【日本】《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説アーカイブ最終更新 2024/05/22 14:181.TUBASA ★???邪馬台国はどこにあったのか――。古くから続けられてきた論争に決着が付かない理由は、『魏志』倭人伝に記された地理的情報にこだわっていたからだと、歴史学者・桃崎有一郎氏は指摘する。そして、あることに注目すると結論が見えてくるという。いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づけを援用しなければならない。ところが、その文献史料での議論が詰んでいる。3世紀に成立した根本史料の『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない。続きはこちらですhttps://news.yahoo.co.jp/articles/26d2681b19db630bb66988173d1701a9a5981bdb2024/05/02 22:27:42961すべて|最新の50件912.sagebdLBq漢人って何だよ南人・色目人かよ2024/05/19 12:11:21913.sagebdLBq>>892簡単に上代日本語とか言うなよ2024/05/19 12:12:36914.名無しさん6arQL渡来系は四国から近畿に流れ込んでいるのが分かってるからなぁ新興で天皇と収蔵品だけ移したんだろ歴史的に毎度やってること元の場所なんてどうでもいいのよ移った場所が同じ名前付けてそうなるんだから2024/05/19 17:32:58915.名無しさん6arQLそもそも国や首都を意味してないのよ「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説。 アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説。2024/05/19 17:38:22916.名無しさん6arQL大陸に対して自分たちの国はユートピアと言ってるようなもん決まった国名が無かったんだろ毎度の勘違い、行き違い2024/05/19 17:41:22917.名無しさんg0Gkeどこにでもあってどこにもない2024/05/19 18:35:02918.名無しさん9PVOj>>906つまりどういう事なん2024/05/20 08:22:16919.名無しさんKjex3>>918それよりも前からヤマト国と呼ばれてた地域が畿内大和とは別の場所にあるという事で、九州には山門という地名がある2024/05/20 08:25:20920.名無しさん9PVOj倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東大倭(ヤマト)邪馬台国(ヤマト国) 2-3世紀大和(ヤマト) 8世紀、奈良県日本(ニッポン、ヒノモト) 701年、大宝律令もうこれ、奈良やろな2024/05/20 08:44:48921.名無しさんKjex3>>920>倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東>大倭(ヤマト)これ間違ってないか?ソースなに?2024/05/20 08:50:06922.名無しさん9PVOj>>921うはっ、ソースはwikiに決まっとる国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)[注釈 2]。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD2024/05/20 08:55:23923.名無しさんKjex3>>922それ、8世紀9世紀の話しだよ1-2世紀ではない2024/05/20 08:58:21924.名無しさんqP3sb>>922文字が伝わったのが早くて4世紀末から倭なんて表記は存在しないのが邪馬台国の時代2024/05/20 09:07:35925.名無しさんbCI0Hヤマトは都市を表す言葉じゃねぇよ、ボケ2024/05/20 09:36:02926.名無しさん9PVOj>>923そう言うことか朧げながらも国家誕生までの年表を見たいが、誰か綺麗にまとめて欲しいの1世紀末から2世紀初頭にかけて、倭国をある程度代表する有力な政治勢力が生まれたとする見解があるものの、日本列島各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。いずれにせよ、これ以降、7世紀最末期までの間、倭・倭人を代表する/統合する政治勢力は、対外的に「倭国」を称し続けた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BDなお、神武天皇 紀元前660年即位2024/05/20 09:49:08927.名無しさんKjex3>>926邪馬台国と神武天皇の畿内大和政権が同一国家だったという無意識な思い込みをやめたら歴史はもっと面白くなるよ2024/05/20 09:52:57928.名無しさん9PVOj>>927レスが断片的で否定だけやから、素人に理解できないボクが考える日本国の創世記を書いて欲しいんだけどな2024/05/20 09:57:00929.名無しさんbCI0Hオマエのノートに勝手に書いてろよ2024/05/20 10:02:49930.名無しさんKjex3>>928九州に邪馬台国を含む当時の倭国が存在していてそれらの国々が共同で一人の女王を擁立したそれが卑弥呼「邪馬台国」とは、卑弥呼が所属している国の名前に過ぎず倭人の国の総称ではない卑弥呼の時代以降に邪馬台国とは別の国の権力者が倭国をまとめ上げ勢力を拡大し、畿内大和に首都を置いたこれが神武東遷魏志倭人伝で卑弥呼や邪馬台国の記述があるので中国との貿易や朝貢に邪馬台国という名前を利用したこれが「やまと」という名前を頻繁に使い始めるきっかけとなった2024/05/20 10:06:23931.名無しさんbCI0H噴火と寒冷化が人類史を作る照らし合わせれば、ごくごく当たり前のことそれで滅亡危機と流入、食糧事情や文化の激変いつも同じところで、と考えること自体がアホ戦争だってその結果2024/05/20 10:09:10932.名無しさん9PVOj>>930邪馬台国は九州にあった神武東征は7-8世紀の出来事やと面白かったです。ありがとうございます2024/05/20 10:57:35933.名無しさん9PVOj畿内説の人たちの歴史観も見てみたいですが、少数派なんやろうか?2024/05/20 10:58:43934.名無しさんbCI0Hハプロと噴火と寒冷化コレを追えば十分2024/05/20 11:09:28935.名無しさんbCI0H但し、誤魔化しも多くピースもまだまだ足りない今はまだどうせ完成しない他分野の学術研究とかを積極的に取り入れるぐらいじゃないと日本の考古学は既得権益のクソとくに奈良の連中のコメントには反吐が出た金蔓としか見ていない2024/05/20 11:14:08936.名無しさん7GjBL魏志倭人伝に倭人は入れ墨をしているとある入れ墨は縄文人の風習である卑弥呼は縄文人の女王であった縄文人連合国は神武の東征で滅ぼされた女王の国と言うと高志の国も女王国だった。高志の女王は出雲と婚姻同盟を結ぶが大和朝廷に抗しがたく敗北。子孫は諏訪大社の宮司になったという。2024/05/20 11:40:55937.名無しさん7GjBLしかし意外にも九州には渡来人系が少なく畿内、四国、そして高志のあたりに渡来人が多い出雲はどちらとも言えない渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ日経サイエンスhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/2024/05/20 11:46:59938.名無しさんbCI0H天照と素戔嗚を卑弥呼と帥升と考えたらワリと足跡は納得がいったケドねとくに素戔嗚、帥升中国地方、出雲、そして、四国もしかしたら、イザナミも渡来系なのかもなそして、近畿へ天照の女神化も権威の変化なんだろハプロも三竦みだし月読は縄文で隠れてしまうがなDとO1とO2純粋では無く、渾然だがね2024/05/20 12:42:43939.名無しさんbCI0H国津神とかも多分、もの凄い勘違いがあると思ってるあと、逆転現象とかもある鉄器や青銅器とかの勘違いも四国が古い国人ではなく、一番渡来系だったことで全く考えが変わったんだよねかなり前になるけど2024/05/20 12:48:30940.名無しさんbCI0Hちなみに大陸マレー系プラスモンゴルの半島の影響なんか大してないと思ってるよ半島なんて日本への影響はムチャクチャ新しいとしか思えないからね少なくとも古朝鮮とは完全に別物遼河周辺で女真同士で争ってそれどころじゃないと思うからねその斥候やはじき出された爪弾きが今の半島人だからハプロも半島は華南と同じ集団、広く見ても華南、華北、満洲と同じ集団にしか見えないからね日本、沖縄、アイヌは同じ集団だが、半島はそれとは全くの別物2024/05/20 12:57:03941.名無しさんbCI0H但し、刀伊やムクリコクリとか古代から日本に悪逆非道の限りを尽くした最低最悪の外道は今の半島の先祖2024/05/20 13:02:47942.名無しさんxvdDJ>>933多数派でしょ 日本で魏に使者を送って金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ魏志倭人伝で南を東に変えたら距離的に奈良になるし そもそも九州に大きな国があったとか伝わってない魏と高句麗が戦っていた時、倭国の代表として高句麗と戦える国はヤマトしか考えられんし朝鮮が暴れるから魏も日本と仕方なく付き合ってくれただけだから まぁ古代から法則がはたらいてたな2024/05/20 15:12:14943.名無しさんKjex3>>942>金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょそこらへんからしてすでに間違ってるもんな2024/05/20 15:44:14944.名無しさんbCI0H渡来系の影響が強いのに文字伝達に齟齬なんか出ると思うか?畿内になってから一気に頻繁な交流してんのに系統が全く違うんだよそれと規模は無意味だぞ大陸は内部事情で日本を大きく見せたかった、って当時の状況があるから2024/05/20 15:54:00945.名無しさんbCI0H旧唐書などから少なくとも二系統はあると考えるのが自然統一、安定なんてずっと後2024/05/20 15:57:02946.名無しさんbCI0H明らかに記紀や東夷伝、倭人伝なんかを見たって長期間かけた主導権や立場の逆転があるのさだから、天照大神を女神化させる必要があったしそして、天皇家が素戔嗚を祖神とハッキリ言わないのも大陸に疑われたのもそこらへんそのクセ、ヤマトタケルなどその後も素戔嗚との相似性を匂わせているどう考えたって渡来系の影響が強くて急速に大陸と結び付いていくクセに2024/05/20 16:24:10947.名無しさんbCI0H紀元前11世紀から紀元前4世紀前までは明らかに北部九州紀元前4世紀以降は近畿2024/05/20 16:31:30948.名無しさんtBhZm>>8そもそも論になるが「『魏志』倭人伝」自体が間違っている可能性も高い。この場合の「間違っている」は、「写本のミス」を含む『魏志』倭人伝が作られた当時の筆記具は、保存に適してないため、1000年持たなかった。そのため『魏志』倭人伝は数回の写本が行われており、現在残っているのは11世紀頃の最新版。その間にまったく書き間違いがないと考えるほうが不自然だろ。2024/05/20 16:50:16949.名無しさんbCI0H西日本しか無い日本の古代史で北部九州の勢力と四国を中心とした勢力その結果としての一番争いから離れた近畿の新都構想だったとしか思えない2024/05/20 16:53:37950.名無しさんbCI0Hそもそも数世紀単位の時系列無視した寄せ集めだし勢力や系統もムチャクチャソレを一つにしようとするから2024/05/20 16:56:14951.名無しさん9PVOj>>936倭人は全身に刺青と鯨面までやっとったって見てヤマト王権以降の日本文化とは違うなと思った基本的に罪人に対して行う行為で、戦国時代の武将がやってたなんて、聞いたことありません沖縄やアイヌには刺青文化が残っとるから余計に縄文弥生人と、ヤマト人?は民族や風習も違うんやろなと想像できます>>937現代人ゲノムの色分け見ると北九州が青いのが意外ですね距離的に大陸との玄関口だった筈なのにね渡来人はそこに定住はしなかったのか争いに敗れて畿内に逃げたのか、ハテそれに北海道の50人にアイヌが何人含まれとるのか気になる結果ですねこれらから邪馬台国がそれまでの縄文系民族であると考えれば、辻褄が合う訳ですね面白いです2024/05/20 17:37:18952.名無しさん7GjBL>>951ここがわかりやすいhttps://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm夏后の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威圧する為であったが、後には次第に飾りとなった。諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。その(邪馬壱国までの)道の里程を計算すると、まさに(中国の)会稽から東治の東にあるはずだ。(東治は東冶の誤字と考える。)全身入れ墨とは書いてない。ただ地域差はあるが子供も全員が入れているという。会稽の東と言うと鹿児島あたりということになってしまう。また、そして鹿児島はまさに熊襲の地である。真珠や青玉を産出するとあるが青玉は翡翠を連想する。2024/05/20 18:53:11953.名無しさんIpyne渡来人もなにも現日本人のゲノムは70%が東アジア系で30%が弥生系だからみんな渡来してきた民族だろアイヌの村みたいに弥生の村は残らず古墳人の王朝のクニしか残らなかったからスペインのインカ帝国征服みたいなもんだ2024/05/21 02:27:16954.名無しさんH0tmzだからこそ、D1bを30%以上持つかどうかが他集団の違いだろ一緒くたにするなよ、ザパニーズ2024/05/21 11:16:01955.名無しさん2lVS2>953ハプログループの染色体はDNAの乗り物の役目なので遺伝されてる場合混血した跡が分かるのだが、全ゲノム解析の結果わかる集団的形質とは関係がないむしろ現日本人(古墳人)も弥生人(縄文人と東北アジア人との混雑)との混雑の結果、縄文人のゲノムが15%あるので古代からの形質は受け継がれてる2024/05/21 12:54:20956.名無しさんzvWtAどうせ、ソイツは朝鮮、華南、華北、満洲の集団2024/05/21 12:58:57957.名無しさんUlGUH日本は元々南方系だよ古語にタミル語の影響が強いアイヌや朝鮮やシナが語源ではないんだよ日本語よりも琉球語の方が古いから島間の方言が鹿児島と青森よりも違いがあるくらいだ前氷河期明けに渡って来た縄文系が琉球を経由して来たのは間違いないその前の間氷期の5万年前の原住民も居た同じ縄文人とするのが間違いだハプロCとハプロDの大きな違いがある2024/05/22 11:00:59958.名無しさんpBLBT新十津川村こそ邪馬台国。2024/05/22 11:50:36959.名無しさんFK4V6日本人は南方系にしか見えない半島は華奢なモンゴル人って感じで北方系にしか見えない2024/05/22 14:13:43960.名無しさんhl6azヤマトだと色々不都合だから気付いててもスルーされてただけだろ捏造だらけの古代日本の歴史がバレてしまう2024/05/22 14:16:41961.名無しさんFK4V6卑弥呼の墓も拡張工事で木っ端微塵にしたんじゃなかったっけ?もう絶対にミステリーは解けないよ2024/05/22 14:18:41
【政治】財務省が「玉木首相の可能性」に顔面蒼白…!「消費税5%」「年収の壁」「給食費タダ」「高校まで完全無償化」ヤバすぎる大盤振る舞いに「死んでも飲めない」と猛反発 ★4ニュース速報+3202751.62024/11/02 19:27:51
"クマの箱ワナ"を見に行った男性ハンターが死亡 死因を調べたところ…急斜面から滑り落ち、持っていたライフル銃が暴発、銃弾が頭を直撃していたことが判明 北海道厚沢部町ニュース速報+166680.32024/11/02 19:23:32
20代の知人女性が寝ているすきに"スカートを脱がし"下半身をこっそり撮影… 51歳会社員の男を不同意わいせつ容疑で逮捕 通報された後も撮り続ける 札幌ススキノニュース速報+20547.42024/11/02 19:25:45
いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。
当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づけを援用しなければならない。
ところが、その文献史料での議論が詰んでいる。3世紀に成立した根本史料の『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない。
続きはこちらです
https://news.yahoo.co.jp/articles/26d2681b19db630bb66988173d1701a9a5981bdb
簡単に上代日本語とか言うなよ
新興で天皇と収蔵品だけ移したんだろ
歴史的に毎度やってること
元の場所なんてどうでもいいのよ
移った場所が同じ名前付けてそうなるんだから
「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説。 アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説。
決まった国名が無かったんだろ
毎度の勘違い、行き違い
つまりどういう事なん
それよりも前からヤマト国と呼ばれてた地域が畿内大和とは別の場所にある
という事
で、九州には山門という地名がある
大倭(ヤマト)
邪馬台国(ヤマト国) 2-3世紀
大和(ヤマト) 8世紀、奈良県
日本(ニッポン、ヒノモト) 701年、大宝律令
もうこれ、奈良やろな
>倭(ワ) 1-2世紀 奈良盆地東
>大倭(ヤマト)
これ間違ってないか?
ソースなに?
うはっ、ソースはwikiに決まっとる
国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)[注釈 2]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD
それ、8世紀9世紀の話しだよ
1-2世紀ではない
文字が伝わったのが早くて4世紀末から
倭なんて表記は存在しないのが邪馬台国の時代
そう言うことか
朧げながらも国家誕生までの年表を見たいが、誰か綺麗にまとめて欲しいの
1世紀末から2世紀初頭にかけて、倭国をある程度代表する有力な政治勢力が生まれたとする見解があるものの、日本列島各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。いずれにせよ、これ以降、7世紀最末期までの間、倭・倭人を代表する/統合する政治勢力は、対外的に「倭国」を称し続けた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD
なお、神武天皇 紀元前660年即位
邪馬台国と神武天皇の畿内大和政権が同一国家だったという無意識な思い込みをやめたら
歴史はもっと面白くなるよ
レスが断片的で否定だけやから、素人に理解できない
ボクが考える日本国の創世記を書いて欲しいんだけどな
九州に邪馬台国を含む当時の倭国が存在していて
それらの国々が共同で一人の女王を擁立した
それが卑弥呼
「邪馬台国」とは、卑弥呼が所属している国の名前に過ぎず
倭人の国の総称ではない
卑弥呼の時代以降に
邪馬台国とは別の国の権力者が倭国をまとめ上げ勢力を拡大し、畿内大和に首都を置いた
これが神武東遷
魏志倭人伝で卑弥呼や邪馬台国の記述があるので
中国との貿易や朝貢に邪馬台国という名前を利用した
これが「やまと」という名前を頻繁に使い始めるきっかけとなった
照らし合わせれば、ごくごく当たり前のこと
それで滅亡危機と流入、食糧事情や文化の激変
いつも同じところで、と考えること自体がアホ
戦争だってその結果
邪馬台国は九州にあった
神武東征は7-8世紀の出来事やと
面白かったです。ありがとうございます
コレを追えば十分
今はまだどうせ完成しない
他分野の学術研究とかを積極的に取り入れるぐらいじゃないと
日本の考古学は既得権益のクソ
とくに奈良の連中のコメントには反吐が出た
金蔓としか見ていない
入れ墨は縄文人の風習である
卑弥呼は縄文人の女王であった
縄文人連合国は神武の東征で滅ぼされた
女王の国と言うと高志の国も女王国だった。
高志の女王は出雲と婚姻同盟を結ぶが
大和朝廷に抗しがたく敗北。
子孫は諏訪大社の宮司になったという。
畿内、四国、そして高志のあたりに渡来人が多い
出雲はどちらとも言えない
渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ
日経サイエンス
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/
とくに素戔嗚、帥升
中国地方、出雲、そして、四国
もしかしたら、イザナミも渡来系なのかもな
そして、近畿へ
天照の女神化も権威の変化なんだろ
ハプロも三竦みだし
月読は縄文で隠れてしまうがな
DとO1とO2
純粋では無く、渾然だがね
あと、逆転現象とかもある
鉄器や青銅器とかの勘違いも
四国が古い国人ではなく、一番渡来系だったことで
全く考えが変わったんだよね
かなり前になるけど
半島なんて日本への影響はムチャクチャ新しいとしか思えないからね
少なくとも古朝鮮とは完全に別物
遼河周辺で女真同士で争ってそれどころじゃないと思うからね
その斥候やはじき出された爪弾きが今の半島人だから
ハプロも半島は華南と同じ集団、広く見ても華南、華北、満洲と同じ集団にしか見えないからね
日本、沖縄、アイヌは同じ集団だが、半島はそれとは全くの別物
多数派でしょ 日本で魏に使者を送って金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
魏志倭人伝で南を東に変えたら距離的に奈良になるし そもそも九州に大きな国があったとか伝わってない
魏と高句麗が戦っていた時、倭国の代表として高句麗と戦える国はヤマトしか考えられんし
朝鮮が暴れるから魏も日本と仕方なく付き合ってくれただけだから まぁ古代から法則がはたらいてたな
>金印を貰えるほど大きい国はヤマト奈良県しか無いってことでしょ
そこらへんからしてすでに間違ってるもんな
畿内になってから一気に頻繁な交流してんのに
系統が全く違うんだよ
それと規模は無意味だぞ
大陸は内部事情で日本を大きく見せたかった、って当時の状況があるから
統一、安定なんてずっと後
だから、天照大神を女神化させる必要があったし
そして、天皇家が素戔嗚を祖神とハッキリ言わないのも
大陸に疑われたのもそこらへん
そのクセ、ヤマトタケルなどその後も素戔嗚との相似性を匂わせている
どう考えたって渡来系の影響が強くて急速に大陸と結び付いていくクセに
紀元前4世紀以降は近畿
そもそも論になるが
「『魏志』倭人伝」自体が間違っている可能性も高い。
この場合の「間違っている」は、「写本のミス」を含む
『魏志』倭人伝が作られた当時の筆記具は、保存に適してないため、1000年持たなかった。
そのため『魏志』倭人伝は数回の写本が行われており、現在残っているのは11世紀頃の最新版。
その間にまったく書き間違いがないと考えるほうが不自然だろ。
北部九州の勢力と四国を中心とした勢力
その結果としての一番争いから離れた
近畿の新都構想だったとしか思えない
勢力や系統もムチャクチャ
ソレを一つにしようとするから
倭人は全身に刺青と鯨面までやっとったって見て
ヤマト王権以降の日本文化とは違うなと思った
基本的に罪人に対して行う行為で、戦国時代の武将がやってたなんて、聞いたことありません
沖縄やアイヌには刺青文化が残っとるから余計に縄文弥生人と、ヤマト人?は民族や風習も違うんやろなと想像できます
>>937
現代人ゲノムの色分け見ると北九州が青いのが意外ですね
距離的に大陸との玄関口だった筈なのにね
渡来人はそこに定住はしなかったのか争いに敗れて畿内に逃げたのか、ハテ
それに北海道の50人にアイヌが何人含まれとるのか気になる結果ですね
これらから邪馬台国がそれまでの縄文系民族であると考えれば、辻褄が合う訳ですね
面白いです
ここがわかりやすい
https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
夏后の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。
今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威圧する為であったが、後には次第に飾りとなった。
諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。
その(邪馬壱国までの)道の里程を計算すると、まさに(中国の)会稽から東治の東にあるはずだ。(東治は東冶の誤字と考える。)
全身入れ墨とは書いてない。
ただ地域差はあるが子供も全員が入れているという。
会稽の東と言うと鹿児島あたりということになってしまう。
また、そして鹿児島はまさに熊襲の地である。
真珠や青玉を産出するとあるが
青玉は翡翠を連想する。
アイヌの村みたいに弥生の村は残らず古墳人の王朝のクニしか残らなかったからスペインのインカ帝国征服みたいなもんだ
一緒くたにするなよ、ザパニーズ
ハプログループの染色体はDNAの乗り物の役目なので遺伝されてる場合混血した跡が分かるのだが、全ゲノム解析の結果わかる集団的形質とは関係がない
むしろ現日本人(古墳人)も弥生人(縄文人と東北アジア人との混雑)との混雑の結果、縄文人のゲノムが15%あるので古代からの形質は受け継がれてる
古語にタミル語の影響が強い
アイヌや朝鮮やシナが語源ではないんだよ
日本語よりも琉球語の方が古いから島間の方言が
鹿児島と青森よりも違いがあるくらいだ
前氷河期明けに渡って来た縄文系が
琉球を経由して来たのは間違いない
その前の間氷期の5万年前の原住民も居た
同じ縄文人とするのが間違いだ
ハプロCとハプロDの大きな違いがある
半島は華奢なモンゴル人って感じで北方系にしか見えない
捏造だらけの古代日本の歴史がバレてしまう
もう絶対にミステリーは解けないよ