあんまり距離は当てにならない2024/05/07 14:16:29692.名無しさんtbuIg王?によって倭国に派遣された塞曹掾史の張政等は卑弥呼の死後も倭国に残り内乱を経て13歳の宗女壹與を女王と認め、国中が治まり率善中郎将の掖邪拘等二十人を派遣して張政等が帰るのを送らせた。ということから長期にわたって滞在していることになるもともと派遣の目的は、倭国同士の争いを収めて魏に恭順させるためなので手ぶらで帰ることができなかったんだろう大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人と具体的に書かれていることより、墓も実際にみてきたんだろう日程表記が倭人の伝聞なんて説は意味不明2024/05/07 14:42:05693.名無しさんmmFR3これは世界のタブーだよお前らこれを追求したが最後、背後に気をつけろよ改名しては行けない歴史ってあるんだからよ2024/05/07 14:43:07694.名無しさんdjPZo神代文字がもうちょっと発掘されてればなぁと想う2024/05/07 14:48:19695.名無しさんFBF1S久しぶりの邪馬台国スレだなちょっと乗り遅れてしまった2024/05/07 14:55:45696.名無しさんk1P5P大和いい国が邪馬台国になった説2024/05/07 14:57:09697.名無しさんFBF1S邪馬台国をヤマト国と呼ぶとしても西日本全体がヤマト国だったんだからピンポイントで首都がどこだったかなど分かるはずがないんだよな2024/05/07 14:57:56698.名無しさんa8akZ>>687そう総距離と途中の国間の距離は比較的正確っぽいんだよねそのため比定も進んでいる日数表記で書かれている国間が伝聞なためか曖昧さがある2024/05/07 15:00:47699.名無しさんtbuIg參問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里しかもおおよその大きさをちゃんと大きさを里で把握している2024/05/07 15:01:00700.名無しさんFBF1S>>698このスレの>>1の記事によると魏志倭人伝の説明はあまり意味がないという前提になってるので、記述を基に考えても意味がないんだよな2024/05/07 15:02:19701.名無しさんtbuIg半島の三韓の勢力範囲が、方4千里ということから半島下半分よりちょっと大きい程度2024/05/07 15:02:58702.名無しさんyRjJx>>701南は倭に接すの韓伝か。2024/05/07 15:06:55703.名無しさんFBF1S九州に存在してた倭国を中心とした西日本全体での大倭国がヤマトと呼ばれるようになり首都移転で今の大和地方に移ったというのが正解だと思ってるこれが一番、魏志倭人伝とも記紀とも整合性が取れるでも、そうだからこそ正しいとは言えない可能性もあるんだよな2024/05/07 15:14:06704.名無しさんtbuIgいや違った韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里參問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里方可四千里は1辺が4千里だけど周旋可五千餘里は1周が5千里とも読み取れるその場合、三韓よりだいぶ小さい晋書四夷伝より倭人在帯方東南大海中 依山島為國 地多山林無良田食海物 舊有百餘小国相接 至魏時有三十國通好戸有七萬 男子無大小悉黥面文身 自謂太伯之後 又言上古使詣中國皆自稱大夫魏と交流した邪馬台国が30国7万戸規模と解釈した場合当時の馬韓が50国10万戸とあり、馬韓よりちょっと小さいことになるな2024/05/07 15:26:20705.名無しさんQVbxgだが待って欲しい。古墳時代、日本の首都は難波で仁徳天皇陵もここにあったのではなかろうか?2024/05/07 15:33:49706.名無しさんk1P5Pでもさ関東って蝦夷勢力の中心地だし現に東京が首都な訳で大和勢力って今は完全負け組だよねwww2024/05/07 15:42:36707.名無しさんtbuIgその昔は100国で魏の時は30国ということから後漢時代の倭国勢力は馬韓の2倍ほどの勢力を持ち半島勢力のけん制として漢と友好関係にあり、鉄の利権を得て発展したことがうかがえる魏の時代に30国というのも、後漢の衰退とともに2世紀後半には倭国大乱があったとされ女王によって、あらたな強国との同盟関係を模索した結果だと考えられるしかし、泰始元年は、少なくとも、壱与の三度目の遣使を最後にしばらく交流は途絶えている近畿で大きな勢力の痕跡があるのは3世紀以降、鉄や絹もそれ以降ということがありその発展に、大陸からの帰化や亡命などで多くの技術や文化が流入されている邪馬台国と近畿の勢力と別物だとしか考えられんのだが、その組織の発展や文化の継承には関わっているのだろう2024/05/07 15:50:29708.名無しさんfvJOw>>70516代の仁徳天皇の時代と近畿で有力地とされている纏向を都としていたのは時代がちょっと…(纏向周辺を都にしていたのは12代の景行天皇まで)2024/05/07 16:18:43709.名無しさんk1P5P関西弁で話す勢力が大和勢力な↑ココ大事2024/05/07 16:20:54710.名無しさんjEj70倭人は朝鮮半島南部→北九州→畿内と移り住んだと見た方が自然だろ2024/05/07 16:24:04711.名無しさんmmFR3邪悪な馬の国誰だよこんな当て字したやつはあ、そいつが犯人か2024/05/07 16:33:24712.名無しさんQVbxg>>709慎み深い縄文人に対し漫才とかやるのが弥生人か…2024/05/07 16:36:12713.名無しさんukHCK>>666「倭国」って書いてあるよね?邪馬台国とは書いてないよね?倭国は倭寇とかあるから存在する邪馬台国はわかるだろ?2024/05/07 16:51:21714.名無しさんFBF1S>>713中国から見た日本は倭国日本人がヤマタイ国だと言ってても中国人が倭国という字を宛てたんじゃないかな?そこらへんの行き違いを日本人が後から知って日出る国と書いて漢字で日本と自称し始めたんだろうな2024/05/07 17:04:20715.名無しさんy1FnE>>8なんで倭人伝の編集者は地図をつけなかったのだろうね。2024/05/07 17:06:39716.名無しさんQVbxg>>713倭の奴とある。わけのわからん奴ではなく後漢初代皇帝の光武帝からもらった逸品。建武中元二年(西暦57年)、東夷倭奴國、奉貢朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭國の極南界なり、光武、賜うに印綬を以てす2024/05/07 17:12:14717.名無しさんylbgw>>689 朝鮮から対馬までが海路千里って明記してあんだから当時の一里が何キロかわかるでしょうに2024/05/07 17:12:39718.名無しさんQVbxg>>717なっなんだってー!邪馬台国は見つかっていた【13】一里=50mという換算値が得られる理由https://note.com/kind_tulip559/n/n55fbb669610aゆい:江戸時代の一里は約4kmだと学校で習ったけど……。おじ:魏の時代はそれよりもだいぶ短くて、1里が430mだったことが判明しているんだ。この1里=430mという数値が倭人伝の記述にはどういうわけか通用しないんだよ。…千里もあって大変でしたお土産たくさんくださいと盛っちゃったん?2024/05/07 17:18:19719.名無しさんRIx2dジーグが勝つ2024/05/07 17:20:05720.名無しさんFBF1S>>717海を渡ったら千里という事になってるだけで、実際に朝鮮から対馬までの距離を測ったわけではないと思うよなので、その時点で距離はあくまでも目安だという事が分かる2024/05/07 17:24:44721.名無しさんGLiK8そもそも邪馬台国じゃなくて邪馬壹国なのが決定的なんだろ?神武天皇ってのは卑弥呼と対立してた南九州の男王卑弥弓呼で間違いなし?2024/05/07 17:24:48722.名無しさん6dCTC神武天皇も卑弥呼も実在したという証拠は無い2024/05/07 17:26:50723.名無しさんDDW6P>>721三国志が書かれた三世紀末から4世紀始め頃のものではなくて現在残っている最古の正史の三国志である12世紀のものにはそうなっているって話だからなあ2024/05/07 17:31:50724.名無しさんFBF1S>>721卑弥呼の時代に神武天皇がいたというのは誰の情報?2024/05/07 17:34:05725.名無しさんQVbxg伝説だからデマだろうと思っていたら実際殷の都が発見されたり、その時代の朝鮮で中国式の土器や稲作遺跡が見つかったりしている。理由もなく伝説は生まれたりしないようだ。ノアの大洪水や天岩戸にすら根拠がある。2024/05/07 17:36:47726.名無しさんa8akZ>>717他にも距離は多数記載されていて許容誤差の範囲で概ね一定の値なので多くの地が比定されている議論の分かれ目となっているのは日数表記の部分2024/05/07 18:18:05727.名無しさんTyeDN当時畿内に日本最大規模の勢力があったのは事実だろうけど、それは邪馬台国ではなく徐福由来の渡来人勢力だったと思うわ邪馬台国は九州にあったんだけどヤマト政権には土蜘蛛ろ呼ばれて滅ぼされた2024/05/07 19:03:28728.名無しさんTyeDN>>703 記紀の著者は魏志倭人伝の記述を知っているにも関わらず邪馬台国を無視しているという事は邪馬台国が天武政権のルーツではないという認識だったんじゃないの?2024/05/07 19:20:09729.名無しさんqA5cP>>728日本書紀では気長足姫尊(神功皇后)の39年から43年までの記述に魏志の記述を挿入して神功皇后を女王に仮託するような記述しているんだが…2024/05/07 19:28:38730.名無しさんcmn2m海に沈んだんだろ2024/05/07 19:29:00731.名無しさんTyeDN>>729 卑弥呼は独身小梨神功皇后は出産の逸話が記載されている明らかに別人としての記述でしょ2024/05/07 19:32:51732.名無しさんzj240子なしBBAwww卑弥呼wwwwww2024/05/07 19:40:22733.名無しさんRGzt9>>731日本書紀の編者は仲哀天皇崩御後に神功皇后の治世があったとすることで魏志の記述に合わせてる技巧をこらしている2024/05/07 20:11:48734.sagesqU7n>>694無いものはゴッドハンドするしかない2024/05/07 20:18:21735.名無しさんkUf5C神功皇后は実際の年代は100年以上後とされるから元々年代おかしいからなあよくある纏向を比定する場合は箸墓の埋葬者の倭迹迹日百襲姫を卑弥呼ではないかとしてその頃の天皇は10代の崇神天皇の辺りだから、日本書紀は魏志の技術を知っていて強引に神功皇后に合わせた感じだし…2024/05/07 20:19:00736.名無しさんTyeDN>>733 だからなんだっつう話神功皇后と卑弥呼は偉大な女王という共通点があるのみでエピソードは明らかに別人百歩譲って卑弥呼=神功皇后だとして、卑弥呼の跡を継いだ壱与は誰なの?神功皇后の後釜に座った女王2024/05/07 20:25:54737.名無しさんTyeDNむしろ神功皇后に討たれたとされる田油津媛の方が卑弥呼っぽい山門縣を拠点として呪術を用いて兄が居たとある2024/05/07 20:38:21738.名無しさんtbuIg志賀島から出てきた金印も蛇のとぐろのつまみだと言われているが会稽の体に入れ墨して蛟龍の害を避けた人種となぞられてることから実は蛇ではなく蛟龍を表してるのではないかと思う2024/05/07 20:45:25739.名無しさんtbuIgやまたのおろちの話なんだけど100国を支配下に置いた時期には、出雲は邪馬台国の配下にあり厳しい年貢を収めていたが時期的に倭国大乱の時期に反乱した話ではないかと思う吉野ヶ里遺跡と出雲には銅鐸の出土で明らかに関係があるけども女王国30国の支配下には入っていない2024/05/07 21:00:10740.名無しさんtbuIg卑弥呼が最初に魏に使者を送ったとき、過去に比べて貧相な貢物に対して魏からは厚遇をもって対応されているその理由として今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順倭種を配下に治め、協力関係になってもらいたいという意向を示しているこれはかつて100国を治め漢から金印を拝聴した友好国として復活しろということでもある還到録受 悉可以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也さらに、豪華な贈り物を国中に示し、魏が認める国だということをしらしめなさいという念押しをしているだが、狗奴国との戦争は終わらず、苦しい現状を報告すると帯方郡太守に着任した王?により、塞曹掾史、張政等を遣はせて対応するこれは前段の話と合わせて考えると、戦争に加担するという話ではなく大陸の覇権争いの現状を倭国諸国に知らしめ、内乱で争っている場合ではなく倭国がまとまって復権しないといずれ外敵に滅ぼされる今のうちにまとまって、魏と協力関係を築くよう倭国諸国を説得しに来たんだろう従って、命を受けた張政等は、卑弥呼の死後の混乱も乗り越えて13歳の宗女、壱与を立て倭国の内乱が収まるまで帰れないはめとなるその後、魏も晋に置き換わり、その統治が長く続かなかったことは容易に想像できる2024/05/07 21:20:58741.名無しさんtbuIgそうした考察からもう一度參問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里の大きさを考えると、張政等が倭地を參問したときの距離だとすれば邪馬台国30国を超え、狗奴国やその他かつての倭国100国の主要国を含めた倭地なのだとすると三韓の合計は70から80国、倭地(100国)はこれより少し大きいということなのかもしれない2024/05/07 21:27:44742.名無しさんtbuIg銅鏡100枚を贈ったのも、かつての同盟100国を示す証として配れという事なのかもしれない実際は、鏡は腐るほど模倣され各地から出土されることになるのだがw2024/05/07 21:33:41743.名無しさん8L7kzヾノ・д・)ナイナイ ヤバイチって読むのが正しい2024/05/07 22:06:15744.名無しさんd4jobそんなものは無い2024/05/08 01:05:34745.名無しさん99ukX徳島推し「お前らさ、水銀の採掘遺跡を見つけてから言えよ」2024/05/08 05:33:27746.名無しさんWNFDV対外的にはヤマトが浸透していたから九州の勢力が衰退しても近畿勢は外交のためヤマトを名乗ってたのかな表記が色々あるのは漢字はなんとなく読めたが発音が浸透していたわけではないからかしかし中国は三国志の時代なのに日本は文字が残ってないだけでここまでわからんものなのか2024/05/08 07:38:11747.名無しさんJaQXo>>729つまり卑弥呼は天皇家の系統ではないという事だよ2024/05/08 07:41:52748.名無しさんhnaD6昔から思ってるんだけどヤマタノオロチってマタが8つなんだよな?ってことは頭は9個なんじゃね?2024/05/08 07:48:56749.名無しさんJaQXo>>748のび太かよ2024/05/08 07:54:13750.名無しさんJaQXo>>748マジレスするとマタは「又」ではないんだよヤマタノオロチは漢字で書くと八岐大蛇あるいは八俣大蛇岐や俣というのは、「又」の部分ではなく「先端」の事を指すつまり、8つの頭を持つ大蛇という意味なのよ2024/05/08 08:00:02751.名無しさんhnaD6>>750なるほど。じゃあ福嶌の九頭竜川とは関係ないんだな。2024/05/08 08:06:25752.名無しさんhnaD6>>751あ、福井ね。2024/05/08 08:07:51753.名無しさん99ukX>>747この人の説によると、天皇家なんだけど祈り専門の担当だとかhttps://youtu.be/99-JjHf9zZo?si=BzGh53AkXd9KvRJG2024/05/08 08:09:41754.名無しさんJaQXo>>753動画は見る気にならんので見ないけど祈り専門の人を女王として扱うのはおかしいだろ?それに魏志倭人伝では周辺国と共立した女王でもある見てないけどその人の説は正しくないだろうな2024/05/08 08:13:27755.名無しさんFCNPS>>754クレオパトラみたいな統治者じゃなくて、神様と話ができる巫女さんとしての王だからねいわゆる女王とはちょっと違うのだと思うよ2024/05/08 08:37:37756.名無しさんJaQXo>>755そういう考え方なら無理矢理天皇家と繋げようとしない方が信憑性が高くなると思うよ2024/05/08 08:40:20757.名無しさん3e0E9天皇自体が祈祷して詔を捧げる呪術的な神官だからシャーマンの巫女はいないんじゃね2024/05/08 08:55:56758.名無しさんQMg9M天皇自体は神官というより征服者みたいなもんでは2024/05/08 10:04:31759.名無しさんJaQXo>>758だから?続きを書かないと君の意見は誰にも伝わらない2024/05/08 10:11:14760.名無しさんT8SQc獣道しかない2000年前に中国人が奈良まで行くの無理だわ距離が合わないのは当然。行ってないんだもの2024/05/08 10:13:39761.名無しさんFSAWq>>746日本に文字が残っててもわからんと思う現代でさえ中国は漢字で当て字するからロゴの色味とかデザインで推測しないと漢字だけではわからん可口可楽=コカコーラとか2024/05/08 10:37:48762.名無しさんr2Dgs>>751クトゥルー川いあ!いあ!2024/05/08 10:43:01763.名無しさんr2Dgs夜露死苦は万葉語である。一方中国はドラえもんを哆啦A梦と翻訳した。銅鑼衛門ではダメだったのか…2024/05/08 10:51:44764.名無しさんffeya紛争解決のために女王たてたが やっぱりだめだった福岡県民は抗争しないと生きていけない大阪と同じだった2024/05/08 11:22:40765.名無しさんr2Dgs伊勢神宮の斎王が天皇の一族の未婚の女性で呪術的な側面を担ってきた。2024/05/08 11:31:20766.名無しさんyho7d>>765醍醐天皇の孫で歌人の徽子女王も元は斎王だったなアレで金の龍を出してた2024/05/08 11:46:36767.名無しさんmoE9l甲とか乙とか日本人は区別できなかったなら同じものだ。帰化人が区別できただけ。お隣の韓国人なんて清音と濁音の区別ができない。しかし、きっちり分けて発音してる。それを日本人が文字にすると清音と濁音は分けて書く。しかし、韓国では同じハングル表記になる。2024/05/08 11:48:10768.名無しさんr2Dgs>>766あれってやめることできたんか…じゃあ在原業平大先生が東下りする必要なかったのでは…2024/05/08 11:53:48769.名無しさんQqigx>>767日本人が複数あるンの音を区別してないけど分けて発音してるようなもんだな2024/05/08 11:57:28770.名無しさんr2Dgs日本語もちょっと前まて濁点は表記しなかったと思ふ2024/05/08 12:02:09771.名無しさんYY11O邪馬台国とはヤマト国と読むものだったって小学生でも思い付くやん、何を歴史学者が偉そうにって第一印象やったが、、地名などの名称ってのは案外、古くからの伝承から変わらず続くものらしいな北海道の変な地名はだいたいアイヌからだし、焼津はヤマトタケルの伝承から続くらしいし邪馬台国も当時はヤマト国って言われてて、今の漢字が充てられたってのは納得できる所があるな2024/05/08 12:04:46772.名無しさんoFKpE一方大和をヤマトと読むようになったのは奈良時代以降のことだろう2024/05/08 16:22:25773.名無しさんr2Dgs夜麻登波久爾能麻本呂婆多多那豆久阿袁加岐夜麻碁母禮流夜麻登志宇流波斯やまとはくにのまほろばたたなづくあおがきやまごもれるやまとしうるわし2024/05/08 17:22:51774.名無しさんJaQXo>>772畿内大和の地域をヤマトと呼ぶようになったのがいつ頃だろうね?って話しになるんだよな魏志倭人伝の時代よりも前からヤマトと呼ばれてたのかあるいは卑弥呼の時代よりもあとに呼ばれ始めたのか2024/05/08 17:31:34775.名無しさんfNxHVホツマツタヱ支持者だが、あれだとイザナギ、イザナミ、スサノオ、アマテラス(アマテル)なんかも天皇家というだけで普通の人間だからな。たぶんオロチも人間だよそんでイザナギとイザナミなんか同レベルに尊敬される扱いだったみたいだし、女王がどうとか別になあ2024/05/08 18:05:34776.名無しさんfNxHVヲウミアツミノ ナカハシラヒカシハヤマト ヒタカミモニシハツキスミ アシハラモミナミアワソサ キタハネノになっててヤマトという呼び方自体は古くて、最初の頃は日本の特定地域を指していたと思われる2024/05/08 18:20:11777.名無しさんfNxHVホツマツタヱだとヤマトは地域名だった感じだが、宮殿をオオヤマトと言ったり途中から本州?をヤマトクニとしてからヒノモトとしたり、一定した場所を示してる感じではない言霊みたいな宗教感にこだわってるためだと思う2024/05/08 18:49:29778.名無しさんr2Dgs国の名前は倭では…日本の使者が宇宙大将軍倭国王を自称するくらいだし。2024/05/08 19:13:23779.名無しさんekFjg邪馬台国はヤマタノオロチとして大和朝に討たれたばかりたぶん和平協定持ちかけて、酒のませて邪馬台国のトップ虐いた伝承だと思ってた2024/05/08 20:45:54780.名無しさん7Jyaw>>775スサノオは天皇家じゃないだろ天皇家はスサノオの姉アマテラスの子孫だぞ?2024/05/08 20:59:08781.名無しさんbXscM>>780ホツマツタヱはおいておいて、日本神話の記述的には日本書紀にしろ古事記にしろ神武天皇の曽祖父である天孫のニニギノミコトの親神であるアメノシホミミノミコトは天照大神とスサノオノミコトとの誓約で生まれた神で、その誕生は天照大神の持ち物からスサノオノミコトが生み出していて天照大神とスサノオノミコトの両方の子孫ってなるから天皇家がスサノオノミコトの子孫っていうのが間違っているとは言えない2024/05/08 22:08:30782.名無しさんffeya福岡ではみかじめ料払わないので2024/05/08 22:34:24783.名無しさんTarGLえ?ヤマトこくって読むのか?ヤマタイこくだと本気でずっと思ってた恥ずかしすぎる・・・2024/05/08 22:40:54784.名無しさん2yfXj今に見ていろ邪魔大王国2024/05/08 23:04:55785.名無しさんk5vUP邪馬台国ってそんなに必要なの?2024/05/09 03:48:47786.名無しさんVHRCI「国民の歴史」で西尾幹二も同じようなことを言ってる2024/05/09 05:03:31787.名無しさん6z0Wr>>784ハニワ原人激おこ2024/05/09 06:03:06788.名無しさんSeDFy卑弥呼は邪馬台国の女王やろヤマト国の王やから、天皇って事か2024/05/09 06:31:02789.名無しさんFHzH5しかしヤマタノオロチはヤマトではなくイズモにいたことになっているヤマトにいたのはツチグモ…ネーミング的に逆では…2024/05/09 06:45:15790.名無しさんbpiv1>>785唯一文献にどんなクニか記録されたから2024/05/09 10:32:21791.名無しさんXJpBG>>789ヤマトとヤマタじゃ語源が違うだろう…一般的にヤマトの語源は山に囲まれた地とか山の麓とかってされていて、ヤマタは八つに頭が分かれたオロチ、もしくは八が日本では大きな数字みたいな意味で使われるから多くのアタマをもつオロチで特にヤマタノオロチは斐伊川の氾濫による川が溢れ出たいくつもの水の流れの反映みたいな有力説があるから、山々の中のヤマトと川の氾濫のメタファーとじゃ別物。2024/05/09 13:13:04792.名無しさんknl1o邪馬台国の起源は韓国マザームーンこそゲンダイを生きる卑弥呼2024/05/09 14:49:17793.名無しさんQfjGD>>789 高志(コシ、越)の八岐大蛇だから北陸から出雲へ攻めてきたんだと思うヤマトのオロチではないよ2024/05/09 15:24:18794.名無しさん6BUei>>793高志の奴奈川姫は出雲の大国主と婚姻関係で同君連合だった。なおその子が糸魚川より信州に攻め込んで諏訪大社の神になった建御名方命神だが建御雷神にボコボコにされたことになっている。2024/05/09 15:43:23795.名無しさんHSATK卑弥呼は天照大神の可能性がある2024/05/09 20:23:21796.名無しさんMlvls>>791語源も何も語り継がれた話なのが後に物語風に編集されたので普通に考えて方言みたいになまって伝わったり、話がいろいろ盛られてる2024/05/09 23:18:13797.名無しさんc5HYb>>785じゃまだい2024/05/09 23:29:39798.名無しさんFZiCF>>796八岐大蛇退治の話は日本書紀には出雲以外に一書として安芸国の話としているのも挙げられているから出雲の神話で完全に確定って訳でもないだろう(出雲国風土記で取り上げられている話でもないし)2024/05/10 01:11:26799.名無しさんAgLDZ妄想でしか語れない学者連中は、いつまで続けるのかボンクラども!2024/05/10 03:05:45800.名無しさんYoPciクロネコ邪馬台国2024/05/10 03:15:53801.名無しさんApzKV>>799この時代の史料は少ないんだからしょうがないだろ2024/05/10 03:34:51802.名無しさんLrpwc使節団「卑弥呼はいまどかにいるのか?」熊本県民「山たい。」使節団「やまたい?そこにいるのだな。」熊本県民「そけ、みんなおるばい。」使節団「女王のいる場所は邪馬台国っと」2024/05/10 07:29:51803.名無しさんDCIb4邪馬台国あった時代、魏に行く技術あったのか?遣隋使とか命懸けだったんだろ?2024/05/10 07:42:02804.名無しさんFKifa>>803魏の方から来てる属国扱いだから管理されてる邪馬台国で内乱が起きた時も魏がクチをはさんでる2024/05/10 10:48:09805.名無しさんYZOvz>>802コーヒー吹いたじゃねーか2024/05/10 13:19:11806.名無しさんaXsIM>>803この頃の日本は文字すら無いから技術の継承もできないから船とか作れない2024/05/10 15:19:18807.名無しさんX0whS>>803朝鮮半島経由だとそれほど難しくないが遣隋使は迂回しようとして悲惨なことになってる。(反日的な新羅が統一したので)2024/05/10 15:32:48808.名無しさんgpyXF>>771だから 邪馬壱って漢字で書いてあって勝手に日本で邪馬台って改変してヤマトとかドヤってるだけヤバイチって地方の土地の女王気取りが奴隷を中国に送ってご機嫌を取っただけ 全く後に続かないヤバイチ2024/05/10 15:55:58809.名無しさんdXFjk>>808邪馬壹になっているのは陳寿が描いた原本ではなく今残っているものの中では最古の12世紀に刊行されたものでそうなっているだけで、魏志から子引や孫引したものは邪馬臺表記だろ(子引孫引している書物は現在残っている魏志より古い刊行のものでも邪馬臺表記で邪馬壹にはなってない)2024/05/10 17:34:48810.名無しさんGdPfHジークブリーカー!!ちねぇ!!2024/05/10 17:41:51811.名無しさんTZy7r>>13今の中国人と魏の人は別物だろ日本人もだけど2024/05/10 18:09:09812.名無しさん5q7J2>>806んなこたあない縄文の時代からカヌーや古代船造って各地の島や朝鮮半島に渡って住み着いてた困難なのは東シナ海を渡って直接大陸に行くルートだった2024/05/10 19:56:59813.名無しさんKjPt6>>79270年ほどの歴史しかがない南朝鮮だぞ?つまんねー2024/05/10 20:41:39814.名無しさんSALph>>668見つかった志賀島は君が代の唄の元だし偶然は無いだろw君が代の要素を持つ神社が福岡周辺に全部揃ってるんよなルーツがこの辺なのはほぼ間違いない2024/05/10 22:44:48815.名無しさんnUiedお前らの先祖共は揃いも揃って方向音痴の記録無しの記憶無し2024/05/11 06:27:36816.名無しさんEOxqm口から発した音をそのまま表記するような簡単なことを文明としてもたずに発展するわけはないから少なくとも地方や集団や家族単位にあったはずの日本独自の文字を上書きするような漢字を使う渡来人が力を持った時代があったのは間違いないだから漢字で古代を紐解くというのが曲解の元というのは考え方として間違ってないと思うわ純粋に音として残ったもので考えないと順番としては漢字自体の意味を知ってから、音と擦り合わせて当てていくはすだから2024/05/11 07:42:15817.名無しさんPUgFs>>816言語があれば文字がなくとも文明は発展するよ縄文時代は文字がなかったしね2024/05/11 07:47:51818.名無しさんEOxqm>>817縄文土器に紋様を掘るデザインを考えつく頭のある人が、文字を想像できないと思う?2024/05/11 07:50:03819.名無しさんPUgFs>>818想像できたかもしれないが、必要なかったから文字がないんだろう2024/05/11 07:57:12820.名無しさんakg3j大和武尊ってただのDQNだよな2024/05/11 11:22:15821.名無しさん4d2a9口伝とかで済む程度の社会構造なら文字は無くてもいいからなインディアンとか18世紀まで文字無かった訳だし2024/05/11 11:49:29822.名無しさんwVHcD>>819神代文字があるからね天皇家が聖徳太子の指導で漢字採用しただけで日本全国至るところにそれぞれの神代文字がある聖徳太子が遣隋使とかで中国と付き合っちゃったから神代文明は消滅した頭が良すぎた聖徳太子 神代ひらがなカタカナでいいのに漢字まで覚えさせられるテストに出るぞ必要ない漢字2024/05/11 14:14:55823.名無しさん4d2a9神代文字なんて後世の捏造しか無いし出所がはっきりした遺跡出土品に刻んであるとかなら分かるが、そういうのは絶無2024/05/11 14:55:17824.名無しさんmXPyO神代文字は捏造が多いがあるにはあるだろ本物は誰も解読できない偽物は多くの偽書がある2024/05/11 15:00:07825.名無しさんtUOACタイムマシンで弥生時代行ってきたけど九州っていってたよ2024/05/11 15:31:33826.名無しさん63KGsヤマタイ → ヤマトに対向する親中テロリスト国やろ!2024/05/11 15:37:38827.名無しさんiqeBL本当はヤマイ国なんだよなあ2024/05/11 15:45:23828.名無しさん3gDVAウヤマイタイ→ヤマタイ→ヤマト2024/05/11 15:57:02829.名無しさん6V9gE>>822神代文字が漢字伝来より前に存在してたらいいのに、とは俺も思うが残念ながらそれは無いだろうなちゃんとした史料が発掘されるまでは文字は無かったと考えるべき2024/05/11 16:23:17830.名無しさんi4etkアイヌ文字みたいに意味のある文様が遺されてればそれを当時の言葉に当てはめてヒエログラフとして後世に作れるんだよね古代人が文言を書いたわけではないけどね2024/05/11 16:42:49831.名無しさんwVHcD>>829そもそも漢字も岩とかに書いてただけでちゃんとしてないからなそれに比べれば今も神社に残る神代文字の方が遥かにちゃんとしてる天皇家が古事記と違うから偽物って言い張ってるだけだからね>『古事記』は口伝採録ではないhttps://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/08/post-13a8.html>『古事記』は稗田阿禮の口伝を採録したのではなく、諸家に文書としてあった「帝紀及本辭」を没収した上で廃棄して、>天武天皇が「削僞定實」した結果できあがった「帝皇日繼及び先代舊辭」(国定文書)とか出てくるからね2024/05/11 18:01:16832.名無しさんDUNZd神代文字w2024/05/11 18:59:37833.名無しさん6V9gE>>831まあ科学的に証明されてからにしようや2024/05/11 19:30:17834.名無しさんwVHcD>>833だから漢字も科学的に証明されてないだろ 何処の誰が作ったのか一切不明神代文字はひらがな・カタカナに変化していったってのが定説2024/05/11 20:59:22835.名無しさん4d2a96世紀に著された帝紀、旧辞も記紀のベースになったとされてるがそれが神代文字なんて話は何処にも5世紀末に作られたとされる稲荷山古墳鉄剣の文字も漢字だしな2024/05/11 21:09:53836.名無しさんwVHcD>>835古事記のベースのウエツフミ(上紀)とかが神代文字でしょ 鎌倉時代までは使われていた日本語文字2024/05/11 22:04:05837.名無しさん4d2a9この調子だと万葉仮名とかも知らずに語ってそうだな2024/05/11 22:08:25838.名無しさんTWlzV平仮名と片仮名があるのは神代文字の影響だと言うね2024/05/11 22:37:12839.名無しさんwo5x7種死と波動砲覚えとけばええんちゃう?2024/05/11 22:38:09840.名無しさん4d2a9>>836ウガヤフキアエズ朝だっけ?文明を中国に伝えたのは超古代の日本とかムーを定期購読してんの?2024/05/11 22:56:30841.名無しさん29Anc>>836それは偽書。。。2024/05/12 02:08:12842.sageICRmU漢字もローマ字も神代文字から生まれたとか言いそう2024/05/12 02:51:13843.名無しさんafOQD大和町なんかいっぱいあるだろw吉野ヶ里の横も大和町だった2024/05/12 02:54:54844.名無しさんn8WhL>>834漢字は科学的に証明されてるよ約3000年前の甲骨文字が起源で、史料もたくさんある2024/05/12 09:08:04845.名無しさんJmwvS弥生時代の硯は伊都を中心に西日本から出土しているこれらの用途と年代がわかれば、畿内説は滅亡するであろう2024/05/12 12:57:30846.名無しさんIinuf>>834勝手に定説作らないでくれwひらがなは漢字を書き崩したもの、カタカナは漢字の部分をアレンジしたもの、神代文字は後世に偽作というのが定説だよ2024/05/12 13:38:46847.名無しさん1h77Dそもそも天皇の先祖がアマテラスでアマテラスは卑弥呼だったという説があるつまり邪馬台国というのは日本そのものだった説2024/05/12 14:01:01848.名無しさんO5ioa卑弥呼が紀元238年に魏に使いを送ったのは確定している。一方、神武天皇が即位したのは紀元前660年と言うことになっているw2024/05/12 14:11:55849.名無しさんzdqgW>>848神話はロマンなのだから、真面目に受け取るもんじゃない2024/05/12 15:09:51850.名無しさんPoJ6t大和がヤマトより 邪馬台のほうがヤマトっぽいと思ってた中学の時のおれの直感に世界が追い付いた ( ・`ω・´)o2024/05/12 15:11:46851.名無しさん1Jk54>>850その直感でぜひ本能寺の変の黒幕は誰かを教えてくれ2024/05/12 15:19:49852.名無しさん8spXL中国人が嘘を言うはずはない邪馬台国は必ずあった2024/05/12 15:27:15853.名無しさんRYs6y>>844あのな 石に謎の記号が掘られているだけで資料でもなんでもないのよ あれこそ中国人お得意の捏造なのよ 騙されんなだったら日本の九州には沢山の古墳の謎の記号がありまくりなのよ2024/05/12 16:43:14854.名無しさんRYs6y>>852魏志倭人伝では途中から倭人の伝聞で邪馬台国の場所を案内してる 現地人の誰かが嘘を言っているベトナムに辿り着いた2024/05/12 16:47:23855.名無しさんOZD6X>>853ユネスコ主催の世界の記憶を否定するって学説的にはありえんわhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%972024/05/13 01:17:42856.名無しさんdcRgQ中国は出土物が豊富で甲骨文字から始まり後の時代の文字の変遷も辿れるからな古墳の石室に燭台の画が並んで描かれてるから文字だ!とかやってた所とはちょっとレベルが違い過ぎる2024/05/13 01:39:19857.名無しさんX17fZチェンマイのことだろうけど文字だけ見たらなんかジャマイカって読みたくなるよね2024/05/13 05:00:31858.名無しさんcVkH2九州にも山門郡という地名があるのだが2024/05/13 07:52:44859.名無しさんX17fZ今はスペイン人と黒人奴隷とその混血の国になっちゃったけどジャマイカも原住民はタイノ族とかゆーアラワク系インディアンだったんだってさスペイン人が絶滅させたらしい2024/05/13 08:37:21860.名無しさんEu6Sc>>855占卜(亀卜)は呪術で本当にあったか無かったか不明だぞ 何の繋がりもないのにキレイに騙されるもんだな 日本各地にある神代文字の石碑が圧倒的に正しい 亀の甲羅て((笑2024/05/13 10:25:12861.名無しさんpTgaW>>860無知やなぁ2024/05/13 10:55:38862.名無しさんs8V3h亀の甲で吉凶を占ったのは殷の風習である。史記には紂王の一族の箕子が朝鮮に渡った(紀元前1046年)とあり現在ではこの時期に朝鮮最古の稲作遺跡や殷式の土器が発掘されているのでほぼ裏付けられている。(なお韓国は否定)この集団が日本に渡り弥生人になったと考えられる。(日本最古の稲作遺跡が紀元前906年頃である)ゆえに卑弥呼(紀元170年~248年頃)はこの集団の末裔と考えられる。しかしその場合少なくとも甲骨文字が使われていないとおかしいということになる。殷墟からは亀の甲に書かれた甲骨文字が発掘されているが日本で発掘されたという話は寡聞にして聞かない。2024/05/13 11:41:53863.名無しさんs8V3h阿比留草文字(あひるくさもじ)は、各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている文字である。神代文字の一つともされている。阿比留草文字は、甲骨文字や金文によく似ているため、これらを基にした文字であるという説がある。阿比留草文字wikiしかし漢字が日本に入ってきたのは論語と千字文が入ってきた応神天皇の16年のことで、日本書紀によると406年頃、古事記によると378年頃になるため、伊勢神宮はまだできていない気もする。一応神話によると応神天皇の父が景行天皇景行天皇の父が日本武尊その叔母が初代伊勢斎王と言うことになっているのでつじつまが合わなくはない。あわないのは406年にはまだ梁員外騎侍郎周興嗣(千字文の作者)がまだ生まれてすらいないということだ。とは言え、倭の五王は420~479年に使いを送っているが、当時最先端の漢字を習得したことがその契機になったのかもしれない。2024/05/13 12:11:32864.名無しさんbLVzZ>>862殷の祖先は北方民族だから弥生人が北東アジア人と縄文人のミックスのゲノム構造なのと合致するなその子孫が邪馬台国とすると東アジア人と弥生人のミックスのゲノム構成の古墳人(大和民族・現日本人)とはつながりのないクニということになるな2024/05/13 13:02:07865.名無しさんX17fZ邪馬シャーマン2024/05/13 21:04:41866.名無しさんX17fZジャーマン2024/05/13 21:04:57867.名無しさんX17fZ>「シャーマン」という語は、ツングース語やゴルド語、満州語でその地の典型的な呪術・宗教的職能者をさす用語「サマン」šaman, samanに由来するとされる。>この語は19世紀以降、北アジア・極北地域の呪術・宗教的職能者一般に適用され、その後さらに世界各地の類似職能者を意味する用語として広く使用されるに至った。https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-76255#:~:text=%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%822024/05/13 21:06:29868.sageuJRoiサマンほうさく「おいどんのくには、やまたい!」2024/05/13 21:19:58869.名無しさんOZD6Xシャーマンキングの舞台はひばりが丘や新座市2024/05/13 23:05:32870.名無しさんsNgJw文字の発明が無い民族自体いないだろ他の民族のを使ったから自然と消えたんだろ古代エジプトの象形文字やメソポタミアの楔文字も消えただろ神代文字もそういうもんだ2024/05/13 23:11:24871.名無しさんoS8ou>>864実のところ周は西方の羌族の血が混ざっていて太公望などはもろ羌族である。その後の秦も漢化した羌族とと言え、北魏などはツングース系の鮮卑だった。この時、半島から日本に到達した一族こそが純粋な漢民族と言えるかもしれない。その後半島はツングース系民族(高句麗など)と、日本は縄文人と混血するのだが。この一族が文字を持っていない方が不自然であり、わずか数十年で漢字を使いこなしているのは漢字の元となった甲骨文字などの素養があったからではなかろうか。しかし銅鐸になぜ文字を刻まなかったのか…銅鐸の中は意外に複雑!? 日本最古の文字は「子」!?縄文・弥生の新知識~注目の新書紹介~2024/05/13 23:42:12872.名無しさんe4uKK漢民族はいわゆる中原の中国人じゃないだろ古くは荊と称した楚が漢を興したんだから周時代に爵位もない国だから南蛮人だろ秦は西戎人だ2024/05/13 23:50:58873.名無しさんpzhUh>>872三皇五帝から夏→商(殷)の歴史が漢民族の歴史だろう。史記では秦や呉、楚の王は私は蛮族なので…と言うことをしばしば言っている。劉邦の出身は肺で確かに楚の領土だったが荊州ではなく徐州…また、秦を滅ぼしたものを関中の王にすると言われたがこの関中は函谷関より西の秦の旧領のことだったのだが実際に与えられたのは漢中…つまり益州…四川省で劉邦は蜀の桟道を焼いてここに入り国号を漢としたがここも異民族の地だった。2024/05/14 00:30:41874.名無しさんJkQh2夏、殷、周は姫姓であり王を称した何で始皇帝が称した皇帝号使うのよ中原は中華つまり中国と呼ばれていた周王朝が開かれた時は晋や斉、魯などは公でありそう称していた秦や楚や燕は爵位なんかなかった晋はその中に六候が居たが三つの韓、魏、趙氏が三分割して国が割れた何でその後の漢なんて国の民族になるのか分からんなそもそも最初の統一国家は秦=支那=Chinaだろ文字や度量衡も秦が統一した支那字、支那でいいだろまあ奴らは法治国家が嫌だから支那と呼ばれるのは嫌だろうが2024/05/14 00:44:51875.名無しさんnfFTjジャーマン大国2024/05/14 07:26:28876.名無しさんpzhUh白起は武安君だったし呂不韋は文信侯だったので爵位が無いわけではないのだが諸侯が対立し春秋戦国時代を招いた周の反省に基づいて郡県制を採用した。漢はあっさり滅んだ秦の反省に基づき郡国制に戻した。劉氏以外は王になれなくして劉氏にあらずんば人にあらずと豪語した。後に地方の力が強まり呉楚七国の乱を招いた。一方、後漢の光武帝は奴国を王として認め金印を送っている。2024/05/14 07:53:26877.名無しさんkoroM神農の姜氏黄帝の姫氏舜の姚氏禹の姒氏嚳の妘氏少昊の嬴氏夏を創設したのは禹なので姒氏殷(商)は子氏周は姫氏太公望は姜氏(羌族)姫氏の国は魯(周公旦)燕(召公奭)呉(太伯)晋(唐叔虞)など神農が姜ということは羌族だったのかもしれない。子氏は後に殷氏に改めたというがこの氏族は朝鮮半島に多い。一方で日本の渡来人系の氏に西文氏(かわちのふみ)東漢氏(やまとのあや)秦氏(はた)というのがいるがやまとと言うのは単に東という意味っぽいのは言ってはいかんのか?2024/05/14 11:53:52878.名無しさんKpzUp全国的にはあまり知られてないけど邪馬台国は岡山にあったと主張してる人達がいて本まで出しているんだよ2024/05/14 12:00:16879.名無しさんpxKkq>>877東漢氏(倭漢氏、やまとのあやうじ)西漢氏(河内漢氏、かわちのあやうじ)ヤマトとカワチの位置関係から東西で当て字にしてるだけでしょうこの二つの地名は当時のヤマト王権では重要だし2024/05/14 12:38:43880.名無しさんddEgM>>879Wikipediaみたら渡来してきたあとの本拠地がヤマトとカワチだからヤマトってかいてあるのだが。2024/05/15 10:32:42881.名無しさんhnL5Mいや、待ってぃだよ2024/05/15 12:02:18882.名無しさんtQUnT一方秦氏は京都太秦が根拠地2024/05/15 12:13:25883.sage3ghck周防って何でこういう地名なのかな周王朝と関係あるのかな2024/05/15 23:03:31884.名無しさん8FFgv>>13そこしか手掛かりが無いから学者連中は藁に縋っているんだよシナ中国史が凡そ嘘だと知っていてもね2024/05/16 07:05:07885.名無しさん8FFgv>>59中華思想ってやつだなその所為で何度も国が滅んでいるシナ中国だが…2024/05/16 07:09:39886.名無しさんlj4VFこの話題て多分どこまで行っても結論出ないじゃん学者の人らてだから楽しいんだろうな2024/05/16 07:11:50887.名無しさん8FFgv>>78中華(笑)は関係無い漢人と漢民族は違う中国共産党の幼稚で愚かな面の一つであるわけだが当時のシナは違う国々で、人も文化も違ったりしていた呉も楚も中華の外の異文化の野蛮な国だとされていた2024/05/16 07:13:56888.名無しさん8FFgv>>89漢人と漢民族は違うぞガイジ中国共産党の幼稚な騙しに乗るなよ六四天安門2024/05/16 07:15:19889.名無しさん0OHYk玉山 台湾だよ山台2024/05/16 08:57:09890.名無しさんs5tOj学問じゃなくてエンタメだからなこの国の考古学はワケわからんカルト一族に配慮しないで掘るところ掘れよ2024/05/16 08:59:29891.名無しさんcrEUXむしろ、シナチョン配慮で埋めますもしくは拡張工事ですべて破壊し尽くします2024/05/16 09:57:19892.名無しさんNXLDo>>883古い地名は上代日本語と関係があるすはう、すはという上代日本語に漢字をあてたもの元は熊毛郡周防郷と言うのがあり、ここが盆地だったのですぼむ→すぼ→すはなった説あり。周防国 〜 盆地を「すぼむ」と形容。それが変化したことが地名由来。https://fuuraiki.com/suoonokuni/なお熊毛には田布施があり、朝鮮出兵の際に朝鮮人が移り住んだ土地であり、朝鮮通信使が江戸に向かう際に必ず立ち寄る町であったという。このあたり出身なのが木戸孝允とか伊藤博文とか岸信介とか。田布施は鹿児島にもあり、小泉純一郎の父親、小泉純也の出身である。また大久保利通(麻生の先祖)は鹿児島の高麗町生まれで、明治維新は朝鮮系による日本の乗っ取りであると見る向きがある。2024/05/16 10:20:49893.名無しさんcrEUX渡来系は四国の方が圧倒的だけどな薩長は大嫌いだが2024/05/16 10:30:38894.名無しさんzg1Qc>>890吉野ケ里とか見たけど、あまりにも寂しく哀れな遺構だから邪馬台国は九州と違うだろって思ったエンタメとか全く無い木枯らしが吹いているだけ エンタメなら河内・大阪あたりでゴッドハンドやって下さい2024/05/16 12:14:13895.名無しさんzg1Qc>>892木戸孝允 出生地長門国萩城下呉服町(現:山口県萩市呉服町)2024/05/16 12:18:26896.名無しさんNXLDo>>895木戸幸一だった彼は昭和天皇側近で東條を首相に推薦したと言い、伊藤博文の一族とのこと明治天皇すり替え説https://www.asahi-net.or.jp/~wy4h-isym/meijiennou.pdf2024/05/16 17:51:30897.名無しさんHUXeA乗っ取って人口減で世界最速消滅じゃ意味ねぇじゃん金融からインフラの外資比率もな担保になるものもう何も無いぐらい2024/05/17 07:40:36898.名無しさんaqFpV小学生の時に気付いてた2024/05/17 19:05:44899.名無しさんUlGexヤマト国って時点で奈良確定やん北九州にヤマトの地名はないやろ2024/05/18 04:40:19900.名無しさんSPXO9>>899福岡県は山門郡って漢字の違う広い地域なのよね大体がダイワって書いてヤマトってのが嘘くさいだろ 本物はドッチ2024/05/18 05:10:02901.名無しさん2298Z畿内は新しさしか感じないんだよなぁ九州どころか四国と比べても新興埋立地のニュータウンって感じで関西に対しての江戸みたいな歴史は繰り返しているんじゃね?結局は天皇の移動だろ2024/05/18 10:27:33902.名無しさんtI9QK読みが似てる以外には、邪馬台国→大和朝廷とする根拠はなくね??邪馬台国以外にも当時の日本にはいくつも国があったんだろ?2024/05/18 14:21:11903.名無しさんtI9QK小田原北条氏が鎌倉幕府執権北条家にあやかって北条を名乗ったみたいに大和王権が邪馬台国にあやかってヤマトを名乗った可能性もあるよね2024/05/18 14:26:27904.名無しさんoPMMiそうなると日本書紀の天皇の歴史は途中までは邪馬台国の歴史だったことになるな2024/05/18 14:36:10905.名無しさんtI9QKいやw日本書紀を真に受けたら邪馬台国以前から大和王権があった事になるw2024/05/18 14:59:00906.名無しさんDrlrh>>899奈良がヤマトになったのは757年ごろからやで2024/05/18 18:00:15907.名無しさんDrlrh757年ごろ 大倭→大和この時点で読み方はタイワあるいはダイワ字を見れば明らかヤマトと呼ぶことにしたのは遣隋使で交流するときにかつての邪馬台国を引き継ぐ国として知名度を利用したとしか考えられない2024/05/18 18:04:40908.名無しさんUPT0L読み?漢字で考えること自体がアホじゃないか?古語なんて2024/05/18 20:01:36909.名無しさんoPMMiそうすると卑弥呼が死んだ248年の頃は日本書紀では神功皇后の時代だけどその頃の天皇の歴史はみんな実は邪馬台国の大王の歴史なのか応神天皇の頃から大和政権の歴史か?2024/05/18 21:41:24910.名無しさんE4yRO九州倭国は白村江の戦で大体滅んでたのをつぶした奈良のヤマト2024/05/19 11:34:34911.名無しさんE4yRO大阪は九州倭国系でそれも潰したのが奈良のヤマトなので古墳の埋葬者は不明明治以降こじつけてきめたらしい2024/05/19 11:48:56912.sagebdLBq漢人って何だよ南人・色目人かよ2024/05/19 12:11:21913.sagebdLBq>>892簡単に上代日本語とか言うなよ2024/05/19 12:12:36914.名無しさん6arQL渡来系は四国から近畿に流れ込んでいるのが分かってるからなぁ新興で天皇と収蔵品だけ移したんだろ歴史的に毎度やってること元の場所なんてどうでもいいのよ移った場所が同じ名前付けてそうなるんだから2024/05/19 17:32:58915.名無しさん6arQLそもそも国や首都を意味してないのよ「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説。 アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説。2024/05/19 17:38:22916.名無しさん6arQL大陸に対して自分たちの国はユートピアと言ってるようなもん決まった国名が無かったんだろ毎度の勘違い、行き違い2024/05/19 17:41:22917.名無しさんg0Gkeどこにでもあってどこにもない2024/05/19 18:35:02918.名無しさん9PVOj>>906つまりどういう事なん2024/05/20 08:22:16919.名無しさんKjex3>>918それよりも前からヤマト国と呼ばれてた地域が畿内大和とは別の場所にあるという事で、九州には山門という地名がある2024/05/20 08:25:20920.名無しさん9PVOj倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東大倭(ヤマト)邪馬台国(ヤマト国) 2-3世紀大和(ヤマト) 8世紀、奈良県日本(ニッポン、ヒノモト) 701年、大宝律令もうこれ、奈良やろな2024/05/20 08:44:48921.名無しさんKjex3>>920>倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東>大倭(ヤマト)これ間違ってないか?ソースなに?2024/05/20 08:50:06922.名無しさん9PVOj>>921うはっ、ソースはwikiに決まっとる国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)[注釈 2]。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD2024/05/20 08:55:23923.名無しさんKjex3>>922それ、8世紀9世紀の話しだよ1-2世紀ではない2024/05/20 08:58:21924.名無しさんqP3sb>>922文字が伝わったのが早くて4世紀末から倭なんて表記は存在しないのが邪馬台国の時代2024/05/20 09:07:35925.名無しさんbCI0Hヤマトは都市を表す言葉じゃねぇよ、ボケ2024/05/20 09:36:02926.名無しさん9PVOj>>923そう言うことか朧げながらも国家誕生までの年表を見たいが、誰か綺麗にまとめて欲しいの1世紀末から2世紀初頭にかけて、倭国をある程度代表する有力な政治勢力が生まれたとする見解があるものの、日本列島各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。いずれにせよ、これ以降、7世紀最末期までの間、倭・倭人を代表する/統合する政治勢力は、対外的に「倭国」を称し続けた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BDなお、神武天皇 紀元前660年即位2024/05/20 09:49:08927.名無しさんKjex3>>926邪馬台国と神武天皇の畿内大和政権が同一国家だったという無意識な思い込みをやめたら歴史はもっと面白くなるよ2024/05/20 09:52:57928.名無しさん9PVOj>>927レスが断片的で否定だけやから、素人に理解できないボクが考える日本国の創世記を書いて欲しいんだけどな2024/05/20 09:57:00929.名無しさんbCI0Hオマエのノートに勝手に書いてろよ2024/05/20 10:02:49930.名無しさんKjex3>>928九州に邪馬台国を含む当時の倭国が存在していてそれらの国々が共同で一人の女王を擁立したそれが卑弥呼「邪馬台国」とは、卑弥呼が所属している国の名前に過ぎず倭人の国の総称ではない卑弥呼の時代以降に邪馬台国とは別の国の権力者が倭国をまとめ上げ勢力を拡大し、畿内大和に首都を置いたこれが神武東遷魏志倭人伝で卑弥呼や邪馬台国の記述があるので中国との貿易や朝貢に邪馬台国という名前を利用したこれが「やまと」という名前を頻繁に使い始めるきっかけとなった2024/05/20 10:06:23931.名無しさんbCI0H噴火と寒冷化が人類史を作る照らし合わせれば、ごくごく当たり前のことそれで滅亡危機と流入、食糧事情や文化の激変いつも同じところで、と考えること自体がアホ戦争だってその結果2024/05/20 10:09:10932.名無しさん9PVOj>>930邪馬台国は九州にあった神武東征は7-8世紀の出来事やと面白かったです。ありがとうございます2024/05/20 10:57:35933.名無しさん9PVOj畿内説の人たちの歴史観も見てみたいですが、少数派なんやろうか?2024/05/20 10:58:43934.名無しさんbCI0Hハプロと噴火と寒冷化コレを追えば十分2024/05/20 11:09:28935.名無しさんbCI0H但し、誤魔化しも多くピースもまだまだ足りない今はまだどうせ完成しない他分野の学術研究とかを積極的に取り入れるぐらいじゃないと日本の考古学は既得権益のクソとくに奈良の連中のコメントには反吐が出た金蔓としか見ていない2024/05/20 11:14:08936.名無しさん7GjBL魏志倭人伝に倭人は入れ墨をしているとある入れ墨は縄文人の風習である卑弥呼は縄文人の女王であった縄文人連合国は神武の東征で滅ぼされた女王の国と言うと高志の国も女王国だった。高志の女王は出雲と婚姻同盟を結ぶが大和朝廷に抗しがたく敗北。子孫は諏訪大社の宮司になったという。2024/05/20 11:40:55937.名無しさん7GjBLしかし意外にも九州には渡来人系が少なく畿内、四国、そして高志のあたりに渡来人が多い出雲はどちらとも言えない渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ日経サイエンスhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/2024/05/20 11:46:59938.名無しさんbCI0H天照と素戔嗚を卑弥呼と帥升と考えたらワリと足跡は納得がいったケドねとくに素戔嗚、帥升中国地方、出雲、そして、四国もしかしたら、イザナミも渡来系なのかもなそして、近畿へ天照の女神化も権威の変化なんだろハプロも三竦みだし月読は縄文で隠れてしまうがなDとO1とO2純粋では無く、渾然だがね2024/05/20 12:42:43939.名無しさんbCI0H国津神とかも多分、もの凄い勘違いがあると思ってるあと、逆転現象とかもある鉄器や青銅器とかの勘違いも四国が古い国人ではなく、一番渡来系だったことで全く考えが変わったんだよねかなり前になるけど2024/05/20 12:48:30940.名無しさんbCI0Hちなみに大陸マレー系プラスモンゴルの半島の影響なんか大してないと思ってるよ半島なんて日本への影響はムチャクチャ新しいとしか思えないからね少なくとも古朝鮮とは完全に別物遼河周辺で女真同士で争ってそれどころじゃないと思うからねその斥候やはじき出された爪弾きが今の半島人だからハプロも半島は華南と同じ集団、広く見ても華南、華北、満洲と同じ集団にしか見えないからね日本、沖縄、アイヌは同じ集団だが、半島はそれとは全くの別物2024/05/20 12:57:03941.名無しさんbCI0H但し、刀伊やムクリコクリとか古代から日本に悪逆非道の限りを尽くした最低最悪の外道は今の半島の先祖2024/05/20 13:02:47942.名無しさんxvdDJ>>933多数派でしょ 日本で魏に使者を送って金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ魏志倭人伝で南を東に変えたら距離的に奈良になるし そもそも九州に大きな国があったとか伝わってない魏と高句麗が戦っていた時、倭国の代表として高句麗と戦える国はヤマトしか考えられんし朝鮮が暴れるから魏も日本と仕方なく付き合ってくれただけだから まぁ古代から法則がはたらいてたな2024/05/20 15:12:14943.名無しさんKjex3>>942>金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょそこらへんからしてすでに間違ってるもんな2024/05/20 15:44:14944.名無しさんbCI0H渡来系の影響が強いのに文字伝達に齟齬なんか出ると思うか?畿内になってから一気に頻繁な交流してんのに系統が全く違うんだよそれと規模は無意味だぞ大陸は内部事情で日本を大きく見せたかった、って当時の状況があるから2024/05/20 15:54:00945.名無しさんbCI0H旧唐書などから少なくとも二系統はあると考えるのが自然統一、安定なんてずっと後2024/05/20 15:57:02946.名無しさんbCI0H明らかに記紀や東夷伝、倭人伝なんかを見たって長期間かけた主導権や立場の逆転があるのさだから、天照大神を女神化させる必要があったしそして、天皇家が素戔嗚を祖神とハッキリ言わないのも大陸に疑われたのもそこらへんそのクセ、ヤマトタケルなどその後も素戔嗚との相似性を匂わせているどう考えたって渡来系の影響が強くて急速に大陸と結び付いていくクセに2024/05/20 16:24:10947.名無しさんbCI0H紀元前11世紀から紀元前4世紀前までは明らかに北部九州紀元前4世紀以降は近畿2024/05/20 16:31:30948.名無しさんtBhZm>>8そもそも論になるが「『魏志』倭人伝」自体が間違っている可能性も高い。この場合の「間違っている」は、「写本のミス」を含む『魏志』倭人伝が作られた当時の筆記具は、保存に適してないため、1000年持たなかった。そのため『魏志』倭人伝は数回の写本が行われており、現在残っているのは11世紀頃の最新版。その間にまったく書き間違いがないと考えるほうが不自然だろ。2024/05/20 16:50:16949.名無しさんbCI0H西日本しか無い日本の古代史で北部九州の勢力と四国を中心とした勢力その結果としての一番争いから離れた近畿の新都構想だったとしか思えない2024/05/20 16:53:37950.名無しさんbCI0Hそもそも数世紀単位の時系列無視した寄せ集めだし勢力や系統もムチャクチャソレを一つにしようとするから2024/05/20 16:56:14951.名無しさん9PVOj>>936倭人は全身に刺青と鯨面までやっとったって見てヤマト王権以降の日本文化とは違うなと思った基本的に罪人に対して行う行為で、戦国時代の武将がやってたなんて、聞いたことありません沖縄やアイヌには刺青文化が残っとるから余計に縄文弥生人と、ヤマト人?は民族や風習も違うんやろなと想像できます>>937現代人ゲノムの色分け見ると北九州が青いのが意外ですね距離的に大陸との玄関口だった筈なのにね渡来人はそこに定住はしなかったのか争いに敗れて畿内に逃げたのか、ハテそれに北海道の50人にアイヌが何人含まれとるのか気になる結果ですねこれらから邪馬台国がそれまでの縄文系民族であると考えれば、辻褄が合う訳ですね面白いです2024/05/20 17:37:18952.名無しさん7GjBL>>951ここがわかりやすいhttps://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm夏后の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威圧する為であったが、後には次第に飾りとなった。諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。その(邪馬壱国までの)道の里程を計算すると、まさに(中国の)会稽から東治の東にあるはずだ。(東治は東冶の誤字と考える。)全身入れ墨とは書いてない。ただ地域差はあるが子供も全員が入れているという。会稽の東と言うと鹿児島あたりということになってしまう。また、そして鹿児島はまさに熊襲の地である。真珠や青玉を産出するとあるが青玉は翡翠を連想する。2024/05/20 18:53:11953.名無しさんIpyne渡来人もなにも現日本人のゲノムは70%が東アジア系で30%が弥生系だからみんな渡来してきた民族だろアイヌの村みたいに弥生の村は残らず古墳人の王朝のクニしか残らなかったからスペインのインカ帝国征服みたいなもんだ2024/05/21 02:27:16954.名無しさんH0tmzだからこそ、D1bを30%以上持つかどうかが他集団の違いだろ一緒くたにするなよ、ザパニーズ2024/05/21 11:16:01955.名無しさん2lVS2>953ハプログループの染色体はDNAの乗り物の役目なので遺伝されてる場合混血した跡が分かるのだが、全ゲノム解析の結果わかる集団的形質とは関係がないむしろ現日本人(古墳人)も弥生人(縄文人と東北アジア人との混雑)との混雑の結果、縄文人のゲノムが15%あるので古代からの形質は受け継がれてる2024/05/21 12:54:20956.名無しさんzvWtAどうせ、ソイツは朝鮮、華南、華北、満洲の集団2024/05/21 12:58:57957.名無しさんUlGUH日本は元々南方系だよ古語にタミル語の影響が強いアイヌや朝鮮やシナが語源ではないんだよ日本語よりも琉球語の方が古いから島間の方言が鹿児島と青森よりも違いがあるくらいだ前氷河期明けに渡って来た縄文系が琉球を経由して来たのは間違いないその前の間氷期の5万年前の原住民も居た同じ縄文人とするのが間違いだハプロCとハプロDの大きな違いがある2024/05/22 11:00:59958.名無しさんpBLBT新十津川村こそ邪馬台国。2024/05/22 11:50:36959.名無しさんFK4V6日本人は南方系にしか見えない半島は華奢なモンゴル人って感じで北方系にしか見えない2024/05/22 14:13:43960.名無しさんhl6azヤマトだと色々不都合だから気付いててもスルーされてただけだろ捏造だらけの古代日本の歴史がバレてしまう2024/05/22 14:16:41961.名無しさんFK4V6卑弥呼の墓も拡張工事で木っ端微塵にしたんじゃなかったっけ?もう絶対にミステリーは解けないよ2024/05/22 14:18:41
"クマの箱ワナ"を見に行った男性ハンターが死亡 死因を調べたところ…急斜面から滑り落ち、持っていたライフル銃が暴発、銃弾が頭を直撃していたことが判明 北海道厚沢部町ニュース速報+143895.62024/11/02 17:25:48
いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。
当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づけを援用しなければならない。
ところが、その文献史料での議論が詰んでいる。3世紀に成立した根本史料の『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない。
続きはこちらです
https://news.yahoo.co.jp/articles/26d2681b19db630bb66988173d1701a9a5981bdb
福岡県山門郡というのがありまして
専門家ほどひねくれて考えがちだから。
技師倭人伝だけは100%信用するのなんでなん?
ホテル邪馬台国があるだろ
そこへは山々を越えて辿り着く
朝鮮人よりは当てになる
当時は中国人なんていなかったわけだし
倭国の代表を表す大倭として発足し
和へ表記を変えたのは奈良時代中期ごろ
つまりそれまでの読み方はタイワ
ヤマト!
本来は九州の山門地域が起こりだと思うが。
現代でも大和を「やまと」と読めるのは知ってるからだよな。
どこをどう読んだら大をヤマ、和をトってよめるのだろうか。
大和をヤマトと無理やり読み替えた
俺が邪馬台国の使者なら、正確な都の位置は敵国になるかもしれない奴等には教えない。
魏国は呉と倭国が同盟を組んで挟撃されるのを警戒してたから、倭国と親交したけど
逆にいえば、魏に余裕ができたら倭国に攻め入って来る可能性は高いだろ
ぜってーに、ほいほいと教えるわけがない
百済をクダラと読むのも、日本が記録して残った音だったよな?
キトラ古墳のさらに奥深くで
永遠の眠りについてるよ。
明日香と書いて飛鳥と読む。
飛鳥文化の中心地。
馬は一時期衰退したんだよ
馬を使ってたのは西より東。
応仁の乱くらいで騎兵は一回消えて鎌倉とかの時は歩兵中心。
武田軍とか騎兵隊使ってたけど、日本は騎兵は一時期衰退してた。
倭 だけでもヤマトぅって読むよ!ってことね
東南に陸行すること五百里にして伊都国に到る。
郡使往来し常に駐する所なり。
壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等の二十人を遣はし、政等の還るを送る。
因って、臺に詣り、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ。
帯方郡の使者張政が伊都国にきて(水行20+10 陸行一月)×2往復
このくらいの期間待って張政は帯方郡にもどり
倭の使者はそのまま洛陽に出向いて返礼の貢物を届けている
日数を間違える可能性は低い
方角を南と間違えて伝えたのは帯方郡太守の戦略ではないか
海を渡って倭人に建業を攻めさせる
九州の権力者はどんどん減って
2世紀末伊都国平原1号墳の女王
七が瀬の大王の遺構を最後に九州北部から王が消える
再び現れるのは3世紀半ばの那珂八幡
3世紀初め九州では王不在の期間がある
大和政権の神武天皇のことをさしたいのか?
確かに神武天皇だか天照だかを
卑弥呼とかいってる話は見かけるけど
大和政権って渡来人でしょ明らかに。
熊襲とかを古事記だか日本書紀で討伐する話とかあるわけだし。
3世紀初頭 九州は王不在
↓
3隻半ば 畿内発祥の前方後円墳が九州で出現
この流れね
多分こういう学者が九州説が捨てられないように必死に工作していつまでも研究が進まないんだろうな。
いまさら、、
魏が聞き間違えた邪馬台国なんてわかりきった事を。
だいたい邪馬台国ってどういう語源なんww
弥生時代に書かれた魏志倭人伝
対馬や壱岐でも当時は寒冷だったと書かれている
だが邪馬台国は酒を飲み絹をまとい老人も生活できる豊かさだとある
鉄器のクワとか使用して稲作もあると
憶測なんかより魏志倭人伝にある壱岐より温暖で穀物がよく取れる穀倉地帯で
鉄器と絹の生産が見られた地域を探ればいいだけの話し
弥生時代の絹は九州と福岡で多くみられる
他は無い、弥生時代初期の鉄器も九州で多く他は無い
温暖というと壱岐より温暖だと熊本、鹿児島、宮崎あたりか
それらで穀倉地帯まで含めると佐賀と福岡も入れてもいいか
まぁ奈良とか何も弥生時代初期のものが出ないところはお話にならない
寒いし穀倉地帯でもないし
記録するために文字が当てはめられたから
アイデアやこじつけが出てきて
色んな説が生まれてしまうのね
アマテラスなら岩戸伝説自体、渡来して来た知識層が土着の未開日本人に必死に歓待されて文化を分け与えて、その結果敬われる、って話に思えるよな
アップデートできてないおじさんが騒いでる
吉野ヶ里は環濠集落防衛ラインの中核てだけで邪馬台国ではない
熊本鹿児島の狗奴国との戦いで前線になりうる場所に女王がいるわけないだろ
女王はもっとも安全な場所にいる
天岩戸神社とか言い出すの?
宮崎にあるけど大和政権は大和政権で切り離そうよーー
明らかに大和政権の前と後で文化違うでしょ。
蘇我氏とか明らかに朝鮮文化圏だし。
言い出したのあんたでしょw
分裂症かよw
42 名無しさん[] 2024/05/02(木) 23:24:11.89 ID:oBgQQ
これはもしかして
大和政権の神武天皇のことをさしたいのか?
確かに神武天皇だか天照だかを
卑弥呼とかいってる話は見かけるけど
大和政権って渡来人でしょ明らかに。
熊襲とかを古事記だか日本書紀で討伐する話とかあるわけだし。
https://www.yoshinogari.jp/.assets/yoshinogari_site_peripheralmap.jpg
藤原京より前の天皇は庶民とは住まない
豪族貴族
纒向が小さい?当たり前
天皇が住む場所は平城平安の規模がある?
後世はそうなるがこの時代はそうなってない
天皇の住まいは小規模
大和大国→邪馬台国
日巫女→卑弥呼
まぁ日巫女は天照大神だわな
卑弥呼は政権違うでしょ。
古墳時代と弥生時代の政、とくに神事ごと。
巨石信仰とかのアメニズムとかも古墳飛鳥くらいには薄くなるわけだし。
卑弥呼は大和政権とは違う王族になると思うけどね。
熊襲とか、隼人とか。もしくは他の場所の九州に限らず。
馬台国がヤマトにするのは滅茶苦茶すぎる。
ハートマーク♥の恋木神社てのあるなw
あんたが天照ネタを振ったから返しただけだろ、
>>57が正解だな、無理やりスレと関係ない、自分が書きたい事に誘導するやつはあぼーんするわ
タイトルの付け方をわざとセンセーショナルにしたいがために、言葉をチョイスしたような印象がある
だから、あえて悪意ある言い方をすると「焼き直し」じゃねーかって思ってしまう
多分「埋もれていた説を再評価」とか「再発見」みたいな表現のほうが適切だろ
大和朝廷には繋がらないと思う
魏志倭人伝も後世の記述な訳だから、割と正確なスタート(帯方郡)→半島西岸沿いに伽耶(任那)→島嶼地区→九州上陸(〜太宰府)ルートは記述当時の時期には地図に落とし込まれてて正確に書けるよな。
あとは地図もないし適当に書いたんだろうけど、上陸→陸行→短期水行→陸行→長期水行→再上陸→邪馬台国があってるとしたら九州は離れてるもんな、まあ西都原くらいなら有り得るのか?
でも北九州あたりから水行10日陸行一月なら瀬戸内海で大阪あたりか黒潮に乗って紀伊半島に上陸して畿内、って流れのが有りそうだよな。
https://www.jiban.co.jp/images/tips/kihon/ground/prefecture/osaka_tikei.gif
主要海運路でもあり山の門みたいに見えたんじゃないか
旧法隆寺とその近くにあった厩戸王の住まいは
大和川の近くで隋の使者裴世清をもてなした
3世紀初頭九州は王の墓にふさわしい副葬品がある遺跡未発見
そして3世紀半ば福岡市内で前方後円墳の出現
当然のことだが
王にふさわしい遺構が見つかれば自分は意見を変えるぞ
ただ今のところ見つかってない
邪馬台=大和朝廷
百余歩の墳墓=箸墓古墳
何度も言わせるなよ恥ずかしい
日本人なら死ぬまで覚えておけな
↓
現日本人=古墳人=中華からの入植民
大事なのは現在・未来だ
古代日本で国と認められたのは光武帝から金印貰っとる博多の奴国しか実在してない
奴国が邪馬台国に拡大した可能性は高い
親魏和王の金印もこの地域から出土されるだろう
これは九州弁だな
中華というよりはチベットとか満州族
中華は漢民族が世界の中心は我々だっていう主張の表現
やはり九州
いや、集団的パレオゲノミクス解析の結果は
弥生人は北東アジア人のゲノム60%だが古墳人は東アジア人(つまり漢族系の祖先)のゲノム70%で現日本人と一致した
https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414
弥生人と古墳人は日本に入植した時代が違う
https://www.tokyo-np.co.jp/article/136006
沖縄、関西、東北の3系統に分かれるって話でしょ?
漢民族っていうのは少し疑問が残るけどなぁ
一歩引いて朝鮮ならミトコンドリアでわかるんだが
ttps://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf
田んぼを埋めたから埋田
それでは字面がよろしくないので梅田にしてみましたみたいな
JR桜井線 巻向駅か・・今度のんびり遺跡めぐりに浸りたいもんだ
ダジャレじゃんね
邪馬台国の痕跡がないのは滅ぼされた後に洪水ですべてが土石流で埋まってしまったからで墓も荒らされてしまったから特定できない
そもそも文字を残す媒体がなかった
彼らの神話は基本的に口伝で残すというような掟があった
仮説はいくらでもあるよ
また魏志倭人伝でも邪馬台国への行程の記載で
現在の福岡北部までのルートはほど議論の余地なく確定で、意見が分かれる「水行十日、陸行一月」の解釈だが無理やり九州方面だと仮定すると時間と距離でかかり過ぎてて南洋上に飛び出してしまう。
物証や記録からみて合理的なのは昔から畿内説で、九州説は大陸の玄関として使われてた頃の形跡に縋ってる諸説の一つだろ?
大和が渡来と仮定して、対馬とか離島は可能性ある。
日本書紀にも古事記にも九州遠征は記載されていて王朝潰しに行く話は残ってる。
卑弥呼が大和政権に絡んでいたら、神武天皇とか書かれているあそこに記載されていないとおかしい。
大和政権とは別で、どこかの王族または天皇だったが一番すんなりな気もするけどな
古墳があるという考え方も、もともと古墳はない文化ってこともありえると思うのだが。
まず何で倭をヤマトと呼んでるのか。
ついでに父親の孝霊天皇が128歳で崩御してるけど
128歳ってどうなのか。古墳は奈良にあるけど。
奈良有力説も、難しいんだよな。
卑弥呼の時代はちょうど弥生の終わりの文化入れ替えの時だから
さらにややこしいんだと思う。
下手したら日本を調べるより中国の歴史書をいくつか調べて審議した方が早いかもしれない。
交流は何かしらあったのかもしれないけど、墓ほんとに見つかるのかな。
「水行十日」の解釈だけでも
行先が変わってくる
「水行」は今の基準なら海を進んだと考えがちだが
当時の感覚だと河を指した可能性が高い
あるいは瀬戸内海を大きな河と捉えた可能性もある
倭国が邪馬台国かはまた別の話だな
日本史的には文明ありましたアピールできるからいいのでは
ただムー大陸アトランティス大陸見つけますみたいなことを言ってるとは思うけど
福岡で倭国の金印見つかったわけだし
大和とは別だろうな
朝鮮半島に決まっているにだ
みたいな意味だったようだし
マレビト(稀人・客人)信仰があったなら
異邦人に対してそういう態度をするクニ(集落)もあっただろう
頭下げたら負けだという感覚の民族からすれば
あいつらチーズ牛丼とか食ってそう
みたいなノリで「倭人」と名付けたとしても不思議ではない
それを日本の歴史上、長く安定していた大和朝廷に当てはめることがおかしいんだよ
邪馬台国なんてすぐ滅んで卑弥呼も後の歴史に特に影響与えてない
与えてたら女王政権が続いてるわ
なんでわざわざ奈良なんかに引きこもった人たちが九州を支配下において大和と名乗ったのだろう
外圧や災害などきっかけとなった大事件があったのだろうか
東南アジアまで行ってんちゃう?
九州で抗争が起きて奈良に逃げてきた奴らがいるのかもね
邪馬台国も関西じゃない?
今みたいに交通手段も勿論無いような時代
そんなに大変な手間やコストをかけてお引越しするとは考えにくいよ
岩手県「なんの、わが県には八幡平(ハチマンタイ)があるったい」
平安京も東京だな
舟は縄文時代から使われてるし馬は日本列島にいなかったので当時の移動は舟が基本
瀬戸内海があるので関西と九州間は頻繁に移動していた
>それを日本の歴史上、長く安定していた大和朝廷に当てはめることがおかしいんだよ
そもそも大和朝廷を最初から強い中央集権的な国家と考えるのがおかしい
強固な中央集権郡県制を敷いたのは下手すりゃ(?)明治から
それを封建制すらすっ飛ばして中央集権国家を
2・3世紀の日本に当てはめようとするのがおかしいだろうと
朝廷が中央集権を目指しても利権を奪われる地方の勢力はそれに抵抗したり
武家の世になってからは権力者がその気になれば
すぐにでも滅ぼせるぐらいに脆弱な存在で
なのに滅ぼされなかった所に日本の特異性があるのは
よく言われる所
魏志倭人伝を記した人物が邪馬台国まで行ったかも怪しからな。卑弥呼が女王さま的な存在なら会わないハズがないが、会ったとは記されてはいない
いわゆる空出張的に記しただけなんだろう。私はこんなに苦労をしました。凄いでしょうって言いたかっただけ
畿内に有ったなら、途中の出雲や吉備の記述が無いのが不自然。報告書の体を成していないからな
九州と中国地方
四国と近畿の
あとから来て俺らの手下になれって各部族の長のもとを巡回して従わなかったやつを追い出したんだろ
ザパニーズの戯言は要らね
>畿内に有ったなら、途中の出雲や吉備の記述が無いのが不自然。
>報告書の体を成していないからな
そもそも魏使の報告書なるものに邪馬台国までの
行程が記されていたという根拠がない
現代風に言えばだ
ある会社が新規にある会社と取引を開始して
その取引開始の挨拶にいった人間が上げる
報告書にその会社に行くまでの行程を書くか?
当然相手会社の位置とか財務状況は
事前に審査してその上での取引開始
そもそも魏志倭人伝が「単一資料」で書かれているということに根拠がなく
むしろ距離が里数や日数混合で書かれたり
不彌國を過ぎて情報密度が落ちるのは「複数資料」によるものと考えたほうが合理的
数世代違う
魏志倭人伝
ところどころしか見ることが出来ない
世代も勢力もグチャグチャなんだから
全部合ってるとも言えないし、全部間違っているとも言えない
>全部合ってるとも言えないし、全部間違っているとも言えない
それは日本の記紀にも言えることで
だからこそ厄介なんだな
100%嘘しか言わない人間は
逆に100%信用できるというw
虚実混ざってるのがたちが悪い
なぜそんなに気になって気になって仕方ないのか
ティーさんに由来する御名前
ヒミコは日か火を観るみこでー
酋長時代のミコは巫女で、大王時代のミコは皇子
九州、中国地方はDとO1の交雑種でコレをアマテラス系
出雲から四国に移動したDとO2の交雑種をスサノオ系だと思っている
しかも、アマテラスもスサノオも系統か役職のようなものでどこかの時代の人間がヒミコ、帥升だと思っている
男女が曖昧なのも融合と主導権が入れ替わったのだろう
それは結果、近畿や畿内でな
それをムリヤリ1系統にしたんだろう
定説が定まってないって事は
偉い歴史学者もその辺の一般人もこの説では
対等にやりあえる部分だからな。そんな分野は中々無い
だからロマンがあるんじゃないかな
まずは
女王が治めていた幻の古代国家
・・・という日本史の中のエキセントリックさ
次に
倭人伝の行程記事を読み解けばその位置を解明できる
・・・という推理物としての面白さ
太陽の巫女ことティーヨーさんは大王の戦利品として嫁になり伊勢にお引っ越ししてたまにくる勝者の接待女に成り下がったと
太平洋はティーさんが平定した海洋とゆーことでティーさんは海の民と予想
後世になっても山陰地帯の武家は海戦得意だしー
歴史なんてずっと似たようなこと繰り返してると思ってる
その上で天皇家と武家もルーツが違うんだろうね
で、倭国大乱頃の倭には五王がいたらしいからー
地誌も含めたものだからね。一応、史書なんだろう。それを省くとは通常では考えられない
これだけ大変な思いを功績は大きいですよね。って事だろう
まず先鞭をつけたのが宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」で
日本版シュリーマンの印象を大衆に植え付けた
(尚シュリーマンの実像は巷間思われてるようなものじゃないがw)
で学者相手にも筆や弁で引けを取らない松本清張が出てきて
安本(東遷説)や古田(九州王朝説)が出てきて
百家争鳴というかグダグダになってしまったのが
邪馬台国論争(現代
日本の歴史なんて
古代も戦国時代からの幕府、将軍、天皇でムリヤリまとめたと似た状況なんだろ?
今の中国だけでも56民族いるし東南アジアや北方に移住したやつもいるだろうし
この中から列島に移住してきたやつがひとつのわけない
それ+縄文以前からいたやつを足すと
なのに風土記とか書物に記載されていないということは、卑弥呼は三国志のファンタジーなんじゃないかと思うけどな。
魏志倭人伝がどれくらい信用できる書物かだよなと思う。
天皇だって今は江戸城跡に居るんだから
だから戦争負けた人間も死ななければ遠くに行く
大和朝廷と邪馬台国は無関係
で、そん時の倭国大乱の勝者、主導権取った古代将軍が畿内に幕府みたいなものを置いて天皇を御輿に担いで取り寄せた
いつものことじゃねぇか
中東のすみっこくんだりから極東まで残党が流れて来るのに
なんで日本にいた民族だけは近郊にしか移動しないと思ってるんだ
そりゃもう安全な空き地を求めて移動しまくるに決まっている
日本の系統は3タイプあって
琉球、関西、東北。この東北はモンゴルとかのシベリア系。
古墳は確か北海道の江別、恵庭、札幌とかにもあるらしいけど
群衆墳は東北までらしいよ
京都御所じゃなくて薩長で持っていって置けよ
経費を懐ナイナイした
アマテラス、スサノオ、ツクヨミ
それぞれ
DとO1交雑の長江系の影響
DとO2交雑の黄河系の影響
Dの縄文系の影響だよ
アマテラスとツクヨミは早い段階で融合しているが
そもそも九州と十把一絡げにしても
福岡平野と宮崎平野じゃあ異次元に話が違う
(この意味が分からないやつはこの話題から退場願いたい)
要するに「九州説」は
「九州だったらどこでも良い」
「少なくともアカデミズムの推す畿内説は許さない」
というルサンチマン
畿内説が荒唐無稽で話にならないと言うなら
あとは九州説同士で確度を高め合えばよいが
現実そんなことはできない
距離や方角その他、解釈の自由度を広げまくって
収集がつかなくなったのが九州説
て てい で でい
と とい ど どい
↑
台の字が古代中国語でこの読み全部を表すので
ヤマトの他にヤマテ、ヤマダ、ヤマデ、ヤマド
などの地名全部邪馬台国の可能性あるんだよ
なんか古代日本もネグリトやアンダマン人みたいな見た目の色黒のやつらが全身白もしくはオレンジと黒とかの縞々の服を着て
女酋長が骨でまじないとかやって刺青の庶民は火のまわりでドンドコ太鼓叩いて謎の躍りの儀式とかやって
山や海に生贄捧げてるやつがいそう(偏見)
その質問が成り立つためには
「邪馬台国時代(2・3世紀)に天皇家があった」
と言う前提が必要だと思うんだが
それは何によって担保されるのかな?
何してたのって、邪馬台国=大和朝廷だよ
卑弥呼とは神功皇后、つまり応神天皇の御母君
応神天皇が御即位するまで摂政として国政を預かってた
この時代に魏に使者を送り、魏から日本の統治者として認識されていたんだよ
武家は首狩り族だし
中国にもタイワンにもいるよね首狩り族
>アマテラス、スサノオ、ツクヨミ
>それぞれ
太陽と月があってそれぞれに悪さして
日蝕・月蝕起こす3番目の存在がいる
という3セットの構図は海外の神話にも見られるというのが
比較神話学からの知見
まあ牽強付会もいいところ
タイヨとは読まないだろ?
何を言ってるのか良く分からないけど
2-3世紀に大和朝廷はあったに決まってるだろ
邪馬台国=大和朝廷なんだから
鉄を先に使ってた変な国なんだから
古墳時代にあきらかに何かあったとしか思えぬ
邪馬台国は本当に日本にあったのか
無いだろ。倭国も本当に日本なのか怪しい。
金印見つかって倭国だ!って言ってるだけなのでは?
倭国って中国の南東側にあった国の呼び名でしょ?
日本と交易していた朝鮮人から話を聞いて
邪馬台国の行程等を記述したんだと思うけど
日本との交易で利益を得ていた朝鮮人が
本当の事を話すだろうか?
利益を独占する為に、出鱈目なことを教えたと思う。
その辺の大昔の暦が半年で一年って説ってのがある。つまり128歳なら64歳崩御
この当時の64歳は仙人
>邪馬台国=大和朝廷なんだから
根拠なし
ただの思い込み決めつけ
あくまでそこからスタートなら根拠のない前提を
土台にする砂上の楼閣
先というか、青銅器勢力が鉄器勢力に勝つみたいな大番狂わせがあったように感じる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E4%BA%8C%E5%80%8D%E6%9A%A6%E8%AA%AC
日本は青銅器は祭具でしか使ってないから
何で先に難しい製鉄技術を手に入れたんだろうね
朝鮮にも前方後円墳があるらしいね
主張としては日本の王族が半島渡ったって話になってるけど
半島含めた地域が違うんだろ?
>この国は鉄器と青銅器の順序が逆の国なんだぞ
初めて聞いた
北部九州・限界灘周辺地域に入ってきたのは
鉄・銅ほぼ同時だと思ってたが
ソースのURLとまで言わんが
それを証明する遺跡とか提唱者の名とか
良ければ教えてくれんかね?
鉄器は青銅器に先立つか。鉄器は青銅より低い温度で作れるという別世界の常識
これで覆る
鉄の融点1536℃ に対し
銅の融点1085℃ で銅の方が加工しやすい
ただ地表で存在する割合としては鉄のほうが圧倒的に多い
山火事なんかもあったろうし
あとは縄文から慣れ親しんだ削りと研ぎ出しをすれば良いからな
大きなものでなくても弓矢、槍の国だし
ほぼ同時か
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/91/1/91_1_11/_pdf
で、半島で日本より古い古墳は見つかった?
「銅製武器を鉄製武器が粉砕して勝利した!」
というようなイメージ
確かに武器以外同条件のタイマン勝負なら
鉄器に軍配もあがるだろうが
よく古代オリエントでヒッタイトなんかが
鉄製武器を振り回して帝国築いた
・・・なんてイメージ持たれてるが
鉄器は神殿に奉納したり外交先に贈り物にされたり
レアアイテムとして扱われてるのが実情
仏教伝来は日本書紀で552年としてるが
他の複数の資料から538年が有力
大分のウガヤフキアエズ王朝がないことにされて
王朝発祥時期が神武即位(紀元前660年)に置き換えられた可能性
実際は王朝73代神武が2世紀後半に東征したが
これは天武や不比等にとって都合が悪かったかもしれない
そんな純度の高い鉄の塊がそのへんにゴロゴロしてるわけじゃない
人類が最初に利用した鉄は隕鉄(鉄を多く含んだ隕石)なんて説があるくらいだ
ほい
https://news.yahoo.co.jp/articles/467f6884cde14166caa6172e933270cbb0128539
むしろ邪馬台国なんてものが存在するなら九州以外ありえない
なぜなら魏志倭人伝にしか記載がなく地理的にも気候的にも九州のことしか書かれてないから
機内説なんてのは全く無根拠の0から産まれた説ですらない説
純度が高い必要なんてどこにあるの?
しかも、青銅器だけで構成された勢力と鉄器だけで構成された勢力の争いなんて思い込みじゃね?比率の問題だろ
なんか、ザパニーズくさいヤツだな
畿内は新しいと思うが
九州か四国か、と言われると分からん
墳墓が半島にあるのは怪しいんだが
蘇我氏の文化が朝鮮系、とくに床暖房などの文化が
これを考えると半分くらい、どうなんだとは考える余地はある
あと上の方の人の意見の補足だけど
日本のタタラ製鉄始まるまでは、鉄器とかは朝鮮からの輸入な
ttps://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/kodaisinonazo/1387341660042.html
九州が邪馬台国のあった場所だということがわかるだろう
さらに眼の前にある黒い石をくっそ熱したらかったい鉄になる、って発見もしくは知識だろう
そもそもなんでそこに思い至ったのかと
なろうじゃねえんだから、現実は鉄みつけた!叩いたら剣になった!じゃねんだから……
よろしい
その意気や良しだw
あとは九州説同士で内ゲバか共食い化か知らんが
精々議論考察し合って
「これぞ九州説」
「九州説もこれが最有力説」
なんてものを是非出してくれ
前世紀から続く
「素直に読んだらここしかない!」
という口上は聞き飽きたwww
ハ?なんだこの無学文盲は?
卑弥呼女王には台与という娘がいて、13才で王位を継いだ。
歴史書読めアホ
初めて知ったわー
大和は?
言っておくが吉野ヶ里が
日本最大の環濠集落でもないし
それ以前に環壕集落が弥生時代の
デフォってわけでもない
工業団地として潰される予定が
一転保存されたのは邪馬台国ブームのお陰で
再現されてる建物も地中からそのまま出てきたわけでもなく
奈良出土の銅鏡に描かれた家屋を参考にしてたりするwww
どっちも当て字
>卑弥呼女王には台与という娘がいて
びっくりですwwwwwwwwww
何が正解なのかドシロートのオレには全くワカラン
邪馬台国が何処にあろうが別にどーでもいいけど
専門の人は色々論争してるんやなーって思ってる
ソガシの親戚だったかしらん
ガは河のそばにでも住んでたか国の意味だろ
日本の歴史書全巻も持ってない知ったか外題学問、浅学非才の口耳講説のバカに専門的なことを教えてやるが、それが事実だ
>専門の人は色々論争してるんやなーって思ってる
多分学者の間では論争なんかほぼ起きてない
そもそも昭和の邪馬台国ブームもどちらかと言えば
素人・門外漢かアカデミズムに挑むと言う形
まあ100%畿内説で片が付いたというわけじゃなくいが
(そもそも学説なら反証可能性を残さないなんてありえない)
邪馬台国=初期ヤマト王権(だだしそれが後の大和朝廷かは不明)
と考えるのが一番蓋然性が高いと
イヌイットがコロボックル
ネット漬けの誇大妄想の典型だなこれ笑。
妄想はいいから歴史書全部読めアホ。分厚くてデカい本が18冊ほどある
イヨはアメノウズメ
あのなあ・・・
そこまで見識語るなら言葉は正確に使え馬鹿者
壱与は卑弥呼の宗女であって娘じゃないだろって話
ニホンゴワカリマスカ?
コイツ、陰謀論者の秋山と同じ人種だろ笑
言ってることが小学生程度の感想で笑える。
もしかして神話を信じてるアホ?笑
いや、日本語ならお前の1万倍知ってるよ無学文盲の発達障害笑
どこからそんなデタラメ情報仕入れて知ったかしてんのか知らんが、台与は卑弥呼の娘だと昭和の歴史書に書いてある。
お前のような低学歴のゴミが古文書まで読める学者の話を否定できるわけなかろう笑
そうなのか
ま、そのうちわかってくるやろって思ってるけど
こーいった人達の尽力のおかげよな
妄想小学生に教えてやるが、4世紀中頃、大和地方に大王という支配者が現れ日本を統一する。
これが天皇であり、崇神天皇だ
でその俺の一万倍ニホンゴ知ってるとほざく
人間なら宗女と娘を混同するのか?w
まあこのアホを置いといて
「宗女」ということから古代社会に巫女という
集団・階級があったんじゃないかとも想像できる
考古学で言われるヒメヒコ体制か?
何となくそこはお察しな気はするけどな
台与=壹與が書いてある書物
壱与が壹與の新字体
朝鮮ミマナのミマナ王だった。
騎馬民族として日本に渡り征服し、豪族連合の代表として日本を支配した。
古墳にも騎馬民族の文化があり、この説が事実の可能性が非常に高い
いや、お前のような無知なその辺のカスが何をほざこうと、昭和の学者が台与は卑弥呼の娘だと言っている。
身の程を知れよ知ったかぶりして恥ずかしいぞお前笑
日本の歴史なんか知らないんだろお前?
>「魏志」倭人伝の壹與は、太宰府にある国宝文献の「翰苑(カンエン)」には、
>「臺與幼齒 方諧衆望」: 臺與は幼くして、まさに民衆の望みにかなった。・・・とあります。
>壹與は「いちよ」、又は「いよ」と読めます。
>臺與は「だ(た)いよ」、又は「だ(た)よ」と読めますが、和語の基本は濁音が頭にこないのです。
>また、「taiyo」の「ai」ように合成語は別にして、母音は連続しないのです。
>だから「た」を「と」に変えて、「とよ」と読む学者先生方が多いですが、根拠が薄いです。
>邪馬臺國と同じで、無理があります。
私は、「魏志」の壹與(いよ)の方が正しいと思うのですが、「古事記」の内容からすると、「とよ」と読む方が、辻妻が合うのです。
>だから私は、「魏志」壹與、「翰苑」臺與、共に間違いで、「豐與」が正しいのではないかと思うのです。
>古い文献は保存の為に写本を繰り返しますから、どんなに慎重に写本しても、誤字は多くあるのです。
>4世紀中頃、大和地方に大王という支配者が現れ日本を統一する。
昔の教科書だなw
語呂合わせで
「大和朝廷4世紀中ばに日本をシチュー(4中)にする」
なんてのがあった
ここまで来るとこいつわざと「老害」演じてるのかなとwwww
前の支配者は出雲大社の黒い旧神だろうけどどの氏族が末裔だかは知らん
いや、お前のような無知なその辺のカスが何をほざこうと
原文に「宗女」と書いてるんだが?
昭和の学者って誰よ?
文献といえば内藤湖南?
言っておくが昭和のいかなる高名な学者だろうと
今じゃ否定されてる説なんて山ほどあるぞ
とりあえず原文検索しろド低脳ゴミクズ
なんかここ何回か支配者の交代がありそうな気がする二回以上
邪馬台国はフィクションだよ
九州にも畿内にもありません!
娘だって主張する人いるんだな
別々の集落に辿り着いた人がそれぞれ「ここが邪馬台国か」と呼んだとしたらあり得る
その場所は違うと否定できる記録やツールも無かった時代だし
九州に到達したのか中国地方に到達したのかも確証は無いような時代だろ
もしかしたら対馬だったかもしれんし
水稲不向きの北九州に言うほどの人口を養う生産力はなかった
お前、wとかつけて発達障害丸出しだぞ。人からどう思われてるかわからない知恵遅れ笑。やっぱりバカは違うな笑
邪馬台は大陸のやつが蔑称として利用した当て字
おいおい小学生笑。身の程を知れよ。歴史も国語の勉強もしてない底辺のただのクズが学者に意見してんじゃねーよ。
フンコロガシ野郎は糞の味についてだけ語ってろよ笑
いやさ
そんな下らないケチレスはいいから
原文で「宗女」は確認したのか?
ないとうこなん笑笑。バカが知ってる奴の名前を上げただけ笑。
知識笑をひけらかしたんだろーな笑
お前の知らん歴史家も考古学者もたくさんいるわ。
昭和の学者たちも後世に小学生から意見されるとは思ってもなかったろう笑
くやかんこくと言うらしいけど
たぶんクヤはカヤの別称で漢字は蔑称かな
神話はいいから現実を見ろ低学歴
入墨の習慣は九州にはあっても畿内にはなかったことは記紀でも明確なわけだし
たぶん一度は栄えても恨みに思った民族に滅ぼされたな
何でお前がそんなこと知ってるんだ?歴史も日本語も知らない無学文盲のカスが学者に意見すんなよ笑。
だいたい最近の情報ってのは、真実をねじ曲げた胡乱しかねーからな。
それを学んだ知的障害者どもが、ネットで知ったかぶる
もしかして祖先からして悪いやつなのではないかと
そんな神話は知らねえよ妄想小学生笑。歴史書しか読まないんでな
北九州なら詳しい行き方など必要ないからな
奈良は大陸の人にとってはどこだかわからない場所
コイツがその典型だな笑
>>300
まあ邪馬台国に関わった学者の全て知ってるわかじゃないがな
たまたま知ってる内藤湖南をあげたのには理由はあるが
その理由がこのアホウに分かるかは疑問だw
このアホは置いといてだ
ひょっとして
「文献の九州説考古学の畿内説」
なんてのを聞いたことがある人もいるかもだが
実のところ戦前より前ならそれは逆で
考古資料の年代も今からすりゃデタラメレベル
でむしろ九州説のほうが考古資料を持ち出し
それに対して文献の再度のブラッシュアップ
やったのが内藤湖南という人物
歴史も日本語も勉強していない知的障害者が身の程をわきまえろよ
知ったかはやめとけ恥の上塗りだぞお前笑
しかも日本語もまともに使えない発達障害じゃあ、誰もお前の話は聞かないよ。
デタラメ情報を撒き散らすだけで、謙虚さというものはどこにも無い
メンバーの一部にはあった。最終目的地大和盆地には先住民の風習があり
彼ら弱小グループは地元に従い、欠史八代を含め。徐々に勢力を拡大し
てこずったが九州北部平定後に王権からヤマト朝廷と言うにふさわしい権力に・・
さらに昔
アカホヤ大噴火で朝鮮・大陸に散った縄文人だが、(1000年無人)九州中国地方が元に戻り
長江人と混血した(鉄器持ち・高生産性・大陸仕込み獰猛&狡猾)弥生系が舞い戻ってきた
神武グループもそれ。奈良盆地の強敵ナガスネヒコらも弥生系?
大陸に朝貢して最大の受益者は北部九州であり
その通交にしても北部九州の助力がなければ不可能だったろうとは考える
「だったら大和なんか持ち出さなくても北部九州で完結する話」
というのが九州説だろうが
考古学的に見れば九州から畿内そして関東と
「緩やかな首長連合」が形成されてたと見るのが
畿内説かな?
邪馬台国が仮に九州にあってもこの首長連合の
萌芽はまあ現時点定説だと思うが
九州説支持者には既にここらへんから反発するやつが多い
昭和の学者と言えば明治生まれの固い奢宿だから、
どこぞの小学生歴史博士の言うことよりは遥かに信倚観念できるだろう
作られた神代
天照大神の子孫が日本の君主となったので、どうしても天孫降臨の話が必要になり、
太陽神に縁のある名の土地、日向(宮崎県)が選ばれたが、
歴代の天皇は大和(奈良県)にいた為、
その間の連絡をつけるために神武天皇東征の話が作られなければならなかった。
>江戸時代までは邪馬台国は九州にあったというのが常識だった
バカ丸出しwww
北畠親房(南北朝時代)の「神皇正統記」とか
おぼろげにでも畿内説だったものが
むしろ江戸時代に国粋主義的な思想をバックに
出てきたのが九州説
「朝貢」と言うのは要は膝を屈したと言う話で
そんなものは大和朝廷とは関係なく
九州のどこぞの蛮族が倭国の王を僭称した
・・・と言う理屈
この辺は常識中の常識
当時はまだ海面が今よりずっと高い位置にあるんで関西も暖かい
奈良盆地あたりは完全な入江だしな
そして四国から外房に人々が移住して房総半島の開拓が始まったように
割とかなりの距離を移動して移住してる
お前の常識は5ちゃんねるとかだけ。
どう育ったらこう身の程知らずのバカになるのか?笑
明治生まれの学者が言ってることより、お前のようなその辺の今時のクズのカス野郎が言ってることを信じろと言うのか?笑笑
ネットやその辺のトンデモ本を読んで歴史を知った気になるなよ笑
もうやめとけ恥の上塗りは
残念ながら俺の言ってるのは何も俺のオリジナルじゃないんだよ
殆どは今じゃ常識レベルのお話ばかり
お前の年齢がいくつか知らんが
全く知識を更新しない老害だよゴミクズ
古事記のナガスネヒコとの対決に至る舟の航跡が
それと合う
まあこのようなイスラム原理主義者と同じ人種に日本の歴史を教えても仕方あるまい
今どきの小学生には常識らしいが、残念ながらそれは嘘だ。
昭和の歴史書全巻読んで出直してこいアホ。
特別支援学校の図書室の本じゃあ、ちょっと勉強にはならんかもだがな笑
古墳もあるし。古気象学・地学も考古学と連携する時代
お前のような今どきの軽佻浮薄な不逞の輩のクズに教えられることなど何も無い。
ねじ曲げられた情報を信じてんじゃねーよバカが笑
>>330
今どきのその辺のカス野郎が言ってることのどちらを信じるか?
答えは一目瞭然だな
「昭和の歴史書」を連呼してる基地外がいるが
(民明書房刊かな?www)
講談社とか吉川弘文館とかの日本全集で
邪馬台国や古墳時代は考古学者編集執筆してる
12000年前から7000年前。そのころ「アカホヤ」があり日本列島から
朝鮮に避難。空白の5000年が終わり。土器も出現。古墳まで
韓国学界は稲の伝播も含め真面目に取り組む姿勢がなく、こね回す・曲げる・自由自在
酷いもんだね
ん?お前は考古学者だと言ってるのか?
ちょっと日本語がおかしくて、誰かこのマヌケの言ってることを翻訳してほいんだが笑
筆者の思想垂れ流しで距離や方角盛るとか到底許されそうに思えんけど
倭国と戦争になって倭人伝に従って軍移動させたら全軍海上で野垂れ死にました🥺
では筆者の首が飛ぶどころの騒ぎじゃない
歴史書における考古学者は弥生時代までな知恵遅れ
日本サヨクもなぜかツラレテ・・こだまのようにそれ以上に発狂
竹田って男はたいしたもんだ。そこらのネトウヨの億倍の破壊力
恥をかく前に検索したらどうだ?
ド低脳ゴミクズ爺
勿論時代区分にはいくつかあるが
平安時代とか少なくとも飛鳥奈良時代までは
その区分に含まれるのが大勢で
少なくとも俺の言った日本史全集の該当の時代はは
白石とか寺澤が編集してる
中国の正史としての歴史書は史記以外は次の王朝が編纂しているからリアルタイムというわけでもないけど…
投馬国 → 三潴、上妻、下妻などの一帯
邪馬台国 → 筑後山門、肥後山門などの一帯
だろうな
いや、そりゃあオメーのただの感想だろバカが笑
どこの歴史書が飛鳥奈良時代を考古学者が書くって言ってんだよ死ねよアホ笑
あんま笑わせるなよ低学歴笑
こういう考え方だから、デタラメばかり覚えるんだろーな
まあ九州説が真実だろうがな
>筆者の首が飛ぶどころの騒ぎじゃない
この辺勘違いしてるやつが多いが
そもそも「三国志」が史書の列に加えられたのは
陳寿が死んでからで
三国志自体が時の朝廷から命じられて編纂されたものじゃない
よしんばそうであったとして所謂「魏志倭人伝」と言われてるものなんて
三国志全体の巻末付録おまけのおまけ
全体の内容の評価に及ぶものじゃないだろうに
(  ̄▽ ̄)
>どこの歴史書が飛鳥奈良時代を考古学者が書くって言ってんだよ死ねよアホ笑
ほれ爺w
講談社 日本の歴史02 王権誕生 寺沢 薫
吉川弘文館 日本の時代史 1 倭国誕生 白石太一郎
まあ自分が持ってるのをあげたけど他にもあるだろう
マジで今の中学生の知識にも追いついてないぞゴミ爺
講談社がいつ児童書専門の出版社になったんだ?
バカ丸出しだな
日本の馬は足が遅いんだろうなw
だから突撃に向かない
連絡係みたいなのにしかツカエナイwwww
「繋がってる証拠」ならともかく
「繋がってない証拠」ってなんぞ?
「悪魔の証明」かよ
おい、負け犬クソガキ笑。
ネットでデタラメ書いて恥さらしてる暇があったら、本当の歴史書を買って日本語も勉強してろ。
お前の書き込み読んだ学者はみんなお前のこと笑ってるぞ
我欧米乃早馬欲
と書いてある
つまりナポレオンが使ってたような
足が早くて強靭な肉体を持つ
ヨーロッパの馬が欲しかったということwww
でも実際はタタールの持久力の高い馬を横浜から輸入してたんだけどね
ヨーロッパの馬は高いから
というか古今東西問わず正面主力は大抵歩兵集団
騎兵はその機動力でサイドを突いたり後ろに回り込んだり
武田の騎馬軍団とかイメージがあるけど
騎馬の比重は他の戦国武将に比べ
特に高くなかったとか
これはまだ類人猿以下だから相手にしなくて可い
違いないと都合よく取捨選択できるのが歴史論争の醍醐味
んー学者先生がこんなとこ見るのかね?w
お前のアホさは中学生にでも笑われかねないぞゴミクズ爺w
血縁関係の有無なら無いほうも簡単に証明できるぞ
なるほどねDNAとかなら可能か
もっともそうなると現代の皇族のサンプルも採取する必要があって
事実上不可能だと思うがw
日本国内だったらこんなかかんないね!
生産性から考えても絶対有明海がいるだろ?
つまらん議論なんだよね、奈良県とかいうならその途中はもっと明確に分化がないと。
松浦→吉野ケ里→大和だろ?
それもなんとでも解釈できる
潮待ち(都合の良い潮の流れになるまで待つ)とか
悪天候にあったとか
あるいは寄った先々で熱烈歓迎接待を受けたとかw
要は行程記事なんてどうとでも解釈できる
身も蓋もないがこんなもんで位置を特定しようと
考えるほうが馬鹿げてる
磯田道史が見てるかも知れん。惜しむらくは古きを知る明治生まれの歴史家はおらんだろうが。
お前の話は小学校では通用するかも知れんが、
大人の世界では笑われるだけだと言うことがわかったか?笑
歴史書を読み解くとか、学問ではないのでは?
現生皇族のなら簡単に手に入ると思うよ、古墳時代の王墓って比定されている所の人骨の方が難しいてか、古墳の再利用もあったし、盗掘もあるし、なあ。
>その途中はもっと明確に分化がないと。
その文句は倭人伝の行程記事に言うべし
じゃあ仮に九州説を取るとして
不彌國から投馬國までノンストップ20日水行だったのか?
投馬国から邪馬台国陸行一月で途中に一つの国もなかったか?
あるいは投馬国が邪馬台国に隣接して
その国境に行くまで一月要したのか?と
まあ不彌國以後は別資料と考えたほうが合理的だと思うが
(不彌國までは割と詳細な地理志)
その文献の話に意味はないってことだよ。
創造なんだから。
結局畿内まで行く途中とか全く何もないことになるからな。
マツロ国にインしたのは間違いないんだろう?
>有明海の生産性
生産性と言うならそれは人口に反映されてるはず
その有明周辺が人口絶対数あるいは
密度が高かったって資料あるかい?
想定されてる人口だと東山道とかが結構高かったりするw
これは稲作が進んだとは言え米で腹いっぱい食える
には遠く及ばず海産物もとっただろうが
山で取れる堅果類や果物や禽獣類に多く頼ってたんだろう
逆だよな、だとすれば人口密度が低かった原因は何かを考えないと。
巨大な干潟をなぜ人々は無視したのか?
意味不明だな
なにか阻害要因があるから人口が少ないんじゃなくて
生活に必要な物資がないから人が少ないんだろう
なにもない所に人間が湧いて出るもんじゃない
普通にそう思ってたんだけど
ヤマタイとヤマトが別とか普通思わんやろ
これが画期的って…
邪馬台国は異次元世界の宇宙にあってヒミコはトランスジェンダーだったんだよ
邪馬台国と大和朝廷が併存したと考えるのも変だし
因みに昔から言われてる卑弥呼の正体は神功皇后
幼い皇子の摂政として君臨したのは周知の通り
後に皇子は応神天皇として即位した
邪馬台国は八俣の大蛇として葬ったんだよ
曖昧なやつは絶対に問題に出ないから
そもそも邪馬台国をヤマタイと当時読んでたのかどうか根拠があんの?
秀吉は超時空太閤だし
どうとでもなる
こんなこともあろうかと、って
目一杯ウソ書かせるだろ
だから?
有明のこと言ってんの?難波潟のこと言ってんの?
鎌倉なんて不便この上ないし
江戸は人造都市だし
難攻の要所のわかりにくい方が良いとか言われたら
大小すら分からん
結局、天皇や将軍などの有力者が居さえすれば良いんだから
今も中世も太古も
だが、力関係が変わった
今までと同じように
邪馬台国だけ全く違うとは思えないけどな
たぶん、ずっと場所変えてループしている
広い平野、大きな川、福岡と佐賀にアクセスしやすい
巨大な農耕集落を形成するなら最高の地
卑弥呼は宮崎から久留米にやってきて女王になった人なんじゃないのか
太古の情勢で
太古の最大商業、軍事都市ではあるのかもしれないが
政治的、宗教的な要人を置くかね?
やっぱり、一箇所ではなく、複数に分けるんじゃね?
九州北部地方蹂躙されたら全部オワリなんてことするかね?
北九州だから大陸渡るまでしか詳しくないんだよ
奈良なら、むしろ日本上陸から詳しくなるわ
熊本県上益城郡に山都町(やまとちょう)ってあるしな
まあ町村合併で出来てから20年も経ってないけど
日本列島
以上、
> 日本全体や奈良地方を指す「ヤマト」とは上代の発音が違い、ここでは忘れてよい
だそうだ
上代日本語云々となると素人が現代音でどうこう語る話でも無さそうな
山都町の面積でかすぎ
車で1時間走っても山都町から出れないとかw
やっぱ久留米一帯のどこかだとおもう
東は大分西は佐賀南は熊本北は福岡の集落にアクセスしやすい地域だし
日本なんだから
天皇が居るところ?将軍が居るところ?天下の台所?
いつも、日本は重層構造で海外はいつも分からずに適当なこと言ってんだから
その半分は演習場だからな(イメージです)
ごめん、わからんw
あの本での距離と方向の記述を真に受ければ奄美沖の海上になるがw
さすがにそれはない
測量技術が未熟あるいは書き間違いで距離を多めに書いてしまった説を採れば九州になるし
南と東を書き間違えたんじゃないか説を採れば近畿になる
あそこは4つの村が合併してその後分村騒ぎになったときに
「大きく和する」の意味を込めて改名した瑞祥地名(´・ω・`)
海に浮かび上がるか
宇宙から飛来すんだよ
超時空要塞 邪馬台
記事を読んだ
労作だな
国号としての大和、地名としての大和、行政区分名としての大和をきっちり分類し、
それぞれについて、各時代にいかなる読み方をしていのか、推定しし、
邪馬台については中国の各時代にどのような発音であったかを推定し、
三国志における邪馬台国とは大和国だと結論づけた
みな、邪馬台国の卑弥呼って、ヤマトのヒメミコじゃねーの?とは思っていたが
検証は面倒でやってこなかった
徐福は古代メソポタミアの王のまつえいで、日本に来る途中に魏国と同盟関係にあった。
九州のヒミコは奈良のヤマトを攻めるとき、魏に軍事司令官の派遣を要請している。そのとき、九州の自分たちがヤマトだとウソをついた。
九州のヒミコは魏から敵国の名前を聞かれたとき、ヤマトとは言えず、クヌ国と答えた。奈良と九州の戦争は、九州側が勝利した。太田家が奈良を裏切って、九州のモノノベ氏を勝たせてしまう。
戦後、九州のモノノベ氏は失脚したが、九州のナカトミ氏は神官として奈良のヤマトで生き残る。ナカトミ氏はのちの藤原氏である。
九州のウソつきと、国を売った太田家の歴史ものがたり。
ぞの面倒をやるのが仕事のはずなんだけどな
学者というのはいったい何をやっているのか
邪馬台国は、歴史学者の興味は惹かねえじゃないかな
考古学者は、この時代を掘りまくるけども
ぼんやりとしか分かってないが
邪馬台はヤマトで確定でよいと思う
そして、日本語におけるヤマトの意味は、最初はミナトの対語だったのが、都みたいな意味(高貴な方がおわすところ)に変化していったと思うね
死者「ヤマト(ミヤコ)のヒメミコの使いでまいりました」
帯方役人「邪馬台国の卑弥呼の使いが来た」
その問いこそ、邪馬台国探しの本質だな
(1)ヤマト王権はどこで、どのように発祥したのか
畿内にあった巨大な遺跡は何なんだよって話になる
別の政権があって大陸とも交通してたのに
九州にあった邪馬台国は何の関係も無いと言うのか?
普通の頭で考えれば分かるけど
畿内が本拠地で北部九州が出先機関なんだよ
後の時代で言えば太宰府や長崎奉行みたいな存在
なので魏の記録にも九州の習俗は載せてるけど
畿内の習俗については乏しい
それは魏の使者は北部九州までしか来てないのだから
だから邪馬台国までの旅程も水行十日陸行一月とか
曖昧な表現になってて本拠地を隠すための工作だ
だから自国に味方する国の位置は敢えてぼかしてたって話もあるよな。
普通にたどると奄美辺りになるのも呉を牽制するためだろ。
で、熊襲が呉の支援受けてたなら魏の保護下にある邪馬台国と対立するし
最前線は九州って事になるから九州のどこかだろ。
畿内に巨大遺跡があっても、九州説になんの打撃もない
ヤマトのヒミコが、日本列島最大最強組織のボスだと前提する根拠はどこにもない
自分らの聞こえたように適当に当て字してる当時の中国人が
日本の上代仮名遣いに則って表記してくれてるというのがそもそも根拠が無く怪しい
そうだね
三国志は、魏晋視点で書かれているため、日本列島と呉の関係がまったくわからない
それぞれが、存亡をかけて対立している時代だ、行き来がないわけないわな
九州勢と呉、畿内勢と呉、出雲勢と呉などなど
ここらへんは、発掘待ち、そのうち呉の文物がザクザク出てくるだろう
訂正、
×三国志は
〇三国志の東夷伝は
革命した直後に外国から使節がきて
曹ヒが皇帝として接見するというのは
曹ヒの権威を高めるのに役だったという
外国人ですらおれを皇帝として認めてるんだから、
おまえらもおれを皇帝として認めろ、ということ
九州の地名が当時の大和の発音とは違うから無関係って話だよ?
日本書記とかの文献での記述から導いてる箇所、まず記事読もうよ
漢王朝が衰えて以来、東夷は長らく朝貢にやってこなくなっていた
それがどうだ、禅譲を受けた魏にさっそく東夷がやってきた
魏が漢時代の威信を回復したのだ
ってあたりかな
信じてどーするんや
こんなのみんな前から言ってるわ。
俺だって2chに書き込んだことあるのにw
三国志に邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢したと書かれている事実が存在する
その事実から、当時の日本列島の様子をどこまで推察できるか、というゲームなのだよ
現存する文書のみで数えれば500年後のこと
当時の日本の様子を伝える資料は中国にしかない
卑弥呼が天照大神そのものを指していてその天照大神という女神を信奉している国が邪馬臺国って説もあるから女系どころか統治者として女王がいたとも言い切れない
消してる。
だから魏志倭人伝の邪馬台国が分からなくなってる。
ヤマダイか味のマルタイか
邪馬台国(ヤマタイコク)という呼び名は江戸時代の学者が暫定的につけた名前
実は本当の呼び名は今も謎
中国の歴史書に最初に記されている倭王はスイショウな
卑弥呼はもうちょい後
自分たちが日本列島の支配者だ!
と、他の大勢力を出し抜いて大陸へ行った可能性もあるよね
魏志倭人伝読んでる?
そもそも邪馬台国は隣国にすら脅かされてる微妙な国で日本全土を統治してたなんてありえないんだけど?
* ∧CCP∧ ヤマ・ドゥの起源はウリナラ
( ; `八´)彡 <丶`∀´> 手縛図にも描かれているニダ
Σm9っ つ Σm9っ )
ロシアをめぐる混乱や規制が広がる ジョージア タジク #トルコ
https://yamatoxx00xx.blogspot.com/2024/05/blog-post_3.html
フィリピンと中国海警船が衝突 またチリで中国の麻薬農園発覚
https://yamatoxx00xx.blogspot.com/2024/05/blog-post.html
豊国(とよのくに、とよくに、古墳時代 - 7世紀)は、古墳時代にあった律令制以前の国の一つ。 旧国名を豊日別(とよひわけ)と言い、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する九州の北東部地域に存在した。 律令制の時代には豊前国と豊後国に分かれた。
スイショウは倭国王
はじめて対外的にヤマト(邪馬台)を名乗ったのは、卑弥呼
という意味で書いた
そうなんだよね
その程度の立場の国号をなぜ奈良が欲しがるのかが謎
大陸に比較的近い領域の倭国の盟主としては対外的に認められてたとは思うけど
有史以降一度もない
当時の交通手段から無理
日本を支配していたのなら畿内
つまりは全部空想ってことは見ててわかったと思う
邪馬台国が日本全土を支配してるなんて妄想いつからしてんの?
クスリはほどほどにしとけよ
そのために、つまりもっと領土を広げるために九州は福岡から宇佐経由で四国、そして奈良に移ったんだろ。
来たかw
こっから独演が始まるぞw
言葉遊びをしてるようで読んでてイライラしたわ
さっさと結論を言えよハゲ
神武天皇の即位は西暦紀元前660年らしいんだから
あと邪馬台国と天皇家の関わりてあるのかな?
その頃の日本に国があったのは間違いない
それを否定する人はいない
伝わってないから分からんって言ってるんじゃないの??????
『やまとぉいこくです。』
魏
『?、、やまたいこく?』
倭
『ひのみこでございます。』
魏
『?、、ひみこ?なんじゃそりゃ?』
魏
『なんやったっけ?やまたいこく?邪馬台国やったな。
ひ?みこ、、卑弥呼やな。 変な国ww』
こんな感じやろ
全く違う
あなたには、なにがあってて何が違ってるか、判定するための知識がないだろ
邪馬台でヤマトと読むとしても、大和は後から当て読みしただけやろ
邪馬台国と大和朝廷が関係してるとは考えにくい
全部ヤマトやで
古くからの地名は大和言葉だよ
中国人や後世の人があてた漢字が何かは関係ない
何にも知らないゴミカスって悲しいね
いや、知ってるけど教えてやんねえーよてことだろ
天皇家なら一般人の知りようのない歴史資料が山のようにあるんだろうけど、それをわざわざ公表さしたなんて話は聞いたことがないし
大和は「ええ、それの子孫のようなものです」とネームバリューを使わせてもらっただけ
なんの根拠もなくお気持ちを語るの好きですね
ワの国が、自国を大きく見せようと大和と当て字
後にヤマトと名乗ることが大陸とやってくことに都合が良いことに気づいた政権が大和と書いてヤマトと読みますと名乗り出したんだろう
邪馬台国と大和朝廷は全く別ってことだ
有史以降一度もない
中国様が相手にしてくれた政権なんだから日本全体の支配力を持っていたはず
畿内以外にはありえない
東大と京大とのくだらない学閥争いの結果、不毛な論争が続いているだけ
我がガミラスにとってヤマトは「ジャマだい」ですなぁ総統…
ワッハッハッハッ!グワーッハッハッハッハッ!
奈良周辺じゃ何もなかったのかよ
大倭国
大和国
だから連合国の総称だよ
ヤマタノオロチもあれヤマトのオロチよ
鹿島神社中心に日巫女さんはいたんだろう。日本で一番早い日の出のエリアだ。
吉備・出雲といった中国地方の強国を支配下に持つ、機内から九州北部にいたる大連合国家ということになる
そんな超大国相手に九州の一地方国家でしかない狗奴国が対等に戦争してたことになる
日本のことを昔は、大和・日高見の国と言っていて、日高見の国とはどこだって議論がある。漢字から見ると、日の登る土地だ。
奈良時代の風土記には茨城県(常陸の国)に、昔ここを日高見の国と呼んだ、と書いてある。だから大和・日高見の国は、西日本と東日本だという説。
しかし、日高見の国は九州に考古学的遺跡の多かった3世紀の時代からには東国の近畿をさし、奈良に東遷してからは、さらに東の地域を指す言葉になったという、抽象的な言葉だという説もある。
奴国(福岡)20000戸、伊都国(福岡)1000戸、不弥国(福岡)1000戸
対海国(長崎)1000戸、一大国(長崎)3000戸
末盧国(佐賀)4000戸
邪馬台国70000万戸
投馬国50000戸
このように記録に残されてるのは北部九州が占めており邪馬台国と投馬国も九州の国だと馬鹿でも推測できる
世界的に卑弥呼の時代は寒冷な時代
魏志倭人伝でも「対島・壱岐においても食糧は不足がち」となっていて海産物で凌いでいる様子
当然、穀倉地帯の無い奈良は海産物も取れないし人口は増えない
しかし魏志倭人伝で邪馬台国は食べ物に困っている様子は無く、老人も見かけ、酒を飲み、絹をまとっていて豐かな様子
寒冷な卑弥呼の時代で食に困らないなら穀倉地帯でしかも暖かいところ、さらに穀倉地帯があるところだろう
そして魏志倭人伝にある弥生時代の絹、卑弥呼の時代の鉄器が多く産出しているところ
もう議論の余地は無く九州のどこかが邪馬台国
しだいに暖かくなってきて古墳時代になって奈良に人が移動して栄えた
卑弥呼と争ってた男王
俺は姫命と彦命って意味だと思う
だな
個人名ではなさそうだ
ヒメとヒコ
邪馬台=ヤマト
畿内にあったヤマトが邪馬台国の本拠地
時の摂政であった神功皇后が卑弥呼
これは日本書紀にも書かれてるだよ、決定打でしょ
国史を否定する奴って何なの?
どこでもいいよ
江戸時代かそこらで流行ったフェイク銅器でひたすら迷ってやがれ
なんでも鑑定団舐めんな
“ここは、やまとたい!”と答えただけ。
だから邪馬台国と表記されたが、
やまと、たい(=ヤマトです)と答えているから、
邪馬台国は九州説に間違いない。
その後、大陸からの侵略から逃げるために、
日田、宇佐から瀬戸内海を渡り畿内にクニを移した。
なんで、こんな簡単な事、わからないかな。
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
ここだね
神功皇后だとは書いてない、というか意図があいまいな魏志引用だね
魏志にある景初3(西暦238)年の朝貢と、
広開土王碑に残された三韓成敗の396年と、
150年の開きがあるのがなあ
神功皇后の最大の功績たる三韓成敗をとると、卑弥呼は神功皇后ではない
後世の帝の三韓成敗を何かの事情で神功皇后の功績だとかきかえてしまった、ということであれば
卑弥呼は神功皇后で、当時のヤマト王権は女系王権(卑弥呼から台与へ継承)であって、
卑弥呼と戦った狗奴国の卑弥弥呼は、仲哀天皇(神功皇后の夫)の長男次男の?坂王と忍熊王だったことになる
狗奴国とは大和となる
それはそれで面白いと思う
2~3世紀の日本の総人口は60万前後って推定されてるから
邪馬台国を九州に持って来ると総人口の大半が北九州に集中してるって事になる
全国の弥生遺跡の分布を見てもそんな極端な偏りは見えて来ないし、北九州だけ
でそれだけの人口を当時の技術で支えらえるかと考えたらまあ無理
吉野ヶ里でも人口は千人強、クニ全体で五千人程度だそうだし
九州説にとってかなり厄介な話になるから、松本清張先生も「こんなん中国役人の
捏造や!んな訳あるかあ!」って言ってたよw
その頃に我々の祖先の古墳人が大陸から半島経由で大和地方に入植したんだろうな
https://pbs.twimg.com/media/E_hEDy4XsAcQVyA?format=jpg
茶番だな。事業仕分け対象だよレンホーさん
命がけで討論してる老害どもいるけど
ぶっちゃけどこに存在したかとかどうでもいい
いくら皇室でも
古事記より古い文献は持ってないよww
普通は離脱なり、帰還するのに
絶対に本国に帰らないで
日本って凄く良い国だと思う
いまさら引っ込めることができなくなり、屁理屈こね回しているんだ
どーせ大昔のことでどちらが正しかろうが人畜無害
屁理屈こねりゃいくらでも言えるんだ
日本の考古学なんてこの程度
九州から海を渡って大量の軍事力を移動させるのは困難
九州から日本を支配することはできません
東大のバカさ加減に付き合うつもりはありません
至魏時有三十國通好 戸有七萬
とあり30国で万戸と言うことがわかる
ということは魏志倭人伝における、邪馬台国は九州30国の連合の呼び名ということになり
日数記載の行程は別の使者の記録を併記したものであろうことがわかる
それは大いにあり得る
無数のクニグニが時に仲間だったり反目し合ったりと立場が変わったりした事もありそうだし
その中でも盟主が交代したこともありそう
その上で大陸と外交を行う際に自分らが倭国扱いされてるクニグニの一員である自覚はあったように思うし
時の盟主も昔から邪馬台国がその代表であるとして国号を称する事を重視していたように思う
魏の時代と同じころ、急速に畿内で発展した形跡があるのであれば
その後西日本一帯を支配下におき、正式に隋と交流するにあたって、過去の友好国としての邪馬台国の名を出すのは自然なこと
大和朝廷は中国が嫌いで遣隋使を送るまで奈良に引きこもってたんだよね
邪馬台国は出雲みたいな国でに大和とは別だったんじゃないかな?
倭の五王なんかは一般的に大和王朝の王のからの使者とされているから遣隋使まで没交渉とされている訳ではない
多分入れ墨はあった
海の中にジャウマダイがあったんだよ
日本のワケがないじゃん
ワクワクとかも全部あった
スィーンの東方にあった
文献でなくとも物証とかさ
だって仁徳天皇陵とか俺ら中見れないじゃん
一般人が知りえない情報はあるんだよ
全く何も無いから隠してる
あったらとっくに見せて主張している
有名な記述
「海に潜ってアワビを獲っている」
「目下の者が目上の者に何か言われると「あい」と答える」
これ、現在の対馬だと言う説が強い
台湾、琉球、九州と
アレ?随分とコロコロ変わるなぁ?って
アイツラの記述が正しかったことなど無い
だからなんで邪馬台国が日本を支配する必要があるんだ?そもそも熊襲と争ってるって書いてるだろ。支配してないんだよ。
ワなんだから
季節で移動してたって不思議じゃねぇわ
やっぱり古墳時代後期まで定住と考える方が無理
鉄や水の問題だけでも動くと思うわ
名前もそんな感じだし
1.最初は卑弥呼が魏に使者を送ったんだよね?
(卑弥呼よく知り得たな、凄くね?どこ情報だよ?)
2.それで魏の王は邪馬台国を認知した。
3.で?
しかも、帥升は言葉に難があった印象を受けない
だから、向こうから来たと思っている
鉄器を持ち、大陸的でも少数派で主導権を持たなかったり、その後に入れ替わったり
国譲りとかも本当に先住からなのか?とか
結局は多数が物言うワケだから
どこにでもある
へー、「帥升(すいしょう)」て人がいたのか
三世紀に奴隷160人の朝貢をしたってあるね
それを受けて魏の王様が、挨拶ついでにじゃちょっと倭国を調べてこいて流れで邪馬台国に行き着いた可能性が高いね
後学のために誰の説かご教示頂きたい
卑弥呼が日本にいた証拠もないし
知られるとまずいことでも有るのかな?
オレでも大学に自分チの墓を掘り起こしたいと言われたらサスガに断るわ
蔵や風土記には協力して
家の改修の時には基礎掘り起こして年代によって古伊万里の破片から土器まではいったけど
墓だけは完全に秘所だった
ピラミッド発掘しているのに
日本だけはなんで嫌がるの?
発掘許可して日本の歴史を解き明かすために協力するのがスジだと思うわ
ファラオの子孫はもうエジプトを統治してないじゃんw
天皇が支配しているから調査は必要ないね
天皇の遺骨も検体しろよ
卑弥呼(笑)
アホ日本国人は作り話に華を咲かせるのが好きだね
そんな物語
無いのだよ無能共
3世紀末の古墳だが盗掘済みでありながら103面分の銅鏡破片が石室から見つかった事より
「この王権の権力マジヤバ、邪馬台国みたいなチンケな雑魚とはレベチ」だそうで
魏志倭人伝は日本が作ったもんじゃねーぞ
ザパニーズ
古墳に飛行石かブルーウォーターがあって
邪馬台国と書いてラピュタかアトランティスの場所を指し示すんだろ?
ソレか
大昔にとっくにバルスしたんだろ?
太陽信仰でより明るい東方向の土地を目指すのは(北部九州はどんより気候だし)なんとなくわかるが国を移すモチベーションになるかなと
鉄に手をつけるとバカ食いだし
ジャマイカだろ
東遷するぞ!と計画的に奈良盆地に移動したのではなく、
(1)北九州に渡来人が稲作文化とともに入植
(2)原住民と混じったり争ったりしながら北九州に水稲文化を根付かせる
(3)水稲共同体は、狩猟採集共同体に比べて、すさまじい勢いで人口が増える
(4)半島や大陸からの渡来も続々と北九州に上陸する
子どもらに継がせる土地がもうない!新規渡来は既得権だらけで入り込めない
あぶれ者や新規渡来人は、新たな土地を目指すしかない
九州の南は水稲に適さない
ならば東へ
人口増と渡来増にともなってジワジワと東へと広がっていったのだと思う
このように、九州北部から関東まで稲作共同体が増えていく
そして、干拓に成功して大人口を擁することになり、交通の要害でもあり、防衛に適した奈良盆地に王権が出現する
口伝として、先祖はまず高天原から九州に降りて来て、そこから大和に来たんだよとの話は残る
あそこは近所に銅鐸工房跡が複数あるしな
その気になったら銅鏡も量産できただろう(いまのところ銅鏡工房は発掘されていない)
桜井市は「卑弥呼の里にようこそ」なんて町おこしをやってるが
邪馬台国とは別で、邪馬台国より強大な王権があった可能性は捨ててるのかと
「魏志倭人伝に記載されている物」(西暦300年以前弥生時代)
10種の魏晋鏡 福岡県398 奈良県4
鉄刀 福岡県17 奈良県0
素環頭大刀素環頭鉄剣 福岡県16 奈良県0
鉄剣 福岡県46 奈良県1
鉄矛 福岡県7 奈良県0
偏りしか見えないけど
これで全国に散らばっているなぁって思うのかな?
日本書紀も創作
カタカムナやシュメールについて語ってみろや文系w
八咫烏や五色人について調べてみたら?素人の皆様
たしかに三国志も日本書紀もジャンルとしては創作
カタカムナはスキゾフレニー、シュメールは人類文明の故郷
ヤタガラスは中国の伝説に登場する三本足の大烏の日本名
神仙思想によれば、太陽に住む
漢代においては、棺の上にこの大烏の意匠を凝らした布をかける習慣があった
日本書紀では、神武を導くという役割が与えられている
五色人とは、竹内文書よれば、世界の人種は赤・白・黄・黒・青の5色に分類できるが、
日本人は別格で、黄金なのだという
また人類は日本で発祥したという
あんたそこまでググって調べて来たのなら答えは分かるな?
邪馬台国なんて創作であり存在しない
故に起源はどこかだとか語っても意味無いんだよ
テレビでもそうだろ?コメンテーターほど信用ならないアホはいないだろ?
教科書を信じるな
しかし伝聞だしね
北九州に都市国家群があったくらいの話だろう
ヤマト王権とは関係ない
その国の名は邪馬台国
どこかにある古代日本
どうしたら見つかるのだろう教えて欲しい
世界三大陳氏は下記の通り
陳寿
陳舜臣
陳健一
これ歴史を志す者として常識なので丸暗記必須
東大ゆうても官僚や裁判官になるヤツとは違い、落ちこぼれどもが歴史学者になるんだ
杉尾秀哉や茂木健一郎が頑強に九州説を唱えてみてもオマエら一蹴するだろ?
ヒマな文三バカが京都大にイチャモンつけて遊んでみたのが発端
九州から日本を支配することはできません
中国人が書いた物をまるまる信用できるずら?
利害関係も特にない上に帝に捧げる資料だから、嘘つく方がヤバくね?
機内説は見えない聞こえないくんしかいないから無駄
邪馬台国の東に海を渡った先にも倭人の国がある
それがどう考えても機内の国だろ
俺の股間が邪馬台国、それでいいだろ🥺
東遷なり東からの勢力に呑まれるなりしたのちに日本全体を表す国号になったんだろうな
一方で畿内にさらに大きい勢力があった
これで何の矛盾もないと思うんだけどな
邪馬台(ヤマト)国が全国統一したから日本の国号も当初はヤマト(倭)になった
日本だと限定しているの?
何故詳しく書き残していないのか
ン→の、の意味
チュ→?
× ヤマントンチュ
◯ ヤマトンチュ
チュ→衆
諸説あります
邪馬台のおろち
つまり植民地に毎年年着を取り立ててた
邪馬台国は金印を見てわかる通り蛇信仰
他の国はみんな興味も示さないのにな
邪馬台国がみんた大好きすぎるだね(^^)
だからみんな邪馬台国に興味津々なんでしょ
いまの自民は腐敗しまくった男の王のく奴国みたいなもんだからね
争いがたえず、みんな不幸せになる一方だからな
世襲政治なんかすぐ腐敗するし
後ろ盾が崩壊すれば内乱になる
そういう経験から、女王をたてて争いごとは占いで解決するような工夫をしたんだろうが
そういうのは、結局権力者によるいかさまでコントロールされるのが常
なので、せいぜい30国くらいしか従わなかった
戦闘に強い魏が勢力が強いということで新たな後ろ盾として
魏は半島の反乱を抑え込むため、倭国税力を利用しようとしただけ
それで、邪馬台国に金印を渡すということで、他の倭国勢をまとめなさいということが描かれている
奴国が政治的に大きな集落のように書かれている割には、不弥国や投馬国は通り道のような簡素な書き方。
不弥国から投馬国まで船で20日。船を時速8キロから12キロとして8時間移動して64から94キロメートル。20日移動して、1200から1800キロメートル。
遠賀川から600キロほど進んだ場所に宮崎県の都萬神社(西都市)があるので、そこから南に水行10日陸行1月進み、熊本県邪馬台国がある。南にというのは、政治的な事情で中国の会稽という場所の東の緯度にあることになっているので、帳尻を合わせているのである。邪馬台国の南に狗奴国があるので、熊本県中・南部である。
ヤマトが日本全体を指すってならヤマトのオロチって呼んでも結局どこだかわかんないだろ
単純に、8つに分岐してるんじゃないかな。
本名は、高志(こし、新潟県のこと)の八岐の大蛇。
八岐の大蛇は奥出雲地方と場所が特定されている。八岐の大蛇は体からヒノキなどが生えているなど、8つの支流を持つ川のことだったんじゃないか。当時、蛇は川や水の神様である。奥出雲地方に8つの支流を持つ川は存在するが、小さな川である。
決まったんだよ
別府傑作だなwwwwwwwwwwwwwww
魏の使節団が花魁ショーを見て女王だと勘違いした
安帝永初元年(107年)倭國ノ王帥升が贈った生口は160人に対し
卑弥呼が最初に贈った生口はわずか10人
それでも女王に金印紫綬を授けた理由として
親魏倭王とし、種人(倭人)を綏撫して孝順に勤めよ
さらに銅鏡百枚をはじめ豪華な贈り物を国中に示し
魏から認められた王として知らしめよ と明記されている
つまり、魏が後ろ盾になることで内乱で乱れた倭国をまとめあげ孝順せよという要求から交流が始まる
しかし、狗奴国は卑弥呼を認めず思い通りにならなかったため、使者(張政等)を派遣して大乱の鎮圧に協力している
卑弥呼の死後は権力争いで荒れ、張政等のもとわずか十三歳の宗女を王と認め安定するも
魏の権力体制も崩れ、西晋となり交流も途絶えていく
漢の時とくらべてもこのような貧弱な体制であり、後ろ盾も失ったとってつけたような女王がその後安定するはずもないと考えるのが妥当だろうに
九州は近すぎる
単なる通過点と考えるのが妥当
距離的に行けば四国になる
距離的に四国かもしれないが山が多いのは断然九州だ、奈良なんか平地の論外だが
四国の下のフィリピン海プレートの沈み込みが浅いことにより、地下の圧力・温度が小さく、マグマが溶けるだけの条件が揃わないので火山がないのだとか
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有
鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國此女王境界所盡
□蘇の付く国々
魏志倭人伝の倭国、卑弥呼の女王国の中には、對(対)蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国と、蘇の字が付く国が3つある。
後の『隋書』では、「倭国には、阿蘇山という火山があり噴火する」旨が記載されている。日本では、昔から大きな山や川などの周りにその名前がつく地名となっているケースは多々あり、これらの三カ国は阿蘇山の周辺国の可能性がかなり高いと思う。
隋書には、以下の記載がある。
阿蘇山という山がある。その岩山が突然噴火して火が天にまで届く。人々はこれを異変だと言って祈祷や祭祀を行う。
ここで「阿蘇山」が突然登場する。そして、随書に出てくる山(海も川も湖も含めても)は、この阿蘇山だけである。
なぜ阿蘇山だけが登場するのかは、それだけ、阿蘇山が当時の倭国にとって、身近でもあり、有名な存在だったからだと思う。また、中国から来た使者にとっては、実際に見聞きした場合、活火山で噴煙もあがり、広いカルデラで、周辺にも高い山々がありで、神秘的で特徴的な存在だったからだと思う。
ここで強調しておきたいのは、阿蘇山は九州のほぼ中央部分にある山であり、決して、海側の福岡市や北九州市からでは、見れないし、感じれない山だということだ。中国からの使者が、船や陸路で海岸線の九州や山口を通過して、機内の飛鳥地方に向かったとした場合には、決して登場しない位置にある山だ。
もし、畿内ならば、それこそ、大きな島として淡路島や、大きな湖として琵琶湖が登場してもおかしくは無いと思う。日本を代表する山ならば、日本一の高く美しい山として富士山が登場してもおかしくはないはずだ。そもそも、畿内の人たちが、普段から阿蘇山を意識して暮らしているだろうか。もちろん、そんなわけはなく、畿内の国々に暮らす人が、阿蘇山のことで祈祷や祭祀を行うわけはない。
しかし、現実には、阿蘇山だけが登場している。つまり、九州の北部から内部に倭国があった。そこの人々の話を聞いた。または、中国の使者は、九州の内部にやって来た。と捉える方のが、一番理にかなった自然な解釈となる。畿内の倭国王に会いに行くには、九州内部の福岡や熊本に行く必要は全く無いからだ。
逆もまた同じであり、九州の人々にとっては、九重や阿蘇や霧島や桜島や英彦山などを始めとする九州の山々こそが身近な存在の山々であり、普段の日常生活において、本州にある山々(富士山でさえ)を意識することは全く無いのである。
つまり、阿蘇山は、大噴火により山の頂上部分が全て吹き飛んでしまい、いま残っている阿蘇の山々は、その吹き飛んだ跡の外周に当たる残りの山々ということになります。
もしも、阿蘇山が噴火して山が吹き飛んでいなければ、標高が9,000~12,000メートルくらいあると想定されているようで、いまの富士山よりも2倍や3倍にもなるような遥かに大きな山だったということになります。
卑弥呼すらいなかったって言われてるのに
豊葦原瑞穂国が本来の全体を表す言葉で
元首は大国主だよな
元々は天御中主が主神だった
それを半島からやってきたヤマト族が侵略して
できたのがヤマト政権だ
こいつらがアマテラスを信仰するように強要したんだよな
じゃ九州か四国か紀伊半島のどれかだな
て、候補が増えとるやないかーい
八州で
ヤマツユなんて国があるならな
日本人のルーツに中国江南説もあるし、もしそうならその名残かな
刺青は海に潜る人にとってダイビングスーツ的な役割を果たすとかなんとか
江南人は刺青文化らしい
それとも全く関係なく、当時の日本民族ではただデフォだったのだろうか
海だろうな
サメだかなんだか避けだったような
弥生時代の瀬戸と東海地方には入れ墨文化があったらしい
土器の文様に鯨面の装飾があるものがこの地方を中心に複数見つかってる
一種のブラックボックス
文字自体はあったっぽいけど、史書を残すような文ではなかったろうね
この先も見つかることはないだろうが
日本書紀の記述からも明らかな飛鳥の朝廷k使者(裴世清)を送った隋書の倭国伝に男の多くは顔に入墨をし、手足にもしているって記述されているから入墨はそれほど地域的な特徴とは言えないからねえ
歴史教科書に書き込めよ
それで何の物証もないんだからねえ
乱世の中において統治するには、過去の矛盾する記録は葬らないといけない
古事記や日本書紀より古い記録が出てこないのはそういうことだろ
邪馬台国の復活フラグか
面白い時代になるぞ
あの辺に何らかの日本のルーツがあるのはほぼ間違いないんだよな
ねえよ
否定されるから全部消されたんだよ
古い神社の祠に石で宇宙文字みたいなのが刻まれてるが
何が書いてあるかも分からない
土偶や銅鐸なんかもある時期で一斉に消えるから
何に使われてたかも分からない
改める時は痕跡の残らないほど消すのが日本の伝統だからな
旧字や変体仮名でも消えてほとんど使われてない
戦後そうも経たないのにきれいに消えたからな
日本書紀も古事記も天皇の正当性は気にしていない
むしろ誰の種かは気にしないといった大らかなエピソードがちりばめられている
焚書の理由はないよ
日本書紀自体が、互いに矛盾する事例を列挙していくスタイルだ
矛盾するからといって、焚書の理由にはならない
クズ
② 始めて一海を度(わた)る千余里、対馬国に至る
③ また南一海を渡る千余里、一大国に至る
④ また一海を渡る千余里、末盧国に至る
⑤ 東南陸行五百里、伊都国に到る
⑥ 東南奴国に至る百里
⑦ 東行不弥国に至る百里
⑧ 南、投馬国に至る水行二十日
⑨ 南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月
⑩ 郡より女王国に至る万二千余里
⑤の時点で伊豆まで来ちゃってんだよな
邪馬台国など存在しなかったっていう話の方がすんなりくるんだが
日本書紀や古事記には記載がない、しかし中国の書物には台与は出てくる。だか卑弥呼は出てこない。
出てくるのは魏志倭人伝に卑弥呼っぽいのが出てくるだけ。
この論争、一番の問題は邪馬台国そもそも存在してるのか否かをはっきりさせてなく、
存在ありきで全てを語りすぎてる。
邪馬台国など存在していない、こっちがいま信憑性高い気もする。
怖いの?
それとも気持ちが着いてこないの?
途中で落としちゃった、とかw
若しくはぶっ壊して跡地に偉い人の墓を作ったとか
神社になってる説はないか?しかも奥の院な。
普通に考えて奈良になるわな
その配列は現在の本州人ほぼそのもの
この人種を古墳人と呼ぶようになった
邪馬台国もヤマト王権もその頃から起こる
そして大王は天皇と呼ばれるようになる
普通に考えれば、天皇の歴史は2,3世紀以降から始まり
紀元前700年ごろの神武天皇は捏造ってことになる
その頃は人種が違うんだから
ヤマトタケルの名を貰ったのは九州北部じゃなかったっけ?
奈良のヤマト政権が出来る前は饒速日系のナガスネヒコが守っていた合衆国でしょ
つまり、九州のヤマト国を制覇したヤマトタケルの後にヤマト国の地名を丸パクリして奈良にシン・ヤマト国を建国したんじゃないの?
元々奈良に住んでた人達は出雲や東北に追いやられたり、饒速日の家来だった物部氏系や九州の隼人を吸収して軍事力を拡大して北部に逃げた残党狩りに坂上田村麻呂を使ったりしてさ
神武天皇と同じく東征は神話扱いにしかならんだろ
紀元前660年はないとしても
ああ、神社は十分にあり得るな
>>1の歴史学者的には大倭姫(おおやまとひめ)はヤマトヒメと読むワケで
ヤマト国の姫って言ったら要するに九州の熊襲の姫でしょ
「倭の五王」が暴れているよりも前の王達が争っていた時代だし
葬式の風習自体が王によって違ってみたいじゃない?
壺に入れるパターンとかさ海外から九州に住み着いた色んな部族がいたわけで
で、卑弥呼の墓って確か100人くらいの従者を生きたまま頭だけ出して生き埋めにしてたよね?んで、後にハニワ置くようになったとか
てことは墳丘墓っぽくね?
じゃあ現代の小山っぽい上に神社建ってるのが卑弥呼の墓かもってなるけど
ヤマトヒメでしょ?そりゃ荒くれものの王だった熊襲たちがいた九州北部のどっかでしょ
旧ヤマトの継承国家の地位になりたかっただろうしね
https://www.asahi.com/articles/ASS3R6S9TS3MPOMB00W.html
今話題の富雄丸山古墳。4世紀後半の古墳。
卑弥呼の死は3世紀。
纒向遺跡や箸墓古墳が3世紀と言われている。
魏志倭人伝の倭人の風習が縄文人なので
卑弥呼は神武の東征で討伐される側だった可能性…
今は東京政権なのだから、畿内は昔東京にあったんだ!
一万二千里=約5000km
邪馬台国はハワイにあった可能性…
伊都国の周辺までは距離が書いてあるけどその先が日数表記なこと、隋書に夷人(倭人)は里数を知らず、日をもって計った、と書かれていること、伊都国に関してのみ「至」ではなく到」の字が使われていることから使者の到着地が伊都国でそこから先は倭人を通じての伝聞情報ではないかという説があるからあんまり距離は当てにならない
内乱を経て13歳の宗女壹與を女王と認め、国中が治まり
率善中郎将の掖邪拘等二十人を派遣して張政等が帰るのを送らせた。
ということから長期にわたって滞在していることになる
もともと派遣の目的は、倭国同士の争いを収めて魏に恭順させるためなので手ぶらで帰ることができなかったんだろう
大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
と具体的に書かれていることより、墓も実際にみてきたんだろう
日程表記が倭人の伝聞なんて説は意味不明
お前らこれを追求したが最後、背後に気をつけろよ
改名しては行けない歴史ってあるんだからよ
ちょっと乗り遅れてしまった
西日本全体がヤマト国だったんだからピンポイントで首都がどこだったかなど分かるはずがないんだよな
そう
総距離と途中の国間の距離は比較的正確っぽいんだよね
そのため比定も進んでいる
日数表記で書かれている国間が伝聞なためか曖昧さがある
しかもおおよその大きさをちゃんと大きさを里で把握している
このスレの>>1の記事によると
魏志倭人伝の説明はあまり意味がないという前提になってるので、記述を基に考えても意味がないんだよな
半島下半分よりちょっと大きい程度
南は倭に接すの韓伝か。
首都移転で今の大和地方に移ったというのが正解だと思ってる
これが一番、魏志倭人伝とも記紀とも整合性が取れる
でも、そうだからこそ正しいとは言えない可能性もあるんだよな
韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里
歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
參問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里
方可四千里は1辺が4千里だけど周旋可五千餘里は1周が5千里とも読み取れる
その場合、三韓よりだいぶ小さい
晋書四夷伝より
倭人在帯方東南大海中 依山島為國 地多山林無良田食海物 舊有百餘小国相接 至魏時有三十國通好
戸有七萬 男子無大小悉黥面文身 自謂太伯之後 又言上古使詣中國皆自稱大夫
魏と交流した邪馬台国が30国7万戸規模と解釈した場合
当時の馬韓が50国10万戸とあり、馬韓よりちょっと小さいことになるな
古墳時代、日本の首都は難波で仁徳天皇陵もここにあったのではなかろうか?
関東って蝦夷勢力の中心地だし現に東京が首都な訳で大和勢力って今は完全負け組だよねwww
後漢時代の倭国勢力は馬韓の2倍ほどの勢力を持ち
半島勢力のけん制として漢と友好関係にあり、鉄の利権を得て発展したことがうかがえる
魏の時代に30国というのも、後漢の衰退とともに2世紀後半には倭国大乱があったとされ
女王によって、あらたな強国との同盟関係を模索した結果だと考えられる
しかし、泰始元年は、少なくとも、壱与の三度目の遣使を最後にしばらく交流は途絶えている
近畿で大きな勢力の痕跡があるのは3世紀以降、鉄や絹もそれ以降ということがあり
その発展に、大陸からの帰化や亡命などで多くの技術や文化が流入されている
邪馬台国と近畿の勢力と別物だとしか考えられんのだが、その組織の発展や文化の継承には関わっているのだろう
16代の仁徳天皇の時代と近畿で有力地とされている纏向を都としていたのは時代がちょっと…(纏向周辺を都にしていたのは12代の景行天皇まで)
↑
ココ大事
誰だよこんな当て字したやつは
あ、そいつが犯人か
慎み深い縄文人に対し
漫才とかやるのが弥生人か…
「倭国」って書いてあるよね?
邪馬台国とは書いてないよね?
倭国は倭寇とかあるから存在する
邪馬台国はわかるだろ?
中国から見た日本は倭国
日本人がヤマタイ国だと言ってても中国人が倭国という字を宛てたんじゃないかな?
そこらへんの行き違いを日本人が後から知って日出る国と書いて漢字で日本と自称し始めたんだろうな
なんで倭人伝の編集者は地図をつけなかったのだろうね。
倭の奴とある。
わけのわからん奴ではなく
後漢初代皇帝の光武帝からもらった逸品。
建武中元二年(西暦57年)、
東夷倭奴國、奉貢朝賀す、使人自ら大夫と称す、
倭國の極南界なり、光武、賜うに印綬を以てす
なっなんだってー!
邪馬台国は見つかっていた【13】一里=50mという換算値が得られる理由
https://note.com/kind_tulip559/n/n55fbb669610a
ゆい:
江戸時代の一里は約4kmだと学校で習ったけど……。
おじ:
魏の時代はそれよりもだいぶ短くて、1里が430mだったことが判明しているんだ。
この1里=430mという数値が倭人伝の記述にはどういうわけか通用しないんだよ。
…千里もあって大変でした
お土産たくさんくださいと盛っちゃったん?
海を渡ったら千里という事になってるだけで、実際に朝鮮から対馬までの距離を測ったわけではないと思うよ
なので、その時点で距離はあくまでも目安だという事が分かる
神武天皇ってのは卑弥呼と対立してた南九州の男王卑弥弓呼で間違いなし?
三国志が書かれた三世紀末から4世紀始め頃のものではなくて現在残っている最古の正史の三国志である12世紀のものにはそうなっているって話だからなあ
卑弥呼の時代に神武天皇がいたというのは誰の情報?
実際殷の都が発見されたり、
その時代の朝鮮で中国式の土器や稲作遺跡が見つかったりしている。
理由もなく伝説は生まれたりしないようだ。
ノアの大洪水や天岩戸にすら根拠がある。
他にも距離は多数記載されていて許容誤差の範囲で概ね一定の値なので多くの地が比定されている
議論の分かれ目となっているのは日数表記の部分
邪馬台国は九州にあったんだけどヤマト政権には土蜘蛛ろ呼ばれて滅ぼされた
という事は邪馬台国が天武政権のルーツではないという認識だったんじゃないの?
日本書紀では気長足姫尊(神功皇后)の39年から43年までの記述に魏志の記述を挿入して神功皇后を女王に仮託するような記述しているんだが…
神功皇后は出産の逸話が記載されている
明らかに別人としての記述でしょ
日本書紀の編者は仲哀天皇崩御後に神功皇后の治世があったとすることで魏志の記述に合わせてる技巧をこらしている
無いものはゴッドハンドするしかない
よくある纏向を比定する場合は箸墓の埋葬者の倭迹迹日百襲姫を卑弥呼ではないかとしてその頃の天皇は10代の崇神天皇の辺りだから、日本書紀は魏志の技術を知っていて強引に神功皇后に合わせた感じだし…
神功皇后と卑弥呼は偉大な女王という共通点があるのみでエピソードは明らかに別人
百歩譲って卑弥呼=神功皇后だとして、卑弥呼の跡を継いだ壱与は誰なの?神功皇后の後釜に座った女王
山門縣を拠点として呪術を用いて兄が居たとある
会稽の体に入れ墨して蛟龍の害を避けた人種となぞられてることから
実は蛇ではなく蛟龍を表してるのではないかと思う
100国を支配下に置いた時期には、出雲は邪馬台国の配下にあり厳しい年貢を収めていたが
時期的に倭国大乱の時期に反乱した話ではないかと思う
吉野ヶ里遺跡と出雲には銅鐸の出土で明らかに関係があるけども
女王国30国の支配下には入っていない
魏からは厚遇をもって対応されている
その理由として
今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順
倭種を配下に治め、協力関係になってもらいたいという意向を示している
これはかつて100国を治め漢から金印を拝聴した友好国として復活しろということでもある
還到録受 悉可以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也
さらに、豪華な贈り物を国中に示し、魏が認める国だということをしらしめなさいという念押しをしている
だが、狗奴国との戦争は終わらず、苦しい現状を報告すると
帯方郡太守に着任した王?により、塞曹掾史、張政等を遣はせて対応する
これは前段の話と合わせて考えると、戦争に加担するという話ではなく
大陸の覇権争いの現状を倭国諸国に知らしめ、内乱で争っている場合ではなく
倭国がまとまって復権しないといずれ外敵に滅ぼされる
今のうちにまとまって、魏と協力関係を築くよう倭国諸国を説得しに来たんだろう
従って、命を受けた張政等は、卑弥呼の死後の混乱も乗り越えて13歳の宗女、壱与を立て倭国の内乱が収まるまで帰れないはめとなる
その後、魏も晋に置き換わり、その統治が長く続かなかったことは容易に想像できる
參問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里
の大きさを考えると、張政等が倭地を參問したときの距離だとすれば
邪馬台国30国を超え、狗奴国やその他かつての倭国100国の主要国を含めた倭地なのだとすると
三韓の合計は70から80国、倭地(100国)はこれより少し大きいということなのかもしれない
実際は、鏡は腐るほど模倣され各地から出土されることになるのだがw
表記が色々あるのは漢字はなんとなく読めたが発音が浸透していたわけではないからか
しかし中国は三国志の時代なのに日本は文字が残ってないだけでここまでわからんものなのか
つまり卑弥呼は天皇家の系統ではないという事だよ
ヤマタノオロチってマタが8つなんだよな?ってことは頭は9個なんじゃね?
のび太かよ
マジレスすると
マタは「又」ではないんだよ
ヤマタノオロチは漢字で書くと八岐大蛇
あるいは八俣大蛇
岐や俣というのは、「又」の部分ではなく「先端」の事を指す
つまり、8つの頭を持つ大蛇という意味なのよ
なるほど。
じゃあ福嶌の九頭竜川とは関係ないんだな。
あ、福井ね。
この人の説によると、天皇家なんだけど祈り専門の担当だとか
https://youtu.be/99-JjHf9zZo?si=BzGh53AkXd9KvRJG
動画は見る気にならんので見ないけど
祈り専門の人を女王として扱うのはおかしいだろ?
それに魏志倭人伝では周辺国と共立した女王でもある
見てないけどその人の説は正しくないだろうな
クレオパトラみたいな統治者じゃなくて、神様と話ができる巫女さんとしての王だからね
いわゆる女王とはちょっと違うのだと思うよ
そういう考え方なら無理矢理天皇家と繋げようとしない方が信憑性が高くなると思うよ
だから?
続きを書かないと君の意見は誰にも伝わらない
距離が合わないのは当然。行ってないんだもの
現代でさえ中国は漢字で当て字するからロゴの色味とかデザインで推測しないと漢字だけではわからん
可口可楽=コカコーラとか
クトゥルー川いあ!いあ!
一方中国はドラえもんを
哆啦A梦と翻訳した。
銅鑼衛門ではダメだったのか…
福岡県民は抗争しないと生きていけない大阪と同じ
だった
呪術的な側面を担ってきた。
醍醐天皇の孫で歌人の徽子女王も元は斎王だったな
アレで金の龍を出してた
日本人は区別できなかったなら同じものだ。
帰化人が区別できただけ。
お隣の韓国人なんて清音と濁音の区別ができない。しかし、きっちり分けて発音してる。
それを日本人が文字にすると清音と濁音は分けて書く。しかし、韓国では同じハングル表記になる。
あれってやめることできたんか…
じゃあ在原業平大先生が東下りする必要なかったのでは…
日本人が複数あるンの音を区別してないけど分けて発音してるようなもんだな
地名などの名称ってのは案外、古くからの伝承から変わらず続くものらしいな
北海道の変な地名はだいたいアイヌからだし、焼津はヤマトタケルの伝承から続くらしいし
邪馬台国も当時はヤマト国って言われてて、今の漢字が充てられたってのは納得できる所があるな
多多那豆久阿袁加岐夜麻碁母禮流
夜麻登志宇流波斯
やまとはくにのまほろば
たたなづくあおがきやまごもれる
やまとしうるわし
畿内大和の地域をヤマトと呼ぶようになったのがいつ頃だろうね?
って話しになるんだよな
魏志倭人伝の時代よりも前からヤマトと呼ばれてたのか
あるいは卑弥呼の時代よりもあとに呼ばれ始めたのか
そんでイザナギとイザナミなんか同レベルに尊敬される扱いだったみたいだし、女王がどうとか別になあ
ヒカシハヤマト ヒタカミモ
ニシハツキスミ アシハラモ
ミナミアワソサ キタハネノ
になっててヤマトという呼び方自体は古くて、最初の頃は日本の特定地域を指していたと思われる
言霊みたいな宗教感にこだわってるためだと思う
日本の使者が宇宙大将軍倭国王を自称するくらいだし。
たぶん和平協定持ちかけて、酒のませて邪馬台国のトップ虐いた伝承だと思ってた
スサノオは天皇家じゃないだろ
天皇家はスサノオの姉アマテラスの子孫だぞ?
ホツマツタヱはおいておいて、日本神話の記述的には日本書紀にしろ古事記にしろ神武天皇の曽祖父である天孫のニニギノミコトの親神であるアメノシホミミノミコトは天照大神とスサノオノミコトとの誓約で生まれた神で、
その誕生は天照大神の持ち物からスサノオノミコトが生み出していて天照大神とスサノオノミコトの両方の子孫ってなるから天皇家がスサノオノミコトの子孫っていうのが間違っているとは言えない
ヤマタイこくだと本気でずっと思ってた
恥ずかしすぎる・・・
ハニワ原人激おこ
ヤマト国の王やから、天皇って事か
イズモにいたことになっている
ヤマトにいたのはツチグモ
…ネーミング的に逆では…
唯一文献にどんなクニか記録されたから
ヤマトとヤマタじゃ語源が違うだろう…
一般的にヤマトの語源は山に囲まれた地とか山の麓とかってされていて、ヤマタは八つに頭が分かれたオロチ、もしくは八が日本では大きな数字みたいな意味で使われるから多くのアタマをもつオロチで特にヤマタノオロチは斐伊川の氾濫による川が溢れ出たいくつもの水の流れの反映みたいな有力説があるから、山々の中のヤマトと川の氾濫のメタファーとじゃ別物。
マザームーンこそゲンダイを生きる卑弥呼
ヤマトのオロチではないよ
高志の奴奈川姫は出雲の大国主と婚姻関係で同君連合だった。
なおその子が糸魚川より信州に攻め込んで
諏訪大社の神になった建御名方命神だが
建御雷神にボコボコにされたことになっている。
語源も何も語り継がれた話なのが後に物語風に編集されたので
普通に考えて方言みたいになまって伝わったり、話がいろいろ盛られてる
じゃまだい
八岐大蛇退治の話は日本書紀には出雲以外に一書として安芸国の話としているのも挙げられているから出雲の神話で完全に確定って訳でもないだろう(出雲国風土記で取り上げられている話でもないし)
この時代の史料は少ないんだからしょうがないだろ
熊本県民「山たい。」
使節団「やまたい?そこにいるのだな。」
熊本県民「そけ、みんなおるばい。」
使節団「女王のいる場所は邪馬台国っと」
遣隋使とか命懸けだったんだろ?
魏の方から来てる
属国扱いだから管理されてる
邪馬台国で内乱が起きた時も魏がクチをはさんでる
コーヒー吹いたじゃねーか
この頃の日本は文字すら無いから技術の継承もできないから船とか作れない
朝鮮半島経由だとそれほど難しくないが
遣隋使は迂回しようとして悲惨なことになってる。
(反日的な新羅が統一したので)
だから 邪馬壱って漢字で書いてあって勝手に日本で邪馬台って改変してヤマトとかドヤってるだけ
ヤバイチって地方の土地の女王気取りが奴隷を中国に送ってご機嫌を取っただけ 全く後に続かないヤバイチ
邪馬壹になっているのは陳寿が描いた原本ではなく今残っているものの中では最古の12世紀に刊行されたものでそうなっているだけで、魏志から子引や孫引したものは邪馬臺表記だろ(子引孫引している書物は現在残っている魏志より古い刊行のものでも邪馬臺表記で邪馬壹にはなってない)
今の中国人と魏の人は別物だろ
日本人もだけど
んなこたあない
縄文の時代からカヌーや古代船造って各地の島や朝鮮半島に渡って住み着いてた
困難なのは東シナ海を渡って直接大陸に行くルートだった
70年ほどの歴史しかがない
南朝鮮だぞ?つまんねー
見つかった志賀島は君が代の唄の元だし偶然は無いだろw
君が代の要素を持つ神社が福岡周辺に全部揃ってるんよな
ルーツがこの辺なのはほぼ間違いない
少なくとも地方や集団や家族単位にあったはずの日本独自の文字を上書きするような
漢字を使う渡来人が力を持った時代があったのは間違いない
だから漢字で古代を紐解くというのが曲解の元というのは考え方として間違ってないと思うわ
純粋に音として残ったもので考えないと
順番としては漢字自体の意味を知ってから、音と擦り合わせて当てていくはすだから
言語があれば文字がなくとも文明は発展するよ
縄文時代は文字がなかったしね
縄文土器に紋様を掘るデザインを考えつく頭のある人が、文字を想像できないと思う?
想像できたかもしれないが、必要なかったから文字がないんだろう
インディアンとか18世紀まで文字無かった訳だし
神代文字があるからね
天皇家が聖徳太子の指導で漢字採用しただけで
日本全国至るところにそれぞれの神代文字がある
聖徳太子が遣隋使とかで中国と付き合っちゃったから神代文明は消滅した
頭が良すぎた聖徳太子 神代ひらがなカタカナでいいのに漢字まで覚えさせられるテストに出るぞ必要ない漢字
出所がはっきりした遺跡出土品に刻んであるとかなら分かるが、そういうのは絶無
本物は誰も解読できない
偽物は多くの偽書がある
神代文字が漢字伝来より前に存在してたらいいのに、とは俺も思うが
残念ながらそれは無いだろうな
ちゃんとした史料が発掘されるまでは文字は無かったと考えるべき
古代人が文言を書いたわけではないけどね
そもそも漢字も岩とかに書いてただけでちゃんとしてないからな
それに比べれば今も神社に残る神代文字の方が遥かにちゃんとしてる
天皇家が古事記と違うから偽物って言い張ってるだけだからね
>『古事記』は口伝採録ではない
https://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/08/post-13a8.html
>『古事記』は稗田阿禮の口伝を採録したのではなく、諸家に文書としてあった「帝紀及本辭」を没収した上で廃棄して、
>天武天皇が「削僞定實」した結果できあがった「帝皇日繼及び先代舊辭」(国定文書)
とか出てくるからね
まあ科学的に証明されてからにしようや
だから漢字も科学的に証明されてないだろ 何処の誰が作ったのか一切不明
神代文字はひらがな・カタカナに変化していったってのが定説
それが神代文字なんて話は何処にも
5世紀末に作られたとされる稲荷山古墳鉄剣の文字も漢字だしな
古事記のベースのウエツフミ(上紀)とかが神代文字でしょ 鎌倉時代までは使われていた日本語文字
ウガヤフキアエズ朝だっけ?文明を中国に伝えたのは超古代の日本とか
ムーを定期購読してんの?
それは偽書。。。
吉野ヶ里の横も大和町だった
漢字は科学的に証明されてるよ
約3000年前の甲骨文字が起源で、史料もたくさんある
これらの用途と年代がわかれば、畿内説は滅亡するであろう
勝手に定説作らないでくれw
ひらがなは漢字を書き崩したもの、カタカナは漢字の部分をアレンジしたもの、神代文字は後世に偽作というのが定説だよ
つまり邪馬台国というのは日本そのものだった説
一方、神武天皇が即位したのは紀元前660年と言うことになっているw
神話はロマンなのだから、真面目に受け取るもんじゃない
その直感でぜひ本能寺の変の黒幕は誰かを教えてくれ
邪馬台国は必ずあった
あのな 石に謎の記号が掘られているだけで資料でもなんでもないのよ あれこそ中国人お得意の捏造なのよ 騙されんな
だったら日本の九州には沢山の古墳の謎の記号がありまくりなのよ
魏志倭人伝では途中から倭人の伝聞で邪馬台国の場所を案内してる 現地人の誰かが嘘を言っているベトナムに辿り着いた
ユネスコ主催の世界の記憶を否定するって学説的にはありえんわ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97
文字の変遷も辿れるからな
古墳の石室に燭台の画が並んで描かれてるから文字だ!
とかやってた所とはちょっとレベルが違い過ぎる
スペイン人が絶滅させたらしい
占卜(亀卜)は呪術で本当にあったか無かったか不明だぞ 何の繋がりもないのにキレイに騙されるもんだな 日本各地にある神代文字の石碑が圧倒的に正しい 亀の甲羅て((笑
無知やなぁ
史記には紂王の一族の箕子が朝鮮に渡った(紀元前1046年)とあり
現在ではこの時期に朝鮮最古の稲作遺跡や
殷式の土器が発掘されているのでほぼ裏付けられている。
(なお韓国は否定)
この集団が日本に渡り弥生人になったと考えられる。
(日本最古の稲作遺跡が紀元前906年頃である)
ゆえに卑弥呼(紀元170年~248年頃)はこの集団の末裔と考えられる。
しかしその場合少なくとも甲骨文字が使われていないとおかしいということになる。
殷墟からは亀の甲に書かれた甲骨文字が発掘されているが
日本で発掘されたという話は寡聞にして聞かない。
阿比留草文字は、甲骨文字や金文によく似ているため、これらを基にした文字であるという説がある。
阿比留草文字wiki
しかし漢字が日本に入ってきたのは
論語と千字文が入ってきた応神天皇の16年のことで、
日本書紀によると406年頃、古事記によると378年頃になるため、
伊勢神宮はまだできていない気もする。
一応神話によると
応神天皇の父が景行天皇
景行天皇の父が日本武尊
その叔母が初代伊勢斎王と言うことになっているので
つじつまが合わなくはない。
あわないのは406年にはまだ梁員外騎侍郎周興嗣(千字文の作者)が
まだ生まれてすらいないということだ。
とは言え、倭の五王は420~479年に使いを送っているが、
当時最先端の漢字を習得したことがその契機になったのかもしれない。
殷の祖先は北方民族だから弥生人が北東アジア人と縄文人のミックスのゲノム構造なのと合致するな
その子孫が邪馬台国とすると東アジア人と弥生人のミックスのゲノム構成の古墳人(大和民族・現日本人)とはつながりのないクニということになるな
シャーマン
>この語は19世紀以降、北アジア・極北地域の呪術・宗教的職能者一般に適用され、その後さらに世界各地の類似職能者を意味する用語として広く使用されるに至った。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-76255#:~:text=%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82
他の民族のを使ったから自然と消えたんだろ
古代エジプトの象形文字やメソポタミアの楔文字も消えただろ
神代文字もそういうもんだ
実のところ周は西方の羌族の血が混ざっていて
太公望などはもろ羌族である。
その後の秦も漢化した羌族とと言え、
北魏などはツングース系の鮮卑だった。
この時、半島から日本に到達した一族こそが純粋な漢民族と言えるかもしれない。
その後半島はツングース系民族(高句麗など)と、日本は縄文人と混血するのだが。
この一族が文字を持っていない方が不自然であり、
わずか数十年で漢字を使いこなしているのは
漢字の元となった甲骨文字などの素養があったからではなかろうか。
しかし銅鐸になぜ文字を刻まなかったのか…
銅鐸の中は意外に複雑!? 日本最古の文字は「子」!?
縄文・弥生の新知識~注目の新書紹介~
古くは荊と称した楚が漢を興したんだから
周時代に爵位もない国だから南蛮人だろ
秦は西戎人だ
三皇五帝から夏→商(殷)の歴史が漢民族の歴史だろう。
史記では秦や呉、楚の王は私は蛮族なので…と言うことをしばしば言っている。
劉邦の出身は肺で確かに楚の領土だったが
荊州ではなく徐州…
また、秦を滅ぼしたものを関中の王にすると言われたが
この関中は函谷関より西の秦の旧領のことだったのだが
実際に与えられたのは漢中…つまり益州…四川省で
劉邦は蜀の桟道を焼いてここに入り国号を漢としたが
ここも異民族の地だった。
何で始皇帝が称した皇帝号使うのよ
中原は中華つまり中国と呼ばれていた
周王朝が開かれた時は晋や斉、魯などは公であり
そう称していた
秦や楚や燕は爵位なんかなかった
晋はその中に六候が居たが三つの韓、魏、趙氏が
三分割して国が割れた
何でその後の漢なんて国の民族になるのか分からんな
そもそも最初の統一国家は秦=支那=Chinaだろ
文字や度量衡も秦が統一した
支那字、支那でいいだろ
まあ奴らは法治国家が嫌だから支那と呼ばれるのは嫌だろうが
呂不韋は文信侯だったので爵位が無いわけではないのだが
諸侯が対立し春秋戦国時代を招いた周の反省に基づいて郡県制を採用した。
漢はあっさり滅んだ秦の反省に基づき郡国制に戻した。
劉氏以外は王になれなくして劉氏にあらずんば人にあらずと豪語した
。
後に地方の力が強まり呉楚七国の乱を招いた。
一方、後漢の光武帝は奴国を王として認め金印を送っている。
黄帝の姫氏
舜の姚氏
禹の姒氏
嚳の妘氏
少昊の嬴氏
夏を創設したのは禹なので姒氏
殷(商)は子氏
周は姫氏
太公望は姜氏(羌族)
姫氏の国は魯(周公旦)燕(召公奭)呉(太伯)晋(唐叔虞)など
神農が姜ということは羌族だったのかもしれない。
子氏は後に殷氏に改めたというが
この氏族は朝鮮半島に多い。
一方で日本の渡来人系の氏に
西文氏(かわちのふみ)
東漢氏(やまとのあや)
秦氏(はた)
というのがいるが
やまとと言うのは単に東という意味っぽいのは言ってはいかんのか?
邪馬台国は岡山にあったと主張してる人達がいて
本まで出しているんだよ
東漢氏(倭漢氏、やまとのあやうじ)
西漢氏(河内漢氏、かわちのあやうじ)
ヤマトとカワチの位置関係から東西で当て字にしてるだけでしょう
この二つの地名は当時のヤマト王権では重要だし
Wikipediaみたら渡来してきたあとの本拠地がヤマトとカワチだからヤマトってかいてあるのだが。
だよ
周王朝と関係あるのかな
そこしか手掛かりが無いから学者連中は藁に縋っているんだよ
シナ中国史が凡そ嘘だと知っていてもね
中華思想ってやつだな
その所為で何度も国が滅んでいるシナ中国だが…
学者の人らてだから楽しいんだろうな
中華(笑)は関係無い
漢人と漢民族は違う
中国共産党の幼稚で愚かな面の一つであるわけだが
当時のシナは違う国々で、人も文化も違ったりしていた
呉も楚も中華の外の異文化の野蛮な国だとされていた
漢人と漢民族は違うぞガイジ
中国共産党の幼稚な騙しに乗るなよ
六四天安門
山台
ワケわからんカルト一族に配慮しないで掘るところ掘れよ
もしくは拡張工事ですべて破壊し尽くします
古い地名は上代日本語と関係がある
すはう、すはという上代日本語に漢字をあてたもの
元は熊毛郡周防郷と言うのがあり、
ここが盆地だったのですぼむ→すぼ→すはなった説あり。
周防国 〜 盆地を「すぼむ」と形容。それが変化したことが地名由来。
https://fuuraiki.com/suoonokuni/
なお熊毛には田布施があり、
朝鮮出兵の際に朝鮮人が移り住んだ土地であり、
朝鮮通信使が江戸に向かう際に必ず立ち寄る町であったという。
このあたり出身なのが木戸孝允とか伊藤博文とか岸信介とか。
田布施は鹿児島にもあり、小泉純一郎の父親、小泉純也の出身である。
また大久保利通(麻生の先祖)は鹿児島の高麗町生まれで、
明治維新は朝鮮系による日本の乗っ取りであると見る向きがある。
薩長は大嫌いだが
吉野ケ里とか見たけど、あまりにも寂しく哀れな遺構だから邪馬台国は九州と違うだろって思った
エンタメとか全く無い木枯らしが吹いているだけ エンタメなら河内・大阪あたりでゴッドハンドやって下さい
木戸孝允 出生地長門国萩城下呉服町(現:山口県萩市呉服町)
木戸幸一だった
彼は昭和天皇側近で東條を首相に推薦したと言い、
伊藤博文の一族とのこと
明治天皇すり替え説
https://www.asahi-net.or.jp/~wy4h-isym/meijiennou.pdf
金融からインフラの外資比率もな
担保になるものもう何も無いぐらい
北九州にヤマトの地名はないやろ
福岡県は山門郡って漢字の違う広い地域なのよね
大体がダイワって書いてヤマトってのが嘘くさいだろ 本物はドッチ
九州どころか四国と比べても
新興埋立地のニュータウンって感じで
関西に対しての江戸みたいな
歴史は繰り返しているんじゃね?
結局は天皇の移動だろ
邪馬台国以外にも当時の日本にはいくつも国があったんだろ?
大和王権が邪馬台国にあやかってヤマトを名乗った可能性もあるよね
日本書紀を真に受けたら邪馬台国以前から大和王権があった事になるw
奈良がヤマトになったのは757年ごろからやで
この時点で読み方はタイワあるいはダイワ
字を見れば明らか
ヤマトと呼ぶことにしたのは遣隋使で交流するときにかつての邪馬台国を引き継ぐ国として
知名度を利用したとしか考えられない
古語なんて
応神天皇の頃から大和政権の歴史か?
奈良のヤマト
古墳の埋葬者は不明
明治以降こじつけてきめたらしい
簡単に上代日本語とか言うなよ
新興で天皇と収蔵品だけ移したんだろ
歴史的に毎度やってること
元の場所なんてどうでもいいのよ
移った場所が同じ名前付けてそうなるんだから
「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説。 アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説。
決まった国名が無かったんだろ
毎度の勘違い、行き違い
つまりどういう事なん
それよりも前からヤマト国と呼ばれてた地域が畿内大和とは別の場所にある
という事
で、九州には山門という地名がある
大倭(ヤマト)
邪馬台国(ヤマト国) 2-3世紀
大和(ヤマト) 8世紀、奈良県
日本(ニッポン、ヒノモト) 701年、大宝律令
もうこれ、奈良やろな
>倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東
>大倭(ヤマト)
これ間違ってないか?
ソースなに?
うはっ、ソースはwikiに決まっとる
国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)[注釈 2]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD
それ、8世紀9世紀の話しだよ
1-2世紀ではない
文字が伝わったのが早くて4世紀末から
倭なんて表記は存在しないのが邪馬台国の時代
そう言うことか
朧げながらも国家誕生までの年表を見たいが、誰か綺麗にまとめて欲しいの
1世紀末から2世紀初頭にかけて、倭国をある程度代表する有力な政治勢力が生まれたとする見解があるものの、日本列島各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。いずれにせよ、これ以降、7世紀最末期までの間、倭・倭人を代表する/統合する政治勢力は、対外的に「倭国」を称し続けた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD
なお、神武天皇 紀元前660年即位
邪馬台国と神武天皇の畿内大和政権が同一国家だったという無意識な思い込みをやめたら
歴史はもっと面白くなるよ
レスが断片的で否定だけやから、素人に理解できない
ボクが考える日本国の創世記を書いて欲しいんだけどな
九州に邪馬台国を含む当時の倭国が存在していて
それらの国々が共同で一人の女王を擁立した
それが卑弥呼
「邪馬台国」とは、卑弥呼が所属している国の名前に過ぎず
倭人の国の総称ではない
卑弥呼の時代以降に
邪馬台国とは別の国の権力者が倭国をまとめ上げ勢力を拡大し、畿内大和に首都を置いた
これが神武東遷
魏志倭人伝で卑弥呼や邪馬台国の記述があるので
中国との貿易や朝貢に邪馬台国という名前を利用した
これが「やまと」という名前を頻繁に使い始めるきっかけとなった
照らし合わせれば、ごくごく当たり前のこと
それで滅亡危機と流入、食糧事情や文化の激変
いつも同じところで、と考えること自体がアホ
戦争だってその結果
邪馬台国は九州にあった
神武東征は7-8世紀の出来事やと
面白かったです。ありがとうございます
コレを追えば十分
今はまだどうせ完成しない
他分野の学術研究とかを積極的に取り入れるぐらいじゃないと
日本の考古学は既得権益のクソ
とくに奈良の連中のコメントには反吐が出た
金蔓としか見ていない
入れ墨は縄文人の風習である
卑弥呼は縄文人の女王であった
縄文人連合国は神武の東征で滅ぼされた
女王の国と言うと高志の国も女王国だった。
高志の女王は出雲と婚姻同盟を結ぶが
大和朝廷に抗しがたく敗北。
子孫は諏訪大社の宮司になったという。
畿内、四国、そして高志のあたりに渡来人が多い
出雲はどちらとも言えない
渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ
日経サイエンス
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/
とくに素戔嗚、帥升
中国地方、出雲、そして、四国
もしかしたら、イザナミも渡来系なのかもな
そして、近畿へ
天照の女神化も権威の変化なんだろ
ハプロも三竦みだし
月読は縄文で隠れてしまうがな
DとO1とO2
純粋では無く、渾然だがね
あと、逆転現象とかもある
鉄器や青銅器とかの勘違いも
四国が古い国人ではなく、一番渡来系だったことで
全く考えが変わったんだよね
かなり前になるけど
半島なんて日本への影響はムチャクチャ新しいとしか思えないからね
少なくとも古朝鮮とは完全に別物
遼河周辺で女真同士で争ってそれどころじゃないと思うからね
その斥候やはじき出された爪弾きが今の半島人だから
ハプロも半島は華南と同じ集団、広く見ても華南、華北、満洲と同じ集団にしか見えないからね
日本、沖縄、アイヌは同じ集団だが、半島はそれとは全くの別物
多数派でしょ 日本で魏に使者を送って金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
魏志倭人伝で南を東に変えたら距離的に奈良になるし そもそも九州に大きな国があったとか伝わってない
魏と高句麗が戦っていた時、倭国の代表として高句麗と戦える国はヤマトしか考えられんし
朝鮮が暴れるから魏も日本と仕方なく付き合ってくれただけだから まぁ古代から法則がはたらいてたな
>金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
そこらへんからしてすでに間違ってるもんな
畿内になってから一気に頻繁な交流してんのに
系統が全く違うんだよ
それと規模は無意味だぞ
大陸は内部事情で日本を大きく見せたかった、って当時の状況があるから
統一、安定なんてずっと後
だから、天照大神を女神化させる必要があったし
そして、天皇家が素戔嗚を祖神とハッキリ言わないのも
大陸に疑われたのもそこらへん
そのクセ、ヤマトタケルなどその後も素戔嗚との相似性を匂わせている
どう考えたって渡来系の影響が強くて急速に大陸と結び付いていくクセに
紀元前4世紀以降は近畿
そもそも論になるが
「『魏志』倭人伝」自体が間違っている可能性も高い。
この場合の「間違っている」は、「写本のミス」を含む
『魏志』倭人伝が作られた当時の筆記具は、保存に適してないため、1000年持たなかった。
そのため『魏志』倭人伝は数回の写本が行われており、現在残っているのは11世紀頃の最新版。
その間にまったく書き間違いがないと考えるほうが不自然だろ。
北部九州の勢力と四国を中心とした勢力
その結果としての一番争いから離れた
近畿の新都構想だったとしか思えない
勢力や系統もムチャクチャ
ソレを一つにしようとするから
倭人は全身に刺青と鯨面までやっとったって見て
ヤマト王権以降の日本文化とは違うなと思った
基本的に罪人に対して行う行為で、戦国時代の武将がやってたなんて、聞いたことありません
沖縄やアイヌには刺青文化が残っとるから余計に縄文弥生人と、ヤマト人?は民族や風習も違うんやろなと想像できます
>>937
現代人ゲノムの色分け見ると北九州が青いのが意外ですね
距離的に大陸との玄関口だった筈なのにね
渡来人はそこに定住はしなかったのか争いに敗れて畿内に逃げたのか、ハテ
それに北海道の50人にアイヌが何人含まれとるのか気になる結果ですね
これらから邪馬台国がそれまでの縄文系民族であると考えれば、辻褄が合う訳ですね
面白いです
ここがわかりやすい
https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
夏后の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。
今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威圧する為であったが、後には次第に飾りとなった。
諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。
その(邪馬壱国までの)道の里程を計算すると、まさに(中国の)会稽から東治の東にあるはずだ。(東治は東冶の誤字と考える。)
全身入れ墨とは書いてない。
ただ地域差はあるが子供も全員が入れているという。
会稽の東と言うと鹿児島あたりということになってしまう。
また、そして鹿児島はまさに熊襲の地である。
真珠や青玉を産出するとあるが
青玉は翡翠を連想する。
アイヌの村みたいに弥生の村は残らず古墳人の王朝のクニしか残らなかったからスペインのインカ帝国征服みたいなもんだ
一緒くたにするなよ、ザパニーズ
ハプログループの染色体はDNAの乗り物の役目なので遺伝されてる場合混血した跡が分かるのだが、全ゲノム解析の結果わかる集団的形質とは関係がない
むしろ現日本人(古墳人)も弥生人(縄文人と東北アジア人との混雑)との混雑の結果、縄文人のゲノムが15%あるので古代からの形質は受け継がれてる
古語にタミル語の影響が強い
アイヌや朝鮮やシナが語源ではないんだよ
日本語よりも琉球語の方が古いから島間の方言が
鹿児島と青森よりも違いがあるくらいだ
前氷河期明けに渡って来た縄文系が
琉球を経由して来たのは間違いない
その前の間氷期の5万年前の原住民も居た
同じ縄文人とするのが間違いだ
ハプロCとハプロDの大きな違いがある
半島は華奢なモンゴル人って感じで北方系にしか見えない
捏造だらけの古代日本の歴史がバレてしまう
もう絶対にミステリーは解けないよ