【天台三年】 教学探究 統合スレッド 【華厳八年】 5

1.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
XBX7C
中国仏教のツートップ

天台教学・華厳教学を学ぶ


前スレ

【天台三年】 教学探究 統合スレッド 【華厳八年】 4
https://talk.jp/boards/psy/1790809822
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475.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
「ボクは日常生活で修行しているから、坐禅など必要ない」

「私は日常生活で修行などしていない。何の修行もしていない」


なんか、両方いってた気がする

そのときどきで、コロコロ変わってた
476.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1

「私は日常生活で修行などしていない。何の修行もしていない」


いや、でも

確か、最終結論はコレだったよ
477.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
でも、むしろ

よく、坐禅をやめられたな

長いことやってきたのに、習慣にならなかったのか
478.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
「意味がないと気づいたので、やめた」というが

意味があるからやるってもんじゃないだろ😅
479.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
「私は、坐禅など意味がないと気づいた」というのは

気づいたわけではない

頭の中で、理屈が出来上がったのだ
480.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
修行不要論は、理論だ

名前の通り、修行は不要であるという理論だ

本当に何も考えてないのなら、坐禅をそのまま続ける(笑)

修行不要論という理屈に染まったから、やめたのだ
481.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
本当に何も考えてない人が

修行不要論など主張するはずがない
482.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
「私は頭が悪くて、何も考えていない」というが

頭が悪いのは否定しないけど

「何も考えてない」というのは、ウソ
483.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
おのれの頭の悪さを自覚しているのなら

それこそ、「イワシの頭も信心」で

愚直にやってみたらどうなのか?
484.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
頭脳はイワシ並みだが

プライドは海の王者・シャチ並み
485.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zI8c1
頑固さは、カメの甲羅並み
486.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
本当何も考えてない人だと、こうなる

↓

「いや~、坐禅って、ほんっとに、いいもんですね~😆」
487.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
これは、理屈っぽい人がいうセリフだろ

↓

「坐禅など、悟るための修行であり、必要のないものである。私には必要ないと気づいた。だから、坐禅をやめた」
488.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
別に、理屈っぽくてもいいんだけどな~

理屈っぽさにかけては、こっちもヒトのこと言えんし~

でも、少なくとも、それを自覚すべきと思うんだよな

変な理屈で、自分の理屈っぽさをゴマカすべきではない
489.
ユーザー
。
iEkIW
奴って⁉️

490.
ユーザー
。
iEkIW
実際の坐禅は

少なくとも

見性~悟りに至ると

自動的にそうなる姿であって

悟っていないのに

形だけ悟った人の真似をするのが

凡夫の坐禅ですね。
491.
ユーザー
。
iEkIW
だから

真似だから何十年坐禅しても

見性はおろか悟りすら起こらず

大悟などは

夢のまた夢となるということですね。
492.
ユーザー
。
iEkIW
先ずは

無分別三昧の

第四禅定を目指す‼️

その為には

一次的にでも

先ず、思考・雑念を一次的停止可能な

スキルを習得することが求められる。

ただ坐禅してもダメです‼️
493.
ユーザー
神も仏も名無しさん
B802s
>>488
曹洞宗に臨済宗要素が濃すぎると
厄介だな

ま、デンパパ📡みたいに偽者科学的なのも、もっと酷いが
😀
494.
ユーザー
神も仏も名無しさん
B802s
デンパパ📡論外👽

自覚がないよーだ👽
495.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
曹洞宗の良さが失われているな
496.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
只管打坐の原点に戻るべし
497.
ユーザー
神も仏も名無しさん
B802s
臨済宗のホンモノは厄介だから
ホント、力説する気がおきん、
あれは、


ハッスルや麦の気がしれん
ムイムイもだけど
😅
498.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jwnyi
ただ、坐る
499.
ユーザー
神も仏も名無しさん
gIjNl
一流の仏教学者
禅宗の悟りが、インド仏典に記された悟りと同じであるとは考えられないので、私には解りません…。
500.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
シェリング研究効果が
意外なところで出てきた
疲労回復テクニックで
😀
501.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
仏教内部でも輪廻転生を文字通り受け入れる立場だけでなく
象徴的に或いは心理的に読む立場もあります。
更に
仏教のおかしい点は
魂が無いのに何故生まれ変わるのか。
現実を見つめる禅宗と超自然的な真言密教が同じ仏教なのか。
科学的に確認出来ない輪廻転生や功徳を何故信じるのか。
宗派によってかなり教えが違うのに何故仏教と人括りにされてるのか。

つまり仏教は初めから一枚岩の教義だったのではなく
苦しみを減らす実践を中心にインド中国日本で長い年月をかけて変化した集合体だからです。ボイン❗

だから、輪廻転生や密教を信じられなくても仏教の中にある執着心を減らす、自分の思い込みを気が付く、苦しみを観察する、といった部分だけを世間で評価することは
出来ますばい。
だから
一般人が超自然的な部分に納得出来ないなら仏教全体を信じる必要はあ~りません。
宗教として信じるか、心理的とするか、哲学としてか、修行方法として一部分を使うかは分けて考えてよいものです。😃


502.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
仏教は一枚岩ではありません。
禅宗、真言密教、輪廻転生、などなど、
つまり、心理学、哲学、儀礼、神話、神通力、宇宙世界観が全部混ざっているのです。ボイン❗
実際に仏教はインド中国日本へ渡る過程でさまざまな思想や文化を取り込んでて多様な宗派に成りましたの。


503.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
キルケゴールは哲学者として
なかなかだ😀
504.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
そもそも科学的に疑わしい、輪廻転生や極楽浄土や地獄などの死後の世界は科学で確認された事実ではないのにそこを絶対的な真実とするのは宗教ならではです。

505.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
他人事の評論家でない
キルケゴールはかなり攻めている
😀
506.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
禅宗ではいまここでの自己のありかた、なのに、密教では宇宙世界観の仏の体系化する、更に浄土系統では来世や極楽浄土が意味を持つ。
これを全部同じ仏教と呼ぶのはおかしい

ボイン❗
507.
ユーザー
神も仏も名無しさん
5ks4P
「現実」という、超越的観念的なものを排するところと
その「現実」を超えたなにものかの、
二つに分けてどちらが実在なのか、主であり従であるかとする立場で争う傾向なのが西洋の思想哲学だけれど
仏教は、方法として二つに分けて説明するところはあっても、その「分けてみる」ことそれ自体を否定する
508.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
仏教は後生の要素が多い。
仏教は釈迦の教えだけでなく後生の解釈、伝説、寺院制度、民族信仰が重なっております。

そのため初期仏教と日本仏教はかなり違う。ボイン❗
509.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
>>507
西欧哲学に劣化した肉弾戦の
キルケゴールは
意外にオモロイ😀
510.
ユーザー
神も仏も名無しさん
5ks4P
密教はヒンドゥー教と習合してるものだからそこに仏教としての引っ掛かりを見るのは分かるが
「仏教」と呼ばれるものは、生死の苦の此岸から解脱の彼岸に渡る方法が示されてるもので
彼岸に渡り切れば彼岸も此岸もなくなる、というものとして共通してる
511.
ユーザー
ゴンぎつね
swnOg
仏教は異なる時代、異なる地域の思想が巨大なひとつの看板に入っているから
矛盾がハッキリ見えやすいのです。
ボイン❗
512.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
キルケゴール並みの肉弾戦で
のたうち回るところに
立たないのは
どうかな?
感はあるね😀
513.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
キルケゴールみたいなアナログ戦闘なんかやる気にならんけどな、
俺は😀
514.
ユーザー
神も仏も名無しさん
5ks4P
>>511
「仏教」として語られてる、ことばや教えから「思想」としてとらえると仏教はそれぞれの宗派で違う矛盾だらけ
でもその教えを「思想」として見ず、ことばや教えで示されてるところから見ると、解脱成道を示すものは当然に仏教は共通してるもの
515.
ユーザー
神も仏も名無しさん
5ks4P
この辺からの思想、文献としての取り扱いから仏教を批判する視点というのも
西洋の近代からの学術、哲学や科学方法を唯一の「正しい」ものの見方としてそこからすべてを解釈しなおそうとするところから起こる問題だろね
516.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
西欧人の発想に詳しくなかったので
最近マイブームだ😀
たまに役に立つインスピレーションがある時がある😀
517.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
鈴木大拙点数付ける動画見つけた
意外にAI要約オモシロかった😀

欧米人向けに再構築された禅: 鈴木が欧米に禅を伝える際、当時の西洋哲学や神秘主義と共鳴しやすい形に「翻訳」・再構成した側面が指摘されます。これにより、本来の仏教的な文脈から切り離された、ある種の「創作された禅」あるいは「逆オリエンタリズム(東洋は精神的に優れているとする枠組み)」に基づいた表現になっているのではないかという議論です。
学術的・歴史的な限界: 鈴木の禅研究は、現代の文献学的な仏教研究や歴史学的な視点からは、史料の扱いや歴史認識において限界があると指摘されています。特に、中国の禅宗史を重視する研究者(例えば胡適など)からは、歴史的な客観性を欠いているとの批判もありました。

これらの批判は、鈴木大拙が「禅を世界に広めた功績」を否定するものではなく、むしろ「いかにして彼が禅を語ったのか」「その言葉がどのような歴史的文脈を背負っていたのか」という、より深い理解と再評価を求める文脈で語られています
518.
ユーザー
神も仏も名無しさん
JfzC3
519.
ユーザー
神も仏も名無しさん
gIjNl
一流の仏教学者
曹洞宗も臨済宗も悟りを得た人が数多くいるので、ここはひとつ、神通力バトルで決着をつけてもらいましょう。
520.
ユーザー
神も仏も名無しさん
gIjNl
一流の仏教学者
「見性」って全く意味が解らない。四向四果の具体的にどこなの? 菩薩のステージの具体的にどこなの?

大竹晋先生の『「悟り体験」を読む』では、十地の歓喜地の最初が見道であり中国禅宗を中心にして見性という言葉で呼ぶようになった、という内容が書かれています
また、部派仏教の預流向に配される見道と大乗仏教の見性は内実が異なっている、という内容も書かれています
見道=四諦、見性=空性=悟り
521.
ユーザー
。
0Z7QO
≫只管打坐の原点に戻るべし


それは

少なくとも

中国で第四禅定の身心脱落までいった

道元がやることね

それを誰にでもやらせたのは

道元の間違いです。
522.
ユーザー
。
0Z7QO
ウダーナヴァルガでお釈迦様が語った究竟涅槃の様相

般若心経と比較してください。

https://i.imgur.com/Q3ctbBC.jpeg
523.
ユーザー
。
0Z7QO
城邑
パーリ仏典のサンユッタ・ニカーヤの12、65「城邑」
漢訳阿含経の雑阿含の12、5 「城邑」

では修行者諸君、例えばここに人がいたとせよ。

彼は林で道に迷い、彷徨った挙げ句、ふと偶然、古代の人々が辿った小径を発見したとしよう。

その人は、その路にしたがい歩み行きて、そこで古(いにしえ)の人々が暮らしていた古城、そして荘苑、岸辺も麗しい蓮池を備えた古の都城を発見したとそのように想定せよ。

諸君、その時、その人物は王、または王の大臣にこう報告したのである。

「尊き方に申し上げます。わたしは人なき林を彷徨っていたのですが、そのさい偶然にも古代の人々が歩いた古い小径を発見したのであります。

そして、その路に沿ってずっとわたしは歩み行きました。すると、その先には古人の暮らしていた古城があったのであります。

それは荘苑もあり、岸辺も麗しい蓮池を備えた古えの都城でありました。

尊き方よ、願わくばかしこに城邑(城下町)を築かしめたまえ」と。

さあ君たちよ。そこで王は早速そこに城下町を作らせたところ、やがて、その城下町は栄え、人々はあまた集まり来たりて繁栄を極めるに至ったのである。
524.
ユーザー
。
0Z7QO
そこでだ、君たち。

⚫ それと同じく、わたしはまさに過去の正等覚者たちが辿った古道、小径を発見したのである。

⚫ では諸君、過去の諸仏が辿って来た径とは何であろうか?

⚫ それはかの聖なる八段階の道のことである。

すなわち、

1正しい見解(無常世界に真の幸福、安らぎ、自由は存在しないという見解)
2正しい思索(邪悪、貪り、無痴を離れた思考)
3正しい言葉(悪心を背景とした悪口、二枚舌、ウソ、ギャグなどの綺語を離れ真実を語る)
4正しい行い(生き物を傷つけない、邪淫、飲酒から離れる)
5正しい生活(詐欺、強盗、屠殺業その他から離れ、托鉢乞食によって生活する)
6正しい奮闘努力(四正勤:ググってね)
7正しい瞑想(四念処)
8正しいサマディ
である。

⚫ 君たち、

これが【過去の正等覚者】たちが辿った古道、小径であり、

この道にしたがい行きてわたしもまた、老死を知り、老死のよって来るところを知り、老死のよって滅するところを知り、また老死の滅に至る道を知ったのである。

⭐(つまり、理屈を色々考えついたのだとは言ってない)

君たちよ、わたしはまた(・・・十二縁起が説かれる)

さあ、君たちよ、わたしはそれらの事を知って、比丘、比丘尼、ならびにウパーサカ(在家帰依信徒)、ウパーシカ(在家帰依信女)に説いた。

従って君たちよ、この様な経緯を経て、この聖なる修道体系は次第に広まり、多くの人々よって知られ、また説かれるようになったのである。