【鉄矢】大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い2最終更新 2023/09/23 17:491.名無しさんg4ig5Xmt【大阪の人物】物部連→九州人西漢直→朝鮮人河内直→朝鮮人難波吉志→朝鮮人ヘタレ源経基→京都人箕田源氏渡辺党→埼玉人源義家→神奈川(京都)人ヘタレ源為義→京都人源義朝→京都(神奈川)人守護三浦→神奈川人悪党楠木→埼玉人守護山名→群馬人管領畠山→埼玉(神奈川)人三好→徳島人松平忠明公→愛知(群馬)人鴻池→島根(兵庫)人住友→福井人近松→福井人適塾洪庵→岡山人福澤→大分人大阪経済の大恩人五代友厚→鹿児島人大阪紡績生みの親渋沢栄一→埼玉人二宮忠→愛媛人今様太閤一三→山梨人大阪の父関一市長→静岡(東京)人文豪谷崎→東京人幸田弟→東京人外骨→香川人丹下→愛媛人大阪万博泰三→東京人出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/15009979422017/07/26 00:52:223コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無しさんTKKya久留米兵「所属部隊はどこですか?」大阪京都兵「や、安です…」久留米兵「なあんだ贅六かw」▼田中稔(福岡県出身の元陸軍中尉、光人社『死守命令』より)「大阪、京都出身の兵士たちで編成された祭と安の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた」▼岡本岩男(岡山県出身の元陸軍中佐、文春文庫『インパール』より)「しかし安(京都53師団)の逃げっぷりはええぞ。京都安兵団は恐ろしく戦意のない素質の悪い部隊です」▼伊藤桂一(三重県出身の戦記作家、新潮文庫『兵隊たちの陸軍史』より)「日本の軍隊がもしすべて大阪兵団のようだったら…どこかの国に、よりみじめな状態で隷属せざるを得なくなったかもしれない」▼司馬遼太郎(大阪市出身の歴史作家、新潮文庫『司馬遼太郎が考えたこと』より)「中国兵が「またも負けたか八連隊」とマイクで(大阪兵を)からかったそうだから国際級の名声があったわけだ」▼酒井朝次元陸軍上等兵(京都第15師団野砲兵第21連隊、『戦争体験史料館・インタビュー記録』より)「京都の兵隊は弱い。九州の兵隊はハングリー精神があり勇敢で感心した」2023/08/01 18:02:183.名無しさん5ZhGP大阪贅六唯一の自慢コレヒドールでも死傷者出しながら戦ったのは第4師団のエース和歌山61連隊で、最弱大阪連隊はな~んもしとらんドスエw【第二次】バターン戦※大阪4師団は2月下旬に上海付近を逐次出航、4/3までに到着昭和17年4月3日の総攻撃以降↓141連隊の津川忠士軍曹「この頃(4日以降)になると投降票を持った敵兵が相当現れるようになりました。戦意を失っていて従順だし、我々も敵意がなくなり、しばらくすると友達のようになりましたね」141連隊(福山)の今井連隊長「勝ち戦の追撃は全く快適で口も軽くなり、道端に咲く花を観賞する気持ちになった」一日百メートルの前進を計画していた第14軍であったが、現実は大阪4師団を除いて猛スピードの進軍となったのである(←勝ち戦でもビクビクしながら進軍)。【おまけ】コレヒドール島攻略戦※敵の戦意はすでに衰えていた(笑)第4師団にコレヒドール島攻略の準備を命じたのは4月9日であるが、攻略実施命令は4月28日であった。準備命令から実施命令(5月6日)までの間が約一ヶ月あり、第4師団の将兵はこの間に上陸訓練に励んだ。もっとも砲兵と飛行機による攻撃は4月9日から行われている。野戦重砲一連隊(神奈川・横須賀)以下砲兵陣は東海岸に展開して連日コレヒドール島に砲弾を撃ち込んだ。4月29日などは"天長節の祝砲"と言って猛烈を極めた。圧倒的優位に立っての作戦であったから一ヶ月の準備期間は長すぎた、ともいえる。コレヒドール島攻略部隊は右翼隊、左翼隊に区分されていた。(左翼隊)基幹=和歌山61連隊、予備隊=大阪8連隊(右翼隊)基幹=大阪8連隊第1大隊、大阪37連隊↓(左・和歌山連隊)実戦闘参加人員の半数の九百名の死傷者を出しながら上陸→敵の軍使が現れ降伏(右・大阪連隊)援護射撃が有効に作用した地点に上陸したため、戦火を交えることはなかった(笑)(御田重宝『人間の記録バターン戦』徳間文庫、274~278頁より)2023/09/23 17:49:46
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物部連→九州人
西漢直→朝鮮人
河内直→朝鮮人
難波吉志→朝鮮人
ヘタレ源経基→京都人
箕田源氏渡辺党→埼玉人
源義家→神奈川(京都)人
ヘタレ源為義→京都人
源義朝→京都(神奈川)人
守護三浦→神奈川人
悪党楠木→埼玉人
守護山名→群馬人
管領畠山→埼玉(神奈川)人
三好→徳島人
松平忠明公→愛知(群馬)人
鴻池→島根(兵庫)人
住友→福井人
近松→福井人
適塾洪庵→岡山人
福澤→大分人
大阪経済の大恩人五代友厚→鹿児島人
大阪紡績生みの親渋沢栄一→埼玉人
二宮忠→愛媛人
今様太閤一三→山梨人
大阪の父関一市長→静岡(東京)人
文豪谷崎→東京人
幸田弟→東京人
外骨→香川人
丹下→愛媛人
大阪万博泰三→東京人
大阪京都兵「や、安です…」
久留米兵「なあんだ贅六かw」
▼田中稔(福岡県出身の元陸軍中尉、光人社『死守命令』より)
「大阪、京都出身の兵士たちで編成された祭と安の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた」
▼岡本岩男(岡山県出身の元陸軍中佐、文春文庫『インパール』より)
「しかし安(京都53師団)の逃げっぷりはええぞ。京都安兵団は恐ろしく戦意のない素質の悪い部隊です」
▼伊藤桂一(三重県出身の戦記作家、新潮文庫『兵隊たちの陸軍史』より)
「日本の軍隊がもしすべて大阪兵団のようだったら…どこかの国に、よりみじめな状態で隷属せざるを得なくなったかもしれない」
▼司馬遼太郎(大阪市出身の歴史作家、新潮文庫『司馬遼太郎が考えたこと』より)
「中国兵が「またも負けたか八連隊」とマイクで(大阪兵を)からかったそうだから国際級の名声があったわけだ」
▼酒井朝次元陸軍上等兵(京都第15師団野砲兵第21連隊、『戦争体験史料館・インタビュー記録』より)
「京都の兵隊は弱い。九州の兵隊はハングリー精神があり勇敢で感心した」
【第二次】バターン戦※大阪4師団は2月下旬に上海付近を逐次出航、4/3までに到着
昭和17年4月3日の総攻撃以降
↓
141連隊の津川忠士軍曹「この頃(4日以降)になると投降票を持った敵兵が相当現れるようになりました。戦意を失っていて従順だし、我々も敵意がなくなり、しばらくすると友達のようになりましたね」
141連隊(福山)の今井連隊長「勝ち戦の追撃は全く快適で口も軽くなり、道端に咲く花を観賞する気持ちになった」
一日百メートルの前進を計画していた第14軍であったが、現実は大阪4師団を除いて猛スピードの進軍となったのである(←勝ち戦でもビクビクしながら進軍)。
【おまけ】コレヒドール島攻略戦※敵の戦意はすでに衰えていた(笑)
第4師団にコレヒドール島攻略の準備を命じたのは4月9日であるが、攻略実施命令は4月28日であった。
準備命令から実施命令(5月6日)までの間が
約一ヶ月あり、第4師団の将兵はこの間に上陸訓練に励んだ。
もっとも砲兵と飛行機による攻撃は4月9日から行われている。
野戦重砲一連隊(神奈川・横須賀)以下砲兵陣は東海岸に展開して連日コレヒドール島に砲弾を撃ち込んだ。4月29日などは"天長節の祝砲"と言って猛烈を極めた。
圧倒的優位に立っての作戦であったから一ヶ月の準備期間は長すぎた、ともいえる。
コレヒドール島攻略部隊は右翼隊、左翼隊に区分されていた。
(左翼隊)基幹=和歌山61連隊、予備隊=大阪8連隊
(右翼隊)基幹=大阪8連隊第1大隊、大阪37連隊
↓
(左・和歌山連隊)実戦闘参加人員の半数の九百名の死傷者を出しながら上陸→敵の軍使が現れ降伏
(右・大阪連隊)援護射撃が有効に作用した地点に上陸したため、戦火を交えることはなかった(笑)
(御田重宝『人間の記録バターン戦』徳間文庫、274~278頁より)