【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 9【倶舎八年】最終更新 2025/06/05 19:021.◆JBLfMwCXhYMqHtS(1/14)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼倶舎論、中論、唯識論かなり難しい話をするスレ😫前スレ【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 8【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/17451868382025/04/27 16:45:43261コメント欄へ移動すべて|最新の50件212.◆JBLfMwCXhYCWWwr(28/30)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼天台寺門宗は、密教というより修験道だな?2025/05/03 06:18:51213.◆JBLfMwCXhYCWWwr(29/30)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼弘法大師の話はほとんど出てこない智証大師のことばかりだ2025/05/03 06:19:19214.◆JBLfMwCXhYCWWwr(30/30)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼寺門宗では、智証大師のほうが偉いんだな2025/05/03 06:19:58215.神も仏も名無しさんrX0o5(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼智証大師は空海の氏族の血を受けているということらしい😀2025/05/03 06:32:55216.神も仏も名無しさんrX0o5(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼俺の先祖絡みなのかわからんが馴染み過ぎてか真言密教よりも親近感が強いので関心薄い探求意欲がない😀2025/05/03 06:34:56217.◆JBLfMwCXhYlxbEj(1/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼・金剛般若経の概要仏が舍衞國祇樹給孤獨園にましましきとき、須菩提の問いにお答えになって、我相等を以て布施持戒等の般若波羅蜜行を行ずるは菩薩ではない。無所得・無諸住等の心で清浄新を起こせば仏土も清浄であり、清浄心であれば如来を見ることができる、とお説きになります。仏教大辞典では「要するにこの経の眼目は「応無所住而生其心」の八字に言い尽くされる」とあります。長尾 雅人「金剛般若経に対する無著の釈偈」では「「金剛般若経」そのものは「無所住」を思想的な根幹とし、それをめぐって「法」や「仏身」や「功徳」についての話題をくりかえし何度も述べている。菩薩の功徳の大きさも、法をいかに考え、仏をいかに見るかによって決まってくる。」と書いています。2025/05/24 13:46:44218.◆JBLfMwCXhYlxbEj(2/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼般若経法華経・華厳経と並ぶ、三大大乗仏典のひとつだが知名度は圧倒的に低い2025/05/24 13:47:29219.◆JBLfMwCXhYlxbEj(3/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼般若心経が有名になりすぎたせいだろう2025/05/24 13:47:46220.◆JBLfMwCXhYlxbEj(4/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼金剛般若経は、そのエッセンスだ2025/05/24 13:48:01221.◆JBLfMwCXhYlxbEj(5/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼「スブーティよ。○○が有るとは、○○が無いということなのだ」を延々と繰り返す、クセの強い経典2025/05/24 13:48:23222.◆JBLfMwCXhYlxbEj(6/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼金剛般若経 全文https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/42679abf08707851727d3c1ed575596f2025/05/24 13:49:19223.◆JBLfMwCXhYlxbEj(7/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼中観派の思想は、般若経がベースになっているとされる2025/05/24 13:49:40224.◆JBLfMwCXhYlxbEj(8/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼中観派と般若経切っても切れない関係2025/05/24 13:50:00225.◆JBLfMwCXhYlxbEj(9/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼AI Overview中観派は、インド大乗仏教の主要な学派の一つであり、ナーガールジュナ(龍樹)によって開祖されました。般若経(般若波羅蜜多経)の教えを理論的に発展させ、空の思想を確立しました。中観派は、一切の法が「空」であり、固有の本質を持たないと主張します。2025/05/24 13:50:56226.◆JBLfMwCXhYlxbEj(10/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼具体的に、中観派と般若経の関係は以下の通りです:1.般若経の思想の展開:中観派は、般若経の「空」の教えをより深く探求し、システム化した学説として展開しました。つまり、中観派は般若経の教えを基盤としつつ、それを理論的に深化させたのです。2025/05/24 13:51:14227.◆JBLfMwCXhYlxbEj(11/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼2.「空」の解釈:中観派は、般若経における「空」を、一切の法が固有の本質を持たないこと、つまり「無自性」であると解釈しました。この「空」の概念は、中観派の基本的な教えであり、彼らが宇宙の真実を理解するための鍵となる考え方です。2025/05/24 13:51:26228.◆JBLfMwCXhYlxbEj(12/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼3.中論:ナーガールジュナの著書である《中論》は、中観派の代表的な著作であり、般若経の思想を論理的に展開したものです。この書物を通じて、中観派の「空」の思想はより詳しく説明され、体系化されたのです。2025/05/24 13:51:44229.◆JBLfMwCXhYlxbEj(13/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼4.他の学派との対比:中観派は、般若経の教えを理解するための論理的なフレームワークを提供し、他の大乗仏教の学派(例えば、唯識派)との対比を通じて、自らの立場を明確にしました。2025/05/24 13:52:34230.◆JBLfMwCXhYlxbEj(14/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼まとめ:中観派は、般若経の「空」の教えを基盤とし、その思想を理論的に発展させた学派です。中観派は、般若経の「空」の概念を深く理解し、それを様々な論理的な議論を通じて展開し、自らの学説を確立しました。中観派は、般若経の教えをより深く理解するための重要な役割を果たしていると言えるでしょう。2025/05/24 13:52:46231.神も仏も名無しさんZsMPU(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼ほーかいくんも戻らないなーコーン🤡様の挑発が必須だ😀2025/05/24 13:58:56232.◆JBLfMwCXhYlxbEj(15/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼ほ~かい講頭が戻りませんな~😫2025/05/24 14:12:15233.◆JBLfMwCXhYlxbEj(16/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼栖ウンコ派のしつこい攻撃で、メンタルをやられたか?😫2025/05/24 14:12:52234.◆JBLfMwCXhYlxbEj(17/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼栖ウンコ士には、ラピスという天敵がいる😂その事実を、ほ~かい講頭はまだ知らない2025/05/24 14:14:27235.◆JBLfMwCXhYlxbEj(18/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼栖ウンコ士の主戦場は、ここではない5ちゃんのキリスト教スレだ2025/05/24 14:31:35236.◆JBLfMwCXhYlxbEj(19/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼そこには、ラピスと美魔女がいる2025/05/24 14:32:21237.◆JBLfMwCXhYlxbEj(20/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼妖怪みたいな連中だ😱2025/05/24 14:32:381238.◆JBLfMwCXhYlxbEj(21/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼『金剛般若経』では、釈尊と弟子のスブーティ(須菩提)の対話という形で進行し、ひたすら、○○がないということが○○があるということなのだ、ということが繰り返されます。2025/05/24 15:23:20239.◆JBLfMwCXhYlxbEj(22/22)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼スブーティよ、如来によって説かれた「知恵の完成」は、すなわち完成ではない、と如来は説かれたのであって、それゆえ、「知恵の完成」といわれるからである。(長尾雅人訳『大乗経典1』中公文庫)2025/05/24 15:23:32240.神も仏も名無しさんZsMPU(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼>>237元こまスレとムイムイスレにしかレス意欲がでませんなー😀2025/05/24 15:35:17241.◆JBLfMwCXhYEEzE0(1/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼金剛般若経より受法受持分第十三爾時須菩提白佛言「世尊。當に此の經を何と名けむ。我等云何奉持すべきや」。佛告須菩提「是經は名けて金剛般若波羅蜜と為す。是の名字を以て汝當に奉持すべし。所以は何ん。須菩提よ、佛の般若波羅蜜を説けるは則ち般若波羅蜜に非ず、是を般若波羅蜜なりと説く。須菩提。意に於いて云何。如來所説の法ありや不や」。須菩提白佛言「世尊。如來に説きたまふ所なし」。「須菩提よ、意に於いて云何。三千大千世界の所有る微塵は是れ多しと為さんや不や。」須菩提言「甚だ多し、世尊」。「須菩提よ、諸微塵を如來は微塵に非ず、是を微塵と名くと説く。如來は世界は世界に非ず是を世界と名く、と説く。須菩提よ、意に於いて云何。三十二相を以て如來を見たてまつるべきや不や」。「不也世尊。三十二相を以て如來を見たてまつることを得べからず。何以故。如來は三十二相は即ち是れ相に非ず、是を三十二相と名くと説かれたればなり。須菩提よ、若し善男子善女人ありて。恒河沙に等しき身命を以て布施せんに、若し復た人ありて此經中において乃至四句偈等を受持し他人の為に説かんに其福甚だ多し。」2025/05/25 07:03:22242.◆JBLfMwCXhYEEzE0(2/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼須菩提よ、佛の般若波羅蜜を説けるは則ち般若波羅蜜に非ず、是を般若波羅蜜なりと説く。須菩提よ、諸微塵を如來は微塵に非ず、是を微塵と名くと説く。如來は世界は世界に非ず、是を世界と名く、と説く。如來は三十二相は即ち是れ相に非ず、是を三十二相と名くと説かれたればなり。2025/05/25 07:03:54243.◆JBLfMwCXhYEEzE0(3/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼「スブーティよ、如来は○○は○○にあらず、これを○○と名づくと説く」金剛般若経は、これを繰り返す2025/05/25 07:06:00244.◆JBLfMwCXhYEEzE0(4/4)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼唯名論というか、言語の限界論というか2025/05/25 07:06:50245.神も仏も名無しさんKSfES(1/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼禅の実用対応の裏があるのさーしかし実用対応の魔王フラッシュ昨夜やりまくってたのはワロタ😀2025/05/25 10:38:44246.神も仏も名無しさんKSfES(2/2)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼大日如来か、不動明王か、毘盧遮那仏か、 観世音菩薩か、久遠実成釈迦如来かみたいなノリノリやった昨夜完璧に何者かに乗せられていた😀2025/05/25 10:41:16247.◆JBLfMwCXhYrHa0PコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼この世は、大日如来=毘盧遮那仏の顕現なのだ~😆2025/05/25 13:36:28248.神も仏も名無しさんtxFMCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼天理教お社ナウ家にいると調子が悪くなりそうなのでお出かけだ😀2025/05/25 16:26:00249.◆JBLfMwCXhYKYbUl(1/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼栖ウンコ士が大好きな「名言種子」は、唯識論の中でも、一種の言語哲学と言える2025/05/29 08:32:26250.◆JBLfMwCXhYKYbUl(2/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼仏教思想の中でも、最も「言語」にこだわるのは中観派だ唯識論は、そこまでこだわらないだが、唯識論においても「言語」は重要だ2025/05/29 08:33:28251.◆JBLfMwCXhYKYbUl(3/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼20世紀の世界の哲学界は、言語哲学に席巻されていたそんな中で、世界の巨匠・井筒俊彦は、仏教理論を一種の言語哲学として捉える再解釈を行った2025/05/29 08:35:07252.◆JBLfMwCXhYKYbUl(4/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼この方面に関して、良い論文があった清森義行と同じく、浄土真宗の人だが「唯識論における言葉」 花栄 同朋大学論文2025/05/29 08:37:14253.◆JBLfMwCXhYKYbUl(5/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼花栄「唯識論における言葉」より唯識説では、阿頼耶識がわれわれの経験するあらゆる物事を現し出すのは、阿頼耶識のなかに蓄えられた過去の経験の力(種子)によるとされる。その過去の経験とは、始まりのない過去からの輪廻転生の数限りの無い生涯において積み重ねてきた無限の業を意味する。その業の力がわれわれの阿頼耶識のなかに種子として蓄えられ、新たな境涯を牽引し、その境涯で経験されるあらゆる物事を現し出す。あらゆる物事を現し出す種子のなかで最も力の強い種子は名言種子と呼ばれる「言葉の種子」である。唯識学派が迷いの境涯を現し出す根拠を阿頼耶識であると言うのは、阿頼耶識が「言葉の種子」である名言種子を蓄えることによるものと考えられる。他方、この学派においては、迷いの境涯を転じて仏の悟りの世界を現し出すものを法界等流の「聞熏習」によって阿頼耶識に蓄えられる清浄な「言葉の種子」であると考える。2025/05/29 08:37:50254.◆JBLfMwCXhYKYbUl(6/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼このように、唯識説は、迷いの雑染の境涯を現し出すものも、悟りの清浄な世界を現し出すものも、ともに「言葉の種子」であると考える。このように言葉を重視するところに唯識説の存在論と修道論の特徴があると考えられる。筆者の現在の最大の関心は、親鸞教学において浄土への往生行において「念仏」という「言葉」の修習がどのように領解されているかを検討することである。そのことを検討するうえで、唯識説において言葉の修習がどのように説かれるかを考察することは有益であると考えられる。そのためには唯識説の修道論における言葉の修習がいかなるものであるかを明らかにしなければならないが、ここではその修道論の考察に入る前に、その予備的考察として、迷いの境涯と悟りの境涯と、それらの境涯を現し出す言葉の種子を蓄える阿頼耶識との関係についての考察に着手したい。2025/05/29 08:38:10255.◆JBLfMwCXhYGaQkj(1/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼阿毘達磨倶舎論阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者として、4世紀-5世紀頃にインドで成立したとされる、部派仏教の教義体系を整理・発展させた論書である。サンスクリット原典の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』20世紀にサンスクリット原典が発見されてからは、漢訳に依らない研究が行われている。2025/06/05 13:33:26256.◆JBLfMwCXhYGaQkj(2/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼構成8章の本編と附編1章からなる「論」は、学説を圧縮した形で語る韻文の部分である本頌(ほんじゅ)もしくは偈頌(げじゅ)と、それを散文で解釈し論ずる長行(じょうごう)もしくは「釈」から構成されている。偈頌は4つの句をもって1偈とする韻律をもち、598偈(漢訳608偈)を有する。猶、破我品には本頌は存在しない。界品(かいぼん):(1)序説、(2)有漏・無漏、有為・無為の説明、蘊・処・界の説明、(3)蘊・処・界についての種々の問題、(4)十八界の分類的考察[31]。48偈(玄奘訳では47偈)。根品(こんぼん):(1)二十ニ根の説明、(2)法と倶生の定則、(3)心所法(五位も参照)の説明、(4)心不相応行法の説明、(5)六因・五果・四因の説明(後述「因果関係の法則」も参照)、(6)十二心・二十心の相生の原則[31]。73偈(玄奘訳では74偈)。世間品(せけんぼん,):(1)三界・五趣・四生、(2)中有についての論議、(3)十二縁起の解釈、(4)有情に関する種々の問題、(5)器世間の構造とそこに住する有情、(6)世間の消滅変化[32]。102偈(玄奘訳では99偈)。業品(ごうぼん):(1)業の種類、(2)各種の表業・無表業の性質、(3)経典に見える種々の業説。(4)十善業道・十不善業道についての説明、(5)業についての雑多な事項の収録[32]。127偈(玄奘訳では131偈)。随眠品(ずいめんぼん):(1)九十八随眠の理論、(2)九十八随眠の分類的考察、(3)経中に見える諸種の煩悩についての説明、(4)煩悩の断滅。70偈(玄奘訳では69偈)。賢聖品(けんしょうぼん):(1)道についての総論、(2)諦の説明、(3)三賢・四善根、(4)見道・修道についての説明、(5)無学道およびそれに関する種々の事項、(6)諸種の道の説明[33]。79偈(玄奘訳では83偈)。智品(ちぼん):(1)忍と智と見との関係、(2)十智とその形相など、(3)智を自性とする種々な徳。56偈(玄奘訳では61偈)。定品(じょうぼん):(1)徳のよりどころとなる各種の三昧、(2)三昧をよりどころとする種々の徳、(3)総括。43偈(玄奘訳では39偈)。破我品(はがぼん):「我」(が)ありとする主張の論破。界品・根品で基礎的範疇を説明し、世間品・業品・随眠品で迷いの世界を解明し、賢聖品・智品・定品で悟りに至る道を説く。最後に付録の破我品で異説を論破する。2025/06/05 13:33:40257.◆JBLfMwCXhYGaQkj(3/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼因果関係の法則多様に複雑な因果関係をなしている諸法を、因である点から六因、四縁に、果である点から五果に分類する(分別根本第二)。2025/06/05 13:34:28258.◆JBLfMwCXhYGaQkj(4/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼六因説この六因説は経典に明確な文言を用いて説示されている説ではない。恐らくは有部アビダルマにおいて構築された説である。六因説の初出については『発智論』[大正蔵26巻920c]であると指摘されている。能作因(のうさいん) – ある存在(法、ダルマという)が生起するとき少なくともその妨げをしないという点で、他のすべての存在がその存在に対して原因としてのはたらきをもつこと。芽に対する種のような結びつきの強い原因はもちろん能作因であるが、月が存在することに対してスッポンは何の妨げも為さないことから月にとってスッポンは能作因である。倶有因(くういん) – 因・果が同時に生じ、相互に因となり果となるという同様な関係を持つときの因のこと。たとえば二枚のトランプをお互いよりかからせて立たせた時に、お互いがお互いの倶有因であり士用果である。同類因(どうるいいん) – 現在の瞬間と同類の現象が後に果として生じる時の原因のこと。因が善ならば果も善、悪ならば悪、無記ならば無記と、その性質をともにしなくてはならない。例えば、忍耐をしているある瞬間は、忍耐をしている次の瞬間の同類因となる。相応因(そうおういん) – 倶有因の一種で、心と心作用との間の関係についてのみ用いる。遍行因(へんぎょういん) – 同類因の特別な場合で、11種の遍行およびそれと相伴う諸法のこと。好ましくない感情や態度が、後の瞬間の好ましくない感情や態度を作り出す時の原因にあたるもの。異熟因(いじゅくいん) - 諸々の善・悪といった、(煩悩に関連する)業のこと。相互に時を隔てた異時点間の因果関係から、楽・苦などの果をもたらす。この果(異熟果)は、善でも悪でもない(「無記」である)ことから、異熟と呼ばれる。2025/06/05 13:34:47259.◆JBLfMwCXhYGaQkj(5/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼四縁因果関係の因について、上記の「六因」とは異なる分類のしかたをしたもの。因縁(いんねん) - 六因のうち、能作因を除く五因(倶有因・同類因・相応因・遍行因・異熟因)をまとめたもの。等無間縁(とうむけんねん) - 先の瞬間において生起していた心およびそれと相伴う心作用(前念)が過去に過ぎ去り、直後の瞬間に別の心・心作用(後念)が未来から生起し継承する(心相続)という因果関係の因。因と果が必ずしも同類でないことから同類因と区別される[44]。前念と後念が無間(時間的な隔たりがない)であるときの前念をさして、等無間縁という。次第縁ともいう。六因のなかでは能作因以外の五因のどれにもあたらないから、最も包括的な能作因に入れるほかはないが、能作因の示す弱い因果関係とは異なったものであるため、有力能作因と呼んで区別することもある。所縁縁(しょえんねん) - 心・心作用の対象(所縁)のことを所縁縁という。(説一切有部では対象のない心はありえないため)心・心作用は所縁がなければ生じないことから、因としては所縁縁となる(果としては、心・心作用そのものが増上果となる)。有力能作因に数えられる。縁縁ともいう。例えば「青」い物体は、それが「青」という特性を持っているという眼識を引き起こす。増上縁(ぞうじょうえん)- 最も広義の縁で、ひろく能作因に相当する。もの・心一般に広く通じる原因であって、結果を望むことができるような縁となるものを総称したもの。他の物事が生ずることを助ける働きをする縁。2025/06/05 13:35:01260.◆JBLfMwCXhYGaQkj(6/6)コメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼五果増上果(ぞうじょうか) - 六因のうち能作因に、四縁のうち増上縁・等無間縁・所縁縁に対応する果。増上は「力を及ぼすもの」の意。士用果(じゆうか) - 六因のうち倶有因・相応因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。因と果が時を同じくする関係になっている。士用は「男子の動作」の意で、因の力の強いのをそう例えたもの。等流果(とうるか) - 六因のうち同類因・遍行因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。等流果は多くの場合自らまた同類因となって次の等流果を生ぜしめ、そこに因果の連鎖が続く。等流とは、因から「流れ出る」の意。異熟果(いじゅくか) - 六因のうち異熟因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。異熟果は善でも悪でもない「無記」であり、異熟果自体が自ら異熟因となって再び異熟果を生じそこに因果の連鎖をなすことはない。離繫果(りけか) - 煩悩の止滅(すなわち涅槃)のこと。三世実有の立場では、煩悩はその作用を失うことによって過去の位相に落謝し、滅び去っていく。涅槃は、煩悩の拘束から離れる・解放される(離繫りけ)ことであり、正しい知恵の結果であることから果のひとつと位置づけられる。有部によれば、離繫果の因は能作因であるが、世親はこれを批判している。2025/06/05 13:35:12261.神も仏も名無しさんJqsbCコメントのURLをコピーこの ID を非表示コメントを通報コメントの削除依頼修行ばかりの1日であったー😀集中力のギアは確定した😀2025/06/05 19:02:09
【自民・小野寺政調会長、減税のデメリットを強調】「消費税減税、実は所得の低い方々には恩恵が薄く、高い物をたくさん変える高所得者ほど得をする」ニュース速報+2182505.72025/06/19 19:17:03
【農業】小泉進次郎農相 “コンバインのリース”提案…「2000万円のコンバインを1年のうち1カ月しか使わないのに、普通、買えます?」「レンタルやリースって当たり前」ニュース速報+8862087.32025/06/19 19:15:56
かなり難しい話をするスレ😫
前スレ
【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 8【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1745186838
智証大師のことばかりだ
いうことらしい
😀
わからんが
馴染み過ぎてか
真言密教よりも親近感が強いので
関心薄い
探求意欲がない
😀
仏が舍衞國祇樹給孤獨園にましましきとき、須菩提の問いにお答えになって、我相等を以て布施持戒等の般若波羅蜜行を行ずるは菩薩ではない。無所得・無諸住等の心で清浄新を起こせば仏土も清浄であり、清浄心であれば如来を見ることができる、とお説きになります。仏教大辞典では「要するにこの経の眼目は「応無所住而生其心」の八字に言い尽くされる」とあります。長尾 雅人「金剛般若経に対する無著の釈偈」では「「金剛般若経」そのものは「無所住」を思想的な根幹とし、それをめぐって「法」や「仏身」や「功徳」についての話題をくりかえし何度も述べている。菩薩の功徳の大きさも、法をいかに考え、仏をいかに見るかによって決まってくる。」と書いています。
法華経・華厳経と並ぶ、三大大乗仏典のひとつだが
知名度は圧倒的に低い
を延々と繰り返す、クセの強い経典
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/42679abf08707851727d3c1ed575596f
切っても切れない関係
中観派は、インド大乗仏教の主要な学派の一つであり、ナーガールジュナ(龍樹)によって開祖されました。般若経(般若波羅蜜多経)の教えを理論的に発展させ、空の思想を確立しました。中観派は、一切の法が「空」であり、固有の本質を持たないと主張します。
1.般若経の思想の展開:
中観派は、般若経の「空」の教えをより深く探求し、システム化した学説として展開しました。つまり、中観派は般若経の教えを基盤としつつ、それを理論的に深化させたのです。
中観派は、般若経における「空」を、一切の法が固有の本質を持たないこと、つまり「無自性」であると解釈しました。この「空」の概念は、中観派の基本的な教えであり、彼らが宇宙の真実を理解するための鍵となる考え方です。
ナーガールジュナの著書である《中論》は、中観派の代表的な著作であり、般若経の思想を論理的に展開したものです。この書物を通じて、中観派の「空」の思想はより詳しく説明され、体系化されたのです。
中観派は、般若経の教えを理解するための論理的なフレームワークを提供し、他の大乗仏教の学派(例えば、唯識派)との対比を通じて、自らの立場を明確にしました。
中観派は、般若経の「空」の教えを基盤とし、その思想を理論的に発展させた学派です。中観派は、般若経の「空」の概念を深く理解し、それを様々な論理的な議論を通じて展開し、自らの学説を確立しました。中観派は、般若経の教えをより深く理解するための重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
必須だ
😀
その事実を、ほ~かい講頭はまだ知らない
5ちゃんのキリスト教スレだ
(長尾雅人訳『大乗経典1』中公文庫)
元こまスレと
ムイムイスレにしか
レス意欲がでませんなー
😀
受法受持分第十三
爾時須菩提白佛言「世尊。當に此の經を何と名けむ。我等云何奉持すべきや」。佛告須菩提「是經は名けて金剛般若波羅蜜と為す。是の名字を以て汝當に奉持すべし。所以は何ん。須菩提よ、佛の般若波羅蜜を説けるは則ち般若波羅蜜に非ず、是を般若波羅蜜なりと説く。須菩提。意に於いて云何。如來所説の法ありや不や」。須
菩提白佛言「世尊。如來に説きたまふ所なし」。「須菩提よ、意に於いて云何。三千大千世界の所有る微塵は是れ多しと為さんや不や。」
須菩提言「甚だ多し、世尊」。「須菩提よ、諸微塵を如來は微塵に非ず、是を微塵と名くと説く。如來は世界は世界に非ず是を世界と名く、と説く。須菩提よ、意に於いて云何。三十二相を以て如來を見たてまつるべきや不や」。「不也世尊。三十二相を以て如來を見たてまつることを得べからず。何以故。如來は三十二相は即ち是れ相に非ず、是を三十二相と名くと説かれたればなり。須菩提よ、若し善男子善女人ありて。恒河沙に等しき身命を以て布施せんに、若し復た人ありて此經中において乃至四句偈等を受持し他人の為に説かんに其福甚だ多し。」
須菩提よ、諸微塵を如來は微塵に非ず、是を微塵と名くと説く。
如來は世界は世界に非ず、是を世界と名く、と説く。
如來は三十二相は即ち是れ相に非ず、是を三十二相と名くと説かれたればなり。
金剛般若経は、これを繰り返す
実用対応の
裏があるのさー
しかし実用対応の魔王フラッシュ昨夜やりまくってたのは
ワロタ
😀
みたいな
ノリノリやった昨夜
完璧に何者かに乗せられていた
😀
家にいると調子が悪くなりそうなので
お出かけだ
😀
唯識論の中でも、一種の言語哲学と言える
唯識論は、そこまでこだわらない
だが、唯識論においても「言語」は重要だ
そんな中で、世界の巨匠・井筒俊彦は、
仏教理論を一種の言語哲学として捉える
再解釈を行った
清森義行と同じく、浄土真宗の人だが
「唯識論における言葉」 花栄 同朋大学論文
唯識説では、阿頼耶識がわれわれの経験するあらゆる物事を現し出すのは、阿頼耶識のなかに蓄えられた過去の経験の力(種子)によるとされる。その過去の経験とは、始まりのない過去からの輪廻転生の数限りの無い生涯において積み重ねてきた無限の業を意味する。その業の力がわれわれの阿頼耶識のなかに種子として蓄えられ、新たな境涯を牽引し、その境涯で経験されるあらゆる物事を現し出す。あらゆる物事を現し出す種子のなかで最も力の強い種子は名言種子と呼ばれる「言葉の種子」である。唯識学派が迷いの境涯を現し出す根拠を阿頼耶識であると言うのは、阿頼耶識が「言葉の種子」である名言種子を蓄えることによるものと考えられる。他方、この学派においては、迷いの境涯を転じて仏の悟りの世界を現し出すものを法界等流の「聞熏習」によって阿頼耶識に蓄えられる清浄な「言葉の種子」であると考える。
阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者として、4世紀-5世紀頃にインドで成立したとされる、部派仏教の教義体系を整理・発展させた論書である。
サンスクリット原典の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』
20世紀にサンスクリット原典が発見されてからは、漢訳に依らない研究が行われている。
8章の本編と附編1章からなる「論」は、学説を圧縮した形で語る韻文の部分である本頌(ほんじゅ)もしくは偈頌(げじゅ)と、それを散文で解釈し論ずる長行(じょうごう)もしくは「釈」から構成されている。偈頌は4つの句をもって1偈とする韻律をもち、598偈(漢訳608偈)を有する。猶、破我品には本頌は存在しない。
界品(かいぼん):(1)序説、(2)有漏・無漏、有為・無為の説明、蘊・処・界の説明、(3)蘊・処・界についての種々の問題、(4)十八界の分類的考察[31]。48偈(玄奘訳では47偈)。
根品(こんぼん):(1)二十ニ根の説明、(2)法と倶生の定則、(3)心所法(五位も参照)の説明、(4)心不相応行法の説明、(5)六因・五果・四因の説明(後述「因果関係の法則」も参照)、(6)十二心・二十心の相生の原則[31]。73偈(玄奘訳では74偈)。
世間品(せけんぼん,):(1)三界・五趣・四生、(2)中有についての論議、(3)十二縁起の解釈、(4)有情に関する種々の問題、(5)器世間の構造とそこに住する有情、(6)世間の消滅変化[32]。102偈(玄奘訳では99偈)。
業品(ごうぼん):(1)業の種類、(2)各種の表業・無表業の性質、(3)経典に見える種々の業説。(4)十善業道・十不善業道についての説明、(5)業についての雑多な事項の収録[32]。127偈(玄奘訳では131偈)。
随眠品(ずいめんぼん):(1)九十八随眠の理論、(2)九十八随眠の分類的考察、(3)経中に見える諸種の煩悩についての説明、(4)煩悩の断滅。70偈(玄奘訳では69偈)。
賢聖品(けんしょうぼん):(1)道についての総論、(2)諦の説明、(3)三賢・四善根、(4)見道・修道についての説明、(5)無学道およびそれに関する種々の事項、(6)諸種の道の説明[33]。79偈(玄奘訳では83偈)。
智品(ちぼん):(1)忍と智と見との関係、(2)十智とその形相など、(3)智を自性とする種々な徳。56偈(玄奘訳では61偈)。
定品(じょうぼん):(1)徳のよりどころとなる各種の三昧、(2)三昧をよりどころとする種々の徳、(3)総括。43偈(玄奘訳では39偈)。
破我品(はがぼん):「我」(が)ありとする主張の論破。
界品・根品で基礎的範疇を説明し、世間品・業品・随眠品で迷いの世界を解明し、賢聖品・智品・定品で悟りに至る道を説く。最後に付録の破我品で異説を論破する。
多様に複雑な因果関係をなしている諸法を、因である点から六因、四縁に、果である点から五果に分類する(分別根本第二)。
この六因説は経典に明確な文言を用いて説示されている説ではない。恐らくは有部アビダルマにおいて構築された説である。六因説の初出については『発智論』[大正蔵26巻920c]であると指摘されている。
能作因(のうさいん) – ある存在(法、ダルマという)が生起するとき少なくともその妨げをしないという点で、他のすべての存在がその存在に対して原因としてのはたらきをもつこと。芽に対する種のような結びつきの強い原因はもちろん能作因であるが、月が存在することに対してスッポンは何の妨げも為さないことから月にとってスッポンは能作因である。
倶有因(くういん) – 因・果が同時に生じ、相互に因となり果となるという同様な関係を持つときの因のこと。たとえば二枚のトランプをお互いよりかからせて立たせた時に、お互いがお互いの倶有因であり士用果である。
同類因(どうるいいん) – 現在の瞬間と同類の現象が後に果として生じる時の原因のこと。因が善ならば果も善、悪ならば悪、無記ならば無記と、その性質をともにしなくてはならない。例えば、忍耐をしているある瞬間は、忍耐をしている次の瞬間の同類因となる。
相応因(そうおういん) – 倶有因の一種で、心と心作用との間の関係についてのみ用いる。
遍行因(へんぎょういん) – 同類因の特別な場合で、11種の遍行およびそれと相伴う諸法のこと。好ましくない感情や態度が、後の瞬間の好ましくない感情や態度を作り出す時の原因にあたるもの。
異熟因(いじゅくいん) - 諸々の善・悪といった、(煩悩に関連する)業のこと。相互に時を隔てた異時点間の因果関係から、楽・苦などの果をもたらす。この果(異熟果)は、善でも悪でもない(「無記」である)ことから、異熟と呼ばれる。
因果関係の因について、上記の「六因」とは異なる分類のしかたをしたもの。
因縁(いんねん) - 六因のうち、能作因を除く五因(倶有因・同類因・相応因・遍行因・異熟因)をまとめたもの。
等無間縁(とうむけんねん) - 先の瞬間において生起していた心およびそれと相伴う心作用(前念)が過去に過ぎ去り、直後の瞬間に別の心・心作用(後念)が未来から生起し継承する(心相続)という因果関係の因。因と果が必ずしも同類でないことから同類因と区別される[44]。前念と後念が無間(時間的な隔たりがない)であるときの前念をさして、等無間縁という。次第縁ともいう。六因のなかでは能作因以外の五因のどれにもあたらないから、最も包括的な能作因に入れるほかはないが、能作因の示す弱い因果関係とは異なったものであるため、有力能作因と呼んで区別することもある。
所縁縁(しょえんねん) - 心・心作用の対象(所縁)のことを所縁縁という。(説一切有部では対象のない心はありえないため)心・心作用は所縁がなければ生じないことから、因としては所縁縁となる(果としては、心・心作用そのものが増上果となる)。有力能作因に数えられる。縁縁ともいう。例えば「青」い物体は、それが「青」という特性を持っているという眼識を引き起こす。
増上縁(ぞうじょうえん)- 最も広義の縁で、ひろく能作因に相当する。もの・心一般に広く通じる原因であって、結果を望むことができるような縁となるものを総称したもの。他の物事が生ずることを助ける働きをする縁。
増上果(ぞうじょうか) - 六因のうち能作因に、四縁のうち増上縁・等無間縁・所縁縁に対応する果。増上は「力を及ぼすもの」の意。
士用果(じゆうか) - 六因のうち倶有因・相応因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。因と果が時を同じくする関係になっている。士用は「男子の動作」の意で、因の力の強いのをそう例えたもの。
等流果(とうるか) - 六因のうち同類因・遍行因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。等流果は多くの場合自らまた同類因となって次の等流果を生ぜしめ、そこに因果の連鎖が続く。等流とは、因から「流れ出る」の意。
異熟果(いじゅくか) - 六因のうち異熟因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。異熟果は善でも悪でもない「無記」であり、異熟果自体が自ら異熟因となって再び異熟果を生じそこに因果の連鎖をなすことはない。
離繫果(りけか) - 煩悩の止滅(すなわち涅槃)のこと。三世実有の立場では、煩悩はその作用を失うことによって過去の位相に落謝し、滅び去っていく。涅槃は、煩悩の拘束から離れる・解放される(離繫りけ)ことであり、正しい知恵の結果であることから果のひとつと位置づけられる。有部によれば、離繫果の因は能作因であるが、世親はこれを批判している。
😀
集中力のギアは
確定した
😀